2014年12月31日(水) 晴れ
2014年大晦日。 4時に起きて夕べ予約しておいた「名盤ドキュメント3 はっぴいえんど『風街ろまん』(1971)〜“日本語ロックの金字塔”はどう生まれたのか?〜」を見る。すごくよかった。晦日の今日は、はっぴいえんどが寺に流れている。2枚目のアルバム「風街ろまん」の製作過程がよくわかった。40年以上も経っているのに、はっぴいえんどの2枚のアルバムは一向に色褪せない。僕なんかは体中にはっぴいえんどが沁み込んでいる。見ていて何度か涙が出るのを抑えられなかった。もう決して戻れない時代で、もう若いころには戻れないこともわかっているが、間もなくやってくる60という年齢を受け入れても、ものの見方考え方はモウロクしたくないと思う。大滝さんは去年の年末に亡くなってしまったが、一周忌を弔うには格好な朝になった。良い天気で風もあまり強くない晦日になっているが、夜の天気が心配である。今のところの予報じゃ、夜9時ころから深夜0時ころまで弱い雨となっている。以降は晴れということなんであるが。毎年大月から家族で来てくれる蔦木さんは大月の予報が夜9時ころから霙になっているので、もしかしたら来られないかもしれないな。なんとか悪い天気にならないでほしいところ。今朝は早よから久成の秋山さん来て、水道組合の会計報告をコピーしてゆく。去年もそうだった。僕はもう今日は朝からほとんど何もせずゆったりと構えて過ごしている。追加のお札を書いたり、柳家喬太郎の落語番組を見たり。今年は2月に大雪があり、お寺も建物や経済に大打撃を受けたが、まあ何とか年を越せそうである。お不動様、お大師様のおかげである。白馬村のEさん、雪の晦日なんでしょうが、佳いお年をお迎えください。これで今年は書き納め。これにて失礼、これを読んでくれている皆さんと来年も佳いご縁でありますように。合掌。
2014年12月30日(火) 晴れ
まだ明日もあるんだなぁ。 もうほとんど準備が整った。鐘楼、三社天神、庚申堂にシメを張り、土蔵、車庫、外便所などにも人形のシメを貼り、客殿、歳神さん、本堂に鏡餅を供え、祈願のお札を本堂に運び、ホットカーペットも2枚本堂に運び、ストーブも1台持ってゆく。娘はインフルエンザと寝たり起きたり。息子から電話で、やはり風邪のようだから帰らないと連絡があった。僕たち夫婦は僕たちの寺のことを淡々とこなしていくだけである。檀家さんがた昨日今日と暮れのあいさつに見えてくれる。準備がひと段落して寒くならないうちに裸になって頭を刈る。中川五郎の「25年目のおっぱい」という1976年に出たアルバムを買って聞いている。暮れていく年の瀬に心優しい気分になれる。
2014年12月29日(月) 雨/晴れ
雪でなくてよかった。もしかしたら雪になるかもしれないなどと思っていたが雨で終わってほっとした。朝方も結構いい降りだったが、昼近くに雨が上がり時折陽も射した。雨が上がるのを待って本堂の掃除をした。昨日の護摩壇をきれいにして本堂の内陣外陣と掃除した。お正月用に幾分配置も変えて祈願札を置く机も配した。入口には幕も張る。トシコし護摩の準備もし、本堂の仏前荘厳も済ませた。ほぼこれで半日以上かかる。今年は順調すぎるくらいに準備が進んでいていい感じである。熱を訴える娘は受診したらインフルエンザとのこと。
2014年12月28日(日) 晴れ
納めの不動。 今年最後のお不動様の縁日、「納めの不動」。午後1時半から本堂で護摩を焚く。東海師助法に来てくれる。檀家のSさんも参加してくれる。前二回が点火にちょっと手間取ったが、今日はばっちり。とてもいい護摩が焚けた。引き戸が入って初めての護摩で外気は遮断できたのだが、護摩の終盤になって堂内に煙が充満してきてちょっと厳しかった。やはり戸は少し開けておいた方がいい。東海師には今年一年大変にお世話になった。彼が一緒にいてくれるだけで、修法する護摩が楽しく余計厳かなものになるように思える。終えてしばらくの時間お茶を飲みながら話をして過ごした。彼はこの年末は勤務になっていて、正月2日の朝から休みになるとのこと。正月2日の午前中に厳修される行藏院の初護摩が今年最初の護摩の助法になるという。午前中はお札を書いたり、合格祈願の護符を作ったりする。
2014年12月27日(土) 晴れ
朝の冷え込みは厳しいけれど日中は暖かだ。 娘も今日から年末年始休暇。ということで僕のみ早起きで勝手に朝食。夕べの鍋の残りにご飯を入れて雑炊。朝からけっこう腹に入る。朝方はとても外は寒いが、10時を過ぎるころに陽がのぼると暖かくなってくる。檀家2軒が暮れのあいさつと墓参に来る。来年もよろしくと別れる。身延から貴史暮れのあいさつに来る。30日まで整骨の営業するとのこと。門松を完成させる。庫裏の入り口のは天まで届けと長い竹にした。石灯篭にも蝋燭を入れ窓に和紙を貼った。明日の納めの不動の護摩に、東海師助法に来てくれると連絡ある。感謝。明らかに陽が長くなってきた。
2014年12月26日(金) 晴れ
穏やか続く。 今日も一日風もなく穏やかな一日。甲府の若尾さん暮れのあいさつに見える。灯油を200L配達してもらう。ドラム缶が古くなっているとのことで、新しいものと交換してくれて灯油を入れていってくれた。ガソリンの値が下がっているようなので、灯油もそういうことなんだろうと思う。午前中陽が射し始めてから門松用の竹に松と南天を挿し込む。梅の枝も切ってきたが、蕾がもっと成長するのを期待してメダカの盥に漬けた。午後境内の落ち掃き。本堂前の門松に南天の実も一つ挿しておいたら、もうサルが盗って実をかじってしまっていた。こりゃもうちょっと待つしかない。
役場は今日で終わりなので、新年の広報とかが組長宛てに届いた。エーイ!と配ってしまう。
2014年12月25日(木) 晴れ
穏やか。 今日も風もなく穏やかな日。本堂の回廊に掃除機をかける。大体葉が落ち切ってしまったので掃除をした。廊下の隅に吹きだまる落ち葉を片付け、午前中いっぱいかけて丁寧に掃除機をかけ廊下をきれいにした。ここ数日サルが現れなくていい。サルの糞もあちこちに干からびていた。護摩木を木箱に入れて重ねて置いてある場所も木箱をどけてからきれいにした。父の割った護摩木が一番下の箱にあった。柴燈護摩の小木も段ボール箱に入っていた。これを来年のお祭りに使おうと思う。檀家3軒が暮れの付届け、護寺会積立、護摩の祈願申込みなど持ってきてくれる。晦日まで一週間ない。廊下のガラス戸を拭いたり、護摩札を書いたり、本を読んだり。
2014年12月24日(水) 晴れ
風もなく。 午前中はエアコンの取付け工事がある。冷たい風もなく暖かな日になった。20年以上前のエアコンが新しく交換になった。午後豪一兄ちゃん久しぶりに訪ねてくれる。知り合いの葬儀に行った帰りとのこと。皆歳を重ねだんだん静かになってゆく。二か月前にお母さんを亡くした従弟の嫁さんのところで今度はお父さんが亡くなり、その通夜に韮崎まで行く。臨済宗の導師による通夜で、観音経を一緒に唱えさせていただいた。クリスマスイブの夜を走って帰ってきた。あちこちに装飾されたLEDの輝きがあった。夜出かけることなどほとんどない。冬至を過ぎたので少しずつ夕の暮れが遅くなってくる。雨宮さん来て1月20日にお母さんの三回忌を頼まれる。数日こちらに居て新年は東京で過ごすとのこと。護摩札も書く。午前中僕も、歳神さんのシメの張替えも済ませたので、もうほとんどやることがなくなった。
2014年12月23日(火) 晴れ
明王寺冬至祭り。 快晴。師走の良い天気。明王寺のお祭りに雨が降ったことはない。前日雪が降ったということはあったがそれでも当日は天気が良かった。舂米からは遠く富士や盆地の広がりが望める。標住職もお勤めを持ちながら檀家のとても少ない歴史ある寺を護っている。午後1時過ぎから巡拝をして本堂へ戻り、副住職であるお父さんが護摩導師を勤め、僕が錫杖で参拝者のお加持をする。ここはお祭りの始まる前の午前中から参拝者に無料でかぼちゃのほうとうを振舞う。境内に並べられた長机に多くの善男善女が舌鼓を打っていた。僕らもほうとうをいただいた。今日はゆっくりせずに帰ってきた。3時半から小林君の新車のお祓いをする。そのまま本堂で夕のお勤めをし、今日の衣などをしまって一日に幕を下ろす。
2014年12月22日(月) 晴れ
