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『徒然日誌』 2012年1月から12月

2012年12月31日Monday 晴れ
そろそろ終わりにしよう。
大晦日の今日はいい天気になった。午後から風は強いが。ひょっとしたら今夜は冷え込むかもしれない。一泊二日の八王子行きが特に体に負担になったわけではないが今朝はゆっくり寝た。年越しの準備も午前中に済ませた。新年のお札も午前中書いて、午後になって届いた追加分をこれから書けばもう多分この後はないだろう。もうそろそろこのあたりで締めくくりとしよう。思い出せば大切な人を何人も亡くした年になった。僕が仕事を辞めたせいだと思えたりした時もあった。醍醐寺へも20年分くらい登山(とさん)した。ですからお金も結構使った。収入の乏しい生活ではあるが、まあまあ何とかつつましく暮らせていけるものだ。この寺の経済のことは彼女に任せているから安心安全。紅白を見て、帰らぬ息子を思いながら夜の境内にロウソクの灯りを何か所も点すことにしよう。日付けが新しい年に変わる前に礼盤に上がり、年越しの護摩を焚く。今年は覚えたての恵印の護摩を修法する。法螺貝を夜中に吹くかどうかはその時の気分次第でいいだろう。これで今年の書き納め。

2012年12月30日Sunday
葬儀は雨。
葬儀が12時半からで、12時前に来ていただければよいということだったので午前中は本読んでのんびりと過ごす。7時に食事に行くもまあ大して食指をそそるものはない。朝カレーだけは旨かった。浅田次郎を読む。一ヶ月くらい本を読んでいなかった。午前中に一冊読んでしまう。11時過ぎに葬儀会場へ。朝から雨になっていて外は寒い。都会は葬儀の後に火葬なので午後が長い。葬儀終えて1時半に火葬場へ移動。八王子市斎場。混んでいる。次々と棺が運ばれてくる。火炉に順番に入れられていくのを次の組が後ろで待ってみている。収骨後戻って初七日法要と御斎。甲斐岩間から車なので酒は我慢して膳をすっかりいただいて八王子駅へ。午後5時半の特急。やはり指定席を取っておいてよかった。電車はやはり混んでいる。家に帰り荷物を片付けその後同志会の忘年会に行って酒をごちそうになる。会長経験者が勇敢にももう一度会長をやってもいいということで再び副副会長を引き受けたのだという。いい話だなぁと感じいって戻ってきた。

2012年12月29日Saturday 晴れ
八王子で通夜。
八王子の佐田家の通夜。12時半の電車で甲斐岩間を出発。八王子駅前の京王プラザ八王子にチェックイン。本など読んで少しのんびりする。4時半過ぎに会場であるセレモアつくば八王子大横町会館に行く。しばらくしてご家族があいさつに見える。家族葬ということで、家族と故人の兄、奥さんのご兄弟15人ほどの葬儀。6時から45分ほどで通夜を終えその後、通夜振る舞いという食事。ビールを少し飲んでホテルに戻る。外に出るのも寒いのでそのまま部屋で日本酒、ウィスキーいただく。

2012年12月28日Friday くもり
雪になる。
今は午後5時ちょっと前。雪が2時頃から降りはじめて降り続いている。あたり一面白くなりはじめた。納めの不動で今日は護摩を焚いた。護摩を焚いてその後片づけと掃除、それから大晦日の護摩の準備をしてしまおうと考えていたので、とにかく早く護摩を焚かなくてはならなかった。今朝はホントに寒かった。今日は全く陽が出ずにおわった。午前8時半過ぎから1時間半ほど護摩の修法をした。何人か分のお願い事、それから一年を無事過ごせたことへの感謝などお不動様と向き合った。護摩を終えて着替えてもう寒くていられなかった。昼時にも暖房を入れた。午後から片づけに入り、9割がた終えてもうここまでで勘弁してくれで、夕の経を上げて戻ってきた。明日昼過ぎに上京するのでまだ午前中少し仕事ができる。明日は雪ではなさそうだ。八王子も今こちらと同じような天気のようだ。大分厳しい葬儀の上京となりそうだな。役場は仕事納めか。娘も今日が仕事納め。

2012年12月27日Thursday 晴れ
鳥がきて南天の実をついばんでいってしまう。
せっかく門松に南天の朱い実を飾ったのに、鳥が来てはそれをついばんでいってしまう。墓地のほうにもまだ南天は残っているのに何故だかわからないが今日もすっかり食べてしまった。新しい南天を採って差し替えたりしている。午前中は、燈篭を寄進してくださる方々に出す通知を考えたりする。午後3日ぶりにおじさんの病室を訪ねる。日々状態が回復してきているのがはっきりとわかった。ベッドを起こして酸素吸入器もはずされ、会話もできた。ほんのちょっと今日は口からも摂取できたようだ。病室にはおばさんが付き添っていて、1時間ほど話をして帰ってきた。状況がよくなっていることにほっとした。寒い時期だから病院でゆっくり養生したらいい。病院の駐車場はほぼ満杯で、特に年末の休暇が始まるので、外来なんかが混んでいるのだろうと思った。帰ってきて明日焚く護摩の房花をとったりした。夕方も寒い。いま天気予報じゃ明日の午後には雪が降るかもしれないと。そういえば上京する29日は雨予報だったもんな。

2012年12月26日Wednesday 晴れ
細々と一つずつ終えていく。
夕べはお札を書いた。今日もまた申し込みがあったので書こうと思う。朝は神棚のシメを替え新しい松を供えた。身延駅に八王子往復の切符を買いに行き、帰りの中央本線の指定席も買った。これで電車はよし。正午過ぎにD家の葬儀に行く。名古屋から遠藤夫妻も帰ってきていてちょっとだけ話す。その帰り、一緒に行った直子さんと公康君の墓参に行く。ここの墓にも猿が日向ぼっこをしていた。去年の今頃病気のことがわかっていたのだな、それから半年も持たなくて亡くなってしまったのだ。午前午後と少しずつやって全部の門松を自己流に仕上げた。これでよし。夕方また冷え込んできている。朝起きるのがだんだん辛くなってきた。

2012年12月25日Tuesday 晴れ
葬儀準備。
故人宅から朝略歴などがFAXされてきたので、それを見ながら先ず戒名の長考に入った。参考書、漢和辞典、佐田家先祖の過去帖なども広げて考えた。まずまずの戒名になったと思う。自宅へ戒名をFAXして、ご長男に戒名の路のことについて説明した。これでよろしいということになり一つ片付く。そのあと諷誦文を書く。長く発展途上国の上下水道整備のコンサルタントをしてきた人であった。一日かかって葬儀に関係する仕事はほぼ片付いた。帰りの30日は電車も混んでいるのだろな、できれば明日にでも切符を買いに行って、この時間になら帰れるだろうという電車の指定もとっておこう。
同級生のお母さんが亡くなる。明日の正午の告別式。

2012年12月24日Monday 晴れ
昨日の夕方から色々と展開があって。
明王寺の祭典から帰ってきて、衣を片付けたりしていたら、牧丘のおじのことで電話が入り、とりあえず女房と駆けつけた。僕はもう飲んでいたので車が運転できなかったので。1時間ほど居ただろうか。8時前に帰ってきた。大河ドラマの最終回を見始めたところへ八王子の檀家から電話がかかってきて、「2時間ほど前に主人が亡くなりまして」と奥様から。葬儀者の方と電話を替わる。「旦那寺があると聞きましたので、今後の日程のこともあり先ず電話をした」とのこと。都会は火葬場も大混雑ですぐには押さえられない状況で、29日の通夜30日の葬儀告別式になるという。よかった。もうほとんど暮れの準備を済ませてある。それに日程に余裕があるので葬儀の準備も慌てずにできる。先週行藏院の葬儀の助法で、今年の葬儀に関わる役目は終わったなと思っていたのにこういうことだ。そういえば去年も正におんなじ日程で葬儀をしたのだった。夏に高槻のお兄さんが法事で見えた時に、「弟が癌で大分悪いようで、この後八王子へ寄っていくつもりだ」と言っていたし、先日は奥様から、「病気平癒、息災延命」の祈願の申込みも受けたばかりだった。しっかりと勤めて今年を締めくくりたい。
午前中、ケアホームみのぶへ若尾さんを訪ねる。先日ハガキで私もいくらかの寄付を考えたいとおっしゃってくださった。とても元気にしておられた。満90歳で、窓辺の机には書道用具が置かれていた。毎日書をされている。観音経を写したものも見せていただいた。「間違えるといけませんからね。ひと筆ひと筆が真剣勝負です」と言われた。この強い言葉にガツーンとやられたような気がした。凄い90歳の媼だ。実は「お気持ちだけありがたくいただきます」と訪ねた。この方と僕の間には、弟さんを介して約束ができている。死の時には直接お寺に運ばれてそこですべてのことをしてほしいと頼まれ、僕もそれを承知しているということ。午後には昨日のおじを見舞う。今日は昨日と違いだいぶ安定しているように見えた。こちらの呼びかけにも頷いたし、30分ほど居て帰ってきた。帰りに福寿草の鉢を二つ買う。この時期どうしても福寿草に目が行く。鉢を路地に下ろすんだけど、なかなか次の年に咲いてくれるという育て方ができない。明日からのこと。受け付けたお札の後半を書くこと。門松を自己流に仕上げること。葬儀のために戒名、諷誦文など書きはじめること。頭は状況前日に刈ること。29日は八王子に一泊だ。

