『徒然日誌』 2017年1月から12月
2017年12月31日(日) くもり
大晦日。
かきくけこちらは大晦日。かきくけこちらは曇って穏やかですが、新潟ではこんな風景の毎日になっているらしい。修験者も山には入れないので、「先月中旬から忘年会が続いてヘロヘロです」とのこと。山アさん、今年はたくさんお世話になりました。こんな辺鄙な所へ2度も来ていただくなんて。送っていただいた「高級鮭」3人で感動しながら美味しくいただきました。ありがとう。来年も大峯で会えることを願っています。
醍醐の山梨宗務所下の諸大徳の皆様にも今年一年お世話になりありがとうございました。新しい年もよろしくお願いいたします。東海師が年越し護摩に参座してくれることになっています。うちのところは、除夜の鐘の苦情もないので撞きますが、法螺貝も二人で今夜は吹くぞー!少し早いが今年にサヨナラだぁ。
2017年12月30日(土) 晴れ
今朝は冷えた。
池にはびっしりとたくましい氷が張った。朝の寒さはとても耐えられん。それでも風もなく穏やかな一日。午前中、灯篭の窓に和紙を貼ったり、鐘楼、祠にシメを張ったり、門松にシメをつけ手入れをする。檀家近く遠くからやってくる。昨日の夕方パソコンが不具合を起こしたので、年明けには少し使えなくなるかもしれない。かろうじてネットにはつながるので、つれづれもかけてはいるが、背景は真っ黒で不気味である。東海師から明日晦日の護摩に参座するとメールはいる。ありがたい。頭を刈ってさぶいさぶい。
2017年12月29日(金) 晴れ
佛前荘厳。
本堂の掃除をして大晦日のために仏前を荘厳する。朝はやはり寒さが厳しくてなかなか身体を動かすのが遅くなる。だが、炬燵に身を沈めてばかりでは動けなくなってしまうので、気合を入れて動きはじめるのである。バケツに水を酌んで雑巾で掃除を始める。本堂が少しずつきれいになり、正月の装いになってゆくのは僕だけの楽しみである。今日はGrateful Deadを聴きながら本堂の荘厳をした。Jerry Garciaのギターはほんとにいいな。風ほとんどなく穏やか。夕方冷え込んできた。午後は護摩札書き、ご朱印書き。檀家昨日あたりから暮れのあいさつに来てくれる。
2017年12月28日(木) 晴れ
納め不動。
午前中は昨日の大風で落ちた杉っ葉の掃除。境内から墓地から参道から庫裏の周りや八幡神社の入り口付近まで。午前中いっぱい掃除に時間を取られる。風がまだ吹くと嫌なので、外のシメは30日に付けることとする。お昼を食べて午後1時から護摩。「納め不動」の護摩。一年無事で息災で過ごせた。大晦日にも焚かなければならんので、今日のは一段護摩で短く。午後3時ごろに息子は相模原に帰る。護摩の後の掃除をする。全部やりきれず明日に回す。甲府のT工房から腕輪の加持の連絡来る。御朱印を30枚書かねばならん。
2017年12月27日(水) 晴れ
一日、風吹き荒れる。
日本海の北陸地方は大荒れの天気になっているようだ。新潟の山ア師はどうしているだろうかと切ない思いが湧いてくる。強い風は本堂の風鐸を一晩中カラカラカランと止むことなく鳴らせた。夜が明けても強風はおさまることなく日中も強い風が吹き荒れた。午後病院を定期受診。「一年お世話になりました」と若い女医に挨拶して帰ってきた。次は2月21日。今日と明日、獣除け柵扉の開閉当番。晦日とかでなくてよかった。何枚か頼まれたお札書く。明日の納め不動の護摩の準備をする。午後新潟の山ア師より、奉納と書かれた贈り物届く。とりあえず明日の護摩までお不動様の厨子の前にお供えする。
2017年12月26日(火) 晴れ
午後風強い。
炬燵に入ってゆっくりしてしまうと体は重くなって抜け出せなくなる。寒いけれど、エイッとばかりに着替えて外に出る。境内の土はまだ霜柱のように凍りついている。客殿の裏庭の落ち葉掃き。本堂脇の落ち葉掃き。もう落ち葉掃きは終わりだ。昼過ぎから風が強く吹いた。長い脚立を持ち込んで、庫裏の神棚のシメを張り替える。今年は閏月で13枚張ったが、来年は12枚で良し。松も入れ替える。一つずつ今年に幕を下ろし新しい年に衣替えしてゆく。車のタイヤ交換に息子が帰ってきた。中島みゆきを聴く。
2017年12月25日(月) 晴れ
門松を作る。
夜中雨が降った。この前降ったのはいつだったのか思い出せないくらい久しぶりの雨。朝にはもう止んでいたし、朝5時過ぎの空には星が見えた。雨が降ったのでいつもより暖かい朝で、今日は日中も気温が上がりとても過ごしやすい師走の日和になった。門松を作った。本堂前に一対、あと庫裏と住まいの玄関に一つずつ。シメを着けるのはもう少し待とう。鐘楼、本堂左右の祠にも縄を張る。
2017年12月24日(日) 晴れ
暮れの準備。
毎年正月用に使う松として外の便所の脇にある松の枝葉を伸ばしっぱなしにしておくんだけど、去年の末に、あまりにも伸びすぎて、混んできて、黒っぽくなってきたので思い切って短くしたので、今年はこの松の枝がまだ立派に成長していなくて使えない。仕方がないので裏山に生えている小さな松を採ってきた。身延の三吉屋からも頼まれているのでその分も採り夕方届けてきた。外を歩いていると体はあたたかい。それから、角松用の竹も切ってくる。来週の今日はもう大晦日だ。
2017年12月23日(土) 晴れ
明王寺冬至祭典。
富士川町の明王寺の年末の祭典に行く。南アルプス市の長谷寺のご住職と3人で執行。もう長いので打合せも簡単なもの。同い年の3人なので気心も知れている。天候も良く、盆地の景色も遠くまで見晴らしがきく。今日は天皇誕生日で休みなのだが、これがとりあえず来年まではいいとして、退位すると今日の23日は休日として残るかどうかが微妙なところ。気持ちよく、厳かに今年の最後のお祭りのお手伝いを終える。お父さんも間もなく88歳を迎えるというがまだ大丈夫そうだ。今日は明王寺の本堂で伺って初めに、神祇講式を読ませていただいた。来年もできたら読ませてもらおう。
2017年12月22日(金) 晴れ
欅の葉ももうほとんど枝を離れ。
静かに夕暮れてゆく。二十四節気の内の今日は冬至。夕闇の落ちてくるのが少しずつまたゆっくりになってくる。午前中本堂周りの落ち葉掃きや溝の掃除。明日の明王寺の冬至祭典のために午後頭を刈る。しんしんと冷えてきて刈りたての頭がキーンとさぶい。
2017年12月21日(木) 晴れ
納めの大師。
今日は一年の「納めの大師」。いつもは土曜の朝読むのだが、今日は特別に神祇講式を読み、お大師様に思いをはせた。午前中この神祇講式をネットで検索してみると、修験者のブログに出会った。そこに「神祇講式」全文と、現代語訳が掲載されていた。「神祇講式」は、ずいぶんと前に読んだことがあったがほとんど触れることなく月日が過ぎていて、観音経をしっかりと読めるようにお勤めの中に取り入れすらすらと読めるようになってから、次に読み始めた。今は土曜の朝勤行に読んでいる。ただあまり内容には詳しくなかったので、今日のこのブログはありがたかった。手持ちのものと内容を比べてみようと、コピーしてwordに落としたところである。
2017年12月19日(火) 晴れ
やっぱり車のナンバー830なんだな。
矢沢ファンの車の830は知っていたが、Y師とその友人の並ぶその向こうに停まっている秋田ナンバーの車のは、いわゆる8ナンバーのようだが?それも830。8ナンバーを調べてみたら、特種用途自動車(8ナンバー)ということになるらしい。特種用途自動車ってのは、パトカーや消防車、霊きゅう車など種々ある。で、その中に「その他」に括られる自動車があって、キャンピングカーや右翼の街宣車などがそれにあたる。ってことは?まあ、何はともあれ、右側の帽子かぶった白いスーツの方がY師なのである。
今日は一日墓地の掃除。落ち葉掃きや、お墓に供えられて枯れた花などを片付けて歩いた。夕方冷たい風吹く。
2017年12月18日(月) 晴れ
永ちゃんをこんなに楽しむ人がいる。
彼も決して若いとは言えない年齢だが、こんなに楽しんでいるのを見習わなければいけない。ドームで僕もストーンズを楽しんだよなぁ。で、新潟から行くにも、衣裳着替えたりするんだからすごいね。あっぱれだね。役行者みたいな人だね。
2017年12月17日(日) 晴れ
すごい修験者がいたもんだ。
新潟のY師。今夜は武道館の矢沢コンサートなのだそう。まさか東京まで出かけるとは恐れ入りました。さすがYAZAWAスーツ誂えるってくらいだから筋金入りだ。凄い修験者が現れたもんだ。全身で年末live楽しんできてくれ。
午前中、東京のKさんの娘さん一家墓参に来る。午前中陽射しがあってあたたかくなった。ここ何年か一家で年末の墓参りに来て、1時間ほどかけて寒い中をお墓を掃除してお参りしていかれる。二人のお子さんは新年度には高3、中3となり、来年の暮れはそれぞれ受験を控えるのでお母さんしか来れないかもしれないと。昨夕妹がたくさんお土産を持ってきてくれ、彼女の嫁ぎ先の寺は、いま乃木坂46ファンの聖地巡礼でとても賑わっているのだそうで、ファンからもらったというCDを何枚も持ってきてくれたので、Kさんとこの二人に訊くとファンだといい、貰っていってくれた。僕も「君の名は希望」の入ったアルバムはしっかりと所持した。夕方になってまたしっかりと外は冷え込んできた。
2017年12月15日(金) 晴れ
連日厳しい冷え込み続く。
本当にこんなに冷え込みのきつい師走ってあまり経験がないような気がしているのだが。池は氷るし、外の水道も朝は凍っている。外便所横の止水栓を閉じて朝開けるという、例年なら1月中下旬から2月にかけてやるようなことをしている。客殿の花瓶も割れてしまっては困るので水を捨てた。気を付けないでうっかりしていると割れて水浸しになっているという失敗を何度かした。学習機能はまだ働いてくれているようだ。正午から行われた、甲府:興蔵寺ご住職の葬儀に行く。60代半ばで逝ってしまわれた。人の一生のなんとあっけなくはかないもの、そんな当たり前のことを考えながら帰ってきた。帰ってきてお昼を食べてまた雑木切り。夕方ももうかなり冷え込んできた。
2017年12月14日(木) 晴れ
椿の枝を切る。
墓地の参道には何本も椿があって、手を入れないのでのびっぱなしになっている。柔らかな椿の枝は、紙縒りを編むように枝が交差している。横に混んで伸びているので、重たい春の雪で枝が折れることがある。いつも恨めしくなんとかしたいなと眺めていたが、意を決して今日は朝から一日枝を切ってバッサリとすっきりさせた。ものすごい量の枝が空き地に山のようになった。
朝仕事をはじめようとしているところへ、静岡の宗会議員のO師より電話が入る。寺の後継の件で、一人行ってみたいという人がいるがどうだろうかとのこと。こちらはとにかく会ってみたいのでお願いをする。もうちょっと話をしてみると、その方僕は一度お会いしたことがあり、山形の羽柴僧正の弟子になる方である。3月頃に一度つれて伺うとのことで、よろしくお願いしますと話す。
2017年12月12日(火) 晴れ
スウィングガールズ。
この矢口史靖監督の「スウィングガールズ」、WOWOWでやったのでまた録って見た。何度見てもこれはいい。今度は保存版とする。僕はこの映画名作だと思う。こんなに惹かれる映画はあまりない。ちなみに僕はこの監督の名前を史靖(ふみやす)だと思っていたら、(しのぶ)と読むようだ。ジャズにのめり込んでいく女子高校生がほんとにいいっすよ。そんでよくわからん山形の置賜弁が実に味がある。スウィングするビッグバンドジャズの魅力がガッツリ伝わってくる名作。
夕べ10時頃か、5分ほどものすごく外を強い風が吹いた。それでピタッと風は止んだのだが、今朝外に出ると、ケヤキの残り葉もモミジの葉もほぼ木を離れた状況になっていた。午前中女房と外で落ち葉掃き。僕は溝の落ち葉を集め、あと雑木切り。お昼に新潟の山ア師から電話ある。もう雪だそうだ。社長の店から送ってもらったワイン無事届いたとのこと。7月に伊勢参りからうちの寺に寄り、掛け軸にご朱印を書いた平塚市のKさんから、御宝前に供えてくれと酒が送られてきた。
2017年12月11日(月) 晴れ
不安になる。
お父さんが、「ちょっと用を済ませてくるから車で待っててね」と言って離れる。福井で3歳児が不明になって捜索が続いているようだが。駐車したすぐそばに川もありちょっと心配ではある。大人の言葉を3歳児はどのくらい理解できるのだろうか。10分ほどで車に戻ったらしいが、例えば「10分くらいだから待っててね」と話しても、3歳児は10分という時間を想像する事ができるだろうか。10分の時間を待っている間に、もしかしたら、突き上げてくるどうしようもない不安に車を開けて外に飛び出して、お父さんを捜したのではないか?
午前中女房は外の掃除。僕は除夜の鐘を撞く橦木を点検する。午後御札書き。午後少し強い風が吹く。枝に残る葉がだいぶ落ちた。
2017年12月10日(日) 晴れ
池、氷り張る。
この冬初めて池が凍った。表一面にモミジが落ちていて、まるでモミジを漉き込んだように氷が張っていた。寒く寒くなる。御札を作る。映画を見る。市川の遠藤さん暮れのあいさつに見える。90歳過ぎていたって健康元気。
2017年12月9日(土) 晴れ
新年準備。
申し込みのある新年祈願の御札書きを始める。たくさんあるわけではないので、熱を入れて書きはじめれば多分一日で終わってしまう。まだ申し込みはこれからもあると思うので、少しずつ仕事が無くならないようにやる。今年何度か護摩を焚いて加持させてもらった念珠腕輪の追加注文が入ったとのメールが届いたので、新年にまた加持させてもらえるようだ。静かな寺で静かに生活していても、やはり食って飲んで生きていかなければならないので、こういうお話は大変にありがたく貴重なんである。
2017年12月8日(金) くもり
John Lennon命日。
午前中JohnのCDかけながら暮れの仕事をする。毎年毎年、寒く冷たく毎日雪が降る美麻村の遊学舎でのJohnの訃報を聞いた日のことを思い出す。富岡八幡宮の宮司が弟に刀で殺されるという事件があった。年末年始を控える有名神社にとってあってはならんできごとだとは思うが何とも痛ましい。これもある意味、神社を家にしてしまったがゆえに起きた事件である。大好きな山本一力の時代小説は必ず富岡八幡宮が出てくる。今日の一日のように寒い寒い出来事だ。午後2時に春日居桑戸の田中氏来寺。桑戸不動堂の木造五大明王像を地域でお守りしているところの方で、お不動様の拝観に来た。1時間ほど寒い本堂でお話をして帰られた。
2017年12月7日(木) 晴れ
掃除。
庫裏玄関のサッシ戸拭き。玄関外の蛍光灯、山門の蛍光灯の掃除。山門は夏の終わりに一度きれいに洗ってあったので簡単に済んだ。長いほうきを持っていって山門のすす払いもする。年賀状の印刷も済ませる。別に特別凝った年賀でもなく、いつもの年のように挨拶状といった感じ。着々と新年の準備。
2017年12月6日(水) 晴れ
掃除。
窓ガラス拭き。蛍光灯の掃除。落ち葉掃き。便所掃除。お昼前に飯富のDさん、新年の御札を頼みに来てくれる。「娘が出産予定なので」と、安産祈願の御札も頼まれる。ちょっと一風流なところがあり、あまりお付き合いはないのだが、先日宗費の領収書を送ったことに対して礼状というかはがきをいただいた。僕が来年7月に退任するということを書いたので、慰労の気持ちも書いてくれてあった。本年を言い合うと分かり合えるようなところがあるのかもしれない。
2017年12月5日(火) 晴れ
暖かくなり無事葬儀終える。
昨日は寒い寒い日だったが今日は暖かくなった。10時半から葬儀。沼津、三島、横浜から亡き兄を送らんと3人の弟、その家族が来てくれる。正午に出棺し火葬、火葬の間に待合室で昼食をとりながら話をする。正月明けに四十九日忌が来るのだがと話すと、法事はするということで1月7日(日)にすることに決まる。こういう風にやることはしっかりとやるといってくれることがありがたい気がする。
2017年12月4日(月) くもり
寒い。
昨日はいい天気で、閉め切った部屋の中は暑いくらいだったけど今日は一日寒い曇り日。午後3時過ぎに明日のために寒い寒い庫裏の風呂で頭を刈る。午前中、護摩祈願の5尺札を手書きする。お昼前に、信州の大町市文化財センターのK氏から、うちの寺に甲斐源氏系図があることから、武田信玄の5男の仁科盛信の記載のある個所をコピーして送ってほしいと頼まれる。盛信は側室の油川夫人の子で、信玄亡きあとは異母兄である勝頼に仕えた。織田軍による甲州征伐に奮闘したが自刃している。で、系図を見ると勝頼の隣に「信盛」と記されている。そのことを書いて系図の写真をメールに添付して送ると、「信盛」と書かれた系図もあるということをK氏は調べているので、ありがとうということにあいなった。
佐野K氏の遺体を今日も一日客殿に置いて、香を焚いて供養していたが、久しぶりに生れ在所に帰ってきて懐かしんで、魂はコロコロと鞠のように遊んでいるかもしれない。
2017年12月3日(日) 晴れ
不思議なことが続くものだ。
ほんの2週間ほど前に檀家の方が亡くなり、その死は同居する妻がそれを認知できなくて放っておいて、死後10日ほど経過してご近所の方が訪ねて気が付いたというものだったが、ほぼ同じようなケースで檀家の方が亡くなった。こっちは一人暮らしだったが、回覧板を回しに行った近所の方が不審に思って家の中に入ると、すでに冷たくなっていたというもの。診断書は死亡日は25日頃となっているので、こちらも一週間ほどが経過していたということになる。連絡を受けた静岡県に住む二人の弟から寺に昨夕連絡があった。同じように警察署に遺体が運ばれていて、今回もまた葬儀社に棺持参で搬送してもらい、借家に戻っても仕方ないということで、直接客殿に遺体を安置した。二組の弟家族と葬儀社と相談し、明日は友引のために見送り、5日の10時半から葬儀をして、昼過ぎに火葬し納骨することにした。遠く離れていて泊るところもないので、朝早い時間に出かけてこなくて済むように、葬儀後の火葬とした。この家もこの人の死をもって墓を継ぐ者はいない。数年後に、父親の50回忌を迎えるので、それをもって永代供養としたいということを弟夫婦と確認した。それまでは、護寺会の付き合いも継続してくれるとのこと。今年は夏に葬儀があっただけだったが、秋以降ちょっとさびしい弔いが続くことになった。
2017年12月2日(土) 晴れ
はしだのりひこ。
Yahooニュースではしだのりひこが亡くなったことを知った。YouTubeで”風”など彼の作った歌とあの高音の透き通るような声を懐かしく聴いた。きのうも行藏院のご住職と僕らも若くはないという話をしたところだ。何曲か聞いていると、『京都フォークデイズ・ライブ 「完全版」』というKBS京都創立65周年記念というラジオ番組がアップされていた。今年の4月23日のこのコンサートの特別ゲストに、なんとはしだのりひこが登場していたのだ。北山修に紹介されて車いすで登場というはしだは、進行性の病にあるということを話しながらもあの名曲“風”を歌った。ちょうど1時間ほどの番組を懐かしく、感慨深く聴いた。僕は中学から高校とほぼフォーク少年だった。いまは節操なくRockでもjazzでも沖縄民謡でも何でも聞くが、今思うと、僕の住んでいる地域枠の中には、ロックやブルースやジャズという音楽を選択して聴くという環境がなかったのだと思う。唯一がフォークだったのだから仕方がない。加藤和彦が去り、はしだ氏も亡くなり、北山氏がひとりフォークルになった。ふたりぼっちのポールとリンゴのようなものか。冥福を祈りたい。こういう気持ちで何を聴くかというと、ちょうどオークションで仕入れたばかりのArt Pepperの「at the Village Vanguard」のCDがしみじみとしっくりくるのである。
2017年12月1日(金) 晴れ
6か月点検。
自動車の半年点検が10時から。ついでに冬用タイヤに交換してもらう。早めでもほとんど乗らないので問題ない。終わってそのまま甲府行藏院に向かう。その間に明王寺住職からmailが入る。ご住職の従兄の興蔵寺のご住職が亡くなったという知らせ。師走の明王寺の冬至祭りでしかご一緒する機会はなかったが、一年に一度だけちょっとの時間酒を飲みながら話をするのは楽しみだった。だいぶ悪いとは聞いていたが、まだ60代半ばである。昼時間に近くなってちょっと気が引けたが行藏院を訪ねる。護摩木と散杖を手土産とした。何回かヌルデの木で護摩が焚いてもらえる。都会に住むご住職はこんな田舎の山にあるようなものが、実はとても嬉しかったりするのだ。パソコンをいじったりしながらお昼ご飯までごちそうになってしまい、帰りには高価な都会のお土産を女房と娘にいただいた。師走の入り。もう今年お会いすることはないかもしれないと挨拶を交わして帰ってきた。
2017年11月30日(木) くもり
暮れの掃除を少しずつ始める。
寺と自分らの住まいと、結構広い。網戸が多いということはサッシ戸もそれなりにあるということなんで、これもできるだけ年末にはきれいに拭いている。住まいの玄関、風呂トイレなど何か所か拭き、蛍光灯のカバーなども洗う。落ち葉掃きなど。日馬富士はやはり心配していた通り引退となった。まあこれは避けられなかっただろうけど、好きな力士だっただけにとても残念。日本国籍を取得準備中だったというが、取得せずに引退となったので協会にも残れないらしい。格闘技界からの申し入れがあるとかもうネットに出ていたが。まだまだ相撲協会落ち着かないだろう。貴乃花巡業部長では巡業に参加したくないと白鵬が発言したとのことだが、こじれたら「40回優勝したから俺ももういいや」なんて引退しちゃうかもしれんな。そうすると鶴竜も同調するかもしれないし、稀勢の里はもう先が見えてしまっているし。
2017年11月29日(水) 晴れ
丸井紙店。
市川大門は紙の町でうちからは30分もかからない。御札と破魔矢を頼んでおいたのを貰いにゆく。全国の寺や神社がここに注文を出している。うちでも門札や交通安全御守、ステッカーなんかも注文する。ただそんなに売れるわけではないので何年かに一度ということになるが。御札などは型や版を起こしてくれてあるので、頼めばそんなに時間はかからない。帰り、鰍沢警察署へ行き、更新免許を交付してもらい30分ほどのビデオを視聴する。中学の1年上で、長く森林組合に勤めていたTさんと一緒になる。行き帰りArt Pepper聞く。午前中本堂の掃除を済ます。
2017年11月28日(火) 晴れ
例月護摩。
朝寒い。朝の台所はエアコンを入れストーブを点けて湯を沸かす。大体ここまでが僕の仕事。その後朝食までの時間を先に客殿でお勤めをする。朝食後に洗面排便など済ませてから本堂のお勤めをする。終わってちょうど7時半前になり、「わろてんか」を見る。今日はこれを見た後に村の檀家に年末の護持会の通知を配達した。それから9時に郵便局へ行き、外の檀家と新年の御札の案内を信者さんなどに発送する。帰ってきてから僕用のヌルデを少し切り、太めの散杖がいいと壬生さんが言ったので、何本かよさそうなのを取ってきてこしらえる。僕は割と細めの方が、ランバン加持などで水器を掻きやすいと思うて使っている。皆違ってそれでいいのかも。横浜から牛山さん家族墓参に来る。午後1時から例月の不動護摩。上野原の若菜母子参座。昼間は暖かくてよかった。終わってから半分ほど護摩の後の掃除ができた。雨宮さん早めの暮れのあいさつに来てくれる。
2017年11月27日(月) 晴れ
これって驚いた。
年末年始用に、ちょっとでも本堂のお守りコーナーをにぎやかにして売れたらいいと、安そうな根付をさがしていたのだが、ひょんなことからここを見つけてしまった。寺の名前もいやぁ参ったそっくりなんである。この根付は扱っているお店で買えば200円もしないものであるが、「僧侶の護摩供養・ご祈祷厳修済み」となると、千円(配送料無料)になってしまう。ここいろんなお守りを販売しているのであるが、「お守りとして、使用させていただきましたが、厳修済みの感じが伝わりました。」などのコメントが実に生々しい。こういう攻めの姿勢の商売をしなくちゃならんのだなぁとつくづく感じました。ココ。
朝墓地の近くへヌルデを切りに行く。たくさん切って護摩木にしても、ヌルデは半年もすると虫が入ってダメになってしまう。使う分だけをこまめに切って作るのがよさそうだ。行藏院のご住職に使ってもらうように直径5センチほどの枝を何本か持帰った。長さだけ揃えて元に墨を塗り、あとは自分で割ってくださいとメールする。明日の護摩の樒の準備をする。
2017年11月26日(日) 晴れ
千秋楽。
「この相撲の一番にて千秋楽」という行事の声。今年最後の取り組みも白鵬が勝っちまった。期待している山梨の竜電なのだが、今日も負けてしまい8勝7敗。彼は十両西の2枚目にあり、今日1枚目の石浦が勝ち越しを決めた。幕内から落ちるのが何人になるかわからないが、番付表を眺める限り、なんとか新入幕となれそうな気もする。いろいろ相撲界が世間を騒がせているが、でも大相撲おもしろいわ。2ヶ月に一度の楽しみが終わってしまうとなんか虚しい気分。でも、白鵬が観客に万歳を強要する姿は、やはり民族の違いということで理解するしかないのかと。
午後玄法院にゆく。その前に新しい散杖を持って壬生和尚を表敬訪問する。玄法院で護摩に参座。久しぶりに東海師にもお会いする。
2017年11月25日(土) 晴れ
結局白鵬。
大相撲は14日目で白鳳の40回目の優勝が決まる。ただ今場所は前代未聞の土俵態度があったので、素直に彼を祝福する人は少ないだろう。モンゴル人とこの国を比較して、狩猟民族と農耕民族の違いだろうといった人がいたけれど、決着が付いたらダメ押しをしないとか、上位の者は下位の者の手本となって導くというようなことは民俗性の違い中はあまり問題にならないだろう。それを生業として金を稼いでいる人としての当たり前ではないかと思う。
明日は玄法院の護摩に参座することにした。ちょうど寺院宗費を本山に完納した返戻金を届ける都合がある。手土産に新しい散杖をこしらえた。
2017年11月24日(金) 晴れ
勝ち越し。
十両の竜電やっと勝ち越し。勝ったり負けたりと連勝がなかったが昨日今日と勝った。これで初場所幕内昇進はほぼ決まりだろう。でもまだ2番あるからふた桁目指して頑張れ。安が今日から休場。稀勢の里といい、田子ノ浦部屋はどうしようもない。なんか締まりのない納の場所になってしまったな。白鵬も全く横綱としてのマナーがなっていないし。
2017年11月23日(木) 雨/晴れ
61歳。
もう50代にも不惑の40歳にも戻れない60の坂を上りはじめたのか下りはじめたのか。朝にはまだ強い雨が残っていたので本堂に行くのを迷っていたが、9時前に雨が上がったのでお勤めをする。迷っていても遊ばせてはくれない現実があるだけだ。三上寛や友川かずきを引っ張り出してきて一日聴いていた。11月の終わる時期が誕生日があるからという訳でもないが、なんとなく群青色の世界のように昔から思っていて好きなときだ。朝客殿でお勤めをしながら、祖父や父に、もうしばらく元気で生きさせてくださいとほんとに真剣にお願いしたのだった。
2017年11月22日(水) くもり/雨
薄氷張る。
今朝外に置いてあるメダカの鉢に薄氷が張った。タテス(日除け)を片付けて物置にしまう。参道駐車場などの溝の落ち葉を片付ける。11時を回って雨が少し強くなったのでやめる。御朱印の夫婦あり。あったかい肉まんを食べて午後また外に出て、残りの溝、寺周りの溝の落ち葉を片付ける。3時過ぎに雨が強くなってきたので切りをつけておしまいにする。顔を洗い頭を拭いてから足の爪を切る。三上寛の怨歌を聞く。
2017年11月21日(火) 晴れ
窓ふき。
娘は今日から今週いっぱい休みだという。のんびりすることも必要。僕は毎日がのんびりなのだが。午後から庫裏の廊下のサッシ戸を拭く。網戸洗いやサッシ戸拭きはもう毎度のことなのだが気分転換にはいい。
横綱稀勢の里が今日から休場だという。可哀想に思うが、やはり左肩の負傷は彼の相撲人生の命取りになってしまったかもしれない。金星を5つあげてしまい、タイ記録になったので、もうここは休むしかないのかもしれないが、果たして1月場所に活躍できるということは相撲ファンも期待できないだろう。彼の父親は、稀勢の里を作り上げた指導者で厳格な父親のようだから、横綱に引導を渡すかもしれない。相撲界が揺れに揺れている。安もいま一つ元気がない。結局白鵬の独走になってしまいそうだ。終盤ひと波乱あるくらいの面白い取り組みに期待したいところ。さらに山梨の期待の竜電の幕内昇進をも期待。
2017年11月20日(月) 晴れ
県民の日。
朝9時になって県民信組に行き、S氏の火葬料を支払い、その足で民生委員宅へ費用清算と経過報告に行ってくる。今朝も相当に冷え込む。陽射しが出たのはもう昼近くになってからだ。炬燵に潜り込んで北欧ポリティカルスリラー「ノーベル〜戦火の陰謀〜」を見ていると、富士河口湖から不動明王を拝したいと家族が訪ねてきた。学校は休みですかと訊くと、父親が「今日は県民の日で休みなもので、ここを訪ねました」と。ぶっちゃけ寺を見ていて、訪ねたいと思っていたとのこと。特に韓国出身の奥さんは熱っぽく拝した喜びを話してくれた。寒い中を訪ねてくれたことを話すと、向こうの方がもっと寒いですとのこと、それはそうだ。富士はもう真っ白だという。庫裏でお茶を出して少し話をして帰っていかれた。「ここの寺の不動明王のことをお友達にもたくさん話します」と奥さんは言って帰られた。ありがたいことである。
2017年11月19日(日) 晴れ
朝は冷え込んだけどいい天気になった。
昨日はとてもとても寒くて、なんだかやるせない一日だったが、今日はいい天気になる。境内の紅葉(黄葉)もほんとにいい。年賀状用の写真を撮った。10時半から一宮家の3回忌の法事。同級生のK君は昨日米袋を持ち上げてぎっくり腰になってしまったと、痛みをこらえながらの参加であった。秋はどんどん更けてゆき、川石がごろごろ転がるように何の特別なこともなく、ごくごく当たり前にもう間もなく61歳になってしまう。
2017年11月18日(土) くもり/時々雨
一人で一人を見送る。
何ともさびしくわびしい見送りではあった。朝の明けは日に日に遅くなる。雨を予測していたが5時には降っておらず。暗い本堂に明かりをつけ勤行。朝食をとり、「わろてんか」見てから客殿で葬儀をする。いささか臭うので棺の上に渦巻き線香を焚いて置く。30分ほどかけて灌頂をし読経して故人を向こうの世に導く。1対1の葬儀は初めてだ。僕は扱ったことはないが、行倒れの身元不明の死者を弔うのはこのようなことであるのか。8時15分に葬儀社が霊柩車でやってきて火葬場に搬送する。火葬場の職員にも棺を運ぶのを手伝ってもらい室内に運ぶ。状態が悪いとのことなので棺の蓋などは開けることなくそのまま炉に。葬儀社に昨日からの搬送、葬具一式の支払いを済ませいったん寺に戻る。とても寒い寒い日。10時半に骨を受取りに行き、女房と墓地へ行き納骨して花を供え焼香し経をあげる。これで終了。あっけなくもさっぱりと終ってしまう。時々落ちてくる雨粒と空だけが悲しんでくれているようではあった。明日の法事は寒い日になりそうなので、客殿にファンヒーター用意する。岡林信康の「君に捧げるラブ・ソング」が胸にジーンと沁みる。
2017年11月17日(金) 晴れ
耕す。
畑6畳分ほどをスコップで掘り起こし、午後から管理機で耕した。久しぶりに外で汗を流して気持ちがよかった。最後にサニーレタスの苗を移植した。あまり収穫のことは気にかけていない。畑を全くの雑草地として放っておくことも気になる。ちょっとでも畑として残して役割をさせてあげたい。そんな程度の気分。
午前中檀家のSさんが亡くなったことを、地元の民生委員からの電話で知る。奥さんと二人暮らしでご主人が亡くなった。死後数日経過していたようで警察で検死して、今日帰ってくるとのことで寺に連絡があった。11時過ぎに団地を訪ねると、多分認知症が始まっている奥さんは、ほぼ僕らの応対ができない。夫が死んだということすら理解できていない。もうすぐ帰ってくると話すと、昼飯の準備をしなくちゃといった具合だ。ほとんど近所付き合いもなく、結局警察署から遺体は寺の客殿に運び安置した。死亡検案書には「死後10日程度経過と推定」とある。棺に納めて運んでもらったが、だいぶ傷みも激しいようだ。結局ほぼ一人とされお金も預かり、明日火葬して納骨することにした。墓は20数年前に建ててあるので、このことだけはよかった。墓も開けてみたが多分一人で納骨もできそう。戒名も付けたので、明朝一人で葬儀の経をあげ送ってあげることにする。
キタキタキターーーー!YAZAWA命の修験者から。「トランポでーす!」「永ちゃん最高!武道館もいいけど、地方の小さい箱もいいねぇ!」♪
2017年11月15日(水) 晴れ
新潟じゃ今夜矢沢のコンサートがある。
新潟に住む年下の友人は今夜矢沢のコンサートに行くのだ。それにあわせいかしたスーツも新調して写真を送ってくれた。夕方になり、会場の新潟県民会館へ向かっている頃だろうか。かっこいいなぁ。僕も矢沢は好きだ。たくさんは聞いたことないけど、キャロルを解散しソロになったころのアルバムは何枚か聞いたし持っていた。いまは手に入れたmp3を車の中で聞いている。矢沢と一緒に会場で汗ほとばしらせる山アさんの姿が目に浮かぶようだ。
日曜の法事の準備をしたり頭を刈ったりする。
2017年11月14日(火) くもり/雨
今日はまた寒い一日になる。
朝からどんよりとし雨が降ったりやんだりしていたが、午後4時を過ぎてまた降りはじめている。大相撲でまた不祥事だ。日馬富士がモンゴル出身の後輩力士を、巡業中の宴席でビール瓶で殴り、その力士は今場所休場している。道理で初日から連敗したわけだ。今日から横綱も休場となる。日馬富士は割と応援してきた力士で、真面目そうなところがよかったのだがちょっとがっかり。ひょっとするとこれで力士生命も絶たれるかもしれないような大事件ではある。底冷えのする寒い一日に余計寒い事件だ。
2017年11月13日(月) 晴れ
大相撲始まる。
昨日から今年の最後の旧場所が始まった。安は帰ってきたが鶴竜、宇良は連続休場。そして初日今日と横綱日馬富士は連敗。稀勢の里は昨日負けたが今日は星を拾ったような勝ち。あー今場所もしまりのないはじまりで先が思いやられる。横綱がもうピークを過ぎているので、若い下位の力士にとっては下剋上の好機には違いないのだが。
新年檀家に配るお札を作る。檀家も少なくなってきたし、作るのもそんなに苦にならなくなってきた。落語聴きながら午前中とお昼過ぎの2時間ほどで終了。
2017年11月10日(金) 晴れ
山下洋輔New York Trio。
桜座で夜、山下Trioを聞く。2年ぶりの桜座。今年で結成29年目。来年の30年に併せてすでにニューアルバムのrecordingも済んだという。ドラムのフェローン・アクラフは僕より一つ上で、ベースのセシル・マクビーは80を少し越えた。山下さんは70代であるから、もう十分な落しの方々ではあるが、熱い演奏を前後半1時間ほどで堪能させてもらった。前回より観客数は減っていたみたいだけど、これはこれで仕方のないこと。第2期の山下洋輔Trioを生で聞いてから40年が過ぎているのだから。甲府の中心街へ行くことなんてほとんどない。桜座に行ったときくらいしか歩かない。1月に「浅川マキ上映会&LIVE」が予定されていて、金子マリが歌うようなので次回はそれに行ってみようと思う。
2017年11月9日(木) 晴れ
交通安全祈願一件。
午前中から少し強い風が吹く。飯富の土橋さん夫妻、交通安全祈願に見える。軽い接触事故が2度も続き、車が修理から帰ってきたのでお祓いをしてくれとのことであった。お布施と一緒に新米もお供えしていただいた。年越しの護摩にも来るといってくれたのでうれしかった。
2017年11月8日(水) くもり
年末の仕事を始める。
秋山家のも含めシメを切る。護寺会通知なども印刷する。一日曇り日。時々雨が落ちるも寒くはない。昨日が立冬。年末にする仕事を始める。YpuTubeで古今亭志ん朝を聞く。
2017年11月5日(日) 晴れ
秋天好日。
午後の陽ざしが山々の紅葉をあたたかく映し出してくれる。いい景色だ。朝はだいぶ冷え込んだ。午後甲府:玄法院ご住職来山。責任役員任期更新の件で。30分ほど宗務所のことなどの話をして帰る。来年の宗務所会議の時に役職交代ということにした方がいいという話になる。
2017年11月4日(土) 晴れ
あたたかくなる。
11時より八王子:森家の葬儀。遺族親族18名が集まる。昼過ぎには半袖でもいいくらいの好天気になる。八王子ではお別れの会のみとなっていたため、今日あらためて葬儀をする。今後、遺骨を納める場所をどこにするか、大聖寺の檀家になるかなどは未定。遺骨もまた持帰っていただく。それでも奥さんもお子さん方も、葬儀を行えたことをよろこんでくれたのでこちらもこちらも佳い日となった。
2017年11月3日(金) 晴れ
イバンカ基金に57億円拠出?
