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『徒然日誌』 2015年1月から12月

2015年12月31日(木) 晴れ
暖かな晦日の昼休み。
お昼ご飯はカレーライス。DEADを聴きながら昼休みをしている。早めにPCを更新してしまう。八幡神社に行ったら梅の花が開いていて、一枝いただいて門松にもさす。暖かな大晦日だ。昼をまわって今ちょっと外には風が出てきたが、きっといい年越しの夜になると思う。午後はのんびりとすることにする。今年は小正月に母が亡くなり、その一連の供養が今月まで続いた。一応1月16日が命日なので年明けのおめでとうは遠慮をすることにしている。僧侶としての仕事はあまりなかったが、行藏院のご子息の結婚式の導師を勤めさせていただいてとても良い経験になった。来年も元気で大峯山、気分がのっていたら奥駈けにもまた行きたいとも思う。山梨の宗務所下のご寺院の皆様いろいろとありがとうございました。来年もまたよろしくお願いいたします。世界中の人々に平和が訪れるような年になるよう、年越しの護摩を焚きます。

2015年12月30日(水) 晴れ
あともう一日。
今朝も冷えた。池に氷が張った。朝のお勤めをして7時前にガソリンを入れに行く。外の気温は-3度と表示されていた。15リットルで満タン。さすがにまだ客は少なかった。お蔵からスタッドレスタイヤを出して交換する。やっぱり替えておかないとという気持ちが寝ているときに涌いてきてしまい、タイヤ交換などずいぶんと久しぶりに自分でした。これでamazonで廉価版のCDが2枚くらいは買ってもいいかもしれない。鐘楼と庚申堂などにシメを張る。風がなくていい。午後、豪一兄ちゃん、貴史年末のあいさつに来てくれる。帰らないといった息子が急に今夜帰るという連絡があったそう。Medeski, Martin & Woodの夕べの大阪でのライブ音源がもうbt.etreeにアップされていたので早速DLする。実は昨日無性に聴きたくなって、旧い音源を聴いていたのだから年末のラッキー。もう明日の晦日は何もせずに過ごせそうな感じ。

2015年12月29日(火) 晴れ
早く晦日になればいいと思うのだが。
毎日がSundayなので、年末年始の準備が早く終わってしまう。今夜が大晦日でも構わないのだが。で、準備もほどほどにして切り上げないと時間を持て余してしまう。本堂の準備はほぼ仕上がる。外の便所も暖かい昼間にしてしまう。灯篭に蝋燭を置き和紙を貼る。風が無くてありがたい。それでも今朝は冷え込んで池にも氷が張った。外の水道はまだ凍結はしない。大晦日に雪が降った歳もあったし、30日に庫裏の水道を凍らせてしまい、熱湯をかけたり業者に来てもらったこともあった。一番大変だったのは、下水道前の便所の便槽が、大晦日に一杯になってしまい、流しても逆流してきてしまうというとんでもなく深刻で、きったねぇ事態に陥ったこともあった。庫裏の便所が使えるので最悪の事態は回避できたが、家が建てられてから40年近くたっていて、外に埋められていた便槽が壊れたような状態になってしまい、年明けに業者に新しい便槽を埋めてもらったこともあった。下水道直結になったのは確かに快適な生活ではある。ジョニ・ミッチュエルの若いころのライブ音源を聞いている。

2015年12月28日(月) 晴れ
納め不動。
2015年の最後の28日、納めの不動。朝寒くなった。メダカの入っている外の盥に薄氷が張っていた。朝のお勤めをし、9時から本堂で不動護摩を焚く。特に訪れる人もなく静かに一人で護摩を焚いて一年の無事を感謝する。昼近くになればあたたくなる。護摩を終えてちょうど11時の鐘を撞いて、着替えて護摩壇の仏器をまとめて洗う。午後から護摩壇の掃除と本堂の掃除。晦日の護摩の準備もあるのでいつもより時間がかかる。結局4時過ぎまでやったが全部終わらなくて明日に持ち越す。さすがに陽が山に入ると冷えてくる。無理をせずともまだ明日は29日である。冬至を越えて明らかに陽が長く伸びてきた。娘も今日で年内の仕事納め。

2015年12月27日(日) 晴れ
今日も暖かい。
新聞でいつも墓参に来てくれる方が亡くなったのを知ったので今夜の通夜に行くつもり。90歳という高齢ではあるが夏にもお会いして「須磨子さんはお元気?」などと、伯母のことを訪ねてくれた。同い年ということだ。ここの出身で隣村に嫁いだが、父母や先祖の墓が残っているので、墓参やお布施も欠かさずにしてくれた方だった。境内の掃き掃除をする。風もなくまったく穏やかな年の瀬だ。檀家の皆さんが暮れのあいさつにぼちぼちと来てくれている。伐採したケヤキの話も出るが、特別に残念がっている様子はない。通夜に行くので昼食後に頭を刈った。明日の納めの不動で例月護摩の焚き納め。樒など準備する。

2015年12月26日(土) 晴れ
年の暮れ。
湿り気を多く含んだ朝がゆっくりと目覚めてくると、ふんわりとした卵焼きができあがるようなあたたかな時間がやってくる。身体もその時間の経過につれて、「外に出てもいいかなぁ」と声を発してくる。これも寺の時間なのだろう。本堂前の門松を仕上げる。パソコンと奉書紙で作った「謹賀新年」、干支のサルのイラストを印刷したものを竹に巻いて紅白と金銀の水引を結ぶ。庫裏と住まいの玄関はどうしようかと迷っていた。一応まだ服喪期間中だから、門松はやめにする。ネットで素材をさがし、住いの玄関には「迎春」、庫裏の玄関には「一陽来復」の筆文字を和紙に印刷して引き戸に貼った。午後、お不動様に会いたいという女性二人来寺。願い事を書いた護摩木に、一人は「神職につきたい」という願いが書いてあった。流れの悪くなった洗面所の髪の毛の詰りを掃除する。僕の髭も最近はこれに含まれるようになったかもしれない。

2015年12月25日(金) 晴れ
穏やか。
昼間は暖かいし風もなく穏やか。午前中寺の建物共済の掛け金の支払いに農協へ行く。護摩の五穀用にキビを買おうと購買へ行くと「今年はないんですよ」といわれる。帰ってきてamazon見たら送料込みで566円であったので即買い。何でも揃うってこと、ほんとに恐れ入りました。今朝の新聞に「お坊さん便『宗教行為を商品化』全日本仏教会がアマゾンを批判」という記事が載っていたので、ついでにamazonで検索すると「[お坊さん便] 法事法要手配チケット」というのが出てくる。確かに商品化されているってのには抵抗があるが、ついにここまできたかというのが正直な感想ではある。こんな田舎の小さな寺の将来なんてほんとに真っ暗闇ですな。
本堂前の門松を作る。

2015年12月24日(木) くもり
葬儀助法。
不動寺の檀家の葬儀の助法に行ってくる。もう今年は葬儀はないと思っていたらどん詰まりになってお手伝いとなった。今年は夏の衣を着ることがなかった。うちの寺の葬儀は3月に東京で一件あったのち結局今年はなさそうだ。不謹慎と怒られるかもしれないが、来年につながる葬儀であったような気がする。久しぶりだったので理趣経も真言も気合を入れて大きな声でお唱えできたと思う。薄日の寒い日だった。猿が夜明け前から裏山でないていて朝になってもまた活発に動いていた。いよいよ山の食べ物が亡くなり里に下りてきて、今年豊作だった柿が採らずに熟れているのをあちこち食い散らかしている。熟柿の食い散らかしで集落道は汚れている。葬儀から帰ってきて暗くなる時間まで歳神さんを替えたり、大黒さんのシメなども貼り換えた。

2015年12月23日(水) くもり時々雨
冬至祭典。
富士川町の明王寺の冬至祭りの助法に出かけた。もう20年くらいやっているのかもそれないがはじめて雨が降った。前日に雪が降った時もあったが翌日は晴れ渡っていた。天気予報では夕方から雨になるようであったが少し早まって、正午過ぎにぽつぽつと落ちだした。外で冬至のカボチャのほうとうの接待を楽しむ人たちが心配されたが、傘をさすほどの降りにはならず、僕らも本堂での護摩の前の諸堂巡拝などもできた。一年の最後のこのお祭りがいつも楽しみである。春はお祭りがいくつかあるのだが、この時期はお祭りをするところがないので、修験の装束を着たいと頭が楽しみにしている。参拝者の錫杖加持をするのが僕の役目で、加持も法螺貝もしっかりと吹けたと思う。午前中出かける前の2時間ほど庚申堂の周りを掃除する。増穂の名産の柚子をビニール袋に一杯いただいて帰ってきた。今夜の風呂が楽しみである。猿が本堂の裏に来ていてしょぼしょぼする中でガサゴソと動き短い泣き声を上げている。

2015年12月22日(火) 晴れ
境内の掃き掃除など。
冬至で、もう10日で今年が終わる。午前午後と外に出て履き掃除をする。本堂の石畳に落ち葉が詰まっているのを吐き出して集めて焚火をする。作業をしながら時々ゆっくりと空に昇ってゆく煙を眺める。今日は11時半過ぎにちょっと出かけた。勤めていた職場の後輩の奥さんが病気で亡くなり葬儀に行ってきた。まだ42歳という若さであり、まだ結婚してから10年もたっていないのだと思うし、生まれた子供もきっと小学校前だ。かける言葉も浮かばなくて頭を下げて帰ってきた。夕方東海師来寺。お互いに一年間ありがとうと交わし、少し話をしてひと時を過ごした。焦っても仕方がないし、なるようにしかならんというのがこの世界なのだろう。大晦日には助法に来てくれるとのこと。明日の明王寺の祭典に行く支度をする。今年の閉めの祭典。少し天候が気になる。

2015年12月21日(月) 晴れ
片付け掃除。
飲みすぎですこぶる体調の良くない朝のスタートであった。法事で使ったテーブルを片付け、襖を入れたり、便所を掃除したり、客殿の法要の後の椅子や焼香台を片付けたて掃除機をかけたり。年末のどうせ便所の掃除もするので一石二鳥でよかった。何もなければ今年はもう寺を使う予定はない。葬儀のほとんどない一年でしたと昨日の法事の時に喋ったら、不動寺の檀家に不幸があって24日の葬儀の助法を頼まれた。

2015年12月20日(日) 晴れ
母一周忌。
10時半から母の一周忌をする。息子は欠席。あとは母の実家と女房の兄弟、妹家族、叔父さん夫婦などごく身内の人たちで、僕まで入れて20人。客殿での法要と墓参を済ませて御斎をする。若大将のマスターの心のこもった料理とおいしいお酒をたくさんいただく。親戚でも、なかなか会ってゆっくりと酒を飲む機械などめったにない。御斎をお開きにした後もゆっくりできる人たちには残ってもらってまた飲んだ。母の供養をしたというより、身内の飲み会に終始したという感じであったかもしれないが、母はきっと「それでいい」といってくれるだろう。

2015年12月19日(土) 晴れ
法事あり。
伊沼のK家の13回忌の法事。ちょうど干支が一回りしたことになる。20代だった息子3人もそれぞれ30代になっている。二人の息子は結婚し、それぞれ二人ずつ子供がある。写真の中の父親はまだ54歳だった。二人の息子と建設業を始めたばかりだったが、正月休みに突然亡くなってしまった。あのときの家族の悲しみようを今も昨日のように思い出す。兄弟は二人で力を合わせて父親の興した会社を地道にしっかりと受け継いでいる。墓参も欠かしたことがない。もうこの家族には突然の悲しみなど決して起こらないでほしいと思っている。明日の母の一周忌の準備をする。

2015年12月18日(金) 晴れ
年末の掃除ということで。
午前中台所の窓ガラス拭きと蛍光灯の掃除。あたたかい秋だったので、蛍光灯の覆いを取ると、中には結構小さな虫が入っている。夏にも一度洗ったと思うんだけど今年は特別だったのかもしれない。先日修理に出した炊飯器が治ってきているという連絡をもらったので持ちに行く。まだ保証期間中ということで無料。iPod用にイヤホンを買う。いま持っているのはもう中の線が見えている。BOOK-OFFにより、500円コーナーでCD4枚。Macus Robertsのソロピアノの盤はお買い得だったかも。内船寺から日曜の母の一周忌のための生花が届く。

2015年12月17日(木) 晴れ
すす払い。
午前中すす払いなどする。どうしようかと迷いながら本堂の軒下など見てまわると、やっぱり蜘蛛の巣があちこちに見えたりする。怠けさせてはくれない。長い竹を一本取ってきて鉈の背で枝を払い、枝の笹を集めて先端に針金で固定する。一年の汚れを年末に払うのは自分の身も清めるということにも通じるのだろうか。終わって、山門の蛍光灯を洗って掃除する。そのまま庫裏や住居の外側の窓ガラスを拭き始める。午後2時から飯富病院を定期受診する。帰ってきて窓ガラス拭きの続きをする。家の内側も拭きはじめだいぶ捗った。あたたかい昼は体を動かすのもあまり苦にならない。

2015年12月16日(水) 晴れ
ほんとにこれが残り半月になった師走の気候か。
太陽が昇るまでは薄暗くてどんよりとしているが、ひとたび顔を現すと一気に気温が上昇してくるって感じだ。まるで師走とは思えない陽気とはよく言ったもんだ。まさにその通り。9時半過ぎに出て薬王寺に向かう。夕べのには恥ずかしいので書かなかったのだが、夕べ帰ってきて法衣カバンから衣を出してたたみなおした後、如法衣がないことに気付いた。控所の座席のテーブルの下にきっと畳んで置き忘れてしまったに違いない。ただ今日行ったときになかったらいやだったので書かなかった。別の如法衣をカバンに入れた。控所の入り口に宗康氏がおられて、如法衣のことを話すと「残っていました」とすぐに返してくれた。まったくお恥ずかしい話である。葬儀の出仕やこんなに大勢の僧侶方の集まる席に出ることが滅多にないので、緊張してしまって、幾分高揚気味だったので、地に足がついていない状態だったのかもしれません。無事に葬儀が終わり、料理屋での初七日法要にもお声がけいただいたが遠慮させてもらった。寺も立地条件や寺のある場所に宅地ができていくというようなことがあれば、自ずと檀家も増えていくのだと思うが、残念ながら僕の寺はこういう条件に恵まれていない。この寺がもう少し甲府よりの人口が増えてくるような場所にあったら、こんなに寺の行く末に悩まなくても良かったかもしれないということをつくづく思ったのでした。

2015年11月15日(火) 晴れ
日中部屋の中は夏のように暑い。
PSでの消失物を少しずつ作っている。柴燈護摩次第を改めて作った。現物のものを見ながら作りはじめると何か所か誤りがあることに気づいてそういう意味じゃこういうこともいい機会になるのかもしれない。そんでこういうときに色々な書物や経典も開いたりすると、パソコンに向かうのを忘れて読みふけってしまったりする。面白い。陽射しがたっぷりとあり、お昼過ぎの部屋では薄着になって、なおかつ西陽を受けたりして汗をかきながら作業をしていた。早めの夕のお勤めを済ませ4時半過ぎに薬王寺に向かう。前のご住職の葬儀以来だからもう20年近く前になる。陽も沈んで暗くなっていたので、ちょっと道がわかりづらかった。お寺の隣の檀家の住まいが控所になっていた。高野の皆さんともお会いするのは久しぶりだ。6時からの通夜に随喜で席をいただく。不動寺の叔父はご詠歌の皆さんを引率して「追弔和讃」を詠ずる。寺の中での厳かな葬儀には本来の姿がある。

2015年12月14日(月) くもり
護摩札を書く。
昨夜甲府の華光院の長老より訃報連絡をいただく。薬王寺の住職のお母様が亡くなられたということ。僕は高野の僧ではないが、祖父からの長い経緯もあり連絡してくれた。予定がなければ随喜で出仕しないかといってくれたのでいくことにする。薬王寺住職とは華光院の新住職の晋山式で11月初めにお会いしていたし、母の時にも寺をわざわざ訪ねてくれたこともある。お父様のときには確か式衆として出仕したと思う。ここ20年くらいで葬儀の形やお付き合いの度合いも変化してきた。というわけで、午前中、申し込みのある分の護摩札書きをする。さびしいはなしだが、お札の申し込みも随分と少なくなった。ほんの1時間ほどで書き上げてしまう。午後、女房と家電販売店へ行く。炊飯器のコードの先端の接触不良が顕著になってきて、タイマーでセットしておいても、通電していなくて焚けていないことがあるようになってきたので修理に出した。月曜の店内はさすがにあまり人はいなかった。ボーナスサンデーとかは混んでいるのかもしれない。今年は暖冬ということだから、暖房家電などの売れ行きはきっと低調なのかもしれない。特に欲しいものがあるわけでもないので、隣接の本屋で大法輪を買って帰ってくる。どんよりとした寒い一日。冬らしいといえば冬らしい。でもそう寒くはない。この辺りに住む僕らは、年末までに車のタイヤをスタッドレスに替えようかどうしようかと迷うような気候。

2015年12月13日(日) くもり
法事もう一丁。
甲府若尾家の一周忌の法事が11時からある。昨日は天気が良くなったが今朝はもう雨。寒い日になり、墓参も傘をさしてするような、お参りの皆さんには可哀想な日になった。客殿でしっかりとお供養をし、終えてから少しお話をさせてもらう。1歳ぐらいの児が二人いたが、法要の最中もあまりぐずることもなかった。こういう場を経験する中で自然と身に着けていくものだから、学校の勉強のように科学的に学習して吸収していくものとは異なる。「お位牌と遺影はお持ちになりましたか」と尋ねると、極々身内だけなので要らないかなと思って持ってこなかったというので、こちらもそれ以上に言うこともなく、位牌堂の若尾家の先祖供養の位牌を壇においた。七七日忌には持ってきたのだから知識がないという訳ではないし、あとは施主さんたちのお考えのことだからね。雨が少し降っていたけど今日もモミジは綺麗だったので見てもらえてよかった。

2015年12月12日(土) 晴れ
法事あり。
10時半から高松家の一周忌の法事。昨日の雨で墓地から池への細い水路がもみじの葉で詰まっていたので朝掃除をする。今日は天気が良くなるとのことだったが、寒くはないけど朝方は曇っていて、時折パラパラと雨が舞ったりした。それでも法事の時間に近づくと天候もだんだんとよくなる。今日もまた遠くから来た親戚や家族の皆さんもみじを写真に収めてくれる。増穂の「いち柳」でお斎。昔ながらの作法通りの大きなお返しをいただいて帰ってくる。明日もう一丁法事があるので、香炉をきれいにしたり、椅子をしまったり。それにしてもあたたかい師走である。

2015年12月11日(金) 晴れ
天気荒れる。
好い加減でが「よい程度。よいかげん」なら結構なのだが、「無責任なさま。でたらめ」な好い加減が多すぎる。今日の天気もそうだ。雨が降るってことは予測できてたし、明け方にも、この時期にしちゃ十分すぎるくらいの雨が降っているのが実感できていた。雨が少し小やみになってから突風が吹き荒れた。外のバケツが音を立てて庭に転げ出た。窓を強くたたく風が恐ろしいくらいであった。こういう天気はもうたくさんだ。野坂昭如さんが時代を憂えて死んでいったことに通じるような今日の荒れた天気で、この国の未来の先細りと暗さを暗示しているかのように思えてならなかった。パソコン作業が昨日で大体すんだので、午後から、途中で投げ出していた散杖づくりを済ませた。雨が上がって青空がのぞくと、温かな風が吹いた。薄暗くなってきて方また少し強い風が吹きはじめた。そういえば昨日から僕の部屋には、1979年7月に、今はない田園コロシアムで開催されたライブ・アンダー・ザ・スカイで、ハービー・ハンコック率いるVSOPの豪雨の中での演奏が繰り返し流れている。

2015年12月10日(木) くもり
不徳の致すところで。
パソコンのDドライブのデータがほとんど消えてなくなってしまった原因は、ウィルスでもなんでもなくて、僕が操作を誤ってしまったからに他ならないのであります。ファイルの中身がなくなっているのに時間が経つごとにちょっとずつ気づいてしまい、頭を抱えるオットセイになってしまった。でもここでオットセイのまま息をしているわけにはいかない。もともと何もなかったところから始まっているわけで、寺関係の古いバックアップデータは残っていたので、これがあればそんなに困ることはないが、筆ぐるめの住所録もそっくり消えてしまっているのにはいささか動揺した。これはもう寺の中にあるいろんなもの(祭典・新年護摩申込台帳、芳名帖、香典帳などなど)をひっぱりだしては、護寺会名簿から新たに作っていった。檀家数は少ないし、不動尊信徒の方々の顔や名前はほぼ僕と女房で頭の中に入っている。ネット情報もいろいろとひっぱりだした。事業所の住所や電話はまずこちらの思うが儘に引き出せる。二日かかってほぼ満点近い住所録を作り上げることができた。これからはまめにデータのバックアップを取っていくことを心掛けたい。それでも何人かは完全にお手上げである。先方からのアプローチに期待するのみである。
昨日市川の丸井紙店に新年用に頼んでいた破魔矢を受け取りに行く。今回は護摩札は在庫が十分にある。思わぬところに落とし穴があったので、残りの今年の日々を慎重に生きてゆかねばならん。

2015年12月7日(月) 晴れ
日中あたたかい。
パソコンのDドライブのデータが無くなってしまっていることに気づいていなくて、今朝必要があって開いてみてビックリポン。外付けのハードにバックアップしておいたのがちょっと古いけどあったのでまあそれで何とかこの後のは凌げるだろう。色々なものを作り替えたり、新たに作る必要は相当出てきそうだ。参った参った。
昼過ぎに行藏院ご住職、奥様と一緒に訪ねてくれる。お酒も一本いただく。外があったかいので、外で短い時間お茶と会話を楽しむ。散杖も持っていって貰った。Tの結婚式の音楽をと頼まれていたのも、せっかく作っておいたものが全部消えてしまっているので、また作りかえしだ。久々におバカをしてしまった。

2015年12月6日(日) くもり
寒くなってきた夕暮れ。
天気が悪くなってくるのか、夕方になって冷え込んできた。空も鈍色にどーんと重たい。もうちょっと冷え込むと、風花でも舞ってきそうな。11時から東京の平山家の法事がある。7人が朝早くに出かけてきてくれた。こんなに遅くまでもみじが散らずに残っているのはあまり記憶にないが、今日の人たちにはちょうど良い紅葉で、皆さんカメラに収めたりした。師走ももう一週間が経過する。こんな風にして大晦日になっちまうのだろうな。散杖の先に蓮華を刻み何本か仕上げる。
MARCUS MILLERの「FREE」を買ったんだけど、内容は当然いいわけだが、CDケースのデザインがものすごくおしゃれ。こんなの今まで見たことがない。

2015年12月5日(土) 晴れ
いよいよ寒くなる。
もう二日後が大雪(たいせつ)で、朝はだいぶ冷え込むようになってきた。もうストーブや暖房もちょっとは使わないと朝の時間は厳しい。どこにも出かけないのは僕だけど、4時に起きて映画を観たりするのに、暖房マットを入れて、5時を過ぎると石油ストーブを点けて湯を沸かすのがほぼ日課になってきている。女房が起きてくると、僕は客殿で初めに朝のお勤めをする。朝食をとったのち、歯磨き排便を済ませてから本堂でお勤めをするという流れに変えてきている。寒いのと6時前がまだ暗いのでこうしている。客殿のお勤めは短いので10分もあればとりあえず済ませてしまえるのだ。
杉の葉を集めたり、護摩炉への仕込みの細い木切れを割ったりする。梅の枝もまた少し採ってきて散杖用に皮をむく。新年の初護摩に使ってもらえたらいいなと思うのだが甲府に出かける用もないし、東海師は年末一度くらい寄ってくれるだろうか。

2015年12月4日(金) 晴れ
おおかぜ吹く。
日付の変わるころから朝方まで断続的にすごい風が吹いた。こんなに強くたたく風はあまり経験したことがなかった。女房も寝ながら「すごい風だね」と時々声に出した。僕も頭の中で、「飛ばされるようなものが外にないだろうか」と寺の周りを頭に浮かべたりしていた。本堂の四隅の風鐸がせわしなく鳴り、早く朝にならないかと気になって仕方のない夜を過ごした。日中は青空の広がる好天になったが、午前中は時々思い出したように強い風が吹いた。
ケヤキの伐採作業代を森林組合に振り込む。午後、来年もミニトマトとオクラが少し作れますようにと、最後の仕上げを管理機に働いてもらう。冷たい風が吹く。

2015年12月3日(木) 晴れ
柚子湯。
朝まであった雨も午前中には止み、午後には天気が回復してきた。夕暮れを迎える空は晴れの空に変わっていた。今夜は渡辺さんにいただいた柚子を4個風呂に浮かべた。子供のころから蜜柑とか柚子を浮かべて入るのは割と好きだ。柚子を握って皮を少し破って香りを味わう。至極の時である。
NHKで「わたしをみつけて」というドラマをやっている。主役の滝本美織が、九九をこたえられない場面があった。小さいときに学校に行けない時があって九九の暗記を習わなかったのでできないという設定だったが。実は僕は九九の暗記があまりよくできていない。今日も頭の中でやってみたけれどなかなか言えない。“にさんがろく”“しはさんじゅうに”のように、小さな数と大きな数を掛けるのは割とスラスラ出るんだけど、“しちろくしじゅうに”とか“はちしさんじゅうに”のように、大きな数に小さい数を掛けるとなかなか答えが引き出せず、必ず“ろくしちしじゅうに”“しはさんじゅうに”と小さな数から大きな数へと入れ替えてから答えを出している。“ろくはしじゅうはち”“しちくろくじゅうさん”はいえても、“はちろくしじゅうはち ”“くしちろくじゅうさん”などはまず言えない。まあもうこればっかりはもう改善できないだろうけど、少し時間はかかっても、お店でのお金のやり取りなどで、つり銭計算などはいつまでもできるような頭でいたいとは思っている。

2015年12月2日(水) 晴れ
柚子。
夕方畑で管理機を動かしていたら、渡辺さんが訪ねてくれて、毎年いただいているのだが今年も実家の山の柚子を届けてくれた。今年は少し大ぶりの出来のよう。柚子をもらうといかにも師走だなぁという気分になってくる。さっそく風呂に浮かべてみたい。夕べ頭を刈ったので今朝は朝頭が寒かった。日中は気温が上がる。僕の部屋と台所の租との日除けのタテスを片付ける。畑にずっと残してあったミニトマトも支柱をとり引き抜いて始末する。最後に二つほど口に入れてみたが完熟が濃厚で、少し醗酵しているように思えたがそんなことあるのだろうか。畑の土が年々固くなり、管理機がかけづらくなってきたので、今日は午前中スコップで土を掘り起こし、午後から管理機で耕す。落ち葉もたくさん端っこに置いてあったので、漉き込むように耕していった。気持ちのいい時間を過ごせた。

2015年12月1日(火) 晴れ
師走に入る。
残りひと月。今月は母の一周忌や檀家の法事もある。明王寺の冬至祭もある。しっかりと一年を締めくくらなければならない。午前中法事の塔婆と祈願札の尺五寸の手書きの札を5枚書く。すでに祈願札の申し込みが何件かある。11時に東京の牛山さん姉弟、墓参をかねて訪ねてくれる。暖かな穏やかな日で外でお茶を飲んでもらった。3月に亡くなったお父さんの一周忌の日など相談して決めた。ちょうど今年の1月の正月明けにご家族で訪ねてくれたときはまだお元気そうで、まさか亡くなるとは予想もできなかった。
山の向こうに陽が沈んでしまうと一気に冷え込んでくる。


2015年1
1月30日(月) 晴れ
11月も終わり。
チェンソーで出たケヤキの木屑や落ち葉を集めて燃す。まだほんの少し他のケヤキやもみじに葉が残っている。葉が落ちてしまえば落ち葉掃きもひと段落する。明日はもう師走に入る。一年が経つのは押し詰まってくるといつも、「あっという間だったなぁ」と思う。こういう風に思ったり、考え込んだりするってことがもう爺臭くなっているってことなんだろうか。老いてゆくということは、正直嫌なもんだなと思います。

2015年11月29日(日) 晴れ
作業終わる。
今日は本堂裏山の枯れた杉の木を伐ってもらう。午前中で終わり、午後は山門脇のケヤキの伐採後の掃除をして、彼らは重機を片付けたりする。午後2時半には作業を終えて帰る。午前中お茶を飲みながら話をすると3人とも以前は、隣町の森林組合にいたそうだ。出身は東京、大阪、京都とバラバラだが、山梨を定住の地と決めてきてくれた心意気がうれしかった。今はフリーになって、森林組合などからの仕事を受けて生業としているようで、一人はそのまま隣町に家を建てて家族と暮らしているといい、二人は富士川町に住んでいる。知り合いのMさんの話をすると、よく知っていますとのこと。うちのケヤキを伐る仕事のこともM氏にも話してあるということだった。山仕事をしているというのなら、本堂裏のヒノキの枝下しもできるだろうかと相談すると、現場を見て「やれる」とのこと。来年の祭典前に護摩壇に使う枝を下してもらうことにした。山も明るくなるだろうし、祭典前に下してもらうことを今後頼みたいと思う。

2015年11月28日(土) 晴れ
ケヤキ伐採二日目。
今朝は冷え込んだ。庫裏の玄関外の洗面器の水が薄氷を張っていた。それでも今日は風も吹かず日中あたたかい日になった。ケヤキの一番の下腹部をどこまで切れるかに今日の成果がかかっていたのだが、作業員もかたいケヤキの太い胴体にチェンソーで果敢に挑んでくれた。木が固いので、何度も刃を研ぎながら一日作業をしてくれた。これ以上は無理ですというところまでそぎ落としてくれたので、こちらも「まだこれじゃだめだ」という訳にもいかなかった。限界というやつだろう。いにしえの石垣が顔を出したり、このケヤキが何百年と成長する過程で、何本もの太い根を張り地上に5トン以上の頑強な体を作り上げたのだからすごい。生きている根はまだこれからも生きようと頑張るのかもしれない。
午後1時半から月例の不動護摩を焚く。東海師助法に来てくれる。もしかしたら大晦日にも来てくれるかもしれない。今年度でこちらでの勤めが終わるようなので、もし大晦日に来てくれるのなら、また歳の改まる越年の護摩に、魂の法螺を吹きあげてほしいものだ。今日と明日、獣除け扉の開閉当番。

2015年11月27日(金) 晴れ
ケヤキを伐る。
今朝は寒かった。午前中予報通りに1時間ほど強い風が吹いた。お昼近くに道で会ったGさんは、干し柿を作ったが皆かびてしまったと残念そうに話したが、今日のような寒風が干し柿を作ってくれるのだ。枯露柿の産地じゃ秋の終わりが温かいので、大きな被害額になるのではないかと。予定通り7時半に森林組合とクレーン車とオペレーターが来てくれる。初めにケヤキの前で伐採のための安全祈願をする。作業員は3名。2名がクレーンのゴンドラに乗りケヤキの幹に上がりきってゆく。下でもう一人が手際よく枝や幹を片付けやすいように始末してゆく。写真と動画に作業をおさめる。お昼前には胴体を下から切り倒してしまう。吊り上げて畑におろすのだが、重さは4tあったという。手際よく作業してゆくので、本当にあっという間に切り倒されてしまったなというのが感想。午後にはもう、裏の墓地の窪みへの搬出も始まる。午後4時過ぎに今日の仕事は終了。クレーン車は今日でおしまい。明日は残った地上の幹の始末が残っている。

2015年11月26日(木) 晴れ
なんとか天候回復。
夜から雨になり朝も降っていたので、コリャ明日もだめかなと思っていたら、9時ころには止んでいくぶん陽射しもあり、森林組合から延期の連絡もないので、予定通り明日は伐採作業が始まることであろう。明日の朝作業前にする安全祈願の準備をする。これにて大ケヤキの命の終わりとなるわけなので、手厚く供養もしたいと思う。夕べから寒さが増してきて今朝は朝も冷えていてストーブを点けた。北海道じゃ雪がなくてスキー場がオープンできないなどと云っていたのに、札幌では「11月に市内の積雪が40センチを超えるのは、昭和28年以来62年ぶり」という異常気象になったという。
録りだめた映画類がなくなったので、YouTubeで『はなれ瞽女おりん』を見た。国外の人がアップしたようで、英語の字幕が入っていたが映像もすごくきれいでよかった。

2015年11月25日(水) くもり
結局夕方までは降らず。
雨になるといっていたので、朝降っていなかったから、降ってくるまで落ち葉を掃こうと、駐車場脇の側溝や八幡神社前、石段脇から車庫ある集落道などを掃いて午前中終わったが結局夕方まで雨は落ちてこない。陽は射さず曇りだったが風も吹かず、穏やかで予報のように冷え込むこともなく、落ち葉焚きの煙はまっすぐに、優しい魂が踊っているように揺れながら天に昇り、煙をしばらくながめていると幸せになった。ケヤキの伐採で小学生が登下校に支障があったらいけないので、学校を訪ねて教頭に日程と作業のことを話し、子供らの下校に合わせて危なくないように誘導することを話してくる。内船寺の裏で線香を作っているOさんが訪ねてきて、午後1時間半ほど修験道のことを聞かれるままにお話しする。夕方雨宮さん来る。今年はもうこっちへ帰らないかもしれないからと暮れの付届けをしてくれる。僕も少し早いが、新年のお札を作ってあったので持って行ってもらう。あまり難しく考えずに、臨機に応じて処理していくこともこれからは必要かと思う。

2015年11月24日(火) 晴れ
ケヤキ伐採一日順延。
夕方森林組合から電話が入る。明日雨になりそうで、ケヤキの樹皮はとても滑りやすいので心配があるので27日からにしたいとのこと。ここのところ天候がなかなか定まらない。今年は毎月台風が発生している来意ということで、晩秋になっても雨が降る日が多いのかもしれない。夕べも少し雨が降った。予報では明後日も少し雨が残るようだから、もしかしたらこんな風に一日一日作業日を延べることになるかもしれない。安全が第一なので、これはこれで仕方のないところだ。

2015年11月23日(月) くもり
59。
今日が誕生日で59になった。50代最後の一年を悔いのないように生活していかなければならない。少々頭の重い朝をホテルのベッドで迎え、7時の朝食を済ませ、行藏院ご住職に迎えに来ていただいて寺に戻り、たくさんのお土産をいただいて帰ってきた。夕方には秋山さんと川口さんが、手打ちうどんを届けに来てくれた。カメラで撮った昨日の結婚式の写真や動画もちょっと見ていただく。さあ今週はいよいよケヤキの伐採になる。

2015年11月22日(日) くもり
結婚式。
甲府行藏院のご子息の結婚式に招かれる。というか、醍醐の宗務所寺院で、仏前の結婚式を執り行うという初めての機会をもらって、厳かな結婚式を担わせていただいた。雨を心配もしていたが、落ちてくることはなく無事に外からの進列もでき、本堂で小さな実験的な仏前式を済ますことができた。終えてからタクシーで披露宴会場のホテルに移動して、あとはもう若くて幸せいっぱいの新郎新婦を眺めながら、坊さんばかりのテーブル席で日本酒の暑いのをたっぷりといただき、おいしい食事もいただいた。お二人とも学校の先生をしている。新婦は明日、期末テストの問題を作るので仕事に行くとのことであった。華やかでにぎやかな披露宴ではあったが、しっかりと地に足をつけて今を生きているなぁという印象を持った。僕はホテルにそのまま部屋をとっていただいて泊ることになっているので、仲間たちと夕暮れの甲府の呑み屋からカラオケという、フルコースをまたまた味わってしまう。