2012年12月22日Saturday 晴れ
初雪。
明け方にはもう雨にはなっていたがほぼ真っ白な薄暗闇の境内。初雪の朝。だが七七日忌の法事があって、納骨もするのでちょっと大変だと思う。10時半から法事。組の皆さんはみな長靴で来寺。施主と、法事が終わってからの模様を見て墓参するかどうか決めようと話していたが、11時を回った時間には雨がちょうど上がり、幾分晴れ間も見えてきた。空気は冷たいけれど納骨と墓参予定通りに済ませられる。葬祭場に会場を移してお斎き。寒いので熱燗を頼む。ゆっくりといただいて帰る。眠気が襲ってきてコタツに横になる。ゆらゆらといい時間を過ごす。仕方のないことを決められたとおりに済ませ、家族も一つ一つきりを付けていきながら納得していくということ。明日の明王寺の祭典に雪が降ったことも過去にはあったなぁと思い出した。

2012年12月21日Friday 晴れ
お札など。
午前中は檀家に新年に配るお札作り。今日も陽が出ずに寒い。明日の天気は悪くて雪になるかもしれないという声もある。お札を作ってしまい、午後は明日の法事の客殿の準備。施主の注文した花が届けられたり。石燈籠の件で檀家から電話ある。福祉施設に入所されている檀家の方からも手紙をいただく。午後訪れた檀家の従姉夫婦からもありがたい申し出をいただく。これでほぼ決定的となり、夕方石屋さんに発注をする。案ずるより産むが易しとはこのことだったのか?たまたま寺の窮状を見かねて救いの手を差し伸べたいと申し出てくれたのだろうが、本当にありがたいと思う。100年残るいいものを建立したいと思う。

2012年12月20日Thursday 晴れ
寒い。
今朝も寒かった。外の水道はもちろん凍った。池も。朝から本堂の裏山に入って、護摩木用の細い柴をとる。猿や以前来ていた鹿などの獣道が斜めにあちこち走っている。そのあと竹を採って、ネットで見た門松を似せて作ってみた。午後護摩木割る。石屋さん燈籠の見積もりを持ってきてくれる。一基の発注は掛けられる目途がついたので、今ある燈籠を年内に撤去して片づけてもらうお願いをした。中国に発注するということだが、中国の正月(春節)には休暇を取って皆故郷に帰るので、春節の始まる前に発注をかけておきたいということだ。こちらの正月明けに確定の発注をすることにした。一基でもいいと思うのだが、石屋さんは、一対のものだから後で後悔しないようにもう少し相談してみてくださいということだ。注文時期が異なれば作る石塔にも違いが出てくるだろうからという理由だ。なるほど。もう少し反響に望みを託すことにする。

2012年12月19日Wednesday 晴れ
葬儀の助法に行く。
旧敷島町。ここは僕のところからかはかなり遠く感じる場所だ。生涯で何回敷島町に行くことがあるだろうかというようなもの。でも1時間ほどで着く。クルマでもう10分ほど上がれば昇仙峡の入り口に着くのだと聞いた。今日は青空が広がり陽も出ていたが、甲府盆地は風が冷たい。初七日を終えて外に出ると突風が頬を切るよう。ご住職は今夜また通夜があり明日また葬儀があるのだとか。まあ暮れも厳しいなぁというほど押し詰まってないので何とかなるのかもしれない。僕にはこれが今年の葬儀納めになるのかもしれない。醍醐の3人で気持ち良く前後讃ができた。甲府はもう、導師一人でする葬儀が多くなっているとも聞いた。一人でもできないことはないが、やはりせめて3人くらいで葬儀をして、しめやかな儀礼ではあっても、死者の尊厳を重んじてしっかりと送ってあげたいものだと思う。
朝、もう猿が本堂の周りに来ていたので堂を閉めたまま出かけた。荷物を置いてそのまま夕のお勤め。普段のお勤めは作務衣のままなので、改良服ではあってもこれで勤めると幾分お不動様にも喜んでいただけるだろうと思う。石燈籠の件で、東京の檀家より夕べ早速に何とかしましょうというありがたい連絡をいただいた。これでなんとか新しいものの建立が見えてきたようでうれしい。

2012年12月18日Tuesday くもり
夜の帳が降りてからもまだ杜でブヒブヒとうるさく吼えていやがる。
一日どんよりとした冬日。静かに静かに猿たちはやってきていて、なんとまあ、寺の駐車場の広場に遊んでいやがる。それを通りがかりの車を停めて眺めていく人がいる。のどかといえばそういえないこともない風景。こっちはうんざりだ。暗くなってきて引き上げて杜の中に潜んでからも、高い木の上でこちらをはやし立てるような全く頭に来る吼え声を投げてよこす。今日の生活は苦だ。土曜日の法事のための準備を少しする。明日の行藏院の葬儀の助法の衣体の用意などもする。やっぱり頭も刈る。刈ってさっぱり。午前中墓地の参道の残りの落ち葉を掃く。最後まであるのがもみじの葉。もうほんのちょっとだけまだ落ちずに残っている。1時間ほど護摩木を割る。午後武士兄ちゃんの墓参に行く。もう半年が経つ。今年は近しい人たちを何人も亡くした。帰ってきて、門松用の竹を取り準備を始めた。案外順調に準備ができていくもんだ。

2012年12月17日Monday
一日寒い日になる。
午前中雨が降りはじめる。洗濯物が外にあったことをうっかりして取り込むまでに後れを取ってしまった。郵便局に行く。ほとんど用がないので車の運転も少ない。一か月以上ガソリンの給油がなくてもよい。衆院選の結果はもう夕べのうちにわかっていたので、もう済んでしまった過去のことのように思える。繰り返し綱引きのようにこんなことが繰り返されているのだ。檀家に通知を出す。総代の人選の件と石燈籠の件。反響があるかどうか。よし!という心意気のある方が現れないものだろうか。望月石材に電話をすると、いい燈籠がないかどうかさがしていてくれているとのこと。発注まで進むかどうかわからないけれど、少しでもこちらの事情を察して手伝ってくれることに感謝だ。

2012年12月16日Sunday 晴れ
今日は穏やかな日曜になった。
世の中は衆議院選挙投票日。当事者たちは今日一日落ち着かないのだろうけど、いい陽気だった。ずっと寒い日が続いたが今日は午後3時過ぎまで外に出ても温かく感じられた。総代の4人と護持会長に午後来てもらって次期総代の人選について相談した。3人は留任してくれることになった。高齢で本人の強い希望もあり退任していただくことになった。1名の人選については護持会の推薦という形をとるということになった。檀家の少ない寺のくせに、昔からのしきたりのようなことを強く思っている傾向はどうしても否めない。少ない檀家だから、皆で平等に助け合ってこの真言宗の寺をこの先ずっと支えていってもらわなければならない。僕ら家族なんてものはいつでも首のすげ替えができるのだ。それから180年が経つ灯籠の件についてもついでに現状を見てもらって意見を聞いた。金のかかることは一様に皆口が重い。こちらも勢いで「誰か奉納してくれませんか」とはなかなか言い出せない。弱小寺院には小さいなりの悩みはある。残り半月。

2012年12月15日Saturday くもり
瓢箪讃歌。
内田ボブがCHINA CATS TRIPS BANNDと作った新しいアルバム「瓢箪讃歌」が届いた。今年の最後にとてもいいアルバムが届いた。長沢哲夫の「ぼくらは地球を愛しているか 地球がぼくらを愛しているほどに」で始まる。夕べは台所で一人酒を飲みながら、You Tubeで懐かしい歌たちのエンドレス・サーフィンを楽しんで酔っ払った。それから、クニ河内がジョー山中と組んでずっと大昔に発表した「切狂言」もやっと見つけて取り寄せることができた。若い頃に買えなかったLPを、今やっと買える年齢になってCDで先祖がえりのように懐かしく漁っている。音楽を聴くにはとてもいい生活環境がある。壬生さんも「いいねぇ」とつぶやいてくれる。今日は一日何もしなかった。音楽を聴き、テレビを見て。今日も猿が来なくて最高の日。選挙の遊説カーも来ない。ただ、本山から通知が来て、総代の3年任期が1月に終わるので次期の人選をしなくてはならない。再任で2回ほど出してきたが、夏にちらっとこの話をすると、「もう辞めさせてくれ」という人もいる。明日総代に直接話をしてみよう。

2012年12月14日Friday 晴れ
内外に一日。
午前中は外。資料館前の溝の土を掘り起こしている。側溝が少しずつ現れはじめた。ぼちぼちとやるつもり。駐車場の溝の落ち葉をきれいに始末する。庫裏裏の落ち葉もきれいにして燃す。午前中は気温が上がらず風もなくただ冷たいだけ。それでも体はだんだんと温かく、熱く、汗が出てくる。資料館前でたき火をしていたら隣りのMさんが「さーむいなぁ!」と揉み手で出てくる。今日も猿が来なくて生活が楽。楽の上に座っていたい。午後から新年の祈願のお札を書く。この時間は陽が出て、閉め切ってある室内は温かい。3時半過ぎから、東京の牛山家の三回忌の供養する。寒い時期なので寺に行けないので、塔婆も上げてくださいとのこと。終えて本堂で夕のお勤め。4時を回るともう空気は冷たい。指先に冷たさが這い上がってくる。外の水道はもう3日昼近くにならないと水が出ない。夕のお勤め終えて庫裏の風呂場で頭を刈る。気合を入れて裸になりバリカンで頭を刈る。「気合いだ!気合いだー!」と声には出さないが内側で叫ばなければとても耐えられない寒さ。熱い湯で頭を洗い体を流し終えると不思議と気持ちがいい。今夜娘も女房もそれぞれのお付き合いで忘年会。僕にはもう忘年会がない。ひとりの酒と音楽を楽しむだ。