安倍チンて女好きなのか。まあ皆そうかもしれないが、あまりにも突拍子もないことと思わずにはいられない。トランプの娘が来日して、彼女が設立メンバーでもある「女性起業家を支援する基金へ約57億円の資金拠出を約束した。」いう。内閣を再スタートさせ、有頂天にいるのだろうが、57億という額を聞かされる国民としてはあまりお穏やかに喜ぶ気持ちにはなれない。貧困にあえいでいたり、保育所を待ちをしていたりと、生きてゆくための最低のことが支援されない圧倒的多数の国民が居るのに、アメリカ大統領のちゃらちゃらした娘がやってきて笑顔を振りまいただけで「57億」約束させちまうのだから。安倍の唱える「美しい日本」には明日の食にさえ困っている貧困層の生活は北朝鮮が報道しない影の部分と同じようなものなのか?こういう人に政治を任せるということは厳しいいばらの道だなぁ。
午後本山から電話がある。「K院が転派したいことを宗務所は知っているか?」と。「もちろん」と応える。朝、督促のはがきを投函したところへこの電話だ。きっと直接本山へ電話して、トップ間交渉をしたのだろう。R院のことも訊かれるがこちらの知る限りのことを話すと、「ここも解散に向けた手続きをしてもらうようになるかもしれない、ついては宗務所長に代務者になっていただいて手続きに入ってもらうようになる」とのこと。「え?」であるが、本山から書類でも来たら考えることとしよう。
2017年11月2日(木) 晴れ
夕べは十三夜のいい月が見られた。午後あたたかくなったので裏山を歩き、柴燈護摩の小木用の木を採ってきて作る。ついでに百八支一把など作る。外が気持ちの良い秋の日。土曜日の森家の法事の準備もする。督促をしても宗費を送ってこないところがあり、毎年おんなじ寺だ。結局10月中に送ってはこなかった。毎年同じことの繰り返しで何とか円満にお付き合いをぜひ願いたいものだ。もしこれを確信犯的に納入を遅らせているんだとしたら、こっちは不愉快極まりないのね、ホント。明日はがきで督促する。
2017年11月1日(水) 晴れ
命日。
先代の命日。ちょうど今日で20年経ったことになる。朝は寒くなったが日中は十分な陽射しがありあたたかくなった。紅葉にはちょっと早いような気もするが、東の空には薄青の空の中に白い月が昇っている。今夜は十三夜だ。いい月が眺められそうである。午後定期検診に行く。
2017年10月29日(日) 雨
一日じゃんじゃん降りだ。
身延線の一番早い時間のふじかわ号で妻と娘は義兄とともに2泊の京都旅行に出かける。今日はもう一日ダメだろうけど明日の午後くらいからは天候も回復してくるはず。こちらも一日土砂降り。夕方になっても雨足は衰えない。秋の天皇賞も雨の重馬場。大学女子駅伝も雨の中。10月の週末は悉く雨で、観光地は稼げなくて泣いている。本堂の護摩壇の掃除も今日はあきらめて、一日テレビを見たり音楽を聞いたり。寺を訪ねてくる人も今日はなし。醍醐寺を見学するといっていたが無事行けただろうか?「山梨から来たといえば案内してくれるかもな」と言ったが、果たしてどうだったんだろうか?
2017年10月28日(土) 雨
28日。
昼食後に例月の不動護摩。朝から雨で寒い日。秋が深くなる。もうすぐ11月。汗をかく護摩からなんか火が温かく、お不動様の慈愛を感じるような護摩に変わってゆく。今日も雨の中を上野原から若菜さん母子参座してくれる。なんと今日は「My線香」を持参であった。帰りに近所の檀家からいただいた枝豆を少し持っていって貰った。
2017年10月27日(金) 晴れ
今年最後の草刈りをする。
刈払機に燃料が少し残っていたので、使い切ってしまうために境内、畑の草刈りをした。すぐに停まるだろうと思っていたが、なかなか少量でも粘って動いているもんだ。刈るところが無くてあっちこっち歩いたり畑の少し伸びはじめた草を刈ったりでやっと使い切って停止。今年の草刈りも事故なく終了。また来春である。明日はまた雨になるというので、女房は午前中先日の台風の風雨で落ちた落ち葉や枯れ枝の掃除。僕も草刈りの後墓地の参道を竹箒で掃く。西の山に落ちてゆく優しい秋の陽を休みながら見る。10月も間もなく終わりで、明日は例月護摩だ。
2017年10月26日(木) 晴れ
訃報。
遠藤賢司の訃報が今朝の新聞に載っていた。たまたま昨日、Yahooで入院したことを知ったところだったので、まさかもうこんな風に知るとは思わなかった。加川良もそういえば今年亡くなったのだった。高校時代からよく聴いていた。レコードからCDへと様変わりしていく中で、エンケンの「満足できるかな」も買い換えたのだった。最近は聴く機会もなかったが、あしたから少し聴きかえしてみようかと思う。夕のお勤めで冥福を祈った。昨日雨で今日は晴れ。客殿に炬燵をたてた。今年の冬の初めての暖房を朝入れた。今朝は富士川からの霧がとても深く濃く出た。いよいよ寒くなって朝がつらくなってくる。青春時代にあこがれた歌い手たちがちょっとずつ鬼籍に入っていく。お湯割りを飲む。
2017年10月24日(火) くもり
気温上がらずちょっと寒い一日。
昼過ぎに東海師が新しいバイクでやってきた。ほぼ半年ぶりの再会。だいぶ仕事も大変そうである。仕事も家のことも背負う年齢で今が一番きつい時期なのかもしれない。あわただしく20分ほどで帰ってゆく。もしかしたら大晦日に来てくれるかも。八王子の森家から11月4日の法事の件で連絡ある。客殿に絨毯を出す。夏の衣を仕舞う。あたたかい日を期待したが今日は裏切られ一日薄曇りで寒い。Pink
Floyd聴く。夕暮れ早くなる。
2017年10月23日(月) 晴れ
終日風つよく吹く。
朝にはまだ少し雨が残った。風が強く吹き荒れた。選挙の翌日の新聞は薄い、今朝も。町議会選挙の結果を確認する。地元のM候補は2位当選。1名の落選なのだが、高校の同級生の現職Kが最下位となんと1票差で落選。1票に泣くというやつだ。久しぶりに青空見えて気温も上がる。お昼ご飯を食べてから頭を刈り、鰍沢警察署へ運転免許の更新手続きに行く。明るい日になったので、目の調子も良く視力検査も一発合格。交付は一か月後とのこと。ツワブキ開きはじめる。
2017年10月22日(日) 雨
台風。
朝から強い雨。明朝にかけてさらに強まるという。衆院選投票日。ここじゃ併せて町会議員選挙も。娘は高校時代のテニス部の同級生の結婚式に昼前に出かける。雨が強くなってきたので、昼前に本堂を閉める。外に出たのでそのまま伽藍周辺を見回り、水路の詰まりなども確認する。参道を水路の一番端まで行くと、ちょうど町会議員候補の事務所から候補が出てきたところで呼ばれる。選挙当日なので事務所には候補以外誰もいなく閑散としている。投票が終わって開票結果が出るまで一日が果てしなく長い。蜜柑と栄養ドリンクをいただく。テレビでクイーンズ駅伝の予選会の「プリンセス駅伝」を見る。福岡県宗像市で行われ、ここも台風の影響で時折雨があり、強い風が吹き荒れた。女子駅伝で、小さな選手は体が大きく風に揺さぶられるような厳しいレース。今日と明日、獣除け門扉の開閉当番。8時過ぎて選挙終るとすぐにテレビでは当確が次々と出る。予想していたような悪い結果になる模様。自民党の圧勝だ。これで、安倍独裁政権の爆走が再び加速する。憲法改正もいよいよまな板に乗るかも。町議会の結果はまだわからない。僕は深夜まで身体が持たない。
2017年10月20日(金) くもり/時々雨
出かけてみる。
今日の天気は曇り小雨ぐらいの予報で、また明日からは雨になり、台風も近づきそうな週末なので、新聞に出ていた今日から始まる「台ヶ原宿市」へ行ってきた。平日にもかかわらず結構な人出。傘をさす心配もなく、通り沿いの店や、酒蔵「七賢」のなかに出店しているたくさんの骨董屋を二人で見てまわった。僕は梵字のア字の刻印された、高坏様の直径6センチほどの陶器5個セットを求めた。
2017年10月19日(木) 雨
冷たい雨朝からずっと。
一日降り続いている。昨日の晴れ間はなんと貴重な時間だったのだ。網戸洗いにそれを有効に使えてほんとによかった。炬燵を立てる。もぐって本を読む。映画を見る。運転免許更新を知らせる通知が届く。今月中に行ってみることにするか。
2017年10月18日(水) 晴れ
網戸を洗う。
久しぶりに晴れ間が見え陽が射す。ゴロゴロしているとあっという間に一日が終わってしまうので、「わろてんか」見てからすぐに行動を開始する。網戸を洗って仕舞おうと今日の予定を立てる。建物ぐるっと36枚の大小様々の大きさの網戸。全部外し庫裏の玄関前にまとめて置き、高圧洗浄機ケルヒャーを用意する。軽く洗剤を霧吹きで吹いて勢いよく高圧洗浄水を吹きかけて汚れを落とす。11時過ぎに終了。乾いた順に客殿奥廊下と土蔵にしまう。気温も上がり十分さ陽射しもあってまさに網戸洗い日和になる。今日を逃せばまた雨になって来週以降になってしまうところだった。これでひとつ済んだ。一息ついて昼前に期日前投票に役場へ行く。何人も来ていて10分ほど待たされてから投票する。国政選挙に行くのは何年ぶりだったか思い出せないくらい久しぶり。国政後、町議会の法の投票も済ます。
2017年10月17日(火) 雨/くもり
町議会選挙始まる。
雨降りの朝。うちの駐車場にも朝から候補の事務所開きと出陣式に参加する人たちの車でいっぱいになる。冷えているから、外の便所を使う人も途切れないほど。うちでは今日予定があるので出陣式も関係なし。10時から調査が始まり、昼食休憩をはさんで午後2時に終わる。まあ終わってホッとする。午後3時過ぎ雨あがる。明日は天気がよさそうだが夕方には再び崩れるとの予報。
2017年10月16日(月) 雨
お祓い。
朝8時に、明日告示される町議会議員選挙に出るM候補の事務所のお祓いに頼まれてゆく。雨が降り続いている。寒い。先月28日に護摩を焚いて今朝まで祈願しておいた「必勝」の祈願札もにわか作りの神棚に供えてもらう。明日、10時からある調査に来ることになっていてそのための打ち合わせを50分ほどする。雨降り続きとてもとても冷えて寒い。
2017年10月15日(日) 雨
山ア師は午前中早くに新潟へ帰る。
あわただしく夜の飲み会を楽しんで山ア師新潟へと帰る。次会うのは、うちの不動尊祭典か、大峯花供になるか。いずれにしても来年だ。八幡神社の秋祭りも雨で子供神輿は中止。雨の中を枝豆には車、何台か収穫に来ている。夕べの酒がたたり家に帰ってきてほぼ死んでいる。
2017年10月14日(土) 小雨
山ア師来寺。
朝から降ったりやんだり。そんなに大した雨ではない。9時ごろから、Mさんだちの枝豆収穫体験に参加する家族連れの車、寺の駐車場に次々とやってくる。去年の初日はジャンジャン振りだったけど今日の程度では大丈夫のよう。12時半過ぎに新潟の山ア師到着。3ヵ月ぶりの再会。新米やらたくさんお土産を持ってきてくれる。感謝。夜甲府で飲み会があるので、彼の希望通り、本堂でゆっくりとお勤めをし、3時に家を出る今夜は甲府泊まり。5時からいつもの「七賢」で醍醐の人たち+明王寺ご住職という8人で始まる。七賢のマスターは今夜もいつも通りにサービス満点。気持ちよく起きの夜長を飲む。いいメンバーだ。シメはカラオケ。今朝のサンニチに荒澤社長新事業を始めるということで紹介されている。
2017年10月13日(金) 雨
昼過ぎから雨になる。
なかなか降りださなくて昼過ぎになって本格的に雨になった。天気予報は当たる。午後になってから気温も下がりはじめた。台所の今の夏用の茣蓙シートをしまい、冬用のカーペットを出した。新潟の山ア師より、明日午後1時頃着予定とのメールある。貴永さんからは明日の夕方からの件のメールが入る。明日もどうせ雨だ。「七賢」で熱燗というのもいいかもしれない。明日明後日で、枝豆の収穫体験を予定しているGさんたちは、去年同様に雨にたたられてしまうのか。去年は翌日は上がったが、今年の予報は火曜くらいまで雨だ。
2017年10月12日(木) 晴れ
今日も暑かった。今日までのようなんだが。
暑いのも今日までで今夜遅くから来週初めまで天気は雨模様になるようだ。今日も暑かった。エアコンのフィルターを洗う。T工房からブレスレット添付用のご朱印を5枚頼まれる。ブレスレットの注文があって送ると、気に入らなかったと商品のみ返送されてきて、ご朱印が返ってこないのが数件あったそうである。このちゃっかり行為の裏にはブームというやつだな。今年はうちにもご朱印を貰いに良く来る。午後5時を回って風も少し吹き、だいぶ涼しくなってきた。隣から枝豆いただく。女房と娘は日帰りで東京へ買い物に行く。発泡酒を買いに河内屋へ行ったら、店内がほぼ空洞化し商品がほとんどない。訊いたら「今月末で閉店」とのこと。酒も、隣りのセルバでも薬屋でもほぼ安売りしているから、酒しかない店はもうがんばれないのかもしれない。たまには外に出ないと世の中の動きがわからないのを実感。
2017年10月11日(水) 晴れ
葬儀助法。
正午から不動寺の葬儀の助法。今年は不動寺の葬儀が多い。叔父もビックリしているくらい。僕にとってはありがたいこと。暑いので夏衣を持っていく。ホールの中は冷房が効いていたが、やぶ蚊が紛れ込んでいて何度か頭を刺されてかゆくてならなかった。おまけに帰りには、僕らの葬儀前に来ていた他宗の僧侶が僕の草履を履いていってしまい、ホールのスリッパを借りて帰ってきた。ということで今日の暑い一日は終わった。
2017年10月10日(火) 晴れ
暑い日連発銃。
午前中除草剤を散布する。暑くなる。緑のカーテンも片付ける。来年はもう緑のカーテンは卒業したい。網目のカーテンから朝顔の蔓を取っていくのがほんとに手間だ。今年は焚火の中に網ごと投げて燃してしまった。午後は映画読書。常葉の池田さん、民俗資料館を見せてほしいと訪ねてくる。衆院選始まる。投票所入場券配達されてくる。
2017年10月9日(月) 晴れ
今日も暑い。
なんという暑い日の連続攻撃。午前中、松の剪定した枝やら片付け、桔梗とカンナも終わりなので刈って片付ける。百日紅の枝も切る。午前中いっぱい働いて午後はのんびりとする。秋山さんから4時少し前に電話が入り、枝豆が詰め終ったと。この二日ほどの好天で一気に豆が膨らんだようだ。女房がスーパーから買ってきたものと比べてみると豆の大きさが断然久成産の方が大きい。今夜食べるのが楽しみ。関係者の所にクロネコ便で送る。
2017年10月8日(日) 晴れ
暑い暑い暑い暑い日になる。
今日は朝から気温もぐっと上がり、7時半から午前中地区の秋の環境整備作業があり、沢の土手の草刈りなどで汗も大量にながした。タイトルも暑いを4度繰り返し、「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)」風にしてみた。
新潟の山ア師より、「NHK放送番組のご案内です。10月9日(月曜日)午後6時5分〜 にっぽん紀行『わたしの奥駆道をゆく〜奈良 山伏修行〜』がドキュメンタリーで放送されます。」とメールが入る。何かここのところ奥駈道やら、大峯を扱った番組が多いように思う。それからちょっと前には、NHKの「日本人のおなまえっ!」って番組で鬼の付く名前で、前鬼小仲坊の五鬼助義之さんが出たりして、奥駈修行が懐かしく思い出せたりもした。午後4時を回って暑さも引いてきて、すこーし風も感じられるようになった。
2017年10月7日(土) 雨/晴れ
法事あり。
天野家の法事が11時からある。夜半にだいぶ雨が降っていて気になっていた。4時少し前に起きて5時過ぎに本堂へ勤行に行くとき、ほんの少し雨があったのでこのままあがってくれるかなと期待したが、6時過ぎにまた少し降りはじめた。それでも8時ぐらいには雨が止んで、植木職人さんも来て仕事を始めてくれた。青空が見え始め陽が射し、法事の時間になるころには暑いぐらいになる。冬の衣を着ようかと朝出したが、思い直して夏衣で法事をする。納骨の手伝いに来てくれていた石屋さんも作業がしやすくてよかった。法事の皆さんが帰った後女房と二人で片付け掃除をする。トイレもきれいに掃除しさっぱりとする。
2017年10月6日(金) 雨
昼前から冷たい雨になる。
庭木の剪定の職人さんも雨が落ちてきたので昼前に仕事を切り上げる。寒くて長袖のジャージを着た。庫裏のユニットバスも仕上がり洗面所も新しくなり熱い湯も出るようになる。ほぼ3か月ぶりに使えるようになった。明日天野家の七七日忌の法事があるのだが、納骨もあるし、11時頃には雨やんでほしいもの。
2017年10月5日(木) くもり
冷える。
この秋一番の寒い朝になる。4時少し前に起きたが、半袖の肌着を着て靴下を履いた。日中は少し気温も上がり晴れ間も見える。昨日刈った畑の草を一日かかって片付けた。深く青い秋の空に草の煙が登ってゆく。空は一点の曇りもなく透き通った青さだ。政治家どもの保身に邁進するような汚らわしさはない。理念や政策まで曲げて、「希望」の公認を得た民進党の候補たちは、まさに「小池百合子と喜び組」の醜さだ。公認を得るため「希望」の踏み絵にサインした輩は、じゃ、今まではなんだったんだとなってしまう。「希望の党」なんて在り来たりの党名でなく。「小池百合子と喜び組」って党名の方が絶対受ける。
2017年10月4日(水) くもり
草を刈る。
参道両側の畑の草を刈る。6時半過ぎから午前中いっぱいかかってほぼ刈り終える。これで今年は畑は終了。あと、草を片付ければいい。緑のカーテンもボチボチ終りとしなければならない。網戸洗いも天気のいい日に今月中にしてしまおう。ひさーしぶりに喜多郎をかける。
2017年10月3日(火) 晴れ
暑くなる。
夜雨が降ったが朝には止んでいて、午前中から今日は気温が上がり、「暑いな」という一日になる。今日から毎年来てもらっているKさんに庭木の剪定に入ってもらった。松の葉が整えられてさっぱりとしてゆく。畑の草刈りをしようと思っていたが、暑くなったのでやめた。それで家の中の片づけを少しして、出たごみを衛生組合に運んで焼却炉に投げ込んできた。午後読書した後、庫裏の北側のサッシの戸を拭く。完全な仕上がりまでにはなっていないが、あと電気屋さんが来てボイラーのスイッチなどを新しいユニットバスの入り口に移動するなどである。夕のお勤めをしている最中に山ア師より電話が入り、終わってから連絡する。「10月8日(日)、TBS世界遺産という番組で、大峯の奥駈道をやるので見るように」とのことであった。TBSのサイトを見ると、赤い梵天袈裟を着けている方たちが映っているので、本山派の奥駈けに同行取材したのかもしれない。
ちょうど連絡を入れようと思っていたので、14日のこと話すと、14日お昼過ぎくらいに家までくるということなので、夕方には甲府へ行けることになる。
2017年10月2日(月) くもり
午前中竹林の周りの草を刈り、枯れ竹や折れ竹をノコギリで切って片付ける。秋は草の実がズボンについて嫌なものである。それに藪蚊も多い。これがまたひどくかゆくなる。28日以後混沌としている中で、自民党は衆院選の公約のひとつに「自衛隊の根拠規定追加など4分野を中心とする改憲」を明記するという。いよいよ安倍も自身の思いのたけを爆発させんと動き出す。選挙なんてどうでもいいという訳でもないが、安倍も小池も同じなんだから、彼らに異を唱える勢力をなんとか勝たせてあげたいと僕は祈願します。雨が少し落ちたが一日曇り。庫裏の水道工事もいよいよ終盤。小さなユニットバスも完成。山アさん、いつでもお迎えできますよー。「赤い月(下)」読み始める。
深まりゆく秋を、Sonny Clark、Hprace Parlanのピアノなど聴いている。
2017年10月1日(日) 晴れ
終日冷たさを感じさせる風吹く。
もう涼風というには適当でない。網戸を開けておいても、吹き込んでくる風に「窓閉めようかな」と思わせるような風。昨日も今日も霊場めぐりの人あって御朱印を書く。ほぼ毎週だここのところ。
辻元は、一応小池希望に「NO」と参加しない姿勢を見せた。無所属などと云わずに、古巣の社民にもう一度入れてもらいな。でも社民はもうほぼ票が取れないからなぁ。蓮舫ちゃんなんかどうすんでしょね。この解散て、結構話題性に富む選挙になると思うけど、小池か安倍かみたいなところに落ち着くんだとしたら、結局波静かに漂うで終わりになってしまう。
2017年9月30日(土) 晴れ
安全祈願1件あり。
小林家のお嬢さんが新車を購入したので安全祈願のお祓いをする。今も昔も車を新しくするってのはうれしいものだ。ナンバーが前回も同じだったので、「誕生日か?」と訊いたら、キティちゃんの誕生日なのだそうだ。自分の好きなキャラクターをナンバーにするってのは、830「YAZAWA」と似たようなものなんだな。昨日は夜6時半から町の文化財保護審議会があり、下部地区公民館に久しぶりに行ってきた。午後、風雨で落ちたケヤキの枝などを片付ける。今年も残り3か月。
2017年9月29日(金) 晴れ
稀代の鬼女というべきか。
安倍降ろしとか、政権交代を野党大同団結でとか、耳がこそばゆくなるようなうまいこと言っているのに、コロッと善人は騙されてしまう。「気をつけろよベイビー」って遠藤賢司が歌ってたがその通り。小池は安倍以上に9条を替えたがっている女なのだ。「改憲と安全保障」を横に打っ棄ってしまって「希望」に簡単にすり寄れるんだとしたら、民進も大馬鹿もんだ。喉元過ぎればもう何でもよくなってしまうのか。小池も都政をかき回すだけかき回しておいて、何一つ事を成し遂げないまま衆議院選に出るのか。良識ある都民は頭を抱えてしまうだろう「なぜこんな奴に入れたんだ」って。僕でさえこういう常識を逸脱した稀代の悪女の行動は許すことができん。辻元!お前もへらへらと似非「希望」に尻尾を振るってことなのか。極右の小池に組み敷かれて、イエスマンに成り下がってしまうようならこの国の政治家は国民からそっぽを向かれてしまう。こういう「ある意味リベラル」なことが結局いつでも繰り返されてしまうから、政治に、選挙にも関心が無くなってしまうのだ僕は。18歳、20代有権者諸君の清き一票を願いたいと思う。
2017年9月28日(木) 雨/晴れ
例月護摩。
朝雨が上がって少し天候もよくなる。八王子のMさんのための諷誦文をこしらえる。午後1時少し前から本堂で護摩。客殿から外に出ると、南部町の若林さんという方が来ていて修験について質問される。「今から護摩を焚くので」というと、ぜひ参座させてくれというので本堂に上ってもらう。始めてほどなく、上野原の若菜さん親子も来てくれる。一人でも二人でも参座があると張り合いが出る。一人で護摩を焚いているのもわびしいものだ。お昼に衆議院が解散したので、希望の党と手を組む民進党は、とにかく安倍降ろしで大同団結なんだな。安倍降ろしには僕も賛同できるので、いくつかの祈願とともに、上方は違うが金正恩と同じ独裁者の安倍晋三を失脚させるための祈願をする。うちのお不動様は力の強い方ですからねぇ。護摩が終わったところへ韮崎から霊場巡りをしているという若い方がやってきて、添え護摩をせっかくなのでしていただいた。若菜さん親子が帰った後、残った二人と庫裏でお茶を飲みながらゆっくりとのんびりと話をした。9月の護摩はいい日になったな。
2017年9月27日(水) 晴れ/くもり
衆議院解散で、茶番の繰り返しだ。
民進に尻をまくる奴らが出てくれば、それだけ安倍を倒す勢力が弱体化してくるのは目に見えていた。勝手に屋台を引きはじめても大型店に太刀打ちできるかどうかは、おそらくこういう政治の世界では無理なんじゃないかと思っていたが、いまYahoo見たら、「民進党」が小池が立ち上げた「希望の党」に合流で最終調整とある。インパクトがない。民衆を引き付ける魅力というか、力強さがない。どこまでも烏合の衆だとしか映らない。小池の「希望---」だって、まあもって1年で雲散霧消すると思っていたら、民進と合体するという。小池の土壇場のリセットマジックに、民進に三下り半投げてきた奴も、ましてや昨日自民に三下り半投げた若狭君だって、土俵でまわしが取れてしまったような困ったチャン状態なのではないか。大義名分がたたん。しがらみ政治からの脱するとはこういうことなのか。結局はどう見たって安倍組も小池組も民進も同じ穴のムジナだし。どこを食っても金ちゃん飴なんだよな。明日は、そうはいっても安倍晋三を葬ることもひとつの願いとした護摩を焚くとしてみたい。
2017年9月26日(火) 晴れ
彼岸明け。
ここから秋が深まっていくのだろう。夕方の風がとても心地よい。「長崎ぶらぶら節」読了。なかにし礼のこの本、なかなか読みごたえがあって久しぶりに感動する本に出会えた。同じくなかにし礼の「赤い月」という小説を読み始める。亡くなった八王子の森さんに戒名授けるために夕べから午前中かかった。娘さんの所にメールで戒名を送る。パソコン周りに積み重ねてあったCDの群れを片付けた。とりあえずどかしたのだが、これを納める場所が今のところ見つからない。どこかに板でも渡して棚として置くようにしなくてはならない。Pink Floyd聴く。
2017年9月25日(月) 晴れ
読書の秋の一日。
一日中本を読んで過ごす。特別にやらなければいけないということが無い。畑の草ももう少し伸ばして、今年最後ということで草刈りをしたいと考えている。大相撲が終わってしまったので夕方の楽しみはまた2か月お預けだ。10月の「醍醐秋の陣」に、新潟の山ア師も参戦してくれるというので今から楽しみ。上求寺から秋の味覚の豪勢なブドウが送られてきた。午後天野さんとこで、四十九日の法事を前に墓地の掃除に来る。YouTubeで読んでいる本の「長崎ぶらぶら節」聴いてみる。芸者さんと一夜の宴を楽しむなんてことは全く無縁の生活だな。
2017年9月24日(日) 晴れ
法事あり。
佐々木家の一周忌の法事が11時からある。3姉妹夫婦とその子供たちと、故人の奥さん。ご主人3人もとても協力的で感心する。終日墓参者あり。遠藤家の古い位牌を撥遣し、新たに作った先祖代々の位牌を開眼する。遠藤君夕方位牌を持ちに来て、石屋さんを連れてきていたので、その足で墓地に行き、場所を確認する。後山の墓地を寺に移すことになる。
秋になったからか、今日も霊場巡りの方が3人見えご朱印書く。
2017年9月23日(土) 晴れ/くもり
彼岸中日。
夜の雨も6時頃には上がったので、彼岸の中日の墓参には影響なくてよかった。朝から大勢が墓参に参ってくれる。霊場巡りの御朱印もある。なかにし礼「長崎ぶらぶら節」読み始める。明日の法事の準備する。今年は彼岸花がちょうどいい時期に盛りとなっている。
2017年9月22日(金) 晴れ/くもり
天気下り坂。
午前中は晴れていたが午後になって曇り空になり、午後5時ごろには雨が少し落ちだした。明日明後日は墓参も多いだろうから天候がいささか気にかかる。午前中資料館前庭や境内の草刈りをする。資料館前の溝の土をスコップであげて一輪車で畑に運ぶ。頭を刈る。なかにし礼「兄弟」読了。凄絶な兄との半生。面白かった。
2017年9月20日(水) くもり
彼岸の入り。
一日曇り空。朝歴代先師、石田家、従姉の柳澤家、無縁墓地などに塔婆を建て供養して回る。ひんやりとした朝。甲府の佐田さん午前中早く奥さんと墓参に来る。頼まれた塔婆を渡す。「早生の柿だからまだあまり甘くないと思う。仏さんにでもあげてくれ」と10個ほどいただく。お昼過ぎに稔君のお母さんが赤飯を重箱一杯に詰めて持ってきてくれる。なかにし礼「兄弟」読み始める。
2017年9月18日(月) 晴れ
たくさん雨も降り風も吹いて台風去る。
こちらは昨夜熱燗を飲み、ほうとうを食べていい気分で早く寝てしまったのだが、深夜激しい雨音と、風が外の日除けを打ち揺らす音がしきりに聞こえた。4時を回ったところで起きるともう雨は止んで静かになっていた。夕べの残り湯の風呂に浸かり窓を開けると、明ける前の空に星がきれいに見えた。本堂に向かうと渡り廊下はびしょ濡れだ。外も風が吹き荒れたようで、ケヤキの枝がいくつも落ちている。台所の外の樋をなおす。台風一過で、朝から暑い日差しが降り注ぎ、暑い暑い一日になった。夕方八王子のM家から、昼過ぎにご主人が亡くなった知らせが入る。が、葬儀をせず済ませるので、墓地への納骨だけさせてほしいとのこと。戒名も納骨の時に付けてもらえばいいという。「私の寺の墓地には檀家用の墓地しかないので、宗派宗教を問わずに入れますという墓地はないです」ということは伝えておいたのである。檀家になるということは承知したようなので、これも時代の新しい死者を見送る儀式の在り方なのだと飲み込むしかない。故人が大聖寺の墓地に入りたいと生前望んだということだから、それを叶えてあげられたらそれが僕の役割ということ。