角松準備。 明日は明王寺の冬至祭典。明後日はエアコンの取付けがある。25日になってしまうので、午前中松を取りに出かけた。午後から竹も切りだしてきて、本堂と庫裏の門松の下準備だけ済ませてしまった。午後になると風が冷たくて鼻水が出っぱなし。一年が暮れていくなぁという感じがいっぱい。
2014年12月21日(日) 晴れ
法事あり。 川崎の平山家の一周忌の法要。昨日と打って変わって朝から好天気。昨日は夜までずいぶんと降った。溝に流れた落ち葉を集めて畑に入れたりする。富士川からの霧が本堂まで流れてきていた。親族14名が来てくれた。終わって庫裏で御斎をする。施主夫婦はジャカルタから一昨日帰ってきたといい、また28日には向こうに戻るとのこと。暖かくて住みよいところらしい。向こうでそのまま暮らそうかなんてことも話していたが、まんざらでもなさそう。今年の法事はこれにて打ち止め。あとは23日の明王寺の祭典のお手伝い。皆さんお帰りになって、女房と膳の片づけやら掃除する。庫裏のトイレも正月を迎えるため掃除をしてしまう。年賀状夕方投函する。
2014年12月20日(土) 雨
法事あり。 八王子佐田家の三回忌の法事。朝30分ほど石畳の間に詰まっている落ち葉を掃く。昨日コメリで中型の熊手と箒を買ってきた。掃いていると雨ではなくパラパラと霙のようなものが落ち始める。一日寒い日。11時からの法事のころには雨に変わり、午後は本格的は降りだ。客殿はストーブとカーペットであたたかいが墓参する外は氷のような冷たさ。明日も法事があるが、この雨は夜にはやむようだ。昼食後は明日の法事用にいすを並べたり、食事もあるのでテーブルを準備したり。終わってから居間でぬくぬくとくつろぎ、年賀状に一言を入れて仕上げる。今夜は頭を刈らなくちゃ。
2014年12月19日(金) 晴れ
CD整理。 部屋を片付けてコンテナにとりあえず放り込んであったのや、CDの棚の前に積んでおいたもの、Grateful DeadをDLして焼いたCDRなど、結構な量になっていて、これを今日は整理して収める場所に収めた。Deadのものは、100枚近く入るチャック付ケースを買ってあったので、liveの日付順に収めていく。ということで今日は結構聴いた。
今朝は一番の冷え込みじゃなかったか。夕べ庫裏の裏のボイラーをつけて水は細く出しておいた。外の便所の脇にある水道栓は閉めておいた。「ドクターX」の最終回を見るため4時前に起きたのだが、台所の水道は水は出たが湯になかなかならなくて15分ほど出しておいてやっと熱い湯が出てきた。これは今年初めてのこと。外の水道は元栓を閉めておいたのだが10時ころになってようやく水が出るような状況。メダカの入った盥は一日表面の氷が解けることはなかった。明日また天気が悪いようだが。法事があるのでなとか雨にならずにほしいところ。
2014年12月18日(木) 晴れ
外にいる。 朝から一日外にいた。昨日は寒さが厳しかったけれど、今日はあまり風もなく陽射しもあったので外も気持ちよかった。それでも作業着ではなく熱い防寒着を着て落ち葉掃きなどした。落葉樹はもう大体裸になってしまったので、落ち葉掃きも終盤だ。サルが出ていないとほんとにいい邑なのだが。今日はサルの声はなかった。去年は年末にテレビを新しくした。今年はエアコンを新しくすることにした。テレビはとても楽しんでいる。なんといっても一番は、YouTubeが楽しめること。最近は落語を楽しんでいる。パソコンのYouTubeと連動しているので、とても勝手がいい。こういう機能を使い始めるともう楽しみが倍増するということになる。
2014年12月17日(水) くもり
さぶいさぶい。 ほんとにさぶい。遠くの山は時雨れている。中古のおんなじプリンターを仕入れ、年賀状の印刷も済ませた。昨日から護摩札も書き始めた。正月用の準備は順調。週末の土日に法事が入っているので今週はがんばっている。雨畑の望月さんが森林組合の機関誌を届けてくれた。今回表紙に大滝のお不動様の写真を使ってくれた。丁寧に由来と僕らが時々滝に入っていることなども紹介してくれた。風が冷たい外での短い会話だったが、リニア建設のことで起こるだろう町の不安なことなどもちょっと聞くことができた。ひょんなことから昨日今日で僕らの部屋の大掃除をした。パソコン周辺に積んであったCDやCDR、本をとりあえずコンテナに片づけてみたが、これを棚やホルダーに整理していく作業は年内に済ませられるかわからない。さむいさむい。
2014年12月15日(月) 晴れ
ホームページ移転。 うまくできるだろうかと不安もあったが、何とかホームページを移転することができた。さくらインターネットというサイトを使うことになった。新しいURLはhttp://www.daishoji.sakura.ne.jp/なので、見ていただいている方は変更をしておいてください。旧いURLには「移転のお知らせ」がしてあり、15秒経つと自動的に新しいUPLへ飛んでくれます。いろいろ検索してみると便利なものが出てきます。来年の2月末日を持って旧い方は閉鎖となります。メールのアドレスは従来のままです。新しいプロバイダも考えたのですが、メールのアドレスは変更するのはやはり気が進みませんのでこのままです。
年賀状印刷をする。結局中古の同じプリンターを買ってみた。
2014年12月14日(日) 晴れ
法事に行く。 妹の嫁いだ日蓮宗のお寺で昨年末に亡くなった前住職の一周忌があり行ってきた。途中で親戚のお姉さんを拾う。日蓮宗の日常読むお経は経本さえあれば一緒になんとか唱えられる。檀家のものすごく多い寺なので私の寺とはとても比較するようなところまでいかない。ガリバーと小人のようなもの。終えて墓参してから御斎。酒を飲もうかとも考えていたが帰ってからゆっくり夕方いただこうと遠慮した。その分よく食べた。いまだにまだ腹は減ってこない、今午後5時半。まだ衆院選挙は続いている。夜のテレビは軒並み選挙だ。僕は寝るのも早いのであまり関係はないが。
2014年12月13日(土) 晴れ
法事あり。 10時から市川の遠藤家で三回忌の法事。太陽が顔をのぞかせれば暖かいのだが、どうも薄日で終わってしまう。町営の墓地へ墓参してお布施をいただいてお昼前には帰ってくる。ガソリンが少し値下がりしていることもあるが、宇佐美はいつも超混んでいる。入れたかったが結構待ちそうな混雑だったのでやめておく。土日には余計混んでいる。OCNのPage ONというのを利用してホームページを作って更新しているが、ここの運営が来年の2月いっぱいで終了になるというメールが届いた。続けるならほかの会社のサービスに移行する必要が出てきた。昨日から少し考えているが、もうやめてしまおうかとか。ほとんど私的なことのみのものだし、無料ブログを使っても日記のようなものは書いていける。移行するという手続きやら設定のことを思うととてもめんどくさそうだし、あまり自信がない。いつもパソコンのことをお願いしているT屋さんにも相談をしてみたのだが。まあ年末年始はこのままちょっとやり過ごしてからもう一度考えてみることにする。
2014年12月12日(金) 晴れ
納めの面会。 今年最後になるだろう、母の入所施設へ支払いと面会。特に状態に変化もなく年を越えることができるだろう。前歯が一本欠けたとのことで、入れ歯を作り直すとのこと。変わったことといえば3階から2階に部屋が変わったこと。ただ本人はほとんどそんなこともわからないようなので大丈夫だろう。
2014年12月11日(木) 雨
寒い一日。 夕方になって雨は上がったが午前中はとても寒かった。寒いので炬燵にもぐって本を読んで過ごした。11時の鐘を撞いてから不動寺の葬儀の助法に出かける。お葬式の手伝いもほんとに久しぶり。もう今年はないかなと思っていた。なんとか経頭のお役を務め、叔父さんと永啓に「よいお年を」と帰ってきた。
2014年12月10日(水) 晴れ
今日は気温上がらず。 本堂の引き戸が取り付けられた。観音扉だけだったので、開いておけば落ち葉や春から初夏には富士川からの風が砂埃を運んできた。桜の花びらも散り際にはたくさん舞い込んだ。これらのことがこれからはなくなる。僕が今この寺にできることの可能なものは、この先もなんとかやっていきたい。今回の引き戸は、「あったらいいなぁ」というものにあたると考えるので自力で。
今日は気温が上がらず寒かった。午前中法事の塔婆など書く。EPSONのプリンターが目詰まりしていて年賀状印刷ができない。プリンタヘッドのクリーニング液というのがあるらしいので、これに頼ってみようと思う。