2012年12月13日Thursday 晴れ
外で作業。
寒い時は外に出て体を動かしてしまうと温かくなる。落ち葉の掃除をする。本堂周りの溝の落ち葉などを片付ける。昨日も今日も猿が来なくていい。朝から久しぶりにスピーカを外に出して、mp3に落としたDEADの「beautiful jams1&2」とDylanの「The Very Best Of Bob Dylan」を流す。6時間くらいこれで聞ける。落ち葉を畑に下ろしてあるツツジやアジサイの株元に置く。ブルーベリーにも敷く。午後行藏院ご住職来寺。お酒いただく。本山への事務手続きのことなど。あと護摩のこととか雑談。面白いお話もちょっと聞けた。僕からは気の利いたお土産もないので、「ヌルデ」の護摩木を少し持って帰っていただく。それから貰いもののサトイモも少し。甲府から来ていただいたのに、「手ぶらで帰すわけにはいかない」という、オリンピックで聞いたような言葉がよみがえってきた。夕方までまた外のことする。一輪車で土を運んだり。内外のことをバランスよくやっていきながら年の瀬を乗り切っていくというもの。

2012年12月12日Wednesday 晴れ
思いついたものから。
午前中は御幣づくり。年の変わり目に新しい御幣を作る。午後、近くの山で正月用の松を採ってくる。たくさんは要らないけど、門松や神棚の両脇に挿したりするので。一本だけ松を剪定しないで伸び放題にしておくのだけど、シルバーの人に切られてしまった。そのあとは思いつくままに山門や住まいの玄関の蛍光灯の掃除。そのまま何カ所かのガラス拭き。墓地の萎れた花などを片付ける。花立ての水が午前中は凍っていて花が抜けないのだ。毎日寒い。鼻水が出てきたり、鼻をかむことが一日にすごく多い。ティッシュの消費ってのも相当なものなのだろうと思う。昔の人は鼻紙を何度も使ったそうだ。強い和紙でこしらえてあるので水洗いができて、乾かせばまた使えたのだと聞いたことがある。こういうものが今あれば便利だと思うが、不潔だとか、細菌が付いてるとか言われて採用にはならないだろうな。

2012年12月11日Tuesday 晴れ
水道も池も凍った。
今年初めて水道が凍結した。庫裏の入り口の水場。不凍栓でしっかりと管理していかなくては、この師走は冷え込みが厳しそうだ。池も全面結氷した。朝のお勤めも指先が冷たくてしびれるようになってきた。メダカは庫裏の玄関の土間に瓶を置いて飼っているが、保温管理なんかできないので、残念ながら死んでしまうのが増えてきた。今日も三匹。後は個々の生命力の強さに期待をかけるだけだ。生き延びたメダカには繁殖の春が待っている。午前中は正月の祈願札書き。尺五寸の札は印刷していないのですべて手書き。それから坂本土建用に火伏の札を2枚書く。少しずつ進めていけばいい。午後は畑に管理機をかけた。畑に撒いた落ち葉を畑の中に鋤き込んでいった。風は冷たいが外の作業は気持ちがいい。それから所下寺院の住職手続きに関する問い合わせを本山にする。丁寧に教えていただいたが、ちょっと「どうしてもそうですか?」という部分もあった。まあ仕方がない。

2012年12月10日Monday 晴れ
もう10日を過ぎた。
残り21日。ボケッとしていると新年にリーチがかかってしまう。午前中落ち葉の片づけの続き。庫裏の裏庭、墓地参道、林泉周りと大体OK。今日は気温上らず。多分10度いってない。午後から母の入所施設へ利用料の支払いと着替えなど持って面会に。快適な生活で少し下半身が肥ったようだ。今まではそれこそ朝から真っ暗になるまで外を歩いていたのだ。木枯らしの季節にはアカギレで顔の皮がすっかり剥けるてしまったりもした。いたって元気。食欲も十分にあるということだ。入所者の輪の内の一人となってゲームをしていた。これでよし。帰り市川の丸井紙店に寄って正月の破魔矢を少し買ってきた。帰ってきてお勤め、頼まれた塔婆など書く。

2012年12月9日Sunday くもり
どんよりと、冬って感じだわ。
空が重い。一日空が重かった。夕べは橋君を招いて久しぶりに旧交を温めた。二人で貰いものの美味い日本酒を飲んだ。一人暮らしの彼のために女房は腕を振るい、おでん、肉、いただきもののカツオのたたきなど食卓に並べた。終盤は、録っておいたテレサ・テンのビデオ見ながら盛り上がってしまった。
今朝は午前中落ち葉を掃いて落ち葉を焚く。今日は猿は下りてこなかった。昨日は来て本堂の廊下に花梨の実の食べかけが一つ転がっていて、しっかりウンコも一つあった。落ち葉掃きは楽しい。体も適当に温まる。落ち葉を焚いて煙を眺めていると時間の経つのを忘れる。午後WOWOWで「麒麟の翼」を見る。阿部寛が好演だった。終わってから墓地の参道の落ち葉を掃いてガーデンバッグに詰め畑に運んだ。静かに一日が終わる。娘にも年賀状を作ってあげた。

2012年12月8日Saturday 晴れ
ジョン・レノンの日。
ジョンの命日を僕の「ジョン・レノンの日」としている。もうずっと。ジョンが凶弾に倒れたとき、雪深い信州の美麻村というところの廃校舎に暮らしていた。東京からの連絡でジョンの死を知らされた。その前から、宿泊客が持ってきて置いていってくれたジョンの新作「Double Fantasy」は、日一日と降り積もってゆく雪の世界を眺める毎日、途切れることなくターンテーブルに乗っていて鈍色の空に流れていた。いま56歳になって、今朝もまた「ジョン・レノンの日」の変わらぬ愛と、思慮深い彼を感じながらその歌声を聞いている。今朝雨があり間もなく止むのかもしれないが、どんよりとした空だ。昨日の夕方大きな地震があった。昨日これを書いた後、夕の勤行で本堂に入った。観音経を読んでいる途中でかすかな揺れを感じ、やがて床下から本堂自体が揺れはじめる。上を見ると天蓋が大きく揺れている。堂の四角の風鐸がカランカランと大きく揺れて音を立てる。収まらない揺れ、相当長く感じたのだ。実際には短かったのかもしれないが。逃げ出したい気持ちよりも、勤行を投げ出せないという気持ちと、仮に最悪のことが予測されても、収束のために祈り続けるしかないなと気持ちが座った。声を大きく、厨子の内側の不動明王に収束と安全を請う。おそらくここよりももっと大きな揺れを感じ、被害の出たところがあるのだろうと想いながら続けた。今朝はいつもの朝よりずっと時間をかけて祈りの経をあげた。この寺は少しずつ僕が生きた証拠となることをする場所になりつつあるのかもしれないと思い始めた。オランウータンは森の人。佛子永明は寺の人。
と、ここまでが朝でこれから午後4時半少し前。午前中年賀状を仕上げてしまった。一応年賀状の体裁が整ったので印刷したら、そのまま宛名も印刷して、コメントを入れたい人のもそれぞれに入れて仕上げた。学生時代の友人には欠礼状への返信も出した。昨日メールを打ったが届かなかったので直接明王寺のご住職に電話を入れると、「今病院に居る」という。風邪らしい。いつも寺のことも、生活のための仕事もしっかりとしているので頭が下がる。午後シメを切る。順調に年末のことが進み始めた感じ。遠くの山がしぐれている。今朝も少し風花が舞った。年内に一度くらい雪が降るかもしれない。水道の凍結に注意をせねば。ジョン・レノン三昧の一日。

2012年12月7日Friday 晴れ
そうね、寺に居て全く何もすることがないということはないかも。
市川の不動院から欠礼状が届いた。先月末お父さんが亡くなったとのことだった。知らなかったので午後着替えてあいさつに行く。お父さんは僧侶ではなかったので、僕のところまでそんなことが風の便りにしろ流れては来なかったのだ。久しぶりにご住職と会って、長っぱなしをしてしまった。今度また会って一献やろうというお誘いもいただいた。何せ住んでいるところが僕のところは、チョー辺鄙な場所で、電車もねーし、出かけるのが億劫でかなわん。帰ってきて牛山家の墓地に行き、頼まれた供養塔婆を建て廻向した。そのあと野良着に着替えて境内の建物の煤払いをした。本堂、鐘楼、山門、住居、庫裏、客殿、土蔵。書き出してひろってみると結構ある。陽が落ちるまでにスピードでやり終えた。これで煤払いは終了。一つ終わった。今日は午前中で不動護摩の次第が完成したので、これも一つやり遂げの満足。行藏院のご住職にもメールで送る。今日はこれを書いてこの後夕のお勤め。午後5時を少し回った。明王寺から冬至祭典の案内状くる。ここも毎年楽しみ。

2012年12月6日Thursday 晴れ
風強く吹く日。
雨は朝には止んだが風の強く吹く一日になった。雨がちょうど上がりかけたころからサルが吼え始めて、境内にも大挙してやってきたので、また濡れた体で本堂の周りに居られたらやだなと思い何度か閉めてしまおうかと迷った。猿はいつの間にか姿を消したが午後から風が強くなり、この時も閉めようかと思ったがまあいいやだった。夕のお勤めを終えて扉を閉めるとき気づいた。もう外のケヤキはほとんど葉が落ちてしまったので、強風に落ち葉が堂に舞い込むこともなかったのだ。次第作り。いよいよ最後が見えてきた。林憶蓮(サンディー・ラム)聴く。東京U氏より、奥様の三回忌の塔婆を上げていただきたい旨電話ある。塗装屋さんの仕事今日の午後終る。もう何日かかかるのかと思っていたら早かった。刷毛を使ってほんとにあっという間に塗っていってしまうのだ。やはり職人技を眺めていると実に爽やかで気持ちが清々とする。