2017年9月16日(土) 雨
雨になり寒い。
台風18号の影響で午前中に雨が降り出した。気温が低く寒いと感じる一日。増穂の河野葬祭へ昨日頼まれた遠藤家の位牌を注文に行く。午後本を読んだり映画を見たり。民俗資料館入館者一人あり。御朱印一人あり。
2017年9月15日(金) 晴れ
草刈り。
今日も7時前から草刈り。途中、六郷の遠藤さん母子訪ねてきて、古い先祖の位牌を処分して先祖代々の位牌を作ってまとめたいと依頼に来る。段ボールに入ったたくさんの位牌あずかり、どんな位牌がいいか相談してゆく。それから、後山の墓地を寺墓地に移すことも決めてゆく。午後からまた草刈り。裏山の道の草刈りも済ます。午後4時に終わる。竹林の周りは彼岸明けでもいいや。
北朝鮮が今朝また、北海道上空を通過する弾道ミサイルを発射する。いったい何をしたいということなのかさっぱりわからない。「ほれ、ほれ、ほれ、やるぞ、やるぞ」みたいな、挑発というか、ひとりオリンピックみたいな。こういう人はいずれ墓穴を掘る。八王子の森さんから相談ごとの電話ある。池に入れた蓮の花がひらいた。種から育てたたった一株のハスであるのでチョーうれしい。
2017年9月14日(木) 晴れ
墓地の草刈り。
朝7時前から昼食と昼休みを挟んで午後4時半まで墓地の草を刈る。3分の2は刈れたか。明日残りをやる。台風の影響で週末は天気が悪そう。昨日から、墓地の沢を隔てた2階建ての空き家を取り壊していて、業者は檀家の遠藤さんとこだった。朝話をしたり、10時にペットボトルのお茶を貰う。今日は日中は暑くなる。
2017年9月13日(水) 晴れ
気温上がる。
今日も暑くなる。午前中草取りの続きやる。11時半ごろまでかかってほぼ終わる。だいぶきれいになった。彼岸の前にまた墓地の草刈りもしなければならない。リコリスがいくつか咲き、彼岸早もたくさん境内に顔を出し始めた。一年に一度しかないのだけれど、彼岸花の咲き乱れる姿は何とも言えず感動的なものだ。
2017年9月12日(火) 雨/くもり
映画を見続け、本を読む。
韓流もの3本見て、熊谷達也/七夕しぐれ読み進める。久しぶりの雨。草取りは休み。夕方になって陽射し戻る。奈良県では大雨になっているという。局所的な大雨が多い。大相撲、高安と宇良も今日から休場となる。今場所はいったいどうなるのか。
2017年9月11日(月) くもり
高安負ける。
「たかやすー、なんだよ。がっかりだぜ」。午前中いっぱい昨日の続きで草削り。雨が降ってこないうちにと頑張るがまだ終わらない。取った草をまとめたら山のようになった。草削りで根を掘ってこわばっているのは指を使ってむしり取るので人差し指の先がだいぶ痛くなっている。
午後甲府へ出かける。冷蔵庫の一番上の段の棚が割れてしまったので、東芝の甲府のサービスセンターに注文していたのをもらいに。帰り増穂のオギノに寄る。不動寺の叔父叔母が買い物に来ていた。再放送をずっと見ていた「下克上受験」の最終回早送りで見る。ちょっと面白かったこの物語。中学受験で、3学期学校を休んでしまう子供たちもいるということを知った。
2017年9月10日(日) 晴れ
今日も30℃だ。
お昼を食べてから外は暑かったが客殿裏庭の草取りをする。根の張った草がはびこっていて、紐の草刈り機で刈ってもうまく切れない。仕方がないので、草削りを持ち出して、手作業で根を掘り起こして引き抜くという前時代的な作業に2時間ほど費やす。結局これの方が確実に根から引き抜けるが、腰に来る。暑さも厳しい。全部終わらないがもう少し頑張ってやる。彼岸の塔婆を書く。午前中勝沼の茂ちゃんが娘さん二人を伴ってブドウを届けに来てくれた。8月にもデラウェアを送ってくれたが、今日は大きな粒の今が旬の高そうなものを何種類も持ってきてくれた。女房はこういうお土産は手放しで大歓迎である。私んとこは何もあげるものがないので、尊くありがたくいただくのみである。大相撲9月場所始まる。3横綱が休場という場所。高安はこういう場所をしっかりとものにしなければいけない。
2017年9月9日(土) 晴れ
トイレやっと復旧。
2か月ぶりにやっと庫裏のトイレが復旧した。11時からトイレの掃除にかかり、昼食をはさんで4時ごろまでかかってきれいに掃除した。トイレと手洗いの水は天井裏を這ってトイレにもってきてもらった。なぜこのような仕様になったのかは、おぞましいかぎり。普通に床下を這わせて持ってくるとしたら、壁をぶち壊してというような大工事になってしまうからだ。そのくらい問題のあるトイレと風呂場になっていたのだ。でもよかった。とりあえず来客があってもトイレだけは使える。この後ユニットバスを備え付けることになっている。今日も気温上がる。
朝、「ひよっこ」見てから、本堂の観音扉の格子窓に貼った障子紙を貼りかえる。5、6年振りになるのだろうか?大分傷んで、紙に穴が開いたりもしてきたので、貼り換えた。これで当分はよし。返す返すも、トイレが使えるようになって何よりだ。写真の青いパイプで送水している。男便所が手洗い含めて4本、女便所が3本。
2017年9月8日(金) 晴れ
今日は30度超えたぞ。
久々に暑くなった。きっと今日のような日は秋暑というのだろう。午前中頭を刈る。頭を刈って夕べの残り湯で体も洗う。垢がたくさん流れ落ちて体が頭から爪先までさっぱりとする。暑かったが汗をかかないから、こうして夕方になってもさらさらとしている感じ。本を読む。
2017年9月6日(水) くもり
涼しい。
夜雨があり朝には止む。一日気温上がらず、秋らしい一日。庫裏の水道工事始まる。朝に雨が止んで助かった。仕事に支障なし。9時に、甲府の小野さん親子来寺。宗教法人解散に伴い、法人名義の土地もすべて個人名義に変更登記し、きっちりと終ったとの報告に来てくれた。父の弟子になっているH君も、祖母から強く乞われて住職の資格を取ったが、一度も僧侶としてのことをしなかったことを詫びた。30分ほどで帰ってゆく。午後病院定期受診。採血。特別に変わりなし。
2017年9月5日(火) 晴れ
午前中外作業。
明日から水道の工事が始まるので、庫裏裏側の草刈りをする。山門の蛍光灯がひどく汚れていたので、カバーを外し洗って掃除する。これ1回やっておけば暮れに掃除するのは楽そうだ。正午のチャイムが流れるまで外のことやっていた。明日は雨になるかもしれないというので。午後読書。車谷長吉。「ひるおび」で、残暑と秋暑の違いを説明していたのでひとつ教えてもらったな。夏の名残の暑さと、秋の暑い日との違いが分かった。
2017年9月4日(月) 晴れ
やっと水道工事が始まりそう。
7月上旬だったのでもう2か月近くになろうとしている。庫裏の便所の水道管が破裂してから。原因箇所をさがしたりして結局回り道になってしまい、業者との話で、結論として新しい水道管を引き込むことにした方がいいということになる。回り道した分もすでに料金が発生しているのだが仕方がない。日常生活に直接影響がないとはいえ、2か月使えない状況というのは通常レベルでは考えられないことだ。とにかく便所を9月23日までには使えるようにしてほしいということだけ強く頼む。入ってくるものは乏しく、出てゆくものは容赦なく流れだしてゆくのだから、寺が破たんしてゆくということは僕の中ではもう、非現実ではない。「坊主は食いっぱぐれがないということを、子供のころ親から聴いたことがあります」と話してくれた檀家の若い嫁さんがいるが、多分もうここは崖っぷちまで追い込まれていることは間違いない。大変に厳しい。東京は今日も雨が降っていたようだが、午前中から昼過ぎにかけて曇っていて、ここらでも雨が降るだろうかと期待していたが、午後3時過ぎから陽が射し始めて勢いよく蝉が鳴きはじめている。
2017年9月3日(日) 晴れ
車のお祓いあり。
東京の海老原君、ダッジバンを購入したということで、撮影の仕事に合わせて安全祈願に奥さんと一緒に来てくれる。アメ車だそうで、こんなでかくてごついのはあまり見たことが無い。こういう車を買ってしまえるということは、仕事が順調にいっていることの証である。
秋篠宮の長女の婚約記者会見ある。若いのに二人ともとても落ち着いて受け答えしているのは印象に残った。僕にはこんな風に堂々としてしゃべるなんて芸当はとてもできない。それ以前に、丁寧な言葉遣いというものが備わっていない。肩のこるような生活の世界で生きてこなくてよかった。熊谷達也「調律師」、面白く読んだ。
2017年9月2日(土) 晴れ
法事あり。
小林家の一周忌が11時からある。夜半にだいぶ雨が降っていたので布団の中で心配していたが、4時に起きた時には雨が止んでいて、台所の戸を開けると網戸からは秋の冷気が吹き込んでくるので、映画を見るのにちょっと寒く感じたのでまた閉めたりした。法事の始まる時間にはちょうどいい気温。昼飯後にはまた気温上がる。
夕べは、「秘密のケンミンSHOW」でみた、山形県民はそうめんにサバの水煮を入れて食べるのが大好きというのを我が家でも実践して検証してみた。確かに美味かった。味噌煮では多分ダメで、水煮だからめんつゆとの相性もいいのだろう。ただ、この「さばの水煮入りそうめん」食ってみて思ったのは、ケンミンSHOWの出演者が総出で「○○県民が愛してやまない」という食べ物をスタジオで食った後皆一様に、べた褒めで食後の感動を語るが、このそうめんに関しては、何故こんな食い方を俺は知らなかったのだ、知らずに過ごしてきたこの60年を返してくれほどにはならなかったということだけは書いておこうと思う。でも確かに美味かった、ひと夏に一度はやってみたい食い方ではあるような気はした。
2017年9月1日(金) 晴れ
九月朔。
残り4か月。9月に入る。今日も残暑厳しい一日。けれど、4時ごろに起きて5時からお勤めをして、7時半から「ひよっこ」見るあたりまでは外気が冷たく感じられるようになった。畑の草を刈っていてコオロギを見つけた。ミニトマトを植えっぱなしにしていて、草も伸び放題になっていて、さすがにちょっと見栄えも悪いので草刈りを午前中する。明日の法事の準備もする。庫裏のトイレは7月上旬に水道管が破裂してからまだなおっていない。今月中には何とかしなくてはならないが、業者待ちなので、法事に来てトイレを使いたい人には何とも申し訳ない、心苦しい。
2017年8月31日(木) 晴れ
まるで目の前でフラッシュをたかれたかのような真っ昼間。
天気要は昨日から日曜くらいまで、時間帯によっては雨が降るということだったが、今日の昼に予報を見るとそれが亡くなっていて雨マークはきれいさっぱり消え去っていた。フラッシュガンからの瞬時の閃光に目の奥が銀色の世界になっちまったかのような昼の暑さと光景が今日も確かに存在した。夕べ新潟の山ア師から電話があり20分ほどとりとめもなく会話した。「山梨は暑いんですねぇ」と。であるから、こちらの暑さをこんな風に表現すると向こうにもずしんと伝わるようである。今朝も今朝とて、昨日の予報を信じて、雨が降ってくるとしたら早いうちがいいなと、土曜に法事があるので、墓地の草の様子を見に行き、盆の墓参に花もみな萎れて枯れていたのと、盆幡の野竹も片づけをかねて、「ひよっこ」も録画にして3時間ほど墓地で汗を流した。暑い暑い残暑の八月晦日であった。高石ともやとザ・ナターシャー・セブン「107 SONG BOOK」がCDで再発されたので、ほんとは全部欲しかったが、もうこの先何十年もないのだからと、聴きたいアルバムのみ注文する。段々こういう打算的な思考になっていくのかな。
2017年8月29日(火) 晴れ
残暑残暑。
ひどい残暑だ。まったく暑い。朝の明けは随分と遅くなり、朝5時では夜が明けなくなったので、朝のお勤めも変則的に切り替えようかとも考える。うちでは娘が通勤しているので、大体朝食が6時過ぎから始まるので、朝のお勤めも5時にはきっちり始めないと6時になってしまう。なので、微妙な時間間隔になると、本堂と客殿のお勤めを分離して、メシ前とメシ後という風にしたりする。「どうせ真っ暗なんだ」という時期になると、また5時とかそれより前から始めたりもするが。なにせ一人でやることだから制約や決まりというものはハナから存在していないのである。もっと投槍に言ってしまえば、朝勤行だって別にやってもやらなくてもいいわけであるが、ここだけは何とか踏みとどまりたい、38度線というようなものか。今日も朝から38度線の向こうの国が話題提供してくれたじゃないか。
昨日の護摩壇の片づけと本堂の掃除。朝の早い時間は、何となく秋を感じさせて、「今日は曇り日なのかな?」と思わせるが、9時の証券取引所の始まる時間頃になると、俄かに外が閃光のように輝きだす。そうなると気温は上昇し、顔からも背中からも汗が吹き出し始める。昼食後頭を刈り、前夜の風呂をはらいながら体を洗う。
新潟の山ア師から滝行の写真が送られてきた。1月大寒から2月節分までの、新潟八海山の極寒の中での滝修行の様子を拝見し体がしばれた。「醍醐の秋の陣」のようなものにも参加したいというてきたので、ぜひとお誘いしたいのだが、これらはほぼ中央に暮らす方たちの役目なのであるが、近ごろはこんなことをここに書いておくと、「じゃいつにしましょうか」とか連絡が来たりするから便利なものだと思うている。
2017年8月28日(月) 晴れ
例月護摩。
残暑厳しい8月の終わりを、土曜日焼肉食ったので何とか乗り越えるだろうと思う。28日の護摩を午後1時から厳修する。上野原のWさん母子参座してくれる。先月も今月も護摩は暑い。汗が前ばかりでなく、背中も流れる。おまけに、ヌルデがよくはぜて何度も飛んでくるので払わなければ肌にまで落ちてくる。夕方には少し風が出てきて、夏の盛りは通り越したように感じる。
2017年8月24日(木) 晴れ
葬儀告別式。
ホールで最後のお別れをして火葬に出棺という時、「釘打ちをしないのか?」と職員に問うと、うなずく。「何故だ」と問うと施主の希望だと応える。納得がいかんので場所を買えて係員を問い詰めると、棺への釘打ちをしないことを自分が話したという。「あっ、それダメね。お前が決めることじゃねぇ、ふざけんな」と改めて釘打ちをする。亡くなった者にはこの釘を打って、はっきりとこの世に戻れないことを自覚させて向こうに行ってもらわなければいけない。死者と生きている者の世界をはっきりと分けるという、もう戻っては来られないよとか、戻ってきてはダメだよと、しっかりと線を引くのである。これを勝手な都合で決められてはかなわんのである。係員曰く、火葬場から言われているとのことだったが、それは向こうの勝手な言い分で、僧侶には僧侶なりの訳がある。前にも、釘があると焼却炉に影響が出るというようなことを聞いたことがあるが、たかだか2本くらいの釘で炉に与えるダメージなんてないはずで、釘を打っては困りますという火葬場の方が多分少ないはず。昨日も火葬場に着いた時に火葬場の職員に尋ねると、「うちはそういうことは特にお願いしていない」と応えた。まあそういうことがあった。収骨して11時から葬儀。12時過ぎから初七日。法話をして少し食べて15分ほどで退席し帰ってきた。昭和町から加賀美遠公の父とされる義清公を勉強する会の人たちがお参りに来ることになっていて午後2時半に来寺。本堂で不動明王をお開帳し、寺の縁起を話し、その後民俗資料館を案内する。暑い暑い日中で、10人が来たが、「暑くて頭がくらくらする」と話し高齢の方もいた。こっちも暑かったよ。衣や七条袈裟を陰干ししたり、葬儀に使ったものをもとの場所に戻したりしているともう汗が噴き出してくる。水シャワーを浴びてもほとんど体は冷たくならない。新潟の山ア師から久しぶりにメールが入っていて、「年内にもう一度訪ねたい」旨のことが書いてあったので、できたら、年内に飲み会やろうと話したのと一緒にできればいいなとか考えている方が、ゴクリと冷えてくるような気がした。こだわらない坊さんもいるかもしれないけど、こだわる坊さんだっていてもいい。市職員の不正採用の仲介をした坊さんのようには落ちたくないけど。
2017年8月23日(水) 晴れ
通夜。
外に出るのがためらわれるような強い陽射しと気温の中、午後2時半過ぎに出かける。天野家まで1時間ほど。3時少し間から納棺。読経してあとは葬儀社に任せる。希望が丘団地という分譲地だが、天野家は多分最初にここを求めて住み始めた家族なので、近所との交わりも深いようで、皆さん見送りに来てくれていた。出棺して5分ほどの葬祭場に行く。6時から通夜。11か月寺に葬儀がなかった。父の居たころには3年葬儀がなかったという時もあった。二人で「これじゃ、葬式の仕方も忘れてしまうな」と笑いあったことを覚えている。今もほぼ変わらず似たようなもの。さらにこれから厳しくなっていくのだ。通夜の法要の終わりにいつものように、故人に授けた戒名のことをお話しして終える。着替えて帰る。明朝また早い。こちらの都合で11時からの葬儀にしてもらった。ジュリー聴きながら帰ってくる。
2017年8月22日(火) 晴れ
暑くなる。
夏が戻ってきた感じがする。一日葬儀の準備。主に諷誦文作り。故人の経歴を書いてFAXしてもらい、時間をかけて故人のことを思い出しながら作る。昭和22年生まれって、きっと「団塊の世代」とか「第一次ベビーブーム世代」とか言われる人たちだから、田舎育ちでも同級生とか多かったんだろうな。満年齢では70歳。まだあの世に向うには早すぎる。これから町会議員選に立候補しようなんて同級生もいるくらいだから。県内の家電メーカーに勤めていたので、きっと仕事も忙しかっただろうが、まだ量販店なんかない時代で、きっとサラリーも良かったのじゃないかと勝手に想像したりする。書き物も済ませこれで葬儀の準備は整った。
2017年8月21日(月) 晴れ
葬儀になる。
朝7時半に開始の天野家から電話が入る。夕べ主人が亡くなったと告げられる。入院していたはずの奥さんからであったが、一時的に帰らせてもらったとのこと。女房が早くに親戚の葬儀に出かけたため、一応戸締りなどして枕経に出向く。大動脈解離というのが死亡原因だと聞く。一人でいたため、警察の死因究明に時間が取られたようだ。家族、葬儀社と葬儀日程を打ち合わせして帰ってくる。今日は暑い日になる。午後戒名を考える。やっとできあがった。13日には長男家族とp墓参に来てくれ、14日には僕が棚経に入って話もした。帰り際には1本持たせてくれた。ほんとに一週間前にあったばかりなので、まだ信じられないような気分だ。人の死のなんと哀れであっけないもの。変な言い方かもしれないが、檀家でも高齢な順に逝くのだろうということが漠然と頭の中にあるのだが、今回も裏切られた。まだ死ぬには早いよと、怒りのような雲が甲府盆地の山々の上に湧き立っていた。貰った酒開けるかなぁ。
2017年8月20日(日) 晴れ
滝行き。
夜30分ほど強い雨が降ったので心配していたが、二人に連絡取ると「行ってから滝に入るかどうか決めよう」ということになり、10時少し前に到着した二人と一緒に出掛ける。天候は少しずつ良くなり、大塩の滝に着いたときは気温も上がってきた。それから滝の水もだいぶぬるくなっているようで、結果的にはとてもいいコンディションの滝に入ることができた。ただ落ちてくる水はとよく激しく、突き飛ばされて、殴られているような感覚。心経とご真言を唱え、爽快な気分に十分満たされて滝を出た。帰りに早川ジビエのレストラン「YAMATO」で、僕は鹿カツ定食。二人はそれぞれ鹿カレー、鹿肉ロースト丼を頼む。美味くて大満足。そこから赤沢宿に立ち寄り、連絡しておいた大阪屋を見学する。下の駐車場からホラ貝を吹くと、オーナーの飯田さんが出てきてくれた。次に清水屋に行き、2階で冷たいものを飲んだり食べたりしながらちょっとのんびりした時間を過ごす。甲府の二人も今日はきっとのんびりと楽しかったに違いない。年内中にもう一度集まろうなどと話して別れる。
2017年8月18日(金) くもり/時々雨
こんな夏ってあまり経験がないなぁ。
今日もいい天気を期待していたので、8時半に早川の大塩の滝の下見に出かけた。早朝テレビを見ていると、もう東京では今日も雨が観測されたと伝えていた。18日連続。30分ほどで滝への道の駐車場に着く。法螺貝を立てる。木立の中を15分ほどで着く。道は特に悪い箇所もなくほぼ去年と同じ。ただ川は天候不順で雨が多いために水量が多く流れも早い。巨石の上に建てられた不動明王前で法楽をする。それから滝へ。自動車の温度計は25度だったので、滝もそれと同じくらいか、水はかなり冷たい。上から落ちてくる水も早く荒れているように見え、一人だったので、水に入るのは何かあっては困るのでやめておいた。滝の淵はゴミがたくさんたまっていた。落下個所も去年はかなり深かったが、眺めるにどうもかなり埋まっているように見えた。30分ほどで滝を後にする。お宮の前で心経をあげていたら雨が降り出してきた。家に帰り行藏院ご住職に下見のことを報告する。雨なら日曜日止めればいい。家に帰ってきてから昼過ぎまでよく雨が降った。じとじとといやらしい天候に不快感100%。
2017年8月17日(木) 晴れ
ホントに久しぶりに青空戻る。
朝からいい天気。青空が戻り、陽射しもあり、暑さも戻った。でもまだまだ天候は不安定なようで、東京じゃ17日連続の雨を記録したという。盆の精霊幡を乾かしてしまう。のんびりと一日過ごす。
2017年8月16日(水) 雨/晴れ
護寺会総会。
朝からけっこうな雨。東京は8月に入って今日まで毎日雨が降っているのだと、40年ぶりの異常気象を報じていた。夏野菜が高騰してきているのだとも。午後2時から護寺会総会。盂蘭盆の法要をしてから総会をし、終わってから懇親会。雨もあったせいか5名の参加者しかない。これが先細りということでもあるのか。この夏の棚経では、跡取りのないことをかなり厳しく??声してきた檀家もある。しかし現段階では先が見えないのが正直なところ。懇親会が終わるころになって雨がやみ、陽が射してきた。とりあえず盆休みだな。
2017年8月15日(火) くもり
記念日。
10時に下山の佐々木家の新盆に行く。ご主人を亡くした奥さんとその3人の娘たち家族が狭いアパートに集まってくれていた。経をあげ、一周忌の日程を決めたりする。過分な布施をいただく。これで棚経終わり。昼近くに妹とその長男墓参に来る。1時間ほど話しながら男二人は酒を飲む。僧侶にならない洗濯をした妹の長男は、髪を後ろで結び、それ風な雰囲気を作り出していた。なかなか難しい世の中だけど、後方支援があるうちは思い切って好きなことをしてみるのも許されるのだと思うし、そういう家庭に育ったことも感謝しなければいけない。15日は終戦記念日という。たまたま東海師からメールが入り、「終戦記念日としていますが、記念日なんですか?記念日じゃないですよね?」と書いてある。昨日柳澤の家では、「敗戦記念日だろ!?」という風に感じてもいたが。記念日というとイメージとしてはめでたいように僕はとらえてしまう。だから東海師の言葉の感覚はなんとなくわかる。ネットで見ると、ただ単に「終戦の日」とあったり、「降伏の日」「敗戦の日」ととらえる人もいると。痛みを伴う長い戦争が終わって、ここから先の「平和を祈念する日」いう意味では適当なのかもしれない。終戦から10年して生まれた僕には、あまりこれを体や頭で特別に感じるということはなく育って今日に至っている。戦争することを強く嫌うということよりも、なくて当たり前でしょというのが僕の思いの基である。挑発しながら、いつでもやってやるからなと息巻いているお兄ちゃんて、どういう頭の構造をしているのだろうかと不思議でならない。もしかしたら、あそこの国民たちは、この国を健全な国家に再生するためには、仕掛けていかせてやっつけられて目の覚めることを切に望んでいるのじゃないかとも思えてしまう。
2017年8月14日(月) くもり
盆棚経。
朝7時に家を出て富士豊茂に向かう。雨の後でひんやりとした朝。本栖トンネルを抜けて本栖湖畔に出るが富士は見えず。それでも降りて湖畔と見えない富士に向かって螺を立てる。螺の音が霧の下りた湖畔を流れていく余韻がわかる。市川から甲府に出る。柳沢家でお昼休み。2時過ぎにいったん家に戻り小便をして残り5件をまわる。3時半過ぎに帰ってくる。夜は地区の盆の集いが駐車場である。祝儀をもっていき生ビールと焼きそばをいただく。
2017年8月13日(日) 晴れ
盆。
強い陽射しもなく、時折パラパラと雨も舞う迎えの日となる。お勤めを済ませ墓地に盆の紙幡を付けて歩く。前夜雨が少しあったようだが気持ちのいい朝になる。9時半に六郷の遠藤家に経に行く。富士川がすごく濁っていたが、峡東方面でだいぶ降ったようでその名残が濁りとなって流れているようだ。1時半過ぎに南アルプス市の遠藤さん来て、去年と同じように墓地前で盆の供養する。11時半、佐田家に行く。孫二人が一緒に来ていて、外で火を燃して飯盒でお昼のご飯を焚いていた。昼ご飯を挟んで午後1時から集落の棚経に歩く。少し雨が舞っていたが、「降ってこないように」と祈りながら自転車乗り出す。雨宮家に着くとサルの群れが一斉に逃げ出す光景に遭う。柿の小さな実を取りに来ていた。猿と猪が今年もひどい。各家でお茶やビールを出してくれるので、必然長居になってしまう。若いころは無視してどんどん次へ急いだが、これも年を取ってきたということの証拠なんだろうか。最後にいつものようにHIDEちゃんのとこで御馳走になる。一人暮らしなのに家の中はいつ行ってもきれいに片付いていて、粛々と盆を演出している。酒もきっちり冷えている。1時に出て結局帰ったのは6時過ぎだ。
2017年8月11日(金) 晴れ/くもり
山の日。
去年から「山の日」で11日が休みになり、今年は今日が金曜日なので、少し早く盆が始まったようなものである。墓参に来る人も何組かあった。T工房からの依頼の腕輪を不動明王法でお加持祈願し、午後また送り返す。国道も車が多い。ガソリンスタンドも混んでいる。外の便所の掃除をする。読書する。
2017年8月10日(木) 晴れ
蓮の花。
蓮の花がもうひと月くらい次から次へと花をつけてくれて連日楽しませてくれている。夏には蓮の花がよく似合う。種から育ったのはたった一鉢しかなかったが、これは今年まだ花が付かない。で、この蓮を池に沈めた。池の中で育ってくれると楽しめそうである。水蓮も一鉢沈めた、前に何度かやったら池に来る取りだろうが、葉をみな食いちぎってしまったりしたが、今のところ大丈夫なようである。山の泥が池に流れ込んで池の底が浅くなってきているので、ハスでも育ってくれるといい眺めになるかもしれないと期待している。午後、下八木沢の木村邸に盆の経に行く。冷房の効いた部屋で皆さん待っていてくれた。檀家ではないが、埼玉に智山派の菩提寺があるため数年前から頼まれている。T工房からのブレスレットの加持分が届く。明日お加持して盆前に送ろうと思う。国道も少し混雑してきたようだ。
2017年8月9日(水) 晴れ
気温上がる。
今日は猛暑の一日。朝、女房が客殿の軒先に蜂の巣があるというので見上げると、スズメバチが直径10センチほどの巣を作っている。これは大きくしたら大変。軒下にあった竹竿をもって、先端をゆっくりと巣に近づけて、一気に払い落とす。払い落とすと同時に竹竿を投げ捨ててとにかく逃げる。庫裏の玄関に飛び込む。1時間ほどしてから下に落とした巣を拾い、何年振りかで蜂の子をバターでいためて食す。美味い。巣の根元に舞い戻った蜂がまだ数匹残っていたので、蜂駆除のマグナムジェットを3度ほど下から噴射して追い払う。暑い日に汗の噴き出る仕事をする。午後高校野球の山梨学院の初戦を見る。大差で敗退。よくこんなチームが甲子園に出たなというような素人ながらの感想を持った。素人は勝手なことを言っていればよいのである。
2017年8月8日(火) 雨/くもり
台風ゆっくりとすぎてゆく。
明け方には小やみになっていたし、台風が過ぎれば天候も否が応にも回復して暑くなるのだろうと勝手に思っていたが、一日だらだらと降りつづけた。一日順延とした市川の花火もこんな天候じゃ河川敷に集まる客も二の足を踏むかもなと思う。一日じめじめとした建物の中で、始まった高校野球を見たりする。壬生師匠と早川の大塩の滝行きの日程を電話で決める。盆前に一度行こうと思っていたが、雨が降って増水しているかもしれないのであきらめた。明日からはぐんと暑くなるとのこと。水道の工事、やっと破裂箇所が特定できそう。盆前はこれにて終了。それでもまだ、どんなふうに展開していくのか予想がつかない。頭が痛い。