2014年12月9日(火) 晴れ
外の掃除。 墓地の参道、客殿裏の庭、本堂周辺の落ち葉掃きや雑木の片づけなどする。晴れていれば外にいるのは気持ちがいい。はじめ寒くても体を動かしていればすぐに熱くなる。今日はサルたちは別の場所で一日を過ごしていたようだ。毎日サルを気にしているなんてのじゃかなわん。今日は焚火も楽しんだ。
2014年12月8日(月) 晴れ
ジョン・レノン命日。 一年が回っていくのは早いものだ。今年もジョンを聴く日が回ってきた。YouTubeでJohnのFull Albumはたくさん聞けるので、最近は他のアーティストもそうだけど、mp3でダウンロードして盤に焼いたり、iPodに入れたりしている。午前中、駐車場前の水路の泥あげや落ち葉の袋詰めなどする。午後植栽の手入れ、駐車場に設置してある掲示板のベニヤ板がはがれてきているので、思い切って掲示板を撤去した。2月の雪で雨除けの庇も取れていたのでもう仕方がない。月明かりが朝まであるので、ここ2,3日サルが夜中も騒いでいる。落ち葉掃きもしてしまいたいが、まだすこーし枝に葉が残っている。モミジもまだ散らない木もある。もう一週間くらい我慢か。不動寺から11日に葬儀の助法を頼まれる。今年は助法もほとんどなかったのでほんとに久しぶり。
2014年12月7日(日) 晴れ
氷り張る。外の水道が凍っていた。そのそばに置いてあるメダカの入った盥は氷っていた。先週末から寒波で大雪になっているところもある。四国の徳島県では、真言宗の古刹高越寺の住職が雪の中凍死するという悲劇も起きている。今日はあまり暖かくはならなかったが、朝テレビを見ていたら年末の掃除の特集なんぞやっていて、感化されてエアコンのフィルターなどの掃除などしてしまった。
2014年12月6日(土) 晴れ
V甲府、またしても清水に勝てず。 最終試合のヴァンフォーレ甲府、清水にはやはり勝てなかった。静岡のテレビを受信しているので、思いがけず中継が見られた。清水は降格圏にあるので絶対に負けられない。負けなければ引き分けでもJ1に残ることができる。ということで終わってみれば0:0に引き分け。落語をYouTubeで聞きながらお札を作る。昨日今日で仕上げることができた。
2014年12月5日(金) 晴れ
本堂の樋治る。 朝から職人さんが来てくれて、午前中いっぱいかかって新しい樋がつけられた。樋の受けの感覚も狭めて多く付いたので、かりにサルがよじ登ろうとしてもしっかりと支えてくれる。午前中で仕事を仕上げ午後の現場に昼食もとらずに帰っていった。話を聞くと、2月の大雪の後の仕事がまだまだ片付かなくて、年を越えるだろうとのこと。こういう職人が少なくなってきているということも原因なんだろう。大雪にならないうちに待っている家々の樋が早く治るといいのだけれど。檀家に配る正月のお札を作りはじめる。
2014年12月4日(木) 晴れ/雨
寒い。 お昼前からしょぼしょぼと冷たい雨が降ってきている。ホットカーペットの炬燵にもぐって映画を見る。午後女房の車のタイヤをスタッドレスに替えに若林モータースヘ行く。サルが屋根に上がる足がかりにする樋を直したり、樋の落ち葉を落としたり。今日も朝から一日中本堂の周りに来ている。いよいよ里に下りてきても畑のものがなくなってきたということだろう。柿も終わり。南天の実を取っては食べてしのいでいるようだが、おそらく腹を十分に満たしてくれはしないだろう。僕らは寒くなればかぼちゃのほうとうを食ったりするが、サルめらにはこういう芸当ができない。でも情けは禁物である。山門の蛍光灯を掃除する。年賀状の原稿を作る。
2014年12月2日(火) 晴れ
木枯らし。 午前中から木枯らしが荒れた。本堂の扉は落ち葉が舞い込まないように占めた。引き戸が入ればこういうことにも悩まなくて済む。もう少しの辛抱だ。師走らしい木枯らし。冷たく寒くなってきた。午後2か月に一度の定期受診。今日は採血あり。前回と数値に大きな変化はないとのこと。でも高い数値は高いままということなのである。明王寺から23日の「冬至祭」の案内はがき届く。一年を締めくくるお祭り。このお祭りにももう10年以上お招きいただいている。
2014年12月1日(月) 雨
師走。 残りひと月。甲府から朝帰り。昨日は午前中昭和町の高松家の法事。終えてから甲府の玄法院に行く。午後2時からの月例の護摩に東海師と参座する。夕方5時から甲府駅南口の「七賢」で行藏院ご住職を加えて飲み会。ここは定額で好きな酒を飲み放題。食べるものも刺身からカニなどなど十分すぎるほど。日曜の夜ということもあり店内は比較的すいていて、静かに4人で語らいながら楽しいひと時を過ごす。明朝早く出かける人もあり遅くない時間にお開き。暖かい個室で朝までゆっくりと寝る。今朝は雨。年末年始のことをいろいろやらなくちゃならない。
2014年11月29日(土) 雨
ほぼ一日雨。
気温はそう低くはなかったので寒さは感じなかったが。9時半から原の秋葉社のお祀り。昭和9年に秋葉大社から御霊分けして祀った社を80年の歴史を持って閉じる。あいにくの雨で集まったのは5人。最後のお勤めをして、秋葉神社のご神体は本堂に納めるためにいただいてきた。長く火災除けとして地域を見守ってきたのだからできるだけこの後も長く本堂にお祀りしておきたい。社の建っているところはお寺の地所だといわれるが、ああそうなのかというほどの感慨しかない。寺のもつ役割はだんだん時代とともに衰退していくようなところなのか。午後になって雨が止んで天候が回復してきた。
2014年11月28日(金) 晴れ
護摩を焚く。
もう今年の28日の護摩も11回目。残すのは師走の納めの不動の護摩のみ。10時から東海師参座してくれて修法する。やはり一人よりいい護摩になる。終わってお茶を飲んでいると、「方丈さん今日は午後護摩焚きますか?」と檀家のSさんから電話が入る。「今日は相棒が午前中ならということで、10時から護摩焚いちゃいました」と謝る。意外とこんなものだ。「12月の護摩に来てください」と話す。12月は午後焚くことにしよう。明日雨のようなので、庭の落ち葉を掃く。朝掃いておいて、午後から落ち葉を片付けた。並行して本堂と護摩壇の掃除、仏器洗いなどする。お勤めを済ませて5時に終了。外は暗くなる。暖かな日でよかった。
2014年11月27日(木) 晴れ
良い天気。
二日雨続きだったが今朝はよい天気になって陽射しもあり暑く感じるような日。境内の紅葉がとても鮮やかになった。もみじもドウダンツツジも色の見事。大工の遠藤さんが午前中、本堂の正面に入れるサッシの引き戸の外枠を作りに来てくれた。今年は遠藤さんには随分とお世話になった。緊急の時にも、長年の経験や付き合いの中から職人の手配もしてくれたし、年末に来て樋や引き戸のことまで又お世話になっている。今若い大工さんたちは、会社に属していたりすると、なかなか突発的な仕事を引き受けることが難しい。遠藤さんは今はもう一線を退いているとのことで、その点フリーで動ける。まだまだ高齢で技量が発揮できないというわけではない。大工の技も、今の人たちはもう難しい組み方などはできなくなってきているようだ。顔の腫れもだいぶ良くなってきた。両手の甲も、昨日の午前中までは、夜中に起きる耐え切れない痒さに爪でぼりぼりとかいてしまい、赤黒く腫れあがっていたのに、今日はもうほぼその痕はなくなり、年相応の手の甲になるつつある。お茶を飲みながら大工さんも「昔はよく漆にかぶれたもんだ」と懐かしそうに話してくれた。暖かい日になったので、客殿も開け放って空気を入れ替えた。秋山家用の締めも切った。ご朱印の来山者あり。
2014年11月26日(水) 雨
皮膚科に行く。