2015年11月21日(土) 晴れ
準備。
明日の壬生家の結婚式の準備。夕べ新郎の父から電話あり。「よろしく頼む」と。次第も一通りまた眺めてみる。衣などの準備。頭も刈る。午前中海老原君訪ねてくれる。伐採予定の26日どうにも仕事が抜けられないのでと、今日富士山方面での撮影の仕事のついでに足を延ばして、名残惜しいかのようにケヤキの写真を撮っていってくれる。永遠というものがないのだからいつかどこかで誰かがこういう痛みを伴う術を施さなければならない。

2015年11月19日(木) 晴れ
引き続き年末の仕事。
午前中、妹の二男のT、結婚式の案内状を持ってくる。会場に流す音楽を何か考えてくれとのこと。春に日蓮宗の僧侶になるために信行道場へ入る前に、今日午後から甲府のお寺で試験があるということであった。天候は今日もパッとせず。午後から門札づくり。ビートルズ聴く。

2015年11月18日(水)
雨だが寒くはない。
夕べからの雨が朝方には一度止んでいたが昼からまた降りはじめた。本格的な雨になって、多分夜通し降るのではないか。午前中は映画。午後から昨日の続きで、シメを切ったり、檀家に配る門札も作りはじめた。ウィントン・マルサリス、ジョー・ヘンダーソン、ハービー・ハンコック聴く。村薫「空海」読み始める。

2015年11月17日(火) 晴れくもり
年末の準備を始める。
午前中落ち葉掃き。早川の女房の親戚に毎年堆肥にするように落ち葉をビニール袋に詰めているが、4袋詰める。溝や八幡神社の前の落ち葉も片付ける。また今夜から天気が下り坂とか。落ち葉掃きでも汗をかく。山門脇のケヤキの伐採は昨日また森林組合から電話があって、クレーン車の都合上、26日(水)からということになる。28日までの予定。午後になってやはり空はだんだん曇ってくる。この時季なまり色の空は一層夕暮れを早くする。Wynton Marsalisの「Marsalis Standard Time」が届いたので、これを聴きながら正月の準備でシメを切りはじめた。秋山家用のシメももうおそらく20年近く切っているのではないか?「店で買ったほうがきれいだよ」といっても、「作ってくれ」といわれると断る理由はない。

2015年11月15日(日) くもり晴れ
法事あり。
11時から一宮家の13回忌の法事があった。来年が還暦の年男だから、ちょうど12年前は48だったということになる。あれから12年。なんだかきみまろの文句のようだが、12年という月日は過ぎてしまえばあっという間だったような気がする。今日の法事の方は1月25日に亡くなっているので、少し早く回忌法要をしたことになるが、亡くなった知らせを受けたのは相模原にいるときに携帯にあった。ちょうど息子の進学のためのアパート探しに朝早く出かけて行ったのだった。あれから12年だよなぁ、しみじみと。息子ももう30になろうとしているのだからな。これから先の12年というのは想像もつかないが、乗り切れる12年なのか、途中で折れてしまう12年なのか。できれば元気で坊主も続けていたいものである。
昨日も一日雨で今日の予報も雨だったので、昨日施主の奥さんが花や供物を届けてくれたときに、「雨が上がってくれるといいけどねぇ」と話したのだが、朝方にはまだ小雨があったので、こりゃだめかなと思っていたら、法事の始まる11時のほんの数分前から俄かに陽が射してきて、客殿に用意したストーブもつけずに済んだ。少し暑いくらいの強い陽射しになって墓参もできて本当によかった。

2015年11月13日(金) くもり
団体拝観あり。
今日お見えになった方々は名古屋から来た一行。タイトルは「朴先生と訪ねる山梨の仏像」という旅。今日はどこかへお寄りになってきましたかと尋ねると、「明王寺に行ってきた」という。帰った後に標さんに電話をすると、「うちが一番最初で、4日間かけて山梨を廻るらしい」と教えてくれた。韓国出身の武蔵野美大きょうじゅの朴先生が案内役である。簡単に寺の歴史を話し、僕も不動明王についてのお話を拝聴した。仏教美術が専門とのことで、うちの不動明王の作られた時期などについても、なかなかに興味深い話が聞けた。「不動明王は大日如来のパシリですから」という表現には笑っちゃいましたね。!(^^)!
午前中落ち葉掃き。週末天気が崩れそうなので、日曜に法事が1件あるので墓地周辺もきれいにした。

2015年11月12日(木) くもり
久那土中1年生来寺。
町内めぐりということで午後3時ごろに1年生の女子3名が担任と一緒に来山。1年生は3人のみ。全校生徒も17名だという。僕が教育委員会にいた10年ほど前よりも一段と少なくなった。もっとも今年度をもって閉校になってしまうのだから、どの中学校も生徒数は少なくなってきているはずだ。本堂で不動明王を開帳して寺のこと仏像のこと真言宗のことなどを話す。熱心にメモを取りながら30分ほどいただろうか。明日もまた団体さんが見学にお見えになる。忙しくもないがちょっと微妙。午後猿が来て。追い払うと杜に隠れて、威嚇するかのごとく吠えまくる。人間はどんどん少なくなっていくのにこんな奴らばかり「生きているよ」の幅を利かせやがって。

2015年11月11日(水) くもり
今日も一日曇りの寒い日。
気温が上がる予報だったがまるで裏切られたかのように一日曇り空。ケヤキの伐採の件が梨の礫になっていたので、昨日こっちから、どうなっているのかと問い合わせてみた。日程が決まらないという。大きな木の伐採なので、それなりに経験のある職人を用意する必要があるなどのことだったが、こちらも、師走になればまた忙しなくなるので何とか今月中に方をつけてほしいと話すと、天候が悪ければどうにもならないが、何とか25日からその週末までで仕事をしようという返事をもらう。本堂の左側のヒノキが1本枯れてきているので、併せてそれも切り倒してもらうことにする。40万くらいの費用がかかる。
午後、八田の長谷寺の小暮住職が母へのお悔みに来てくれる。「古くてお寺という感じだなぁ」とか「こうりゃあ管理や掃除も大変だ」と感想を漏らし、あわただしく帰っていく。

2015年11月8日(日)
華光院住職晋山式。
甲府の華光院の住職の晋山式と、本堂の落慶法要に招かれて参列してきた。朝からあいにくの雨。改修されて広くなった本堂に、どっしりとひときわ目を引く大きな立派な護摩壇が置かれていた。護摩壇はセラミック加工で壇上ができていて、連続の護摩にもびくともしないそうだ。智山派なので、県内寺院、それから新住職が10年余りをお勤めしていた東京の深川不動堂からもお手伝いに来ていた。醍醐派からは僕と行藏院、玄法院ご住職が招かれた。高野からは三珠の薬王寺のご住職が来ていた。終えて石和の糸柳で祝宴が開かれたが、宗務所長という肩書での出席だったために、一番高いテーブル席に座ることになってしまったのだが、薬王寺の小野僧正と久しぶりに隣り合わせで話ができていい時間だった。本音で話をする人は面白い。智山の長老からも古のためになる話を聞かせてもらうことができた。貧しい寺の時代を生き抜いて、血縁の人たちが今につないできて今日の日を迎えられたということ。一朝一夕にあらずということを、あらためて僕も心したのであった。

2015年11月7日(土) くもり
大勢の来寺。
11時半過ぎに、武田家家臣末裔者の会「武田家旧温会」の秋季研修会参加者が大型バスにて来山する。40名を超える参加者で、本堂の内陣もいっぱいになった。いつもなら本尊の不動明王の拝観が目的で来る人が圧倒的に多いのだが、今日の皆さんは武田家にゆかりのある方々で、(武田家17代目になるという武田氏もお出でになっていた)一番の目玉は、川中島の合戦の陣中より大聖寺の住職に送ってきた書状(感状)と、その時に一緒に贈られた短刀(不動明王の梵字のカンマンの彫られた)を見るというのが皆さんの一番の関心事だったのだ。とても熱心に見学していってくれた。信玄公の絵や像もみなさんカメラに収めていかれた。明日から天気が下り坂になるらしいが雨も降らず寒くもなく、大ケヤキもまだ健在であったので、こんな辺鄙なところまで下ってきてくれたのだが、楽しんでいってくれたようでこちらもうれしかった。

2015年11月6日(金) 晴れ
頭を刈る。
風邪をひいていたので頭を刈るのを延ばしていたが昼前に風呂の掃除をしながら刈った。久しぶりにさっぱりとした。明日、武田家家臣末裔者でつくる「武田家旧温会」の皆さんが秋季研修会ということで初めて大聖寺を訪ねてくれることになっているので、少し本堂の掃除をしたり、境内の落ち葉を掃いたりする。大ケヤキの伐採日程が今もって定まらないのだが、来ていただく皆さんには見ていただけるのでよかったと思う。ちょうど風邪の症状が出て一週間だ。ほぼ治ったがまだ鼻づまりがあったりする。山下洋輔Trioの2期のTrioを久しぶりに聞く。やっぱりいいなぁ、この演奏のころの僕のことなんかも思い出せる。間もなく59になる。

2015年11月3日(火) 晴れ
法事の塔婆書く。
風邪はまだよくならない。寒気のようなものは引いたが時々くしゃみと鼻が出る。夕べはズボン下も履いた。BRANFORD MARSALIS「REQUIEM」聴く。MOZUスピンオフ「大杉探偵事務所」を期待して見たのだが、僕的にはいまいち面白くなかったというか、主題がはっきりせずに中途半端にあっけなく終わってしまったような感想。母の一周忌の案内と年賀欠礼状を出す。法事の塔婆を書く。

2015年11月1日(日) 晴れ
亡父命日。
亡くなってちょうど18年が経つことになる。風邪がなかなか良くならないので寝ることにした。寝ながら熱田神宮から伊勢神宮までを走る大学駅伝を見たり、山本一力「ジョン・マン2大洋編」を読み切ったり。このジョン・マン、立志編の5作まで刊行されているようだが、文庫になっているのは3までで、3は今年6月に発売されたばかりで安くなっていない。1と2はブックオフで100円だったものだから、またしばらく見つける機会を待つことにする。
夕方妹が波木井のお姉さんと一緒に墓参に来てくれる。電話で風邪のことを話していたので、旦那が育てているカボスを採って届けてくれた。明日は雨になるようなので何とか風邪を追い払いたい。

2015年10月31日(土) 晴れ
風邪だ。
昨日より重くなってきている。朝起きてしばらく映画を見るが、寒いので初めてストーブを点けた。鼻水が出て時々堪えようなくくしゃみが連発する。一日中悪寒がある。本を読んだりダラダラと過ごす。庫裏の居間に炬燵を立てる。明日は11月だ。

2015年10月30日(金) 晴れ
夏衣をしまう。
衣替えの観念が温暖化とともに崩れてきているので、10月くらいまでは夏衣で通してしまう。ホールで行う葬儀なんかだと、通年夏の衣のような薄物でいいようにも感じる。今年は夏の衣を葬儀に着けることは一度もなかった。1月と3月に葬儀があったきりで、他の寺から助法を頼まれることも今日までなかった。かくある寺である。「なさけない」などとは後に続けたくはない。夏衣をしまい、冬の衣を出す。来月になれば早々に、甲府:華光院の住職の晋山式に招かれている。柿を木からもいだ。縁の下にあった竹竿の先端を割って、柿の細い枝を横に挿し、幼いころに見よう見まねで覚えたように柿をもいだ。10個ほどとりひとつふたつ食べてみる。甘くて旨い。酒飲みに柿は薬と聞いている。本堂のお供えも新しい柿と取り替える。とても採りきれないほどまだ木に残っている。
今朝明け方前から喉が少し痛くて、鼻水とくしゃみが出る。どうやら風邪のようだ。

2015年10月29日(木) 晴れ
本堂の掃除。
朝も寒くなってきたし、夕暮れも早くなってきた。10月も間もなく終わりになってしまう。昨日の護摩の後の片づけと掃除をする。さっぱりとして綺麗になる。洗米をこしらえておかなければならない。柿の木の葉がほとんど落ち、枝に食べごろの柿がたくさん残っている。猿が来ないのでいいのだが、生りっぱなしにしておくのはなんだか申し訳ないような気がする。本堂に供えた柿を明日にでも新しいのと取り替えようか。

2015年10月28日(水) 晴れ
護摩を焚く。
良い天気になった。午前10時少し前に、牧丘の諏訪地区公民館主催の身延町方面歴史散策の一行25名が来寺。20分ほど本堂でお話をする。祖父が牧丘の出であることなども話す。お昼ご飯を食べた後月例の不動護摩を修す。あたたかい日で白衣と袴だけで焚くことができた。来月末にはそういうわけにはいかないだろう。

2015年10月27日(火) 晴れ
昼ごろから風強く吹く。
木枯らしの季節に近づいている。甲府:桜座へ山下洋輔ニューヨークトリオを聴きにゆく。山下さんのライブなんてほんとに久しぶりだ。1曲ごとに椅子を離れてマイクで解説してくれるという丁寧な運び。こういうところに長い年輪のようなものを感じるし、やっぱり僕もそうだけど、歳をとったなぁという感じは否めない。2部構成で、前半はどうもあまり乗りがなく終わってしまったが、後半は十分に楽しむことができた。娘も山下さんの奏法には驚きがあったようだが愉しんでくれたようでよかった。10時に終わり、娘の車で11時に帰ってきた。遅い時間は早起きの僕にはいささかきつい。久しぶりのライブやっぱよかったなぁ。

2015年10月25日(日) 晴れ
カラオケに行ってきた。
昨日午後から行藏院で御子息の仏前結婚式のリハーサル。夏ような暑い一日。裸足にサンダル履きで通してしまった。甲府へ行くのは夏の棚経以来で2か月ぶり。ほんとうにどこにも出かけない男に成り果てた。いつもの宿が取れなくて南口山交裏のホテルに泊まる。5時半から「七賢」。御常連というわけはないが、マスターも見知っていてくれるのでありがたい。ウィスキーのロックを飲む。カラオケの話になり、僕が「行きたい」というと、「行こう」ということになり連れて行ってもらう。カラオケなんてそれこそ久しぶりで、10数年ぶりではなかったろうか。キヨシローの歌を何曲か歌う。そのうちにわからなくなって、目覚めたらホテルでの朝。楽しい夜であったことは間違いない。11月の結婚式にまた再会。

2015年10月22日(木) 晴れ
廃用身。
久坂部羊「廃用身」を読み始めた。こんな小説は初めてで、もう間もなく終盤にかかるのだけれど、前半はすっかり作者のトリックにまんまとはまってしまった。読んでいても全然わからなかったのだ。「廃用身」を検索掛けてみたら、やっぱりこれは作り物の小説であるということがわかり、それまで読んでいても僕は現実に起こっていることなのだという風に思い込んでしまっていた。いやぁ、こんな読み物は初めてだ。面白い。
裏山の天皇社のまわりの草刈りというか笹竹刈りをする。汗を流すにいい日。午後飯富病院定期受診。採血もする。結果は12月。

2015年10月21日(水) 晴れ
読書する日々。
ほんとに今年は坊主としての需要がない。なので本を読むかテレビで映画やドラマを見るかだ。団鬼六「真剣師 小池重明」を読む。将棋界にこれほど強く破天荒な生き方をして40歳を少し超えたばかりで駈けて逝ってしまった男である。賭け将棋に生きた男の物語を引き込まれるように読んだ。読み終えてから夕暮れ間近の裏山を歩いてきた。今年は山にもまだ食べ物があると見え、山になる柿もしっかりと木に残っている。ロイ・ブキャナンのギターが頭の中にながれだしてきた。

2015年10月18日(日) 晴れ
暑い一日。
こんなに暑くて10月中旬なのかと疑いたくなるような暑さ。10年前のお祭りでは天候にもよるかもしれないけど、駐車場に敷いたブルーシートに座っていると、尻が冷えてきて寒かったような時もあった。温暖化が徐々に進んできていることを実感する。八幡神社の秋の祭典と午後から区民のふれあい会。秋の収穫を盛大に祝うお祭りも、人口減や子供の減少でさほどの賑わいはないけれど、細く続けていくことが大事なのかもしれない。東海師からメールが届いていた。枝豆を知り合いに配ったら大好評であったとか。夕暮れ間近の田んぼで実家の稲を刈る姿が目に浮かぶようだ。御修行なさいませ。

2015年10月17日(土) くもり
雨にはならず。
雨を心配していたが雨にはならずに、相山家の畑では無事今日も枝豆の収穫がなったようだ。約束通りに5時に迎えに行き、川口夫妻も拾って宴会をする。いつものように昭和歌謡をYouTubeでかけ流す。東海師も枝豆二箱寄って持っていったとのこと。6時を過ぎると枝豆を送った方から電話がかかってくる。早速茹でて食べているとか。皆さんたいへんに喜んでくれた。楽しい楽しい夜の時間を過ごす。

2015年10月16日(金) 晴れ
枝豆。
朝8時から秋山家の畑で、「曙大豆」の枝豆の収穫を手伝う。高台の開けた台地は茶畑と枝豆の畑が広がり、今日は富士の山は見えなかったけど見晴らしの良い台地。清々するという言葉がぴったりな場所。陽射しもたっぷりとあり、汗をかきながら枝豆の収穫を手伝った。3人で豆を収穫し、最終の選別をして袋詰めするのはお母さん。ひとさやずつむしり取っていく作業はなかなかに大変。10時のお茶と昼食時にビールもいただいて採れたての枝豆をゆでて食べる。午後4時に作業終了。20袋入りひと箱の枝豆を一日かけて7箱仕上げる。6箱を僕が頂いて親戚は友人に送る。おいしい枝豆を食べていただけると思う。たっぷりと膨らんだ特産品曙大豆である。

2015年10月15日(木) 晴れ
ストーブの芯替え。
去年燃えの悪かったストーブの芯を替えた。10年以上使っているが、丁寧に扱えばまだまだ使えそうだ。丸いガラス窓のストーブは特に暖かさを感じる。もうすぐ59になる還暦にも手の届く年になって、靴のサイズを5ミリ大きなのに変えている。中学生のころからずっと25だったが、25.5に変えた。特別窮屈には感じていなかったが、両足の薬指の爪が丸く変な風になってきていて何年かたっていた。それで、もしかしたら靴のサイズを大きくしたら爪が元のように戻るのじゃないかという期待を込めて変えてみたのだ。5ミリ大きくしたところでぶかぶかするわけでもないので、これからは25.5で行こうと思う。今年の大峰行きは地下足袋をすでに25.5に変えて履いていった。それで今日届いたウォーキングシューズで、ほんとに久しぶりに午後山の中を歩いてきた。気持ちのいい汗をかいた。帰ってきて庭の柿をとってかじってみた。甘くて旨い。今年は柿があたりなのかもしれない。護摩壇にも供えた。猿に盗られないように気をつけながらもう少し熟れるのを待つことにする。
「深夜食堂」のことを書いたら、東海師からメールが届いた。
「深夜食堂は面白いですよね(^O^) ご存知と思いますが、漫画は月2回発行の「ビックコミックオリジナル」に掲載されています。ドラマに出ているマスター役の小林薫が、漫画に出るマスターと重なり料理もさながら、料理を通じた人間模様や温かさに好感を持ちます。ドラマも味がありますよね(^O^)」と。僕はビッグコミックの原作漫画は読んだことがないが、今日もYouTubeで、20話まで見た。

2015年10月14日(水) 晴れ
草刈りじまい。
燃料を使い切り今年の草刈りの日々を終了とする。墓地の参道と本堂の裏、ミニトマトとオクラの植えてある畑を刈っておしまい。花の終わった後の萩の勢いのいい枝ももう今年の使い納めとガリガリと刈ってしまう。あと花モモやロウバイの枝も剪定する。作業小屋にもう何年もそのままにあった稲わらも畑に持っていって燃してしまう。夕暮れにまっすぐに煙の立つのはいいものだ。
女房が勤め先の同僚から枝豆をもらってくる。今年初めての曙大豆の枝豆、大きくてご飯がいらないほどにたらふく食った。秋山さんに電話したら、「うちのも今年はいいよぉ」と言ってくれたので楽しみ。

2015年10月12日(月) 晴れ
深夜食堂。
昨夜YouTubeで「深夜食堂」というテレビ番組を見た。深夜に放送した30分番組で、ひそかに人気を得ていた番組だったようだ。小林薫営む深夜0時から朝7時ころまでの食堂に集う人たちの人間模様を描いた作品で、昭和の香り漂う面白い番組。見始めたら止まらなくなって何本も見た。挿入歌の鈴木常吉のCDを持っていたので、彼の歌がとても印象的だった。こういう作品はYouTubeには「あってよかったなぁ」と思う。
昨日が雨で翌日送りとなった、区の秋の環境整備がある。冷たい朝を鎌をもって山道を歩く。杉ヒノキの林は薄暗くいつもの林だ。今年の春にクマの目撃情報が放送されたので、何となくいやで足を向けなかったが、来てみると静かでやはりいい場所だった。
午後5時過ぎ下部温泉駅に二人を迎えに行く。京都もまだ紅葉シーズンには少し早かったようだったが、小旅行を楽しんできたようだ。

2015年10月11日(日) 晴れ
朝には雨。
のんびりと寝ようかとも思っていたのだが、早起きの体質に変化していることや、天候がちょっと気になっていたが、明け方前には屋根をたたく雨音が聞こえていたので「環境整備はないな」と確信していたが、7時半の開始までに小降りなっているとか雨が上がるということもあるかもしれないと、結局5時過ぎには起きた。雨の日曜なので、お母さんに甘えたのか、新聞配達少女は5時半過ぎに車で新聞を配達にくる。7時前に区長から「明日に順延」する放送あり。中止にはなんねぇのかと思いながら、一畳サイズのホットカーペットを敷いてゴロゴロと映画やドラマを見て過ごす。どこにも出かけず誰も来ず一日が終わる。

2015年10月10日(土) くもり
妻娘は旅行へ。
朝7時の電車で二泊三日の京都への旅行に出る。下部温泉駅まで送る。紅葉にはまだちと早いであろう京都。朝晩はもう寒いかもしれない。11時のTさんの葬儀に行く。赤沢の日蓮宗のお寺で葬儀が営まれる。福寿草やセツブンソウを見に来た場所でもある。さぞや無念のことであったろう。喪主の弟さんにも久しぶりに会う。生まれて育った地域を整備して後世に残す活動を長く続けてきた故人である。一日曇り日であった。明日雨になればいいなぁと思っている。旧い懐かしい音楽をいくつも聞いている。

2015年10月9日(金) 晴れ
網戸洗い。
新しく買ったケルヒャー高圧洗浄機を初おろし。去年壊れてしまったので買ったが、やっぱりこの洗浄機でやると早い。洗剤なんか使わずに高圧洗浄だけで済ませ、あとは天日干し。9時ちょっと前から始めて正午過ぎには土蔵と客殿の奥にしまって作業終了となる。
今朝新聞のお悔み欄を見てびっくりしてしまった。うちのパソコン環境を面倒見てもらっていたT屋のTさんが亡くなっていたのだ。6月ごろ一度うちに来てもらって、帰りがけにもリニアの工事の始まることなどで長い立ち話になってしまったりした。ここのところトラブルもなくご無沙汰だったのだ。Tさんにはパソコンばかりでなくここ数年は、テレビの買い替えや去年の暮れにはエアコンも入れてもらったりしていた。新聞には山中で男性死亡という記事が載っていて、この記事がTさんのことらしかった。母の葬儀にも来てもらっているので明日の葬儀に伺おうと思っている。なんでこんなにあっけなく亡くなってしまうのだろう。

2015年10月8日(木) 晴れ
今朝は冷えたなぁ。
2時過ぎに起きてしまい、映画を見て過ごす。ただ時々うとうとしてしまうので、ビデオを少し戻しては映画を見続ける。夏の薄い作務衣の下はTシャツで、おまけに筒袖なので今朝は本堂でとても寒かった。朝食後の排便を終えて少し厚手の作務衣に衣替えした。早く起きるのは、目覚めてしまうと再びの眠りに落ちることがなかなかできないので、「えー!いいやっ」と起きてしまうんである。午前中はある方面からの一本の電話待ちのため映画と読書。先日買ったオール読物は、読み切りの短編がいくつか載っていたのでそれなりに楽しんでいる。午後ラウンドアップ(除草剤)を参道や境内に散布する。日中は今日も暑かった。

2015年10月7日(水) 晴れ
少し早いが。
10月に入って少しまだ早いのだが、どうせもうひと月後には出さなくてはならないので。郵便局にはがきを買いに行き、もう原稿は作ってあったので印刷。年賀の欠礼状と一周忌の案内状を印刷してしまう。友人には「年賀状下さい」と添え書きをする。棚の上にしまって11月になったら投函。参道脇の畑の草を集めて燃やしてしまう。ずいぶんときれいになった。ここはもう草刈りは必要ないかもしれない。居間の夏用の茣蓙を冬用のカーペットに敷きかえる。朝早く起きて映画を見るときに下が冷たい。やっぱりカーペットにするとあたたかい感じがする。安倍改造内閣発進。「1億総活躍・拉致・女性活躍担当」の一億総活躍とはいったいなんだ。

2015年10月6日(火) 晴れ
今日は一日いい天気。
午後になってから墓地の裏山へ通じる道の草刈りをする。ウォーキングをしていないので草がすごかった。春に、近くで熊の目撃情報があったので、何となくそのあたりから足を向けるのが嫌になってしまった。夏前に一度草を刈っておけば楽かもしれない。来年は気にしていたいものだ。草刈りの後に郵便局でお金をおろして、シルバー人材センターへ支払いに行く。身延方面に出かけることもあまりなくなった。ケヤキの伐採連絡が来ないので気にはなっているが、先方の仕事の手順があるのだろう。こちらは準備ができてはいるのだが。

2015年10月5日(月) くもり
一日陽が出ず曇り、出も雨は降らず。
参道左側の畑の草を刈る。3年ほど前から畑の中に水が湧き出していて、少しずつその量が多くなってきたように思う。夏場草の生育がよすぎてこの湧水には困る。資料館の生け垣も刈込機で形を整える。一日曇り空で汗もかかずに済んだ。頭も刈る。もちろん電気バリカン。夏今年は庫裏の襖や障子を外しておいたが、いよいよ少し寒くなってきたので夕方それらを入れる。
中上健次 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集23)とジム・モリスン詩集amazonから届く。

2015年10月4日(日) 晴れ
緑のカーテン撤去。
今年はあまり朝顔の質が良くなかったのか、プランターの土がよくなかったのかわからんが、密度濃く陽を遮るような葉の茂り方ではなかった。貧弱な葉の茂りだったので、カーテンから蔓を外したりするのもそんなに時間がかからなかった。一長一短なんだなと感じる。庫裏の玄関前のカンナが少し増えすぎたので間引きをした。放っておくと土の中で勝手に球根がでかくなって増えていく。もったいないという方もいるかもしれないが、こういうことが適度な管理というものなんだろう。球根を掘りあげるとけっこう土までついてくるので、窪みには畑から土を持ってきて入れる。桔梗もおしまいなので刈り取る。一年に一度の花との出会いというのは時間のすぎるのをものすごく感じてしまう。来年のこの時期にはもうすぐ60だなという思いに浸っているのだろうな。

2015年10月3日(土) 晴れ
残念。
直木賞作品を読み始めたのだが、どのくらいあるのだろうとページを繰っていくと終わりのページになって、最後に「『流』は長編のため、冒頭部分を掲載しました。」とあり、その下段の囲いに「以降のあらすじ」が載っていた。いっぺんに読書欲が冷めてしまったので、amazonで10月号を検索すると、続きは掲載れていないようだ。単行本で買うと1,728円もするので、この本は数年の地に読もうかということに決めた。まったく残念ではある。

2015年10月2日(金) 晴れ
暑くなる。
夕べから今朝明け方まで強い風と雨が続いた。雨が止んでからはとても暑い日になった。背よりも高いコスモスが池の端に咲いていたが今朝には無残に倒れていた。客殿の戸を開け放って秋の心地よい風を招く。客殿に絨毯を敷いて掃除機をかける。客殿の網戸を取り外す。ちょっとずつ夏から寒い季節への衣替えをはじめる。

2015年10月1日(木)
冷たい雨で10月始まる。
一日雨になる、寒い。午後3時過ぎに、町の老人クラブの役員9名が見学に来る。見知った顔もある。本堂で本尊を開帳して話をさせてもらう。足元の悪い中、「来てくれなくてもいいのに」と思わなくもなかったが言葉にするわけにはいきません。皆さん真言宗の寺はほとんど理解がないのでお話しするも、やはり自分の宗派が一番お好きなような感じはなんとなくわかる。別に他宗を批判するような言葉は出さないし、淡々と真言宗の行いだけを話すのだが、つまりあまり関心を示さないということなんだろうな、この違和感は。
駐車場に、工事事務所今日建つ。ケヤキ伐採の連絡いまだなし。今週はもうないということなのだろう。


2015年9月30日(水) 晴れ
秋冷。
午前4時前に起きて部屋を出たら、カーテン越しの外が明るいので開けて見上げると上天に丸い月が煌々と輝いていた。とても得をした幸せな気分に包まれた。夕べの天気予報の通りに今朝はいつもより冷え込んだ。パジャマから作務衣に着替えながら、無意識のうちに引出しから靴下を出して穿いていた。
WOWOWの韓国ドラマ「バッドガイズ」全11話を見終える。なかなか見ごたえのあるドラマだった。韓国映画は好きでよく見るが結構いい味の役者が多い。マ・ドンソクという男優はどの役でもいつも存在感がある。読書。朴保と頭脳警察のアルバムを買った。9月も終わり。

2015年9月29日(火) 晴れ
お札作り。
火伏の札、丸札など作る。久しぶりにワードアートを駆使して作ってみた。初めをちょっと厄介でも作り上げると便利なもの。次回以降こういう需要があればすぐに対応できる。映画、読書。日曜の夜のBS日テレの「久米書店」に直木賞をとった東山彰良氏が出ていて、店員役の檀蜜との会話が面白かったので、見ている間にamazonから掲載された「オール読物9月号」を注文し今日届いた。これもまた読むのが楽しみである。読書の秋だな。

2015年9月28日(月) 晴れ
護摩を焚く。
9月の例月の護摩を午後焚く。天気も良かったので、終わってから着替えて護摩壇と本堂の掃除をしてしまう。これで明日の仕事が亡くなった。午前中、檀家の娘さんで嫁いでいる方から、家を買って来月新居に移るので、新居のためのお札を作ってくださいと頼まれた。さてと考えて、火伏の札と棟札を作ることにした。いまの家はなかなか貼ったりすることができないかもしれないので、札をラミネートしてピンででも留めてもらおうかと考えている。
「しんがり 山一證券 最後の12人」を読み終えた。証券業界のことなどまったくわからないのだが、いくらか勉強になった。WOWOWの2話目の放送も、原作を読み終えたのでゆとりを持ってみることができた。この山一関連の本をもう2冊買ったので読み始める。

2015年9月26日(土) 晴れくもり
彼岸明け。
今年は先週の土曜から5連休だったため、彼岸で墓参に来る人たちも水曜の中日までにほとんど来てしまい、木曜から今日までは天候も崩れたということもあるだろうがほとんど目にしなかった。昨日が雨で今日は気温が上がるといっていたが、それほど上がらず晴れたり曇ったりのちょっと蒸し暑さを感じるような一日だった。これで彼岸も明けて本格的な秋が始まるな。ケヤキの伐採という大きなことも残っているが、網戸を洗ってしまったり、客殿に冬用に絨毯を敷いたりすることもある。11月また一つ法事の予定が入った。檀家は多くないが、どうしても寒い時期に亡くなる高齢者が多いので、年末に法事ということが年間を通してみても多い。カメラマン海老原君、奥さんと墓参をかねて来寺。早川町役場の新庁舎が完成したので、庁舎内外の写真撮影に行ってきたとのこと。雨畑のMさんとの飲み会を設定するからねという話にもなる。

2015年9月24日(木) くもり
寒くなる。
午後になって予報通りに雨になってきた。職人さんも今日が最終日なので朝から精力的に飛ばしてくれたが、何せ雨脚が強くなってきたので、こちらからももう終わりにしてくれということで、午後2時半じまいということになった。正直去年まで来てくれた二人よりも、Kさん一人のほうが仕事をしてくれたという感想だ。また来年もお願いしたいと話した。雨になったので、帰ってから裏庭に出て先日切った難点や刈り草を集めて燃す。1時間ほどでだいぶ片付いた。あとは読書、映画など。なんかまた気温が下がりちょっと寒さを感じる。森林組合へ欅の伐採の件を問い合わせると、まだはっきり日程は決まらないが来週あたりになるかもしれないとのこと。僕も、「いきなり明日作業をするといわれても困るからできるだけ余裕をもって知らせてくれ」とお願いした。欅伐採に関しては、伐採日が決まったら知らせてくれという反響もあるので。

2015年9月23日(水) 晴れ
彼岸中日。
秋分の日。今日はもうお参りする人も少なかった。好天が続いてくれているので、K田さんが一人でやってくれている剪定作業も6日分頼んであるが残すところ明日一日になった。順調に予定した作業は終えられるようだ。晩酌をして早めに寝てしまうと短い時間で休養がとれたように感じてしまうのか、今朝というか、深夜1時過ぎに起きたくなってしまい台所で映画を見て過ごした。4時半頃から5時を少し回ったころまでまどろんだ。朝の5時はもう夜が残る暗さになってきた。読書をしたり、午後は先日買った「般若心経秘鍵」の薄い経本を、別にあるものと見比べながらルビを直したりした。夕のお勤めでこれを使ってみた。メガネをはずして裸眼で追わないとうまく読めない。神祇講式とこの秘鍵を新たに課しはじめた。WOWOWで連続ドラマW「しんがり〜山一證券 最後の聖戦〜」の放映が始まったので、原作の文庫を買い読み始めた。いささか眠い夕方。

2015年9月21日(月) 晴れ
今日も一日凌げた。
天気よく墓参者も何組かある。11時から富士ヶ嶺の遠藤家の新車のお祓い。道はかなり混んでいたとのこと。午後1時から下八木沢の木村家の三回忌の法事で自宅に伺う。菩提寺は埼玉にあるがこちらでの暮らしが長くなっているので、2年前に葬儀を頼まれた縁が続いている。こういっちゃなんだが、こういう縁はできるだけ長く続けていただきたいものである。庭木の剪定に来てくれているK田さんは7時過ぎには来て仕事を始めてくれる。時々脚立から下りては、ちょっと離れて眺めてまた仕事にかかる。職人だなぁと感心する。にわか仕込みのシルバーの職員とはこういうところが違う。ぱちぱちとハサミの音が静かな寺の時間に厳かな雰囲気で聞こえる。

2015年9月20日(日) 晴れ
彼岸の入り。
とても良い天気の彼岸の入りになった。境内に咲く彼岸花も今がちょうどいい見ごろになった。この大型連休は天気もよさそうで観光地は集客が相当見込めるだろう。お勤めを済ませて寺の墓地や無縁墓を参る。早朝は少しひんやりとして静かだ。10時半から池田屋の先祖供養の法事がある。17人も家族が参ってくれた。連休が功を奏したのも一因かもしれない。墓参を済ませ御斎は下部ホテルで。日下がりのところで終日片側通行になっているため、11時半過ぎだったが、甲府方面に行く車が下山の上沢交差点まで渋滞をしていた。この時間ちょうど行楽に出かける車が渋滞していたのだろう、帰りも混むかと思っていたが午後2時ころはちょうど車が空いている時間帯ですいすいと帰ってくることができた。夕方にはまた混雑したかもしれない。