2017年8月7日(月) くもり/雨
大雨になっている。
ここも台風の影響で昼過ぎから雨が降りはじめ、午後5時けっこう激しい雨の降り方になってきている。今夜から明日の朝にかけて台風による雨がさらに影響ありそう。朝雨が無かったのでちょっとだけ残っていた畑の草を刈り、参道沿いに除草剤を撒く。メダカの入っている瓶や鉢を洗って水を替える。12時からの不動寺の葬儀の助法に10時45分に出かける。滞りなく終えて空模様が怪しくなってきた52号線を家に戻る。増穂で雨が降ってくる。というか雨が降っている方に向かって車を走らせて行くという塩梅。庫裏の水道管破裂の原因箇所なかなか特定できず、その箇所をズバリ探すとしたら、便所も壊してしまわないと見つからないかもしれないので、水道管の元に近い方でそこから新しい管を繋いで、露出管で水を繋ぐような方法を考えたいとのこと。とにかく水が出なければ困るので、もうここは専門家にお任せするしかない。台風の雨よりも頭の痛い夏だ。
2017年8月6日(日) 晴れ
ここはとにかく暑い。
昨日も今日も畑の草刈りと除草剤の散布。やっとなんとか見栄えが良くなり盆が迎えられそうである。九州や四国は台風5号の影響で大荒れになっているようだが、ここはとにかく暑い。朝の早い時間に作業を始めなければ、気温が上がってとても体が持たない。夕方も全然涼しくなんかならないので、外の作業をするのも、頑張ってやっても10時くらいまでだ。それでも夏休み中なので、炎天下をザリガニ釣りに来る子供もいる。僕は冷房のきいた部屋でウトウトするくらいしか時間の使い方がない。
2017年8月4日(金) 晴れ/くもり
昨日も今日も草刈り。
夕方になって少し雨が降った。参道脇の畑片側を刈る。客殿裏の庭も刈る。雨が7月によく降ったので草の伸びもはかどってだいぶ伸びている。こんなことをいつまで続けなければならんのだと思いながら、「くそったれ!」と頭で叫びながら草を刈ってゆく。パンツまでびしょぬれだ。昼飯を食い終わって少しテレビを見ているともう眠ってしまっている。草を刈って除草剤の散布も雨がない日にしたい。夕べ不動寺から葬儀の助法の電話がある。3か月続けて葬儀。こちらはお蔭で一息つけるってもんだ。きっとこういう年まわりなんだな。山ア師から「出羽三山回峰行」に来週行ってきますとメールある。螺袋にうちのお不動様のストラップ付けていってくれるとのこと。蝉しぐれの中に、時々蜩の鳴き声が聞こえてくる。
2017年8月2日(水) 晴れ/くもり
水道工事。
やっと頼んだ業者が来て床をはがしたりして破裂した個所をさがすも今日は見つからなかったが、多分ここだろうという見当はついた。女子便所の壁の中を水道管が通っていてそこから漏れているようだということがわかる。土曜に便所の一部を壊してみることになる。ここがそうだということになれば比較的簡単な工事で済みそうだ。旧くて広いのでこういうことになると厄介だ。午後境内の草を刈る。午後になって曇ってきて3時半頃から少し雨が落ちてきて涼しい中で草刈りができた。
2017年8月1日(火) 晴れ/くもり
盆の準備。
墓地に立てる盆の紙幡を作る。午後墓地の刈った草を集めて燃す。日中気温上がり汗びっしょり。4時過ぎに夕のお勤めを終え外に出ると雨がぱらぱらと降りはじめた。少し降ってくれると涼しくなるのに。Grateful Dead久しぶりに聴く。Jerry Garciaも八月の死者だな。
2017年7月31日(月) 晴れ
暑くなる。
7月も今日で終わり。午後2時に中部消防署の立ち入り検査がある。前回が平成4年ということで、なんと!25年ぶりのお寺への立ち入り検査ということ。父の時代だったし、もし次がまた25年後だとしたらもう僕はここにもこの世にもいないかもしれない。消火器も2年前に新しくしたので特に問題はなかったが、消火器の点検報告書を出せという。近くのホームセンターで買ったことを話すと、そういう店では報告書を書いてくれないので、消防設備協会に加入している業者に頼んで報告書を出してもらいたいとのこと。なんとも厄介な課題をいただいてしまった。
2017年7月30日(日) 晴れ
草刈り。
朝7時から毎年恒例の檀家の皆さんとの墓地の草刈り。夜雨が降ったがここは朝には上がっていたけど、他町に住む人から2件「こっちは降ってるけど草刈りするのか?」という問い合わせある。特別に問題なく草刈り片付く。水道管が破裂していて庫裏の便所が使えなくなっている状況を説明し、護寺会の積立てを使って直させてもらうことを認めてもらう。はじめてみないとどのくらいかかるかわからないが、全額とはいかないまでもせめて折半ぐらいはお願いしたいと考えている。それから、来年から村のお祭りの「八日市」が無くなるに当たり、不動尊祭典をどう続けていきたいかということも話す。本堂の護摩は朝から焚き続けて、お参りの方には本堂に上ってもらってここにお加持など受けられるようにしたいということと、柴燈護摩を11時から修して午前中で終了という形にすること。お祭り前の直近の日曜に準備をしたが、来年からは当日の朝準備をするることにしたいと話す。それから、寺の現状について話す。後継がないので後継として入ってもらえる人材を探していること。こういうことがでも実はとても難しいということなど。いくらかでも檀家の方々に知っておいてもらいたいことだ。どうにかなるなんて嘘ごとは並べたくない。
2017年7月28日(金) 晴れ
例月護摩。
午前中は曇り気味の天気だったが昼過ぎから晴れ間が見え一気に暑くなった。午後1時から不動護摩。上野原の若菜さん親子今月も参座してくれる。汗びっしょり。暑いので白衣と山袴で護摩を修す。少し片付けたが全部は終わらず明日に持ち越す。新潟の山ア師より奥がけの写真がデータで届く。早速追加する。転落して助かったガレバも何枚か映っている。転がってたら大変では済まされなかったよな。一週間前の今頃は、前鬼小仲坊に向けて雨の中を最後の下り皆で頑張っていた頃だ。
2017年7月26日(水) くもり/雨
湿度が高くて不快指数100%。
静岡のテレビ局をアンテナで拾っているので、高校野球の静岡県大会の決勝を見ていたが、こちらが降りはじめたころに静岡も激しい雨に見舞われて3時間余り試合が中断して再会。点差がだいぶ開いていたので、できれば再試合の措置は取りたくないというのが関係者の思いなのだろう。再開されたものの依然雨は降り続き、両行の選手たちには気の毒なほどだった。午後、東京の平山さん墓参して訪ねてくれる。2年前に奥さんを失くしていたとのこと。28日の護摩の準備をする。湿度が朝から高くてじめじめとしている。破裂した水道管の件、一向に連絡がない。自分らの生活に支障はないものの、このまま放置しておくわけにはゆかない。
2017年7月25日(火) 晴れ/くもり
暑い暑い。
午後雨になるかもしれないといっていたが一向に降っては来ない。暑いので国会「閉会中審査」とやらをぼーっと昨日も今日も眺める。こういう下界の言葉の駆け引きのようなものを見ていると、また山の尾根歩きに戻りたくなるような思いが湧く。撮りだめた写真を頑張って昨日の夕方googleにupし、今日午前中に説明も加えた。山ア師、坂本師からも見せてもらったとメールいただく。山ア師は自分のカメラのものを送ってくれるらしいから、届いたら追加するつもり。福岡の田村さんからもメールが届いた。旅の汚れものの洗濯も終わり、地下足袋も洗い、少し片付いた。坂本氏は足腰が痛いですと書いてよこしたが、僕は疲労感が全くない。行く前には相当ダメージを受けるだろうなと思い込んでいたが、まあこれはこれでありがたいことだ。今朝は通常の勤行に戻った。Googleフォトは、右上の「情報」タグをクリックすると、説明などが見られます。
2017年7月24日(月) 晴れ
暑い。
足の痛みはないが、身体のコリはある。午後昨日送った荷物が届く。洗濯をしてもらい、ポンチョを洗い、地下足袋を洗い、螺緒、引敷を軒端に乾かす。現実が戻ってきた。盆前の草刈りなども始めなければならない。じっとしているだけで汗が噴き出てくる。蝉が激しく鳴いている。真夏だ。日記を思い出しながら仕上げる。写真は明日ということになる。
写真もアップしてしまいました。上の右「」からGO!
2017年7月23日(日) 晴れ
大峯山奥駈入峰修行E。
いささか酒が頭に残るような4時半ごろに目覚め風呂へ。川縁に掘られた野天風呂で白々と明けてくる時間を楽しむ。小魚を取るのか、川の中で投網を打つ人がいた。今日はこれから本山に戻り家に帰る。いい天気。途中2か所で休憩し、正午過ぎに帰山。そのまま列をなして最後の駈け出し護摩を藤沢峯中門跡の下厳修する。今回和歌山から参加のお二人が晴れて10回となり、大先達の称号を与えられる。感無量といったお二人の姿が目に残る。僕は3回目が終わる。来年のことはまた来年の時期にならないと考えないかもしれない。庫裏の水道の破裂をまずは何とかしないといけない。白書院で昼食をいただく。修証殿に戻り、衣体を解き、帰りの準備を夫々始める。長野の手塚師とも再会を約す。都合が付けば「石田さんとこのお祭りにも行ってみたい」とも。町田の新山師、山形の羽柴師はまだ若い頼もしい先達。今回もお世話になった。連絡先を交換させていただく。バスで京都駅八条口へ行き、それぞれの方向に分かれる。新潟へ帰る山ア師を見送り、坂本師と共に山梨に帰ってくる。山ア師とは一緒の修行をし、厳しいながらも楽しい数日間を過ごすことができた。年下の行者たちが個々にいろんな思いを抱えながら、仕事に就き、修行もし、厳しい人生に身を投じている。今こうして思い返すだけでこみあげてくるものがある。ありがとう。「山アさん、無事帰りついて、そうめんでも食べているのでしょうか」、またお会いしましょう。大変でなかったらまたお祭りにお出で下さい。下部温泉駅に女房が迎えに来てくれる。熱風の漂う街に戻ってきた。留守中のいくつかの報告を受ける。
2017年7月22日(土) 晴れ
大峯山奥駈入峰修行D。
4時過ぎに起床。前日到着後に何人かヤマヒルに噛まれる。僕の地下足袋にもヤマヒルがついていたので、手塚さんの煙草の火であぶって落しゴム草履で踏みつぶす。今回筋肉疲労を解消するスプレーを持参してそれが功を奏したのか足の痛みはほとんど朝には消えてなくなっている。ただ昨日の長い下りで僕もとうとう右足親指、薬指、左足薬指が内出血するが、痛みはさほど感じないので歩くには支障ない。昨日は12時間越えの縦走だったがもう今日は午前中の歩きのみだ。5時朝食。排便のことが気になりご飯も半分に減らしておく。参加女性が1名なので、去年も了解してくれていたので、女性用洋式便所に座って少し出る。軒下に吊るしただけの衣体は濡れたままで、泥だらけの脚絆を付け、白衣を付け、雨を吸って重くなった結袈裟をかける。前鬼小仲坊からバスの迎えの待つ前鬼口までは歩きで、リュックなどの荷物は山先達の2トン車が運んでくれるので身軽。小仲坊本堂前で御法楽し、宿坊の五鬼助さん家族に見送られながら最後の歩きを始める。法螺貝のみで軽い。トンネルの中の掛け念仏は、ちょっとトリップしそうなくらいに怪しく荘重に響く。30回を数える西村大先達の掛け念仏には身が引き締まる。前鬼口でバスに乗り込む。ここで世話になった山先達にお別れする。ここからはバスで熊野三山詣で。先ずは熊野速玉大社。泥だらけの山伏たちが螺を立てながら石段を上ってゆくさまを、ちょうど土曜日(学校も夏休みに入ったか)ということもあり、参詣者多くが珍しそうに修行者を迎える。拝殿内陣で正式参拝をする。祝詞を奏上していただき、玉串を奉り、巫女の舞があり、最後にお神酒をいただく。続いて「かまセン」で昼食。全部平らげてゆっくりときれいなトイレで気持ちよく排便する。3年連続で僕はここのトイレの世話になっている。至福の時間である。次に那智の瀧で有名な飛瀧神社。天候も良く観光客大勢。続いて熊野那智大社を正式参拝し、隣りの青岸渡寺を参拝し御法楽する。西国三十三ヶ所第一番札所の寺は、巡礼者で大賑わい。僕らの御法楽の最中も、右左ではそれぞれの先達に引率された巡礼者たちが経をあげている。特に今日は混んでいたのだろう。いつもは本堂横の回廊でお茶の接待を受けるが、下に降りて外で職員の方々からペットボトルのお茶の接待を受けた。ここから那智の瀧を背景に写真を撮るが、「なーち」といってシャッターを押すのがルールのようだ。1時間ほどバスに揺られ最後の熊野本宮大社を参拝する。この後川湯温泉みどりやに奥駈修行の衣体を解く。福島の赤津師、山口の賀屋師、坂本師と同部屋。先ずビールで乾杯。風呂に入り、汗と泥にまみれた衣体などを洗濯機に投げ込む。洗剤は自動で入るのだろうと思っていた。洗剤の自販機もなかったし。でも結局水洗いだったがそれでも汚れ落ちと汗臭さの解消にはなったようだ。40分乾燥機にかける。その間に温泉に浸かる。山歩きで疲れた体をこの極楽のような湯船に横たえる。髭を剃る。6時から夕食(大宴会)。無事行を終えたことを皆で祝って乾杯。ただ今回の奥駈入峰では、過去に全行程を踏破して参加したことのある人でも、6年間短いコースだったので、疲労困憊して山泊まりでも、食事が食べられなかった人も出た。過酷といえばまさにその通りの修行。宴会が終わりそれぞれの部屋や、大先達の部屋に集まっては遅くまで宴会が続いた。山ア師の奴隷の僕はカラオケルームにまで呼び出され、「雨上がりの夜空に」を歌う。来年また全行程があるかどうか本山もまだ決めかねているようだが、魅力のある方々との時間をぜひ共有させてもらいたいというのは正直な僕の気持ち。
2017年7月21日(金) 雨
大峯山奥駈入峰修行C。
昨日と同じ3時に朝食。御法楽して出発する。八経岳までの道のりは雨風と足元の悪さが暗い道で相当にきつい。昨日大峯を出るときは、三日月が空にあり、その横に明けの明星金星がきれいに輝いているのが見えたが、今朝は悪天候。経験者はポンチョでなく、雨具の上下を身に付けて歩く。ポンチョは風をはらんで歩きにくい。雨のしょぼしょぼ降る森の中で弁当を広げる。半分ほど食い、残りは施餓鬼する。水を飲めば汗が噴き出る。台風で道が崩壊したガレ場の所で滑ったら路肩が落ちてしまいそのままガレに転落してしまうも、金剛杖に助けられ危うくの難を逃れる。慎重に慎重に歩き、予定時間を少しオーバーしたころに釈迦岳に到着。後発組が釈迦岳山頂で待ち受けてくれている。僕らが最後の登りをするのを、上で「ザンギザンケロッコンショウジョウ」と唱えながら元気づけてくれる。涙が出る。ほんとうにこの奥駈けはきついが、たまらない感動もあり涙が自然にこぼれる。坂本師ともここで再会。後発組8名と合流し、前期までの長い長い気の遠くなるような下りを行く。当初の予報を裏切ってくれて、こんなに雨に濡れて歩くことになるとは。昨年は雨がなかったが、今年は初めての年に続いて、びしょ濡れ、どろどろ、袴も地下足袋も泥だらけである。5時過ぎに前鬼の宿に着き、濡れたままの衣体を小雨降る軒端に引っ掛ける。明日またこれを着るかと思うと憂鬱になるも仕方がない。二日風呂に入らずいたが、やっとここで行水のような短い時間の風呂を使う。汗を流すのみ。夕食後雑魚寝の宿泊所に戻り、大先達方のお話を聞きながらお酒をいただく。こういう雰囲気に知らず知らず引き込まれてゆくのだ。魅力ある人たち。70過ぎてまだこれに参加するというのだからすごい。自家発電の前鬼宿は9時消灯。やれやれこれでほぼ終わったに等しい。
2017年7月20日(木) くもり
大峯山奥駈入峰修行B。
いよいよ縦走が始まる。午前2時過ぎに起きる。排便のことがいつも重要な課題。昨日龍泉寺での昼食後に公衆便所で気持ちよく出し、昨日の夕にも少し出る。2時過ぎに起きた後も便所に行き少し出る。しかし、和式の便所は苦しい。立ち上がるのがつらい。3時朝食。何ともわびしい朝食である。3時45分御法楽をあげ、その後出発。各自灯りを持つ。大峯山寺から小篠に向かう。小篠到着の頃少し明るくなる。小篠からは全くの未経験の道になる。阿弥陀ヶ森に山中の女人結界門がある。経筥石では、新客(初めて)の僕らが山先達に案内されて鎖場などを下って御法楽をあげに行く。湿っており本当に慎重になりながら下りていき、またそこを還る。強い陽射しはなく水も十分に足りた。ただ、山の道は自然災害などによりかなり荒れており、素人が簡単にハイキング気分で行くような山ではないという感想を持った。途中休憩をはさみながらも12時間歩きっぱなしである。こういう体験はほぼ日常ではできない。宿泊する弥山宿は、最後の登りが急こう配で1時間ほど歩かなければならない。ここが相当にきつい。霧のたちはじめた宿に着く。ここは乾燥室があり、衣体の全部をハンガーにかけて乾かす。もう汗や雨などを吸ってきつい異臭が白衣からこぼれてくる。山ア、手塚、今村師と昨夜の龍泉寺参籠所に続いて500円の缶ビールを飲む。今夜はこれに加えてコップ酒も1杯飲む。ここは綺麗な布団で眠れる。
2017年7月19日(水) 晴れ/くもり
大峯山奥駈入峰修行A。
5時過ぎ起床。手甲、脚絆を付け、いざ袴を付けんと捜すが、ない!なんということだ。袴を送り忘れた。昨日到着した時に気づけば、いくらでも買いにゆくこともできたのに、袴がないということに全く気付いていなかったのだ。なんという大失態。修行前に挫折してしまいそうだったが、寺務所に駆け込み事情を話し、本山の山袴をお貸しいただくことができ無事になんとかなる。6時過ぎに三宝院玄関で御法楽してそのまま列をなし、今回の峯中門跡を務められる藤沢教学課長導師の下に駈入護摩を厳修する。バスに乗り込み、洞川龍泉寺までバスに揺られる。龍泉寺で柴燈護摩を修め、庫裡で昼食をとる。ここで2名の山先達も合流。清浄大橋までバスで移動し、いよいよ大峯の山に入る。女人結界の門を6月に続いて再びくぐる。日中の登山なのでまた違った味わいがある。所々に山アジサイがある。新山氏を先頭に歩きながら掛け念仏を交代でしながら登る。午後4時過ぎに宿泊する龍泉寺の山上参籠所に着き、荷物をおろしてから大峯山寺まで上がり御法楽。秘密の行者さんにも再びお会いすることができた。福岡の田村師、体調が悪くなり部屋に倒れ込む。明朝の様子を見てもしかしたら下山を選択することになる。見下ろす景色の美しさにしばしぼーっとなる。午後7時過ぎに冷たく湿った布団にくるまって就寝。
2017年7月18日(火) くもり
大峯山奥駈入峰修行@。
朝6時の電車で甲府に行き、7時半発の京都・大阪行き高速バスに乗る。利用客は10名ほどで、途中席を移動してリクライニングシートをいっぱいに倒して本を読みながらバスの旅を楽しむ。午後2時10分ごろに京都八条口に到着。バスで醍醐寺に向かう。送っておいた荷物を受取り修証殿に入ると、10名ほどがすでに来ていた。今回の奥駈けは台風で奥駈道に大きな被害で出て中止となった平成23年以来、7年ぶりの全行程修行の再開となる。今もまだ危険個所が相当あるため、参加者を15名に限定するという方法が採られ、ありがたいことに全行程修行に選んでいただいた。僕はもちろん初めてなので、不安も多いが、何とか食らいついていこうという意気込みだけなのである。受付を済ませ名簿を見る。福岡の橋本師、田村師、長野の手塚師、新潟の山ア師も参加となる。醍醐寺周辺は午後3時過ぎから土砂降りになるも6時前には雨が上がる。夕食後「はたやま」で橋本、山ア師らと再会の酒。天気予報ではほぼ快晴のため、水分補給のことがみなの最大の関心事となり、多い人は5?を持つという。僕はとりあえず、買い揃えた2?のウォーターキャリーに水を詰め、500mlのペットボトルを2本持つ。リュックはこれだけで相当に重く感じる。これに作務衣、法螺貝など。5キロ以上にはなっているだろう。
2017年7月17日(月) 晴れ
海の日。
海の日の今日もとても暑い日。梅雨が明けるとかそういう話も白々しいような感じ。明日の朝出かけるので法螺貝と熊の引敷を新たに求めたバックに入れる。このバックは、法螺貝を外の背中にうまく固定できるような使用になっている。夕方大相撲。昨日白鵬に負けた宇良は横綱日馬富士に快勝。取組終了後のインタビューでは感無量の涙を見せる。あー、いいものを見せてもらった。奥駈けをしっかりと歩きとおす気持ちに力を貰った。
2017年7月16日(日) 晴れ
東京棚経2。
10時少し前にめじろ台のS家を訪ねる。娘さんご夫婦も待っていてくれる。お茶を飲みお話をして帰る。午後1時過ぎに帰宅。頼んでおいた熊の引敷ができあがって送られてきていた。2枚ちゃんとある。土曜にすでに本山に荷物は送ってしまってあるが、この引敷を同行させないわけにはいかない。気前よく大切な毛皮を譲ってくれた望月さんには大感謝である。今日も暑い。冷房のない生活はもうほぼ考えられない。
2017年7月15日(土) 晴れ
東京棚経。
まわる家が少なくなったので6時半過ぎの電車で向かう。町田のK家。奥さんと娘さん家族が待っていてくれる。町田から小田急で新宿に出、都営地下鉄で東大島まで。Hさんの家。ほんとうに暑い日が続く。電車はどれも冷房がよく効いている。新宿へ戻り中央線で国分寺の伯母の家に行く。たまたま今日が92歳の誕生日。供養をし御馳走、酒をいただく。勤務先がすぐ近くにあるので、息子も車でやってくる。ゆっくりと3時間以上楽しく過ごさせてもらった。夜は八王子のホテル泊まり。
2017年7月14日(金) 晴れ
蓮。
蓮の花が開いて、その色がまたとても清楚だ。こういう花は多分一日眺めていても飽きるということが無いはずだ。横綱稀勢の里とうとう休場。大相撲を見ている人すべてがこれじゃ相撲になっていないと思っているはずで、ひょっとしたらもう横綱として、十分な成績を上げることができないんじゃないかと心配しているだろう。土俵の下には何が転がっているかわからなかったってのはこういうことだったのか。不遇な横綱なんて肩書が後世に残らないように、しっかりと完治して戻ってこなきゃ。そんなに先が長くあるわけではないのだから。
朝少し雨があったが、9時頃からはまたいつものように暑くなる。本山に送る荷物をまとめる。明日上京のため、頭をさっぱりとする。
2017年7月13日(木) 晴れ
水道管が破裂しちまって。
昨日の朝庫裏の洗面所で水の細さに気づいて水道のメーターボックスを開けてみると、えらい勢いで針が回っている。相当量が噴き出している感じ。急いで庫裏の裏の水回りの栓を閉じると、メーター針はピタッと止まった。なので住居部分の方には影響がなく、庫裏のトイレと洗面所が使えなくなる。当分法事の予定もないのでほっとする。とりあえず、春にここのトイレのウォシュレット化を頼んだ業者に電話をしてみて、夕方には診断に来てくれた。裏の側溝にまで水がたまりはじめていたのだが、どこから漏水しているのかはわからず。ここを作ってから35年くらいたつので、相当水道管もくたびれているのかもしれない。一昨日竹林の草刈りをしたときにはこの側溝は乾いていたので、前日の夜から朝にかけて破裂したということなのだろう。今日も業者が来てくれたが、とりあえず床をはがして水漏れの箇所を見つけるということになる。大工事になるかどうかの判断はまたその後ということ。便所を新しくしたのに水が出ないのではどうにもしようがない。あーまた金がかかる。いよいよ護持会に相談しなければならんかも。「一難去ってまた一難」という、うなだれてしまうといった心境かなぁ。
2017年7月11日(火) 晴れ
八日市。
40年続いた集落のお祭り「八日市」は、昨日区長から正式に伝達があり、「今年をもっておしまいとする」ということが伝えられた。残念ではあるが近年集客が乏しく、区民からももう止めてはどうかという声が上がってはいたようだ。不動尊祭典に合わせてのお祭りであったので、寺としても来年の不動尊祭典のことを考えなければならない。不動尊祭典を止めるという考えはないが、時間変更などまた檀家と相談してみたいと思う。こういうことももうどうにもならない、仕方のないことなのだと受け止めている。
2017年7月10日(月) 晴れ
暑い、暑い。
梅雨明け前に暑い日が続く。お昼過ぎに本山より電話連絡がある。大峯山奥駈修行の参加希望者の全行程と、去年までのショートコースの振り分けがされて、全行程修行への参加が認められた。新潟の山ア師からも同じく希望がかなったと電話が入った。坂本師は去年までのコースの方へ参加できることになったようだ。もうあとは気持ちで山に行ってくるだけだ。不動寺から電話があり最勝寺の檀家の葬儀の助法を頼まれる。ちょうどひと月前にも頼まれ、今回も峰入り前でありがたい限りである。今年は本当に寺の稼ぎがない。奥駈けの準備を始めていたがやっとこれで気持ちが乗ってきた。水分補給関係で、少し事前に準備しなければならないものもありそうだ。
2017年7月9日(日) 晴れ
名古屋場所始まる。
大相撲初日。波乱の幕開け。新大関の高安負ける。横綱稀勢の里も御嶽海に完敗。稀勢の里の怪我は致命傷になるのではないだろうか。おそらくとても優勝に絡めるような成績は残せないのではないか。「可哀想な横綱」なんて言われないように思い切って二場所くらい休んで完治してから土俵に上がるという選択もありなんじゃないか。
2017年7月8日(土) 晴れ
宗務所会議。
夕方4時から玄法院を会場にお借りして宗務所の会議をする。参加者5名。御法楽して、それから先代ご住職が7回忌になるので、お供養もさせていただく。夕立が来そうな雰囲気になってくるも雨は降ってこず。5時半から毎年恒例の「醍醐夏の陣」と銘打った納涼会。8名の参加。いつものように七賢で。ポッキリで、何でも好きな酒を飲めるという不思議な店。今年も美味い酒をたらふくいただく。
2017年7月7日(金) 晴れ
申し訳ないがこちらは真夏のような陽気。
九州の大雨のニュースをテレビ画面で見ている。平均にとか、梅雨の雨とか、そういう言葉が嘘っぽく聞こえてしまうような、容赦のない自然の驚異が見せつけられている。被災地には申し訳ないのだが、この山梨という場所は台風にも地震にもそれほど深刻な被害の及ばないところのようにここ数年の災害などを見ていると思えてしまう。暑い一日で、スイレンの花が二つ開いた。黄色とピンクの花にしばし見とれてしまう。暑すぎてほとんど外には出ない。外の作業も昨日客殿裏の庭の草刈りをして今日はもう出たくなくなってしまう。明日、山梨宗務所会議。
2017年7月5日(水) 晴れ
暑くなる。
護寺会の通知、盆の棚経の通知を合わせて檀家宛に出す。地元の分は歩いて配る。30分ほど歩いただけで汗びっしょりになった。強い陽射しが戻った。海老原君来寺。一緒にお茶する。午後資料館の前庭などの草を刈る。読書、映画。
2017年7月4日(火) くもり
草始末。
昨日刈った畑の草の始末を早い時間から始めるが、朝方で湿っていて火付きが悪い。それからいっとき雨もザーッと落ちた。それでも何か所かに草を集めて燃やし始める。陽が射さないので草が乾かないので、夕方になってもまだ煙が上がっている。雨さえ降らなければきれいに燃えきってくれるだろうが、もうちょっと風が吹いてくれればなぁ。今日もじめじめと湿気の強い日。読書、映画。峰入りがあるので足を鍛えなければならないと思うが、この暑い時期の歩きはなかなか実行に移すことができない。
2017年7月3日(月) 晴れ
草刈り。
もう一枚の片側の畑も午前中草を刈る。午後3時を過ぎて陽射しが少し落ち着いてきたころから、昨日刈った畑の方の草を集めて燃やす。風が少しあり、1時間ちょっとできれいに片づけることができた。夜山ア師より電話ある。奥駈行き申し込んだとのこと。心騒いでどうにも落ち着かないってやつなのだろうか。一緒に行けたら頼もしい道連れになってありがたい。大雨のニュースや台風のニュースが飛び込んでくるが、この辺りは大したことなく済んでいるが、湿気がとても強くじめじめと不快な暑さ。
2017年7月2日(日) くもり
草刈り。