今朝起きて顔を見ると期待を裏切るような右瞼と顔の腫れ。症状は軽くなっていない。この数日各放送局で放映された高倉健の追悼映画を見てきた。夕べのNHK-BSでの「ホタル」を半分ほど見てから、隣町の皮膚科の医院へ行く。ほとんど待つことなく診察していただける。顔の状態と手の甲の赤い腫れ、腕まくりして腕の発疹、ズボンを下げて左太ももの赤い腫れなどの症状から医者が尋ねてくるのは、「銀杏の木が近くにあるか」とか「銀杏の実に触ったか」とか、そういうかぶれを引き起こしそうな植物に触れた覚えがあるかとか、過去にこういうことがあるかということだった。僕の中でももしかしたらと考えられることは、ウォーキングで林の中を歩いたりすることがあったりしたこともあるので、かぶれだとしたら、そういうことが起因しているかなとも考えてはいたのだが。「内臓疾患からくるものではないか」と訊くと、「これは典型的なかぶれの症状ですね」との診察結果。「とりあえず今日から三日分の塗り薬と食後の服用薬を出すので、これで症状が治まればもう来なくていい」と言われた。顔と手は朝晩の洗顔後に塗ればいいとのこと。帰宅後に指示通りに朝の分として三種類の薬を飲み、昼食後に再び服用し、患部へ薬も塗る。読書をしてそろそろ夕のお勤めに行こうとする時間。雨も上がり、静岡方面の空から明るくなってきている。ムーンフェイスだった左顔面と瞼の腫れが嘘のようにひきはじめている。医は仁術なりとは、まさにマジックのようなものなのかもしれない。てっとり早く自己浄化作用など待つより、こういうものに頼るのが社会復帰への近道になるということなのかもしれない。土日に法事とかが待っているので、この人相のままでいるには相手に対して申し訳ないような気がしてきていた。よかった。それから、かぶれだったのだろう。
2014年11月25日(火) 雨
一日雨。
朝から一日冷たく寒い雨。明日もこんな天気のようだ。今朝昨日の夜より左目瞼の腫れがひいたように感じたので、このまま様子を見ることにした。「毒素が出るピークが過ぎたな」などと素人判断していた。確かに昨日の夜に感じた、左顔面と鼻の「パンパンの腫れ」は幾分おさまってきていた。パンパンに腫れあがった頬や鼻の毛穴から毒汁?が出ていたが、今日はその腫れがひいて皮膚に柔らか味を感じた。それでも結局夜になっても、朝の瞼の腫れの収まりは進まず、夜になってみると、「あまり夕べと変わらんなぁ」という状態。「右側もこんなになったら困るな」と案じていたが、右半分は瞼も全く腫れてこない。やはり何かのかぶれだろうか?歩いていて、何か刺激されるような植物に触れたか?雨の寒い一日で、娘は、奈良から友人の住む秋田に足を延ばしていて今夜も不在なので、早めに食事をして僕は7時前には風呂に入ってきてしまう。おかげで読書は意外とはかどっている。
2014年11月24日(月) 晴れ
顔腫れてくる。
ここ数日風邪気味のような症状があり、よく鼻をかんでいた。左手甲や腕に発疹を認めていたのだが、昨日の午後より顔面左瞼から鼻にかけて腫れを感じてきたので、ドラッグストアで軟膏を買って塗ったのだがあまり効き目がない。夕飯は一人で買ってきた酒を飲んだがあまりうまくはなく(ひとりなのでということもある)、風呂に入ってきたが少しずつ顔の腫れが顕著になってきた。上下瞼も腫れてきて目が徐々に細くなってきた。これもなかなかに思い出になりそうな誕生日となった。夜寝ていて手の甲が猛烈にかゆくなってきて、いけないとは思いながら、発疹から血が出るほどにかいてしまい、とうとう右手甲にも症状が現れてきた。今朝起きて鏡を見ると、左目はかろうじて「開いているな」という程度にまで腫れてしまっている。左顔面が腫れて人相は何とも表現できないほどで、外出も憚られた。訪ねてくる人もなく良かった。顔の腫れと、手の甲の腫れ、腕や足にところどころ発疹があるが、熱っぽいわけでもなく、気分がすぐれないというほどでもなく、普通に食欲もある。夕方5時過ぎに帰る電車の女房を身延駅へ迎えに行く。「どうしたの?」と訊かれるので、自分でも原因がよくわからんと答える。皮膚科で診てもらうというと、内臓の疾患からきている症状ではないかといわれる。お土産の駅弁を食べるが酒は控えた。白馬のEさんから、長文のメールをいただいた。
2014年11月23日(日) 晴れ
58歳。
着々と歳を重ねていってしまうものなんだなぁ。還暦まであと2年だ。父が去った歳まであと10年しかない。こういうことを考えるとなんだか生きているってことの寂しいとこや虚しいとこばかりが湧き上がってきていやになる。ただ実際悩みは深く重くあるってことも現実にある。この寺をいつまで持ち続けていられるのか、僕もある日病に道を折られてしまうのではないかとか。まあ先のことを心配しても仕方がない。今夜はちょっとうまそうな発泡日本酒を買ってきたので、ひとり酒で誕生日を祝うのだ。夕べの地震には少し驚いた。「グレートトラバース
〜日本百名山一筆書き踏破〜」を見ていたら突然地震の速報が流れ、間髪入れずに広報無線のJアラートが作動して町内への周知が流れた。もう布団の中にいたのだが、すぐに揺れ始めた。震源地は長野県だということでやはり身構えるような気持になったが、大した揺れでもなくすぐに収まったのでほっとした。朝起きて、白馬や大町あたりも大きな被害を受けているという。吉田さんや白馬のEさんご夫妻は大丈夫だろうかと心配をしている。自然の成すことには抗うことはできないが、何が導いたものだろうかというところでこじつけたいのは、迷惑極まりない衆院解散ということになるか。名古屋の尭音上人、ユキエさん夫妻から「誕生日おめでとう」のメールいただく。
2014年11月22日(土) 晴れ
ヴァンフォーレ踏ん張る。
J2降格の土俵際でしぶとく今日も残った。サンフレッチェにホームで勝った。残り試合はもうあと二つ。下位のチームが夜の試合のようなので今の順位は変わらないが、これで三連勝。もう少しこういう状況に追い込めればよかったのに。まだ安全圏ではないらしいがとりあえず良かった。母仔は今夜から奈良方面へ小旅行。一番の目的は今夜、奈良 新庄文化会館で午後6時開演される、上原ひろみのコンサート。爆発するようなHIROMIのジャズピアノを堪能してきてほしい。ということで今夜と明日は一人だ。のんびりと家で過ごす。夕方歩いてきて、早めに風呂を沸かして頭を刈って風炉にゆっくりと浸かってこれを書いている。この後、獣除け柵の扉を閉めに行けば二日間の当番も終了。ゆっくりと酒を飲むか。
2014年11月21日(金) 晴れ
太陽が顔を出すまでは膝を抱えて温まっているしかない。
3時半に起きて「ドクターX 〜外科医・大門未知子〜」を見る。今回と次回は、視聴率の確実に取れそうな古田新太が出ている。今回も面白かった。今日と明日は獣除け柵の道路の扉の開閉当番。朝6時と夕方6時。朝の6時はまだ夜が明けない。暖かいジャンパーを着て5時半過ぎに開けに行く。午前中は陽が出ない。でなければもう薄暗くて真冬の気温。膝を抱えてじっとしているしかない。パソコンしていても何度も小便に立つ。昼食後に温かくなったので歩いてくる。小学校の下の道路にサルたちがいた。ここ一週間ほどお寺の境内には現れないのに、こんなに近くに群れがいる。実にのんびりとしていて、こっちの姿を認めても一向に動き出す気配すら見せない。いや、実に堂々としたものです。29日に秋葉社のご神体を持ってくる次第など考える。
2014年11月20日(木) 雨
さむいよー。
今朝はまた一段と寒さがこたえた。今朝は台所でストーブをつけて、エアコンも入れた。お勤めも朝食後になった。とても寒くて本堂へ足を運ぶ気持ちになれない。昼過ぎから雨になる。客殿の部屋で正月の準備でシメを切ったり、護寺会通知を作ったりする。electricマイルスを聴く。温泉でなくてもいいから一日中熱い風呂に出たり入ったりして過ごしたいと思う。最近YouTubeで落語を聞いている。聞きはじめるとなかなかに面白くてはまってしまう。
2014年11月18日(火) 晴れ
陽射しがあると暖かさが直接伝わってくる。
今日は風もなく陽射しもあっていい天気だった。太陽が顔を表すのと出ないのとでこの季節は寒暖の格差を身にしみて感じる。写真家海老原氏の作品を壁に取り付ける。行藏院からの本山への進達書類を宗務所経由で送る。このところやっと三陀羅尼(仏頂尊勝陀羅尼・一切秘密全身舎利宝筐印陀羅尼・阿弥陀如来根本陀羅尼)をそらんじて唱えることができるようになってきた。三年近くかかったな。仏頂尊勝陀羅尼は絶対に覚えられないと思っていたので、自分で録音して間違えていないのを確認できたときにはうれしかったな。日々の積み重ね。僕には特別な力もないので、命尽きるまでいろんなことを日々繰り返して、少しずつ進んでいくしかない。本山の朝の勤行で、前の日の朝までは理趣経だったのが、観音経を始められてうろたえたことがあった。偈の文は任せておけなのだが、観音経をはじめから読むことはやってはいなかった。思い出しながら毎日夕の勤行で読み始めて少しずつ読みなれてきた。父が亡くなって住職になってからはこんな風に一人でこつこつと自分の中に一つずつ一つずつ貯めてきた。貯めてきたものは、忘れないように繰り返し読んでいくとかしないと薄れてしまうので、これからもこんなことが僕の寺の生活だ。夕方30分ほど墓地の参道の溝の落ち葉をさらう。俳優の高倉健氏死去。哀悼。