2015年9月19日(土) 晴れ
暑い日になる。
原小学校と地区の運動会があった。内では子供たちが学校を出てからほとんど行かなくなった。9月の彼岸の時季にあることが多くなったのも行かなくなった原因の一つだ。昨日まで雨が降っていたので開催が延びるのではないかと心配していたが今日は秋晴れの良い天気で無事に済んだようだ。町の小中学校の統廃合が順調にいけば、原小学校は再来年の4月には下山小学校へ統合となる。運動会も来年1回を残すのみだ。児童数は少なくても良い教育ができるとは言うが、子供たちにとっては同級生が多い方がいいに決まっている。原小、下部小が下山と合併したって全校児童は100人にも満たないはずだ。
境内の松や梅の剪定を毎年この時期にシルバー人材へ頼んでいるが、例年来てくれていた二人が体の調子が悪いということで他の人をあたってもらっていたが、松の剪定ができないということで身延の事務所からK田さんを頼んでもらった。この方元々伊豆の方で庭師をしていたというのでちょうどよかった。以前他の仕事で頼んだことがあった。一人出させてほしいというので承知した。今朝から始めてもらった。一人で高い脚立を使い初めに本堂前のクロマツの剪定を始めてくれている。客殿裏の庭周辺の草刈りをする。これでひと段落。それから南天の枝に蔓が巻き付いてひどい状況になっているので、思い切ってあちこちの南天の塊をきれいに間引きしたりする。さっぱりとして彼岸を迎えられる。

2015年9月17日(木)
怪しい電話。
午後出版社と語るものから電話があった。用件は記事を載せるので広告を出せみたいと者である。丁重にお断りした後で、着信履歴で電話番号を確認し、番号をヤフーの検索に打ち込んでみるとヒットした。おかしいと思ったのは、時々勧誘電話などかかってくるが、本人の会話以外にまわりで電話をかけまくっている声が聞こえてくる。今日もまさにその通りで初めから怪しい電話だとは思った。会社の所在地とその電話の内容についての多くの人たちからのコメントが載っていた。広告料をせしめたいので気をつけろというコメントが多かった。会社や法人に対してかけてくることが多いらしい。まあこういう電話にはもうこちらも相当対処慣れしているが、こんな風に電話番号から相手のやり方の情報が得られるというのはありがたい。一日雨で草刈りもひと段落したのでいい骨休みになった。読書、映画。午後から猿の群れがやってきて本堂まで行って追い払ったりする。行藏院から結婚式の披露宴の招待状届く。東海師からも良い再会があったとのメールが届く。

2015年9月16日(水) くもり
雨が少し降りはじめて涼しい。
10時から新車購入後の一か月点検。その前に、八幡神社の秋の祭典の花の竹ひごを作る。一本青竹を切ってきて、ブルーシートを敷いて、いつものように65センチに切ってあとは細く割っていく。1時間半ほどでおそらく300本くらいはできたので終了。もう10数年同志会の後方支援でやっている。一か月点検をしている間に近くの百均に行き、必要な細々したものを仕入れる。帰りに岩間をまわって草刈り機を出した店によると修理が終わっていて受け取って帰ってくる。6700円。午後昼休みの後墓地周辺の刈り残したところを刈ってしまう。エンジンも絶好調で、雨がぽつぽつと落ち始め、やぶ蚊に刺されながらだったが気持ちよく作業ができた。
中富インターの工事で富士川に新しく架ける橋の橋脚工事を請け負うKケンの社員が訪ねてきて、10月から来年の6月まで現場事務所に土地を借りられないかとのことで、前回のI建設と同じ場所を貸すことにする。訪ねてきた人は女房の小中学校の同級生とのことで、40数年ぶりだねぇと云いながら話す。書いている間に雨足少し強くなる。

2015年9月15日(火) 晴れ
草刈り3日目。
墓地の方はいったん中止で境内と民俗資料館の前庭などをする。もう一台の紐専用にしている草刈り機は調子がいいのでそれが使える場所の境内などを刈る。午後からは畑の参道にそった箇所を少し刈る。終わってから石段付近の落ち葉掃き。あーもうすぐ切ってしまうのだなと思ってケヤキを眺める。やがては必ずこういう時が来るのだから、まあ僕に任されたものとしてしっかりとケヤキの最後を見届けたいと思う。田中慎弥は苦手そうだとかいたが、「蛹」収録の最後の短編は面白く読めた。

2015年9月14日(月) 晴れ
草刈り二日目。
始めたのだが草刈り機の調子があまり良くない。なんとか墓地の参道脇を刈ることができたのでこれで良しとし、竹箒ではいてきれいにする。今日は横を流れる中沢川の草刈りにも地元の土建屋から3人が来て作業をしていた。お彼岸前にさっぱりときれいになる。夕方隣町の購入した「依田兄弟商会」へ持ち込んでみてもらうと、燃料がうまく送れなくなっているとのこと。買ってから一度もメンテナンスをしていないのが原因のようだが、明後日までに修理をしておいてくれるとのこと。N宗務所から、今期宗会議員なったO僧正の祝賀会を催すのでお出かけくださいとの案内が届く。遠いし、仕事のある人もいるので、三役で相談し欠席の返事をすることとする。もう一通、甲府華光院から、本堂の落慶と新住職の晋山式へのお招きが届いた。11月はちょっと予定が混んできたよう。

2015年9月13日(日) 晴れ
草刈りを始める。
彼岸前の墓地の草刈りを午後から始めた。あまり暑くなくかなり捗った。みっちりと4時間。約半分が終わった。
ビデオに撮っておいた、WOWOWの「ノンフィクションW ゆきゆきて、原一男〜反骨のドキュメンタリスト 70歳の闘争〜」と、彼が作家井上光晴を撮った「全身小説家」を見る。「全身小説家は長編でまだ半分見ただけだが。井上光晴という小説家の名前は知っていたが呼んだことがなかったので、ウィキペディアで検索すると作家井上荒野(あれの)の父であることを知った。実は先日仕入れてきた文庫本の中に井上荒野が3冊あって、まず初めに彼女の本をちょうど読み始めていたところだったのだ。井上荒野も知らなくて、何となく手に取って、100円のが3冊棚にあったので抜き取ってきたというもので、ちょっと奇遇だなぁという思い。『もう切るわ』という小説を読み終えたのだが面白かった。田中慎弥の「蛹」という本を読み始めたが、2作品読んで、こりゃ、俺にはあわねぇという感想で、でも我慢して明日には読み終えてしまおう。

2015年9月12日(土) 晴れ
早川に行ってくる。
一年ぶりに早川の大塩の滝に行ってきた。雨の影響で大量の水が流れていたので、7月の吉野の古道を歩いた時の思い出がよみがえってきた。不動明王の御宝前をきれいにして新しいシメを張り、法螺を立てて御法楽する。滝にはとても入れるような状況ではなかったが、たくさんの水しぶきを体にいただいて、清めていただいたような気分で帰ってきた。昨日の夕方Mさんが訪ねてくれたが、早速その集まりの事務局長という方が訪ねてくれた。武田信玄から寺に賜ったという短刀や他の刀も見ていただいた。どれもみな手入れをしてないので、錆びてはいるけれど、みないいものなので、できたら研いで後に残したらどうかといわれる。そうできるのであればすぐにでもそうしたいところだが、なかなかそうもいかない。長持ちを久しぶりにあけて、信玄の短刀と書状をさがすのに時間がかかったが、11月のリハーサルができたのでよかった。
国勢調査の用紙というか案内書が届いた。テレビや新聞などでインターネットで回答できるとあったので、書面に記載されたパスワードを打ち込んではじめてみた。あっけなく5分もかからずに回答し終えて送信して終わってしまった。5年前までのものはもっと回答する項目があったように思うが。これで済むのなら今までやったのはなんだったのだ。

2015年9月11日(金) 晴れ
今日は暑くなる。
これからしばらく天気はよさそうだ。網戸を外して洗う時期が近づいてきた。高速洗浄機が壊れてしまったので、アマゾンで手頃なやつと延長ホースもついでに購入。何せ網戸の数が多い。
4時過ぎに本堂に入ると外陣に座っている女性がいる。最近よく来られる方であった。お勤めの最中に静かに帰られたようであった。終えて法螺貝を吹いているとまた一人現れた。Mさんである。久しぶりにお会いした。11月に関係する集まりの皆さんを連れてお不動様と、信玄の感状と短刀も見せてほしいとのことだった。予定も入っていないのでお引き受けした。町の老人クラブの拝観希望の電話も昨日あったところだ。秋になるとこういう機会が多くなる。Mさんとは膝を正してしまいながら少し長く話してしまった。立ち上がるときに僕は少し困った。お酒も一本いただく。山門の大ケヤキを伐ってしまうのだと話すと、名残惜しそうに写真を撮っていってくれた。早川の大滝にも行ってこなければならない。

2015年9月10日(木) 晴れ
おおむね晴れ。
昼ごろ少し雨がぱらついたりしたがおおむね晴れの天気。朝、彼岸の塔婆と法事の塔婆を書いて、久しぶりにBOOK-OFFへ行ってきた。文庫本の百円コーナーでじっくりと時間をかけて45冊買ってきた。さすがに目が疲れ、CDのコーナーも見ようとしたけど、視線の先がぼやけてしまって最悪なのでこれだけで我慢した。あまり今まで読んだことはないが、時代小説も何冊か買ってみた。朝の明ける時間が遅くなってきた。秋になってきたので何か少し新しいものを始めようと、一昨日から「神祇講式」「般若心経秘鍵」を読み始めた。夕方の観音経と一日おきくらいで読めばかなり戻ってくるのではないかと思っている。

2015年9月9日(水) 晴れ
台風去り青空戻る。
雨が続いていたので何することがなく、何も書くこともなかった。昼前に雨が上がり午後から青空が広がり暑くなってきた。戸を開け放ち風を入れている。寺周りや墓地の溝を見てまわる。樋も梯子をかけて詰りがないか調べる。彼岸花が本堂の裏で早くも咲きはじめた。少し天候がよくなってくれるといいのだが。
東海師来寺。いよいよこの秋、修験伝法教校の初級を受講する決心をしたとのこと。仕事を持ちながらなので大変なこととは思うけれど、何とか上級までスムースに進んでほしいもの。

2015年9月4日(金) 晴れ
気温が上がったり下がったり、今日は暑くなる。
昼近くから青空が広がった。気温も上昇。でも予報では天気がいいのも明日までで、日曜から来週の前半はまた雨模様になっている。9月に入ったのでシルバー人材センターへ庭木の剪定を頼む連絡を入れると、ここ数年来てくれていた二人が体調を崩していて目途が立たないのだと言われた。仕方がないので別の人でも構わないということで、職員が午後現地確認に来てくれた。シルバーの人たちは60歳を超えている人たちなので、何年かやっていると体調を崩したり、病気になって働けなく人もいるということなのだろう。普通の植木屋さんをあたってみる手もあるが、まあ今年はシルバーを継続してみよう。昨日「秋の虫の音に、と変わった白馬村」のネット上の知り合いから本当に久しぶりにメールが届いた。その方もこの夏お父さんを送ったとのことであった。母の新盆が終わって、今月は秋の彼岸がやがてやってくる。彼岸が終われば、徐々に秋が深まってゆき、お寺の暮れや新年の準備と並行して、年賀の欠礼状を出すことや年内にするつもりの一周忌のことなどもすぐに考え始めなくてはならい。11月の末には甲府の寺の仲間のところのご子息の結婚式の導師を務める予定になっている。少し頭を使う生活にやってきてもらわないと脳みそが腐ってしまいそうなのでちょうどいい塩梅ではある。

2015年9月2日(水) 晴れ
午後は暑くなる。
今朝も雨だったので、客殿で飲みお勤めをするが、11時を回って天候が回復してきて暑い午後になった。晴れたら洗濯物を外に出すのが役割のようなもので、それをしながら鐘を撞いたり、風呂を洗ったり、晴れてきたので客殿の廊下の戸を開け放ったりする。10月に入っても暑いときはあるからな。仕事がないと書いたら仕事の予約が入った。不動明王を拝観したいと「日中平和観光梶vというところから手紙が届いた。草刈りとかばかりでは会話がないのでやがて自閉症になりかねない。とにかく誰かと接する機会を増やさなければいけない。昨日から東京五輪のエンブレム撤回がニュースになっている。新国立競技場の問題といい前途多難至極のようだ。こうやって無駄遣いが蓄積していくことをかかわる人たちはどうお考えなんであろう。優柔不断ということなのかなぁ。

2015年9月1日(火)
9月。
今年も残りが四か月。暑い暑い夏が急に走り去ったようなここのところの雨続き。本を読んだり映画を見るしかすることがない。法事も葬儀も全く予定がない。寺だけの収入で家族が暮らしていくのだとしたらとっくに僕らは干上がってしまっている。何とか上手にやりくりをしてくれているのが長い間の相棒ということになる。家族への経世済民の心をもってくれている人ということになるのだろうか。ひと月しのげたらまた次のひと月をしのいでゆく自信になりそうな気がする。


2015年8月30日(日)
くもり
夕方拝観者あり。
雨になったので、地区の防災訓練は公民館の中になる。代表で女房のみ行く。午前中は世界陸上の女子マラソンに集中する。解説を増田明美と高橋尚子がするが、益田の解説はいつ聞いてもほれぼれする上手さ。個々の選手を徹底的に調べ上げているし、北京の季節表現に小説の中に出てくる情景などを持使うという深さ。2時間半が全く飽きずにテレビを見ていられた。午後は映画を見る。5時前に本堂に入ってお勤めをはじめると後ろで気配がする。終わって閉めようとすると外の廊下に男性が立っていてお不動様を拝観できないかという。酉年だというので守り本尊がわかっているのだ。千葉の方で成田山へ毎年初詣に行くそうだ。ここのお不動様の江戸出開帳の話などする。雨が上がり東の空に青空がのぞきはじめた。

2015年8月28日(金) 晴れ
護摩を焚く。
月例の護摩を厳修する。東海師今月も助法に来てくれて助かる。参座する人はなし。暑い(熱い)護摩を焚く。終わってから東海師に、香盛りなどをちょっとだけ指導する。

2015年8月27日(木) 晴れ
暑い。
だいぶ朝夕涼しくなり、朝の明けるのも少し遅くなってきたが、やはり日中30度近くになると暑い。生ごみのコンポストを移動する。午後飯富病院を定期受診。明日の護摩の準備。

2015年8月26日(水) 晴れ
叔父、伯母来寺。
叔父夫婦と東京に住む伯母とその娘さんが訪ねてくれた。90を迎えた伯母は今年の祭典にはもう来てくれなかったが、今日訪ねてくれた。来てしまえば「元気で来年も来るよ」と言ってくれる。昼食を取りながらこの寺で育った叔父、伯母の子供のころの話を面白く聞いた。実は山門脇の大ケヤキを切るのだと話すと、叔父も伯母も子供のころケヤキの根元に箕に入れた赤ん坊を捨てて、住職がまたそのウチに届けるということがあったという。叔父はなぜか知らなかったが、伯母は「親が厄年に産んだ子を捨てに来た」と話してくれた。ネットで調べてみると、「親が厄年の時に生まれた子供は、一度「捨て子」として縁を切り、
再び「貰い子」として育てるという風習がありました。」というのがあったので、ここにもそういう民間信仰の風習があったということだ。寺のシンボルでもある大ケヤキを伐採する前にとてもいい話を聞かせてもらった。ねんごろに供養して役目を終えていただくこととしたい。息子は今日相模原へ戻っていった。9月に入ると、スコットランドへ研究学会で行くのだという。今日は娘も振り替え休日で、我が家4人、叔父伯母ら4人とにぎやかに食事ができて楽しかった。

2015年8月25日(火) くもり
肌寒さを感じる。
午後から雨になる。朝も寒かったし、さすがに今日は短パンではなく作務衣のズボンを穿いている。半袖もちょっと寒く感じる。芥川賞をとったもう一作羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」読む。今日から小中学校2学期始まる。

2015年8月24日(月) 晴れ
息子帰る。
母の49日の法要以来の帰省だ。二晩泊ってゆくという。娘の車にカーナビを取り付けてもらう。午前中久しぶりに東京から海老原君訪ねてくれる。いつものバウムクーヘン携えて。友人を同伴していて本堂でお不動様をお開帳する。これから早川の赤沢へ行くとのこと。「いつかこういうところでライダーズ・カフェ」をやってみたいというのが夢だとのこと。彼らが帰った後しばらくして厨子を閉めに本堂に行くとお参りの女性が外陣に座っていた。せっかくなので内陣に招いてお不動様にお参りしていただく。喜んでくれた。ここ最近よくお参りさせていただいていますと。ここに来ると気持ちがとても安らぐとも話してくれた。28日の午後護摩を焚くので、来られるようなら来てくださいと話す。風があって今日は外がとても気持ちよかった。

2015年8月23日(日) 晴れ
暑い。
昨日の夕方女房が蜂の巣があるよという。彼女はよく蜂の巣を見つける。土蔵の軒下に巣を作りはじめていた。ここにはいくつも巣を作った名残がある。蜂の巣を取るための防護服を役場から借りる。巣自体はまだ12センチほどで、蜂もたくさんはいなかったので大したことはなかったが、スズメバチなので、こんなものが知らず知らずのうちに大きくなっていたらと思うと恐ろしい。上求寺の母娘、珍しい黄桃を持って訪ねてくれる。残暑厳しい日にお出かけいただいて感謝。

2015年8月22日(土) 晴れ
遅くなってしまったと。
公康君のお母さんが、知り合いに車に乗せてきてもらって母の新盆に来てくれた。お店もしながら一人で暮らしているので、なかなか家を空けることができないのだ。位牌堂に写真と位牌を持っていってそこでお参りしてもらった。庫裏で少しお話をして帰ってゆく。公康君が亡くなってから、幾度か電話をもらったり、訪ねても来てくれる。話を僕に訊いてもらいたいのだ。まだまだお元気そうだが、この先どんな風に展開していくのだろうということが少し気にかかる。北京で世界陸上が始まり、男子マラソンがあったのでそれを見る。中国も暑そうで日本勢は惨敗。記録もごくごく平凡なもので19歳の無名の選手が優勝した。

2015年8月21日(金) くもり
お盆が終えてから随分と秋めいてきた。
盆を過ぎてから雨や気温の上がらない日が続いている。日暮の鳴き声もどこか愁いを帯びて聞こえる。秋の到来を肌や耳でも感じるようになってきた。甲子園に涌いた夏も昨日で終わって、混戦のセ・リーグの終盤が近くなる。八月も残り10日。久しぶりにじっくりと本を読む。映画も見る。戦争に行くことを逃げることは罪悪になるだろうか。「生きとし生ける者を殺すなかれ、殺さしむなかれ。一切の者は刀杖を恐れ、一切の者は死を怖る」(ダンナ・パタ)。

2015年8月19日(水) 晴れ
高校野球準決勝、東京勢二校とも敗れる。
この夏を沸かせた早実の清宮も、関東第一のオコエも大差で敗れて甲子園を去った。東京勢同士の決勝になったらすごいことになるだろうなと思っていたがそうはならなかった。激しい点の取り合いの続く試合が多かったが、代表校が絞られていくにつれ、点の取れない試合が続いてもいた。今日の両試合は素人の僕にはこう見えた。投手の出来の良い方が勝ちをおさめた。明日の決勝も楽しみになってくる。午前中県の観光課の職員2名来寺。寺社を紹介する冊子を考えているとかで取材。午後3時前にご朱印あり。暑い中を霊場巡りご苦労様。夕方になって風も吹き始め幾分過ごしやすい。蝉がしきりに鳴き惜しんでいる。

2015年8月18日(火) 晴れ
暑さ戻る。
蒸し暑い一日になる。気温差が昨日と相当あったので、身体には応える。読書をする。たいてい眠くなる。先日会った従姉はと安倍さんについて話したり、政治への関心に話したりしたのだが。正直あまり積極的に動きたいなという気持ちにはならない。良識を信じて寺の坊主として祈りをもって実践したいと思ってはいる。新聞に、安保法案に反対する、創価学会員の声が上がってきていると載ってていた。「そりゃぁそうだろう」と納得するし、うなずける。何もかも両者が手を握るということではなく、NOはNOといえることが正しい道を模索するパートナーの務めなのだろうから。自民党や安倍政権と仲良くすることは、僕には「悪」だと思うが、ギリギリのところで、公明党や学会の人間としての良識判断に期待したいと思う。

2015年8月17日(月)
雨の一日。
お盆が終わって今日は一日雨になった。まとまった雨になり、暑い盆をあちこち歩いた身体を休めるにはちょうどいい日になった。女房と娘は仕事に出かける。10時ごろに牧丘から以前お寺に来た方が訪ねてきて、10月にまた公民館の事業で見学会を催すので、ぜひコースに入れたいので了解してほしいとのこと。了解する。さすがに今日は気温も低く、汗をかくことがなかった。風呂に湯を張った。

2015年8月16日(日) 晴れ
盆を送る。
朝早く母の盆棚を片付けて送った。大勢の方たちが新盆に参ってくれた。庫裏の部屋も元の静かな部屋に戻る。午後2時から護寺会の総会。10人ほど来てくれる。盂蘭盆の法要をして総会。特に、山門脇のケヤキの伐採と総代1名の交代の件を相談する。ケヤキの伐採は承認。総代の指名は住職に一任された。盆の行事が終わる。明日は雨になるようだ。

2015年8月15日(土) 晴れ
終戦から70年。
残り5件の棚経に9時から行く。伊沼、飯富、後山、下山。11時に帰る。正午には、醍醐派管長の告諭のとおり鐘楼で般若心経を一巻唱え、平和への祈りの鐘を七つ打った。戦争法案を廃案にする気運が最高点に達しますように。安倍晋三をなんとか引きずりおろして幽閉してしまわなければならない。僕は僕の寺という場所で抵抗していきたいと思う。

2015年8月14日(金) 晴れ
200キロ走る。
午前7時過ぎに家を出て一路富士ヶ嶺に向かう。途中、中之倉のトンネルを出たところで、本栖湖畔を眺めながら法螺を立てる。富士は見えていない。法螺の音が湖面にこだまするように降り広がる。富士ヶ嶺は気温21度。遠藤、望月両家で棚経をし、精進湖線を下り市川に出て遠藤家へ。そこから甲府方面の檀家回りをする。柳沢家で昼飯。辞して2軒回り帰ってくる。新車は快適。小便をして木村家、下山から飯富とまわり4時前に終了。暑い暑い日にすぐに戻ってしまった。

2015年8月13日(木) くもり
やっと雨降る。
午前5時前に降り出した雨がちょうど8時ころまで降った。7月の中旬に降った以来だったのではないだろうか。盆の幡を昨日着けておいたので心配で、雨が上がったのを見て墓参に行き、ほとんど落ちていないのを確認してほっとした。しっかり結んでおいたからだ。気温もそれほど上がることはなかったが、午後から村内の檀家回りを始めると、蒸し暑さがやってきた。家々ではお茶やジュースやビールを用意してくれてある。水分補給が度を越すと小便がたまってくる。最後は秀ちゃんちで毎年のごとく冷たいビールで接待してもらう。千葉から直人君も来ていた。母の新盆に組内の人たちが6時半に来てくれる。お茶を飲みながら雑談する。靖さんと、柳沢家からもらって冷やしてあった久保田翠寿を飲む。久々に超うまい酒を飲んだ。

2015年8月12日(水) 晴れ
カーッと晴れはしないが、蒸し暑いというか気温は上がる。
朝の涼しいうちに墓地の何か所かを草刈る。墓地参道を竹箒で掃く。盆の紙幡をつける野竹を採り各墓地に挿して回る。幡は明日の朝にしようと思っていたが、午後少し天候が悪くなってきて、明日が雨っぽい予報のこともあり、午後3時ごろから幡をつける。気温は上がりとても蒸し暑い。それでも少し風がある。甲府の柳澤家で我が家の新盆と墓参にくる。おばあちゃんのことなど話題にして帰る。新盆のお返しを渡し忘れたので、14日の棚経に持っていくことにする。檀家の高松さんより自家農園のブドウをいただく。粒の見栄えはあまり良いとは言えないが味は悪くない。盆中の雨は嫌だ。暑いだけなら平気だ。

2015年8月11日(火) 晴れ
暑い。
ここの所朝3時半とか4時に起きて、先ず風呂で水シャワーを浴びてさっぱりとしている。本を読んだり映画を見てから朝の勤行になる。10時過ぎに身延のお姉さん、弟さんと一緒に新盆に来てくれる。西嶋の笠井さんから生花が届けられる。ずいぶんとこちらもご無沙汰をしてしまっている。今日も暑い日になり、怠惰に怠惰に過ごしてしまう。申し訳ないので、午後3時半頃外の便所を掃除する。部屋の外にプランターで緑のカーテンをしているが、朝顔が今年は種がよくないのか暑すぎるのか、あまり芳しくなく葉が枯れ始めたものがある。鐘楼の脇に植えておいたミツバツツジが枯れてしまった。鹿児島の川内原発が再稼働する。

2015年8月10日(月) 晴れ
雨は一粒も降っては来ない。
お不動様の雨嫌いは、安倍晋三のめちゃくちゃに腹を立てていることへの裏返しのように、今年はかつてないほどに厳しい。ポツダム宣言を受け入れた夏から70年、焼土と化してしまった広島や長崎のように、からからの固い土の上でおろおろと雨乞いをしている。
今朝は少し冷たさを感じる朝で、気になる個所の草をちょっとだけ刈り、胃になる個所に除草剤をまき、汗をたっぷりと吸い込んだ野良着を水洗いして軒端の竿に引っ掛ける。9時半ごろ内船寺の昂と清貴来てくれて二人で若い法華経を上げていってくれる。午後3時前に町内教職員の研修会の一行35名ほど来山。お不動様お開帳しお話をさせてもらう。暑い暑い本堂で、最後に「僕は安倍晋三の暴挙に本当に怒っていて、毎日彼を失脚させるためにお不動様と向き合っているのだ」と話した。夕方6時過ぎに内藤君新盆に来てくれる。僕が缶ビール2本、彼がノンアルコール2本飲むだけの時間の会話をする。僕たちももう十分に年を重ねた。
又吉直樹「火花」読了。いささか長く感じられ、最後の展開はとても突拍子もないことだとも思えたが、とても読みやすく好感の持てる本だった。

2015年8月9日(日) 晴れ
新盆に来てくれる。
午前中はいつもより涼しく感じられたが、午後からはまた熱くなった。昨日立秋を迎えたので幾分盛夏を越えたような日になったのか?午後2時半に醍醐の仲間たちが新盆に来てくれる。行藏院ご住職は経次第もこしらえてきてくれた。暑い中を来てくれた皆さんにビール、ビールもどきを差し上げる。あと今日の肝心は、ギョウゾウインご子息の結婚式の流れの打ち合わせにあったので、ざっと確認してもらう。10月に一度集まって練習をすることに決める。あとは雑談。その最中に、秋山さんと川口さんが新盆に来てくれる。二人には台所で少し涼んでいってもらった。

2015年8月8日(土) 晴れ
暑い。
11時の鐘を撞こうと外に出たところへ、豪一兄ちゃん、東京の三姉妹の4人が母の新盆に来てくれる。ちょうど妹のところから生花が届けられて、新盆の祭壇が整ったところだった。母の残したものを形見として持ち帰ってももらった。昨日の新聞で文藝春秋9月号の広告を見てすぐにamazonから注文した。「芥川賞発表 受賞作二作掲載」とあったのでお買い得だ。お昼前に届いて午後から少し読み始めた。先ずは何と言ってもお笑い芸人の又吉の「火花」から。暑いので本を読むのはいささか集中力に途切れがあるが、話題の作品なので盆前には何とか。毎日毎日暑い。昼飯の後体を冷やしに水風呂に入ってついでに頭を刈る。認知症の母は、真夏でも真冬でも外の決まった場所を日に何度も周回して過ごしていた。それはまるで「自分に課せられた使命」とでもいうような常人では考えられない行動だったが、この猛暑の夏を歩かせることがなかったことにホッとしている。

2015年8月6日(木) 晴れ
雨は降らない。
午後大きな雷が鳴ってちょっとぽつぽつときたが、待ち望むような雨には今のところならない。たぶんお盆前の草刈りは今日で終了。資料館前と客殿裏庭の草を刈って終了。木野の火事に出動したS君は今、自宅近くで新築の家の大工の棟梁をしている。昨日の話を少し聞くと、「今日も9時半から現場検証に行かなきゃならんので」と。昨日も結局一日仕事にはならなかったようで、また今日駆り出されるのには困惑顔だった。
母が亡くなってもう間もなく7か月が経過する。今日で母親の死亡に関する手続きの事柄がすべて終了した。さっぱりとして新盆が迎えられる。激しい夕立が来たら困るので、早めに本堂でお勤めを済ませ、女房と母の新盆のためにお参りしてくれる人たちのために、庫裏の座敷に焼香台を設けた。実は今日も午前中妹の寺の檀家の方が二人来てくれた。そうしたら妹夫婦がやってきて、ちょうど準備したばかりの部屋で回向してくれた。

2015年8月5日(水) 晴れ
昼火事。
隣りの高台にある集落で昼火事があった。昨日と反対側の畑の草刈りを進行させていたが、8時過ぎにはもう太陽の強い光に作業を折られてしまう。「熱中症対策」というシールの貼られたペットボトルの飲料をほぼ一息で飲み干
す。刈り払い機をいったん日陰に置いて、駐車場脇の溝の泥上げをする。近くの縫製会社の冷房に汲み上げている地下水が溝を流れていて長靴の足は冷たくて気持ちがいい。この作業を終えて、再び草刈に戻り切りのいいところまで刈って、続きは午後ということにし、風呂を洗いながら水浴びをする。その時に町の広報無線のけたたましいサイレンが鳴った。火災の通報で、隣りの集落を告げ、八日市場の消防も出動するようにとのことだった。しばらくすると防災ヘリが爆音を立てて何度も行き来しだした。富士川から消化の水を汲み上げては火災現場に水を空から降らせていた。ここからは直接火災の場所は見えないが、煙が大きく夏空に立つのが見える。夕方のニュースでは、住宅や物置など6棟が全焼したという。出火原因の家は出かけていたようで、火事によるけが人はないとのこと。夕方草刈りを終えるころになってようやく「火災は鎮火しました」と広報無線が流れた。7時間近く時間が経過している。それから水が間に合わない高台の集落なので、寺の駐車上脇の消火栓から、2代の給水車が交互に水を積んでは運んでいく。大きな火事で、この集落もやがて住む人たちがいなくなってしまうのかもしれないと思ってしまう。
新しい本堂の渡り廊下にもうサルの糞だ。干からびていたので、棒でそぎ落としてモップできれいに拭き掃除をした。生きることとはこんな風に思い通りにいかないことの連続だ。盆が来る。盆に帰ってきた人たちは、生きている者も墓から戻ってきた者も、すっかりと焼けてしまった家の後を見てどんな感情を抱くのだろうか。

2015年8月4日(火) 晴れ
草刈り。
参道右側の畑の草を刈る。午前中2時間。午後2時間。午後畑に出ると雷が聞こえて降ってくるかなぁと期待したがいつのまにか音も遠くへ消えてしまう。佐田家のご両親の共に37回忌の供養をする。10時半に墓地へ。炎天下汗を流しながらお墓に参る。ぼた餅をたくさんいただく。

2015年8月3日(月) 晴れ
新車購入。
10年半乗った車と交換に、軽自動車をいただいて帰ってきた。どのくらいの付き合いになるのか、もしかしたら最後の車ってなことになるかもしれない。後ろのドアは両側自動で開閉する、バックモニターが付いているような、結構グレードの高い軽を買ったので乗り心地はいいのである。一人で読経をして新車の無事故祈願をして車庫にバックで入れたのだが、ナビのモニターに映る後方映像を見ながらのバックはできなかった。暑い一日が今日も。法螺貝の練習を汗だくになってする。毎日空のかなたでゴロゴロ言ってるが、雨は降らない。

2015年8月1日(土) 晴れ
暑いが午後から遠く雷が聞こえる。
暑いこたぁ暑い。幾分風もあるが蒸し暑いというか、暑い。一日結婚式の次第づくりなどをした。明日が零れ落ちる中でBGMもなく、結構一心に次第づくりを進めて、夕方までに何とか骨子はできあがった。9日に宗務所下の方々が母の新盆に来てくれるというので、その時にちょっと目を通していただいて検討してもらおうと考えている。渡り廊下を作ってくれた遠藤さん足場の撤去を確認に来て、写真を撮り、野菜なども持ってきてくれる。最初の見積額より少し安く仕上がった。民俗資料館の拝観者あり。教育委員会から頼まれていたので中を開ける。風を通し少し館内もさっぱりとする。こうしている今も汗が背中も腹も流れている。

2015年7月31日(金) 晴れ
猛暑続く。
7月も今日で終わり。後半になって猛暑の日が続いている。昨年末に自分たちの寝る部屋にもエアコンをつけたので、この夏は快適な眠りをむさぼっている。今までだったら、暑くて眠れない夜は、窓を開けて網戸になっている部屋のはじっこにゴロゴロと転がっていって、とても冷たいとはいえない夜風を求めたりしながら、早く朝が来ないかなぁと悶えたもんだ。おかげで今年の夏はいい。今期をもって総代の任を終えいることになっている佐田さんに、8月1日付で醍醐派管長の感謝状をいただくことができた。たまたまご両親の塔婆を書いてくれと今朝来たので、お話をして感謝状をもっていってもらった。父の時から僕の代になってからも、大変に世話になっている。
午後一番暑い時にやってきて、業者の若者たち足場を片付けていってくれる。帰った後、渡り廊下に掃除機をかけ、完成なった廊下をはだしで歩いてしみじみと完成を喜んだ。

2015年7月29日(水) 晴れ
暑い。
昨日より気温は低いとはいっても暑い。朝起きて水シャワーを浴びる。日に何度か浴びるし、庫裏の浴槽に水を張ってそこに何度も体を沈めて暑さをしのいでいる。午前中11時前までかかって本堂の掃除と護摩壇の掃除と荘厳。午後、今乗っている車のETCを取り外して新しい車に付け替えるために三菱に行く。その前に銀行へ寄って車の金を振り込む。百均で蝋燭を20個買う。蝋燭は安くてもあまり関係ないような気がしている。平日のショールームは昼過ぎの一番暑い時間帯だし、来ている人も少ない。

2015年7月28日(火) 晴れ
朝方ちょっと雨が降ったが、日中は暑くなる。
朝ちょっと雨が降ったが、すぐに止んでしまい、昨日ほど暑くはならないといったって、35度あれば十分に暑いじゃないか。午後1時半から月例の護摩。東海師助法に来てくれる。今日は平日なので特に参座する者もなし。二人で本堂で護摩を焚く。この時期が一番つらい。暑いのも暑いが、炉のそばの仏器はみな熱くなってしまい、飲食と五穀の器を持って混沌することができない。汗はダラダラとかいたが、終わればなんかさわやかな気分になる。終わって冷房を入れた台所で僕はビール、彼はノンアルコールを飲む。峰入りは元気であれば70過ぎても大丈夫などと云うことを話して別れる。法螺貝はもう一度本気でやり直さなければならない。

2015年7月27日(月) 晴れ
車のお祓い1件あり。
とにかく暑い毎日である。暑いが寺の仕事とはほとんど無縁。丈の高くなった青草の中にミニトマトやシシトウ、オクラが少し生っているので、午前中草刈りをする。暑いが仕方がない。赤くなり始めたトマトをもいでは口に入れる。冷たくはないが心地よく酸味が喉をくだる。ブルーベリーも熟れたものをいくつか口にできた。夕べ電話があって、今日の夕方6時過ぎに元役場の同僚だったK氏の息子さんの新車のお祓いを頼まれた。「急なことで悪いね」とはとんでもない。ありがたくて涙が出てしまう。お布施のほかにお酒やスモモまでいただいて、僕はお盆が来るので線香を一つ渡すしかできなかった。懐かしい人がこんな風にしてきてくれるのは僕を気遣ってくれているからだろうかと勝手に思い込んでしまう。何とか生きてやってます。お昼のNHKの番組で、洞川の宿を映していた。先週行ったばかりで懐かしかった。龍泉寺の池には男性しか入らないのかと思い込んでいたが、白衣をつけて女性アナウンサーが入ったので「へぇー」って思った。明日は暑い護摩。