午前中は気にならないほどだったが雨が残った。湿度が高く蒸し暑く、洗濯物は乾かなく、体からはじっとしていても汗が噴き出す。午前中早い時間に、2歳の女の子を連れたご夫婦が来寺。一昨日伊勢から電話をくれた方。お伊勢参りを毎月しているとのこと。本業は画家だそう。ある日お不動様の夢を見て、それで思い立って、北海道から沖縄県までの全都道府県の不動明王のお寺を訪ねているとのこと。御朱印帳でなく、表装して軸にするための布に朱印を貰っている。山梨は大聖寺を指名してくれたということ。本堂に案内し、内陣で心経をご一緒に唱える。午後雨が上がったので参道片側を草刈る。汗びっしょりになるも2時間ちょっとで刈ってしまう。夜、東京都議会選挙開票あり。自民党大敗北。小池新党大躍進。こんなものも長い時間の中ではいっときのことだと思うけれど。デビューから29連勝中だった藤井四段敗れる。プロ棋士の世界は、そのピラミッド型に構成されているランクで圧倒的な力の差があるようだ。
2017年7月1日(土) 雨/くもり
梅雨らしい日が数日続く。
今年も半分が終わり今日から7月が始まる。外は朝少し雨で、梅雨らしい一日。少し蒸し暑い。11時に甲府のT工房さんと「XXXXXX・エンタープライズ」の方がみえる。新たなブレスレットを新商品として販売するに当たり、再び私のとこで護摩加持をしてほしいという依頼である。ありがたい話だ。具体的には8月初旬に商品がすべて完成しての護摩加持になる。カタログも今回は大聖寺を前面に出してくれるということである。こういう話がたびたびあるといいんだがなぁ。ここ数日出かけたりしていたのだが、タブレットを手に入れて、出先でもネットを見ることができた。新潟の山ア師とも電話で話した。奥駈に参加したい熱い思いが電話の向こうから伝わってきた。赤井の伯母からも、上京楽しみに待っていると電話をもらった。雨が上がったら草刈りをはじめなければいかんな。
2017年6月28日(水) 雨/晴れ
護摩焚く。
昨日留守をしていたら、サノフミアキ君から午後転送で電話がかかってきた。「行ったが留守だった。御朱印を貰いたい」とのこと。明日は居るし、28日で護摩も焚くのでその時間に来てはどうかというと、「是非行かせてくれ」という。今年勤めを辞め、酉年生まれの彼は、守り本尊の不動明王をこれから少しずつ訪ねて歩きたいということで、先ず同級生でもある僕の寺のお不動様を訪ねてくれたのだった。御朱印帳の最初のページに書く。6月28日の日付を入れ、発心して初めての御朱印を、28日の不動尊の縁日にもらったのはとてもよかったのじゃないかと話した。上野原の若菜さん親子も参座してくれた。午前中雨が残り、とても蒸し暑い日になり、護摩を終えた時間には雨が上がり陽が射し始めた。汗をいっぱいかいた不動護摩。初めての護摩を体験したフミちゃんはとても喜んでくれた。また28日にお出でよと誘った。午後5時過ぎまでかかって本堂と護摩壇の掃除終える。
2017年6月26日(月) 晴れ
植栽の刈り込み終わる。
客殿裏の庭のツツジなどの刈込を済ませこれでおしまい。この裏庭、荒れてしまい、ツツジも幾株も枯れてしまった。草ぼうぼうにならないようにできるだけきれいにしておくことで勘弁してもらっている。植物を育てて管理していくのも、浅い知識じゃどうしようもないわ。本山から、大峯山奥駈修行の案内が届いた。今年は台風被害によりここ数年中断していた全行程を再開するということだが、悪路が続くために全行程への参加者を15名とするということ。早速全行程への参加を希望する旨のFAXを送った。帰りの日程は去年と同じなので、その日のうちに帰ってこられる。去年より一日多くなるだけで済むので申し込んでみたが、選考で落とされるかもしれない。その時は昨年のコースに参加することにすればいい。ミニトマトが少し色づいてきた。
2017年6月24日(土) 晴れ
唐組。
甲府駅北口の甲府市歴史公園・山手御門前というところに唐組の紅テントが立ち、午後7時からの『ビンローの封印』の千秋楽の公演を見に行ってきた。唐組と名乗っているがここに唐十郎がいるわけではない。唐の演出や脚本に魅せられた役者たちが集って劇団唐組として公演を続けているらしい。山梨は初ということで昨日と今日の2回公演で、4月末から始まった春公演の本当の千秋楽が今日。ひと月ほど前に公演のあることを知って、妻と娘に話したら「行きたい」という。なら、行こうということになった。唐の劇団がまだ「状況劇場」だった頃、はじめて見たのが下北沢で、根津甚八がいた。僕は20歳くらいだったか。それから大学を出るまで、年2回の公演を必ず見に行っていた。やがて根津がテレビに出て人気が出てきて辞めると、次は小林薫が主役を務めた。この頃の状況劇場の役者たちは、超売れっ子だったかもしれない。NHKの大河ドラマ「黄金の日々」には、根津、唐、李礼仙も出演した。その頃の紅テント公演は観客数もすさまじく、入場してから、「さあ、あと20センチ前に詰めてください」などの大声で観客を前に詰めさせる掛け声が毎回頻繁にかかっていた。今夜の公演はおそらく300人を欠けていたのではないだろうか。テント内にも余裕があり、膝を延ばしてゆったりと見ることができた。40年前の記憶が少しずつ蘇ってきて、唐の早口でテンポよくぽんぽんと飛び出すセリフと同じように、唐演劇の特徴がよく出ていたと思う。甲府駅北口のすぐそばで、救急車の飛び交うサイレンが轟いてきたりと、野外テントならではの雰囲気を存分に味わうことができた。根津甚八は去年残念ながら亡くなってしまったけれど、パソコンもケータイもなく、はがきや公衆電話で連絡取りあう時代だったけれど、親しい友人たちとワンカップを買い込んでは、膝を抱えて窮屈なテント内で、飲んで汗かきながら見たもんだ。母娘にもおおむね好評であった。ただ今、こういうテントが観客を大量に呼び込む力があるかどうかは、きっと大変に違いない。
2017年6月22日(木) 晴れ
池の周りの刈込終わり。
昨日だいぶ降ったので、ツツジなんかはまだ葉が濡れていたので午前中は我慢して映画と読書。昼食後少ししてから外に出て池の周りのツツジの刈込をする。5時近くまでかかって終わる。これで一か所完了。やっている間にご朱印を貰いに一組来寺。百番が私の実家ですと妹さんに言われて訪ねたとのこと。回してもらって感謝。これで晩酌できるわ。
2017年6月21日(水) 雨
一日雨激しく降る。
こんな雨はもう何十日ぶりだったろうか。JR身延線も一時、身延・富士宮間が運休となった。これで草が伸びてくる。真竹のタケノコがやっと食えそうなのが出てくるか。早昼飯を食って、正午からの福寿院のご住職の葬儀に行く。大雨にもかかわらず大勢の参列者あり。高野のお寺だが、こことはあまり面識がなかったので焼香だけで帰ってきた。いまはもうほとんど高野のお寺との交流はない。ここも世代替わりが進んでいるようだし、叔父の寺もなかなかに厳しいとの話だったな。将棋の藤井聡太四段、歴代最多タイ28連勝の記録に並ぶ。デビュー以来負けなしなのだからこの人はすごい。連勝記録はきっと塗り替えるのだろう。
2017年6月20日(火) 晴れ
刈り込み。
池の周りのツツジ、ヒイラギなど刈りこむ。半分やって午前中で終了。残りはまた後日。明日から雨になるようなので。ぐったりとしてしまうほどにはもう体を酷使したらいかんのだ。天の声が聞こえるのではないが、内船寺の住職からも、「暑いときは絶対無理しちゃだめだ」とよく言われた。調べたら、スズメバチトラップの仕掛け時期は4月から5月頃にかけてで、この時期、女王蜂が巣作りをはじめる場所を探しているときで、この時期に仕掛けて女王蜂を捕えてしまうと、巣作りができなくなるので特に効果があるということだ。最初に仕掛けたのにいきなり入ったものだから、期待をして3か所に吊るしたが、捕獲なし。来年はしっかりと早めに準備してもっとたくさん吊るしてみようと思う。
2017年6月19日(月) 晴れ
雨降らず。
夕べそれでもちょっと降ったと見え、外が少し湿っていたし、朝が少し冷たく気持ちよく思えた。あとは太陽が元気よく登り、暑い一日になった。クルマの6ヶ月点検と、リコールがあったのでその箇所の部品の交換に行ってきた。DOOBIE BROTHERS鳴らしながら飛ばしてきた。ツツジの刈込ちょっとする。読書、ドラマ。護寺会の夏の通知づくりなど。
2017年6月18日(日) くもり
スズメバチ・トラップ
雨を呼んできそうな曇り空の日になったが、今夜あたり降ってくるか?スズメバチトラップを自作した。1時間もたたずにスズメバチ1匹捕獲。内船寺に行ったときに庭に吊り下げられていたので教えてもらった。帰ってからYouTubeで検索したら出てきてこれらを参考にして作った。去年初めて女房が市販のを買ってきたのだが、自作の方が安くて簡単かもしれない。空のペットボトルが手元に1本しかなかったのだが、もう数本作ってみようと思う。内船寺では春ぐらいから吊るしておいたとのこと。こういう情報を得られるのはありがたい。即効性があるのだからたまらない。午後竹藪の周りの細い竹を刈る。雨が降ればタケノコが食えるだろうか?
2017年6月16日(金) 晴れ
ザリガニ。
今日は30℃越え。午後なんて外には出ていられない。午後4時過ぎてもまだ30度あるのだから。11時過ぎに下山小の2年生20人が引率の教師2名と来寺。目的はザリガニ釣り。送迎バスの運転手のKさんも手伝ってくれる。カラカラ天気続きで池ではなく、かつて壁土をこねたという本堂横の窪地に水がほとんどなく、真ん中に少し水があるだけで、ザリガニ釣りには難があるので前日に小学校へ「干上がってます」と連絡入れたが、朝早くに教師が現地確認に来て、やはり子供たちは楽しみにしていたのであろう予定通りにやってきた。3小学校がこの春合併したが2年生は全部で20人。決して多くなったとは言えないが、十分に賑々しく僕らにとっても楽しい時間だった。窪地は前夜に猪が来たのか、泥地がまたひどい状態になっていたのだが、子供たちはそんなことを気にする様子もなくザリガニ釣りに興じる。1時間ほどいたが、3分の1近くが服や靴をどろだらけにしてしまう。泥に靴を取られてしまい、靴下で歩く者も。僕らも手伝ってやるが一番は最後。本堂横の水道からホースを延ばし、靴を洗ったり、足を洗ったり、服を濡れタオルで拭いたり。運転手のKさんは「ケツにドロが付いてる奴はイスに座らせんからな」。本堂前で記念写真を撮ってまた騒がしくお帰り。お昼過ぎに校長先生からお礼の電話をもらう。午後妹の嫁ぎ先の内船寺に所用で行く。甥の子供も1歳を過ぎいよいよ目が離せなくなってきたようだ。たまたま妹の誕生日でもあった。久しぶりにのんびりとゆっくりと話をして帰ってきた。たくさんのハスの鉢が境内に置いてあった。みな檀家の有志が設えてくれたのだという。まあこの寺と比べてはいけないということなのだ。行藏院ご住職ともゆっくりと電話で話す。安倍首相が金正恩以上に異常に凶暴になって吠えまくっている。アンドレ・ザ・ジャイアントに首根っこつかまれて宙にあげられたら、一人じゃ何もできないだろうけど、あいつこそ、自分の右に出てくるものがいないのをいいことに独裁しているような気になっているのだからどうにもしようがない。負け続きで負けに慣らされてしまったらいかんなぁ。
2017年6月15日(木) 晴れ
今日も外仕事。
今日も暑い一日。午後少し風ある。獣除け柵の扉の開閉当番二日目。5時前に開けに行く。昨日と同じ人に出会う。鐘楼横の這松の刈込を中心にツツジなど午前中作業。おp昼少し前に都留の山本さん、祭典の時のお札持ちに来る。お茶を飲んでまたすぐに慌ただしく帰ってゆく。親を介護しているのでなかなか家が開けられないとのこと。御札送りましょうかというと、必ず貰いに行くから置いといてくださいという。遠いけれど、時間をなんとかやりくりしてわざわざ寺に来てくれる。こういう人が不動尊信者であることはうれしい。寺を維持していくことが年々厳しく感じ始め、実際年々厳しくなってきている。寺を維持してゆくこと、掃除、管理してゆくことが厳しくなってくる。こういうのは寺が立ち行かなくなり、寺が倒産してゆくことかもしれないと思うようになってきた。午後少し日が傾いてきてから刈り込んだ後の始末をする。藻がはびこってきたので、メダカの水がめの掃除をする。蓮の種10数個から芽が出たが、芽が伸びて実際に容器に土を入れて育ってきているのは2つだけである。何とかこの2つしっかりと育ってほしいものである。
2017年6月14日(水) 晴れ
剪定。
今日と明日、獣除け柵の門扉の開閉当番。5時少し前に開けに行く。もうこの時間に歩いている人がいる。この時季の朝のさわやかな時間は至福の時だなぁ。梅の枝を剪定したりする。暑くなる。一日やるともう明日のことは考えたくなるが、ツツジの刈込も始めなければならない。昼食後映画を見てから本を読み、午後3時半から刈り込んだ枝の始末をする。
2017年6月13日(火) 晴れ
熊皮。
お昼少し前に、知り合いの早川のMさんが何やら抱えて訪ねてくれる。なんと熊の毛皮である。僕が熊の引敷がほしいななんて日記に書いたため、それを読んで家にあったものをほぼ必要がないのでと、「これで作れたら作ってみたら」とわざわざ届けてくれた。大きな一頭ものなのでもったいなくも思ったが、ありがたく頂戴して作ることにした。ネットでさがして新潟にある毛皮なめしや毛皮の縫製加工する会社に問い合わせ、午後送ってきた。気温余り上がらず過ごしやすい一日になる。朝久しぶりに秋山さんから電話があり、義姉のところ用に頼んでおいた曙大豆の種を貰いにゆく。またこの夏古巣でアルバイトしている。そのうちまた飲もうと。東海師からも大峯の写真見たとメールある。彼が大峯に行ける日までなんとか元気で頑張りたいものである。
2017年6月12日(月) 晴れ
葬儀助法。
不動寺の葬儀の助法がある。正午からの葬儀。前回はいつだったかなというような久しぶりの葬儀の手伝い。今年は衣を着る機会がいつもの年よりうんと少ない。だれに責任があるわけでもなく、黙ってこの状況を受け止めながら生きているしかない。しっかりと務めて帰ってくる。
2017年6月11日(日) 晴れ
のんびりと。
朝から6日からのことを思い出しながら「徒然」を更新し、写真もアップした。これで今日は十分。体のあちこちに痛みがまだ残っている。午後荷物が帰ってくる。メールをくれた行藏院、東海師に知らせ。敬さん、山ア師にもメールで知らせる。今日は涼しい風があり、過ごしやすい日曜だった。明王寺ご住職よりサクランボ送っていただく。お礼の電話を入れ、大峯に行ってきたことを話し、7月の納涼会で会おうと約す。
2017年6月10日(土) 晴れ
大峯花供入峰D。
7時過ぎまで全く目覚めることなく寝入った。はっと気が付いて起き、顔を洗ってから二人していざ朝ラーメンを目指す。京都駅前泊だからできること。「本家
第一旭 たかばし本店」は、土曜の朝7時半過ぎ。店の外に5人ほど並んでいる。15分ほど待って入店。ビールを1本頼み飲みながらラーメンを待つ。美味い!確かに美味い。うまく僕にはその味を表現することはできないけれど、並んでも食べたいという気持ちはわかるような気がした。でも1時間とか待つのはちょっと勘弁だなぁ。宿への戻り道、朝のDX東寺劇場を眺めて帰ることにした。「素人大会、今日までだってよ」などと話しながら看板見たりしていると、脇の通用口から人が出てきて掃除を始めた。山ア師が「石田さん、ピコ太郎だよ」という。まさにその通り、ひと月前の夕暮れの劇場前に立っていた、パンチパーマのピコ太郎似の方だった。「住み込みなんだなぁ」。宿に帰り出発の準備をして京都駅八条口で、飛行機で新潟に帰る山ア師と固い握手をして再会を約して別れる。9:58の新幹線に乗り、13:16に下部温泉駅着。女房が迎えに来てくれている。送り返した荷物は明日だ。録りためておいた「ひよっこ」「リバース」など見る。
2017年6月9日(金) 晴れ
大峯花供入峰C。
一転して快晴。暑い暑い吉野下りとなる。2:30朝食。宿の玄関先で感謝の御法楽をして龍泉寺に向かう。4:30龍泉寺の職員の皆さんに見送られて吉野下りへバスで出立。1時間ほどで地蔵峠着。ここでバスを降り地蔵堂で御法楽し、鳳閣寺に向けてつらい坂道を上る。鳳閣寺に着いてしばし休憩の後、理源大師御廟参拝する。山道がきれいに整備されていた。この行き帰り、Mさん右足を引きずり相当にきつそう。Mさんは鳳閣寺で歩きを断念しバスの人となる。鳳閣寺に戻り門跡猊下導師の柴燈護摩厳修。いつもの如く、檀家の皆さんによるお接待があり、ぜんざいやお茶をいただく。休憩の後、最後の吉野蔵王堂までの下りを始める。途中金峰神社で御法楽と昼食。厳しい陽射しと気温になる。蔵王堂の手前数キロのところから最後の隊列を成し練行する。吉野の門前街でバス移動組が本体に合流する。法螺を立てながら蔵王堂に入る。蔵王堂の前で、管長猊下並びに職員の皆さんの出迎えを受ける。堂内に入り御法楽。最終日雨でなく本当によかった。記念写真を撮った後、ロープウェイで吉野駅まで下ろうと思っていたのだが、現在故障中で運行が取りやめになっていると知り、あわてて最後の力を振り絞って歩く。駅前の売店で缶ビール。13:00にバスで醍醐寺に向け出発。車中は静かに静かに眠りをむさぼる。3時過ぎ本山帰着。本山職員の出迎えを受けながら列をなして最後の峰から出てきたという「駈出護摩」厳修。三宝院玄関前で御法楽と帰山の報告をして、白書院にて入峰修行章をいただきながら本山の心づくしをいただく。僕と山ア師は食べずに今夜の宿へのお土産とした。横浜へ帰る敬さんは風呂を使いさっぱりしてから、荷物をまとめて17:45発のバスで京都駅に向かう。来年も都合が付けばぜひ参加したいといい、厳しかったが心に残る修行であったことをうれしく思った。僕たちはその後、はたやま商店でバスを待つ間、橋本師、田村師とコップ酒を飲むが、予定したバスが季節運行であるとわかり急きょタクシーを拾い、宿「御旅庵」近くで降ろしてもらう。宿に土産を渡し、近くの店に飲みにゆく。呑み屋のご主人から、朝5時開店の「本家 第一旭 たかばし本店」を教えてもらう。宿に戻りシャワーを浴び、暫し語らう。修証殿で、150キロ氏に「来年も来いよ」と声をかけると、腹をさすりながら、「落とさないとダメでしょ」と、幾分力なく言葉が返ってきた。厳しい修行を共にする仲間は多い方がいい。「でも会いたいじゃん」とリュックを肩に掛けて出ていく彼に、あきらめるなという思いでもう一度声をかけた。花供の写真は↑の「NEW」から。
2017年6月8日(木) くもり/雨
大峯花供入峰B。
午前零時過ぎに起き、0:30から龍泉寺水行場にて同行の随喜の皆さん後水行する。凍えるような冷たさはなかったが、頭をとった山ア師が張り切って心経も3巻唱えさせられたのはちょっと厳しかったな。宿に戻り熱い風呂で体を温めてから朝食。2時半に宿を出て龍泉寺で御法楽してからいよいよ大峯に向け出立。真っ暗な洞川の温泉街に法螺の音が轟く。唯一の女人禁制の山であるため、「女人大峯」の異名を持つ稲村ヶ岳に登る女性修行者と途中別れる。女人結界門より一年ぶりに大峯に足を踏み入れる。今回は同行の山ア師の指示によって行動するという「奴隷修行」なので、ゆっくりと大峯の山懐に抱かれているのを感じながら敬さんと3人で登る。手元の灯りがいらなくなる頃白々と夜が明けてくる。途中洞辻茶屋で園田先生たちと御法楽する。最後尾を歩いて登ってきた本山職員の方から、150キロの巨漢を一本松茶屋に捨て置いてきたことを聞く。何人かに話を聞くと本人は、前日までは山登りの事前予習も積んできて、相当なスピードでお山に登れるはずと豪語していたようだが、はかなくも虚しく、あっけなく頭先行の思いは叩き折られ、ついでに2本携行していたストックも1本折れてしまったという。笑っちゃいけないが「あれじゃ無理もねぇよなぁ」というのが正直な気持ちだったので、ザンネン!!!。もう一人100キロのNさんは大峯山寺間近で相当苦しむも、何とか登り切り、小篠道場までも縦走して無事に下ることもできた。午前6時を回ったころ頂上の大峯山寺に着き、休む間もなくそのまま小篠根本道場まで峰道を小一時間歩く。この頃から雨風が相当激しく厳しくなる。午後から天候は回復してくるということだったが、何せまだ朝が早い。山ア師は歩きながら眠っていたと話す。例年小篠に向かう時間が眠くなってくる。小篠根本道場では峰中門跡の田中先生の導師で柴燈護摩を厳修する。それから再び大峯山寺に戻り、本堂横の辻堂で柴燈護摩。終えて大峯山寺堂内で御法楽をする。ここで初参加の行者は、特別に内陣奥に祀られている「秘密の役行者像」を拝することが許される。伝法学院生4名、初行の敬さん、Mさん、Nさんと、山ア師に僕も一緒に拝ませていただいた。役行者が池に映る自らの姿を彫ったと伝わる像は、杖を左手に持っている。苦行した痩躯のお姿を30数年ぶりに拝したことになる。龍泉寺参籠所で昼食をとり、リュックや身に着けている袈裟や引敷など外してから、山先達に随って院生とともに行場に向かう。雨は小やみになっていたので、裏行場から行っていくとのこと。これまた30数年ぶりである。何せ今日は奴隷修行者の身だ。行場まわりは、ここ数年、不届き者たちが事故を起こすことが何度かあり、本来なら今日のような天候であれば一般には行場めぐりは行わないが、花供入峰の一行なので特別に修行させてもらえるとのこと。裏行場をまわる。岩は雨で濡れているので、先達からよくよく注意するようきつく言われる。平等岩は危険なので今日のところはやめましょうということになる。その後、表行場に行き、鐘掛岩、西の覗きと修行する。西の覗きは霧が深く周りの景色を見たりすることはかなわなかったが、ほんっと、久しぶりにいい経験させてもらった。敬さんも大満足。下りはしんがりから2番目で4人でゆっくりと下ってゆく。ほぼ12時間大峯の山中に居たことになる。結界門の前で記念撮影し、清浄大橋を渡ると、すでに本山隊が龍泉寺に向けて出立した後で、醐青連の方がハイエースで本山隊の歩いているところまで送ってくれて合流。無事大峯登山終える。衣体を解いて先ずは、「かんばし」に行き、生ビールで乾杯する。柴田師も誘う。宿に戻って夕食。夢の果たせなかった150キロが話題にのぼる。来年はぜひもうちょっと身軽になって再挑戦してほしいもの。150キロ、100キロ両人は、明日の吉野下りはバス移動となる。家に電話をすると、不動寺から月曜にある葬儀の助法を頼まれたと聞く。久しぶりのお仕事ですなぁ。朝早い出発なので、夕飯後宿の清算をする。23,500円。安いと思った。花徳では、吉野駅まで荷物を宿で運んでくれる。これだけでもすごいサービスだ。行藏院ご住職なら飛び上がって喜ぶ。来年も花徳に泊りたいと宿のご主人に話す。今年は、小篠も辻堂でも道場内に入らせていただけた、感謝。
2017年6月7日(水) 雨
大峯花供入峰A。
午前4時起床。天気が気になり外を眺めると雨が降り出している。まあ予想どおりではある。4:30朝食。朝食の経頭をする。伝法学院生は4人。幡、花など随喜者が持つのを手伝う。僕は外れる。まだ朝の内はポンチョ着るほどでなく、三宝院玄関前での御法楽をし、留守組に見送られてバスに乗り込み大阪に向け出発。1時間ほどで報恩院着。近畿連合の不動寺ご住職草柳師にも挨拶。例年の如く、各講社からの参加者で狭い境内はごった返している。トイレ休憩、御法楽をして大阪市中を練行して四天王寺に向かう。気にならない雨がある。四天王寺で柴燈護摩厳修し、大阪阿部野橋駅へ。ここから貸切電車で下市口駅、下市口からバスに乗り換えて龍泉寺のある天川村洞川に向かう。花供入峰に集結した講社、醐青連、本山隊が一つになって洞川の宿を練り歩いて龍泉寺に向かう。宿の車に荷物を預け、雨脚が強くなっていたのでポンチョを羽織る。洞川温泉の道の両側には、三宝院門跡の花供入峰の一行を出迎える村の人たちが総出で、「よう、おまいり」とあたたかく声かけて迎えてくれる。小中学生も授業を中断して雨の中元気な、大きな声で迎えてくれる。毎年このお練りがとても感動する瞬間。今年もまさにその通り。敬さんも感激したと。龍泉寺本堂、八大龍王堂で御法楽し、柴燈護摩道場で門跡猊下導師の下、一座厳修する。その後、寺務所前にて翌朝の大峯登山の時間などの連絡があり解散。今夜からの宿「宿花屋徳兵衛」に草鞋(地下足袋)を脱ぐ。山ア師の常宿でご一緒させてもらうこととなった。二間続きの「奥の間」に泊めていただく。着替えてから先ずは「かんばし」に行き、一日目の乾杯をする。鹿肉が美味い。名物「朴葉寿司」をサービスで出してくれる。やっぱり熊の引敷欲しいなぁと思いながら宿に戻る。同宿の随喜7人で夕食。12時半に水行することに決める。リニューアルした風呂に浸かり、オーディオルームでジャズ聴きながらちょっと飲む。就寝。
2017年6月6日(火) くもり
大峯花供入峰@。
下部温泉駅7:04のふじかわ号にて旅立ち。静岡から新幹線。1号車に従兄の敬さん席を取って待っていてくれる。10:45京都着。コンビニで弁当を買い、新潟の山ア師と落ち合い、11:15の山科急行バスで醍醐寺に向かう。散歩院玄関で送っておいた荷物を受取り修証殿へ。今年の花供の随喜参加は男13名、女2名。ここ数年このような低調が続く。広間に入ると巨漢の方が積み上げられた寝具に寄りかかっている。過ごし存在感だ。「?こんなのが大峯登れるんだろうか?」と頭をよぎる。周知のメンバーほぼ顔をそろえる。従兄を紹介する。初参加は従兄を含め4名。三重の柴田師とは1年ぶり、お元気そう。午後2時から峰に駈け入る「駈入護摩」を門跡猊下導師の下に厳修。いよいよ始まり。精進カレーの夕食を済ませ、風呂に入り、はたやま商店で再会の小宴をする。天候だけが気にかかるがまだ雨にはなっていない。
2017年6月5日(月) 晴れ/くもり
天気下り坂。
明日から京都。大峯花供入峰。見事に天候は下り坂へと変化してきた。明日はまだ持ちそうだが、7日の大阪天王寺から洞川行きは雨になるかも。8日の大峯入峰修行も雨っぽい予報になってきた。仕方のないことだが、晴れずとも雨の降らないでくれることを祈りたい。新潟の山ア師ともメールのやり取りする。京都駅着後の山科急行のバス停でどうやら出会えそう。今回で6年連続の入峰で7回目。70まで元気でいたら続けたいものだ。
石畳脇のツツジの刈込みなどする。少しきれいになった。あとはまた帰ってきてからだ。夕のお勤めをしてから頭を刈る。
2017年6月2日(金) 晴れ
一日風吹き荒れる。
朝9時に区長、副区長の3名が訪ねてくる。不動尊祭典当日に地区が開催している「八日市」が、近年お客が来ず振るわなくなり、先日の実行委員会の反省会で、来年以降の開催を区民にアンケートを取って決めようということになったので一応寺にも伝えておくということであった。40回目の開催であった。もう十分にその役目は果たしたということだと思う。まだ結論は出ていないが、寺としては不動尊祭典は続けていくつもりである。八日市が取りやめになれば弱冠一日のスケジュールの見直しをすることにはなるだろうが、本堂の護摩と柴燈護摩は続けたいと考えている。行藏院のご住職と久しぶりに電話で話す。
2017年6月1日(木) くもり
朝少し雨ある。
火照った体を冷ましてくれるような雨が午前中少しある。これにかこつけて今日の草刈りは止め。読書したり、映画見たり、メダカの世話したり、睡蓮の株を分けたり、古い火鉢をさがし出して、蓮を植える入れ物に代用したり。6月がなんとなく始まる。天気予報を見ると、6月7日の醍醐寺から洞川への移動日、京都も天川村も「曇り時々雨」。このあたりが梅雨入りになるのかもしれない。今年は大峯登りも雨になるのかもしれないな。本山に送る荷物、スーツケースに詰めて仕上げる。
2017年5月30日(火) 晴れ
墓参あり。
墓地の草刈りはいったん休んで本堂脇の草刈りをし、除草剤散布する。11時前に横浜の牛山家3人が墓参に訪れる。塩尻に住む従姉夫婦と待ち合わせで来てくれる。墓で読経する。本尊を開帳しお話をする。5人で今夜は西山温泉に泊まるということで帰っていかれた。暑い日が続くが奈良田の方はきっと季節もいいし、ここよりも涼しく心地良いと思う。温泉か、いいなぁ。午後は読書、昼寝。
2017年5月29日(月) 晴れ
草刈り。
午前中墓地の草刈り。一気に暑くなってきた。炎天下では草刈り機を持っているのさえつらくなるので11時半ごろに今日の分終了。午後読書、昼寝。少し涼しくなってから、ハスを漬け物用容器に植える。種からのもの、なかなか大きくならないが、早く移植してしまった方がいいのだろうか?よくわからん。
2017年5月28日(日) 晴れ
例月護摩。