2012年12月5日Wednesday 晴れ
選挙の人。
これと言って書くこともないのだが選挙が始まったので今日のこと。午後のことだ。たまたま辞める前の職場の後任から電話がかかってきていた。護摩次第を作成していたのだが一時中断して携帯でやり取りしている。立って窓の外を眺めながら話していると、寺の駐車場(広場)に人が集まりだした。少しすると選挙の遊説カーが入ってきた。GH氏の遊説隊である。そろいの赤のジャンパーを皆さん着ている。G氏は襷に鉢巻。マイクを持ってしゃべりだした。電話の向こうの女人にも「GHが今来てしゃべっている、聞こえるか?」と携帯を外に向けた。すると何を思ったか遊説隊の一人が僕を認めて手を振った。そして去り際のウグイス譲のひと言が有権者のハートをぐっと引き寄せる。「○○は農家の次男坊として生まれましたので皆さんの苦労はよく存じております」みたいな一言。彼のWebsite見たら、プロフィールの書き出しはこうだった「私は昭和32年7月22日、甲府市後屋町の農家の次男として生まれました」。特別に応援している人ということじゃありませんので、誤解なく。

2012年12月4日Tuesday 晴れ
寒い。
雨の朝になる。夕べは床に入ってから、軒下から這い上がってくるような冷たさを感じた。ベッドではない。晴れた日なら6時少し前まで月明かりがあるけど天候が悪ければいつまでも夜のままだ。
衆議院選挙が始まった。原発のことやそのほかにもいくらかは関心があるが、投票しなければいけないという気持ちは持てない。政治に関心がないわけではないが、誰かを撰ぶという行為にあまり興味がない。こういうことは他人にはあまりうまく説明ができない。感覚でわかってもらうしかないようなものだ。12党もが師走の街をこれからサルの群れのように咆哮しながら駆け抜けるのであろう。笹子トンネルの事故もあってますます関心は退いていく。民主党の幹事長もご当地にお帰りになり選挙応援するのであろう。タクラマカン砂漠から出土した太古のミイラが今の世に息吹き返したような干乾びた姿をさらしながら、八ヶ岳おろし強く吹く師走の甲府盆地の砂漠をよろよろと徘徊するのであろうか。適当に生き易いように世を渡ってきた人は、いつでもまた好きなように自分で砂漠への永い眠りを選択したらいい。
11時に隣りの日蓮宗のお寺へ葬儀の焼香に行く。焼香台に置かれた百歳の媼の顔写真を懐かしく眺めた。住む人のない家がまた生まれた。今日は猿が来ていて、威嚇の鉄砲の音も何度も聞こえたが寺には奴らやってこなかった。明日のことは分からんのだ。

2012年12月3日Monday 晴れ
落ち葉焚き。
午後から女房は落ち葉焚きをして焼き芋をした。焼き芋をすると隣の角屋のおばさんにも届けて食べてもらったのに、亡くなってしまったので、今日は東京から帰ってきている娘さんに届けた。焼き芋をする風景の中にあったものがコロンと剥げ落ちたようで初冬の夕暮れが一段と寂しい。参道入り口横のおばさんが亡くなった。新聞に99歳とあったから葬儀には百歳と記されるのかもしれない。施設に入っていたのでもう随分と会ってはいないのだが、これも一つ欠け落ちたようで寂しい。ここ数日猿が現れなくて生活が楽。ホントに「生活が楽」ってのは実感。パソコンで不動護摩私記を作っているのだが、やっと本尊段の終わりまできた。いくつもの次第書を開いたりしているのだが、やはり渡部俊現僧正の著したものが群を抜いて素晴らしい。じっくりと読みながら進めていると今の年齢になったからこそ分かるというようなことがたくさんある。僧になるための長い道のりがここにある。表白・神分は、自行用と祈願の護摩用と二通り作っておけば使い勝手がいいと思う。一つやりはじめたらなかなかほかに手が回らないので、これだけ何とか早く仕上げてしまいたいと思う。

2012年12月2日Sunday 晴れ
小笠原長清公顕彰会御一行来山。
宮中守護の功績により褒美として不動明王をいただいてきた加賀美次郎遠光の次男が小笠原長清である。本堂で不動明王を開帳して少しお話をさせていただく。今朝は冷えていたので10時過ぎとはいえ本堂内は寒い。一行に同行していた市の文化財担当のH氏と帰り際に話した。彼が僕に話してくれたのは多分このことだったのかなと今思い出して読み返してみた。「仏像事故考。」というのだが、あの時はなんだかやたらとマスコミに腹が立ってならなかった。大体僕は新聞なんてものもあんまり信用しちゃいない。だから僕からは取材に来てくれなんてことは絶対に頼まない。奴らを優位に立たせるなんて俺の恥だ。
太陽が顔を出さず、底冷えの一日だった。それでもこの時期は、田や畑に立つ煙が詩情があってとてもいい。落ち葉を堆肥にすべく袋詰めにしたりしているが、たまには落ち葉焚きしてゆっくりとのぼる煙をぼーっと見ているってのもいいもんだ。幸福実現党の宣伝カーが通った。日蓮宗僧侶による歳末の托鉢隊が団扇太鼓して通った。

2012年12月1日Saturday 晴れ
師走入り。
もうこれが最後の月。9時から原の秋葉社でお祭り。15分ほど法螺貝と読経。今年一年の無火災を感謝し、先の一年の再びの安全を祈る。クヌギ林の中の掘立小屋のような社を、細々と護ってくれている。冷たいお神酒を一杯いただいて帰る。親戚の結婚披露宴に行く。新郎のことをほとんど何も知らないのだが、薄くなりつつある母方の親せきという方々と会って酒を飲む。甲府盆地は八ヶ岳おろしなのか、風が逆巻く。冷たく厳しい師走の予感とでもいうか。テーブルの両隣りに座ったのがどちらも「タカシ」君で、麦焼酎の濃いめの水割りを料理と話しを肴にぐいぐいとやった。師走のことを少しずつ始めなければいけない。

2012年11月30日Friday 晴れ
霜月晦日。
夕べ雨が降ったので今朝はいつもより温く感じた。今日も一日猿はやってこなくて穏やかに過ぎた。片づけと掃除を怠けていたので朝から護摩壇と本堂の掃除をした。掃除し終わって、大晦日夜の初護摩と祈願札の案内を堂内の柱に張った。護摩壇を新たに荘厳した。日曜に拝観者がある。11月もこれで終わりになり、明日はもう12月だ。一年は終わりに来ると、いつも「早いなぁ」と思う。頭を刈って11月の己にサヨナラする。

2012年11月29日Thursday 晴れ
寒いので部屋に籠っている。
一度ストーブを点けてしまうともう手放せなくなってしまう。午前中はホントに寒くて冷える。護摩の次第作り。もうだいぶ紅葉も終わり頃になってきたが、午前中高齢者の方がお二人カメラ三脚を持って境内で撮影していた。きっとシーズン中はあちこちに出かけて撮っているのだろう。国道から眺めてちょっと寄ってみようということになったのかもしれない。今日も猿は現れなかった。
本山から封書が二通届いた。内訳は教師個人宛と宗務所長宛ということだが。内容は前の醍醐寺座主麻生大僧正が遷化なされたことによる葬儀を伝えるもの。葬儀の日時は今日(29日)午前10時。郵便屋さんから受け取ったのは正午近くだった。「ご参香賜りたく云々」と文面にはある。実は26日の夕方FAXでこのことは伝えられていた。早速役員と相談して前例もあるようなので、すぐに弔電を翌日配達として打った。山梨からはこのくらいしかできないし、まして京都へ出かけるまでは考えない。封書の刻印は京都中央局「12.11.26.18-24」となっているので、2012年11月26日18時から24時までの受付分ということになるのだろう。29日の今日届くのは遅いのか通常なのかわからないが、葬儀までの日程に余裕がないのならこういう郵便は省略してもいいのではないか。もしどうしても伝えたいのなら、FAXでこの書面内容をそのまま宗務所長宛に送り、「この内容を所下寺院に支給伝達願いたい」とでもしてくれたらいい。宗務所長あての封書の表書きは筆の手書きになっている。ちなみに教師宛(末寺院宛)はタックシールだ。経費の節減はこういう微々たる所から見直していかなければいけない。今朝の勤行で故人の冥福を祈ったことはここに書くまでもない。

2012年11月28日Wednesday 晴れ
護摩焚く。
お不動さんの日の護摩を午後から焚く。午前中はちょっと寒かったので次第作り。午後は風が吹いていたが幾分気温が上がった。今年は師走の納め不動に護摩を焚けるかもしれない。今日は猿が出なくてやっと静かな一日になった。年賀の欠礼状がぼちぼち届き始めている。僕の年代だと親を送るといった内容が多い。去年は年賀状を出す気分になれなくて自分の気持ちを欠礼状として書いて出したが、今年はまたいつもの年賀状に戻る。もみじの写真でも使うつもりだ。11月ももう終わるな。

2012年11月27日Tuesday 晴れ
晴れればあったかくて外に出たくなる。
猿たちを監視するにはこちらも外に居ればいいのだが、奴らの時間割に合わせてこちらが生活するわけにはいかない。晴れたので、昨日猿たちがさんざん雨宿りで遊びまわった本堂の階段や渡り廊下をモップで拭いた。モップからアンモニアの臭いがただよってくるのは猿のションベンのせいだ。臭いとか汚いなんて言ってられないのでやることはやる。この繰り返しを我慢して続けるしかない。早朝に集落の檀家に年末の護持会の通知を配り、10時半頃他村へ出すため郵便局に行く。娘の部屋にエアコン付けた。曙の星野君が仕事に来てくれて、猿の話をしたら、個体数を減らしていくしかないという。曙もまた猿、鹿の被害がすごい。野菜は作っても自分たちの口にはほとんど入らないという。それでも我慢して野菜を作り続けるという行為はなんだ。いつか猿がどこかに去ってくれるなんて奇跡のようなことが起こるのだろうか。裏山を歩く。風通し良く雑木を伐りたいと思いながら半分夢見るように歩くのだ。猿の来なかった時が懐かしい。ジェリー・ガルシア聴く。