2014年11月17日(月) くもり
寒い。
陽も射さず寒い一日。午前中庫裏の屋根の樋の掃除などする。外に出ていると、知らぬうちに鼻水が垂れてくる。作業着の袖で拭ってしまう。サルたちがここのところ居なくて静か。こういうことを書くと、不思議と明日やってきたりすることが以前あった。朝、海老原君訪ねてくれて、モミジと本堂の大きな写真のパネルを寄贈してくれる。どこへ掛けようかと思案中。午後本堂の引き戸の件で、大工さんとサッシ屋さん来てくれる。年内には何とかなりそうとのこと。
2014年11月16日(日) 晴れ
通夜に行く。
不動寺の永啓の奥さんのお母さんが亡くなり、夕方素の通夜に韮崎まで行く。夕方になるとぐっと冷え込んでくる。車は暖房を入れる。急激に寒くなってきた、今年も雪が降るかもしれないと不安になってくる。国宝の仏殿で有名な清白寺に墓地を求めてあるとのことで、通夜は副住職がお勤めになってくれた。臨済宗ということで、一緒に唱えられるものがあるかなと思っていたのだが、観音経をゆっくりと読まれたので、こちらも小さくご一緒させてもらった。
2014年11月15日(土) 晴れ
連日寒い。
少し厚目の作務衣にチェンジする。灯油のストーブを5台出す。客殿にファンヒーター。庫裏用の大き目のストーブ。それから3台のだるま型ストーブ。大体これが冬の定番。炬燵は数年前から下にホットカーペットを敷いて、炬燵本体の電機は使わない方式にした。これで冬用の支度も済んだ。本堂の樋の修理の見積もりと、本堂の入り口にサッシ戸を入れる見積もりが届く。樋はしけりゃならんが、サッシ戸も多分入れることになると思う。
2014年11月14日(金) 晴れ
冷え込み。
4時に起きて夕べ予約録画しておいた「ドクターX」を見る。前回から見ているが、一話完結でとてもはっきりとわかりやすくていい。好調な視聴率で初回から20%越を維持しているという。「私失敗しないので」というセリフが不安定な僕たちにぐっとくるのだろうか。米倉涼子はもちろんいいが、内田有紀、遠藤憲一、岸部一徳らも秀逸。で、今朝は冷え込みが一層厳しかった。各地で今年一番だといっていたがここもそうだろう。昨日の午後木枯らし一番のような風が吹き、夕方の本堂には落ち葉がたくさん舞い込んでいた。それで今朝の寒さ。霜も降りた。お勤めを終えて台所には暖房をはじめて入れた。午後女房と外に出て落ち葉掃きをする。溝の落ち葉をビニール袋に詰める。そのあとイチゴ畑の草取りをする。ほったらかしのイチゴ畑だが、草をとってきれいにしたので次の収穫はいつもよりいいかもしれないと期待。
2014年11月13日(木) 晴れ
母のところへ行く。
利用料の支払いと面会、それにいくらかの着替えなどを女房が持つ。歩くのがだんだん厳しくなったので、今日も行くと、休憩室の前の長椅子に寄りかかって座っていた。会話もほとんど成立しないが、僕らが行くといくらかの恥じらいのようなものがあるのか、しきりに笑う。この状況は入所当初から変わらない。入所者の個々はまちまちで、しっかりと会話する人もいるが、まったく無口で無表情の人もいる。ここは一年中一定の室温で管理されているのか、暑いも寒いも縁がないようだ。そとは木枯らしが強く吹いていた。
2014年11月12日(水) 晴れ
久米仙43度。
今日は20度近くになると言っていたのだが、一向に気温が上がらず、午後2時近くになってやっと陽がでて暖かくなった。暖かさに誘われて外に出て、畑に管理機をかけ、畑の端の方に小菊を移植した。そのあと墓地の参道に邪魔になっていた南天を切ったり、密集した椿の枝を切ったりした。汗ばんできた。東京のSさんから久米仙を送っていただいた。もう5年ほど毎年秋に送ってくれる。それもこのあたりはない、43度のホンマモノ。これは強いが僕にはたまらない泡盛。感謝。
2014年11月11日(火) くもり
寒い一日。
晩秋という季節になるのだろう。立冬を越えたのだから寒くなって当たり前だ。山茶花が今盛りできれい。盛りはいいが、池の上にある山茶花は、あらためて見上げるとひどく大木に育ってしまった。こういうのも少しは小ざっぱりと切り落とした方がいいんだろうな。こういうめんどくさいことが周りを見るといくつもある。昨日、掛けてある額や書の解説を作ったりしたのだが、三幅の書の書いた人をネットで調べてみて、その説明も作った。便利になったものだ。僕のような浅学者でもこのようなことが何とかまとめられるようになるのだから。YouTubeで落語をまたDLした。最近、mp3で落としたファイルの音声を、一定に調整してくれるという優れた無料ソフトを手に入れたので、iPodなんかに入れても、音の大小を気にせずに聞くことができて気持ちがいい。こういうことも便利になってきた。三幅の書は、160年以上経ていることが確認できた。古いものも新しく便利なものも、大切にしていきたいものだ。
2014年11月10日(月) 晴れ
サルの小便の臭いが雨上がりの村の道に充ちる。
雨上がりで蒸気が上がってくるとサルの小便の臭いが鼻をさすように痛い。こういうところを歩いている。清々しく空気のきれいな田舎の道を想像したいが、臭いし、食い散らかした残りがおびただしい。ひどいもんだ。こういう道を学校に通う小学生を思うとなんだか申し訳なく思ってしまい、早く学校統合してちょっとは遠くても、サルの小便の臭いのしない学校の方がいいなんて思ってしまう。落ち葉とサルのウンコが道にあっても色が似ているので今の時季うっかり踏んでしまうかもしれない。中学校を一つにするという教育委員会の方針に反対する人たちのことは理解できる。無理もない、町の南端の中学校へ統合させてしまうというのだから。これでは反対が出て当たり前。保護者も逆の立場になった
ことを考えてみるべきなんだろうが、じゃ、町の真ん中に新設すればいいという短絡的な意見にはもっと賛成できない。町の財政はそこまでのんびりしてはいられない。もっと町が合併する時点でこういう喫緊の問題を、もっと議論しておけばよかったんだろうな。わずか40人ほどの全児童の学校を20数億もかけて新築するという暴挙が、「旧町時のお約束だった」では、何ともお粗末で情けない。かく言う僕に打開策があるかというと、ほとんど考え付かない。とりあえず中学校を二校にして南北に残しておくかなんてことぐらいだ。
2014年11月9日(日) 雨
法事あり。
11時から甲府:佐田家の法事。その頃からぽつぽつと雨が降りはじめた。故人の13回忌。ほんとは1月の末なのだが少し早めにと息子夫婦で来寺。亡くなった知らせを受けた日は思いがけず大雪に見舞われたことをよく覚えている。ちょうど社協に居た時で、高橋君と甲府へ出張していた時に電話を受けた。雪が降り始めていて、急いで戻ってまた雪の中を甲府の当家まで枕経に車を走らせた。雪だとか大雨だとか、ひどく暑かったとか、こういう時の葬儀のことは忘れないものだ。それから季節。桜の散るころに毎年亡くなった人のことを思い出すとか。寒い寒い一日。大した雨ではなかったが、サルたちがまた本堂の周りに来ていたので、何度か追い払いにゆく。大相撲が始まった。一昨日テレビを見ていたら、やくみつるが、「白鵬はトイレも和式を使うそうですね」と話していた。腰を低く保つために和式の便所を使うなんてなかなかできるこんじゃない。僕らもだんだん和式で大をすることはなくなってきたし、今の子供たちは和式に腰をかがめて座る姿勢が保てないらしいし、教育委員会に居た時、学校から便器を洋式に替えていってほしいという要望が多かった。横綱白鵬。でも「ほんとかなぁ?」という気もするが、和式でも下からピューンと水の出るウォシュレットを特注して備えているのかもしれないしな。
2014年11月8日(土) 晴れ
シリコン系スプレー。