2015年7月26日(日) 晴れ
墓地草刈り作業。
午前7時から檀家の方たちによる墓地の草刈り作業。7月最後の日曜をお盆前の草刈りにあてている。さっぱりときれいになった墓地で、ご先祖様たちも本の帰宅の準備を始めることだろう。今日も暑い暑いとしか表現のしようのない一日で、いつもの年より30分早めて行って結果的にはよかった。もう9時ころには30度近くになっていた。今日は作業が終わった後、山門の大ケヤキを伐採したいということを説明した。前回の訴えは一笑に付されてしまったが、今回はもう表立って反対する人はおらず、眺めてもらえばいかに危険度の高いケヤキが立っているかということが理解いただけたのではないかと思う。盆の総会で賛否を改めて問うて、可決なればできるだけ早く倒してしまいたいと思う。台風の時季を一つ味わうのすらこっちとしては怖いのだから早い方がいい。

2015年7月24日(金) 晴れ
暑い。
帰ってきて暑い。今日は特に蒸し暑く、汗がだらだらと出る。奥駈に出ている間に本堂の渡り廊下仕上がっている。今朝、大工の遠藤さん最後の作業に来てくれる。あとは電気屋さんが終われば、足場を撤去して終わり。あたらしい木の香りのする廊下が完成。昼前に荷物が届き、地下足袋を洗い、ポンチョを洗って干し、法螺貝の網、結袈裟、引敷、螺緒などを乾す。

2015年7月23日(木) くもり
大峯奥駈D。
午前5時起床して温泉へ。川湯温泉というくらいで、川沿いに露天風呂が掘られている。昨晩の酒がまだ残っていて少し頭が痛かったが、温泉ですっきりとする。小雨降る朝。7時からの朝食前に、夕べ部屋の風呂場で洗った地下足袋と手甲・脚絆を大浴場脇にあった洗濯ルームの乾燥機で20分100円の乾燥にかける。地下足袋も乾燥とまではいかなかったがだいぶ水分が取れた。バイキングの朝食を腹いっぱい食べてゆっくりと便所に座る。ロビーの書棚で中上健次の本を見つけ「あーここは中上健次が育ったところだ」とあらためてジーンとなった。今日はバスに乗って本山に戻るだけ。靴下をはかずに素足に地下足袋をはく。本山での最後の駈出護摩も、雨でもなんでもいいやという気分になっている。午後1時過ぎに帰山。荷物を下しすぐに列をして護摩道場へ進む。ありがたいことに雨は上がってくれた。駈け出し護摩の後、道場内で、今回10回を迎えた4人に大先達の証が与えられる。三宝院玄関で最後の御法楽をして解散。白書院で昼食。修証殿に戻って送り返す荷物をまとめスーツケースを寺務所に預ける。濡れた靴下とパンツだけリュックに詰めて持ち帰る。地下鉄で山科に出て京都駅から帰山。ビール、ウィスキー水割りなど車内で飲む。一人静かになって、また人知れず峰入りの感動に酔い涙してしまう。これにて大峯奥駈完結。

2015年7月22日(水)
大峯奥駈C。
午前5時朝食。小雨が降っている。ほとんど乾いていない手甲、脚絆、着た切りの白衣、泥だらけの袴、濡れたままどろどろになった地下足袋、靴下も新しいのを穿く気分にならず昨日のままを穿く。朝食後雨中を出発。荷物は前鬼口までトラックに積んで運んでくれるので、法螺貝のみ持つ。ただし今回の参加で分かったのは、リュックだけでなく、小さなポシェットか頭陀袋が必要であった。前鬼口まで2時間ほど歩くのに、ペットボトルを入れるものがなく、仕方なく白衣の右のたもとに忍ばせることになったが、次回があるならこれは絶対に必要。途中不動滝は天候が悪い分、それはそれは見事な大瀑布。見惚れる。前鬼口で待ってくれていたバスに乗車。これで峰からは出たことになり、あとは今夜の宿の川湯温泉めざし、熊野新宮の寺社を巡拝する。先ず速玉大社。雨なので、拝殿まで招き入れてくれてここで御法楽する。その前に神主によるお祓いを受け、次に見目麗しい巫女に鈴を鳴らしてのお祓いを受ける。この方がまたお綺麗で、みな見惚れた。御新酒をいただくと杯はお土産となった。かまぼこセンターで昼食。急ぎ食い終わり便所に駆け込む。引敷、螺緒、手甲を外し、袴の後ろを下げて、注意深く便器に腰を下ろす。気持ちよくウンコが出る。袴の前も外し、パンツをあげて白衣を着なおして袴をしっかりと着け、出発時間ぎりぎりにバスに乗り込む。ポシェットも持たずだったので、財布はバックの中に入れてバスのトランクルームに入れっぱなしで、ほとんどお金を使わずに済むといういい面もあったのだ。今回の参加費用は、宿泊料もすべて込だったので、基本的に自分が必要でなければ使わずに済むというもので、休憩のたびに食って飲んで、土産も買ってという人たちもいたのだが、僕は全く無縁。飛瀧神社は、いわゆる那智の滝がご神体。雨は強く、滝からの飛沫も吹いてくる。ただしここも、普段では見られないという勇壮な滝の落下を見ることができて大満足。続いて那智大社と青岸渡寺参拝。ここは神社と寺が隣り合わせのところ。御法楽の後青岸渡寺でお茶の接待を受ける。しばらくバス移動して最後、熊野本宮大社を詣でる。各神社からお箸などのお土産も頂戴する。宿に入り衣体を解く。足が雨水でふやけたようになっている。温泉に入って汗を流し夕飯になる。ここでやっと精進落しの酒が飲める。手塚さんは教祖に山に入っているときは飲んではだめだと言われてきたという。それから「石田さんにもそれを伝えろ」と
言われたことも話してくれた。それで僕も一緒に我慢したというわけだ。恐るべし「岩部八大龍王大神」の主。最後の夜は無礼講の大宴会。峯中門跡の園田先生、本山先達や随喜の先達にも酌をする。同じ峰を歩きとおしたということで、親しく声をかけてくれ、「来年も待っているからな」とも。ありがたい。感動がじわじわと底から突き上げてくる。部屋に帰ってからも宴会。

2015年7月21日(火) くもり
大峯奥駈B。
午前2時過ぎ枕元のペットボトルの水を飲むと、しばらくして便意をもよおしてくる。この機を逃してなるものかと便器に座る。十分程の時間だと思うが、ほぼ納得いくだけの排便がある。4時前に起きて風呂にいく。さすがに誰も居ない。この温泉は熱い。今日歩いたあとに入ったら疲れがとれただろうと考える。6時少し前から朝食。バイキングで好きなものが食えて有難い。パンに珈琲という人もいる。峰入りは大概握り飯の昼なので、朝のバイキングは気分が高揚する。同室の先達に「水をどのくらい持っていきますか」と聞くと、「わし飲むさけぇ、3リッターだな」というので僕もペットボトル3本持つことにする。支度を整え玄関でリュックを背負ってみる。ずしりと重い。宿玄関で御法楽して8時バスで出発。朝日登山口よりいよいよ峰に入る。婿の時には雨が降り出していたが、まだ雨具はつけずに歩きはじめる。12時少し前に釈迦岳山頂に着く。雨も風も強い。御法楽の後山頂で昼食。いよいよここから延々と下り。おそらく5時間近く山を下る。石ころのゴロゴロとした山道は、やっぱし初めての僕にはちょっと厳しかった。上りならともかく、下りはすべることもあり、足元を絶えず注意しながらの必要がある。天候が悪いので薄暗くなり始めるのも早かったように思う。前鬼小仲坊について本堂前で御法楽。男性随喜20名は別棟の宿泊所へ。約20畳強の一間のみ。今回参加者は今年で29回の方から初めての僕までだが、12人は10回を超える大先達である。寝る場所もほぼ毎回同じメンバーなのか、大体決められているようで、新客の僕は両側に敷かれた布団の間の通路のような場所に布団を敷くことになった。ここは発電機で電気を賄っているので、夜8時になると電気が停まってしまう。夜中に便所に行く人らはみな懐中電灯の明かりを頼りに畳を歩くが、「踏まれないように気を付けて」など言われても、こちらが気を付けるのではなく「あなたでしょ」であるはず。まあこういう独特な雰囲気も山伏の世界なのであろう。新参者にいささか冷たい態度が幾分癪に障りもしたが、ここは年齢不問で、峰入りの数だけがものをいう奥駈修行の世界で、これはこれでいいのかもしれない。奥駈道が世界遺産になっているため、新しい水洗トイレが外に男女別で設置されていたが、小便器が二つと洋式大便器が一つしかなく、「こりゃぁウンコは無理だな」と思わなくてはならなかった。「明日飲もうな」と、手塚師と今夜も不飲酒戒。

2015年7月20日(月) 晴れ
大峯奥駈A。
午前6時三宝院玄関前で御法楽。進列して護摩道場で駈入護摩。バスに乗り込み一路洞川龍泉寺へ。バスの中でおにぎりの朝食。排便のことが気になる。龍泉寺では御法楽、柴灯護摩。お寺で昼食。大峯女人結界手前で遥拝御法楽。ここをからは5時に十津川の一乃湯旅館までひたすらバス。いささか乗り疲れ。温泉入って6時半から夕食。自己紹介する。明日猛暑の山入りとなれば水分補給を十分に摂らないともたないと、同室の先達お二人から助言される。今夜も不飲酒。明日の行程がちょっと不安。天気は良好。

2015年7月19日(日) 晴れ
大峯奥駈@。
午後3時半過ぎに醍醐寺修証殿に入る。随喜22名。新客は僕ほか2名。6時から精進カレー。長野の手塚師も8時前に到着。今夜は不飲酒。

2015年7月18日(土) くもり
夕方になってやっと青空が見え始めた。
ゆっくりゆっくり台風が過ぎていったので、今朝もまだ雨が降っていた。それでも午後には雨が上がるだろうと思ったので、3日ぶりに本堂を開けて朝のお勤めをした。回廊には猿の糞がいくつか残されていた。アジサイの花切りの続きをし、墓地のアジサイも花を切って、境内の東側の草刈りも済ませた。やっと夕方になって台風が去ったなぁという空に戻ってきて、雲の合間からところどころに青空がのぞきだし、静かな夕暮れ前に蝉が鳴きはじめた。蝉たちも鳴きたいのを我慢していたかのようだ。さわやかにはちょっと遠いが、夏の夕暮れ時である。

2015年7月17日(金)
不覚。
またしても失敗してしまった。取り返しがつかん。今朝本山へあらかじめ送っておくためスーツケースをクロネコへ持ち込んだのだが、台風の影響で中央高速もストップしているなどの影響多々で、荷物の配達に遅延が生じるかもしれないことを承知してほしいと言われた。本山へ送るときは、一日ゆとりを持って二日前に送っているので今日もそれでいいだろうと思っていた。「台風の影響」を全く考えないわけではなかったが、普段は前日送りでも届くのだから大丈夫だろうと思い込みしていた。「日曜の午前中に着けばいいのだが」と話すも、いくつかの配送所などを経て京都に着くのだから、ここの事務員と話しても彼女が必ず届けるということは約束できないというわけだ。荷物の届いていない本山に体だけ着いても、奥駈に参加することはできない。仕方がないのであきらめてスーツケースを持って戻った。さて、スーツケース、法螺貝、金剛杖に笠。電車の乗り換えと京都駅からバス停までくらいなら何とかなるだろう。東海師も葛城の行き帰りとも引きずって歩いたのだから。帰りは確実に送り返せるので。
台風は全くのんびりとゆっくり進んでいるようで、この辺りはもう影響がなくなったかなと思って、午後からアジサイの花切りをしていると、3時半ごろにはまたザーッと強く雨が降ってきたりして、あわてて寺に戻った。明日の午前中くらいまでまだ影響がありそうだ。

2015年7月16日(木)
台風11号。
台風で一日雨。なぜ明日を飛び越えて土曜まで雨なんだとニュースなど見ていると、この台風速度が異常に遅い。時速20キロだというから、長距離走のアスリート並みのスピード。人間が走るのならこれは早いと思うが、せめて動力車並みの速度で日本海に抜けていってほしいと思うところだ。奥駈行きの天候は心配なさそうだが、大峰から吉野への道などのこの雨の影響による災害が心配される。お笑い芸人「ピース又吉」の処女作「火花」が芥川賞をとったらしい。いずれ機会があったらぜひ読んでみたい。

2015年7月15日(水) 晴れ
失敗失敗。
朝刈り払い機の紐のやつで草を刈っていたら、飛んだ石ころで女房の車の後ろのガラス割ってしまった。大失敗。夕方若林さんに持ちに来てもらって修理に出す。「朝からでかい出費になったな」と大工さんに笑われてしまった。次からは要注意だ。まあ他人の車でなくてよかった。午後三菱に行き、車を買い替える契約をしてきた。「ek SPACE」というクルマ。ほとんど車を使うことのない生活になっているので、軽自動車でもいいかなと思う。台風の影響で明日から雨になりそうなので、大工さん方は夕方遅くまでかかって渡り廊下の骨組みを仕上げてしまい、屋根をブルーシートで覆ってから帰る。

2015年7月14日(火) 晴れ
渡り廊下の工事始まる。
いよいよ今日から本堂の渡り廊下の建て替え工事が始まった。大工さん方はみなさん60歳を超えたベテランばかりである。暑い日になって午前中は瓦を下す作業。陽を避けて仕事をすることのできない猛暑の中の作業で、みなさん個々に水分を補給しながら汗だくになって進める。午後からは廊下の解体。下の土台となっていた石には四角の穴があけられていた。池の端から本堂の回廊までの廊下が、実はいくぶん池側から本堂にかけて上がりの傾斜になっていたということには今まで気づかなかった。この傾斜を取るのにも時間がかかったようで、長い年月の経験者が4人頭を寄せ合ってはレベルを覗いたり。ようやく夕方にひと段落つき1日目終わる。上求寺から届けられた桃を少しずつだがお土産にしてもらった。

2015年7月13日(月) 晴れ
今日も暑い。
宿を出るまで9時半の外がこんなに暑いとは予想もつかなかった。最後に訪ねた佐田家で、「八王子が東京では一番暑い」といわれたが、なるほど、家に帰ってきてニュースで八王子が今日37度あったことを知った。まあそれでも雨の中を歩くよりはいい。午後1時過ぎに寺に帰ってくる。岩間の伊藤さん、「三守皇山大聖寺」の印を彫って寺に供えてくれる。この方酉年生まれで不動尊の信者さん。印章の町六郷に住み、山梨県伝統工芸技能士でもある。長く大切に使っていきたい。

2015年7月12日(日) 晴れ
東京棚経。
午前3時半に起きてドラマを1本見ながら朝食をとる。こういう時間帯でも平気で飯が食えるというのは、峰入りの時なんかは深夜に歩きはじめたりすることが多く、ご飯を食べる時間もまちまちだからである。便所に行き、6時3分の電車の時間を見ながら勤行もする。八王子経由で町田の甲地里家に9時半前について本のお経をあげる。二人の息子が来てくれていた。子供たちは習い事や受験のための模擬試験などがあるのだとのこと。どの家庭も諸事情たいへんのようだ。続いて小田急に乗り世田谷の佐田家に。二子玉川の高島屋のとんかつ屋で昼食をとろうと出かけたが、日曜のちょうど正午過ぎで、駐車場に停めるまでに大分時間がかかり、なおかつ店でも中に入るまでに店の外で待つことしばし。いも酎のロックを飲みながらロースカツ定食。あと2軒回って午後7時半に八王子の宿に入る。いささか疲れて、衣を脱いで裸になってコンビニで買った酒と弁当を食う。暑い暑い東京の一日。

2015年7月11日(土) 晴れ
快晴二日目。
午前3時過ぎに起きて録画したドラマなど見る。お勤め、朝食後、除草剤を参道から駐車場、境内と散布する。終わって頭を刈りシャワーを浴びる。11時から車の6ヶ月点検があり、その前に東京方面行きの電車の切符を市川大門駅で購入する。車を買い替えないかと勧められる。年明けが車検で11年目に入る。勤めを辞めてから車に乗ることがほとんどなくなった。税金の高い車なので、軽自動車でもいいと思っているのだが、女房は「飽きるんじゃない?」という。見積もりをしてもらうと「すぐに決めていただければさらに値引きができる」という。なぜ今でなければいけないのかと聞くと、「キャンペーン中だから」との返答。どうなったかは書かないことにする。今日はとにかく暑い。午後になって風もだいぶ出てきている。明日は6時過ぎの電車だ。八王子で一泊する予定。

2015年7月10日(金) 晴れ
やっと晴れる。
もう何日ぶりの青空であったことか。洗濯物も気持ちよく乾いただろう。僕も、峰入りから帰ったまま放っておいた引敷やポンチョ、洗った地下足袋を陽の下に乾かすことができた。乾かし終わって、地下足袋や法螺貝の網には防水スプレーを吹いて、奥駈に出かけるためにまたスーツケースに新たな荷物を詰めはじめる。客殿や庫裏の窓を開け放ち風を入れる。日曜にはまた出かけなければならず、明日一日で何ができるか。

2015年7月9日(木) くもり
梅雨の長雨続く。
雨ばかりである。地下足袋も洗っても乾かないが泥を落として洗うだけは洗った。法螺貝の網や螺緒、引敷なども、からっと晴れた陽の下に広げたいが叶わず。東京の盆に行く切符を買ってこなければならない。

2015年7月8日(水) くもり
葛城入峰A。
5時過ぎに起き、東海師と6時からの朝の勤行に出る。三宝院の庭を見てまたまた東海師は感嘆の声を漏らす。勤行には本山職員のほか、文化財調査に来ている大学教授と学生、三宝院憲深方伝授を受けている方々と人数も多かった。7時の朝食をいただいて山内を歩く。写真好きな東海師は携帯で撮りまくる。事務所に挨拶をして9時過ぎに京都駅にバスで向かう。以前から上がってみたかった駅の空中回廊に行く。天気が良ければ遠くまでの景色が眺望できたのだとは思うが。正午前の電車で帰途に就く。葛城も行けば行ったでよい山で、やはり気持ちにジーンとくるものがある。さて20日からの奥駈にまた備えなければ。

2015年7月7日(火) くもり
葛城入峰。
夕べ10時少し前に醍醐寺に着き、裏口から修証殿に入る。ロビーの向こうに手塚さんの姿が見えてビックリ。話していたのは、彼が属す教団の教祖様だった。一か月前に大峰行きでご一緒した時、あなたのお寺のお不動様を教祖は知っていたなどと云う話を聞いていたので、遅い時間だったがちょっとだけお話をさせてもらった。内船から乗車の東海師と、指定席を使って静岡までの短い酒盛りもする。今年は総勢28名の随喜参加があり、大広間も二部屋に男女別で床を取っていた。朝起きて、新潟の栗田先生も参加されていたので挨拶をする。朝は雨はなかったが、三宝院玄関前で御法楽ご乗車してしばらくすると雨が降り出し、葛城ロープウェイに近づく程に雨脚は強くなる。朝から女性修験者(東京:K師)の法螺はよく鳴るが、僕のはちっとも音が出ない。午後になってやっと出てくる。ロープウェイを降りて転法輪寺までどろどろの山道を行く。去年は風の強い雨だったが、今年は何しろ大ぶりの雨。テントの下で昼食をとり、12時から諸堂巡拝。午後1時から柴燈護摩供。ご住職の火床を整える作法が流れるように素晴らしい。初めての入峰修行の東海師はとにかく感激をしていた。来年もぜひ来たいと。午後5時半に帰着。白書院で入峰証とお弁当をいただいて、風呂に入ってから畑山商店に行く。男性の泊りは5人。女性は皆手塚さんの関係者の方ばかり6人ほど。

2015年7月6日(月)
山梨は雨。
午後5時半近くの電車で京都に向かう。朝から雨。ペットボトルの回収箱をステーションに運び、ワールドカップ女子の決勝戦が開始早々予想外の展開になり、興味をそがれたこともあり、護寺会の通知を郵便局から発送し、地元の檀家は戸別に配達する。雨が降り続く。遅い出発なので、午後のお勤めもし、出発前に頭も刈る。明日の今頃はもう葛城山からの帰りになるのだと考えるとちょっと不思議を感じる。

2015年7月5日(日) くもり
午前9時帰る。
ビジネスホテルで朝を迎え、夕べのことを思い出しながら頭の重い体を少しずつ一日の始まりモードに切り替えてゆく。7時前に食堂で朝食をとる。こんな安い駅前のビジネスホテルにも中国語の会話が聞こえてくるのだ。部屋に戻り8時過ぎにチェックアウトして9時には帰ってきた。娘は日曜の日直とのこと。相変わらず天気は悪い。ここにきて本格的な梅雨の季節が到来した感じ。関西方面の天候が気になるがこれもほぼ期待はできないような予報図。台風9,10,11と太平洋にあり、上陸する可能性は少ないようだが、影響の雨は避けられないかもしれない。

2015年7月4日(土)
醍醐夏の陣。
この集まりももうおそらく20年近く続いているのではないか。「醍醐夏の陣」とはよくぞ名づけたと感心している。昼過ぎに雨が降り出した。午後4時から山梨宗務所の会議を行藏院にて開催。会議といってもほとんど協議するようなことはなくて、宗費の負担割り当てを決めるだけ。例年通りとする。今年は昭島に住んでいる中島君が会議に参加してくれた。草の伸びる時期なので、月に何度も一宮の吉祥寺に来ては草刈りやら草取りをしているという。1時間ほどで終えて甲府駅南口の「七賢」で恒例の飲み会。ここは定額制で何でも好きな酒をいくら飲んでもいいというところ。生ビールの後黒生を頼み、各自好き勝手に飲む。料理も食べきれないほど出てくる。今年は数年ぶりに高橋君も誘った。念願の本山行きを控えている東海師は、子供のように喜びを発散しておおいに酔っていた。子供の生まれた此田君と、サラリーマン生活を一応卒業とした標さんに貴永師から花束が手渡される。皆外に仕事を持ちながら僧侶としても生きているのだ。11月22日にはまた僕らの一大イベントが待ち構える。行藏院ご子息の仏式の結婚式。楽しみながら模索していきたいところ。

2015年7月3日(金)
一日雨。
梅雨らしいと言えばそういうことになるが、丸一日雨、朝には大量の雨が降った。可燃ごみを出すついでに、墓地の方まで見回りをする。今夜遅くまで雨のようだ。本を読み映画を見る。韓国映画。

2015年7月2日(木) くもり
サルビアの花。
4時起床して映画を見る。早回し。5時過ぎから勤行。6時過ぎに車への給油と草刈り用のガソリンを買いに行く。朝食後身延駅へ京都行きの往復切符を買いにゆく。帰ってきて8時からの女子ワールドカップの準決勝戦見る。銅像の前に置いてあるジャガイモを猿に盗られないために、使っていない大きな鉄製のごみ箱を運んできて収納に使うことにした。これで良し。昼食後1時間ほど読書して飯富病院定期受診。帰りにコメリでサルビアの花を4株と、50円に値下げしていたひまわりを4本買ってきて畑に植える。アジサイを何本か切って挿し木にする。挿し木で育ったのを何本か墓地の参道におろす。その後1時間半ほど墓地の奥を草刈りする。午後5時15分終了。

2015年7月1日(水)
夕方雨あがる。
深夜からの雨が夕方まで続いたので、結構雨が降った。池も満水。昨日草刈りをして正解だったか。雨が降っているのに朝から猿が来ていて、畑のやっと青い実になりはじめたトマトを狙っているようなので注意して観察した。びしょ濡れになって外で餌をさがす奴らを見ているのは忍びないが甘い顔はしていられない。視線が一か所に固定してしまうと恐ろしいことが起きている。昼過ぎに帰ってきた女房が「本堂の廊下を猿が走り回っていて、もう近くに行くと臭いよ」という。傘をさして本堂に行くと、先日足場が組まれた渡り廊下から本堂の回廊と、垂れ流した小便はそこらじゅう、軟便の排泄も2箇所ほどある。異臭が漂っている。足場を格好の遊び場としたらしく、本堂の外灯のひもも引っ張って電気がついていたりした。もうどうにもならん。
午前中本山より連絡が入る。「褒賞下付願いの件」決済が下ったと。長年総代をお勤めいただいているSさんが来年1月の任期満了を以て退きたいということなので、ご自身にご病気もあるので、少し早いが8月1日付で出していただきたいと希望した。長年の労のねぎらいになるかどうかわからないが、父をも支えていただいた恩への感謝の気持ちとしたい。

2015年6月30日(火) くもり
一日草刈り。
参道両側の畑の草を一日かかって刈ってしまう。これで次お盆の前に刈るときはきっと楽に刈れると思う。あまり暑くなくて作業するにはちょうどいい日になった。シルバーの所長さんが依頼者と一緒に草刈りをする畑を見に来たりする。シルバーの人たちも毎日あちこちで草刈りだ。お昼のニュースで新幹線の車内で油をかぶって火をつけるという事故があって列車が小田原で停車しているのを見た。この間、この列車だけでなく他の新幹線の車両もストップしてしまうのであるからお騒がせにもほどがある。何故に無関係の人たちを巻き込まなくてはならんのか、自己完結したければ一人で迷惑かけない方法を取らなければいけない。来週京都へ行くが、こんな事故に巻き込まれたらせっかくの予定が果たせなくなるかもしれない。身延線にはもっと怖いものがひそんでいて、「鹿」。時々電車と接触して停めてしまうということがある。まだそう電車に乗り合わせたことはないが、2時間に一本のふじかわ号でこういう事故に遭遇したら、もう本山に行けなくなる可能性はかなり強くなってしまう。

2015年6月29日(月) 晴れ
大峯奥駈入峰申し込む。
結局一人で行くことになって今日FAXで申し込みを済ませた。20日から23日までの日程で、19日に本山に宿泊をする。午前中早い時間に本堂と護摩壇の掃除・仏器洗いをし、次の護摩に備え香盛りだけ済ませる。11時過ぎに足場屋さんトラックで来て、渡り廊下の脇に足場を組んで帰る。来月になれば工事が始まる。今日もからっとした暑い日になった。
昨年11月から今月末までの契約で工事の事務所として駐車場の一角を土建屋に貸していたが、いよいよ明日が末なので今日プレハブの事務所などが撤去となった。8か月も過ぎてしまえばあっという間だったなぁと感じる。

2015年6月28日(日) 晴れ
護摩を焚く。
先ず滅多にないことだが、今朝というか午前1時過ぎまで起きていて、ETVなんかの討論番組を見ていたので、朝はちょっと起きるのが遅かった。まあ一人だったし。東海師護摩の助法に来てくれて午後1時半から例月の不動護摩。百八支が終わったあたりから続けて3組の参拝者があり、みなさん本堂に上がってくれて最後まで参座していってくれた。こんなに大勢の人たちがいてくれるなんて珍しいこと。こちらも気持ちよく修法できたし、みなさんも大変に喜んでくれた。28日の今日が日曜日ということもあって、甲府からの子供連れご夫婦は、祭典にも来てくれた方で、今日はわかっていてお参りに来てくれたとのことだった。午前中、岩間の伊藤さんお参りに来てくれて、以前から訊ねたいと思っていたのだが、やはりご自身でハンコを彫っているとのことで、四角の古いハンコの文字を読んでもらえないかと訊いてみた。印影から刻まれた字を読んでくれたが、一つだけちょっとわかりづらいのがあったので、紙に押したものを持ち帰って調べてくれることになる。もう僕のようなものにはこういう難しい字は判読できないので今日はよかった。東海師と葛城入峰の打ち合わせなどし別れる。午後8時ごろ母娘帰ってくる。

2015年6月27日(土) くもり
法事あり。
朝早くから屋根を猿が飛び回り、いささかの二日酔いで眠りをむさぼりたかったのだがそうもいっていられなかった。土蔵の前に段ボールに入れて置いてあった貰い物のジャガイモを奴らに盗られることは避けたかった。幸い被害なく安全なように処置をする。10時半から後山の遠藤家の三回忌。雨がなくてよかった。普段はもう住んでいない家。水道も止まったままだと、ペットボトルのお茶をいただく。山からの水を引いてきて使っているので、水道を開通させるにはもう少し深く水銀の場所まで行かねばならぬということ。2軒あったここも、今普段生活する者はいなくなってしまった。合掌礼拝をして読経を始めたら、柱時計がボーンと10時半を告げた。「アーでも家は生きているな」と思ったことを法事後に話した。今朝早く来てまず柱時計のねじを巻いたという。こういう気遣いはそこで生まれて育ってきた者にしかわからない掟のようなものかもしれない。亡き者の妻と4人の子供たちだけの三回忌でも、帰りにはお布施とたくさんの供物をいただいた。

2015年6月26日(金)
雨降ってにぎやかに酒を飲む。
午後3時半頃に友人たちやってきて酒宴をはじめる。ちょうどいい具合に雨も降りだして、何か仕事をするような感覚はすっ飛んでしまう。こういう日が酒飲みにはとてもいい日和といえるかもしれない。ビール、焼酎、日本酒。YouTubeで昭和歌謡をかけ流し。会社が終業する時刻を1時間ほど過ぎて、現役の旧い友人がやってくる。退職の日に家に来てもらって酌み交わした依頼で懐かしい。午後9時半過ぎにはみな帰り一人の夜に戻り、シャワーを浴びて寝る。

2015年6月25日(木) 晴れ
30度超え。
いやー暑かった。ほんとに今日は暑かった。とても外で何か作業をするなど考えられないので、大きな屋根の下の涼しい家の中で本を読んだり、昼寝をしたりして過ごす。明日から週末はまた天候が崩れるようなのだが。母娘は、義兄たちと金沢方面に初夏の旅行に出かける。朝5時半過ぎに出かけた。北陸新幹線利用である。メダカの水槽や瓶を掃除する。

2015年6月24日(水) 晴れ
よく働いて。
金曜に本尊のお開帳があり、民俗資料館も見学するとのことなので掃除をしてきた。ダンゴ虫の死骸がいっぱいフロアの隅にあった。今年は多いみたいだ。掃除機をかけ便所を掃除し、入口のドアも洗剤とブラシで水洗いして硝子もきれいにする。終わってから前庭の草刈り。そのまま午前中は畑の草も刈る。午後竹林のタケノコの刈り倒し。今日も午後から天気が崩れるかなと思っていたのだが一向にその気配なく、午後2時から4時半過ぎまでかかってきれいに刈り倒して草も刈ったりする。昼食後に久しぶりに海老原君訪ねてくる。夕べは赤沢の江戸屋に泊ったとのこと。相変わらず仕事は忙しそうで各地をカメラもって駆け回っているようだ。今日はよく働いてだいぶ仕事が捗った。明日一気に本堂裏も刈ってしまうか?でもだいぶ疲れた。

2015年6月23日(火) 晴れ
午後5時涼しい雨が降ってきた。
午前中客殿裏庭から寺墓地周辺の掃除をする。これでこの時期にやった方がいいという掃除の方は一区切り。あと竹林の若いタケノコの周辺に伸びてきたのを刈っていく作業があるがこれはまあまだ放っておいてもいいだろう。それから本堂の裏の草刈り。これも慌てなくていい。そんなこんなで日々を送っているとやがてアジサイの剪定やまた畑の草刈り、除草剤の散布などしなければならなくなる。午後読書や映画を見た後、護寺会の通知を封筒に詰める。葛城山に行く前に配る。蒸し暑く感じていたが、夕のお勤めをしている間に夕立で終わるのかもしれないが雨が降りはじめて涼しい。

2015年6月22日(月) 晴れ
草刈りと刈り込み。
こういう単調な仕事を疲れを引きずらない程度に続けている。客殿の裏庭をする。枝や葉の片づけは明日に回した。11時からの地区の葬儀に焼香と村香典をしにゆく。ここ数日涼しいような日が続いたが今日は暑くなった。ドラマや映画、落語など録りためたものを見る。明日は昼過ぎまでは雨はなさそうなので、早めに片づけてしまいたい。

2015年6月20日(土) 晴れ
表の刈込は終わり。
刈込は後、客殿裏庭の刈込が残る。表は今日の午前中で終わり、さっぱりときれいになった。午後は読書三昧。夕方お勤めの後、来週末の法事の塔婆を書き、甲府のS土建から届いた落札工事の「工期内完成」「工事安全」のお札を書いて祈願をする。7月に出す、護寺会通知の宛名と封筒の用意。いくつかの細々としたことをちょっとずつ片づけてゆく。

2015年6月19日(金) くもり時々雨
午前中刈込作業。
少し雨が降っていたのでどうしようかと迷ったが、ツツジを刈りこんでおいたほうがよさそうなので始める。雨に濡れているので刈込機の扱いが普段と少し勝手が違った。そのうちに慣れてきた。なんとか午前中にやってしまいたかったところだけはできた。森林組合でもう大ケヤキの伐採の見積もりの下見に来てくれて、こちらがしてほしいことなどを話す。実際にGOということになれば、横に太く長く張った根を掘り返して石畳を新しく並べ替えすとなると相当費用もかさむかもしれない。まあそのあたりは最後の相談の部分だ。
今年は真竹のタケノコの出がよいようで、毎日収穫できている。それで親戚や女房の知り合いなどにせっせと届けている。「こんなもの」とどうしても思いがちだが、竹林のない家ではこのタケノコを時季の味としてとても楽しみにしてくれているのである。届けるとお返しにと、タマネギや収穫したてのジャガイモなどをいただいてくる。畑で手をかけて作ったものをいただくのは何とも忍びないのだが、ありがたく頂戴する。サルの群れが今他所に行ってくれているようなので、もうしばらく現れないでほしいと願っている。

2015年6月18日(木) くもり
夕方になって本降りになってきた。
午前中、昨日参拝のあった放光寺の巡礼団から頼まれたご朱印を書いて送る。コメリに灯心の支えにする「つめ付ナット」を見つけて買ってくる。行藏院のご住職に、灯心セットを送る。勝手に送りつけるのではあるが、うまく利用できてくれるといいがと思っている。ご子息の結婚式のことを少し頭に描きだし、渡部俊現僧正の著した「真言宗大寳典下巻」の「仏前結婚式次第」を繰る。神前の式では三々九度は酒だが、「誓水」ということである。金剛誓水。灌頂の時に汲む水が「閼伽水」である。上醍醐で今もこんこんと湧き出している水が醍醐水である。この醍醐水を「誓水」にしたらどうだろうかとも思った。一般に言う、「みずさかずき」ではないことをよく理解していただく必要はあるかもしれないが。

2015年6月17日(水) くもり
雨が気持ちいい涼しさ。
朝早く、緑の相談所 (旧 山梨県緑化センター)の樹木医が山門のところのケヤキの診断に寄ってくれた。檀家から二人が立ち会ってくれて話を聞いたり質問などをする。倒木の危険度はだいぶ高いということ。前の集落道を10年ほど前に掘って下水道を敷設したが、この時に深く掘って根を切断したのではないか、その影響が顕著に表れているのではないかとのこと。今後もこの巨木を管理するには、支柱などを施さなければならないだろう。頭を切るにも金はかかる。僕としては、もうあきらめて根元から伐採してしまいたいと思っている。7月末の墓地の掃除のときに檀家の皆さんに相談して、8月の護持会総会に諮りたいと思う。一応、過去にも伐採を頼んだ森林組合へ伐採の見積もりをしてほしいと連絡する。午後2時に放光寺の百八霊場を巡礼する団体の参拝がある。今日はご住職一人が付き添いで来られた。心経を皆さんとあげ、その後に簡単に説明をした。まだ雨は落ちてこない時間だったのでよかった。午後3時半頃から雨降りはじめる。その時間に霊場巡りのご朱印1名ある。