2012年11月26日Monday
雨で寒い寒い。
凍えてしまいそうなくらい寒い。その雨の中を猿の群れはやってくる。本堂の軒下に雨宿りを決め込んでは回廊の欄干を歩き、賽銭箱に上がって、鰐口の紐をつかんで鳴らしたりする。小便もウンコも廊下にし放題だ。あまりにも酷すぎて昼過ぎに本堂を閉めた。
台所の居間にストーブを焚いて午前中は護持会の通知作り。吉祥寺の住職後継の件で本山に電話入れる。僕もそこまでは考えなかったのだが、後継となる者が大学在学中であることが住職資格を満たしていても気にかかるようで、後日返事をくれるということになった。社会的経済的に自立をするとか認知されているとかがやはり問題となってくるということなのだろうか。こっちは、就職して半僧半俗の身と成ると、簡単に休みが取れなかったりするのでできることなら早いうちにと考えていたのだが。

2012年11月25日Sunday 晴れ
法事あり。
週末にわかに少し忙しかったというか。佐田家の法事。50回忌の仏さんは昭和38年に亡くなっている。お嫁さんに佐田家の菩提寺は真言宗であることを今日の法事で直接伝え、「南無大師遍照金剛」も一緒にお唱えしていただいた。彼女の実家は日蓮宗ということだった。やっぱ日蓮宗多いわ。ここあたりじゃどう頑張って背伸びしても日蓮宗にはかなわない。ということで開き直ってわが道をゆくだけ。仏光堂の若林さんに来てもらって別の佐田家の位牌を頼む。80歳を超えてまだまだ元気に商売をしておられる、父の同級生。今日は昼頃からサルがやってきて暗くなり始めているのにまだうろうろとしている。生渇きの糞を夕のお勤めに本堂へと石畳渡るとき、スリッパで踏んでしまった。これが今日の締めくくりというお粗末。

2012年11月24日Saturday 晴れ
車の新車お祓い一件。
小林家の娘さんが車を買い替えてその交通安全の祈願と新車のお祓いをする。ここ数日欅の葉が大量に舞い落ち始めて本堂の回廊も落ち葉だらけになっていたので掃いてビニール袋に詰める。早川の久田子の畑の肥やしになる。今日は修験の衣体を付けてお祓いをした。今後もそうするつもり。檀家でなくても必ずお祓いをしてくれという人もいるし、檀家でも全く無関心の人もいる。まあお祓いはしなくても、交通安全ステッカーぐらいは「身延山」
のでなく、「大聖寺」のものにしてもらいたいものだ。切に。浅川マキなんぞ聴きながら護摩木作り。昼食後ちょっと町立図書館に出かける。保管期限の過ぎた雑誌を無料で放出するということだったので行ってみたが、今日はもう二日目でめぼしいものが亡くなっていたのか、女性の月刊誌くらいしかなかった。50円の文庫本を言い冊買ってきた。帰ってくるとお客さんで、昭島の中島さん親子。生憎女房も出かけてしまっていたので「待ちましたか?」と訊くと常套句の如く「今来たところです」との返事。お茶も出せずに、庫裏で息子さんが一宮の「吉祥寺」の住職となる手続きなどについてお話した。30分ほどであわただしく帰って行かれた。今日も何人かお参りや紅葉見物の人もある。ご朱印も一つあり。

2012年11月23日Friday くもり時々雨
勤労感謝の日、法事一件。
雨の予報だった気がするがほぼ一日傘は必要なしで時々雨が降る程度。寒い一日だったが冷たい雨の日にならずに良かった。遠藤家のお母さんの一周忌の法事が11時から。御斎の膳を頼む若大将では、店の方に法事が3件入っているとかでマスターも忙しそう。墓参も雨にならずに無事住む。終えて客殿の片づけ、女房は昼食の間の片づけ、僕はトイレ掃除まで続けてやってしまう。終えて炬燵に寝転んで少しうとうとする。誕生日の陽が特別な日ではなくいつもの生活と同じに過ぎてゆく。56歳になった。3時ごろから昨日の続きの護摩木作り。その間に、父が市川高校で3年間担任だったという女性3名が来寺。女房が案内して墓参していただく。62歳になったということだった。今夜クラス会でもあるような話だった。こうして思い出して訪ねてくれることをきっと父も喜んでいるに違いない。僕にとってもうれしい日になった。
いま紅葉真っ盛り。今年の紅葉はいいかもしれない。晴れではなかったけれど、境内を訪れる人たちもぽつぽつと居る。こんな寺を皆どんなふうに感じるのだろう。

2012年11月22日Thursday 晴れ
今日は外で一日。
猿の群れが今日はやってこなかった。奴らの動静でこちらの予定を立てるのではないし、そんなことはしたくもない。明日は雨になるかもしれないというので、明日法事もあるので、朝早くから墓地への参道を掃く。海老原カメラマン紅葉の撮影に来る。落ち葉を掃いて焚き火をしてから、畑のトマトやナスの支柱を外し、太い茎を剪定バサミで切る。ミニトマトは青くても酸味もなくちょっと硬いけど喉が渇いていたのでうまかった。畑に来週あたり管理機を掛けてきれいにしておきたいと思っている。行藏院のご住職からサンプルに貰ってきたヌルデの枝を持って裏山に入る。山の中より結局中沢川の奥にいくつもの大きな木を見つけた。2本ほど伐り持ち帰る。午後久しぶりに護摩木作りする。ヌルデはパチパチといい音をさせて燃えるのだとか。作業は日没になり明日以降に持ち越す。夕の勤行前に頭を刈る。ヌルデを使った護摩が楽しみ。

2012年11月21日Wednesday 晴れ
猿の出没が異常。
朝から吼える吼える。凄いもんだ。ギャッ!ギャッ!ギャッ!!グヮッ!グヮッ!グヮッ!!って叫びが上がると、慣れてはいるものの時々鳥肌が立ってくる。異様な雰囲気に境内が包まれて、日蝕の暗黒の闇が降ってくるんじゃないかという恐怖が襲ってきたりする。昨日今日の猿の出方は凄い。小さいのから大きいのまでおそらく30匹以上。もうとっくに日は落ちて午後6時にならんとするに、まだ本堂の裏で叫びが上がっているのだから。
今日は終日、不動護摩の私記作りする。今年中にできるか年をまたぐか。でも少しずつやっていきたい。

2012年11月20日Tuesday 晴れ
行藏院へ。
朝どりの椎茸となめこを手土産に甲府の行藏院まで。本当は行く予定だったお母様の一周忌に自坊の葬儀のために行けなかったので今日伺ってご回向させてもらってきた。一時間ほどお邪魔をさせてもらって失礼した。お香もたくさんいただいてしまった。ブックオフで一時間ほど漁る。浅田次郎の百均の本10冊仕入れる。これで年末年始いいかも。CD3枚買う。結局物欲にあふれている。帰ってきて、過去帖記載する。陽が当たって閉めきってあると部屋の中は夏のようだ。でも夕刻になってきて冷えてきた。お勤めにこれから。

2012年11月19日Monday 晴れ
猿が今日は朝からまたやってきたのだ。
礼節を重んじる猿なんて書いたのだが今朝はもう朝から咆哮が森の中にこだまして、里から威嚇用の鉄砲を打つ音が何度も聞こえた。客殿の屋根に伝って上がれなくなった猿たちは、どうしても寺の屋根に上がりたいのか、樋を伝って上がる。昼飯を食っていると、住居の樋を伝って下りる猿がこっちを見てびっくりしてあわてて降りるときに、樋の繋ぎ目を外してしまった。こっちは梯子を掛けて繋いで、割れてしまったところにテープを張ったりして応急処置だ。礼節を重んじる猿なんて阿保らしくて言えない。不動寺の叔父が忘れ物をして叔母と久しぶりにやってきたのだが、おばは「猿を実際に見たことないの、見たいわ」というのだが、冷たい風が落ち葉を巻き上げる午後、奴らは早々と杜に姿を消してしまっていた。
昨日葬儀の隣りは、今朝早くから、大豆の収穫と玉ねぎを植えたりと忙しく畑仕事に精を出していた。当主はまた明日から仕事なのだという。息子は筑波に住んでいると聞いていたが、スタッドレスにタイヤを交換してまた戻っていった。七七日忌を来月22日(土)にすることにした。やはりいつもあった風景が切り取られてしまった物足りなさがある。

2012年11月18日Sunday 晴れ
葬儀。
朝にはすっかり雨は上がっていた。庭に張られた葬儀関係のテントの間をぬって本堂に行く。星がくっきりときれいに輝いている。勤行を始めるがすぐに涙が流れてくる。2週間ほど前に本堂の階段脇に小菊の束を置いて行ってくれたおばさんが亡くなってしまったことを実感する。よい葬儀をして送ってあげなければならんという気持ちになる。出棺に立ち会う前に最後の諷誦文の手直しをする。正午から葬儀・告別式。不動寺の叔父と上求寺の貴永が手伝ってくれる。諷誦文を読む。自分で書いておきながらそれに泣けてきてしまうのだからどうしようもない。それでも「よかった」と感想を漏らしてくれる方が何人かあった。午後2時前からセレモニーホールへバスで移動して初七日法要と御斎。手短に法話して肩の荷降ろして酒をいただく。喪主も少し安堵の様子。「明日改めて寺に行くから」と山門で別れる。本当に寺と隣りが当家なのだ。今日も猿たちはやってきはしなかった。礼節を重んじる国のサルたちと思うことにする。