本堂の樋が落ちてしまったので、付け替えのことを相談した大工さんが見に来てくれた。今朝、お勤めをしながらふと思ったのがこんなことだった。樋はまたサルにいずれ落とされてしまうかもしれない、ならいっそのこと別の策がいいのではないかと。渡り廊下の屋根の真上だけ樋が必要なので、それは屋根に落ちる雨の跳ね返りを防ぐというもの。だから跳ね返りの影響を受けるところだけ、回廊の欄干のところに、アクリル板のようなものを打ち付けて防ぐってのはどうかということだった。そのことも含めて相談すると、それもいいかもしれないが、長い目で見た場合、やはり樋をつけておいた方がいいのではないか、見た目もいいしということだった。両方で考えてみてくれるということだった。それからもし参考程度でいいが、本堂の観音扉の内側に引き戸をつけるとしたらどのくらいかかるかざっと見積もってくれないかとお願いをした。その時に本堂に入ってもらって格子戸の滑りが重いので、大工さんから、こんなにきつくなっていると溝を痛めてしまうので、ホームセンターでシリコン系のスプレーを買って吹きつければ片手でも開くようになるとアドバイスを受けた。今日の収穫はこのシリコン系スプレー。11時の鐘を撞いた後、早速コメリで4本仕入れてきて、本堂、庫裏、客殿の引き戸の溝にスプレーした。いやぁビックリ。まったく魔法のような効果で、両手で引いていた格子戸も、片手で滑るように開いてしまった。こういう知識がないので僕のような人間は困る。でも今日はよかった。引き戸の周りもスプレーが散って畳で転ばないように気をつけなくちゃならない。
2014年11月7日(金) 晴れ
温いうちに頭を刈る。
だんだん寒くなってくると頭を刈るのがしんどくなる。外で作業をして体が温かい時に思い切って頭を刈ってしまう。藪払いの続きで、庚申の社の脇にある椿の大木の枝を落とした。梯子をかけて作業をする。高いところは嫌いだ。椿の枝は柔らかいので、枝がとぐろを巻いているような形に変形していたり、好き放題に枝を伸ばしている。昨日切った木の中にヌルデの細いのが一本あったのでもったいないので護摩木にする。護摩木もだいぶストックができて、数年はもう作る必要がないくらいだ。まあそれでも何もすることがないときは百八支なんかは割っておけばよいと思うが。午後、原の佐田さんご夫婦お見えになり、秋葉社のことを相談してゆく。毎年11月末から12月の初めのあたりでお祭をして火伏のお札を配るのだが、だんだん構成する件数が少なくなり、高齢者も多くなり、小高い場所の社まで行くことが困難になってきたということもあり、今年で最後にするという意見でまとまったのだという。ご神体は静岡の秋葉神社からいただいてきたというものらしいが、社を閉じた後はうちの本堂で預かっておくことにした。11月29日(土)午前9時半から。小学生たちが帰って行く4時半ごろにはもう薄暗くなり始めている。これから12月まで日暮れは一段と速くなる。さみしいようで好きな季節なのは僕の生まれ月だからかもしれない。
2014年11月6日(木) 晴れ
今日はサルの声を聴かずに済んだ。
一日本堂裏の藪の整理をしたので、サルの姿も声も聞かずに済んだ。尤も、奴ら自体が今日ここにはいなかったのかもしれない。だいぶきれいになったように思える。チェンソーも活躍してくれた。
夕べ録画しておいたNHKの1971年のドラマ『さすらい』を見た。なんとカラーで放映された。上京したての友川かずきや野音のステージで「カレーライス」を歌う遠藤賢司も登場する。とても懐かしく見た。これは保管しておこうと思ったのだが、何を間違えたのか、他の番組を消そうと思ったのに、「さすらい」を消去してしまった。WOWOWでGRATEFUL DEADのLIVEの放映もあった。こちらの方は完璧な保存版。1974年ころのDEADは演奏もとても充実しているし、観客の乗りも断然いい。DEAD最高だな。今日は一日外でたっぷりと働いて疲れた。
2014年11月5日(水) 晴れ
外で過ごす。
たまには体を動かさなければいけない。朝の寒さが厳しくなったので、ずるを決め込むと家の中でビデオを見たり本を読んだりにだらだらと時間が過ぎてしまう。朝から畑に出て午後まで管理機をかけてうなった。心地いい汗もかいた。畑の土が固くなって深く刃が入っていかない。結局スコップで土を掘り起こすことになる。今年は土だけは深く柔らかくしておこうと思う。今日もサルが来ていた。ちょうどお昼で畑から家に入ろうとすると本堂の鰐口がカンカンと鳴る。風はない。お参りの人もいないはず。作業着のズボンを脱いだパンツのまま本堂の方へ少し歩くとサルがいる。賽銭箱の上に鰐口があり紐が垂れている。3匹居て、一匹が賽銭箱の上に乗って器用に紐ゆすって鳴らすんである。カンカンと。こういうのを覚えるとしょっちゅうやるようになる。鐘楼の撞木の紐も前に引っ張っているやつがいた。外の社にシメを張ると、しばらくするとサルが揺れるシメが気になるようで飛びついては落としてしまう。こんな奴らに寺の後のことを任せたいなどという気持ちには到底ならない。
2014年11月4日(火) 晴れ
サルが大量出没で。
先月本堂の渡り廊下の屋根に上がってその上の雨樋をなんとか補修して雨の日にも樋がうまく機能しているのを確認していたのに、なんと、なんと今日サルが樋を落としてくれた。夜明け前から森の中に動く音や叫びに近い声がしていた。ここ数日朝から晩まで活発にこの付近を荒らしまわっていたのだ。おそらくサルが樋を伝って屋根に上がろうとしたに違いない。サルの重さに耐えきれなくなって樋が落ちてしまったのだ。こんな高いところの樋なんかおいそれと簡単にはつけることができない。また大工さんに相談だ。しかし直さないわけにはいかんだろう。さすがにサルにはもう本当にお手上げだ。本堂の回廊も食い散らかした柿や枝豆や糞だらけだ。何とかこいつらだけは金縛りにでもして調伏できないものだろうかと考えてしまう。
2014年11月2日(日) くもり
法事あり。
雨は上がったが一日曇り空。そう寒くはないのだが、それでも鬱陶しいような重い一日。10時から佐田家の三回忌の法事。連休ということもあって、長男も帰省して出席してくれる。カメラマン海老原氏も来寺。今夕久しぶりに飲もうということになっている。全日本大学駅伝をテレビで見る。駒沢大が圧倒的な強さで4連覇。山梨学院は最終区でオムワンバが頑張りをみせてシード権を獲得し5位で終わる。さて年明けの箱根路はどうなるんだろう。サッカーはヴァンフォーレ甲府勝利して土壇場で踏ん張っている。
2014年11月1日(土) 雨
11月に入る。
今日は朝から冷たい雨だ。3連休でひと儲けしたいところでは客足が伸びないだろう。帰ってデパートとかの方が客が見込めるんじゃないだろうか。11時に甲府生涯学習研究会の15名が来山。雨の中足を運んでいただいてこちらも申し訳なく感じてしまう。それでも僕のつたない話を皆さんよく聞いてくださった。父の命日である。本堂と客殿で供養する。まあいつもと変わらないんだけどね。17年がたった。母はまだ生きているのだから、17年という月日は結構前だったんだよな。夕方妹も来て墓参してくれる。お土産をくれて、あわただしくまた帰っていった。今夜は熱燗でも飲もうと思う。
2014年10月31日(金) くもり/雨
雨で寒くなったぞ。
10月も終わり。午前中は曇っていたので、ツツジとアジサイの挿し木を何本か地におろした。午後雨が降りはじめたのでちょうどいい。海老原君から久しぶりにメール来る。11月2日の角屋のおばさんの三回忌に出席するという。夕方飲もうと連絡。夕べTOKYO JAZZの録画を見ていたら、小曽根真のBIG BANDがとてもかっこよかった。トシコ&タバキンのBIG BANDを聴きたくなってきいた。秋の景色に似合う音楽。 YouTubeに「International Jazz Day All-Star Global Concert from Osaka」という、なかなかに面白いコンサートがアップされている。こういうのを落としておいてipodに入れちゃうんである。
2014年10月30日(木) 晴れ
朝冷え込んできたなぁ。
5時といっても今は真っ暗だ。寒くなった。上天には星が輝いている。本堂のお勤めを終わって出るころに6時近くなりようやく朝が明けてくる。客殿に戻って短目のお勤めをして朝は終わり。朝が早くても遅くてもほぼ一年を通して娘が勤めの日であれば6時過ぎには朝食になる。休みの日であれば僕は勝手に朝食を適当に済ませて、ビデオを見たり、気分が爽快であれば歩いてきたりする。墓地の掃除をする。台風で山からの土が道にだいぶ流れ出してきていたので片付けた。午後本堂の観音開きの格子戸の障子を貼りかえる。日中はあたたかくなる。
2014年10月29日(水) 晴れ
報道掃除。