2015年6月16日(火) くもり
刈込の続き。
雨が落ちてはいなかったので始めた。本堂周りのツツジの刈込。鐘楼脇のハイマツ(這松)の刈込。11時の鐘を撞いて葉を片付け、刈込機などの道具を片付けて11時半終了。ちょうど雨がポツリポツリと来る。風呂を洗うついでに頭を刈る。雨は大したことなく午後もやればできたが、ちょっと体がしんどいのでやめにした。あとは生け垣と、ツツジ、黄梅の刈込が残る。もう一日やれば済むだろう。先日来た原小の2年生から見学のお礼の手紙が届いた。夕のお勤めをしているところに担任が届けてくれたようだが、女房曰く「先生がお寺の字を間違っているんだから」と。確かに。先生の手紙の書きだしは「大勝寺のみなさんへ」だった。子供たちは4人とも「大しょうじさんへ」とか書いてあったので、こちらは正解。先生だけが不正解である。大卒2年目くらいの先生なのだと思うが、こういう間違いは極力回避しなければ相手に失礼。

2015年6月15日(月) 晴れ
お礼参り。
東海師が職場の後輩の初めての子供の安産祈願に連れてきたOさんが、「5月に無事に男の子が生まれた」と報告とお礼参りに訪れてくれた。お不動様の御宝前にお酒を供えて「ありがとうございました」と僕も報告。
明日からまた天気が下り坂らしいので、朝から池の周りの植栽の刈込や枝切りなどする。朝から気温が上昇し暑い日になる。水分補給も頻繁に。サルが現れるので、できるだけ混雑した枝を下して明るく保ちたい。椿の太い幹を幾本か切る。これを片付けるのに息が切れる。暑くて、汗が噴き出て腰にもくる。昼食をはさんで5時過ぎまでかかって、枝葉も片付けて掃除して終える。残りは明日の天気次第。

2015年6月14日(日) 晴れ
葛城入峰申し込む。
朝方ちょっと雨があったがすぐに晴れ間になった。娘は友達とディズニー・シーへ朝早く出かける。東海師とメールでやり取りしていたのだが、今日休みとのことで寄ってくれ、本山からFAXで送ってもらった申込書に二人で書いて入峰を申込みした。今回は彼の勤務の都合があるので、夕方出て本山へ午後10時ごろ到着予定となる。本山は初めてなので、葛城帰りももう一泊させてもらって境内を案内してあげようと考えている。明日から生垣やツツジなどの刈込をはじめようと思う。

2015年6月13日(土) 晴れ
初めて動画の編集などやってみた。
Freeの「VideoPad 動画編集ソフト」をDLして、少しの写真と大峰の小篠での柴燈護摩を編集して、YouTubeにアップした。何も使い方がわからなかったのだが、これはもう凄い!としか言いようがないんだけど、使い方が全部YouTubeに出ていて、懇切丁寧に教えてくれるので、まったくのド素人の僕にも、BGMまで入れてできてしまった。この進化というやつは、どこまでも果てのないもののような気がした。葛城の蓮華入峰にも東海師と共に行くことにした。それから7月20日からの奥駈入峰にも行ってこようかと考えているところだ。今年は三つの修業を味わってしまおうと思う。

2015年6月11日(木) 晴れ
仏像ガール参拝。
午後二人連れで若い女の子が来た。ご朱印を書き、それからネットで調べていたようで、「不動明王」と「聖天像」を拝観できないかと。聖天さんはあまりお見せするのに気がのらないのだが、強い希望があるようなので公開。その後も本堂でお話をする。「実は昨日まで出かけていたのだ」とも。とてもラッキーそうに喜んで帰って行かれた。28日の護摩にもぜひ参座してみたいとも。夕方スーツケースの荷物が返ってくる。泥だらけの地下足袋を洗い、袴などの衣類も、「明日が雨かもしれない」と女房は洗濯してくれる。午後から写真の取り込みや「徒然」を書いたりする。骨休みになったかどうかわからんような一日になる。

2015年6月10日(水) 晴れ
大峯花供入峰D。
7時に松屋で牛丼の朝食。8時に宿を出て歩いて聖護院を参る。まだ本堂拝観の扉は閉められたままだ。青蓮院も拝観する。以前秋の紅葉ライトアップの時に来たことがあった。バスで京都駅に戻り、早めの昼食をとって11時56分の新幹線で帰途に就く。今日の京都は朝から気温も上がり暑さが戻った。午後3時半下部温泉駅着。お二人と別れる。女房が迎えに来てくれている。アジサイが出かけた日より数多く鮮やかに色づき始めている。東海師より「おかえり」のメールが届く。

2015年6月9日(火) くもり
大峯花供入峰C。
午前3時朝食。雨はやむ気配なし。「一日雨だろう」と地元の人。数年前の台風による山道が今もって復旧ならず今年もバスでの地蔵峠までの移動となる。来年は元のように歩きの行程となるらしい。40分ほどで地蔵峠着。地蔵堂で御法楽し、鳳閣寺まで雨中を歩く。体温が上がりメガネの曇りが取れない。理源大師廟に参って御法楽後、鳳閣寺で柴燈護摩。門跡が合羽を着て導師をお勤めくださる。林の中の道を歩いて地下足袋もぐしょぬれ、もう完全にあきらめのずぶ濡れ状況になる。鳳閣寺では護摩の後、地元の皆さんが善哉を振舞ってもてなしてくれる。寒い体が温まる。ここから吉野金峯山寺まで吉野の山くだりが始まる。「慚愧懺悔、六根清浄」を唱えながら雨の細い山道をひたすら我慢で進む。林の中を抜けると長い石段の急な下りが待っている。若い参加者でも、足が痛くてまっすぐに歩いて下れなくて、少し体を横にまげて右左と一歩ずつ並行に足を出して進んでいく。昨日の大峯入りで足を痛めて、吉野下りをあきらめてバス移動する方たちも何人もいる。金峯神社に着いて御法楽。最後は拍掌。雨宿りしながら早めの昼食。3個のおにぎりは冷たくて旨くは決してない。仕方なく腹に詰め込むという感覚。吉野の蔵王堂まで20分ほどのところで全体の隊列を組みなおして信列をはじめる。吉野の宿に入ったところで、バスの部隊が列に加わる。最後に門跡猊下が蔵王堂の階段下で加わる。火曜日の雨ということでほとんど参拝客もなく静か。蔵王堂で御法楽をする。終わって記念写真。法螺貝を抱えているだけでも最後は腕が疲れてくれのだが、今年は法螺貝を包む網袋が雨を吸って重くなるし、袴も地下足袋も雨で本当に重かった。そんな訳で今年は吉野の駅まではロープウェイで降りた。土産物屋でおでんとビール。雨がやっと上がる。バスにて午後1時に醍醐寺へ向けて出発する。3時過ぎに到着。護摩堂前で駈出護摩を修めて成満の報告。無事終わったことで気持ちが高ぶり、唱える真言がこみ上げるもので途切れてしまうこともあった。三宝院玄関前に整列して帰山の報告。解散後、白書院にて入峰証とお土産をいただく。修証殿で地下足袋を脱ぎ衣体を解く。送り返す荷物をまとめスーツケースに詰め、今夜の宿(叶屋)行き荷物と分け、スーツケースは着払いで送り返す。バスで京都駅まで行き、そこからタクシーで叶屋へ。すぐに銭湯に行く。きれいに洗い流して夕飯を「楽庵」でとる。生ビール、日本酒、つまみの各種おばんざいがこれまた絶品。ドイツの青年と4人部屋の二段ベッドで泊る。

2015年6月8日(月) くもり
大峯花供入峰B。
午前零時半朝食で1時から龍泉寺池にて水行。入ってしまえば水に肩までつかっている方が温かく感じる。宿の温泉で体を温めていざ大峯入りの衣体を着ける。雨は落ちていないので合羽はリュックに入れる。午前3時前に龍泉寺を出立。寝静まっている真っ暗な洞川の宿を法螺を立てながら進む。清浄大橋を渡り、女人結界の門をくぐり登りはじめる。今年は事前の運動不足が否めないので足が最後まで持つかなという不安がある。4時を過ぎると少しずつ明るくなりだす。やがてライトを消し山道をひたすら歩いて登る。傳法学院生たちはいつものように、両館に叱咤されながら、『慚愧(ざんぎ)懺悔(ざんげ)六根清浄(ろっこん しょうじょう)』を繰り返しながらはやい速度で山を進んでゆく。7時ごろに山上の大峯山寺に到着。記念の焼き印を杖に刻印してもらう。休むことなくここから小篠の根本道場へ峰を歩く。園田師導師で柴燈護摩。再び山上の大峯山寺へ戻って辻堂の柴燈護摩。終わって参籠所で昼食。来た道を下山。やはり運動不足がたたり、下りは杖を頼りにしないと膝にこたえた。午後1時ころに結界門を出て清浄橋を渡る。突き上げてくる便意を我慢しながら下ってきたので早々に便所に飛び込み用を足す。茶屋でおでんとビールを飲んで全員の帰還を待つ。午後4時前から雨が落ち始め、合羽を着て龍泉寺まで隊列が進む。御法楽後に解散。お山から帰ったので今晩の夕食はちょっと豪華。夕食後宿代の清算。酒も飲みたかったが疲れと眠気の方が勝っていて早めに就寝とする。3日目終了。

2015年6月7日(日) 晴れくもり
大峯花供入峰A。
4時半朝食。6時に三宝院玄関前にて御法楽。留守部隊に見送られながらバスにて大阪報恩院に向け出立。報恩院着。不動寺の草柳師にもごあいさつ。御法楽後ここで峰入りの部隊を整え、法螺を立てながら四天王寺へ。雨どころか四天王寺ではおそらく30度近い気温になる。本堂前で柴燈護摩。終えて再び歩きで近鉄線阿部野橋駅へ。ここから貸切電車で下市口駅へ。電車の中で早めの昼食をとる。下市口からバスで洞川に向かう。洞川着。日曜なので小中学生たちのお迎えはないかもしれないと思っていたら、あった。地元の老若男女総出のお出迎え、そして児童生徒、先生たちが大きな声で「ようおまいり」を連呼して三宝院門跡の花供入峰をお迎えしてくれる。毎年この出迎えには胸がいっぱいになり涙が出そうになる。ありがたく、しっかりと入峰修行をしなければならんという心持になる。宿は一昨年泊った「さら徳」。長野の手塚師とも同じ宿になる。まだ夜はストーブを点けている。二日目終了。

2015年6月6日(土) くもり
大峯花供入峰@。
下部温泉から7時過ぎの「ふじかわ号」特急に乗車。甲府の行藏院、玄法院ご住職と合流。天気の変わりようだけが唯一の心配。11時前に京都着。八条口の京阪バス待合所でコンビニ弁当を食って醍醐寺行きのバスを待つ。去年ご一緒した大阪の殿村さんもそこに現れる。醍醐寺に着いて三宝院でスーツケースを受け取り、宿泊所の修証殿へ。一年ぶりにお会いする顔がいくつもあるも、ご病気で来られなくなったという方のことも聞く。受付を済ませ着替えて午後2時から駈入護摩。去年より随喜者は少し多い。やはり本山での柴燈護摩の時には気が引き締まり感動がある。終えて修証殿へ戻り、入峰心得など伺って夕食。肉なしのカレー。こんにゃく、厚揚げなどが煮込まれている。夕食後に外に出ていつもの酒店でしばし歓談しながらガソリン補給する。風呂に入り初日終了。

2015年6月5日(金) くもり
ちょっと寒いくらい。
午後になって雨が降りはじめた。午前中早い時間に昨日刈り残したところを刈ってしまい、一応大峯前に区切りをつけた。太い旨そうな竹の子が何本も顔を出している。雨になればこれで次々と出てくる。昼飯前に墓地の奥まで見に行ったときに一匹猿が竹林から飛び出してきたので心配したが、群れでは来ていないようなので少しほっとした。「猿が来ていたからな」と女房に話す。毎年うちのこの真竹のタケノコを楽しみに待っている人が何人かいて、女房が刈り取っては届けているのだ。夕べの初物はとっても美味かった。京都、奈良の天候は明日、明後日はいいようだから、明日の午後の醍醐寺での駈け入り護摩から、翌朝の出発して大阪;天王寺での護摩、洞川;龍泉寺での護摩まではきっと大丈夫かもしれないが、8日の大峯山、9日の吉野までの道程は多分降られるような天気予報だ。できれば天候がよくなってほしいところだがまあこればかりは。明朝、7時過ぎに下部温泉駅から乗車。甲府:行藏院、玄法院ご住職と一緒。

2015年6月4日(木) 晴れ
竹の子。
昨日雨が降って真竹のタケノコが生えてきた。これがこの時期の楽しみ。朝から竹林の周りの草を刈る。雨上がりで今日はまた気温も上がり汗をびっしょりとかく。午前中で終了。残りあとちょっとは明日の仕事とする。朝早く身延駅へ京都行きの切符を買いに行き、醍醐寺に宛ててスーツケースも送る。妹夫婦午後から軽トラで来て母のもろもろを持っていってくれる。桐の箪笥、衣類、手紙など。軽トラ一杯に夜逃げ夫婦のように帰ってゆく。こっちは部屋が片付いてさて何に使おうかと新たな楽しみが生まれる。

2015年6月3日(水) くもり
久々の雨。
朝4時半くらいからぽつぽつと落ち始め、次第に雨脚が早くなり、昼過ぎまで結構よく降った。アジサイもほっと一息つけた。11時に県民信組市川支店で小林行政書士と待ち合わせ。母の口座の残額を相続して通帳を解約する。4万円ほど。妹今日も午後やってきて母の衣類などを持ってゆく。家の中がだいぶすっきりとした。持ち帰った服や着物などは後どうなるのかわからないが、まあ彼女なりに有効利用するのだろう。こういう場合嫁である家内はこれらのものをやはり処分するというか取り扱いはできる限り遠慮したいようだ。男の僕は全く関心がない。少しずつであるが亡き母のことが片付いてゆく。

2015年6月2日(火) 晴れ
早く梅雨に入らないかなと思うが、大峰の峰入りは降らないでほしいという揺れる心。
今日は幾分過ごしやすい天気。湿り気のある風が吹いてきて、明日午前中にかけて弱い雨という予報だが、実際にこの辺り降るのかどうか?去年の大峯の時は、ちょうど大峯山からの帰りにどしゃ降りに見舞われて、帰りの龍泉寺までは地下足袋はもう水浸しだった。天川村の7,8日は曇り、吉野へ向かう9日は時々雨になっている。6日の京都は曇り。まあ雨も覚悟しとかなきゃならんのだろうな。白衣は2枚荷物に詰めたが、できれば1枚だけで通したい。できるだけ山行きの荷物を減らしたい。行政書士との打ち合わせ。なかなか母の後のことが閉められない。妹も今日は来てくれる。母の衣類の整理など少ししていってくれる。欲しいものは何でも持っていってくれと話す。

2015年5月31日(日) 晴れ
新車お祓い一件。
どこかが狂ってしまったような異常気象の暑さだ。それに地震も頻発しているし、火山の爆発もある。弓の島の大黒柱がずれてしまっているのかもしれない。取り返しのつかないような大事が起こらなければよいが。午前中境内の草を刈る。義姉夫婦が訪ねてくれて、「暑いから休み休みやれよ」といわれる。午後2時ころ、大月の蔦木さん新車のお祓いを受けに来る。大月からわざわざここまで1時間半もかけてきてくれるのだから頭が下がる。布施のほかに焼酎も一本ぶら下げて。今回のは社員用の車で、7月には孫たちも使うような車を買うので「また頼む」と。本当にありがたい。大峰行きの荷物を送るスーツケースに詰め始める。

2015年5月29日(金) くもり
雨にはならず。
幾分涼しくて過ごしやすい日になる。本堂の掃除。もう5月も終わりになる。芸能人何人も亡くなる。鹿児島県口永良部島で噴火がある。全島避難。った。噴火警戒レベルは最高のレベル5。噴火の予兆は十分にあったようだ。アジサイ色づきはじめる。

2015年5月28日(木) 晴れ
護摩を焚く。
今日も暑い。昨日刈った畑の草を2か所に集めて焼却する。午前中は風もなく、危なげなくきれいに燃えてくれる。11時過ぎに本堂に入り28日の護摩の修法に入る。都留市から山本さんが11時半頃来るという連絡があったので早めに始めて、前供養から護摩に入る手前まで進めておこうと考えた。大峰に穿く白い山袴に白衣で壇に上がる。先日「福生」で丈を短くしてもらって買った白衣を着けてみる。涼しくて、裾も邪魔にならず着心地がいい。12時に山本さん見える。散念誦を短くして入護摩する。12時45分に終了。炉のそばに置いてある飯食、五穀器が触れないほどに熱くなる。終われば汗びっしょりになっていた。お友達と二人で来た山本さんには、庫裏で素麺の簡単な昼食をとっていってもらう。庫裏はだいぶ涼しい。午後は昼寝したり本を読んだり、護摩壇の仏器を洗う。掃除は明日。頭を刈る。

2015年5月27日(水) 晴れ
畑の草刈り二日目。
今日も一日夏のような一日。外の作業もちょっと出るのにためらいが生ずる。そのくらい暑いので、草刈りなんてまっぴらだと思ってしまう。涼しい庫裏で寝転がって本でも読んでるのが一番だ。それでも午前中に参道左側の畑の草を刈ってしまう。これでしばらく休める。2年ほど前からこの畑に水が湧き出していて、水の湧いて流れるあたりの草の伸びがよすぎるのでこれが曲者。午後本を読みながら昼休み、昼寝。3時少し前から民俗資料館の垣根を刈りこむ。蜂の巣があって鉢が飛び出してきたので、顔を覆う網のある帽子にかぶりなおして続行。刺されずに4時半に終了。大峰行きの荷物の準備など始める。

2015年5月26日(火) 晴れ
畑の草刈り。
参道右側の畑と民俗資料館の前庭の草を刈る。今日は11時に横浜から古い聖教を見たいという方が来ることになっていたので、10時頃までやろうと始めたのだが、9時半にはタクシーでその方が来てしまったのでやむなく中断。山梨県史に載っている大聖寺文書のなかで2箇所を実物を見て調べたいとのことだった。父が生前に最後の力を振り絞ってまとめた文書であるが、僕にはそれを改めて紐解くほどの学はない。それでも3月頃からいくつかの文書を引っ張り出しては眺めてみたりする。この寺の僧侶たちの生活なども見えてくるというものだ。僧侶が妻帯していなかった時代は、寺の僧侶が5,6人いて、それに下男が一人住むというような暮らし方だったようだ。11時過ぎには用を済ませてお帰りになられた。昼休みをして2時半から5時前まで作業して終わる。草が大きく太くならないうちに刈れば楽だ。刈る回数は増えるかもしれないが時間はたくさんあるので。それにしても暑い。今日と明日獣除けの扉の朝晩の開閉当番。

2015年5月25日(月) 晴れ
夕方クマの目撃情報あり。
お勤めをしていたら町の広報が流れ、午後5時前に家の墓地の少し上で、クマを見たという情報があったので十分に気を付けるようにと放送があった。夕方買っている犬を軽トラに乗せて、獣除けの扉を開けて内側に入って夕方犬を遊ばせる人がいるので、きっと犬が騒いでその人が見たということかもしれない。見たものが本当に熊だとしたらこれは要注意である。というかこれから内側に入ることが何となく怖くなってくる。ここのところ猿が来ていなくていいと思っていたら、「いきなりクマかよ!」って感じである。クマがいるので猿が近づかなかったりして。

2015年5月24日(日) 晴れ
法事あり。
11時から1歳で突然死した女の子の17回忌の法事をする。お母さん、おばあちゃん、兄二人、そしてその後に生まれた弟が出席してくれる。兄は20歳と19歳になり、共に働いているとのこと。女の子も元気でいたらいまどきの高校生として楽しく生活していたのだろうと思う。兄たちもお母さんも小さな骨壺を夫々が抱いて話をした。おばあちゃん夫妻が墓地を取ってあるのだが、墓の建立までには至っていなくて、位牌堂に預かっている。日々の暮らしの中ではだんだん女の子のことを思い出すということが薄れてはきているだろうが、こういう時に寺を訪ねて思い出してあげる時間を大切にしてほしいと話をした。法事を終えてケータイを見ると電話とメールがあった。昨日きたのかな?と開いてみると、ちょうど今日の11時過ぎのものだったのでほっとした。どちらもK君からのもので、メールにはこんな風に書かれていた。「早速ですが、そして私事で申し訳ないのですが、先週の木曜日に3,300cの男の子を出産しました!」と、あたかも自分が産んだように書かれていた。「いきなりの報告で申し訳ございませんでした」とも書かれていたが、彼の興奮とはじける喜びが十二分に伝わってきた。寺の後継が生まれてご両親もお喜びのはず。今夜は僕もK君に杯をあげなければならん。

2015年5月22日(金) 晴れ
草刈り三日目。
9時半に原小学校の2年生が本堂を社会科見学に来るので7時前から8時半ころまで草を刈る。頭を刈りながら髭を剃り風呂を掃除する。一石三鳥。9時半ちょうどに小学生やってくる。担任と教頭。今年の2年生は男が4人と聞いていたが3人で、今日休んでいるとのこと。3年前に作った資料が去年も今年もそのまま使える。30分ほど話をして質問など受ける。今年の児童は最後にお堂の中の気になるものなどを絵に描くという作業があった。添え護摩木に願い事を書いてもらう。3人ともサッカーがうまくなりたいとある。担任はよい教師になりたいと書いてあった。良い教師がよい子供たちをはぐくんでいくということで、教師の役割はこれからもっと重要になってくる。間違っても安倍晋三のような心を伝えてはいけない。教頭に訊くと、今年と来年度をもって原小はなくなり、下山小に合併してそちらへ通うようになるとのこと。「今年の1年生が、2年になったら最後に来てくれるのかな?」と話す。お不動様も少しさびしくなる。昼休みをして午後また墓地へ出る。日曜には雨になるようなので、刈った草を集めて燃やす。適度に乾いてよく燃える。残りはまた明日。ウグイスの鳴き声がよく通る。ツバメが飛び交う季節になった。

2015年5月21日(木) 晴れ
草刈り二日目。
深夜1時過ぎから20分ほど雨がある。遠来が聞こえやがて大きな轟きがあって雨がやむもまた4時近くに少し降る。雨があったのと、初日の疲れが肩にきていて8時から作業を始める。11時まで作業して午後は2時から。4時半までやってなんとか終える。あともう少し。最近またイノシシが畑を荒らしまわっているようで、動物が通るとセンサーが反応して自動で録画するカメラを集落の4か所に産業課で設置した。墓地に山道の入り口にも設置して、昨日ちょうど職員が来たので扱いを教えてもらう。通常の動画がメモリーに記憶されるというもので、これならわざわざ役場からくることはないと、僕が見るということにした。

2015年5月20日(水) 晴れ
甲府では30度越え。
暑い一日。7時前から墓地の草刈りをする。3時間ほど作業して終了。途中2度水分補給。まだ体が草刈りモードになっていない。増穂でラーメンを食べてエルクへ行く。大峰行きの準備でほしいものがあった。カメラをすぐに使えるようにしたかったのだが、リュックの肩へ掛ける部分(ショルダーハーネスと呼ぶらしい)に固定するホルダーのようなものがあるらしい。やっぱりあった。ちょうど今使っているコンパクトカメラが収まるもの。それから、ちょっと贅沢をしてヘッドライトを買い替えた。このライトも、頭だけではなく、附属ベルトを取り替えればショルダーハーネスに付けることができる仕様になっていた。これで、頭襟とヘッドライトを別々に使うことができる。店主夫妻はまだ店に出ていなかった。帰ってくると八日市場のバイパス側が渋滞していた。交通事故。乗用車が横転してそばにオートバイが横倒しになっている。夜の遅いニュースでオートバイの若者は飯富病院で死亡したとのこと。乗用車が車線を越えて正面衝突したらしい。この事故の場所に何か問題がある。とにかくここは事故が多い。何か僕らの目に見えないものが何か作用しているとしか思えない。南部署も交通安全期間中の事故が多く頭が痛い。

2015年5月18日(月) 晴れ
外国人参詣者。
尼崎からオーストラリア人がお不動様を見たいと訪れた。もう長く日本に住んでいるようで、仕事は英会話を教えているという。いわゆるお寺とか仏像お宅のような人だ。なぜうちのことを知ったのかは、話していてわかったのだが、山梨にも何度か足を運んでいて、大善寺や放光寺には以前訪れていて、今回は甲府の善光寺のお開帳に合わせて山梨に来て、大聖寺に寄ってみたということ。久那土駅から1時間半かけて歩いてきたとのこと。確かに地図上で直線を引くと久那土駅が近いかもしれないが、ここを歩く人はまず100%いない。大きな体の外国人は重い荷物を背負うのが得意だからあまり気にならない様子だった。本堂へ案内するともう不動明王にくぎ付けで、30分くらいじっくりと眺めていたのではないか。途中で僕は庫裏に引き上げた。庫裏でお茶を出して少し話をした。インドやネパールも歩いているという。不動明王から大きな力をもらったと話してくれた。今日帰るというので、下部温泉駅まで送った。夕方東海師久しぶりに夕のお勤めに参座したいと訪ねてくる。夜大峰行きの相談を行藏院ご住職とする。

2015年5月16日(土) くもり
法事あり。
朝少し雨が残るも昼近くには止み、一日曇り日。蒸し暑く感じる。11時から若尾家の一周忌の法要。墓地で草刈りをしていたら、お母さんの死をあわてて知らせに来るK君の姿が強く印象に残っている。若くして夫に逝かれ、3人の幼子を立派に育て、晩節まで農にいそしんだ女性だった。こういう人の人生とは一体どんな風だったのだろうかと考えてしまう。供養をこの先いくら篤くしても故人がよみがえるわけではない。こんな薄暗い一日もたまにはいい。

2015年5月15日(金) 晴れ
奈良:千光寺ご住職来山。
奈良から車で千光寺ご住職が訪ねてくれた。自坊から本山経由で山梨に来てくれたとのことで、午後3時ちょうどにお見えになる。「カーナビがあるからどこでも平気です」と。1時間半ほどお話をする。今日は「新富士」まで戻り、明日、大阪宗務所の方々と待ち合わせて甲府へ向かうとのこと。何処もなかなかお寺をつないでゆくということが厳しくなっているようだ。お見送りしてから明日の法事の準備をする。

2015年5月14日(木) 晴れ
緑のカーテン設置。
暑くならないうちにいくつかの作業をする。お勤めを5時台に済ませ、朝食を済ませてしまえば、6時半過ぎからは自由に行動できる。僕らの部屋の外に今年も緑のカーテンをする。小屋から網を出してきて、園芸用支柱を二本束ねて上部の支えにし、垂らした下は、テント張り用のペグで固定する。畑の土をプランターに入れる。出来上がり。中島君に借りていた書籍を送り返す。7月の宗務所会議に出てきてくれるといいのだが。午後定期検診のため飯富病院。駐車場で町の保健師Kに会う。昔は若かったのになぁと思うも、お互い様だ。コメリで半額になっていた吉野ほかの桜苗を購入。750円×4本。帰ってきて本堂の周りに植える。この木がたくさんの花を咲かせるころまでここにいることができるだろうか。あまりそういうことを考えても仕方がない。上求寺があげてくれた富士山の水で作ったという日本酒を飲む。
北朝鮮の金正恩がすごい勢いで粛清・処刑を行っているというのは、あほらしくてこういう遅れた国なんだなぁと思うし、独裁者であることも良くわかるが、何か僕は騙されているような気分が否めないのは、今夕の安倍の記者会見。「安保関連法案閣議決定」。この人こそ独裁・恐怖政治をものすごい勢いで加速させている張本人だったのだ。こういうひとこそ呪うに足る対象であると思えてしまう。騙されないように十分に気をつけよう。

2015年5月13日(水) 晴れ
夏の暑さだ。
昨日の午後から久しぶりに大雨になりすっかり乾ききっていた土が雨で潤った。柴燈護摩の火渡りの後に残っていた塩もすっかり雨で地下にしみていってくれた。昨日の午後信組へ母の通帳の残高証明を取った後に、コメリで野菜の苗を仕入れてきたので午前中それを植えた。オクラの苗が14本とししとうを2本、ミニトマトが6本。サルがここのところ姿を見せないが、こういうことを書くとあっさりと姿を見せたりするし、何れやってくるので、サルが興味を示さないオクラの苗が中心。オクラは白い花がきれいだ。並行して朝から庫裏と客殿の渡りの間を片付けて整理する。段ボール4つと少しを9時前に衛生組合の焼却炉へ持ち込む。900円。こういう時は近くて便利。午後大工の遠藤さん渡り廊下の建て替えのために来てくれる。母が最期を迎えた施設の女医さんが義姉と一緒にお参りに訪ねてくれる。本堂で読経をして説明をする。甲府の金剛氏の小野さんご夫妻、息子さんご夫妻母の弔問に来てくれる。金剛寺の今後のことなども話していかれる。自己完結できる寺はかえってうらやましい。今日はもう夏の暑さ。強い風にはならず網戸からいい風が入る。僕の部屋にも日除けを張る。残りの半分明日緑のカーテンを設置するか。

2015年5月11日(月) 晴れ
良い天気。
9時から原の佐田家の屋敷神「三国院」のお祭りをする。午前中なのであまり風もなく良いお祭りができた。終えて居間でお酒をごちそうになる。1時間半ほど話をして、お供物もたくさんいただいて帰る。赤飯も巻きずしもすべて奥さんの手によるもので味も一品。メダカもたくさん孵化してきた。もうほとんど夏。

2015年5月9日(土) くもり
本山に上がる。
朝少し雨が舞っている。バスで京都駅へ出て、カレーの朝食を駅でとってから山科バスで醍醐寺へ。所長会までまだ時間があったので、金堂、五重塔などをまわる。新緑の京都だ。幾分天気が悪いが暑くなくていい。10時から宗務所長会。11時半過ぎに休憩ときつねうどん。この薄味もまた美味。午後2時に終了。唐門前で記念写真撮って解散。京都駅で1時間ほどある。文庫本1冊とお土産を買う。大勢の修学旅行生が出発待ちで床に座って指示を待っている。車の運転があるのであるコールは控える。ずっと電車の中は読書。「プリズン・トリック」という本を1冊読む。

2015年5月8日(金) 晴れ
上洛。
下部温泉から9時半前の電車で京都へ。午後1時前に着。暑い。暑い京都。人も大勢。修学旅行生。後ろにも前にもリュックを背負ったでっかい外国人たち。駅をちょっと抜けたところにあるテラスのある店で、ハンバーグライスに生ビール。そして歩く。聖護院を見学する予定だったので目指す。聖護院八つ橋の老舗が近くにある。中に入ると、本来なら入ってお参りすることができるらしい本堂への扉が閉ざされている。例の油のような液体が柱などにまかれる事件が頻発しているので閉めさせてもらっているとの張り紙がされていた。2階に上がっていくつかの仏像を拝させてもらう。その後、聖護院門跡の名宝展をしている龍谷ミュージアムに移動して見学。たくさんの不動明王像、役行者像を見る。入るとき見知らぬおばさんに声かけられて、「券持ってるの?」と訊かれ、「いいえ」と応えると、「券あるから上げます」といただいた。思いがけぬ親切がありがたかった。叶屋泊。歩き疲れた体を銭湯の湯がほぐしてくれる。こうなるといつものように「楽庵」に行って生ビールから酒のコースに浸かることになる。ふっといアスパラがすごくうまかった。また来月来ますと。叶屋は、夜になってインドネシアからの女性客が8人ほど来てにぎやか。

2015年5月7日(木) 晴れ
ちょっと降水あり。
朝5時ころから1時間ほど雨がある。それで終わってしまったので、からからに乾いた土を潤すほどにはならないのだが、半月ほど降らなかったので降っている時間の外を眺めるのはなんか心も潤うような気分になれた。頭を刈って爪を切って、京都行きの支度をする。ちょっと行ってみたいところも見つかった。

2015年5月6日(水) 晴れ
一日読書。
熊谷達也の「まほろばの疾風(かぜ)」読了。分厚い歴史小説を一気に読んでしまった。この作家に出会えたのはブックオフで買ったのが偶然だったけれど、深く面白い。70年代のジャズを聴きながら長椅子に横になって読んだ。身延駅へ京都行きの切符を買いにゆく。下山にセブンイレブンができた。ちょっとずつ変化がある。午後から風たいへんに強くなる。

2015年5月5日(火) 晴れ
こどもの日を遊ぶ。
僕は早起きして夕べ録っておいたWOWOWの2本のドラマを見てから勝手に朝食して朝の勤行。あとは1日読書。読み始めたら引き込まれてしまってなかなか本を伏せることができない。娘の友達が11時に3人やってきて、テントの下でバーベキューを楽しむ。こどもの日はいくつになっても楽しめるのかもしれない。テーブルサッカーゲームも楽しんでくれたようだ。“イースト・ウィンド マスターズコレクション1000 ”のうち、9枚を昨日の午後頼んだらもう今日の昼過ぎに届いた。日野皓正、富樫雅彦、本田竹曠、菊地雅章、峰厚介のもの。いずれも1970年代の作品である。1000円シリーズということで購入。ジャズを聴くのも心地の良い季節になった。

2015年5月4日(月) 晴れ
風強く、道路はのろのろ。
のんびりと今日も過ごす。道路は52号の流れが窓から良く見えるので、上下線とも混んでいて終日ノロノロ運転が続いている。娘は夜高校時代の友達と会うというので出かけたが、待ち合わせ時間に間に合うのかどうか、午後6時間近の時間なのに、車の中の人たちは相当イライラが募っていることだろう。立川志の輔の「志の輔らくごin
PARCO」を録ったので少し見る。「百年目」という人情話は結構聴かせてくれた。このネタは好きな話である。お祭りからも解放されて久しぶりにゆっくりと本も読む。

2015年5月3日(日) 晴れ
録画物など見て過ごす。
朝から女房と娘は甲府へ買い物に行く。テレビを見たり、うとうととしたり、だらだらと過ごす。道路は上下線ともノロノロ運転。早川町の山菜祭りの日で、天気もいいので混雑しているのだろう。午後から強い風が吹く。明日あたりからちょっと天気が崩れるかもしれないと。ヴァンフォーレがやっと連敗を脱出して2勝目を挙げる。去年はとにかく失点が少ないチームだったのに、今年は引き分けもなく負け試合ばかりだったが、さあここから気持ちを切り替えてというところだろう。J1への初昇格の時に在籍していたバレーが中国のリーグから移籍して帰ってくるらしい。かつてのような力があるのかどうかはわからないが刺激になってくれたらいい結果が出るのではないだろうか。NHKの土曜ドラマ「64(ロクヨン)」が面白い。すっかり役者としてNHKにもよく登場する「電気グルーヴ」のピエール瀧が主役。味わいのある演技に好感が持てる。5月2日が七回忌となる清志郎を偲ぶ番組もいくつか放送された。名盤ドキュメントRCサクセション「シングル・マン」。それからプレミアムドラマ「忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ」。ドラマはそれほどではなかったが、「シングル・マン」の方は大変興味深く見た。僕もこのLPは発売してすぐに手に入れた。友達の志村君と僕の中では、「とんでもねぇ名盤」だった。そしてこのアルバムが一年もたたずに廃盤の憂き目に遭っているなんてことは知らなかった。RCがこの後、チャボを入れたバンドになっていき、「シングル・マン」の再発運動が盛り上がり再発された経緯はよく知っている。キヨシローは亡くなったけど、彼の魂は若い世代の中に連綿と生きつづけ受け継がれていくことと思う。こういう時代だからこそ彼の生きざまに学ばなければいけないような気がしている。遅くまでテレビを見た。