2012年11月17日Saturday
雨の通夜になる。
この秋こんなに寒い日はなかった。朝から雨で丸一日。土砂降り。ドヤ顔の土砂降り。葬儀の準備に来てくれた葬祭会社の職員は、テント張りから照明設営など外の準備で合羽は着ていたものの皆びしょ濡れ。今通夜が終わって午後8時を回ったところ。予報どおりに雨はもう間もなく止む気配だ。結局準備から通夜の始まりから終わりまでじゃんじゃん降っていたってこと。これもどうにもならない仕方のないことだ。午後4時前に納棺に行き、終えて公民館で食事。熱燗を少しいただいた、というより飲まなければ寒くて仕方がない。午後6時からの通夜は予定を15分繰り上げて読経に入った。弔問の出足も雨で早かったということだ。明日は晴れるというし、94歳の媼を送るにふさわしい一日になって欲しいと願っている。

2012年11月16日Friday 晴れ
サルも遠慮をしたのか。
ここ数日昨日まで朝から夕方まで、一日中騒いで好き勝手し放題だったサルの群れが、角屋のおばさんの急逝に遠慮したのか現れず、遠くからの咆哮すら聞こえてこなかった。こんなことはなんと理解したらよいのか?奴らにも情けみたいなものが備わっているのか?まさか!
日増しに寒い。5時前起床して朝の勤行。6時にちょうどに獣除け柵を開く。午前中は戒名を考え、その後諷誦文を書く。書くといってもパソコンだ。5年半前に亡くなった檀那さんのものを参考にする。諷誦文を仕上げ、最後に業者から届けてもらった塔婆・位牌を書く。これでほぼよし。
夕方、「おばさんの猫がここにきてるよ」という。庫裏の玄関の脇に、おばさんの愛猫の「満天」「太陽」のどちらかはわかんのだけど、所在無げにうろうろとした姿があった。もうおばさんに付かず離れず二匹が畑への行き帰り添うことはない。猫の気持ちになりたいと思った。

2012年11月15日Thursday 晴れ
94歳嫗逝く。
獣防止柵の扉の開閉当番が今日と明日。お勤め済ませて6時に開けに行く。まだ薄暗い。さむい。野外に停めてある車は霜で真っ白だ。冷たい風が吹く。朝からずっと猿がきている。時々どうにも我慢ならなくなって外に出て森の際まで走って小石を投げる。慌てる様子もなくゆったりとやつらは杉の高木に登ったり、繁みに入り身を隠す。僕が戻るとまたしばらくすれば、その姿は堂々と本堂の前にあったりする。どうにもならん。どうにもならん寺の紅葉の午後、隣りから「おかあちゃんが急に逝ってしまって、こっちもまだ実感がわかん」と嫗の死が知らされた。「角屋のおばさん」。11月20日生まれでもう間もなく94歳を迎えるところだった。この春に仕事を辞めてから、いつもおばさんの姿を見ていて、どうも最近は、恍惚然としている様子が気になっていた。近いかもしれないなと想っていたが、季節が冷たくなってきて、とうとう枯れ枝が或る日自らぽきんと折れて地に倒れるように亡くなってしまった。夕方枕経に行く。野良着から素敵な着物に着替えていた。よい葬儀をして送りたいと思う。

2012年11月14日Wednesday 晴れ
木枯らし。
今日も気温上らず。朝からサルの群れ一日境内にとどまる。客殿の屋根にサルの姿を見ないことだけがうれしい。4時過ぎに起きて「神の火」をどうしても読みたくて1時間読みその後朝の勤行。まだ暗い5時過ぎにも森の中に潜む猿のギャーギャーと喚きが聞こえる。どうにもならん。午前午後と本読んで、村薫「神の火」読了。どうやら氏の文庫本はこれで読みつくしたようだ。文庫化に際し大幅に加筆修正して出すということが多いようなので、この人のは単行本を読んだことはない。確かに分厚い本を手にしながら読むのはいささかつらい。今手元にある未読の本は尽きた。図書館から借りてくるか、amazonかブックオフからでも仕入れるか。でも少しじっくりとやりたいこともいくつかあるし、もう半月したら師走だ。やらなくてはいけないことが多々出てくる。読書はちょっとお休みになるのかもしれない。
昼食後1時間ほど本堂に入り祈願する。時間を気にせずともよいので、最後に神祇講式も久しぶりに読む。これもまた少しずつ曜日を決めてでも読んでいけたらなと思う。午後からしばらく木枯らし吹く。毎日落葉していく。

2012年11月13日Tuesday 晴れ
定期受診。
先週の火曜だったが後から予定ができて一週間延期してもらった。火曜は比較的空いているのだと思っていたが、今日はいつもより遅い時間の変更予約になっていたこともあるのか時期的なものもあるのか。インフルエンザの予防接種の子供や高齢者もだいぶいたようだ。二か月に一度なので次回は年明け。血液検査もしたのだが、医者は「まあまあいいでしょう」ぐらいなものだった。
午前中早い時間に駐車場脇の側溝の泥あげをする。今年は何回かやったのできれいだ。それから台所外に置いた椎茸のほだ木を並べ替えた。枕に使っていた古いなめこの木から今年はなめこがたくさん出てきてしまったので使っていた4本を別に並べ替えた。外のトイレ掃除もする。11時の鐘を撞いて家に戻り散髪した。今日は薄日で風も出て寒かった。

2012年11月12日Monday 晴れ
今日は暖かだった。
日中気温が上がった。朝も雨上がりで空気はいつもより暖かく感じた。なめこも椎茸もまた大きくなった。猿に採られないように用心しながら椎茸は育てて収穫している。我が家のキノコというのがいい。今朝採ったなめこは傘の表面のぬめりが光っていてとてもうまそう。午前中読書。午後母の入所施設に利用料の支払いと面会に行く。至って元気。だいぶ生活も慣れてきたようで昼過ぎのホールで皆で歌を歌っていた。昨日散髪してもらったそうで小ざっぱりともしていたし、本人から帰宅云々という言葉はもう出てはこなかった。施設の大きな窓からは遠く南アルプスの山並みが見える。もうすでに雪を冠ったりもしている。眺めはいい。施設内はクラスに快適な温度に保たれている。このままで穏やかに日々過ごせていけるのが一番いいんじゃないかと思う。

2012年11月11日Sunday くもり
寿司を食う。
雨が降ってきそうだったが、二人とも行ってもよいというので出かけた。清水の港へ寿司を食いに行ってきた。途中宍原から新清水ICに入り、清水SAでトイレ休憩と買い物。天候が悪いからか大分空いていた。ジャンクションを経由して東名の清水ICで下りて「清水すし横丁」で寿司を食う。いつもの回転ずしなんかよりもずっと大きなネタの寿司を堪能した。雨の降りはじめた清水の海を眺めながらのんびりと52号線を帰ってきた。たまにはいい。「神の火」上巻をやっと読み終える。下巻に入る。雨が降って椎茸もなめこもたくさん出た。

2012年11月10日Saturday 晴れ
鼻水。
いよいよ朝がつらくなってきて本堂も冷え切っている。勤行を始めると必ず途中で鼻水が流れ落ちてくる。BOXティッシュを経机の傍らに置いておかなければ、「ない」時には袖でふき取るかして凌ぐしかない。まあティッシュは大体常備してあるのだが。今朝はいつもよりひどかった。4連発のくしゃみが三度ほど出た。濱水が垂れてくるので鼻をかむ。粗品で貰ったティッシュは勢いよくかむと破れてしまう。左の掌に水っ洟がつく。ふき取る。理趣経を再開する。また鼻水が出る。かむ。という繰り返しを五度ほどした。今朝は外も少し風があってずいぶんと寒かった。でもここ数日で大分紅葉も進んでいるようだ。
母子は午前中遅くに甲府へ出かける。臨時職員を2年間継続中の娘が来春から新たな職場に正式採用となり、今日は午後からそこの採用職員の打ち合わせ会のようなものがあるということだ。まあこれでこちらも少しほっとしている。夕のお勤めに背中を寒さが這い上がってくるように感じた。冷えてくるかも今夜。

2012年11月9日Friday 晴れ
観音経。
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさふもんぼんだいにじゅうご)というのが、所謂観音経のタイトルである。で、この観音経を毎日夕の勤行で読んでいる。終盤の「世尊妙相具」からの偈文は暗記して毎日朝の客殿で読んでいるのだが、前段はほとんど読む機会もなくすっかり忘れてしまっていた。それでも読む機会に遭遇したら経本見れば読めるだろうぐらいに思っていたのだがそれが何と、全然読めずに字を追っていくことすら危なかった。いささか自分自身ショックでこれではいかんと読み始めている。だいぶ勘が戻ってきて、最近はあまり閊えることもなくなんとかいけるようになってきた。※つかえるという字は「閊」。こんな字だったのか、知らなかった!日々の繰り返しの中で焦らずにゆっくりとまた読めるようになっていけばいいのだが、これからは手放さないように法事の折にも観音経を読むということをしていこうと思っている。

2012年11月8日Thursday 晴れ
映画見る。
といっても、今朝未明にWOWOWで録った「レディ・ジョーカー」を午前中見たってこと。ちょうど原作を読み終えたところにタイミングよく映画があった。村薫の原作の映画化。ただ、文庫本三冊1500ページを超える長編大作には到底及ぶべくもない、いわゆるこれは別物の映画という代物だった。まあそれでも久しぶりにじっくりと映画というものを見た。長い時間画面を見るという静かな行為が大分苦手になってきている。午前5時に起床して本堂に渡るときに見えるのは、西の山の彼方に落ちんとするオリオン座と、富士川を挟んだ醍醐山の上空東の空の金星。まさにキラ星の世界。本堂を開けると、ちょうど新聞を配る大征くんの自転車がライト光らせて参道を走ってくるところだった。
午前中映画の後、外に出てフジザクラの挿し木した苗を畑で大きくしていたのだけれど、いいかなぁと、本堂の南側に4本移植した。それから、鹿に食べられて短くなってしまったけれど生きているサクラの苗を掘って、資料館北側の畑の隅に三本移動した。そして今年挿し木したフジザクラの苗をプランターから抜いて畑に移植した。暖かい昼近くでTシャツ1枚で作業した。午後は雑木の片づけと焼却。まあまあ充実した一日。