午前中墓地周辺の草刈りする。今年は草の伸びが控えめだが、まだあと二日ぐらいはかかる。歳もそれなりに取ってきたので、あまり無理しないでやることにしよう。午後1時過ぎから護摩。都留のSさん家族、上野原のWさん親子参座してくれる。暑くなってきたので護摩も汗びっしょりとかく。頼まれていたT工房の数珠の加持も済ませ、クロネコから送り返す。5時過ぎまで本堂と護摩壇の掃除にかかり、大相撲の千秋楽うっかりしてしまい、白鵬、日馬富士の最後の一番だけ見る。強い白鵬全勝優勝。高安は千秋楽また負ける。
2017年5月27日(土) 晴れ
外の作業。
夕べは夕飯を過ぎたころに急に強い雨が降り出して1時間ほど降ったろうか。結構な雨が降って、だいぶ畑なんかは潤っただろう。今朝は雨上がりのちょっと冷えた朝を1時間ほど歩いた。大峯に入る前に足を鍛えておかなければならない。午後から民俗資料館の生け垣の刈込をしたり、境内の外便所の生け垣を刈りこむ。暑い日になった。午後4時半を回ってまだ外は陽射しがあり、青い空に綿菓子のような雲が浮かんでいる。玄法院に宗務所会議のことで電話する。今年度の割当宗費は、1か寺解散したのでどうなるかと心配していたのだが、解散した寺の去年の宗費を引いた分が今年度の割り当てになり、今年も同じ額でいけるということだ。個々の寺からの異議が無ければ。
2017年5月26日(金) 雨/くもり
大相撲。
午前中雨。午後になって少し晴れ間見えてくる。明日はまた暑くなるようだ。映画を見たり、本を読んだり、大峯花供の参加費を振り込んできたり。一緒にゆく従兄にメールしたり。高安、日馬富士に快勝。これでほぼ大関昇進は手中にしただろう。白鵬は全勝を守る。あと二日。熱い大相撲を堪能する。
2017年5月25日(木) 雨/くもり
久しぶりの雨。
雨の量はわずかではあるが、しょぼしょぼと一日降ったりして、涼しいというかちょっと体の冷える寒い一日。農業者には恵みの雨ほどにはならなかったと思う。映画を見たり本を読んだり。生涯学習課のFくんより、土曜日に資料館を開けてほしい旨連絡ある。
2017年5月24日(水) 晴れ
稀勢の里休場。
この状態では休場やむなしであろうし、このまま千秋楽まで取り続けて果たして勝ち越すことできるだろうかという見方もある。次の場所への影響もあるだろうし、ここは怪我を治すことに専念したほうが応援している人たちも望むところだろう。弟弟子の高安に期待をかけたい。大関とりに大手をかける9勝目を上げた。日馬富士は御嶽海に敗れ1敗。白鵬は相変わらず強い。
少し色の違う3匹のメダカを別容器で飼いながら卵を孵化させてきたのだが、今日水換えに失敗してしまい、孵ったばかりのメダカ10数匹死なせてしまった。もう少し慎重な気遣いが必要。
2017年5月23日(火) 晴れ
法事あり。
9時に下山小の3年生、民俗資料館と寺を見学に来る。11時よりA家の法事というか先祖供養する。午後1時半過ぎに、放光寺主催の百八霊場巡りのお参りある。25名ほど参拝してくれて本堂でお勤めする。15分ほど話をする。御朱印8枚。暑いが午後になるとけっこう強い風が昨日も今日もある。映画、読書、メダカの世話。
2017年5月21日(日) 晴れ
法事あり。
10時からK家の一周忌の法事。昨年の4月にお母さん、7月にお父さんが相次いで亡くなってしまい、お母さんからはちょっと遅く、お父さんからはちょっと早くなるが、二度やるのも大変だろうと、中間の今日を二人の一周忌の法事とした。父親の事業を引き継いで頑張っている、二人の子を持つやさしいお父さんでもある。家族4人ともう一人の女性の5人だけであったが、静かに厳かに一周忌の供養ができた。子供たちに合併した小学校は楽しいかと訊くと、大きく「楽しい!」と返事が返ってきた。少し大きな学校になったといったって、20人を少し超えるくらいの学級にすぎないのだが、それでも、5人程度の同級生よりはずっといいだろう。上の5年生のお兄ちゃんは、今までは女5人の中に男一人だったのだから、きっと合併したクラスは男の友達もできて楽しいに違いない。とてもとても暑い日になる。庫裏の網戸からの風を心地良く感じながら読書、昼寝する。
2017年5月20日(土) 晴れ
暑い暑い。
夏だ夏。ほぼ一日外で作業。緑のカーテンのプランターに土を入れたり、畑の貰ったネギを植え替えたり、スイレンを大きな鉢に移して、それを池に沈めたり。メダカの孵化は進む。明日K家の法事があり、花屋さん来たり、施主が写真や供物を持ってきたり。数珠を作成している工房から、追加発注があったということで、再び護摩加持を頼まれる。なんと別な商品もまた頼まれることになりそうである。えらいこっちゃ、ありがたいこっちゃ。今月は何とか坊主の面目が保てそう。
2017年5月19日(金) 晴れ
暑くなる。
エアコンのフィルターの掃除をする。カバーを洗って外に干しておいたら、赤い小さな虫が白いカバーに集まってくるので布で拭いて部屋の窓辺に置く。拭く前に赤い虫の付いたカバーをメダカの瓶の上で振って落とす。メダカは生餌に群がって食べる。粉の餌よりこういう餌がやっぱり好きだ。僕らの部屋の外にも日除けを出したり、緑のカーテンを設置したりする。夏のような暑さ。メダカの孵化進む。
2017年5月18日(木) 晴れ
健診。
健診を受けるので朝ご飯が食べられないので、4時半過ぎからお勤めをして5時半過ぎから1時間ほど歩く。今日はいい天気になる。がん検診のみなので受付時間の最後に行くことにし、頭を刈った後外に出て作業をする。畑の隅に立っている小屋の屋根の棟の修理をする。樋の掃除をする。10時を回ったところで出かける。11時半過ぎに終えて帰ってくる。何も入れてなかったので、水分補給が何よりだった。昼食後バリウムも便と一緒に十分に排出できた。午後病院へ定期受診。なんと一日受受診日を間違っていた。実は昨日だったのだ。3月まで木曜だったので、年度替わりで担当医が水曜になったことをうっかりしていた。再来週の受診を受け付けに頼んでいるところへ女医が自販機に買いに来ていたので声をかけ日を間違えたことを話すと、なんと「いいですよ」とすぐ診てくれたのだ。ありがたい。血圧計ってお腹をさすったりするだけのほんの3分くらいのもので。でもあらためて来るのは面倒なものだ。タイミングがよかった。帰りにミニトマトの苗を2本買ってきてプランターに植える。まだ畑を耕していない。耕したらオクラの苗はいつものように植えたい。台所日除けを張る。充実した一日。本も読む。
2017年5月17日(水) くもり
さっぱりしない天気が続く。
秋篠宮の長女が婚約に向けて進んでいると報じられたが、皇室の女性に自らプロポーズをするってのは、ある意味凄い事なんじゃないかと思えた。嫁にもらってくれる相手が見つからなくて、方々手を尽くして頼み込んでもらってくれというのと違って、二人が好きあって、極々一般的に男の方から「結婚してくれ」と。なかなかできることじゃないよな。皇室問題とは別にして、あっぱれなことなんじゃないか。
一日曇り日でさっぱりとしない。カーッと気温があがって暑くなればメダカの孵化も進むだろうに、今確認できるのは8匹だ。裏山歩く。
2017年5月16日(火) くもり
大峯行き申し込む。
横浜の従兄から「参加」する旨のFAXが入ったので、本山に僕のと合わせて参加申し込みをした。洞川の宿は山ア師が「花徳」を予約してくれた。従兄に準備するものや電車の時間などのことを思いつくままに朝から書いて午後郵便で出してきた。2年ほど前に、何回かに分けて歩きで四国をまわった兄であるから、基本となるものはありだろうし、体力も申し分ないと思う。僕も今朝は少し歩いた。ここ何日かさっぱりとしない天気。
2017年5月15日(月) 晴れ
メダカ孵化する。
今日は温かくなった。午後水槽を見たら、メダカの孵化が確認でき、3匹の小さなのが泳ぎ始めた。明日以降もっと孵化が進む。午後3時に町の教育委員がお不動さんへ見学に来る。本堂でお開帳し30分ほどお話をする。コメリで漬物用のポリ容器を買い、種から葉の一番伸びた蓮を土を入れて植え込んでみる。コメリで市販されていた蓮の苗も一つ買ってきて同じように植え替える。おんなじように育ちますように。
2017年5月14日(日) くもり
環境整備作業。
集落の環境整備作業。昨日大雨が降ったので、有害獣の柵の除草と草刈り作業はどうなるかと思っていたが、結局やることになる。空き缶などのゴミ拾いをし、水路の泥あげ、集落道の草刈り、それから有害獣の柵の仕事で11時過ぎまでかかる。どんよりと重い空で予想したほど気温上がらず、蒸し暑い日になる。午後は映画やドラマを見たり。山ア師が大峯帰りの夜一緒することになり、予約したゲストハウスに和室を2名へと変更してもらう。
2017年5月13日(土) 雨
法事あり。
少し遅く起きる。朝から雨。昼近くまで土砂降り。午後1時から若尾家の法事。「おふくろの三回忌お願いします」と頼まれたが、「三回忌は去年で、回忌の案内はみなに出している、読んでなかったのか」というと、「うっかりしたなぁ」だった。3年目は四回忌ということになる説明を先日して、今日弟妹家族集合して法事をする。あいにくの雨だったが、兄弟が集まることが少なくなっているので、こういう機会は大事にしていきたいものだと話す。新潟の山ア師から大峯行きの件でメールある。従兄の参加がまだ未確定なのでもう少し待ってくれと返事する。
2017年5月12日(金) 晴れ
所長会。
もう今年で6回か7回目になる。所長の顔ぶれは1,2年で変わってしまうので、山梨はレアケースだ。8時過ぎに宿を出る。経営者は宿から数分のところに家があり、客のみが泊っているということになる。朝出がけに顔を合わせると、「松風」の感想を言ってくれる。おいしかったと。それから、確かここの御菓子は、「京都検定」に出ていたように思うとも。なるほどなぁ。バスで醍醐寺へ。10時から所長会。自己紹介の時に、「寺に後継がいないので、寺の縁起と僕の思いを書いてきたのでぜひ読んでいただき、求めている方がおられたらご紹介願いたい」とお願いし、休憩時間に、宗務所長、本山執行部の方々に封筒を配る。即の反響はなかったが、ぜひ期待したいものである。毎年午後4時少し前の新幹線に乗るのだが、今年は長引いたため乗れず2時間遅れの新幹線になる。京都駅は毎年この時期修学旅行生や外国人観光客であふれかえっている。いい宿が見つかってよかった。大峯の帰りの夜も泊めてもらいことにした。午後9時半過ぎに帰宅。
2017年5月11日(木) 晴れ
御旅庵に泊る。
明日の所長会に出席するために上洛。9時半出発。京都について先ず昼飯。贅沢にうなぎを食す。地下鉄で丸田町の「松屋常盤」に味噌松風を買いにゆく。店頭でしか手に入れられないお土産。しかも消費期限は3日間。お店のおかみさんも僕を覚えていてくれて、今回もビニール袋に入った切れ端を持たせてくれた。これも絶品。初めて泊る、八条口から10分ほどで東寺にも近い「御旅庵」はゲストハウス。去年まで泊った茶堂君は店を譲ってしまい北海道に行ってしまったので、新規に捜したところ。宿にも松風を一つお土産とする。2段ベッドが二つの4人部屋だったが今夜の宿泊は僕のみである。あと和室に仏人が一人連泊しているとのこと。東寺にも行ってみる。当時から宿への帰り突然、東寺DXというストリップ劇場が現れてビックリポン。建物も歴史を感じさせるもの。本日初日とあり、入口中央の司会者席のようなところにピコ太郎風なお兄さんが立っていた。周りは民家という場所に突然現れてほんとにびっくりする。入りはしないが写真撮ってきた。お大師様とstripが同居する町京都。壬生さんにも早速メールでお知らせする。近くの銭湯が木曜休みということで宿のシャワーを使い近くで食事と酒。
2017年5月10日(水) 雨/くもり
お湿り。
雨が降らない日が続いていて、新聞でも農作物に影響が出ていると書いている。やっと雨が降った。夜中から降りはじめた雨は朝には小やみになったが、いいお湿りになったのではないか。予報だと午後から回復してくるとあったが、午後になっても霧雨がありどんよりとした一日になった。明日にはよくなりそうだ。午後久しぶりに裏山を歩く。なども蜘蛛の巣の洗礼を受けた。帰ってきて頭を刈る。京都行きの着替えや筆記具などの荷物をまとめる。初めて泊る八条口から近いゲストハウスの地図もプリントする。夕飯に海老原君来る。
2017年5月9日(火) くもり
いろいろと用を済ませ。
ローカル新聞に、山崎師の火渡りシーンの写真が掲載されたのを、新聞社に連絡とって手に入れたので山アさんに送りたいと、東海師より連絡が入り、住所など知らせる。ありがたいこっちゃ。今日は昨日と天気が変わり曇り日になり、暑さも一休み。11時の鐘を撞いてから女房といろいろな用事を済ませようと出かける。郵便局、銀行、京都行きの切符の購入、昼食のうどん屋。叔父の寺へ叔母の春の叙勲受賞のお祝いを持ってゆく。今週末に伝達式に行くとのことでよかった。最後に森林組合へ桧葉の提供への協力のお礼に行く。来年もぜひ頼みたいと伝えてくる。
2017年5月8日(月) 晴れ
31.3度。
甲府で31.4度、身延:切石で31.3度の真夏日。甲府が全国最高気温。寺の庫裏のだだっぴろい空間でのんびりと寝転んで本を読むのが至福の時間。気づかずに寝ていたりする。ただ外は風が強い時期。全国各地で多く火災が発生する。火事には気をつけなければいけない。明日には少し天候が崩れるかもしれないとのこと。雨を期待したい。
2017年5月7日(日) 晴れ
ゴールデンウィーク終わる。
ちょうど29日の不動尊祭典から今日まで、長いゴールデンウィークとなったが終わる。祭りの後お不動様の厨子を開けておいたので、毎日何人か訪れていたので、喜んでくれた人も多かった。御朱印も何枚かあったし、お守りも少し売れ、賽銭もいくらかあった。今日の午後にはBさん夫妻が訪れていた。まあ僕は明日も休みなわけだが、連休中後半はのんびりと怠惰に過ごさせてもらった。来週は久しぶりの京都行きがある。気温が上がり、メダカの産卵も多くなってきて、夕方採卵して別容器に移すという作業を夕方している。来週中には早いのは孵化するかもしれない。蓮の種からもいくつかは10センチくらい葉の茎が伸びてきた。太田裕美の「心が風邪をひいた日」を買った。NHK-BSでこのアルバムができるまでの番組があって欲しくなってしまった。今日も読書。
2017年5月6日(土) 晴れ
屋敷神のお祭り。
佐田家の屋敷神さん、「三國院」の年に一度のお祭りをする。10時に入って外の祠の前に座り、螺を立て、神仏混淆の次第を通す。今年はもう接待しないつもりなので経だけあげて欲しいと連絡を受けていたのだが、いざ行って終わると座敷にもう冷奴やあえ物などが用意されていて、結局いつもの年と変わらぬ接待を受けて正午過ぎに帰ってきた。午後は昼寝したり本を読んだり。今日も午後1組の御朱印あり。本山より、大峯花供入峰の案内が届く。従兄の佐野兄に一部コピーして転送する。今年は山梨からは僕だけなので、佐野兄が行けることを願っているがどうだろうか。宿は山アさんと同じ宿にということで先日話した。
2017年5月5日(金) 晴れ
法事あり。
ほぼ今日の暑さは夏。午後は風が強く吹く。10時からS家の13回忌の法事。双子の孫も参列しにぎやか。なんてったって今日は「こどもの日」だから。僕の子供たちの頃は沢をせき止めて魚のつかみ取りやバーベキューなんかもやったが、今はもっと子供が少なくなって、催し自体がなくなっている。小学生が遠くの学校へバス通学するようになって一か月。朝も夕も全く子供らの声を聞くことが無い。寺に居て聞こえてくるのは、新緑のケヤキを吹く風ののそよぎや、風鐸の音、山から聞こえてくるホトトギスの声くらい。法事を終えて午後は読書三昧。庫裏で音楽聴きながら、サマーベッドに寝転んで快適な読書。今日もご朱印一人あり。
2017年5月4日(木) 晴れ
読書。
昨日に続いて朝ウォーキング。今日はご朱印が1件。お守りも求めていってくれる。「お不動様の厨子いつも開けてあるのですか?」と訊かれ、29日の祭典後、この連休明けまで開けていると話すと、「ラッキーだったね」と若い夫婦顔を見合せてうなずき合う。折り畳みの椅子を出してJAZZ聴きながら本を読む。この連休中はのんびりだ。
2017年5月3日(水) 晴れ
のんびり。
朝ウォーキング。6時前から歩くが、すでに畑には何人もの姿がある。閉校した小学校の校庭もぐるっと歩いてみる。ヒラド、クルメのツツジが鮮やかに咲き誇っている。見る人もないのだろうと幾分可哀想な気持ちになる。母娘は、買い物に出かける。今日は早川町で恒例の山菜祭りがある。ゴールデンウィークの後半のはじまりで国道も車の量が多い。午前中から甲府方面がノロノロ運転。午後になって山菜祭りの客が帰りはじめるとさらに混雑の度を増し、毎年のことのように、渋滞する国道から少しでも早く先に行こうと、町道(集落道)に入ってスピードを上げて走り抜ける車が多くなる。のんびりとする。
2017年5月2日(火) 晴れ
祭典の後のこと。
祭典の次の日と昨日は、朝夕のお勤めを短く済ませたが今朝から通常の勤行に戻した。5月に入り、一層木々の緑が濃くなってきたように映る。録りためた映画やドラマを見る。外の便所の掃除をする。修験の衣体を干し畳む。白地下足袋を洗う。郵送するお札を女房が発送準備をして午後送る。客殿の廊下の障子は戻したが、襖は夏のあいだ入れないでおこうと思う。風も通るし涼しそうだ。カルメン・マキを聴く。墓参の檀家や御札を持ちに来てくれた人もある。明日から3連休なので、寺を訪う人もまたあるかも知れない。本尊の厨子は明けておく。
2017年5月1日(月) くもり/晴れ
祭り片付け。
5月1日は荒れ模様になるかもしれないという予報が当たった。今朝は朝から「さあやるぞ」モードで、先ず本堂の掃除。護摩壇を掃除し、音響設備も片付け、祭り用から通常用にレイアウトも戻す。客殿も掃除して使った曲録なども片付ける。衛生組合へ段ボールなどのゴミを処分しにゆく。180円。残った桧葉や結界の竹などを少しずつ燃して片付けようと始めたら、俄かに曇ってきてぽつぽつと降りはじめ、やがて激しい雨となってきた。強い風ではなかったので、好機と、雨の中で竹と桧葉燃してしまう。ほぼ9割がた片付いた。後の祭りの昼間ビールがまた美味い。
2017年4月30日(日) 晴れ
ゆっくり起床。
疲れと酒が残る朝をゆっくりと起きる。納戸に泊ってくれた山ア師も起きて、シャワーを浴びてさっぱりとしてから本堂でお勤めと法螺を立ててくれる。朝食後また話をする。大峯で再会しようと約束して、9時半に新潟に向け出発する。こんなに遠くまで走ってきてくれた彼には、いくら礼を述べても足りないくらいだ。午後3時ごろ新潟に無事着いたと夕方電話がある。今日は片づけもほどほどに体を休めながら、ぼーっとする。4月が終わる。
2017年4月29日(土) 晴れ
不動尊祭典。
山ア師、朝8時少し前に到着する。「八日市」の人たちやテキヤがもう忙しく準備を始めていたので、山崎師には「少し休んでください」といったが、初めてのこの寺と祭典に彼も心躍ったようで、すぐに、何か手伝いたいという。先ず本堂を案内し、お不動様にお会いいただく。檀家の方々も集合時間より早く集まり、幟立てや柴燈護摩の道場の結界の竹などを調達にそれぞれ手際よく動いてくれる。先ずは天候がよかったことが一番。雨さえなければ、それで十分。10時半頃にはお手伝いをお願いした方々来山。道場で振り分けた役に付いて説明したり、予行練習していただいたり。今年は東海師も何とか都合がついたようで張り切っていてくれる。今朝の新聞に春の叙勲の記事が載っていて、不動寺の叔母が受賞したことを知る。「朝から電話対応で遅くなった」と叔父叔母が来山。11時から打合せと昼食。皆さん美味しい酒を持ってきてくれる。12時半から本堂での護摩とお加持。不動寺の叔父の導師も20年になる。玄法院の太鼓と山ア師出羽修験の法螺がとてもよくマッチする。午後1時半過ぎから柴燈護摩。毎年午後強風なので少しでも収まってくれることだけを願うのだが、たいてい裏切られる。でも今年は点火後に風が弱まり、いつもの年より風を心配することなくいい護摩になった。あっという間に長い時間準備した祭りも終わってしまう。直会の酒席を僧侶方と語らいながら楽しむ。山ア師が泊ってゆくので、できるだけ他の方にもゆっくりしていってほしいと無理を言う。檀家の手伝いの皆さんの労もねぎらう。60代に突入して初めての祭典も無事終える。できるだけがんばってやっていきたいとは思うが、解決しなければならないこととはしっかりと向き合わなくてはならない。遅くまで居てくれた、東海師、永啓夫婦にも感謝。山ア師とは遅くまで飲み語らう。
2017年4月28日(金) 晴れ
祭り前日。
28日で朝護摩を焚き、祭典のお札のお加持もする。明日も晴れで、天気に関しては全く心配はなさそうでありがたいこと。護摩を焚き、護摩壇の片づけと仏器洗い、併せて本堂の掃除をする。本堂も祭典用に少し変更。午後から柴燈護摩道場の壇をを完成させる。甲府から3年ほど来てくれているYさん母子がお札を頼みに来てくれる。明日もまた来るという。いい日になってくれるとうれしい。夕のお勤めを済ませ、頭を刈ってシャワーを浴びてやっと一息ついたところ。もうあとは明日の本番を待つのみである。新潟の山ア師も今夜出発してくれるのである。60歳になった初のお祭りになる。
2017年4月27日(木) くもり
祭典準備。
いよいよ明後日ということになる。待ち遠しくて、当日の来てしまうのがもったいないような気分になる。トイレ改修工事の代金を振り込みに銀行に行く。振込手数料はいくらになりますかと訊くと、応対してくれた女性行員が「560万です」といったので、僕が「560万ね」と復唱すると、隣りの窓口の男性行員と3人で笑ってしまった。こういううっかりは悪気がなくて笑えるが、更迭された復興大臣の発言は、金正恩と同格で恥ずかしさこの上ない。
朝裏山の天皇社にシメを張りにゆく。今年は少し春が遅れた分だけ草の伸びも遅いようだ。桧葉を護摩壇に掛ける作業と、太い枝から葉の分だけを残す作業をする。太い枝はすべて片付けたので、明日はこれらを使って最後の仕上げとなる。一日曇り日。まだ雨は降ってこない。
2017年4月26日(水) くもり
相変わらず風強し。
風が強すぎて参ってしまう。午前中柴燈護摩の壇に桧葉を少し覆う。午後雨が降るかもしれないと予測していたが夕方になるまで風は強いが降っては来ない。ブルーシートを外してそのままにしてある。Yahooの天気予報を見ると、深夜に弱い雨とあり、明日の午後から夕方にかけて弱い雨とある。シートで被わなくてもよさそうだ。幾分湿り気を帯びているくらいがいい。金曜からは晴れマークになっている。28日に焚く護摩の準備をし、頼まれている御札を本堂に運ぶ。庫裏の便所改修工事とそれに付帯する工事がすべて終わりになる。当初の見積もりをはるかに上回ってしまった。業者の社長曰く、「一度やっておけば今後もう必要ないですから」という言葉は、結構グサッとくるよな。
2017年4月25日(火) 晴れ
午後風強く吹く。これではたまらん。
午前中草刈りしながら墓地の参道も刈る。墓地も草が伸びはじめている。今日は一日風強し。こんなに荒れたら柴燈護摩もちょっと危ないような気がする。午後4時ごろに森林組合で働く人たち3人がそれぞれ軽トラに桧の葉を積んできてくれた。護摩壇の周りに置いていって貰う。森林組合のMさんにもお礼の電話を入れる。この方式で毎年やってもらえるのならそれに越したことはなく、こちらも一番助かる。十分な量がある。ただ今日のような強風ではあまり大きくすると危ないような気もするが。明日明後日が少し天候が崩れるかもしれない予報なのでそれの影響かもしれないが、桧葉を好天の下にさらすよりは、雨模様のようなところに置いて金曜に壇を作るには好都合かもしれない。
2017年4月24日(月) 晴れ
祭り準備。
二人でそれぞれにお祭りの準備が忙しい。掃除機をかけたり、窓ガラスを拭いたり、ガラスを吹いたり、メダカの世話をしたり、シャガの花を眺めに行ったり、焼却場へゴミを搬入したり、酒やお茶類を買出しに出かけたり、テーブルを並べたり、御札を順番に並べたり。
新潟から来てくれる山ア師からは、「凄そうな先生方ばかりのようで新客の私なんか.....」などとメールが来るが、「寺の主の僕が一番いい加減な人間だから大丈夫」と返しておく。一年に一度のことだけど、もう土曜が来ればその日一日だけで終わってしまうのだから、いまこうして忙しく準備をしている時間が、イヤでイヤで仕方がないけど、もしかしたらこの時間を身をよじらせながら苦しそうに楽しんでいるということかもしれない。お尻が洗えないトイレは困るというあの方からも午後メールが届いておりました。
2017年4月23日(日) 晴れ
祭典準備。
朝8時半から檀家の人たちに手伝ってもらい、幟立て、テント張り、本堂の掃除などしてもらう。地区の人たちも「八日市」のテント張りや幟などを立てる。直近の日曜ということで、当日は土曜なのでまだ数日あるが参道はすっかり祭りの色になった。あとは好天を祈るのみ。午後大里のメダカ屋に行って20匹ほど仕入れた。帰ってきてから客殿と庫裏の障子や襖を外す。庫裏の便所の回収も仕上がる。お尻にやさしい快適なウォシュレットトイレになった。あの人が使いたくなった時もきっと優しく洗ってくれると思う。
2017年4月22日(土) 晴れ
祭り準備。
朝歩く。本堂の回廊の掃除をする。桜の花びらが散ってしまったのでそれはそれでいいのだが、風が強くて細かなものがいっぱい飛んでくる。柴燈護摩の壇の下地だけ作ってしまう。来週前半に森林組合で桧を持ってきてくれることになっている。今年も森林組合にお願いできてよかった。来年もぜひそう願いたい。納戸女房に片づけてもらいきれいになった。父の改良服なんかも出てきたが、仕付け糸が付いたままで買って一度も袖を通していないもの。僕には大きすぎるので、東海さんなんかどうだろうか。
2017年4月21日(金) 晴れ
草刈りなど。
民俗資料館の草刈り、畑の草刈りする。納戸を女房が整理して、不要の布団など午後衛生組合へ処分しに行く。東海師もお祭りに来てくれる確定が出たので、行藏院ご住職に頼みごと連絡する。気温上がるも午後風強し。
シャガ、シラン花開きはじめる。
2017年4月20日(木) 晴れ
赤沢に泊まる。
昨日、今年3月で完全に勤めを辞めた内藤君と午後2時にセルバで待ち合わせて、去年の秋にゲストハウスとして新たに営業を始めた、かつての身延山信仰の講中宿「大阪屋」にゆく。ゆっくりと酒を飲みながらひと晩過ごそうと。管理人夫妻の熊谷さんは北九州からこちらに越してきた人で、元大工さん。使われなくなって久しい建物を修理し、オープン後は管理人として宿で生活している。利用者の9割近くが外国人の旅行者だという。彼らのネットワークはこんな田舎の宿のことまであっという間に広がっているのだから不思議というか凄い。午後3時について早速飲み始める。僕ら以外にこの日は客もなく、夫妻も交えて飲んだ。今日は韓国からのお客さんがあるとのこと。赤沢には遅咲きのしだれ桜が淡く春を咲いていた。
2017年4月18日(火) 晴れ
気温上がる。
一日Tシャツのままでよい。朝までたっぷりと雨が降った。昨日の除草剤散布は凶と出てしまうかもしれないがまた撒けばいい。初夏のような陽気で風も気持ちがよかった。新潟の山ア師より、こちらに来るための予定が送られてきたこともあり、当日の配役や次第も手直しして考えたりした。庫裏の便所改修工事は、30年以上前の電気の配線でトラブルがあり幾分気を揉むような状況であるが、29日までには仕上げてくれるという。吉田秋生『海街diary』8巻が発売になり早速買って読む。やっぱおもしろいなぁ。
2017年4月17日(月) くもり/雨
除草剤撒く。
どうしようかと迷ったが、結局朝除草剤を散布する。参道の両脇の畑の際と、民俗資料館のぐるっと一周など。液剤がなくなったので補充でコメリに買いに行く。昼近くになり、午後には雨が降ってくることが予想されたのでここらでやめて後日続きをすることにする。海老原君夫妻墓参に来る。19日に友人と大阪屋に行くと話す。2時過ぎくらいから雨降りだし、夕方の今けっこうざんざんといい降りになっている。材料を買ってきてお札入れを自作する。工作など苦手なので、できあがりはへたくそこの上ないが何とか形になり、玄法院、上求寺のお札など入れて庫裏の高いところに付ける。