2015年5月2日(土) 晴れ
気温上がる。
新緑の季節。遠くから頼まれたお札を郵便局から送る。いま、基幹となる郵便局は土日も関係なく郵便物の受付をしてくれる。ゴールデンウィークの混雑があり、52号線はかなりノロノロ運転。岩間の郵便局へ行くのに富士川対岸の衛生組合の裏路を通った。午後から、急きょ移設することになったごみステーション作業を手伝う。組の全員が手伝うということにならなかったのは残念である。庭のツツジがきれいな時期である。

2015年5月1日(金) 晴れ
5月に入る。もう夏だ。
4月29日の祭典を終え、祭り疲れと片付けの後の祭りの昨日。祭典当日は昼前からやはり強い風になるが仕方がない。12時40分から内陣の護摩。1時40分から八幡神社をまわり参道から柴燈護摩道場へ入る。いつものメンバーだったが、太志君だけが仕事が休めずに欠席。配役をちょっと変えるが、今年は明王寺住職に床堅をしてもらい、教昌寺住職に願文奉読をお願いする。内陣では法印さん方によるいつもの錫杖加持とは別に、参詣者の持ち物の加持もする。お札を加持するようにバッグとか財布とかを護摩壇の火にかざして加持する。初めはみなさん遠慮気味だったがおおむね好評で、しり込みしていたご婦人方もバッグを加持してくださいという場面にもなる。柴燈護摩法要も大勢の参詣者でよかった。今年は火床を整えてから、行藏院、玄法院住職、東海師と僕の4人で火床を清浄にする作法をする。その後に去年からのごとく素足になって床を渡る。よい護摩が焚けた。夕方のNHKニュースでの放映がある。昨日の朝には関東版ニュースでももう一度放映され、東京の伯母からも「見た」と電話があった。伯母いわく、「やっぱり中富じゃなくて、身延になったから名前が売れているからいいんだよ」ということだ。なるほどそういうことも確かにあるのかもしれない。昨日は少しだらだらとしながらも、片付けをする。掃除機をかけ障子やふすまを入れ元通りにする。今日は本堂の護摩壇や掃除をする。内外の便所も掃除をする。昨日も今日も不思議と風が穏やか。台所の外に日除けを出す。鹿児島県じゃ記録的な大雨が降ったと聞く。今日で大方の片付けが済んだ。5月に入って、来週の金曜には京都行きだ。


2015年4月28日(火) 晴れ
祭典準備はもう終わり。
いよいよ明日になった不動尊祭典。一年に一度のわが寺の一番の大きな大切な行事だ。朝、祈願の護摩を焚く。焚き終えて本堂と護摩壇を掃除して明日の護摩の準備をする。午後から柴燈の壇の最後の作り。日曜にとってもらった青葉を上にかけて出来上がり。昼近くになってからものすごく風が強くなる。明日もこの風はどうしようもないのだろうな。風が少しでも穏やかになってくれるようお不動様に祈る。今年は息子は帰らない。まあそれでも明日がお祭りだということは十分にわかっているだろう。風が夕方になってもちっともおさまらなくて風鐸は鳴りっぱなしだ。いいお祭りになりますように。

2015年4月26日(日) 晴れ
祭典準備。
朝8時から祭典の準備。今日も一日快晴。幟立て、本堂の掃除、ヒノキの青葉取り、柴燈護摩壇の結界の杭打ちなどしてもらい1時間半ほどで終了。あとは当日の朝。やはりお願いして意気のいい青葉を取ってきてもらった。甲府から赤ちゃんを連れた母親とそのお父さんらしき人が訪ねてくれて護摩札の申し込みをしてくれる。また当日火渡りに来てくれるとのこと。赤ちゃんのお父さんはここ何か月かに何度も寺にお参りをしてくれている。こういう若い人たちが新たに信仰を始めてくれるのはとてもありがたいこと。

2015年4月25日(土) 晴れ
テーブルサッカーゲーム完成。
客殿の廊下で朝から組み立て。大きな台というだけで組み立て自体は難しいところはなく、時間を与すれば次第に完成していくというもの。出来上がれば確かに重量感があり、こんなものはなかなか個人の家の中に置いておくことなどはできない代物。そのうちに庫裏の玄関の三和土にでも置いておけば誰でもがハンドルに手をかけて遊ぶことができそう。娘とちょっとやってみたがなかなかに面白い。
風は相変わらず毎日強い。夕方まで一向に収まらない。庫裏の裏庭の草刈りをする。今年ももう草刈りがまた始まってしまっているのだ。毎年毎年同じことの繰り返しだ。東海師、夕方訪ねてくれる。祭典を楽しみにしてくれる人がいるのはこちらもうれしい。

<2015年4月24日(金) 晴れ
ヒノキの青葉を集めること。
妹の連れが朝8時半過ぎに軽トラで来てくれて、二人で近くの山林に入り、間伐・枝打ちされたヒノキの青葉を集めてくる。森林組合が作業を始めたのが1月の終わり頃だったように記憶しているので、青葉はすでに乾き始めていて、本当は生きている青葉がほしいところだが、今年はこれで間に合わせようと思う。このヒノキの青葉を集めてくるのも年々大変になってくる。ヒノキや杉の木は近くにいくらでもあるが、枝打ちされて伸びているので、枝打ちのプロならともかく、とて素人がも新たに容易に葉をおろせるような高さではない。子の青葉を集めるのがこれからのお祭りの一番の課題となってくる。二人の作業だったので、1時間ほどで終わってしまう。日陰に積み上げて、水をたっぷりとかけてシートで覆った。お茶を飲みながら寺の話など交換して帰ってもらった。大きな仕事が終わってホッとする。午後、オークションで落とした「テーブルサッカーゲーム」の大きな荷が届く。明日組み立ててみよう。

2015年4月23日(木) 晴れ
パソコン正常に戻る。
駐車場の前の水路の泥あげをしているところに玉屋さん来てくれてさっそく状態を調べてくれる。元通りにすぐに治ってしまう。テレビでYouTubeも再び見られるようになる。NTTという会社から関連会社のことなどをしばらく話す。ちょっと安くなるからといって素人はすぐに安易に安い提供事業者への変更をするのは、どうも素人判断でよろしくないようだ。また電話機の購入についても、僕は今回もっと慎重になるべきだったと大いに反省。エアコンを頼むくらいだから、電話機についてなぜすぐに思い浮かばなかったのかと今更の後悔。泥あげの続きを済ませて、午後はお祭りの酒などの買い出しに行く。今日も天気は快晴。午後になってやはり風は強くなるも、この天気4月中は雨の心配はなさそう。妹の旦那が明日手伝いに来てくれるとのことで安心。たぶん半日くらいで十分に済ませると思う。
日付が変わって12時半ごろ寝ていたらムカデに足をかまれた。右足のくるぶしあたりに痛みが走ったので目が覚めると、そのままパジャマの裾から太ももの方に這い上がってくる。あっ!やばいと思いながらも太もものあたりをパジャマの上からムカデをつぶしてしまおうと握ったのだが、直後にひどい痛みを感じた。飛び起きて隣りの部屋に行って電気をつけてズボンを脱いだが、ムカデはどこかに逃げてしまっていた。太もものかまれた跡を見ると、見事に約10ミリくらいの長さのハサミのかみ跡が赤く残っていた。なかなか痛みは治まらなくて、朝方になってようやく痛みを治まってきたが、一日ひどい腫れで、朝のお勤めに座るのも我慢我慢なほど。ムカデの夜襲におびえる季節もまたやってきてしまったのだな。

2015年4月22日(水) 晴れ
やっと晴れる。
外の護摩壇作りをする。午前中かかってなんとか形になる。あとはヒノキの青葉をかぶせるだけである。雨の心配はなさそうなのでブルーシートもかけず。午後になって風がやはり強い。晴れていると風の吹かない日はこの時期ないくらいなので祭り当日も、柴燈護摩の法要の時間帯にやはり強い風に見舞われる。この風を回避する方法はないので、この時間帯だけちょっと天候が崩れ気味になってくれると風が止んでくれるかもしれない。まあ望むべくもないのだけれど。電話機を交換したら、パソコンの中までいじられてしまったようで、ノートが使えなくなり、コピー機での印刷もつながらなくなってしまい困っている。普通のプリンターは使えるし、デスクトップは正常な状態なので最悪の事態に陥ってはいないが、テレビでYouTubeも見られなくなってしまっているのでこれはちょっと不快な部分ではある。まあお祭りの準備でせわしい時期だから、あとはもうあの人に任せるしかないわけなのである。

2015年4月21日(火) くもり
不動明王OK?から連絡あり。
先日外国人から「Fudo-myooh,OK?」という電話があったが、今日の夕方また電話があったのだ。具体的に拝観日を指定してきた。話から察するに、甲府の善光寺のご本尊のお開帳に合わせて、兵庫県尼崎からやってくるとのこと。うちのお不動様はどこで情報を得たのか、もしくは訪れる山梨に何か特別な仏像がないか検索したのかもしれない。5月17、18日で山梨に来て、うちには18日の午前中に来るとのこと。
やっと雨が上がったが一日曇り日。気温は20度あったがまったく太陽は顔を出さず。外の仕事はできず。11時と正午からの葬儀二つに出かける。役場時代の後輩のところと村香典のお付き合い。庫裏の三和土で幣を仕上げる。庫裏の襖を外す。明日から28日までの週間予報は晴れマークなのでこれは29日も好天気が期待できそう。護摩壇作りを始めなくちゃ。
2015年4月20日(月)
雨風吹き荒れる。
こんな天候がいつまで続くんだろうか。もういい加減に打ち止めにしてくれと思っているのに今日の天気はまるで台風のような雨と風。昨日網戸を午後から入れたってのにまた寒い日に舞い戻った。昨日の夕方採ってきた挿す股用の樫の木も外でずぶぬれになっている。YouTubeで落語聴く。瀧川鯉昇という落語家が最近のお気に入りである。

2015年4月18日(土) 晴れ
風強し。
午後になって強風。本堂の風鐸鳴りっぱなし。窓をたたく風の音も。この時期は風があるとこんな日もある。お祭り当日も風が強ければ柴燈護摩の炎が鐘楼の梁や柱を舐める。午前中裏山に入り、立ち枯れの木などを縛って引いてくる。ほぼ木の方は用意できた。10時半に仕事をやめて頭を刈ってシャワーを浴びる。11時過ぎに大昭建設の会長の葬儀に女房と出かける。駐車場は車がいっぱい。葬儀会場も通常のスペースでは収まらず、初七日を行う隣りの会場までをつなげてあった。焼香列に並ぶと、ひとつ前の列に従姉が並んでいる。終わってから言葉を交わす。旦那は台湾の山に行っているとのこと。夕方内藤君来てくれる。二人で夕のお勤めをする。今日醍醐山の登山道整備に行ってきたのだという。中学校の時に登って以来足を踏み入れたことはないが、毎日窓の正面に醍醐山がある。ここに住み始めて50年近くこの山を眺めている。

2015年4月17日(金) 晴れ
今日もおおむね天気良し。
午前中ちょっと雨が降ったけれど午後は天気良し。幣串にするのだけを採ってきて串を作る。点火用の松明も作る。着々と進む。昨夜は、高橋君、秋山さんと若大将で飲む。生ビール一杯の後、焼酎を1本飲む。最後にハイボールを各自2杯ずつ。ほとんど家飲みだけど、たまには飲み屋もいい。でもほとんどどこにも行かないな。若大将と醍醐の仲間と飲む「七賢」くらいだな。

2015年4月16日(木) 晴れ
久しぶりの快晴。
一日外に出ていた。柴燈護摩檀に使う柴を集める。裏の林に入って立ち枯れた木や使えそうなものをさがしてきてとりあえず準備を進める。チェンソーも久しぶりに使う。久しぶりの快晴で、風も心地よく、チェンソーで太い丸太を切っていくのは何とも爽快な気分。心地よい汗もいっぱいかく。イーグルス、ダイアーストレイツ、ビーチボーイズを外に大音量で流す。午後には畑に管理機をかける。今夜はこれから友人を誘って若大将。毎年お祭りの前に行く。お祭りのオードブルなんかの打ち合わせに行くのである。午前中妹墓参に来る。母の月命日。もう4月も半分だ。お祭りまで2週間。

2015年4月15日(水) くもり晴れ
やっと青空。
朝久しぶりに晴れているが予報では午後にはまた曇りから雨になるかもしれないとのこと。八日市の会場に使う畑の草を村の人たちが刈ってくれるのだが、去年、イチゴの畑とブルーベリーを刈られてしまったので、やっと元通りに戻ったのをまた刈られてしまっては困るので、境界をはっきりさせておくために今朝草を刈ったのだが、刈りはじめて間もなく、8時ころには大粒の雨になってきて、とりあえずここまでというところまで済ませて家に戻った。不順な天候で、止んでみたりまた降ってみたりが何度も続いた。やっと午後になって晴れ間が見えてきた。とりあえず明日は天気はよさそうだ。午後3時過ぎに、富士ヶ嶺の遠藤さん来山。巡礼の仲間3人と、甲斐国三十三観音を昨日から明日まで回っているとのこと。番外のわが寺にお友達を連れて参拝してくれた。この方も父と同い年であるがすこぶる元気。もう20年近く毎年四国を歩き遍路している先達さんである。お帰りの際に送り出しの法螺貝を立ててあげた。午前中、甲府行藏院ご住職所用でみえる。毎回よしてくださいと言っているのに、高いお土産を持参してくださる。感謝。

2015年4月14日(火)
毎日雨だ。
今朝も7時ころからぽつぽつと落ち始めて一日雨。池の表の波紋ばかりを眺めるようになった。太鼓を打ちほら貝を吹く。お祭りまではいつも以上にほら貝も朝に夕に吹く。吹けば必ず上達があり、如何にすれば貝がよく鳴ってくれるか、その癖のようなものを知ることができる。オークションで買った貝も近頃はしっかりと立てられるようになってきた。
雨が小降りの間に気になっていた長く伸びたモミの枝を梯子を掛けて上がって切った。隣りの枝が繁りすぎている椿もさっぱりと落とした。切っている間はあまり気にかけなかったが、もうほとんどジャンジャン降りになっていて、あとは雨が上がったら枝を切るようにそのまま置いて引き上げた。護摩壇の骨組に十分使える。山上たつひこ原作、いがらしみきお作画の「羊の木」5巻を一昨日昨日と読んだ。ドラマ映画を見て、コタツから抜け出てお札を書く。

2015年4月13日(月) 晴れ
じゃんじゃん雨が降っている。
天気予報通りに一日雨。今日の雨は結構な降りである。それから骨にしみるような寒さ。祈願の護摩札を書く。手書きの尺5寸の大きな札も今年は希望が多い。これってちょっと微妙なんだけどね。ストーブを点けて、YouTubeでカーラ・ブレイのピアノトリオを聴きながら。お札のネットでの申し込みも今日は一件ある。それから面白い電話が2本かかってきた。一つは「火渡り修行をさせてもらえませんか?」というもの。お祭りが近くあるので、その時に渡れますよというと、別の日に特別にお願いできないかという。どういうことかと問うと、「よく野球選手とかやってるじゃないですか」みたいなこというので、そういうことを特別にするということは無理ですねと応じると、あっさり「あーそうですか」と切れた。こっちも素早く縁が切れてホッとした。いつだったか、どこかのテレビ局から「柴燈護摩の火渡りできませんか」といきなり電話がかかってきて、「祭典の時にしかやらないのですが」というと、「火を渡るところだけ用意してもらって渡っているとこだけ撮れませんかね」というので、「そんなことはできない!」というと、「無理ですか」としつこいので、「護摩を焚くのは遊びのイベントでやるもんじゃない、もってのほか」と切り捨てたことがあった。テレビがそういう作り物の映像をでっちあげるんなら自分たちで勝手にやればいい、お寺の坊主にそれを相談してくるとはある意味「あっぱれ」もんだ。もう一つの電話は、受話器を取ると、「ダイショージ?フドウミョーオー、オーケー?」「フドウミョー、オーケー?」と尻上がりで訊いてきている雰囲気なので、「アー、OK」と応え、「いつ?」と尋ねると「わからない」という。この「わからない」が僕の言った「いつ?」を理解できないの方はじめ考えたが、繰り返し言うので、「あーそうか、今日はお不動様を見せてもらえるかどうかを訊いてきて、実際に来るかどうかは未定ということなんだ」と理解した。面白い電話が2本も続いたもんだ。という月曜日。

2015年4月11日(土) くもり
やっと雨あがる。
朝にはまだ少し雨があったが、昼近くには雨が上がる。暖かくはならなかったが、雨が上がって外に出たくなって墓地のほうまで歩く。ノビルやフキの小さな葉が開いていて、一年に一度だけの季節を食べたくなった。午後になってノビルとフキの幼い小山内派を葉を採りに出た。どちらも女房が調理してくれた。ノビルは万能の「ふじっ子」と和えて味が染みるまで少し置く。フキの小さなのは灰汁がないので、そのまま煮つけてもらう。春の味を味わう。
雨がとりあえず上がって、明日の一日は晴れるようだ。また月曜から雨になるという予報。何年かお世話になった甲府:華光院の春のお祭りも明日は快晴の下で盛大に行えることだろう。

2015年4月10日(金) くもり
雨また降りはじめる。
午後3時に町の広報無線が学校のある日は、「児童生徒の下校時間滞になりました、地域の皆さんの見守りをお願いします」と放送する。今日はその放送のころから雨が落ち始めて夕からは本格的な雨になっている。今朝新聞で、高校の同級生の親のお悔みが載っていた。母の時に来てくれていたので通夜に行ってきた。雨の中を出掛けるのは正直嫌なものである。それから、体が寒さに耐えてきた冬の体から春以降の体へと脱皮してきているので、今日のような天候の寒さは余計身にこたえる。母の時と同じ葬祭ホール。天気がこんななので、早めに会葬者を入れて始まっていたのかもしれない。6時20分頃に着くと中はもう並んで焼香順を待つ人はいなかった。友人に挨拶して焼香する。霊前で通夜の読経をしているのもやはり高校の同級生の臨済の僧侶河内君だった。夕の食卓は、ストーブもエアコンも稼働して鍋。あーありがたいなぁと晩酌をする。

2015年4月9日(木) くもり
寒い。
まるで冬に逆戻りしたような陽気だ。雨はなかったが気温が上がらず一日寒かった。畑ができんと、11時前になって軽トラで秋山さん訪ねてくる。コピーを取りに来た。ずっと、「注文したインクが届かない」と言っているが、「ホントカ?」と疑いたくなる。まあいいや。外の切り株に腰かけてしばらく話をする。
午後から不動護摩の私記の中身を見直しする。暖かな日差しがほしい。本山より宗務所長会の案内届く。5月9日なので前日の8日に上洛して西陣叶屋泊り。早々予約入れてしまった。

2015年4月8日(水)
二日続けての雨で寒い。
こう天候の悪い日が続くというのも珍しいような気もするがどうなんだろう?今日も一日寒い。今朝はストーブに加えてエアコン暖房も使用。9時過ぎから電話機の取り換えに業者が来る。いまNTTとかOCNとか光なんとかと、全部多分NTTの関連業者なんだろうけど、それぞれに行っているサービスに違いがあって、別会社になってるということらしい。こういうところは僕のような素人には大変にわかりづらいところだ。2月の末に、フレッツ光からちょっと安くなるというものに乗り換えたら、ここがすでに別会社とのことで、今度はNTTcommunicationsというところとの契約に変わったとのこと。こういうことって、電話会社の職員はわかっているだろうけど、僕にはよくわからない。今日も、「わかりづらいですよねぇ」なんて簡単に言いやがるもんで少々腹が立った。それでも結局は向こうの言いなりにするしかなく、あーそーですか、そーですかで終わっちまった。
檀家のSさん、長女の高校入学式が終わって両親と3人で訪ねてくれて赤飯など届けてくれた。いま入学式も両親そろって出席するのね。僕にはこういう入学式も卒業式も縁がなかったなぁ。明日の朝は天気が回復してくるような予報で嬉しい。寒かったので、尺五寸の札を5枚書いた。

2015年4月6日(月) 晴れ
おおむね今日は晴れということでいいな。
朝から気温は上がる。今朝はもう何か月ぶりかで歩いた。大峰行きの前にまた少し歩いておかなくちゃ。身延へ湯葉を買いに行くとき、新早川橋の温度計は気温20度。23度くらいまで上がったようだ。午後からは曇り。ちょっと雨も舞ったりするがこれも予報通り。何せこの先も日曜まで晴れマークはなし。午後2時に静岡宗務所から所長、副所長、小笠師来寺。甲府から行藏院ご住職来てくれる。山梨と静岡では隣県だけれども、宗教活動をする実態が随分と違う。これは特に醍醐派ならではの実情が垣間見えて面白い。檀家持ちの寺であったり、祈祷専門の寺であったり。護摩を焚く修法すら違うのだから。お帰りになる前に本堂をお参りしていただき、5人で法楽をする。普段このように何人かでお経をあげるという機会がないので、お不動様も僕も気分は春爛漫。


2015年4月5日(日)
くもり
一日天気悪い。
こんな天気がまた一週間続くような予報だ。朝早く、百八霊場の巡礼者のご朱印あり。何もせずに終わってしまいそうなので、昨日の夕方から作りはじめた護摩札の檀家の分を書いてしまう。何が起こるかわからないので早め早めに済ませておけば安心。午後2時半過ぎに靖君夫婦、母のお悔みに来てくれる。小雨の中を墓参する。3時から組の皆さんとごみステーションの件で集まる。天候の悪い週末で、花見客を当てにしていたところはきっと当てが外れただろう。頭を刈る。


2015年4月4日(土) くもり
天候は悪い。
今日から明日まで甲府では信玄公祭りがおこなわれる。今夜の武田軍団出陣の武者行列での信玄公役に片岡鶴太郎が扮するということで、夕べNHK甲府放送局の夕の番組に出ていたが、やはりスタッフも天候が気になるようであったが、片岡氏が「僕は晴れ男なので」を盛んに強調していたということは、この信玄公祭りの武者行列の夜が、まあよく雨に降られるということをうわさで聞き知っていたのかもしれない。さてどうなんだろう。Yahooでみると、今夜の甲府は何とか雨は降らず曇りで天候は持ちそうなようだ。晴れなくても降らなきゃ「晴れ男」満点だろう。午前中護摩木を作ったり、新しい散杖をこしらえたりする。
静岡宗務所で月曜に来るので、行藏院ご住職もお誘いしたら来てくれるという。こういうことの常識が僕には欠如しているので困ってしまう。

2015年4月3日(金) くもり少し雨
少し雨が降る。
この先一週間くらい予報は曇りである。昨日の夜から明日はやろうと決めていたので、7時少し前から除草剤を散布した。参道から駐車場、本堂の周りを含めた境内、庫裏の裏など。肩背負いの噴霧器で4回分。10時過ぎまでかかった。天候が悪かったのでずっと風はなくてよかったのだが、降ってくるのだけが心配ではあった。終わってからパラパラとはきたがこれなら効果があるだろうと思っていた。午後2時過ぎから5時ころまで少し音を立てた雨になったが、また今は雨が止んでいる。少し早く夕のお勤めをしてそのまま護摩の加持物や香盛などをする。曇りや雨でも季節がよくなり寒くはない。


2015年4月2日(木) 晴れ
護摩を焚く。
今回もちょっと遅れての護摩となった。桜も早いのはもう散りはじめた。ヒキガエルの小さなオタマジャクシが水面を黒くしている池に花弁が浮かび始めた。今日はお昼近くから夕方にかけて、今も強く吹き荒れている。風の強い季節になってきた。昨日から始まっていた大ケヤキの下の小さな石の橋が完成した。石畳も職人さんがきれいに直してくれた。お祭りの護摩札の申し込みも少しずつ来るようになった。女房は丸井紙店から護摩札などの注文の品を受け取ってきた。もう冬の衣は着ることもないだろうと仕舞う。温暖化してきて、4月になればもう夏の衣でもいいような感覚になってきている。

2015年4月1日(水) 晴れ
4月1日。
娘は昨夜も年度替わりになるということなのだろうか遅くまで仕事をして帰ってきた。片道1時間以上かかるってのはなかなかに大変だ。3年目になるとはいえ通勤時間は本人にも相当負担になっているのだろうと思える。東京の佐田さんから母のお悔みの電話と、お祭りには親戚を引き連れて参詣するとの嬉しい電話をいただいた。石畳の入り口の小さな石橋の架け替えが始まった。思ったより早く中国からの注文した加工石が届いたとのこと。河瀬直美監督作品「萌の朱雀」「殯の森」を見る。萌の朱雀にはまだ中学3年生だった尾野真千子が出ていて、殯の森にも彼女が起用されている。萌の朱雀には大峯山の麓の洞川の旅館も登場して懐かしかった。今年も6月の大峯入峰待ち遠しく楽しみである。


2015年3月31日(火) 晴れ
のんびりと過ごす。
ちょっと疲れていたし、のんびりとゴロゴロする。録りだめの映画など見る。ここも桜の季節。風は午後から大分強く吹く。本堂の正面に引き戸を入れてほんとによかった。メダカの産卵を認める。葬儀会場から送り返した荷物が午後届く。奈良美智の「NO WAR!」。ドローイングという絵だが、圧倒的な存在感のようなものがある。最後の最後の今日まで組長の仕事があったのには参った。

2015年3月30日(月) 晴れ
まるで初夏。
夕べはコンビニでウィスキーのポケット瓶を買って飲み、7時ちょっと前に目覚めるまでぐっすりと眠ってしまう。きっちりと閉じられた窓のカーテンから外のひかりも射し込まないので、時計を見てあわてた。ちょうど7時から朝食バイキング。納豆と温泉卵などの純和食。きっちり2杯を食す。風呂に入って、今日から始まる「まれ」を見、8時半頃宿を出る。10時から葬儀告別式。終えて新宿区の「落合斎場」で火葬。正午過ぎに再び葬儀会場に戻って初七日の読経をして御斎。午後1時半にご家族に挨拶して辞す。午後2時の特急にちょうど間に合う。行藏院までタクシーに乗り帰る。お茶をごちそうになり、ご子息のめでたきことのお話など伺いながらちょっとくつろいでから辞す。BOOK-OFFで失くした熊谷達也「迎え火の山」を買う。100円コーナーには無く510円出す。まあ仕方がない。土曜日からあちこち動き回ったが、もう明日で年度末。それから今日は夏のような暑さで、火葬する落合斎場の桜も満開であった。故人も桜の満開を旅立って行かれたのだと思う。5月の連休明けに49日の法要と納骨。

2015年3月29日(日) くもり
玄法院祭典。
9時半頃に行藏院に着いて、車を置かせてもらう。座敷で修験装束に着替えて行藏院ご住職の運転で玄法院へ。今年の柴燈檀は下に砂が敷かれ、最後に火床の火渡りが行われる手はずになっていた。去年は雨だったが今年はその心配はなし。いつもの年よし式衆が少なかったがお祭りは11時より始まる。僕は願文の奉読をする。お参りの人たちも最後の火渡りを今年は初めて厳かにわたってくれた。昼食でお土産をいただいて辞す。行藏院に戻り荷物を車に入れ其のまま甲府駅まで送ってもらう。午後2時過ぎの新宿行きに飛び乗る。新宿に着くと少し雨が降っていたがそれでもちょっと時間があったのでdisk unionのJazz館の中古コーナーを目指す。フリー物を6枚購入。こういう場所は時間を忘れてしまう。東武東上線の「ときわ台」で降り葬儀会場の「ときわ会館」へ。4年前の2月に故人の奥さんの葬儀をした会場。6時から通夜。家族親族20名ほど。終わって通夜の食事をして池部庫裏駅近くのホテルに入る。新宿で降りたときに読んでいた文庫を窓のところに置き忘れてしまったので同じ本を買おうと、ホテルで教えてもらってジュンク堂という本屋へ行く。なんと10階建ての本屋。さがす文庫はちょうど在庫切れ。目にした草間弥生の「クリストファー男娼窟」と朝新聞の本の紹介欄に乗っていた奈良美智「NO WAR!」を買う。

2015年3月28日(土) 晴れ
上求寺祭典。
3時に起きて録りためたビデオを見る。4時半頃になって早目の朝食をとり5時から朝のお勤めをする。朝はまだまだ寒い。7時半少し前に家を出て上求寺に向かう。8時半ちょっと過ぎに着く。門が新しくなって、家が一軒新築されたのかと見まごうようだった。貴永んも気丈に頑張って先代のやり残したことを粛々とやり遂げていくのだな。感服。永啓夫婦が到着して大滝の不動堂へ上がる。去年は道を間違えたが今年は大丈夫。それに近くの信者さんも一緒に下から登ってくれた。法螺貝が結構よく鳴った。寒くて暗いお堂の中で護摩の準備をして不動護摩に入る。初め鼻水が流れて仕方がなく、手甲で鼻水を何度もぬぐった。よい護摩が焚けた。通常2月の28日なのだが、今年は僕の都合で一か月延ばしてもらった。去年は大雪があったりしてやはり5月28日に延期したのだが、来年は2月28日が日曜なので、もう何人か醍醐の仲間を呼んで護摩が焚けたらいいと貴永さんは言う。厳寒期で2月はほんとにきついが、それなりの達成感や充実感を得られることは何物にも代えがたい。おばさんの炊き込みご飯をお変わりして御馳走になり、またたくさんのお土産もいただいて帰ってきた。とても気温が上がる一日となり、帰ってきて着物を脱いでからそのまま頭を刈った。明日は玄法院祭典と上京。

2015年3月27日(金) 晴れ
春の空っ風。
泉谷しげるの歌にあったな。「春のからっ風」。午後からやはり強くなる。この風が5月の連休のころまで続くのだな確か。お祭りにも吹くし。YouTubeで岡林信康と泉谷がうたっているのを見た。泉谷の4枚目のアルバム「光と影」に収録された一曲で、加登和彦がプロデュースしたアルバムで、このアルバムレコードで持っているんだけど名盤なんだよね。明日28日、牧丘:上求寺の大滝の不動堂で護摩を焚く。我が家のは月末までお預けだ。明後日29日が甲府:玄法院の春の大祭。去年はジャンジャン降りであったが雨天決行で柴燈護摩。今年は何とか雨に我慢してもらいたい。玄法院を終わってそのまま上京して牛山家の葬儀。今日は葬儀の準備と送る荷物をまとめる。

2015年3月26日(木) 晴れ
葬儀になった。
昨夕東京の牛山家から電話があり、お父さんが午後4時過ぎに亡くなったと家族から知らせがあった。正月の14日に家族で墓参に見えてくれた。お元気そうで、ちゃんと会話もできた。これから皆で伊豆方面に一泊する予定とのことだった。7月の盆の棚経でまた伺いますと話して別れたがそれが最後の会話になってしまった。父の時代に縁あってうちに墓地を取って檀家になってくれた方である。91歳と高齢ではあったが、まさか亡くなってしまうとは。まあ、うちのお袋もあっさりと逝ってしまうのだから、人の最後なんてものは予測などつくものではない。土日にすでに予定があったのでその旨伝えて、日曜の通夜月曜の葬儀ということになる。日曜玄法院の祭典に行ってそのまま東京に電車で行くことにした。次第諷誦文など作る。戒名は平成14年に、本人から乞われて「逆修」してある。

2015年3月25日(水) 晴れ
外のメダカの盥に薄氷張る。
朝の冷え込みがなかなかに厳しい。明日の朝も冷えるようだ。今日から明日まで、獣除け柵扉の開閉当番。4時に起きて読書をして5時50分に開けに行く。今朝はもう録りためた録画物が見るものが何もなかった。充実した読書時間を過ごした。熊谷達也の「迎え火の山」を夕べから読み始めた。出羽三山に継承されている修験者のことなんかが出てくるようで読み進むのが楽しみ。
午前9時半から町の文化財保護審議会。午前中、西嶋の青原院、久成、平須地区の樹木などの見学をし、昼食後総合会館で年度のまとめと新年度の説明を受ける。高野課長、忙しいということで始まりのあいさつのみで退席。かっこいいなぁ!3時過ぎに帰宅。少し休んでからお勤めをし、その後に祭典の案内などの通知を檀家に配り、町外檀家と、一般の案内はポストに投函する。これで一つ仕事が終わった。

2015年3月24日(火) 晴れ
彼岸明け。
今日もう墓参は誰もない。静かにひっそりと彼岸が明ける。昨日も今日も朝方冷え込む。ストーブの数を減らしてはいるがまだまだ全部しまってしまうわけにはいかない。午後飯富病院定期受診。4月からは木曜日になる。何とか元気でまた一年生きていたいもの。

2015年3月23日(月) 晴れ
法事あり。
勤めを辞めたので、平日の法事も平気になった。檀家の中には土日よりも平日がいいという家族もある。僕も平日の方が何もすることがないのでかえっていい。11時から甲斐市の天野家の七回忌。東京から次男夫婦も来てくれ、大人7人に長男次男夫婦の子が3人。この家族もおばあちゃんから信仰に篤い家族だ。お嫁さんにもこういうことがきっとしっかりとつないでいけるのだと思う。午後女房の兄さん母の墓参に寄ってくれる。客殿の法事の後を片付け、ついでに絨毯も畳んで仕舞う。大型ストーブももう仕舞ってもいいだろう。当分法事の予定はない。

2015年3月22日(日) 晴れ
墓参者多数あり。
今日は朝から晴れていい天気で気温も上がった。少々風はあったがいい春の日和で墓参者も多くある。春の陽気に誘われて甲斐百八霊場巡りを始める人たちもこれから少し増えてくるか、今日もご朱印一人あり。桜をカメラにおさめる人もある。午後「東京難民」という映画見る。

2015年3月21日(土) くもり
彼岸中日。
深夜に雨があり、日中は雨こそ降らなかったが陽が出ず、薄寒い一日になった。それでも土曜日だったので墓参に見える人は多かった。五大明王の幣を作りかえる。28日の上求寺のお祭りにも五大明王の幣を持っていこうと作った。おじさんが亡くなる前に大滝の護摩堂に作って納めてもらったのを今年は交換しよう。池のそばにあるエドヒガンザクラの枝垂れも花が咲き始めた。明日は今日より暖かく天気もよさそうだ。明日も墓参の人があれば、紅梅や桜が楽しめると思う。甲府からきた従姉も咲きはじめの桜を見ながら境内を楽しんでいってくれた。

2015年3月20日(金) 晴れ
風強し。
晴れたが風が一日中強く吹く。彼岸の塔婆、昨日と今日で2枚あり。週末は天気はよさそう。桜も梅もみられる。祭典案内など封筒詰めする。80円切手がたくさん買ってあったので、2円切手を買ってきて使い切ってしまう。消費税がアップにならないだけいいとするか。静岡の宗務所長より午後電話が入る。例の件で近々に伺ってお目にかかりたいとのこと。WOWOW連続ドラマ「ヒトリシズカ」の再放映があって、前回最終話を録りそこねていたので、今回全話を録画してBDにダビングした。ついでに全話朝早くから見る。夏帆という主演女優がとてもいい。

2015年3月19日(木)
天候は三日と定まらない。
今日も朝から雨になった。境内の早咲きの桜が開きはじめたので、気温は十分に上がっているのだが、この時期の天気は定まらない。祭典の案内状や檀家への通知を作る。当日の内陣の護摩から柴燈護摩の時間をちょっとずつ早めにしている。午後はどうしても風が強くなるので、風が強くならない時間帯に柴燈護摩に移りたいのだが。一日reggaeを聴く。YouTubeを使いすぎて、パソコンが少し調子が悪くなっている。THE CONGOS、Israel Vibrationなどのルーツ・レゲエのジャンルのものがやはりいい。ボブ・マーリィが健在だったらまだまだ毎年十分にレゲエを聴いていたのだろうな。