2012年11月7日Wednesday 晴れ
祈願。
篤信の信者さんのところから工事安全の祈願の依頼がある。お札を書いて祈願をして会社へ送ると、工事現場の事務所なんかへ貼っておくのだという。朝、行藏院・玄法院へ法事の次第と衣体の連絡など送信する。お二人からはそれぞれに受け取りの返信があった。便利な時代になった。
ブルーレイの予約録画に不具合があり買った電気屋さんに来てなおしていただいた。やっぱりその筋の専門家にはかなわない。マニュアル見ても僕にはどうにもわからないところが出てきてしまう。法事の塔婆も書く。今日は何とかこれで一日持った。本ばかりを一日読むとどうも首の後ろが凝り固まって痛みを持つ。

2012年11月6日Tuesday くもり
お不動様お開帳する。
午前5時には雨は降っていない。夜の間に少し降ったようで石畳が少し濡れていた。雨になるという予報なのであたたかく感じる。こういう日はお勤めするのも何かほっとする。本堂・客殿とお勤めをして終わると午前6時。客殿に戻るときに雨が落ち始めていた。雨が降ればナメコが膨らむと期待していたがそのとおり。去年の春のほだ木以外にも、何本かナメコが出ていたので驚いた。ナメコには猿が興味ないということは奇跡のように感じてしまう。夜たっぷりとナメコの味噌汁を堪能した。
午後3時半過ぎに隣町の六郷地区から、退職教員の会なのだろう20人ほど来山。お不動様をお開帳する。近くであっても普段の交流がないので、ここに不動明王が座っているということを知らない人が多い。こんなものかなぁと思う。変化に乏しい毎日なのでこういうお客さんが来てくれるのはありがたい。浅田次郎「薔薇盗人」読み終え、村薫「神の火」に入る。

2012年11月5日Monday くもり
陽の出たのはほんの1時間か2時間だ。
寒い一日になった。雨が落ちてくれたらナメコガもう少し膨らんでくれるのだが。今日は珍しく猿の叫びも聞こえず姿を見ることもなかった。たまには平穏な時間を里人にも与えてほしい。昨日甲府の河川敷で暴力団員が狙撃された事件があったが、猿を追い払うためにここでも威嚇用の鉄砲の音がしょっちゅう鳴り響いている。暴力団の抗争が沈静化しなければ祭りにテキヤはもはや山梨ではもう姿を消してしまうということにもなりかねない。まったく自業自得とはまさにこのことだ。中国の万里の長城付近で観光客が遭難したニュースが伝えられたが、52年ぶりの大雪に見舞われているのだとか。映像を見るだけでも震えがきそうだ。新聞の秋の観光情報が掲載されていて、清水港で新鮮な寿司を食べ放題などというものがあった。眺めながら「あー食ってみてぇな」と思う。

2012年11月4日Sunday 晴れ
法事あり。
今朝甲府では初氷だったとか。いよいよ寒い。10時半から若尾家の13回忌の法事。うちの寺は若尾と佐田が檀家の柱となっている。ストーブを用意した。法事の時間まで本堂と護摩壇の掃除、仏器を洗ったり。昼近くになり風もなく暖かくなって墓参もできてよかった。「昨日掃除に来たのにもう猿の糞がある」と施主の奥さんの声。こちらの言うことに耳を貸さないのが猿だ。下部ホテルでの御斎にもよんでいただいた。下部ホテルを使うのは、ここで昼食を摂って東京方面に帰る人たちはここから電車に乗れるということ、それから温泉に浸かっていくことが楽しみなんだとか。日曜のホテルは法事が何組もあった。会食の途中で、故人の娘さんやお孫さんたちに指名がいくと、みなさんおとうさん・おじいちゃんとの思い出話をそれぞれ熱心に話してくれた。懐かしくも清く正しい法事の在り方を見させてもらったような清々しい気分になった。紅葉の始まったホテルでゆっくりと燗酒をいただいた。

2012年11月3日Saturday 晴れ
病気平癒の祈願護摩。
永くお不動様の信者でいる方から、2歳のお孫さんが手術をするので安全に手術成功し、元気に退院できるよう祈願してくれと頼まれた。ご家族でお見えになって10時から本堂で護摩を焚いて祈願した。あらかじめお布施もいただいてはいたのだが、今日はまた曾祖母になる方からも過分なお布施を頂戴した。父が健在の時からの信者のご一家で、毎年新年のお札、祭典のお札なども申し込んでいただいている。建設業を営んでおられるので、こちらもそれなりの御祈願など年間通して行っている。檀家の少ない寺ではこのような信者の方があることがとても張り合いになる。しっかりとお不動様にお仕えしようとか、よい護摩を焚こうとかいう気持ちになる。
午前中8時前から八幡神社との境の環境整備を氏子総代の方々とする。チェンソーがあったので雑木の伐り倒しははかどった。僕も10時まで手伝い、ちょうど正午前に終了した。午後、庫裏の裏側の片づけなどしながら火の始末などする。明るくきれいになった。神社の鎮守もきっと喜んでいると思う。拍掌して感謝を申し上げた。

2012年11月2日Friday 晴れ
一日外で作業。
寒いなんていってられないので早くから作業。先ず、猿から椎茸のほだ木を護るために、台所の外に一輪車で運んで移動する。ここが絶対に安全な場所であるわけはないが、監視しやすいということぐらいだ。まだ小さなものが出ているので期待したい。午後妹が来たが、内船でも猿が出て、椎茸は全部採られてしまったそうだ。みな猿害にはうなだれているほかないのか。本も少し読む。浅田次郎の短編集を昨日の午後から読み始めた。今朝は3時半に起きて少し読んで5時からお勤めだった。午前中檀家の佐田さんが新米がとれたからと寺に施していただいた。ありがたい。亡き父と同い年で誕生日もそんなに違わないこの方は至極元気だ。午前の遅い時間と午後一杯を外で作業した。八幡神社との境に雑木が夥しい。特に樫木が困る。葉も硬くて溝が詰まったり。明日、氏子総代の方が伐ってくれるということだが、僕も自分でできる分はと午後がんばった。暗くなり始めて気がついたらもう5時になった。よい汗をかき、快い肉体の疲れを感じている。

2012年11月1日Thursday 晴れ
霜月朔。
午後から少し強い風が吹いた。村薫「レディ・ジョーカー」読了。大変にボリュームのある作品でした。読後も大満足。午前中の早い時間に読み終え、発売になった年賀状を飯富郵便局へ買いに行く。予約してあった年賀状他にもいろんな景品(食塩の袋もあり)を戴く。それからコメリでFAX用紙、修正ボールペン買う。河内でワンカップ2本買い命日の父の墓に供える。今月僕も56歳になる。法話を考えているがなかなか進まない。行き当たりばったりに話ができないのが弱いところだ。午後猿が来る。椎茸を女房が「猿が来てるから採った方がいいね」と、容器を持って採りに行ったらすでに猿の勝ちだった。明日ほだ木を護るための何か策を考えなくてはならん。

2012年10月31日Wednesday 晴れ
10月晦日。 気温が上がってくるのが11時近くになってからで、午後3時頃にはもう陽が山に隠れてしまうとぐっと冷えてくる。10時過ぎに天野さん夫婦と御主人の妹さん墓参に来る。お母さんの命日にあたる。椎茸と豆腐をいただいた。墓から戻ってくるのを待ってお茶を入れ少し話をした。醍醐寺や高野山へも団参してみたいとのことだったが、また檀家の皆さんにも話をしてみて、機が熟したらという程度にとどめた。正午からの友人Wのお父さんの葬儀に行く。会場に着いたのは12時10分頃だったが、葬儀会場に焼香者の列はなく喪主にゆっくりとあいさつをして焼香した。葬儀への参列も少しずつ変わっていくようだ。平日の葬儀であっても以前なら、親しければ通夜にも葬儀にもいくというのが当たり前だったが、今は平日の葬儀なら通夜に行き香典も済ませてしまうということが多くなってきた。僧侶として葬儀に行っても、司会の方が「夕べの通夜に大勢お出でになっていましたので、今日はそんなに多くはないと思います」なんて助言してくれたりもする。通夜を止めて、夜葬儀をするなんてことに変化してくるかもしれないな。

2012年10月30日Tuesday 晴れ
満月。 今朝の新聞で小中と同級生だったWのお父さんが亡くなったことを知った。お母さんは3年ほど前に亡くなっていたか?高校は別になったけど、時々は会っていたし仲が良かった。10数年前には消防団の分団長を同じときにしたので、本団の会議では会って酒も飲んだ。彼には二人の息子がいて、僕の家の子供とちょうど同い年だ。でも離婚してしまったので、今はお父さんと二人暮らしだったのだと思う。これで奴も一人になってしまうのか。周りに何人か一人暮らしがいる。一人になったとたんに元気がなくなる。掛ける言葉をさがしても適当な言葉が見つからない。明日の葬儀に参列するつもり。黙って焼香して目でものいうしかないのかもしれない。今日も読書。レディ・ジョーカー下巻に入った。それから11月の法事の準備で、次第を考えたり、法話をどうしようかと考えたり。進みそうで進まなかったり。昼過ぎにやっと暖かくなってきたので、外に出て丸太に切ってあった桜の太いのを置台にしてみようかと庭に運んできたり。今夜はFULL MOON。