2017年4月15日(土) 晴れ
月組星組。
原小学校が閉校してから初めてその前を今朝歩いて来た。雨があったりと割と天候不順だったので、歩かなかった。土曜の朝なので人のいないのは当たり前だが、外から見える職員室の中も空っぽのようだった。川口市に住む僕よりも大分先輩は、いつかの年賀状に、「狼煙に名ある烏森」の歌詞の校歌がなくなるのは寂しいと書いてよこしたが、この人は学校の後ろにそびえる烏森山のその頂上の後ろの集落から山道を学校まで通っていた。まさに「うしろやま」という小字のところから。今そこは2年前から誰も住まなくなってしまったし、その山道を生活のために使うなんてことはもう何十年も前からない。僕は小学校4年からこの小学校へ転校して通った。それまでは母の実家の近くの借家に暮らしていた。原小学校に来て恥ずかしかったことがある。小さな学校で4年は2クラスあったが、1組2組ではなく、月組星組にクラス分けされていて、それを言葉にするのが何故かとても恥ずかしかった。宝塚なんて当然知らないわけで、多分幼稚園の続きのような分け方で嫌だったのだと思う。僕らの2クラスがこの学校の最後の2学級で、以後はクラス分けになるだけの児童数がなかった。僕らの数も45人くらいだったと思うが。そんなことをあれこれ思い出したりしながら今朝は1時間ほど歩いてきた。3階の校舎の壁に取り付けられている大きな丸時計だけは、歴史の終わりに関係なく時を刻みつけていた。
2017年4月13日(木) 晴れ
今日もいい天気。
隣りの民俗資料館へ女房と朝掃除に行く。畑の草もやっぱり緑が濃くなり伸びてきた。午後墓地へ、ノビルと蕗の若いところを摘みに行ってきた。新潟の山ア師から折り返し、こんな遠くにまででも「日帰りもへっちゃらですよ」などというメールが入った。なので、特別な歓待もできないけれど、来てくれるのなら来てほしいと返信した。大峯を何度か共にした東北育ちの若い修験者が来てくれることをもう十分に期待してしまっている僕がいる。夕方、痔の手術で入院していた方から、無事退院して帰ってきたとのメールが入った。退院を祝う酒を今夜飲まなければいかんと思う。
2017年4月12日(水) 晴れ
いい天気になる、。
メダカの入っている水ガメを掃除する。12匹冬を越えた。雄雌がちゃんと残っていてくれれば、今日のような陽気が続けば今月末ぐらいから産卵が望める。そんなことやっているところへ内藤君が護摩札を頼みに来てくれる。来週赤沢の大阪屋へ泊りに行くことにした。雨が止んでいい天気になったので、何人か境内を訪れる人もいた。富士ヶ嶺の遠藤さん、塔婆を持ちに来てくれる。先週水に浸けたハスの種、緑の芽がのぞいてきた。午後客殿の網戸を入れて、その後結局家じゅうのすべての網戸を入れてしまう。
2017年4月11日(火) 雨
ザンザン降り。
今日と明日獣除け柵の門扉の開閉当番。5時過ぎに開けに行こうとして外に出るともう雨が降りはじめていた。せっかく少し歩こうかと思っていたが傘をさして開けにだけ行く。やがて本格的な降りになる。テレビの予報で言っていた通り一日中ざんざん降りの天気となり、寒い寒い日になる。ひとつだけ残してあるストーブへも灯油を注ぎ足す。庫裏の便所改修工事は今日便器の取付けが終わる。去年の北海道の台風禍でジャガイモの収穫が大激減したため国産ジャガイモにこだわったポテトチップスが販売中止になり店頭から消えたとの報道がある。こういう噂を聞くと普段食べてなくても買いに走りたくなるのが庶民だ。女房も「娘に頼まれたから」と雨の中を出掛けると、結局「たくさんあったよ」とテンション下がり気味で帰ってきた。新潟の山ア師より近況を知らせるメールあり。仕事の都合上今年の大峯、奥掛けとも現段階では微妙とのこと。皆それぞれ精いっぱい頑張っているのだ。浅田真央現役引退発表。
2017年4月10日(月) 晴れ/くもり
花見。
お昼をまわったころにDさんご夫妻「花見をさせてください」と訪ねてくる。この頃はまだ風がなかったが、午後になって少しずつ風が吹きはじめ天候も悪くなってくる。僕はお札書きなどしていたが、お二人は寒いのにもめげずにシートを広げて2時間半ほどいたであろうか。帰りに「住職とも飲もうと思っていたが」とお酒を1本置いていってくれた。桜はいま満開である。明日はまた雨の予報だ。今年の東京への棚経の予定を決めたので宿を予約した。7月のちょうど3連休となるカレンダーだったので、いくつか見たがもう土曜の予約がいっぱいになっているところもあり、残り2部屋というところで予約をした。のんびりしていると予約が取れないところだったかもしれない。東海師から新しい職場での様子を知らせるメールが届いた。激務のようである。お祭りに来られるとうれしいのだけど。
2017年4月7日(金) くもり
時々雨が降ったが風おだやかに気温上がる。
もう冬の作務衣では暑くなってきた。昨日の夕方から池でカエルの鳴き声が聞こえ始め、今日は一層ヒキガエルの鳴き声が激しくなってきた。営みの季節である。毎年のことではあるがこのグロテスクな生き物をこれからしばらくあちこちで目にすることになる。夕のお勤めに行くとき、池の端でひっくり返って死んでいるヒキガエルを見つけた。時々やってくるサギにでも食いちぎられたのだろうか、頭の中を食われていたよう。仕方がないので穴を掘って埋めた。早いが松明一対作る。本堂にはカメムシが歩き回っている。これも厄介な、ありがた迷惑な生き物である。
2017年4月6日(木) 晴れ
知ろうとしない人には本当のことはわからないということかもしれない。
朝ドラ「ひよっこ」の終わりに、東京での出稼ぎから、稲刈りに一時帰省した主人公の父親が、荷物を置いて畑に真っ先に向い土を手に取り、「茨城の土だぁ」と感慨深げに語る場面があった。昨日、今村復興大臣が会見場で、執拗に食い下がる記者に激昂する映像が流れた。震災から6年が経過し、避難区域解除が進んでいる。帰る人もあれば、帰れない(帰らない)人もまたある。先祖から受け継いできた故郷の土が、土壌汚染されてしまっていたら、もう手に取ってすくいあげることもできないということだろうし。時間を巻き戻すことはできないが、地震だけで原発事故さえなければ、土壌や大気や海域が汚染されるという惨事には至らなかったってことだ。
加川良が亡くなった。昨日の夕方Yahooニュースで知ったので、このフォーク歌手のために一献の酒を捧げた。高田渡の歌を愛していたこの人の「下宿屋」のなかには、「たぶん僕は死ぬまで彼になりきれないでしょうから・・・・」というくだりがあるが、これで一足先に向こうに行っている渡と同じ世界で、また渡の歌の世界に遊ぶのかもしれない。痔の手術をした方から朝メールが届いていた。排便の始まった様子も伝えてくれていた。快癒をお不動様に祈願している。
朝から大風の一日になる。午後には曇りはじめやがて雨を連れてきた。お札書き。市川の丸井紙店へ注文の品を受取りに行く。鰍沢の大法師公園の桜まだまだ。
2017年4月5日(水) 晴れ
祭典準備。.
午前中お札書き。今日から庫裏の便所の改修工事始まる。天気はいいが風が午後から強くなる。柴燈護摩の松明用の竹を取る。新学期が始まったようだが、もう寺の前を通学する小学生の姿はない。容赦なく物事に切を付けてしまうのが今の世の習いではある。去年手に入れた蓮の種を水に浸ける。硬い殻を破らないと発芽しないということで、尻のところをやすりで削ったりしながら穴をあけるのが少し大変。2週間ほどで発芽するというが、さてどうなるか。
2017年4月4日(火) 晴れ
祭典準備。
祈願札作りを始める。甲斐百八霊場の札番と寺名のゴム印を朱で押し、申し込みの願い事などを書くお札作りを始める。尺五寸の大札は板も手書きで、祭典で10数枚出る。今日も南アルプス市からここ2年ほどお札を頼んでくる若い女性がお母さんを伴ってお札を頼みに来てくれた。若い人たちがこういうものを繋いでいってくれるとお寺はとても助かるが、年々お札を頼まれる枚数は減ってはきている。午後から少し強い風が吹き続ける。昨日も今日もじっくりと中でお祭りの準備。仕事を終えて夕のお勤めをし、手の爪を切り頭を刈りさっぱりとした。
2017年4月3日(月) 晴れ
祭典準備。
一日シメを切ったり、幣をこしらえたり、柴燈護摩用の小木を整えたりする。護摩札の申込も少しずつ来ているのがありがたい。これでお札書きが始められる。今日も暖かくなり、桜昨日よりもまた良くなる。
2017年4月2日(日) くもり/晴れ
やっと陽射しある。
数日振りに陽射しがあり気温も上がったので、ソメイヨシノも花が開きはじめた。来週からお札書きも始めようと思うが、なかなかそこに意識が集中できないってのが本音だ。
痔の手術をした人からメールが来たが、手術は眠っている間に済んでしまったらしいが、お尻のことなので、排便という避けることのできないこともあり、術後っていうのが一番肝心なんだそうです。やったことが無いからよくわからないけど、術後の最初のその時ってのは不安なんだろうな、と思う。
2017年3月31日(金) 雨
天気が毎日に変わる。 ここの所毎日天候がコロコロ変わり、気温の変化が一番体にこたえる。午前中に降りはじめ一日寒い寒い日。朝意を決して、甲府建材商会へ結界用の縄を買いに行く。この細縄近くの店では売っていない。今日が年度末の31日。定年まで勤めていたら今日が退職の日となったのだから、この5年は貴重で儲けもんで、人生の中でも重要な5年だったかもしれない。去年定年を迎え今年度一年そのまま職場に残った内藤氏を昼休みウィスキーをもって訪ねた。来客中でゆっくり話すこともできなかったがでもよかった。
2017年3月30日(木) 晴れ
カレンダーをめくる。 午後病院を定期受診。明日まで3月はあるが帰ってきてカレンダーをめくってしまう。お祭りの案内状を郵送し、檀家への通知も歩いて配る。もう3月にやらなければならないようなものはない。ソメイヨシノはまだ蕾が開かない。来週から庫裏の女性用トイレを和式から様式のウォシュレット便器に替えるのと、外の貯水タンクを使わずに直接水道水を引き込む改修工事を始める。この寺に僕ができるだけのことはしておきたいと思う。お祭りでも無事に終えたら、HPに後継住職を求める告知もしたいと考えている。簡単にはいかないことだと承知しているが、いくつかでも反響があればありがたいものだと考えている。60になった新年度に、僕なりのここでのまとめをはじめたいと思っている。
2017年3月28日(火) 晴れ
例月護摩厳修。 今日も朝やっぱり寒い。午後例月護摩。上野原からWさんお参りに見える。今年になってからお不動さんを訪れている方で、先月留守をした28日にも来てくれていたので、もしかしたら来るかなぁと思っていたら、やはりお母さんを伴ってきてくれた。添え護摩木を入れてもらい、宝前でのお参りもしてもらう。この方も、知り合いの方にこの寺に行ってみたらと勧められたのだとのこと。来月の不動尊祭典の案内もする。それから静岡の方で、不動尊巡礼をしているという方が護摩の終わりごろに参ってくれて参座してもらう。この方はご朱印も求めていかれたが、朱印帳だけではなく軸も持参していて、初めて軸にも書かせてもらいいい経験になった。
2017年3月26日(日) 雨
玄法院祭典。 深夜から雨。朝になっても雨。高いところは雪かもしれない。春の雨はあたたかいともいうが、今日の雨は冷たくしみじみと寒い。東海さんにメールを書く。ポンチョや笠も持って9時少し前に家を出る。車の暖房がほんとに気持ちいい。玄法院に着くとご住職と太志さんが護摩道場に居る。獅子座はビニールで覆われている。あいにくの天候。祭りを主催する寺にとってはこういう日が一番切ない。でも少しずつ雨が小降りになってきて始まる11時ごろには、合羽は必要ないくらいの雨になっていた。今日は進行役を勤める。雨でも大勢の参詣者があり心強い。無事に終了。お昼を御馳走になって帰ってきた。帰ってきて荷物を片付けたりしていると、佐藤さん一家がお参り来る。先月お嬢さんの高校受験合格祈願をしてゆき、お礼参りに来てくれたのだ。遠くからこんな悪い天候の中を来てくれてこちらはとてもうれしいし、お不動さんを強く強く感じる。不動尊祭典に来ることも予定に入ってますとも話していってくれる。
2017年3月25日(土) 晴れ
夕方風強し。 明日は天候が崩れそう。玄法院のお祭りなんとか降らない中でやりたいもの。正月から待っていた女房の新車がやっと今日納車になった。特別人気車ということでもないが、こんなに長く待たなければならんもんだとは思わなかった。しばらくは娘が通勤に使って慣らし運転をするという。息子も夕べ帰り、今日タイヤ交換をしてもらい3時頃戻っていった。車だと日用品もたくさん積んで帰れるようだ。午後新菱冷熱の社員だという方お見えになり、本堂でお参りしてゆく。
2017年3月24日(金) 晴れ
開花。 エドヒガンザクラも数枚花が開いたので、わが寺も開花宣言。夕方になって少し風が出てきて肌寒さを感じる。畑を掘り起こし、生ごみのコンポストも移動する。12時に女房と、飯富の知り合いのお母さんの葬儀に行く。金岡君と一緒になる。もう一年になるなぁと、彼のお母さんが亡くなった4月のことを話す。
2017年3月22日(水) 晴れ
文化財保護審議会。 朝9時半から町の文化財保護審議会があり行ってくる。午前中は「旧市川家住宅」の屋根の葺き替え工事の視察と、本遠寺銅鐘の視察、望月会長宅で育てているミノブザクラの幼木の視察。歴史的に価値のある住宅の保存ということではあるが、初めの指定が茅葺であることから、屋根は茅葺以外には認めないとのことらしく、10数年に一度は葺き替えないと劣化してしまうという。当然もうだれも住んでいないわけで、日常生活の中で囲炉裏を焚いて自然に建物の中を燻して、茅葺屋根の維持にも効果があったというところもできない。こういうところに莫大な金がかかるというところはやはりこの時代積極的には賛成しかねる。下部地区公民館で昼食後に審議会。午後3時終了。昨日と打って変わり午後は風もやみいい天気。帰ってきた時にも参詣者がいた。話を聞くと、大月から蔦木さんらもお参りに来たとのこと。
2017年3月21日(火) 雨
春の雨。 気温が上昇したり、今日のように雨で肌寒さを感じたり。足踏みしながら春になってゆく。東京で桜の開花宣言。うちももう一日二日でエドヒガンが開きそう。墓参もなく一日静か。映画やドラマの溜めてあったのを見る。渡瀬恒彦が亡くなって、追悼するサスペンスが何本か続いて放映されている。この人のサスペンスドラマがとても好きだった。いい役者が相次いで亡くなる。
2017年3月19日(日) 晴れ
秋葉尊祭典。 市川三郷町、西光寺の秋葉尊祭典に出仕する。今年で27回目。おそらく僕はもう20回を超えたのだと思う。先代から「お前が今年から行け」といわれた年は、朝から土砂降りで結局柴燈護摩は取りやめになった。次の年からは今日まで取りやめになることはなく続いている。行藏院、瀧本院のお二人に助法してもらい、今年もいいお祭りになった。柴燈護摩ができることが僕らにとっては一番の嬉しい事なので、この曹洞宗の寺の火伏の秋葉三尺坊大権現のお祭りにはとても感謝をしているのである。今日は午後3時に、中部横断道の増穂インターから六郷インターまでの区間が開通したので、ちょうど開通から1時間後早速そこを走って帰ってきた。10分か15分くらいなもので、3つのトンネルがあり、空の下を走る距離はほとんどない。トンネルと橋というのが中部横断道の山梨の区間らしいが、こんなに距離の短い区間だけでもそのことが如実にあらわれている。さあ、来週の日曜は甲府:玄法院の大祭である。
2017年3月18日(土) 晴れ
観音祭典。 八田山長谷寺の春の観音さんの祭典にお招きいただいた。ここのお祭りのメインは、本土での大般若600巻の転読。普段やったことが無いが、何回か呼ばれるうちに少しずつできるようにはなってきたが、今日も何度かおまくパラパラと落とせなくてつまづく。今朝はちょっと寒かったが、本堂まで稚児行列があるがその時間は風も凪いで、陽射しを背に感じることができてよかった。智山の僧侶の中に醍醐一人ではあるが、こういう機会を大切にしたいと思う。出店でたこ焼きを買って帰ってきた。今朝も甲府からの墓参ある。檀家から赤飯やおはぎをいただく。
2017年3月17日(金) 晴れ
彼岸の入り。 境内の紅梅はもう盛りを過ぎたが、早咲きの桜が咲きはじめている。日当たりのよい道沿いにはスミレが小さな花を見せ始めた。春の彼岸の入り。風はあったがほぼ一日好い天気。朝、寺墓地、無縁墓、頼まれた塔婆などを持ち墓参する。フキノトウも少し大きくなった。午後墓地に行ってみると、花の活けられている墓がいくつかあった。裏山を歩いて小学校の方に行く。今度の日曜が閉校式。ポールに校旗が翻っていた。僕は前の校舎だったが、子供たちはまさに今の校舎で小学校6年間を過ごしてきた。4月からもう集落道を列をなす小学生の姿は見られなくなる。一層静かな集落になってゆくのかもしれない。なんというかな、みんなでおしまいにしていかなければならなくなる時代がやってくるような。
2017年3月16日(木) 晴れ
舌(ぜつ)という。 昨日裏山で落とした持鈴の内側の錘のようなもの。これを何というのか探ってみたら、あった。鐘や風鈴などの中についているおもりのことでを「舌(ぜつ)」というそうだ。これで一つ知識が増えた。で、昨日失くした舌の代わりになりそうなものはないかと、釘やネジの入っている木箱の中をさがしたら、ネジ穴の開いた蝶番が出てきたので、ワイヤーカッターで小さく切って、鈴の中に残っていた針金状のものに付けて何とか音が出るようになった。それでまた裏山を歩いてくる。陽射しのあるうちはいいが、陽が陰ると冷気が沁みる。客殿の絨毯を片付ける。西光寺の祭典に使う幣を野竹に付けてこしらえる。
2017年3月15日(水) くもり
周りの山は雪化粧。 夕べの雨が高いところでは雪になったようで、朝起きて外に出ると周りの山はすっかり白くなっていてびっくりした。少し陽射しもあったが一日薄日で、風も吹き寒い一日。午前中、ゴム印を頼んだ原田さんの店と、木札を頼んだ市川の丸井紙店に品物を受取りに行く。こういう店が近くにあるのは寺としてはありがたい。昼食後裏山を歩く。持鈴を付けて山を歩いているのだが、下り道を走るときがあって、今日も音がしないなと気付いた時には、鈴の内側に付けてある錘が外れてどこかに落ちてしまっていた。山道をさがしながら往復したのだが、当然そんな小さなものはおびただしい落ち葉の道で見つかるわけもなく諦めた。
2017年3月13日(月) 晴れ
雑感。 祭典の案内状、檀家への通知を封筒詰めする。午後、明日天候が悪くなりそうなので護摩木を割ったりする。
昨日午後、関西のある30代の女性から突然電話がかかってきて、その方の苦悩する話を30分くらい聞き、それに意見を求められる。ネット空間を泳ぎながらあちこちのお寺に電話をしているのかもしれない。難しそうでうまいこと書けないが、話を聞くくらいのことには寄り添ってやらなければいけないのかもしれない。
今年の冬はうちは誰も風邪をひくことがなく過ごせた。僕はインフルエンザの予防接種は一度もしたことはなく、妻と娘は毎年しているが寝込むということがなく過ごせたのはいいこと。
2017年3月11日(土) 晴れ
午後になって風冷たい。 東日本大震災から6年の日。犠牲になった方たちは七回忌になる。本山の機関誌にもきょう午後2時46分になったら追悼の鐘を撞いたり、般若心経をあげたりするようにとあった。本堂で2時半前から経をあげ、時間少し前に鐘楼で待っていると役場の広報無線が黙とうを促す放送を始めた。鐘を撞く、法螺を立てて追悼する。まだ2500人以上が行方不明のままと聞く。海の深いところに眠っているのかもしれない。朝ウォーキングし、その後墓地の掃除をする。風で落ちたたくさんの杉の葉を片付けて燃す。来週は春の彼岸だ。
2017年3月10日(金) 晴れ
外で作業。 ほぼ一日外に出る。午前中墓地の掃除。お墓の花瓶にある枯れた花なども片付ける。裏山に行き、柴燈護摩の壇木に使えるような立ち枯れの太い木などを担いだり、ロープで引いたりして下し、毎年使っている長さに切っていく。もうこんなことを20年はやっている。できるだけ護摩の木も自前で、山からとってきて使えばそこに大聖寺の山の神は、柴燈護摩にも大きな力を与えてくれるのだと勝手に思っている。4時過ぎまで続ける。今年の分は十分に用意できた。来週西光寺で使う御幣用の野竹も取ってくる。午後は暖かく風も強くは吹かず気持ちの良い外での日を過ごせた。今日は息子の31歳の誕生日である。
2017年3月9日(木) 晴れ
ウグイスの声を聴く。 森林組合に電話をいれ、今年もお祭りのための桧葉を都合つけてくれないかと頼むと、何とかしましょうと言ってくれた。助かる。これで今年の柴燈護摩はなんとかできそう。朝、今年初めてウグイスの鳴き声を聞く。朝の冷たい空気の中に突き刺さるような高い声が、裏山のあちこちに移動する。それでもいいなぁと感じる春の声だ。紅梅の古木も花が開きはじめた。花の付きは年々寂しいものになってきてはいるが。サンシュユの黄も春を感じさせる。
2017年3月8日(水) 晴れ
今朝は寒かった。 寒くて目が覚めるというのは久しぶりで、ここのところ春らしくなってきていたので、今朝の冷え込みには参った。柴燈護摩の時に来てくれた方に配るために、無地の添え護摩木1000本をオークションで買う。お世話になっていた会社の方が家庭の事情で急に退職することになったと挨拶に見えた。女房、石和温泉で泊りでいとこ会があり午後出かける。10人ほど集まるとのこと。
2017年3月6日(月) くもり
寒い一日。 今日はまったく陽が出ず、寒い寒い一日になる。昨日のお祭りは暖かくてよかった。秋山さんプリンターの調子が悪く、うちに印刷に来る。茶飲み話などして帰る。一日録りためた映画など見て過ごす。
2017年3月5日(日) 晴れ
不動寺祭典。 不動寺のお祭りも今回が30回目。僕は皆勤賞で、気が付いたら60歳になっている。叔父は55で発願して祭りを始めたのである。貴永さんがほかの用事で来られなかったため、行藏院ご住職に来て手伝ってもらう。法螺もよく鳴った。風も穏やかで最高の祭り日和で、本堂での護摩も盛大に。終わってから従兄たちと話しながら飲む。赤井の兄には、7月の盆におばさんに会いに伺いたいと話すと、快く受け入れてくれた。叔父の願文や法話は毎度感銘を受ける。こういう人が近くにいて目標となる。
2017年3月4日(土) 晴れ
拝観者あり。 事前に連絡いただいていた横浜からの来山者あり。本尊を開帳する。御朱印も。春になりあたたかくなってきたので、ぽつぽつと霊場巡りの人などがある。お昼過ぎ従兄の敬さん来るということで、切石の高速バスの停留所まで迎えに行く。4分遅れで到着。あたたかい日。セルバで駅弁祭りの「かき、あなご弁当」を買ってきて二人で食べる。夕べ開けた上求寺で貰った葡萄酒をすすめる。とてもうまかったので従兄にも勧めたのだが、気に入ってくれてほぼ飲んでしまう。1時間ほどいて飯富の親戚まで送る。明日また不動寺の祭典で会う。今夜は大学の後輩と甲府で会うということ。
2017年3月3日(金) 晴れ
あたたかい。 今日は陽射しがたっぷりとあった。午前中彼岸の塔婆を書く。午後裏山に行く。昨日雨が降ったので、いつもならカラカラに乾いた落ち葉の上を歩くのがたいへんだが、今日は雨に濡れて沈んでくれていたおかげで歩きやすかった。陽射しを直接受けるととてもあたたかく感じることができた。
2017年3月2日(木) 雨
冷たく寒い一日。 昼前から雨になり寒い一日になった。少しあたたかくなったと着ているものを一枚薄くしたりするとこういう日は寒さに震える。かまやつひろしが亡くなる。結構芸能人の訃報を聞くことも多くなってきた。これって自分の年齢も上がっていくのでそういうことに耳ざとくなっていることなのだろうか。
2017年3月1日(水) 晴れ/くもり
書類未提出法人への通知。 県から宗務所に「書類未提出法人への提出指導及び過料事件通知について」という文書が届いた。簡単にいえば毎年提出が義務付けられている宗教法人の「事務所備付書類」が提出されていないところがあるという通知で、醍醐派の所下寺院3か寺が該当していた。ただ今回は初めて、期限までに提出がなければ、宗教法人法の規定により地方裁判所へ「過料事件」として通知し、過料金額は最高で10万円となるというものである。脅しの類なのだろうかよくわからないが、提出を強く促してほしいということのようだ。僕は毎年4月になれば提出している。責任役員、総代に変更がなければ、内容は毎年同じものをそのまま出しているだけである。だからそんなに難しい事でもないと思うが、出していないとこがあるんだなぁ。またこの連絡もしなけりゃならんのだな。こういうことはほんとにめんどくさいのである。いま二人に人電話したところであるが。今日から3月。年度末も俺にはあまり関係ねぇな。
2017年2月28日(火) 晴れ
上求寺祭典。 朝7時過ぎに家を出る。通勤時間帯にちょうどぶつかり、1時間半かかって着く。牧丘は昨夜雪が降ったとのこと。参座してくれる行藏院、玄法院ご住職も9時過ぎに来てくれる。10過ぎに出立。いつものように途中で車を降り、大滝のお堂まで沢沿いに林の中を登る。20分ほどで到着。4人で準備をする。寒い。ここは電気もない。貴永さん願文をあげ、不動護摩一座修す。鼻水が途中流れそうになり鼻をかむ。一年に一度この極寒のお堂の中で護摩を焚く。上求寺も果てしなく続いていってほしいと本当に強く思う。あぁ今年もこのかけがえのない、同じ志を持った大徳方と一年を始めることができたなぁとしみじみと思う。よい人たちと出会えたものである。東海師が都合により来られなかったのが残念。玄法院ご住職より3月最終日曜日の祭典案内をいただく。今月は4度の護摩を焚いた。3月は祭り三昧の月になる。
2017年2月27日(月) くもり
午後裏庭掃除する。 午前中本堂と護摩壇の掃除。きれいになった。昼過ぎからは曇り。昼飯の後裏山を歩いて(鹿を見た)、帰ってきてから客殿裏の庭の掃除をする。風が何度も吹いたので、杉の葉がいっぱいだ。護摩の炉の火をつける仕込にも使うし、柴燈の護摩壇の仕込にもたくさん使っている。はじめるとなかなか止められなくなる。貴永さんからメールが届く。大滝のお堂の前は雪が残っている。長靴できたほうがいいとのことだった。
2017年2月26日(日) 晴れ
例月の護摩を焚く。 2日早いが、28日上求寺に行くので例月の護摩を焚く。日曜なので、誰か参拝に来るかもしれないと思ったので。ここの所毎月最終の土曜か日曜に、都留の佐藤さん一家がお参りにやってきていた。午後1時から始めると、20分ほどのちに佐藤さん家族がお参りに来た。女房が案内して内陣に入って座っていただいた。お嬢さんが高校受験ということで特にお願いをしていった。一壇護摩が続いていたので今日は全編通しで。終わって片づけをはじめ、炉の残り火を片付けていたところへ甲府のBさん夫妻がやってきた。せっかくなので内陣でお参りしていただく。少しずつ春が感じられるようになってきて、昨日も今日も、百八霊場周りの御朱印を望む方が来た。いい季節になってきた。あとは28日大滝不動のお堂でいい護摩を焚くことのみ。
2017年2月23日(木) 雨/晴れ
午後には暑くなる。 午前中いっぱい雨。西光寺の柴燈護摩に使う幣やシメを作る。しばらくぶりにBRYAN FERRYを聴いた。雨が止んでからはとてもいい天気になり、外は気温が上昇する。電話が鳴ったのでとると秋山さんが訪ねてきた。外で20分ほど話してゆく。福寿草の花を見てもらった。
2017年2月22日(水) 晴れ
還暦のお祝い。 朝裏山を歩く。春の嵐が吹いた後の山の中で、枯れた赤松の大木の幹が裂けるように折れて倒れ、隣りの山桜も巻き添えを食って倒れていた。今日はお昼を女房の3人の姉兄たちが招待してくれて御馳走してくれた。昼から美味い酒と美味い食い物を腹いっぱいに楽しんだ。増穂インターが3月に岩間まで延長するための工事が急ピッチで進んでいる。開通したら一度走ってみようと思う。
2017年2月21日(火) 晴れ