2015年3月18日(水) 晴れ
お観音さん。
南アルプス市八田の長谷寺の祭典「お観音さん」に出仕。天気も良く気温もぐんぐん上がりよいお祭りに参加できた。前回呼んでいただいたのは4年前の東日本大震災の年だった。ちょうど一週間後のお祭りだった。震災のあの年は、うちのお祭りも、区や檀家から「中止してはどうか」とか「お祭りやるのか?」というような意見や問い合わせがあった。でも僕の中には一点の曇りもなく、むしろ祭りをして祈らなければならないだろうという気持ちの方が強かった。なかなか思うような復興にはつながっていないようだが、今年も粛々と不動尊の祭典は行う。お観音さんの祭典は、地元の幼稚園の新入学に当たる子供たちが稚児行列をする。ここも少子化の波があるのか、4年前と比べてとても少なく12人しかいなかった。もう一つ、大般若経600巻の転読も行われる。なかなか慣れないものだが、なんとか今日はこなせたかなと思う。明王寺のご住職にも会う。いよいよあと二日だということだった。ご苦労様でした。「青春18きっぷ」で金沢まで旅をゆっくりとするということだった。寺を護持するために皆人知れず大変な思いをしてきているんだよな。頭が下がります。
夕べは久方ぶりに、久成「喜田」で川口さんの誕生会をかねての飲み会。おいしいお酒と、「まずい酒」を飲み比べたり、最後は恒例の手打ちうどんで大満足。

2015年3月17日(火) 晴れ
法事あり。
雨宮家の三回忌の法事が11時から。昨日は雨で、今日は昼前からぐっと気温が上がる。午前中は風もなく墓参もいい日和の中でできた。ヒキガエルが暖かな池の周りや池の中で、鳴いたり、泳いだり、ひっくり返ったりしている。昔は食用ガエルとしてけっこうこれを夜捕りに来た人もいるくらいだ。今はカエル自体が少なくなってしまったが。昨日本山より、申請しておいた、瀧本院と教昌寺の雪害による宗費の免除を全額認めるという通知が届いた。一年だけのことだが弱小の寺院にとってはありがたいこと。今年は予定通りに本山への宗費納めることができそうである。明日は彼岸の入り。

2015年3月15日(日) 晴れ
秋葉尊祭典。
市川三郷町の西光寺の秋葉尊祭典に行ってきた。晴れて気温も上がり最高の祭り日和になった。天候を案じていたのが嘘のようなよい一日になった。11時について柴燈護摩の道場の準備を手伝う。行藏院住職、瀧本院副住職とも顔を合わせる。柴燈護摩をする機会はとても貴重なので、雨で流れるのはとても僕らにはもったいないのだ。ゆっくりと昼食をいただいて2時から秋葉山のお堂でお加持をする。終えて柴燈護摩を厳修。盆地なので大体いつも風が強いのだが、今日はそれほどきつくない風で火の粉をたくさん浴びることもなかった。お二人とは恒例のお土産交換もして、29日の玄法院の大祭で再会する約束をして別れる。良いお祭りができた。

2015年3月14日(土) くもり
天気が好転した。
午後5時の天気予報では明日はもう降水確率が0になっている。祭りのある市川三郷町も明日は晴れだ。よかった。午前中明日の準備で、幣串に幣も挿して作ってしまった。東海師が同僚を連れて午前中訪ねてくれた。初めてのお子さんが生まれる彼の安産祈願のお札とお守りを授けた。新しく生まれてくる子供たちに、平和な世界と安全に生きていける土地と空気を残してあげなければならない。うちのお祭りの準備も少しずつ。6本の方角の矢を色分けして作る。五大明王の幣も作り替えなければならない。どちらの法螺貝を持っていこうかまだ迷っているが、多分去年手に入れたほうを持っていくつもり。頭を刈る。裸になって刈るのに少しずつ良い季節になってきた。ヴァンフォーレ甲府、名古屋にホームで1:0で勝利。

2015年3月13日(金) 晴れ
よし、いいぞ。
日曜日の天気予報を見たら「曇り」になってきて、降水確率も40%になってきた。このまま降らないであってほしい。午後1時から八木沢の木村宅で七回忌の法事。この方は埼玉の出身なのだが、身延町に来て土建業を営んでいて、ほぼこちらの方が主となっている。埼玉にお墓と、豊山派の旦那寺があるということだが、お父さんが亡くなった時にこちらで葬儀をするのを頼まれてから、彼岸や盆の読経を頼まれる縁があり、今日もそれで行ってきた。真言宗の檀家が増えるということはこの土地ではまずないと思うので、こういう方との縁はとてもありがたいと思っている。4月のお祭りの案内もさせてもらった。今日はちょっと午前中、あまり気は進まないが、それでもいつかははっきりとしなくてはいけないことがあったので実行した。まあでもこれでちょっとすっきりとした。

2015年3月12日(木) 晴れ
今日は風も少なくて穏やか。
映画や本にも飽きて外に出たくなり、畑の生ごみのコンポストを移動した。新しい場所に穴を掘りコンポストを移動して、生ごみを捨てていた箇所には土をかぶせ、獣や野良犬が掘り返さないようにトタンをかぶせて重石を置いた。土を掘り返すという作業を気持ちよく感じられる季節になってきた。ついでに水路の掃除や墓地の方も見回ってくる。池ではヒキガエルが鳴きはじめた。ゲコゲコゲコゲコ鳴いている。墓地の方から池に流れ込む細い水路の泥を上げたら、掌より一回り大きな塊が白く見えたのでよく見たら、ヒキガエルが腹を見せているのだった。軍手をしているとはいえこういうものには触る気になれない。日曜の西光寺の秋葉尊祭典だが、降水確率50%であやしい。父からこのお祭りを引き継いだはじめての年が雨でたった一度だけ中止になった。何とか雨があってもやりたいものだ。雨でも次第が使えるように、新しく印刷してラミネートして作った。

2015年3月11日(水) 晴れ
風強し。
東日本大震災から4年目の日。9時半から午前中護摩を焚く。先月28日に焚けなかった護摩を、11日に鎮魂の護摩を焚けばいいと延ばし延ばしにしていた。午前中から強い風が吹く。夕べから朝方も強い風が吹いていて、夕べ録画しておいた「銭の戦争」は、静岡の放送を受信しているので、強風だったために画像が荒くなっていた。来週の最終回が楽しみ。ということで今朝はだいぶ寒さがきつかったし、お勤めの時も、護摩に入った時も本堂は冷え切っていて真冬のようだった。東海師に頼まれていた友人の安産祈願も行う。ゆっくりと立つ炎を眺めながら修めた。午後から本堂の掃除と次回護摩のための準備を済ます。掃除をしているところへ、牧丘から老夫婦が参拝に見える。本尊をお開帳して少しお話をした。上求寺も普門寺のご存じだった。朝から昼過ぎまで吹いた風が午後5時近い今やっと凪いで静かになった。中学校は今日が卒業式。3月ももう半ばになってきた。あの日のこと、あの日からのことが思い出される。

2015年3月10日(火) くもり
風強く寒い。
外は風が強くて冷たい。陽射しはあったので閉め切った部屋の中は暖かい。遠くの山は時雨れているかのようだ。山門を入った庫裏への石畳の入り口に、溢れた池の水を逃す小さな水の道があって、水路の上は小さな石の橋になっているのだが、これが欅の太い枝が落ちて割れてしまって、大水の時など水が抜けなくて難儀をしていたので、思い切ってここも改修することにした。石屋さんに仕事を頼み、今日は橋を外して水道を掘ってコンクリを打ってしっかりとした水の道を作ってもらった。あとは中国へ発注して石の橋を据えるということになる。今日は息子の誕生日で、なんともう29になるのだからな。

2015年3月9日(月) くもり
今日はまた雨になった。
一向に天候が定まらない。当分こんな天気が続くようだ。ドラマの録画や落語を見る。寒い一日。外の黄梅の黄色が今とてもきれいだ。紅梅もちょっと開きはじめた。

2015年3月8日(日) くもり
不動寺祭典。
叔父の寺不動寺の祭典。叔父の願文はいつも丁寧にわかりやすく、誰にもがわかる言葉であり、それでいてしっかりと言わんとすることを伝えていてぐさりと重い。添え護摩木が例年より今日は多かったようで、護摩壇の補助をする貴永さんも汗が出ているのか、顔が火であぶられているのか、一番大変だったよう。去年から僕は修験の衣体で出ているので法螺貝も吹く。重い法螺を持参したが、やっとこの頃高い音も出したい音程が出るようになってきた。でもまだまだ精進あるのみ。
東京から従兄の清さん、敬さん来てくれる。終わって貴永、永啓、運転のある清さんを除いて飲む。

2015年3月7日(土) くもり
雨は早めに上がったが寒い一日。
寒くて映画を見たり本を読んだり。途中、娘の車のタイヤ交換に若林モータースヘ2台で行く。夕のお勤めに行こうとしたら電話が鳴り、八田の小暮さんからで、18日の観音祭典に欠員が出たので来てくれないかとのこと。予定はないのですぐに引き受ける。僕にも忙しい年度末になってきそうかな?長谷寺のお祭りも何年ぶりだろうか?しっかり務めなくちゃ。

2015年3月6日(金) 晴れくもり
祭典準備など。
今日も朝から祭典の通知などをコピーしたり、「火渡之証」を作ったりする。初め不動明王のカンマンの梵字を入れていたが、背景に不動明王の版があるのでくどくなるのでやめにした。すっきりといいものになりそうだ。黄色の超厚口上質紙を注文するつもり。午後から彼岸塔婆、法事の塔婆を書く。秋山さんが川口さんと一緒に長葱をたくさん届けてくれた。下八木沢の木村さんから、お母さんの七回忌をしたいのでお経をあげに来てくれと連絡が入る。13日の午後ということで承知する。檀家の方ではないが、ご縁があったということに感謝だ。

2015年3月5日(木) 晴れ
祭典の準備を始める。
シメや幣は来週ある西光寺のお祭り用と前後して切ってあるが、檀家への通知や案内、寺院へのはがきなどの準備を始めた。リースのコピー機を効率よく使用する関係がある。月の利用料2,400円を超える枚数をコピーするのはもったいない。ほんとは年間通じていつでも用意できるものはコピーしておくのがいいのだが、どうしても近づかないとそういう気分になってこないというのが正直なところだ。去年うちでも初めて用意した「火渡之証」も、今年は去年の体裁を変えて、葛城入峰の時に配られたものを参考にしようと考え始めた。幸いうちには不動明王の版木があり、摺ったものがあるので、これをスキャナーで保存して、これを「火渡之証」に縮小して使おうと思う。玄法院のご住職も、祭典をまた少し何かやってみたいというようなこともおっしゃっていたし、お祭りを大事に大切に長く伝えていくためには、いろんなことを模索してみるということだ。

2015年3月3日(火) くもり
空き家になるとすぐに物取りがやってくるようだ。
日曜日雨の中を訪ねてくれたのがEさん親子。町の広報誌で母の亡くなったことを知って香典を持ってきてくれた。一昨年ご主人が亡くなってから、二軒だけで暮らしていた場所から二男の家で生活をしている。残った一件も去年には娘のところへと90を超えた老婆は住み慣れた場所を離れた。それで今誰もいなくなり、話によると空き巣に入られて草刈り機など持っていかれたとのことだった。どんな山奥にでも入っていって目ぼしいものがないかと探っていく悪質な輩が増えていて、あちこちで被害になっているようだ。空き家の家の中はもちろん土蔵などにも入って旧い衣類などから骨董品として売れるのではないかというようなもの、片っ端から持って行ってしまうようだ。僕の知り合いも1月に会った時にやはり草刈り機が無くなっていたと話してくれた。こういうのってのはもうそれらの人間の道徳観に訴えるしかないのかもしれないが困ったものだ。過疎の村がやがて限界集落となり、全部の歯が欠けてしまえば村はもうおしまいで、元に戻ることはできない。
土曜日の法事の食事にかかった費用を清算する。3月に入ったので、組長の仕事の方も報告の準備を始める。

2015年3月2日(月) 晴れ
今日は天気が回復。
三寒四温で、天気もめまぐるしく変わる。今日はよかったが、今週中週末にかけて悪くなるという。区長のところへ来年度の組長の報告に行き、自動車共済の保険料を支払いに信組に行く。西光寺の祭典の幣に使う野竹を取ってくる。五大尊の幣は作ってしまう。

2015年3月1日(日)
一日強い雨。
二日酔いでゆっくりと起きる。朝から丸一日強い雨が降り続く。のどの渇きで午前3時過ぎに起きてしまいそのまま録画ものなどを見る。息子はお昼前に電車で戻ってゆく。3月だ。妹のところは一番下が高校の卒業式。連日で忙しいな。49日も終わったので、一度ゆっくり飲もうと友よりメールがある。来週の日曜から春のお祭りが始まる。

2015年2月28日(土) 晴れ
七七日忌法事を二つ。
天気はいい、明日は悪いとの予報、よかった。10時から高松家の七七日忌法要。親族、組の方々など30人が出席。納骨を済ませて11時少し前に終了。正午から今度は母の七七日忌法要。ごくごく身内だけで僕まで入れて24人。不動寺親子、上求寺も読経してくれる。叔父さんには特別に「追弔和讃」の頭をお願いした。墓参をして庫裏で御斎をする。ゆっくりと酒を飲んだり歓談してもらって母の向こうへの旅立ちを後押しするということ。アピオからの派遣の女性が食事の用意をしてくれたのでもうこちらはそれに任せてひたすら飲んでいるだけ。終わってからも炬燵に移動して酒を飲む。息子も自分で持ってきたウィスキーを飲む。楽しい時間を過ごして七七日忌が終わる。これで一つ終えることができた。忌明けの進物も発送してくれたとのこと。

2015年2月27日(金) 晴れ
サギソウ植え替え。
午後サギソウの植え替えをした。球根が七つほどあったので、新しい水苔を敷いて植え替えをした。これを増やしていくのは経験なんだろうな。何年か前に鉢植えのをもらって、次の年は貰った株の半分ほどになって、次の年はもうだめになっていた。芽が出たら祈りが通じたということにしよう。午前中、墓碑の代金を石屋さんの口座に振り込む。妹のところから明日用の花が届く。セレモニーホールでも贈ってくれた。まだ飾れないので廊下に置いておく。明日の法事に時間がかからないよう、墓地に行き墓碑の開眼をする。風が強かったが、修法と経を上げている間不思議と風も凪いでくれていた。お昼前に頭を刈る。暖かくなったので刈るのも楽ちん。足の爪も切る。新聞代の集金に佐田さん来る。映画を見る。息子は今夜、高校時代の友達と待ち合わせて送ってもらって帰るとのこと。たぶん遅いだろう。

2015年2月26日(木)
雨、寒い一日。
三寒四温。歩みを早めたり、足踏みしたりだ。それでも確かに春は来る。護摩の樒の準備をする。28日に焚けなかったら翌日に焚けばいい。石屋さんが母の墓碑の完了を報告しに来てくれる。写真に請求書。この後、橋とも呼べないような小さな水路にかかる石の橋のようなものの作り替えも頼んでいる。樫材の重いばちを頼んで届いたので打ち初めをしてみた。確かに重い。それでも何かずしりとした手ごたえがあって気持ちがよかった。自己流の太鼓だが新たな春に気持ちがいい。雨になる前に樒を採ってしまうと9時ころから雨が降りはじめた。寒い一日になる。本を読んだり映画を見たり。

2015年2月25日(水) 晴れ
剪定。
明日は雨になりそうだというので、梅の枝の剪定をした。父が亡くなってから梅の枝切りがよくわからなくて(今でもわかってはいないのだが)、何本か梅を枯らせてしまった。この時期に枝切りを行うのがよいとネットにも出ていたので今切っている。ただ、どのように枝を剪定するかというようなところはよくわかっていない。とりあえず伸びているのを短くしたり、混み合っているところの枝を落としたりというようなところだ。まあ枯れなければよい。午後から法事の準備で、座敷にテーブルや座布団を並べたり。ドラマ、映画を見る。

2015年2月24日(火) 晴れ
法事あり。
東京の平山家の33回忌をする。故人の弟妹夫婦4人が来てくれた。昨日ほどの良い天候にはならなかったが、まあ寒くもなく今の時節の気温というところだったか。北欧ドラマの録りためを見る。北欧のサスペンスドラマは面白い。午後から土曜日の法事の準備など女房とする。法善寺の今村長老より便りをもらう。もう90歳くらいになると聞いているがはがきの字もしっかりとしているのできっとお元気のことと拝察する。

2015年2月23日(月) 晴れ
気温上がる。
南部町じゃ20度を超える陽気になったとのこと。留守をしている間に、地に下してあったフクジュソウが花開いていた。これがとてもいい黄色を見せてくれる。メダカたちの動きもいい。映画やドラマなどを見る。明日法事があって土曜には高松家と母の49日と二つ重なっている。二月も何となくせわしなく終わりそうだな。

2015年2月22日(日) くもり
帰り。
夕べの酒がまだ十分に頭の中に残っていた。八時前に起きる。朝になって雨が少し降りはじめた。坂本さんと相談して早めに帰ろうかということになる。また宗務所長会議で来ると伝えて宿を出る。新幹線乗り場の喫茶でサンドイッチの朝飯をして9時56分のひかりに乗る。午後1時半には家に着く。去年大雪で行けなかった前行に出仕で来てよかった。さて来年はどうしようか。とりあえず6月の大峯入峰だ。

2015年2月21日(土) 晴れ
結願。
6時と10時の法要で、二十一座の仁王会前行法要が結願する。土曜日ということもあってか十時からの結願法要への一般の参座者がとても多く、金堂では五段護摩も焚かれ、参拝者が護摩木を炉に入れて祈願する時間がとても長くなった。法要のあと宗務総長から前行には延べ千人の前行衆の出仕があったことなどが述べられた。金堂を出て前庭で上醍醐を遥拝し、宝物館でも御法楽をして三宝院に戻って解散。行藏院ご住職は夜集まりがあるということで急ぎ帰る。僕と玄法院ご住職は西陣の叶屋へ一泊する。行く前に上醍醐へ登ろうかと話していたが、思いのほか結願法要に時間がかかったため断念する。京都も中国の春節休暇の観光客が多く、三条まで地下鉄で出て昼食。回転すしやも混雑。生ビールを二杯ずつ飲む。歩いて叶屋まで。部屋に入って日本酒を飲む。銭湯で温まってからいつも行く「おばんざい」の店で夕食。フキノトウのてんぷらなど食べる。

2015年2月20日(金) くもり
四座の前行出仕。
朝5時前に起床。6時からの胎蔵界から、9時、13時、15時と前行に出る。京都の朝も寒さがまだまだ厳しい。ズボン下を持参したが結局一日穿かなくてすませた。4座あると法要と法要の間をのんびりと休んだり散歩するなどのゆとりがない。文庫本を読んで時間を過ごす。明日最後の二座あるが、だんだんと参加者が増えてきた。

2015年2月19日(木) くもり
京都行き。
下部温泉駅から7時過ぎのふじかわ号に乗る。体調不良で行けないと連絡のあった行藏院ご住職も乗っていたのでびっくり。朝までに体調が回復したとのこと。3人で楽しく電車の旅に出る。京都駅地下でうどんの昼食をとり醍醐寺に向かう。12時半過ぎに着くが午後3時からの金剛界からの出仕となる。天気があまり良くないが傘をさすほどでもなく終わる。二十一座中の最後の七座に出仕する。今日は一座のみ。明日は四座。僕のみ畑山商店に行く。

2015年2月18日(水) 晴れ
昨日から天候崩れる。
昨日も午前中雪が降り、今日もお昼前から雨がしばらく降った。窓から東に見える毛無山は白く雪で覆われている。夕方になって雨が上がりやっと晴れ間が見えてきた。気温はぐっと下がったのだろう、もう部屋の中にいてじっとしているしかなかった。それでも今日は11時前に不動明王を拝観したいという連絡をもらっていたので、本を読みながら待った。熟女の歴女みたいなお二人であった。新羅三郎義光に縁を感じるとのことだった。身延線沿線も以前から歩いているとのことであったが、この寺のあったことは全く知らなかったという話だった。お二人は雨の降る寒い中を周辺も歩いてみていったようだった。明日上洛するので、意を決してお昼前に風呂で頭を刈る。今回は荷物は送らずに持ってゆく。最後叶屋に泊まるので、帰りは送り返してもいいと思っている。明日の京都の午後が小雨のようなので一応傘も入れる。午後3時の法要からの出仕となる。

2015年2月16日(月) 晴れ
住民税の申告。
母の最期の住民税の申告をする。京都行きの切符を買いに身延駅に行った帰りを身延支所に寄って申告を済ませた。一つずつ確かに終わっていく。終わってしまってもう再びあることがない。僕も死んでしまえばもう再びこの世にあらわれることはないのだ。現れないと思うと、これほど人を不安に陥れるものは他にはないように思える。和美ちゃんと話もしたかったが、今日から始まった申告で窓口はみなで忙しく対応をしていたのでとても無理だった。メールを書いた。映画やドラマを見る。風は今日は静か。ちょうど母が亡くなったのが一か月前のちょうどこれを書いている時間になる。あわただしくひと月が過ぎていった。

2015年2月15日(日) 晴れ
法事あり。
今日も一日天気はよく、気温もぐっと上がった。風もいっときは吹くがそれほど強くなくすぎる。夕べのドラマ映画など4時半に起きて観る。日曜なので女房と娘はゆっくり。こっちは適当な時間に朝飯を食って朝の勤行する。午後1時から甲府:若尾家の49日の法事。客殿での読経の後に納骨墓参する。若尾家と寺の関係や墓地のことなどを話す。住職は入れ替わるが、檀家はここに墓を持ち続ける限り他所には行かないので、ここからまた新たに寺との関係を始める気持ちを持ってほしいと話す。若尾屋旅館をしていた名家である。本堂の観音扉もこの家の先祖の施せるもの。ゆっくりとそれらも見ていってもらう。ほぼ初めての人たちで、興味深く写真に収めていってくれたり。
大月の蔦木さん家族お礼参りに来る。双子の孫娘が希望通りの八王子の看護学校への進学が決まったと来山。お布施お酒などあげてくれる。大晦日にも御祈祷してあげたので、早速家族で来てくださった。看護師は国家資格を取って文字通り「看護師」になることが目標なので、ここからがスタート。お不動様がきっと応援してくださる。妹とお義母さんが墓参に来てくれる。妹は毎日夕方来ているのだが、今日はお義母さんも杖を突きながら訪ねてくれた。ありがたい、感謝。法事の片づけなどしているとそこにもう一組。近所の檀家佐田父娘。やはり志望校に合格したとお礼参りに来てくれる。あー今日はいい一日だったなぁ。お不動様もきっと喜んでくださったに違いない。

2015年2月14日(土) 晴れ
すみれちゃんくる。
東京の蜂谷君と娘の純礼(すみれ)ちゃんが訪ねてくれた。ヴァレンタインのチョコレートをもって。電車で来て、喜田の家に一泊して明日にはまた戻るのだとのこと。すみれちゃんは男二人の頭を見比べて、「おとうさんとおなじ頭」と表現した。なるほど二人とも坊主頭である。だがすみれちゃんのお父さんはまだまだ若い。明日法事があるので頭を刈る。紅梅の蕾の枝と、ロウバイの枝を切ってきてメダカの盥に挿した。ロウバイは二つほど開いていて、鼻を近づけると甘い香りがする。水に入れておくと蕾は早く開いてくれる。今日は風も凪いでいて穏やかな一日になった。去年の今日は二度目の大雪で、おそらくこの時間にはもう1メートル近くの積雪になっていたのだと思う。今年は何とかこのままで済みそうだと思えるような陽気もなってきた。

2015年2月13日(金) 晴れ
いよいよ春の風の荒れる季節になってきたか。
今日は昼前からやたらと風が強く吹いた。本堂に戸を入れてよかった。猿たちは風のない午前中の早い時間に畑に来ては、草の芽とか枯草の実でも食うのであろうか。風が強くなれば林に引き上げて、風がおさまると本堂脇の池の端で日向ぼっこしながら毛繕いをしている。丸々としたウンコがあちこちの転がっている。娘は今日休み。それでも何やらパソコンに向かって書き物などしている。

2015年2月12日(木) 晴れ
「今夜ももう一杯」。
NHKの「クローズアップ現代」、今夜はブームの大衆居酒屋を取り上げていた。吉田類さんもNHKの番組に登場。居酒屋は好きだったけど、もう外に飲みに行けない生活になってから久しい。居酒屋っていうのは、仕事帰りに立ち寄れるような場所であるから、車がないとどうにも行動できない場所では無理なんである。専ら家呑みが僕の居酒屋ということになる。
昨日客殿の廊下に鳥がいるのに気づいて、廊下の戸を全開にして逃がしたのだが、墓地に行くときに、北側の戸のガラスが割れているのを見つけた。もしかしたら鳥がぶつかってガラスが割れてそのまま飛び込んでしまったのかもしれない。そうだとしたら、結構タフな鳥である。ガラスを入れてもらうのは店を探すことから大変そうなので、コメリに行ってアクリル板を買ってきてカットして入れ替えた。
本山より仁王会前行への登山許可証来る。東海師、どうしても仕事の都合がつかず、一緒に行く予定だったが「残念!」とのこと。第一線でバリバリに働いている人には当分無理なのかもしれない。今しなければならない役割をしっかりとこなしていくことが大事なのでは。暖かい日中は、メダカたちを春の日の下に出してやる。ちょっと餌をまいたら、興味を示して食べた。

2015年2月10日(火) 晴れ
メダカ30匹くらい冬越えなるか。
4つの入れ物で冬越えをさせていたメダカを数えてみた。庫裏の三和土に置いてある水瓶メダカは9匹。あと外に置いてある木の盥の中にも11匹。残りに9匹居たか。このままいけば30匹ほどが冬越えとなる。ダルマメダカは全滅だ。やはり普通の形をしたものの生命力が強いということになる。今年の春はもうメダカを仕入れなくてもいいだろう。暖かくなればまたすごい勢いで繁殖する。何年かしたら、冬越えなんのそのという大聖寺メダカとなるかもしれない。
本山に行くのに、駅まで出る手段がない。タクシーは高いし。町でやっている乗合タクシーなら300円で甲斐岩間まで出られる。役場に行き登録申請をしてきた。来週に間に合うかどうか。母の墓碑建立の工事始まる。

2015年2月8日(日) 晴れ
雪が降る。
今日は雨になるという予想だったのだが、冷え込んでいたのだろうか9時過ぎから雪が落ち始めて昼過ぎまで続いた。その後は止んで晴れ間も見えてきた。八幡神社の春の祭典がある。終わった後にお供えの切り餅を組の家々に組長の仕事で配る。来年度の副区長を決める選挙がある。予定通りの人が当選となる。午後妹夫婦に来てもらって、母の残した遺産のことで相談する。来週の日曜に法事をする甲府の檀家さん見えて話していく。母の塗位牌出来上がってくる。

2015年2月7日(土) 晴れ
夕方になって風あり、冷たし。
不動寺から3月8日の祭典の案内届く。税務署から確定申告の還付確定の振り込み通知届く。息子のは相模原に提出したのでわからないが、こちらの3人は申告通りの還付額になった。母が亡くなったので来年はよほどの病気にでもならない限り医療費の申告には至らないだろう。でもこれでいい。

2015年2月6日(金) 晴れ
あたたかい。
昨日の雪も大したことはなく、一日あたたかい日になる。このまま二月がおだやかに進んでほしいところ。特に何もなし、昨日も。映画とドラマを見る。午後不動寺の叔父より電話あり。天保年間に不動寺から大聖寺の住職となった隆道和尚のことで問合せ。約190年前に亡くなった第44世住職である。午後2時過ぎ、あたたかいうちに頭を刈る。

2015年2月4日(水) 晴れ
立春。
いよいよ春が始まる。明日の天気がちと心配だが。雪になるかもしれないとのこと。JAで寺の建物共済の件で書類に不備があったとのことで職員が来る。ちょうど一年前の大雪の話をする。お昼過ぎに、参道入り口の家に住んでいたMさんの娘さんが来てくれる。クリスチャンとのことで焼香はなし。岡島の外商部の職員が49日の返礼品に使う挨拶文のゲラ刷りを持ってくる。これでよし。映画とドラマ観る。草g剛主演の「銭の戦争」が面白い。3月にある西光寺の柴燈護摩のシメや幣を切る。年末に買ってきたフクジュソウももう花が終わりなので、地におろす。来年以降ここで花開くことを祈りながら。3年前に下したフクジュソウも少し顔を出し始めている。

2015年2月3日(火) 晴れ
節分。
午前中同じ組内に住んでいたKさんの娘さんが焼香に見えてくれる。用事があって知り合いに電話をしたところ、母の亡くなったことを知ったということだった。七七日忌の案内状を出す。返礼品の発注をする。映画とドラマを見る。お寺で葬儀をする機会が減り、経机を使うことがほとんどなく、たまに持ち上げると乾燥していて机自体が足から天蓋までバラバラになってしまう。木工用のボンドを買ってきて外れないように接着をする。教昌寺からも雪害による宗費免除の申請が届く。あした2か寺分を本山に送る。

2015年2月1日(日) 晴れ
あたたかい。
2月に入った。今日も一日暖かい日になる。ロウバイもひとつふたつ開きはじめた。周囲に香るあの甘さを早く嗅いでみたい。女房と娘は甲府へ行く。葬儀にいただいて飾ってあった花を花屋を呼んで引き取ってもらう。墓地にバケツに入れて挿しておいた花も穴を掘って埋めて片付ける。少しずつ終わりにしていかなければならない。月が替わったのでちょうど良い。暖かくなってから、節分、立春の札を毎年のごとく8か所に貼る。これで準備良し。映画、ドラマを見て過ごす。瀧本院から昨年の雪害による宗費の免除申請届く。一年もたって今かと思うかもしれないが、実際にはまだ修復が済んでいないのだ。職人さん方が忙しく、手も足りなくて修繕箇所にまだ手が付けられていないとのこと。それだけあの大雪は山梨ではまったくもっての想定外のことで、家も寺もそのダメージをこっぴどく受けてしまったということだ。残念だが後藤健二さん、「イスラム国」にを殺害されたとの報道ある。殺した奴らは人でなしとか人非人という。

015年1月31日(土) 晴れ
いろいろあった年の初めの一月だったなぁ。
ほんとうに中味が濃く凝縮されたひと月だった。年明けというより大晦日の夜から始まっていたんだな。組長をやっていて、晦日に組の中の人が亡くなり5日に葬儀をし、その前の2日には甲府の檀家で亡くなり8日に葬儀をした。ほっとしてどんど焼きや獅子舞を楽しんでいたら母の死亡だ。母の亡くなった1時間後に檀家の方が亡くなるというおまけまでついた。酒も飲んだがこういう気忙しい一年の始まり方も異常ではあった。30日に雪が降って少し清めてくれたということに期待したい。気温が上がり南側の屋根の雪はもうすべて溶けてなくなった。一月も終わり。二月に入れば節分立春。まだ油断できない雪の時季が続くが、今日のような温かさはほんとに春の近いことを予感させ、心うきうきとなる。市川の西光寺のご住職から、3月15日が祭典日となったと電話をいただいた。行藏院、瀧本院にこのことを伝え例年通りの助法も頼んだ。これもまたうきうきする祭りの始まりの季節。2月にうちも含めて三つある49日の法要の準備などする。

2015年1月30日(金)
雪になる。
深夜からの雪は朝にはそれほどではなく積もりそうにも思えなかったが、8時を過ぎてから少し本格的な降りになってきて5センチほど積もった。娘はいつもより1時間近く早くに出かけたので、混雑に遭うこともなく着けたようだ。今でストーブを炊いて、御幣をつくる。「三宝荒神」「歳徳神」「鎮宅不動明王」の弊。車の12ヶ月点検があったので、10時に家を出る。3時間ほど時間をもらいたいというので台車を用意してくれた。アウトランダーの電気自動車だった。こんな高級車の、それも初めての電気自動車体験。家に帰るのももったいないので田富まで出かけてブックオフで100円文庫本5冊、500えんCD3枚買う。CDは、THE NACKとNEIL YOUNG2枚。ナックのMy Sharonaは、あんなノリのいい曲だから、2分前後の曲だったかなぁと思い込んでいたのだが、しっかりとギターソロも聞かせる4分超だったので、「あー前から欲しかったし、買ってよかったな」と思う。一旦家に戻り、そのまま参道の雪かきをする。1時間ほどスコップを使い、軍手をしていたのだが、右の手のひらの皮がぺろっと剥けてしまう。再び自動車を交換して帰ってくる。4時頃東海師来山。お茶を一杯飲んでから、客殿で夕のお勤めを兼ねて理趣経を読む。だいぶ上達してきている。仁王会前行にもいけるかもしれないとのこと。
雪が降って否が応にも去年の大雪を思い出してしまう。 その時期までもう半月ほどだ。なんとか今日の雪で勘弁して欲しいものだ。娘の誕生日。いくつになったなどと云わぬ方がよい年齢になってきた。こちらも赤いちゃんちゃんこに近くなる。
2015年1月29日(木) 晴れ
今夜雪になるか?
今朝も冷え込みが厳しかったけど、夕暮れてきてまた一段と冷えてきた。雪が少し降るかもしれない。護摩壇と本堂の掃除をし、次回の護摩の用意も済ませた。七七日忌の返礼品をする人たちリストを作る。映画を見る。冷えてきたので、熱い湯につかりたいなぁと思う。

2015年1月28日(水) 晴れ
初不動。
午後から初不動の護摩を焚く。今日は助法なし、参座する人もなしの一人。それでも静かに一月の護摩が焚けた。立春でも過ぎたら、梅の枝の素性のいいのを取って今年使う散杖を作ろうと思う。もうこれと目をつけてある。秋山さん手作り納豆を届けてくれる。味噌を仕込んだ時の大豆のようだ。曙大豆の納豆なんて贅沢。「これで一杯やりな」とのこと。午前中は映画見たり、49日の返礼品の送付リストを作ったり。

2015年1月27日(火) 晴れ
葬儀の後の始末は続くなぁ。
郵便局へ通帳の解約に行く。実際には残額0なんだけど、局では解約の手続きをしてほしいと。最後に4円の利息をいただいて帰ってきた。通夜葬儀と、留守居を頼んだシルバー人材センターから請求書が届いたので、午後から飯富病院を定期受診して薬をもらった後支払いに行ってきた。コーヒーを淹れてもらって所長さんと雑談をして帰ってきた。母が生前取引のあった証券会社から相続に必要な書類などの詳細が送られてきた。知り合いの行政書士に面倒を見てもらうことにした。葬儀から毎夕墓参に来ている妹にも、この相続という厄介者のことに関して一応伝える。二人なのでそう難しくはないだろう。四十九日忌に送る品に添えてもらう挨拶文を作る。ネットにいくらでも例文が出ているので助かる。四十九日の案内状も今日印刷までは済ませた。

2015年1月26日(月) くもり
雨になるか?
だんだん曇ってきた。雨になるか。午前中薬王寺ご住職見える。午後渡辺さん訪ねてくれる。こんなとこまでわざわざ来ていただいて。新聞のお悔み欄に載せるのに、喪主の肩書に「大聖寺住職」といれず、ただ「子○○」とだけにしたので、見過ごしてしまった人もあるようだが、僕は変わりもんだからそれも狙いの内だった。あとで知ってきてほしいわけでもない。知らなきゃ知らないでいいってことだ。母の通帳が二つあって、年金なんかは二か月に一度おろしてしまっていたのでほとんど残額はない。郵便局のは今日行ってカード使って端数まで全額おろせてしまった。局で解約してほしいといわれたので、明日あらためて解約にのみ行くつもり。信組のは、相続しないとおろせないとのこと。大した金額は残っていない。ほかの手続きもあるのでまとめて後日廻しだ。妹と話をして、こういう相続の手続きは一度に済ませたいと思っている。めんどうだな。28日の護摩の準備もする。