昨日はいい護摩が焚けた。やはり一人で焚くより誰かがそばにいてくれることがよい。それが法印さんならなおありがたい。東海さんが仕事の都合に合わせて来られるときには来てくれるようになって、例月の護摩は楽しく待ち遠しいような感じになってきた。法螺を立てるのも一人より二人だ。朝が寒くなってきた。護摩の後と本堂の掃除をするのも少しあたたくかくなってきた時間にする。昼食をはさんで、午後2時ころまでかかった。もちろん次回用に火舎の香盛りも済ませた。昔は樒の葉を乾かして、すり鉢ですって粉にして香に使ったというので、僕もそれに挑戦してみようと思う。樒が護摩の炉で燃えて放つ香りは好きだ。
2014年10月28日(火) 晴れ
10月の護摩。
7時20分に下山の遠藤夫妻と駐車場で待ち合わせて息子さんの新居に向かう。8時から新居への入居のお祓いをする。この辺りは建売住宅が縦横に並んでいて新しい住宅地になっている。学校はもう目と鼻の先にあるので、その点は便利であり、ショッピングセンターも近い。外でお祓いをしてから中に入る。まだ何もなく、11月の5日入居をするとのこと。月々の返済は今住んでいるアパートの家賃より少ないと36歳の主は話してくれた。僕にはこういう経験がないので、自分で家を持つということの厳かな行為がぐっと胸に迫る感じだ。9時過ぎに家に帰る。義姉の新車購入のお祓いを午後1時からする。2時から月例の護摩。東海師助法に来てくれる。今日は点火してから壇に火が回るまで少し手間取った。こういう経験を積んでいきながら年を取ってゆく。二人で吹く法螺貝はいい。車で飲めない東海師には緑茶を。彼に許しを乞うて、僕は遠藤家でいただいた清めの酒の残りをチビチビとやらせてもらった。今朝は寒かった。
2014年10月27日(月) 晴れ
枝豆。
宮木の若林が枝豆を朝届けてくれた。彼のところでは生食用の枝豆は出荷していないとのこと。大豆を農協に出すのだという。「今日は休みか?」と訊くと、有給休暇で、これから友人とゴルフに行くのだ云う。若林と僕は誕生日が5日違い。来月二人とも58だ。貰った枝豆はやはり粒が大きくておいしそう。10時過ぎに駐車場借地の件でI建設来る。11月から6月まで一角を貸すことにする。明日の護摩の準備、遠藤家の息子さんのところの家屋敷のお祓いの準備などする。
2014年10月26日(日) 晴れ
秋の祭典。
去年は雨のお祭りになったが今年は好天に恵まれた。お祭り当番の人から届けられたお供えのお餅を、組内の家に組長の僕が配って回る。僕はこの餅を4枚食べて昼食。午後はふれあい運動会。人の集まりは決して多くはないが、それなりに楽しいひと時だ。ブルーシーとに寄って酒を酌み交わすのも好天に恵まれてなにより。いろんな話を脈絡なしに展開する。散会して祭典の幟なども片付けて再び集会所で飲む。みんなやさしくていい。
2014年10月25日(土) 晴れ
今日も暑くなった。
今週の休日は天気もよさそうだ。八幡神社の祭典のために当番が朝早くから掃除に来て、社殿の掃除や幕張り、そして秋空に幟が立った。本堂の渡り廊下の上のとこだけ雨樋がつけられているが、古くなって一部穴が開いて雨が降るとそこから漏れ落ちる雨水が渡り廊下の瓦にあたって飛び散って、本堂の欄干と回廊をひどく濡らすことに気づいたので、何とかできないものかと思案し、渡り廊下の屋根に上がって穴の開いた樋のところへ、縁の下にあったブリキの樋の古いのを切って穴ふさぎにしようと考えた。とにかく高いところが苦手なので、たった一人で汗かきながら事に当たるのだが、頭で描くようには思い通りにゆかない。小一時間ほど屋根に上がったり下りたり、長い棒状のものを持ってきて色々と試してみて、長枝ばさみの刃で挟んで樋に差し込んでなんとか穴は塞げたようなので下りてきた。次雨が降った結果待ちというとこだ。好天に誘われて出かける人が多いのだろう、今日も「ご朱印」希望者の家族あり。法事の塔婆や28日の護摩用に頼まれた祈願札なども書く。
2014年10月24日(金) 晴れ
網戸をしまう。
週のはじめから昨日まで雨が続いていたが今日は朝から良い天気になった。気温も昼ごろから午後まであがって暑くなった。久しぶりに朝歩いて、いつもならその後映画とか本読みになるのだが、今日は決心して網戸を洗ってしまうことにした。7,8年前に買った高圧洗浄機で洗っていたのだが、高圧ホースと本体のを接続するねじの山がダメになってしまったようで、水を出して始動すると勢いよく外れてしまってどうにもなおらないので、仕方なくそのままの水道水で洗った。それでも天気も良かったので午前中いっぱいかかって洗って外で乾かして、お倉と客殿の奥の2か所にしまった。午前中網戸を洗っていると静岡の成田さんが来山。安倍川もちをお不動さんに供えてくださった。天気も良くなったということか、ほかにも4人組の高齢者の参拝もある。隣町の建設会社の方が訪ねてきて、富士川の河岸工事の現場事務所を設置するために畑の空いているところを使わせてもらえないかと相談される。11月から来年の6月までだというので、駐車場の一角を使ってもいいということで了解する。少し寺の収入もなければ干上がってしまう。まあこれも、中部横断道建設のためのお手伝いということね。ツワブキがたくさん開いてきれい。
2014年10月23日(木) 雨/くもり
寒い日が続く。
月曜から降ったりやんだりの気が滅入るような天気が続いている。坊主の仕事がないと愚痴っていたら檀家の方から、「息子が建売住宅を買ったので、入居の前にお祓いをしてくれないか」と電話がかかってきた。地鎮祭にしてもそうだが、ほとんどこの手の仕事はしたことがない。「真言宗実践双書」「修験道要典」「加持祈?秘密大全」など参考にしながら、二日かかって自分なりの次第書を作り上げた。こういうことをしていると、脇にそれたりするもんで、火床三昧耶法のところが気になって読んで、来年の柴燈護摩には火床を成す際にこんなこともしてみようなどとも考えてみた。火伏の札というのがあって、書いてある梵字でわからないものがあったが、今回梵字の本を読みながら、全部読むことができ、ついでに、梵字フォントを使ってパソコンで火伏札を作り上げることができた。
2014年10月20日(月) くもり/雨
夏の衣をしまう。
午後になってから雨になってきた。雨になると一層暮れるのが早く感じられ、それに寒さも感じる。夏の衣がいつまでも衣文掛けにあったので衣替えをした。寺の僧侶としての仕事はさっぱりなので、お盆以降衣をつける機会もなかったように感じる。11月から年末にかけてはいくつかの法事があるので、冬衣はつける機会が多くなる。忙しいのも嫌だが、僧侶としての仕事がないというのも困ったものだ。一日映画やドラマの録りためておいたものを見る。
金曜の夜は秋山さんと川口さん夫婦を招いて酒を飲んだ。秋山さんが作った枝豆を知り合いに送った。土曜には民俗資料館を見学する団体の対応をした。退職した数学の先生の集まりで、不動明王の開帳もした。昨日は山道つくりと中沢川の草刈りなどした。丸刃を付けた草刈り機もこれでシーズン終了。久しぶりにジャックスや早川義夫を聴く。
2014年10月16日(木) 晴れ
今日はあたたかくなる。
昨日は寒かったが。午前中墓地に行って供えてある彼岸の花の枯れているのを片付けてまわり、挿し木で育てたツツジを地におろしたりする。外に出はじめると外が気持ちいい。映画を見たり、本を読んでいることより外に出て何かしていたり、歩いていることの方が本当は体全体に栄養が行き届くように思える。午後母の入所施設へ支払いと面会。相変わらず。今日はなぜかベットに横になっていたが元気だった。「365歩のマーチ」を歌ってくれた。こんなことは初めて。帰ってきて1時間ほど本堂の周りと客殿裏を草刈りする。紐の刈払機は今期の使用終了。
2014年10月15日(水) 雨
雨になる。
朝は陽が射したりしていたのに、11時ころから雨になった。民俗資料館の掃除をした。土曜に見学者の応対を頼まれている。夏に水道管破裂で、9月の補正を待って修理をしたので今まで掃除ができなかった。掃除機をかけトイレも念入りに掃除した。玄関もデッキブラシでツバメの糞を除き、ガラスのドアも用具を使って汚れを洗い落とした。寺の外便所も掃除する。まとめてやってかなりの達成感あり。このまま雨が今も降り続いている。寒い寒い一日。だんだんこういう日が多くなると暖がほしくなる。
2014年10月14日(火) 晴れ
台風過ぎる。