今月2回目の護摩。 夕べも風が強く吹いた。朝寺の周りを墓地の方まで確認しながら歩いてみる。大きな枝の折れているようなことはなかった。9時過ぎから護摩を焚く。本尊檀1壇だけで終わる。片付けて掃除し、再び護摩壇の支度をする。28日上求寺へ行くので、26日の日曜に例月の護摩をしようと思う。今月は3回の護摩となる。午後陽射しが強くなって、外の水場で雑巾を洗っていたら、黄色が目に入ったので近づくと福寿草が開いていた。福寿草に今年も会えてうれしい気持ちになる。
2017年2月20日(月) 雨
春の嵐吹き荒れる。 朝から強風が吹き荒れ雨も降らせた。ケヤキの枝が折れやしないかと気が気ではなかったが、夕方が近づいてくるにつれ風も少し収まってきた。小学校に電話を入れ、下校児童に寺沿いの道を歩くのを注意するよう促してほしいとお願いし、午後4時の下校時間に合わせてこちらも外に出て待った。でも結局引率の先生が、町道側からこっちに手を振ってくれて合図してくれるのがわかったのでよかった。しばらくすると校長先生からも電話をもらった。雨はまだ残っているがほぼ風は止む。T工房より電話があり、明日追加分のお加持の護摩を焚くことになる。
<2017年2月19日(日) 晴れ
出かける。 早朝1時間ほど歩く。帰ってくると体が芯まで冷え切っている。歩いていると元町長に声かけられて挨拶をする。洗濯機の調子が少し前から悪いらしく、今朝は脱水ができなくなってしまったと。それで洗濯機を買い替えることにし、久しぶりに11時の鐘を撞いてから3人で出かけた。昼飯はウナギを食らうことにした。確かに贅沢な食い物になった。3500円もするのだから。それでも僕は、娘があと運転してくれるというので熱燗も頼む。家電量販店で洗濯機を購入。配達は一週間後。本屋により、大法輪とレコードコレクターズを買う。ずっとウナギ専門店でうな重を食いたいと思っていたが、いざ食い終わってみると、それほど特別な感動も満足感もなく、「やっぱりうまいなぁ」という感想もわかなかったので、この後は積極的に食いたいと思うこともないかもしれない。
2017年2月18日(土) 晴れ
護摩を焚きお加持をする。 腕輪型の念珠を販売汁会社が、男女の新作念珠を販売するに当たり、制作した甲府の工房の方と一緒に来寺する。11時少し前から本堂で祈願の護摩を焚き、念珠をお加持する。今日持ってきたのは製品として会社に検品してもらうためのもの10本であった。1時間ほどで終える。こういう護摩は初めてなのだが、商品がヒットしてくれたら僕も護摩加持した甲斐があるというもの。お二人ともお忙しいようで、終わった後すぐにお帰りになる。今日もそんなに気温は上がらず。
2017年2月17日(金) くもり/雨
東京じゃ20度だというのに。 関東地方に春一番が吹いたというニュース。東京じゃ20度を超えたという。こちらもいい天気になると思っていたが、10時過ぎから急に雨が降りはじめて、すぐに止むかと思っていたら結局一日雨となる。ここは寒いくらいの陽気。明日、念珠加持の護摩を焚くので、来る人たちのために本堂にホットカーペットを用意。Wさんから連絡があり、女房の車3月25日に納車すると。4月にずれ込むかもしれないといっていたので、「頑張って3月中に納車できるよう努力してください」とお願いしたのが通じたのかもしれない。別に人気車ということでもなく、自社ブランドより、他社の車として売る方が出荷比率が天地の差のある車のようで。こういうところってなにも知らなきゃ知らないままに終わってしまうよな。
2017年2月16日(木) 晴れ
気温上がる。 午後は気温がかなり上がった。午前中百八支を作る。午後あたたかい風呂場で頭を刈ってさっぱりとする。石原慎太郎もすっかりどこにでもいる極々普通の高齢者になってきた感じだな。強気の発言が一転翌日には尻込みしてしまうという老いぼれの弱さを露呈した。小池百合子にやられっぱなしってのもちょっと癪に障るがなぁ。人間万事塞翁が馬。
2017年2月15日(水) 晴れ
ここでは何も起こらないが、この国でもよその国でもいろいろなことが毎日起きる。 キム・ジョンナムが女性工作員2人によってマレーシアで殺されたというニュースが飛び込んできた。このどこか「憎めない奴」という感じの金正日の息子。異母弟の陰謀に殺された可能性が高いということだろう。この冬北海道に新天地を求めていった茶堂君がもう10数年前くらい、何故かキム・ジョンナムの顔写真の完バッジを作って、貰ったことがある。それ以来この「憎めない奴」風な国籍不明で世界各地を遊びまわっている風な男のことを時々思っていたのだが、あの扇子のような頭をした独裁者に殺されてしまうとは残念。幸福の科学へ「出家」した女優の清水富美加のことも連日ワイドショーで取り上げている。約束された仕事だけはしっかりとこなして、すべてがクリアになったところで、出家すれば何も問題はなかったんだろうに。サラリーマンが仕事を辞める時も、最低でも一か月前に退職願を届け出るってのがルールだったような気がするが。誰かが言っていたように、こういうことを許して出家させるということなら、幸福の科学自体も評価が落ちるのではないか。朝八田の長谷寺の小暮住職から3月18日の観音祭りに出仕してほしいと連絡をいただく。ありがたいことである。即OKしました。朝裏山を歩く。朝まだまだほんとに寒い。
2017年2月12日(日) 晴れ
Rolling stones。 土日とストーンズで愉しませてもらった。WOWOWでストーンズのliveが放映された。1990年の初来日の東京ドームでの公演も良かったが、なんといっても「ザ・ローリング・ストーンズ ライブ・イン・キューバ 2016 〜HAVANA MOON〜」。2016年3月25日にキューバ:ハバナでの野外会場で行われたフリーコンサート。一番年長のドラマー、チャーリー・ワッツはもう75歳を過ぎた。50年以上もBandを存続させて、なおかつほんとにトップを走り続けているのだ。ミックは、「キューバで俺たちの音楽を聴くのは大変だったろうな」と語りかけ、キューバでコンサートができたことを大いに喜んで歌い続けた。壬生さんからいただいたばかりの正月の酒をぐいぐいやりながら、女房も娘もまだ帰ってこないことを密かに喜びながら、テレビの最大音量でストーンズを目の当たりにした。森進一や井上陽水を口ずさめるように、「Satisfaction」「Jumpin' Jack Flash」をミックと一緒に歌えたらどんなにか幸せだったろうかと日本語のみのおのれを恥じた。キースもロニーもいかしたギターを聞かせてくれる。チャーリーは寡黙で紳士な、ドラマーの手本だ。ミックのハープもかっこよかった。大好きなサックス奏者のカール・デンソンがサポートメンバーに入っていたのもうれしかった。土曜の夜、今日の朝と夕、ストーンズでほんとに楽しませてもらった。
2017年2月11日(土) 晴れ
朝相当冷え込む。 寒かった今朝は。4時に起きて簡単に朝飯を済ませてお勤め。6時過ぎから早朝ウォーキング。1時間ほど歩いて帰ると、シューズの紐もほどけないほどに軍手を外した指先がかじかんでいる。しばらくじゃ蛇口から出る湯に浸して感覚が普通に戻るのを待つ。母娘は吉祥寺にある目的の店へと朝出かけてゆく。切った柿の枝を護摩木にすべく割る。落札した阿久悠作詞集「人間万葉歌」届く。午後行藏院よりお酒届く。ありがたく頂戴し早速正月の上等な酒をいただく。
2017年2月9日(木) 雨
寒い寒い一日。 いっとき雪にもなるがほぼ一日雨が降り続いている。寒い一日だ。炬燵にばかりもぐりこんで、映画やドラマを見て過ごす。午後飯富病院を定期受診。木曜の午後は大体空いているのだが今日は天候も悪いせいかいつにもまして閑散としていた。元同僚の望月さんと一緒になり、診察を待つ間に子供たちの話など交換する。不動寺の叔父から、3月の祭典のことと牧丘の普門寺の法事の件で電話ある。
2017年2月8日(水) 晴れ
今日も晴れ。 少し風は冷たいが、午前中は少しでも外に出てみたいと思うような季節になってきた。女房も外で落ち葉掃きなどにいそしむ。僕も墓地参道の溝を掃いたり、柿の木の枝を短く切ったりした。午後生ごみのコンポストを移動する。珍しく猿が一匹畑に現れる。はぐれがいるという話を聞いているので、そうなのかもしれない。
2017年2月7日(火) 晴れ
「北方領土の日」だそうだ、関心がないが。 昨日も今日もいい天気。護摩木作りに精を出す。昨日と今日、獣除け扉の朝夕の開閉当番。午前6時開扉の午後6時閉扉。朝は少し早めに行き、夕方は早めに閉めてしまう。夕方は大分陽が伸びてきた。夕の開扉に合わせて1時間ほど前からウォーキングに出る。まだもうちょっと寒さが続き、雪の降る心配もある。
2017年2月5日(日) 雨
雨になる。 5時に起き、お勤めをしてから朝食を済ませ、6時半過ぎから1時間半ほど歩く。八幡神社の春の祭典がある。終わった11時過ぎから雨が降りはじめる。遠くの山は煙っていて、雪でも舞っているのじゃないか。寒い一日になる。午後三菱に車のリコールの通知が来たので持ってゆく。1時間ほどかかる。
2017年2月4日(土) 晴れ
立春。 立春の朝を歩く。梅の花があちこちで開きはじめている。今日も百八支を一束作る。
2017年2月3日(金) 晴れ
節分。 暮れから正月、1月中に空けた1升ビンを酒屋に持ち込み節分の酒を仕入れてくる。午後先日採ってきた梅の若い枝の皮を削ぎ、散杖をこしらえる。去年少し多く作りすぎて全部使ってないので、また誰かにあげて使ってもらおうと思う。畑に行ってあたたかい陽射しの中で2時間ほど散杖づくりをしたが風もなくさわやかな節分の日であった。夕のお勤めをし、本堂から客殿、庫裏、住まいと豆撒きをする。
2017年2月2日(木) 晴れ
御札を貼り換える。 節分、立春のお札を貼り換える。歳徳神と三宝荒神幣を供える。今年の恵方は北北西。歳徳神は庫裏のその方角の鴨居に置く。昼前から風が少し強めに吹くようになり、御札を貼り換えるのに少し難儀する。T工房から、2月18日に一度護摩を焚いて加持してほしいとの連絡があり承知する。
2017年2月1日(水) 晴れ
2月入り。 今月も特別な予定はない。仁王会前行も今年は行かないことに決めた。最後の28日に上求寺の大滝不動の護摩焚きがあるのが予定といえば予定。あと、T工房から頼まれた仕事が今月中にあるかもしれないし、来月になるかもしれない。護摩木作り。百八支を自作できればこれが一番いいのだが、割りばし程度に1本1本割っていくのは至難の業である。スギ、ヒノキが割とまっすぐに割りやすいのだが、丸太を取ってきて、玉切るのが厄介。そこから割っていくということになる。今回自作してみたのは、沢の中に生えていた細い木の枝で、名前はわからないが、ちょっとヌルデにも似ているようなので、そのとくに細いところを百八支の長さに切っていって、墨を塗り、鉈で割っていくというのを試しにやってみた。百八本そろえると少し大きめの束になったが、十分いけそう。ヌルデもそうだけど、長く保管していると虫が入ってダメになるので、回転よく使って、また枝を切ってきて作るということをすれば、杉、桧よりも案外容易に作れるということに気付いた。これでいける。
2017年1月31日(火) 晴れ
1月も終わり。 この年の初めのひと月を今年は長いなぁと感じた。ここ2,3年、年末から1月にかけて檀家の葬儀が続いてあったので、今年何も不幸がなかったのはいいことだが、あまり緊張することなくだらーりと過ごしてしまったような気がしている。去年檀家のの葬儀がいつになく多かったので、使い果たしてしまって今年はそういうことが無いかもしれない。昨日の続きの御朱印を書いてしまい、歳徳神、三宝荒神の幣を作る。午後裏山を歩く。今日も風は少しあったが好い天気になる。歩き終えて汗をかいたので風呂場で頭を刈る。アメリカはどういう方向にトランプに梶取られてしまうのか。こんな人間があの自由な国の大統領になるなんて、選択してしまうなんて、絶対にありえない。
2017年1月30日(月) くもり/晴れ
午後風強くなる。 朝には雨が上がり気温の上がる好天になると予報していたが、なかなか雨はあがらず昼過ぎまでぱらぱらと舞っていた。T工房から依頼されたことのひとつにご朱印を書くということがあったので、Horace Parlanをmixcloudで聞きながら台所で書きはじめた。今日頼まれた半分書いてまた明日。東京では4月並みの気温にまで上がったという。ここも閉じた部屋の中は暑いくらいになった。外は風がだいぶ強く吹きはじめている。娘の誕生日。
2017年1月29日(日) 晴れ
今日も引き続きあたたかい。 4時起き。ご飯を食べてお勤めをして6時半過ぎから1時間越えで歩く。陽が昇ると本当にあたりが明るくなり、気温も上がってくるのがわかるような気がする。朝の冷え込みも緩んでいるので歩くのも苦にならない。今日も護摩木を作る。甲府のT工房からの用件のことを少し始める。Miles Davis聞く。
2017年1月28日(土) 晴れ
初不動。 今日も日中はとてもあたたかく、初不動の護摩を焚いて祈願した後の片づけも、あまり苦にならなくて夕方までかかって掃除をすることができた。上野原から先週お参りに来た方が、今回はお母さんらしき人を一緒に連れてお参りしてくれる。富士吉田からの家族もお正月に続いて今日お参りに来てくれる。ほんとうにありがたい限りである。市川三郷町の西光寺から今年の秋葉尊祭典を3月19日に決めたのでよろしくとの電話がある。行藏院、瀧本院にメールで連絡する。春の匂いがしてきたなぁ。午前4時に起き、早目に朝食を食べてお勤めをし、朝を1時間歩く。
2017年1月27日(金) 晴れ
風強く吹く。 日中はとてもあたたかかったが強い風が吹いた。午前中1時間ちょっと歩く。午後、柴燈護摩の小木とする細い枝を取りに行く。はじめは億劫だが、外で体を動かしているとだんだんと気持ちがよくなる。寒いけど春が感じられるようにもなってきた。梅の蕾があちこちでほころび始めている。
2017年1月24日(火) 晴れ
しんしんと冷え込む。 布団の下から冷気が体の中に入り込んでくるのがわかる夜を過ごした。4時に起き、庫裏の水回りが大丈夫かどうか確かめる。凍ってはいず。外の便所のメーターBOXを開けて水道栓を閉める。水回りは何もなくホッとする。日中はあたたかいのだが朝晩が冷え込み厳しい。今年はストーブの灯油使用が多いと思う。正午過ぎに茶堂君を身延駅に送る。元気で仕事を頑張れと送り出す。人生にまだこれからでも希望が見いだせそうな気持になったのだと語った彼の思いが成就するように祈りたい。午後東京から4人がお参りに来て本尊を開帳する。
2017年1月23日(月) 晴れ
茶堂君来寺。 29日に新しい生活の場所北海道屈斜路湖近くへと旅立つ茶堂君が、10年住んだ京都を引き払って、暫しの東京での時間の前に立ち寄る。11月12月と来ていたので3か月続けての来寺である。秋山さんも来たいといっていたのだが急きょ体の調子が良くないとのことであってもらえず残念。今夜はここもとても冷え込んでいる。これでもう何年かは会うこともないのだろうから。僕はまたどこか京都に宿を捜さなくてはならない。
2017年1月22日(日) 晴れ
祈願の護摩を焚く。 小林家家族のための護摩を11時から焚く。夫婦と息子さん2人が来てくれて、寒い本堂の中で一緒に祈りをささげてくれた。願主は僕より一つ下で酉年生まれ。酉年の守り本尊は不動明王であることを話し、今年一年はいい年になるよと話す。次男なので家を出て中央市に家庭をもっているが、昨年お父さんが亡くなってこともあり、新年になって奥さんから家族の安全を願いたいとの電話があった。今日は午前中とても強い風が吹いた。年末から新年にかけてまだ枝に残っていた欅の葉もすべて今日の風で吹き飛んだ。乾燥しているので梶には気を付けないと。消防団の出初があり、火伏も納めた。朝歩く。
2017年1月21日(土) 晴れ
部屋の中に陽が射せば暖かい。 今日は外に風が有り寒かったが、焚いて祈願をして欲しいという家族がいる。5年前にもお願いしたというのだが全く覚えていない。洗米を作り新聞紙に広げて外に干していたのだが、うっかりしてしまい風で新聞紙がめくれてほとんどが下に落ちてしまっていた。もう一度洗米を作り今度は慎重に庫裏の張り出しに干して夕方取り込んだ。夕方相撲見る。結びで白鵬敗れ、稀勢の里千秋楽を待たずに優勝決まる。
2017年1月20日(金) くもり
大寒。 寒い一日になる。午前中いっとき雪になるもすぐに止んでしまう。今日が“大寒”。10時少し前から1時間ほど歩く。iPodの曲を入れ替えたのでまた少し新鮮。YouTubeやSoundCloudをDLする簡単で優れたサイトを発見したので、今まで使っていたのよりいいみたい。こんなことして遊んでばかりいる。甲府のT工房よりメールはいる。今年は仁王会前行に行かないことにした。これでしまいになるかもしれない。
2017年1月19日(木) 晴れ
確定申告。 稼ぎはないが確定申告を毎年している。女房は去年3月まで勤めた病院でのパートの分の源泉が送られてきていた。僕には町の文化財保護審議員報酬が。その分の所得税還付の申告をする。あと、娘と息子に、僕らの国民年金、建物共済の保険料支払い分を控除に使えるので、確定申告をしてやるというもの。でもやってみると還付される金額はごくわずかである。それでもいくらか子供たちのためになにかしてやりたいものだ。今年からマイナンバーを明らかにしてその写しを添付する必要が出てきた。あすの午後から雪になるかもしれないという。琴奨菊大関陥落。去年優勝後、新妻を伴ってでかくはしゃぎすぎたあとからローリングストーンだったな。
2017年1月18日(水) 晴れ
寒いが天気はいい。 一週間以上晴れの日が続いている。朝の冷え込みは厳しいが昼間はあたたかい。今年初めて裏山を歩いてみた。たれか正月になってから山に入ったのか、蜜柑の皮が3か所落ちていた。週末に猟師たちが山に入っているのでその人たちかもしれない。本山から責任役員の更新の任命書が届き、その手数料を払いに郵便局まで午後歩く。ついでに1枚だけ当たった年賀はがきの切手シートをもらい、残った年賀はがき15枚を手数料払って普通のはがきに交換もする。正月が明けて、また面白そうなジャズのアルバムをたくさん買い込んだ。散杖用の梅の枝を何本かとる。
2017年1月16日(月) 晴れ
大相撲が今場所は面白い。初場所実に面白い、楽しませてもらっている。御嶽海と高安の取り組みが毎晩楽しみであるが、寡黙でちょっとむっつりとした稀勢の里も秘めた闘志で全勝街道を走っていたが、今日、意地の琴奨菊に負けてしまったのは残念である。琴奨菊はおそらく今場所勝ち越せないだろうが、最後の力を振り絞ったような力のこもった取り組みだった。
母の命日である。2年前のことを思い返したりした。朝の冷え込みが厳しい。昨日女子駅伝の行われた京都は雪だったが、あれを見てたら今年の仁王会前行はどうしようかなとまだ考え中。
>2017年1月14日(土) 晴れ
寒波到来、法事あり。一日外の気温は2度乃至3度というような寒い一日になる。大学受験生は今日明日が大学入試センター試験。うちでは11時から若尾家の七回忌の法事がある。七回忌ということは6年が経過したことになる。東日本大震災で犠牲になった方たちも今年が七回忌になる。この6年は自然災害や多くのテロでの殺人が行われたり、正解はどういう方向に行くだろうかと首をかしげたくなるようなことがたくさんあった。田舎で生活をしている僕たちの生活環境も年々貧困になってゆく感じは否めない。風花が朝から舞う寒い一日になった。
2017年1月13日(金) 晴れ
なんと。BOOK-OFFのヤフオクから山本一力の時代小説を19冊買った。皆100円で総額が1500円を超えると送料が無料になるので、これなら街中のブック・オフに行くよりずっと効率的だと思い買ったのだが、今日届いたらものすごく重くて、開けると全部単行本だった。文庫だとばかり思い込んでいたのだが、まさか単行本だったとは。まあそれでも楽しみができた。読後は「内船寺カフェ」の無料お持ち帰りブックコーナーにでも置いてもらうとするか。
2017年1月12日(木) 晴れ
母三回忌。娘は今日休みだったので法事にも出てもらう。あとは妹夫婦のみ。11時半から法事をし墓参。女房は今日が60歳の誕生日。皆歳をとるわけだ。台所のテーブルで若大将からとった料理で昼食。マスターが燗つけようの酒を1本くれたのでそれを飲む。結局二人で1本空にしてしまった。向こうは日蓮宗のお寺だが、家族や寺のことなど久しぶりにゆっくりと話す。僕もこの寺の先のことを案じていることなど話す。なるようにしかならんというような呑気なことでも僕は困ると思っているのだが。祖父も父もこういう状況になることなど予測もしていなかったことだと思う。
BOOK-OFFのヤフオクから山本一力の時代小説を19冊買った。皆100円で総額が1500円を超えると送料が無料になるので、これなら街中のブック・オフに行くよりずっと効率的だと思い買ったのだが、今日届いたらものすごく重くて、開けると全部単行本だった。文庫だとばかり思い込んでいたのだが、まさか単行本だったとは。まあそれでも楽しみができた。読後は「内船寺カフェ」の無料お持ち帰りブックコーナーにでも置いてもらうとするか。
2017年1月10日(火) 晴れ
夕の風が冷たい。日中はとてもあたたかく、閉め切った部屋にいると来ているものを一枚脱ぐ感じ。夕のお勤めで外に出ると本堂にわたるまで、刺すような北風が頬に冷たい。少し風が強くなった。新年も1月10日である。
2017年1月9日(月) 晴れ
一日いい天気で雪はほぼ融けてしまう。 夜になって止んだ雪はその後降りはじめることなく、昨日の夕方除雪した道は表面が見えていた。5時半に起き朝食を済ませ、短く朝の勤行をして墓地参道に向かう。1時間ほどかけて雪道を開けた。木曜に母の3回忌をする。土曜には若尾家の七回忌の法事がある。法事の予定がなければ放っておくところだが、やはり道の雪を除けておかなければ墓地は寒くて冷えて、陽の当たる時間が短いので一度雪が積もるとなかなか解けてくれない。大した積雪ではなかったことと、一日よく晴れたので、本堂や庫裏の雪もほぼ落ちたし、墓地参道もきれいに融けた。ローリングストーンズの新譜はこてこてのブルースとのことで、とりあえずYoutubeで聞く。もう少し安くなってから買うことにしようと思う。
2017年1月8日(日) くもり/雪
新年の雪降る。午後2時前くらいから雪が降りはじめる。水分たっぷりの重い雪だ。昨日の夕がどんど焼きで、今日は朝から同志会の獅子舞が集落を回る。この獅子舞も何度か大雪の中で行われたことがある。10時半頃我が家にも来る。降らなきゃいいけどなぁといいながら、酒を出したり、毎年恒例のコーヒーを出す。東海師初詣にちょうど訪れていて一緒に獅子を見る。ノロウイルスにたたられた年末年始からやっと体調が回復してきたとのこと。僕は獅子舞への振る舞い酒の残りで昼前から気持ちよくなってくる。東海師帰り、妻娘も義姉兄たちとの新年会に出かける。うとうとしていると大粒の雪が降りはじめたことに気が付く。早めにお勤めをして本堂を閉める。高校女子サッカーの決勝戦を見た後、雪道を開けに外に出る。1時間半ほど作業し汗びっしょり。ビールと水割りが気持ちよく喉をおちた。
2017年1月7日(土) 晴れ
もう一週間。先週の土曜は大みそかだった。もう一週間が過ぎた。朝は冷え込むが一日いい日和。ここは今日小正月のどんど焼き。どんど焼きにうちでは暮れ正月に返された古い札や檀家の古い位牌などを焚きあげる。寺の畑が会場だからこれは特権である。午後外に出ていると声を掛けられた。飯富の同級生の長田君の弟さんであった。彼の家はもうなくなってしまったが、今日こちらを訪ねてきたのだという。いま、神奈川で高校の校長をしていると名刺を渡された。女房も甲府へ出かけているので、一人で映画など見ていると、妹が来た。一番下の息子が20歳になり、南部町は今日成人式をしたとのことで母の墓参も兼ねて清貴君を伴い訪ねてくれた。若くてぴちぴちした夢見る青年の頃が僕にもあったわけで、できるだけいつまでもそんな気持ちを引きずっていたいと思う。
2017年1月6日(金) 晴れ
田舎暮らし必携。息子が年末に女房のクルマを持って行き、彼は新年から職場への通勤に使い始めたようだが、こちらはいささか不便になった。僕も女房も火曜職場もなく、必ずしも毎日クルマがなければならないということではないので、1台を共有して使っていくことは経済的なのかもしれない。が、なかなかこれがうまくいかないものである。互いが必要な時がぶつかると、この共有の法則に支障が出てくる。やはりここで暮らすには、普段車庫にぐっすりとクラマは寝ていても、自分が使いたい時にすぐに乗り出せる状況は絶対に必要。ということで買うことにした。納車までには一ヶ月以上かかるということだが、そこまでは辛抱。
2017年1月5日(木) 晴れ
今朝は冷え込む。 朝寒かった。暮れに刈った頭を葬儀の助法に行くのに刈ろうか迷って、夕べはそのままにして寒さに負けた心でいたが、今朝やはり新年初の葬儀だから身ぎれいにして出かけようと、風呂場で刈ってから出かけた。敷島の葬祭場で、昨日もその近くまで実は出かけていたのだ。ここは少し内からは遠い。本日導師の行藏院ご住職、玄法院ご住職と新年のあいさつを控え室で静かに交わす。東海師の話をしたら、まだ体調が回復していないということらしい。困ったものだが早く回復してもらいたいものだ。今日の前後讃は気持ちよくうたうことができた。高野のおじ親子と一緒だと、若干節回しが違いどうしても声出しを遠慮することになるが、醍醐のお二人ということで気持ちよくできた。葬儀と云えど、何か清々しい気持ちがしたのが本音。正午からの葬儀で、終えてから初七日法要があり御斎が昼食を兼ねた。腹がとても減っていて、運ばれてくるものをすべて完食した。同じ志をもつ仲間と新年早々から会える機会は何ともうれしいものであった。
2017年1月4日(水) 晴れ
新年の檀家回り。新年の御札をもって檀家回りをする。遠いところはくれに来てくれたときに持っていって貰ったりもしているので比較的早めに終えることができた。5時半少し前に起きる。お勤めをして朝食。7時20分過ぎに出発。本栖の隧道を抜けたところで湖と富士に向かって法螺を立てる。富士のご来光にカメラを向ける人たちがたくさん居並ぶ場所。富士ヶ嶺の遠藤家の前でも法螺を立てるが富士は見えず。あたたかい正月だとのこと。市川の遠藤家に寄る必要がなかったので精進湖線を甲府まで一気に下る。甲府、昭和方面をまわり11時過ぎにいったん寺に戻り、そのまま地元檀家と飯富方面をまわり12時半に終了。午後映画1本見る。年末に見えた富士川町の男性また来てくれる。熱心な人。午後3時過ぎに上求寺の貴永がお母さんと訪ねてくれる。おばさんの85歳の今日が誕生日だとのこと。毎回「もうこれが最後かもしれない」という。焼き芋と葡萄酒をいただく。正月も来てしまえば行ってしまうのもあっけない。
2017年1月3日(火) 晴れ
終日ダラダラと過ごす。飲みすぎでほぼ食べられず、動けず。箱根駅伝ゴロゴロとみる。薄暗くなってきてやっと復活した。こういうどうしようもないところは死ななきゃ終いにならない。明日のお札配りの支度、明後日の葬儀の助法の衣体の支度などする。
2017年1月2日(月) 晴れ
例年の如く。箱根駅伝の初日を朝から見る。山梨学院大学は力出せず初日16位に撃沈。明日にも期待は持てそうにない。午後例年のように川口さんと秋山さん来る。庫裏の炬燵で新年会をする。もう10年以上は続いているだろう、もっとか?
2017年1月1日(日) 晴れ
元日。正月の穏やかな朝になる。元日の朝がまずもってつらい。午前2時過ぎに就寝し、6時頃には目を覚ましていて、布団の中でもぞもぞしながら起き時を計っている。今朝は6時半には起きた。簡単に元日の朝のお勤めをしてから本堂の掃除。主に護摩壇の後を掃除する。3が日は本尊厨子を開帳し、内陣まで参拝者が自由に入れるようにしてあるので、護摩を焚いた後のままだと見苦しい。これをして鐘楼や庚申堂に持っていった燭台を片付けたり、大晦日の予定案内を外したりする。本堂に運んだストーブ、ホットカーペットも庫裏に戻す。これをしてやっと解放される。午前10時から地区の新年の互礼会が八幡神社である。同志会の新年会にもちょっと顔出しする。年賀状見ながら飲む。