2015年1月25日(日) 晴れ
法事あり。
甲府遠藤家の13回忌の法事がある。今日の人も67歳で亡くなったので、今の時代から考えるとずいぶん早かったように思える。干支が一回りしての12年の13回忌。最近の山梨の地方新聞のお悔み欄の掲載者の年齢を見ると、80台が多いが、90台、100歳越えなんてのも珍しくない。13回忌ということで、故人の兄弟や近しい親族を招いたので、近くの料理屋で御斎をし、僕まで招いていただくことになった。ほんとは遠慮すればよかったのかもしれないが、故人のことと寺のこととは別と考えれば施主の御誘いを断るわけにもいかない。行けば行ったで酒も十分にいただいてしまった。今日は少し風はあったが穏やかな暖かい日となった。「イスラム国」が人質の一人を殺害したとの報道があった。母の位牌を頼む。甲府の高松さん今日が奥さんの命日とのことで墓参りに見え、母への香典頂戴する。霊場巡りのご朱印一件。

2015年1月24日(土) 晴れ
民間軍事会社を作った人間を、「友達」と呼べるジャーナリストの方が不思議。
のような気がするのだがどうだろうか。戦地の子供を救いたい、平和を願って中立な立場で戦争報道を続けてきたということだから、新手の軍需産業に参入して、一旗揚げようなどとということをもくろんでいる輩に、いかなる理由があろうとも賛同できるものだろうか?そういう人間を友達で助けたいと思うだろうか?まずそれが不思議でならない。やはり自己責任だと思えてしまう。僕は何度もここにも書いているが、他人が介入するものではなく、自分たちで解決していかなければ永遠にこんなことは終わらないってことだ。何百億もの身代金を支払って解放にこぎつけても、世論はそれに拍手は送らないだろう。政府は支払いを認めないだろうけど、解放されたとしたらそれはあったということになるだろう。先ず自分で自分の命を粗末にしないということが大事で、この弓の島にだって、生活に困窮する人たちがあふれかえっている。一つの命も、何百何千の命も、その重さに序列をつけることはできないだろうけど、あまりにも無茶苦茶な行動で、後藤氏は向かう前に自らの行動を「何が起こっても責任は私自身にある」とはっきりしゃべっているではないか。「必ず生きて戻りますけどね」ってのは、誰にも迷惑を掛けずに自力で戻ってくるということだ。こういうことを軽軽に口に出しているわけではないということを重く受け止めておきたいと思っている。もちろん一番の悪は、人質を拘束し続けている「イスラム国」だということは自明の理だが。
葬儀の翌日から、墓石店や仏具店からダイレクトメールが送られてくるくる。でもこんなのは全部無視だ。位牌は、父の同級生で85になっても元気で商売をしている若林さんに頼む。墓碑はすでに望月石材に頼んだ。七七日忌の案内はがきも自分で作る。葬儀にかかった費用の明細と請求をもってセレモニーホールで来る。人をあの世に送ることにこんなにも金のかかるものかと思う。49日忌の当日の食事のことなども相談した。副区長選挙の投票用紙を組みの家に配る。どんよりとした夕空になってきた。頭を刈る。

2015年1月23日(金) 晴れ
母逝く8。
ちょうど一週間前の今日の今の時間に母が逝ったということで、シリーズも切りよく今日まで延長。今日はポカポカといい陽気だった。梅の花もこの暖かさが続けばほころび始める。2月に大雪があるなんてことは、こんな陽気を感じてしまうととても信じられない。母を寝かせておいた布団と暮れから正月に飲んだ一升瓶を衛生組合に持って行って処分する。ほんとは昨日新年の御札を持ちに来る予定だった大月の山本さんは向こうが雪のため来られなくなり、郵便局から送った。公立学校共済組合から未支給請求の書類が届いたので記入し、JAで口座の証明をもらい、役場で戸籍をとって郵送。事後の手続きを片付け続ける。朝3時半に起きて映画を見る。標さんから丁重なメールが届いていたので返信する。お昼には東海師より電話ある。「お疲れでないですか?」と。まだ幾分気が張っているのだろうか?疲れのようなものはあまり感じない。眠気はあるが大丈夫。今朝のお勤めから通常通りに務めることができた。人一人亡くなっても生活の上では何ら変わりはない。日曜の法事のために客殿に椅子など並べて準備する。サルが来て荒らされるのもしゃくなので、墓地の団子とご飯を片付け、池に流して施餓鬼する。

2015年1月22日(木)
母逝く7。
「母逝く」シリーズも今日までとする。少し遅くまで寝ていたかったが、今日と明日、獣除け柵門扉の開閉当番になっていて、6時前に小雨の降る暗い道を開けにゆく。娘は今日から出社。朝から雨。今日はいくら降っても構わない。位牌堂へ遺影位牌を飾り焼香台を設けた。役場へ国民年金の未支給請求のための手続きにゆく。印鑑登録カードなども変換する。頂戴した御厚志を銀行にとりあえず預ける。少しずつ後のことをしていかなければならない。女房は息子のスーツがくたびれているので、それを買いがてら甲府駅まで送ってゆく。僕は午後のんびりと溜まった録画の映画やドラマなど見る。うとうとしてしまうので、半分も内容はわからなかったかもしれない。夕になって雨あがる。これから門扉を閉めに出かける。

2015年1月21日(水) くもり
母逝く6。
いよいよ葬儀当日。女房のところへ6時半に着付け師が来るというので、4時半に起きて飯を済ませ、朝の勤行。天気は夜までなんとか降らずに持ちそうだ。8時から出棺準備。客殿に安置したので、ストーブを炊いて暖かくして親戚や組の人たちを迎える。追弔和讃を不動寺の叔父に頭をとってもらおうと考えていたが、朝の大渋滞があったらしくて、時間になったので読経を始めて、和讃もひとりで歌い始めたが、なんだかうまくできなかった。8時45分から火葬。控え室で久しぶりに会う親戚たちと少し時間があるのでゆっくりと話す。ワンカップや缶ビールをどんどん空ける。皆ワンカップ2本半ほど飲み、結構いい気分になる。ワンカップは、葬儀社で準備してきた本数を全部飲んでしまった。セレモニーホールについて、正午から葬儀告別式。今日の導師は行藏院壬生僧正。今日の葬儀はほぼ満点。声もよく出ていたし、法螺もよく立った。本当に皆さんありがとうございました。大勢の会葬者もあり、母を無事送り出すことができた。初七日忌法要後、御斎。お導師様からも過分なお褒めのお言葉を頂戴した。喪主の挨拶では、母のこと、醍醐派のことなど少し長くなったが話す。料理もまあまあだったと思う。僕も飲んだ。内船寺も飲んだ。飲んで送ってあげるのが母も喜ぶ。楽しいことが好きだった人だ。終えて寺墓地に納骨。組の方々には最後の最後までしっかりとお手伝いをいただいた。2月28日の七七日忌法要までに墓碑を建てる。帰ってきて極々身内で話をしながら僕はまた飲む。夜には、名古屋の遠藤上人、ユキエさん夫婦と長い話をする。一大イベントも終幕となる。

2015年1月20日(火) 晴れ
母逝く5。
いよいよ今日からが母の葬儀。この後午後4時から納棺。仮出棺して葬祭場へ移動して、通夜後再び棺は寺に戻ってくる。さすがに幾分疲れが出てきたのか眠い。新聞のお悔み欄に記事が出る。反応2件。甲府の遠藤さんからお悔やみと、日曜日の法事は大丈夫かとの問い合わせ。まったく問題ないと返事。仲人をした池田さん朝弔問に来てくれる。初七日まで出席してほしいと頼む。生花を上げてくれる。昨日の夕方仕上げた確定申告を鰍沢税務署に提出し、息子の分を郵便局から相模原税務署に送る。年賀状のお年玉がたった一枚末等が当たっていたので切手に交換してもらう。母の墓地建立に当たり、東西南北の紙幡を作り。明日の天気がちょっと心配。

(21:00)通夜の法要を葬祭ホールで行い、終えて7時半には寺に戻ってきた。午後4時からの納棺に1時間ほど前から親戚が集まってくる。東京の従兄たち。母方の嫁いだ従姉たち。妻の姉兄たち。妹家族は、旦那、3人の息子たちは日蓮宗のたすき掛けの輪袈裟をまとって現れ、4人でたっぷりと時間をかけて納棺前に回向をしてくれた。決して多くの親族ではないが、皆大切な人達で、しばらく会わなかった顔は懐かしい。母も口元に笑みを浮かべてこの再開を喜んでくれる。僕が導師で授戒灌頂を行う。終えて母の戒名の話をする。あとは棺に納めて仮出棺となり組の人たちに手伝っていただき霊柩車でホールに移動。葬儀の家の不在を狙って空き巣に入るという事件が頻発しているという話を聞くので、シルバーにお願いして留守居をお願いする。あすも朝から一日頼む。今夜は何事もなく済んだ。

僧侶方既に控え室にお見えになっている。緊張の様子も伺える。ホールの職員がら先ず、いただいた生花の並びを見てくれと頼まれ、入れ替えたりする。僧侶方と細かな打ち合わせ。夕飯。母の実家の従姉たちと話しながらビール1本飲む。6時から通夜。元役場で一緒だった人たちや多くの皆さんが焼香に見えてくれる。終えて再び棺とともに帰ってきて、客殿に安置する。全体を100とすると30が終わったような。今日は一日中眠かった。もう一日頑張ろう。子供たちもよく手伝い協力してくれている。


2015年1月19日(月) 晴れ
母逝く4。
夕べ遅くに妹が来て、一晩を母の枕もとで過ごしていった。尤も彼女は午前4時ころには南部の自坊へ戻ったようであったが。それでも久しぶりに1時間ほど話すことができてよかった。二人きりの兄妹で、彼女はわが寺の10数倍も檀家のある日蓮宗の寺に嫁いで、自らも団扇太鼓を鳴らしてご詠歌の先頭に立ったりしているのである。よく人から○○さん(名前)はよくできた人ですなどといわれるが、いつも僕は「姉です」と答えている。たいていの人がうなずく。そんな嫁ぎ先だから、盆も正月ももちろん、なかなか実家であるここに来ることもなく、在家の人たちが楽しく遊んですごす盆や正月はお互いに寺籠りなのであるから会うこともない。
僕は今朝5時半頃に起きて勝手に朝飯を食って、朝のお勤めをして8時20分過ぎに出かけてT家に向かう。経をあげて出棺。火葬が始まって寺に1時間ほど戻って、母の受給している年金の公立学校共済組合へ電話をして死亡したことを伝え、届けに必要な書類を送ってくれるとのこと。ここにはちょっと書けないような事件が起こっていたことを知ったが、絶対に書けない。シルバー人材のKさんにだけはわかるのだが。とにかくその件で至急の対応法を考えてある機関に協力してもらえることになった。夕方になってそのネタの情報を流してくれた人から直接詳しい話を聞くことができた。まったくいやな世の中になったものだ。葬儀を無事に終え初七日法要を済ませて御斎の献杯をしてから中途退席させていただいた。息子が帰ってきていて、娘と女房の三人は墓地の掃除をしてくれる。僕は母の石塔を建てる件で、刻む戒名などを石屋さんにFAXして打ち合わせる。2月28日の七七日忌までに建ててもらうことになった。女房の旦那が再び今日をあげに来てくれ少し話をしてゆく。今夜また一番下の息子も母の顔を見に来る予定とのこと。息子が給与の源泉を持ってきたので、一気に確定申告も仕上げる。僕ら、娘、息子の確定申告が仕上がった。母が亡くなったので、何事もなければ来年は医療費控除は該当しないだろう。変な癖があって、こういう慌ただしいときにめんどくさいほかのことを並行してやるということに、変な快感みたいなものを覚えてしまうのだ。明日は午後から本番が始まる。

2015年1月18日(日) 晴れ
母逝く3。
午後4時からのT家の納棺式を終えていったん寺に戻ったところ。5時には通夜会場へ向かわねばならない。昨日の夕方区内の各家に母の死が伝えられたので、今朝は何人もの方が弔問に訪れてくれた。東京から従姉夫妻も来てくれた。午後3時に明王寺の標住職も出向いてくれた。通夜には出仕してくれるとのこと。T家の葬儀のことは大体済ますことができた。母の方も考えてみれば、諷誦文も導師が書いてくれるし、通夜、葬儀に何人くらい来るのだろうかという見えない予想をして、食事とか返礼品とかを頼むといった具合だ。葬儀の導師を勤めてくれる壬生僧正とは今日も何度か電話やメールでやり取りする。昼は暖かいが日が陰るとぐっと冷え込んでくる。葬儀が終われば諸手続きが待っている。母の年金証書などを手元にそろえた。

2015年1月17日(土) 晴れ
母逝く2。
昨夜は手伝ってくれた従弟と12時まで酒を飲んでしまった。朝食後、8時半過ぎにT家に向かい枕経。だいぶやつれたお顔が闘病生活の長さを話すかのよう。やってきた葬儀社とも、細かい時間の打ち合わせなどして辞す。外にいた組みの人たちの中に寺の檀家総代もいたので、母のことも伝えると皆びっくりする。戻り、今度は僕の組の人たちと母の葬儀日程の打ち合わせをする。葬儀二つが同時進行しているというなんとも不思議。組長の僕がホントは仕切るのだが、できないので、皆さんよろしくとお願いをする。母の葬儀なので、寺でするのが本来かもしれないが、厳寒の時期だし、檀家の葬儀があることもあり、寺で葬儀をすることになれば、お手伝いはあっても、僕や家族の負担はどうしても避けられないことは目に見えている。下山のセレモニーホールを会場とすることに決める。区長に母のなくなったことと日程を伝え、葬儀へのお手伝いを依頼する。家の墓を持たないので、組の男の人達と寺墓地に行き、祖母の墓の前に母の墓を建てるため、骨壺を納めるための穴を掘ってもらう。当日帰ってきたらここに埋めてしまい、七七日忌までにこの上に墓碑を建てる。ちょうど隣のお寺に来る用のあった石屋さんに場所を見てもらいお願いする。葬儀社との細かな打ち合わせが長く続く。死亡届も記載する。なかなか、T家の葬儀の準備にかかれない。先ず、二人に戒名を付ける。長考はできないが、こういう時に限って案外すっと腑に落ちる戒名が付けられるものだ。これもまあ長くこういう生活を続けてきているということの積み重ねだ。昼前に行藏院、玄法院ご住職来てくれて回向してくれる。その後葬儀の打ち合わせ。醍醐の諸大徳に出仕いただくことで大筋を決める。修験者には法螺を立ててもらう。通夜導師を玄法院ご住職に。葬儀導師を行藏院ご住職に。高野から従弟の永啓、智山の標さんは通夜に来てくれるとのこと。皆僕の一番近くにある理解者であり、仲間であり、小さな醍醐のサンガの同行者である。醍醐派だけで葬儀をするという実験葬儀のようなものをここ何年か模索してきている。母にもこれでよいと思う。母の葬儀の書物は一切を玄法院坂本ご住職に頼む。T家の塔婆、位牌も書き、諷誦文も仕上げる。次第も作る。こちらの目処はなんとか付いた。娘は明日から水曜まで休めるとのこと。息子はあす帰宅する。勤務する大学から弔電をいただけるとのこと。社会人を幾分誇らしく思えた瞬間。母も喜ぶ。葬儀社から派遣された白衣姿の二人が時間をかけて湯灌してくれ、死装束に着替えさせ、柔らかくなった指に数珠を持たせてくれる。こういうことができるのだなぁと改めて驚く。そんなこんなで一日終わる。

2015年1月16日(金) 晴れ
母逝く。
昨日の夕方、施設から何度か嘔吐があり、今夕は食事を控えて様子を見るという話だった。昨日施設に出向いた時に面会してこなかったことに少し後ろめたさなど感じた。今朝も気にはなったが、新聞には、南巨摩の介護施設でノロウイルスが発生などとあり、母の施設もこんなふうだろうかと思い、本堂の護摩壇の掃除などして午前中は過ぎてしまった。昼食後に施設から電話があり、あまり容体がよろしくないので、今後の相談もしたいので来て欲しいとのことですぐに向かった。事務室のとなりの部屋のベッドで酸素吸入と点滴を施された母が、ゼイゼイと苦しそうに呼吸を繰り返していた。医師。看護婦から説明を受けた。肺炎をおこしているもよう。施設は医療機関ではないので、加療をするなら、一旦退所をしてどこか受けれてくれる病院を探すことになること。もう一つは、このままここで、様子を見るということ。レントゲンの機材はないが、肺炎には間違いがなく、病院で受け入れてもらっても、今ここでしている処置のようなことしか病院でも施されないだろうとのことだった。もう危険な状況にあるとの宣告であった。風邪で熱があるため一緒に来なかった女房に電話をし、状況を知らせる。すぐに向かうという。妹に連絡をするが電話がつながらない。電波の届かないもうひとつの兼務寺での新年の法要に住職と出かけていたのだ。すぐ近くに寺のある叔父にも知らせる。女房が来、叔父夫婦が来、この施設でパートをしている義姉も来てくれた。医師に瞳孔の開き具合を見せてもらい、おそらくもう意識は混濁しているであろう、見えないであろうことなど伝えられた。ただそばで見ているしかない。どのくらい持つのだろうかと問うと、まちまちで、あっけなく逝く人もあれば、しばらくこういう状態で亡くなる人もあり、「神のみぞ知る」ようなものだという。やがて妹夫婦と連絡が取れ、身延のお姉さんを乗せてすぐに向かうとのこと。叔父夫婦を送り、僕もお堂を閉めたりするため女房を残し一旦寺に戻る。お堂を閉め、夕の明かりを灯し、JAからの留守電に折り返しの返事をしているところへ女房から、「亡くなってしまいそうだから、すぐに戻れ」と。夜の道路を走りながら、違法の携帯電話をいくつもする。途中で女房に入れると、つい今しがた事切れたとの返事。娘夫婦に伝える。甲府の行藏院ご住職に連絡し「葬儀の導師を頼む」いう。重い気持ちで母のベッドを覗く。酸素吸入のマスクが外され、荒い呼吸から解放された穏やかな笑を持つ静かな母になっていた。何年も厄介な認知症に蝕まれて、本人も辛かったろうし、僕らも厳しかった。安堵する気持ちが正直あった。昨日が亡き父の誕生日で、色々な思いも湧いたし、そして今日のこと。対処の準備をし、葬儀社に搬送を頼み、午後9時前に寺に戻る。従弟夫婦に手伝ってもらい、庫裏の床の間の部屋に寝かす。父もこの部屋で亡くなった夜僕と寝た。やがて甲府から従姉夫婦も駆けつけてくれた。
実はもうひとつの出来事があった。施設で母の帰宅の準備をしているあいだに、留守居をする娘から、「檀家のTさんから、お母さんがなくなったので、お父さんに枕経を上げに来てくれと連絡が入った」と。こちらの事情も伝えたという。僕の携帯に直接電話を入れてくれるよう頼む。折り返しTさんから電話が入る。母より1時間ほど遅くに亡くなったようだ。先方は既に葬儀の日程まで打診してきた。こっちはまだそういう気分になれない状況ではあったが、もう仕方がない。日月、18日通夜、19日葬儀告別式で話を受ける。必然、母の葬儀は20、21にしようということになる。檀家の乏しい寺でこんなこともあるのかと、ずしーんと重い。そういえば父の時も、通夜をした晩遅く11時すぎ、あすの葬儀に向けて寝ようとしていたら、外で声がする。実はやはり檀家の方がその夜亡くなり、家族が枕経を上げて欲しいと、明かりを落とした寺に申し訳なさそうにやってきたのだ。当然出向いて枕経を上げてくることになった。こういうことってあるものなんだなぁ。

2015年1月15日(木) 一時雪
85歳。
先代の住職である父が存命であれば今日が誕生日で85歳になる。僧侶をしていると人のしに近しいので、80や90で亡くなる人もたくさん見てきた。父の同級生で、まだ第一線で商売している人もいるし、病気と闘いながらうまく生活している人もいる。こういう人たちを見ていると、67歳で逝ってしまった父を寂しく思うことがあり、運命というものを憎みたい気持ちにもなってきたりもする。法事の時にお話をしたりもするが、ひとりになって頭の中にめぐることなんかは案外こういう風に、気弱いことであったりする。もう10年したら父の死の年齢になってしまうので、「残り10年かぁ」などという気分になって、さて寺のことはどうなるのだろうと、抜けられない穴に落ち込んだような気分にもなる。気にしてもなるようにしかならない仕方のないものなんだろうけど、今日は雨が時に雪に変わったりする寒い一日で、庫裏の部屋で節分のお札などを作っていると、父のことなどどこからともなく思い出されてしまったのだ。

2015年1月14日(水) 晴れくもり
東京から。
牛山さんご家族10時半頃に墓参のため来寺。道路も空いていて予定より早く着いたという。お父さんはもう91歳ということだが、しっかりと歩けるし会話もしっかりとできる。娘さん曰く、言ったことをすぐ忘れてしまうというが、まだまだ大丈夫のように思える。清々しい気分になれたとおっしゃってくれた。墓を参るということには目に見えない大きな力や、長寿の秘薬があるのかもしれない。7月のお盆にまた伺いますと再会の約束をする。今日はこの後伊豆方面で一泊するとのことで、清水方面に国道を走っていった。
午後、母の施設の利用料の支払いに行く。インフルエンザの流行の時季なので、今日は面会せずに帰ってきた。介護保険の更新申請に役場に行く。JAの職員、回覧文書を持ってきて、寺の建物共済を変更契約する日時を相談してゆく。午後から曇ってくる。明日は雨になりそう。

2015年1月13日(火) 晴れ
役場へ行く。
坂本土建の祈願札を郵送で送り、その足で役場に行き、申告に使う3月までの国保税額と母親の後期高齢者保険料額を調べてもらい証明書をもらってきた。息子の源泉が届けば4人分を作り上げて税務署に出すことができる。昨日の続きで「」後編を見る。今月二つある回忌の法事の塔婆を書く。立春の札なども作りはじめる。明日東京から墓参に来る牛山家の墓地に行き、花挿しを抜いてきて洗った。陽に当たらない墓地は花挿しにたまった水がこの時期カチカチに凍っている。西陣叶屋から宿泊OKのメールが返ってきたので、醍醐寺に仁王会前行出仕のFAXを入れる。

2015年1月12日(月) 晴れ
のんびりとする。
まあ毎日がのんびりなのだが、娘も女房も休みなので、僕ものんびりとする。夕べ録っておいた三谷幸喜版『オリエント急行殺人事件』の前編を見る。探偵役の野村萬斎の作り声?がちょっと耳障りなのがあるが、後半も楽しみ。昼過ぎに貴永さん、お母さんと訪ねてくれる。これから清水へ寿司を食べに行くのだという。年末の晦日に門が仕上がり落慶したといい、引き物、お酒など持ってきてくれる。おじさんが手を付けることができなかった長屋門。早く僕もこの目で見たいと思う。とにかく大雪にならない新年であってほしい。行藏院ご住職から電話があり、仁王会前行の本山登山を2月19日から21日までとしようということになる。21日は叶屋に泊まろうということになる。叶屋へ宿泊連絡を入れたがまだ返事がない。女房誕生日。

2015年1月11日(日) 晴れ
小正月。
昨夕のどんど焼き、今日が小正月の獅子舞。午前4時すぎ頃だったかな、突然役場の広報無線が、火災を知らせるサイレンを鳴らした。サイレンのあと、すぐある放送がない。火災の場所、どこの消防団が出動するのかわからない。5分ほど経ってから再びサイレンがなり、今度は「身延町梅平の…云々」と。旧身延町なのでとりあえず八日市場の消防団の出動はない。予定通りに同志会の獅子舞は大丈夫。こういう時はOBはとても気にかかる。母娘はまだ体が本調子ではないので遅い。勝手に飯を食って朝のお勤めをして新聞を読んで、そのあと、畑のどんど焼きの燃え残りの後片付けをする。どうしても針金などが混ざっている。もうこの片付けも何年かひとりでやってきた。
先日葬儀のあった甲府のWさん、4人で墓地の掃除に来る。お昼をまたいでたっぷりと時間をかけて掃除をしていく。掃除して先祖の墓地をきれいにし、家族もまた新たな気持ちになるというもの。ありがたい。同志会の獅子は11時に来る。お酒と、女房のコーヒーをいつものように飲んでいってもらう。ついてまわる子供たちの提げているビニール袋は、各家で貰うお菓子で真ん丸にはちきれんばかりに太っている。我が家のものも菓子鉢からすっかりなくなっていた。良い天気で、福寿草も開いて、あたたかな新春の一日。

2015年1月10日(土) 晴れ
どんど焼。
午後5時から小正月のどんど焼。薄紫の夕暮れに大きな炎が天に勢いよく登っていく。去年の穢れを全部焼き尽くして、一度リセットしてくれるようだ。午後から、道祖神の飾りつけなどを手伝う。久しぶりに大子山へも行く。僕のと女房の確定申告書を作る。僕は去年なかったが、民俗資料館の管理謝礼が所得税の対象になったことから還付請求ができるので、国税庁のホームページから作った。あとは子供たちに医療費や国民年金などを使ってやる予定。

2015年1月9日(金) 晴れ
ツレが風邪になりまして。
「ツレがうつになりまして。」という映画を見た。堺雅人、宮崎あおいの夫婦の物語。実は今日のタイトルは僕の頭の中では、「ツレがインフルエンザになりまして」だったのだが、今ツレを病院に迎えに行ってきて、「どうだった?」と訊くと、「ただの風邪だった」とのこと。がっかりというわけではないが、ちょっと当てが外れた。年末からずっと娘がインフルエンザで、ぼちぼち快癒というところまで来ているが、バトンタッチを娘から母にしたのだなというふうに想像していたので、僕は渡されないように2歩も3歩も先を走っていこうと思う。同志会の小正月行事のために、シメを切ったり、竹を切ってきたりもする。夕方はだいぶ長く明るくなってきたが、午後4時を回ると急に冷えてくる。

2015年1月8日(木) 晴れ
葬儀あり。
4時半起床。満月を少し欠けた月が西の空にある。でも明るい。寒い寒い零下の朝。水道の凍結だけはなんとか回避できた。昨夜の残りのカレーを食べて7時に出かける。朝の渋滞に巻き込まれないようにと早く出たのだがホールには8時半少し前に到着。45分から最後のお別れ、釘打ちをして出棺。甲府市斎場。火葬場は混んでいる。11時過ぎに拾骨。11時半過ぎにホールに戻る。助法してくれる行藏院ご住職12時過ぎに来てくれる。風邪は今朝はだいぶ軽くなったとのことで安心した。司会者と打合せして昼食。午後1時から葬儀告別式。終わって2時半少し前から初七日。途中で退席して帰ってくる。無事に葬儀を終えることができてホッとする。もろもろ片付けて解放となる。桂雀々聴きながらご苦労様の酒。

2015年1月7日(水) 晴れ
通夜。
雨が上がり午前中に門松を撤去して片付け、10日にどんど焼きする寺の畑にもっていく。樒の葉を入れてある花瓶の水を捨てる。中の水が凍って花瓶の底のつなぎ目が避けてしまい修理したことがある。この時期は水に関しては要注意。2時45分に家を出て甲府のシティホールに向かう。雪を頂いた富士が今日も綺麗に見えた。式場を見てから控え室に移りそのあと納棺。6時から通夜。暖房が入っているのでとても暑い。控え室は4階だったが異常に暑いので部屋の暖房を切ったがそれでも暑い。下の階からの熱が上昇するので、上の階ほど熱がこもって暑いのだという。1時間弱の通夜も後半は汗が吹き出しそうなほどだった。ホール葬なら一年中夏衣でもホントにいいかもしれない。終わりに戒名の話をして通夜を閉じて帰ってくる。

2015年1月7日(水)
雨。
朝から少しずつ降り出して一日降る。昨日の葬儀にこんな天気だったら、余計皆悲しみが増したなと思う。当屋のご夫妻で午後また丁寧に昨日のお手伝いのお礼に見えてくれた。「初七日塔婆を墓地に建ててきました」と。家族がひとり減った悲しみはこれから実感となってゆくのかもしれない。僕は檀家の葬儀のための法話を考えたり、衣体を準備したりする。甲府なので忘れ物は絶対にできない。確認再確認。少し早いような気もしたが、夕方のお勤めのあと、本堂、客殿、庫裏床の間、年神さんのお供え餅を片付ける。本堂も平時の様子に戻す。あとは門松を片付けるだけだ。雨が上がれば、あす午前中に片付けてしまおう。

2015年1月5日(月) 晴れ
葬儀手伝い。
3組のU氏のお父さんの葬儀がある。組長をしているので手伝う。10時に墓地のカロウトの蓋を開けに行く。前日にご家族が丁寧にお墓の掃除に来て水も使ったのであろう。蓋の上の香炉も蓋に凍りつき、カロウトの石の蓋自体も凍っていて持ち上がらない、開けられない。お手に行ってやかんに湯をもらってきてようやく動かせた。11時に組の人集合して香典受付の準備などする。 12時からの葬儀で、村の人たちの香典だけを担当すればいいとの打ち合わせである。あまり寒くなくてよかった。葬儀終わって、骨を収め墓前での焼香の準備をする。骨箱を隅っこで焼き、初七日席に着く前に喪主に香典を手渡す。昼飯抜きだったので、腹が減っていて美味しくお斉をいただいた。大晦日に亡くなったということで、ご家族が僕らに対して終いまで「申し訳なかった」「ありがとう」という姿勢で、かえって恐縮してしまうような思いであったが、滞りなく手伝いを務めることができてほっとした。今朝は寒かったけど頑張って位牌や塔婆を書いた。9時に郵便局から祈願札などを送った。葬儀終えて帰ってきて落語聞きながら少しウトウトする。女房は風邪気味だからと午後から布団に入る。夕のお勤めを済ませてから、同志会の獅子舞の祓い用のシメを切る。充実した一日。

2015年1月4日(日) 晴れ
新年御札配り。
とにかく新年の朝毎日寒い。私はベッドを使わないので布団を毎晩敷いて寝ている。なので床下からの冷気が微妙な隙間から這い上がってくるのを否が応にも感じることになる。ホントに寒いと感じる時は首筋のあたりが冷たくなる。冷気が敷布団の綿の隙をすり抜けて腰から背中にまで冷たさがしみてくる。寒さが異常に気になりだして、仕方なく起きて先ず、庫裏の北側の便所や洗面所の水回りを確認に行く。ここが一番の危険場所。今朝行くと、昨夜少し水を流しておいた洗面の下が水浸しになっている。立ち上がりのパイプのつなぎから、水が少しずつ漏れてこんなになってしまった。急いで古タオルでもって水を拭き取り。水道栓を閉める。漏れはこれでなくなり、ほかの水道を開けるが水が出てこない。便所のタンクをみな流しても水は上がってこない。5分ほどすると便所からゴーっという音が聞こえてくる。水が上がってきて水が通った。洗面所も水が出た。とりあえずこれでよし。こんなことの注意が2月まで続く。前日に翌朝の気温予想をまめにチェックしなければならない。長い説明になった。
檀家へ新年の御札を配りに回る。7時に家を出て富士ケ嶺から市川、甲府方面を回り、村の檀家を回って飯富から身延へゆく。今朝の富士は良かった。本栖湖畔で法螺を立てた。150キロほど車で走った。
帰ってから甲府:若尾家の葬儀の準備をする。家族からFAXで送られてきた資料をながめ、いままでの僕との付き合いの中で感じた故人のことから戒名を考え、そのあと、葬儀の次第、諷誦文を作る。これでほぼ8割がた済んだ。

2015年1月3日(土) 晴れ
当屋と打ち合わせ。
午前中は箱根駅伝を見ながら、戒名のこと、日程のことなど考える。早昼飯を済ませ、まず甲府の行藏院に出向く。葬儀の助法をお願いした。うちの娘はインフルエンザだというと、「うちもそうだ」とのこと。都会の雑踏に出かけると、風邪の菌をもらって帰るようだ。雑談などして2時前にホールに行く。遺体は小さな部屋に置かれていて、もう一体置かれていた。冷房を入れて預かっているとのこと。冷えて部屋で枕経を短く上げる。その後打ち合わせをし帰ってくる。左側に真っ白な富士を眺めながら帰ってきた。明朝は本栖湖でこの富士が眺められるだろうか。女房に祈願札の発送の準備などしてもらう。

2015年1月2日(金) 晴れ
甲府の檀家に不幸。
のんびりと朝を過ごしながら箱根駅伝を見始める。山梨学院のエースが足の故障で出られなくなった。スタートの一区は最下位という体たらく。お昼ごろに甲府の檀家から電話が入り、高齢のお父さんが今朝亡くなったと知らされる。うちは檀家が少ないが、それでも正月の三が日に亡くなるということがよくある。正月に入って毎朝水道が凍るほど冷え込みが厳しい。暮れのあいさつに来てくれたときは、入院しているが、近々ということはないだろうと話してくれたのであったが。ご遺体は自宅に戻ったのかと訊くと、高齢夫婦の暮らしていた自宅には戻せないので、すでに葬儀を頼むシティホールに預かってもらっていて、年末年始に亡くなる人が多く、火葬場も3日までは休みなので、通夜葬儀は1月7日、8日になるが、住職の都合はどうかと訊かれ、私はそれで構わないと返事する。夜になってもう一度連絡して明日の午後2時にシティホールで枕経と打ち合わせをすることと決める。一日目の箱根駅伝が終わって毎年恒例となった、川口さん、秋山さんやってきて新年会する。東海師にいただいた高級な日本酒を「うまい、うまい」と言って3人で空ける。夕方さよなら。これで正月2日も終わり。戒名のことなどぼーっと考え始める。

2015年1月1日(木) 晴れくもり
乙未歳。
先ずは昨夜晦日のことから書かねばならない。穏やかに歳が暮れていく中で、いわゆる隣組の中に不幸が出た。高齢のおじいさんが晦日の午後に亡くなっていた。うちが今年度の組長をしている。酒を飲んで夕飯を食べて、紅白歌合戦のオープニングを見てから風呂に入って、夜に供えてあたたかいズボン下を穿いてさあテレビでも見るかというところへ、その当夜の亡くなった人の娘さんから電話がかかってきた。事実を伝えられ、いまお寺さんと葬祭屋さんに来ていただいているので、今後の予定について相談をしたいので来てほしいと。出かけて行って打ち合わせをし、その足で組内を訪ねてふれてまわった。帰って今度は村のほかの組長に電話をして今後の予定の連絡をする。大晦日はみな夜遅くまで起きているので、もう10時近くになったが構わずに連絡をした。ひと段落して11時半から年越しの護摩を焚く。大月から蔦木さん家族今年も来てくれた。ちょっと天候が心配だったが、大月方面も雪にはならなかったとのこと。午前2時過ぎに就寝。朝起きてお勤めを済ませ、護摩壇の掃除。寒くてこれが年々つらく感じる。10時から隣の八幡神社で新年の互礼会。終わって同志会新年会。今年の会長は2回目の会長だ。これはおそらく初めてのこと。今年以降もこういうことになる予定。午後3時に、組内の方々と打ち合わせ通りに、不幸のあったお宅を訪ね焼香する。1月5日の葬儀のみ手伝いをすることと決まる。あとは年賀状など見つつ酒を飲んで元日が終わり。