「結果何もなくてよかったのよ」ってことなんだろうけど、それにしても大げさな台風予報というのか予想というのか、よくわからんことが多いような気がする。たまたまここは前回も今回も大風が吹くことはなく、大した被害もなかった。今回はもう午前2時過ぎには雨が静かになっていたし、前回よりは明らかに雨量も少ないと感じた。こんな夜の雨は、過去だったら災害本部が設けられて、危険を感じたら公民館へ避難してくれなどというような放送も流れなかったと思う。まあ、台風が過ぎ去って、何事もなかったということを喜びとするということなのだろうが。暑かった。コメリで小菊の苗と、夏の草ぼうぼうの畑に埋もれていつの間にか姿のなくなってしまったパセリの苗を2つ買ってきて植えた。
2014年10月11日(土) 晴れ
9条落選。
友人のT氏から9条がノーベル平和賞に選ばれなかったことの残念を伝えるメールが届いた。村上春樹も漏れたし、9条はどうかなという程度の関心しかなかった。というか、そもそも9条をなぜ平和賞になんだというようなことも考えていた。こういう当たり前の理解を特別視することにあまり興味がなかった。それにノーベル平和賞というと、佐藤A作が受けていて、ノーベル平和賞というもの自体に信用ならんという気もしていたし、仮に今回9条が受賞したところで、あの「安倍心臓」が嬉しそうに記者団のインタビューに答える姿をテレビで見るのなんか真っ平御免こうむりたいとも思っていた。なのでよかった。平和賞に値するものを選考するわけで、そこの場が禊された清らかな空間であるということはないのだろうと思う。T氏よ、僕らは野に在って、僕らのもつ信仰の中から、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」をかみしめて酒でも飲もうじゃないか。それがいい。今夜我が家はサンマだ。
2014年10月10日(金) 晴れ
畑。
草を刈るだけの畑の草を年に3度か4度刈る。今年の草刈りは終了した。耕さないので表面が固くなり、だんだんと草の繁茂が強くなったように感じる。ちょっとだけほとんど手入れすることなく、サルの食べないオクラと、苗をいただいたナスとプチトマトを作っていて、ここも片付けた。作物を撤去した後に午後から管理機をかけたが、手を入れて除草などしていないので、草が絡みついてうなうことをしょっちゅう中断して、管理機の刃から草を除かなければならない。それからなかなか深く刃が入らない。耕さなければ固い土に戻ってしまうようだ。開墾するとはこの反対のことで、原野を畑に変えていくということの厳しさがわかるというものだ。それでもこういう時間は楽しい。深くなる秋をじかに感じられる心地よさがある。
2014年10月9日(木) 晴れ
道。
富士川沿いに国道がバイパスで走っている。その内側に元国道で今は町道の道がある。そのもう1本内側に集落道がある。時々歩いたりしているが、この時期の朝の道と行ったらひどいものだ。柿、栗、枝豆の食い散らかされた跡があちこちに残っている。サルたちが人の静かな集落道で好き放題に腹を満たしていった跡だ。耕作者はそれぞれ独自に予防策を講じてはいるが、完璧にサルから作物を護るということはできないようである。たとえば枝豆なんぞは、もう少しさやが膨らんでから食べようと思っていると、ちゃんとその人間の心を察知しているかのように、収穫の直前に食い荒らしてしまうのである。奴らは盗ったものを一つ丸ごと平らげて満足することがない。それは獣の本能というものだろうか、ほぼ一口か二口かじっただけで次のものに手を出すという習性である。毒物から身を守るということの習いであるかもしれない。8割7割枝豆を収穫して食べたり味噌にできたらいいやという風に、農する人たちの考えも変化してきているのだろう。毎日サルを追い払う空砲が聞こえている。来週の日曜には獣除けで集落の山に張り巡らせた柵の下の草刈り作業がある。絶対的な解決策など永遠に見つからない。
2014年10月7日(火) 晴れ
外仕事する。
緑のカーテンでひと夏楽しませてもらった朝顔のプランターを撤去し、まだ上部に花の残るカーテンも取り払った。今年はカーテンは一か所しかしなかったので、片付けが楽だ。2か所は洋風タテスというヨシズのようなものを買ってつけた。これは片づけも楽だしこれから西陽が当たってくるので、今しばらくこのままでいいと思う。貴のの台風で朝は相当な雨になった。風がなくてよかったが、土蔵の屋根からの雨が樋からあふれて落ちていたので、屋根に上って樋の詰まりを解消し、おそらく雪で少し曲がってしまっていたのであろう樋も自分なりに直してみた。午後は飯富病院定期受診。帰ってきて畑の草刈りをする。参道の片側はこれで終わり。明日もう片側も終わるだろうか。少し刃の切れが悪い。今朝からシルバー人材センターで庭木の剪定に来てくれる。いつもの二人にもう一人来てくれたので、二日で終わるはず。もう何年もやってくれているのでこちらが指示しなくてもやってくれるのは助かる。
2014年10月4日(土) 晴れ
金峰山に行く。
山登りの趣味がないのでいままで山というものにあまり登ったことがない。大峰山に入峯するくらいしかない。山梨にはたくさんの山に囲まれているが今回初めて金峰山に登ってきた。ここは頂上の五丈岩に蔵王権現を祀るといわれるかつての修験の山である。朝5時半に家を出て放光寺の近くのコンビニ駐車場で、行藏院、玄法院ご住職と待ち合わせ車1台で登山口に向かう。40分くらいかかる登山口まで上りのカーブ道が続き、荷物を開けたり整理をしていたら、あっという間に車酔いをしてしまった。冷や汗がだらだらと垂れてくる。気持ち悪いとも言い出せず必死でこらえた。3人で沢沿いに山を登りはじめ3時間半ほどで11時半ごろに山頂に着く。御法楽をして昼食。山上には50人を超える登山客のカラフルな姿がいっぱい。ちょうど一週間前の土曜に昼前に御嶽山の噴火があって多くの方々がその犠牲になられた。ここはそういう心配はなかったが、土曜日のちょうどお昼の時間という光景は、御嶽山の惨状を予想させるに十分だった。珍しい修験者が現れたので、僕らは何度のカメラの被写体になってしまう。法螺貝も吹いてくれとか。山上では息苦しさがあり、あまり上手に法螺貝を立てることはできなかった。大弛峠まで稜線を歩いたり上り下りしながら出て、1時間くらい林道を歩いて駐車場に戻りかえってきた。こういう登山経験がなかったので、本当にぐったりという感想だ。疲労感に眠気をなんとか払いながら午後5時半過ぎに帰宅。明日から台風接近に寄る雨とのことで、山行きとかつての修験者の道が無事に歩けたことに感謝した。
2014年10月3日(金) 晴れ
暑いよ。
10月に入り、大型で非常に強い台風18号が来ているようだが、明日の山行きまでは天候は持ちそうだ。準備をする。5時半には家を出なければならない。御嶽山での捜索作業は今朝から雨ということで今日の予定は中止になったという。最終的には60人くらいの被害者になるのだろう。雲仙普賢岳の被害よりも大きくなる。夕方川口さん来て、奥さんの実家の鹿児島から送ってきたというサツマイモと芋焼酎置いていってくれる。なんか義理がたいなぁ。お寺の僕は貰いっぱなしだ。
2014年10月2日(木) 晴れ
吉田夫妻来山。
久しぶりの二日酔いとなり、つらい朝の勤行。吉田さんは昨夜早めに就寝したのでさわやかそうで、境内を散策する。朝食後にまた3人で話す。10時半ころから僕はビールをまた飲み始め、吉田さんも1本だけということで付き合ってくれる。美麻に居た頃の懐かしい話から、吉田さんが書き上げた祖父である版画家「吉田博」にかかわるものを本にするのだという話も聞く。吉田博の「タジマハル」という大正時代の作品を買い上げることになった。恩を返すというほどのことでもないが、今僕にはこのくらいのことならできないこともない。午後2時ころに二人は美麻に帰っていった。また僕も美麻を訪ねてみたいと思う。
2014年10月1日(水) 晴れ
吉田夫妻来山。
美麻の吉田さんご夫妻がみえる。おそらく最後にあってから10年以上たっているのだ。先日彼から突然便りが舞い込んで、「年内には来るだろうな」と思っていたら、一週間もたたないうちに昨日、「明日都合はどうか、訪ねてもよいか」と連絡があった。こちらは何も予定はない。午後2時半頃にやってきた。吉田さんは僕とちょうど10くらいの差があり、65歳を超えている。それなりの年齢に見えるが語りには熱いものがみなぎっている。夕食を取りながら酒を交わす。ビールから葡萄酒。奥さんとは最後は泡盛となった。