2012年10月29日Monday 晴れ
読書。 秋は読書。こんなにのんびりと本を読める日々が来るなんてあまり想像できなかったな。合間に外に出て作業。午前中いい汗をかいた。午後メダカの甕や鉢、水槽の掃除と水替え。そろそろ全体に動きが鈍くなってきて餌にもあまり関心を示さなくなってきた。寒くなれば温かい場所で飼育するってわけにはいかないので、静かに冬を越せるものだけが来年の春を迎えるということになる。年内中にもう少し大きく育てたいとは思うのだが。
隣り町の町長選は現職が9選を果たした。この国で一番人口の少ない町(10月1日現在:1230人)は合併をしないということを決めた町でもある。早川町は水も豊富だし自然も豊かだ。何より大瀧のお不動様を僕は護っていかなければならない。

2012年10月29日Monday
寒い。 駆け足の速度も上がったように寒さが増した。一日雨。寒くて毛布に包まったりしながら本を読む。先週護摩を焚き、今日は神無月の不動縁日だったが護摩は焚かずにおいた。お不動様の信者さんからお孫さんの健康のために祈願して欲しいと手紙をもらい、11月3日に来山するということなので、その日の午前中に護摩を焚こうと思う。10月ももう終わりで、今年も残りふた月になる。寒さもいよいよ増してくるな。ストーブも欲しくなる。雨の一日はなんだか物寂しい。隣町じゃ町長選挙の当日。一騎打ちの結果は午後9時を回れば否応なくわかってしまうのだな。

2012年10月27日Saturday 晴れ
夕べは甲府で。 醍醐の代議員会とか役員会とか適当なこと称して、結局は飲み会なんですが。僕と行藏院のご住職の恵印灌頂の成満もあったりで飲もうと。帰りを気にせずに飲もうと、甲府駅北口すぐのホテルニューステーションに泊まった。一泊5000円なら手ごろ。北口のタクシー乗り場で待ち合わせて、酒折にある薬膳家庭料理の店「静歌」へ。ここの店主が醍醐のファンだということを聞いていたし、もんじゃを食べさせる店でもあるということだった。メンバーは6人。来年恵印の伝法灌頂入りを目指す玄法院の若さんに今年の様子などを伝えながら飲む。食べる。もんじゃ焼きなど初めてで、テレビで芸能人が食べるのは見たことがあったが、実際にもんじゃのへらを使って食べるのは、ちょっと僕には難しいというか、うまく貼りついてくれないので食べるのがもどかしかった。店主は醍醐のファンというよりも、かつて松鶴院の先代のご老僧に祈祷をしてもらったことがあったのだそうだ。楽しい夜を過ごした。帰りに甲府駅北口の近くの蕎麦屋でもう一度飲んでホテルに戻った。戻るときコンビニで部屋で飲もうと発泡酒を買ったのだが、おそらくもう満腹状態で、一口飲んだだけの缶が朝に残っていた。家には9時過ぎに帰ってきて、昨日の森林組合の作業の後を確認した。女房曰く、今朝も猿が来て屋根を歩いたよということだったが、桜の木の枝から客殿屋根には渡れなかったのは、猿めらもびっくりしたことだろう。

2012年10月26日Friday 晴れ
雑感。 石原慎太郎、昭和7年生まれの80歳。勝手に昨日都知事を辞めてしまい国政に再び打って出るという。しかも新党を作って刷新を図るという。寝耳に水で、いきなり布団を剥がれて早朝の野っぱらに放り出された都民の戸惑いを夕べテレビは伝えていたが、この人のやることはいつだってそうだから僕はさして驚きもしなかったが、80という年齢を世間に照らし合わせてみたりすると、この人の貪欲さというか、生きること、自分の突き進みたい道にかける情熱のは、迂闊には近づけないってな気がしたことも確かだ。橋下にしろ、石原にしろ、この混沌と疲弊に覆われた列島に息づきながら、黒い塊を増殖させながら蝕んでいく一角獣のような不気味さだけが脳裏に強く印象付けられてしまう。ただ、こういう個性的な輩は、近くもあり遠くもありというようなものだろうから、大同団結するまでにはいたらないだろうし、その先の政権を掌握するということまでにはならんのじゃないかとは思うが、奴らこそ、震災を食い物にしながら巨大化せんとする化け物で一番の危険分子なはずだ。僕は僕の立ち位置だけしっかりと見定めておけばいい。

2012年10月25日Thursday 晴れ
運転免許証を更新する。 明日行こうと思っていたのだが、猿が屋根に飛び移る桜を伐ってくれと森林組合に頼んであって、明日来てくれるということなので予定を変更した。夕べ早く寝てしまったので3時半過ぎに起きて5時まで本を読む。朝食を摂って8時半の受け付けに間に合うように出かけ、優良運転手とのことで9時から30分の講習を聴いて新しい免許証を貰っておしまい。平日は400人くらい、日曜は700から800人が来るということだった。5月だったか一度免許証を紛失して再交付してもらったので、免許更新の案内が届いたのにあまりピンとこなかった。これで5年間はいい。次は60になっているのだな。遠いようで近いところにあるのか。「レデ・ジョーカー(中)」に入る。読書の合間に午後外で作業。庫裏の玄関脇のカンナを刈る。本堂脇の桔梗を刈る。落ち葉掃きも始まるのだなぁ。

2012年10月24日Wednesday 晴れ
特筆すべきこと何もなし。 昨日とうって変わって上天気。一日本を読む。合間に外に出る。空を仰ぐ。秋の樹木を眺める。ニシキギが大分いい。ツワブキの花も間もなく開きそう。メダカも今日はよく動いた。観音経をゆっくりと確かめながら読む。
袴田事件を取り上げた「肉声〜封印46年 袴田事件と供述テープ〜」をビデオに録ったので見る。僕は冤罪だと思っているのだが、事件は紛れもなくあった事実であることは確かで、そこには確かにその放火殺人を引き起こした犯人が存在するということになる。ただ、犯人を仕上げるために警察が相当強引な引き出し方をしたということだけは感じてしまう。

2012年10月23日Tuesday くもり
よく雨が降った。 午後2時頃までよく雨が降った。朝の勤行で今日、発心をして大きな挑戦をする知り合いのために祈った。大変に厳しいのかもしれないが。村薫「レディ・ジョーカー」読み始める。文庫で500ページ平均の上中下巻。相当の読みごたえがありそうだが、200ページ読んで引き込まれる。読書の合間に雨どいの状況などを見る。一か所雨樋の詰まりを見つけ、雨の中だったがどうにも放っておけなくて梯子を掛けて詰まりを取り除く。作務衣は雨でびしょ濡れになったけどこれで本読みにまた専念。午後雨が上がった後、昨年の春稙菌したほだ木に大きな椎茸を発見。収穫後、挿し木のアジサイとツツジを5本地に下ろす。しっかりと根付いてくれるといいが。

2012年10月22日Monday 晴れ
掃除、読書など。 本堂の掃除。午後風が少し強い。これから少しずつ木枯らしの季節になっていく。浅田次郎「見知らぬ妻へ」読了。ホントに短編の天才かもしれないこの人。女房午後炬燵たてる。朝方気温が急激に下がっているくるのだろうか、メダカがここ数日で何匹か死んでいる。撒き餌にもだんだん興味がなくなっているようだ。日当たりのいい気温が上がっている時間は泳ぎが活発になるが、やはり泳ぎも鈍くなってきている。
観音経を偈文だけ唱えることが多いので、前々回本山に上がった時の朝のお勤めに、理趣経ではなく観音経を読み始めたので、ついていけずに恥ずかしい思いをした。悔しかったので、先週から夕方観音経を全文読み始めた。少しずつ思い出せ始めた。もうしばらく読誦修行します。

2012年10月21日Sunday 晴れ
秋の神社祭典。 収穫の喜びを分かち合うということの趣は今ないのだろうけど、同じ地域に暮らす者らが一堂に会して午後のひと時を楽しむという行事、これは貴重だ。1時半からの区民ふれあい祭り。日陰に入らなければ結構痛いような暑さで、輪投げなどに興じ、最後はブルーシートに各戸が一品を持ちより懇親会。雲一つない高い空の下で僕は焼酎を何杯もおかわりした。週末よく飲んだ。エトランゼのような浮き身だけれども、この場所が好きだ。できればここに居ながら最期を迎えられたらと今日また強く思ったのだ。

2012年10月20日Saturday 晴れ
護摩を焚く。 八幡神社の秋の祭典の準備当番で、幟の竿の運びだけ手伝う。いつも当番の時は女房が掃除方で出てくれているので今日もお願いした。で僕は緑のカーテンの撤去。今年は僕らの部屋の前にも作ったので2か所。密度の濃い緑のカーテンにはならなかったが、まあこれでいいとする。肥料とかにあまり金かけるのは馬鹿馬鹿しいと思っているので。その後、娘が休日出勤していった「JAこま野」の農業まつりを見に行く。たくさんの出店がありとても賑やかだった。娘にも会えたが長谷寺の小暮さんにも会えて少し話ができた。午後帰って本堂で護摩の準備をし、4時前から護摩を焚き病気平癒の祈願をした。下部温泉に宿泊されている方が電話をかけてきて、「友人が癌なのだけれど、できるだけ長生きできるように護摩を焚いてくれないか」ということだった。恵印の護摩を修した。忘れないように一度焚いてみようと思っていたのでタイミングが良かったと言っては怒られるかもしれないけど、散念誦は短くしたので1時間ちょっとで終わった。護摩に参座する方もこのくらいの時間がいいのではないかと思う。来週の金曜日、山梨醍醐の宗務所役員会をすることになり北口のビジネスホテルを予約した。電車で行くとゆっくりできないので泊まりで行くことにした。

2012年10月19日Friday 晴れ 夕べは公会堂へ八幡神社祭典の花づくりの手伝いに行って、終ってから短い時間だが同志会の人たちと飲んだ。集落の祭事を少ない会員が助け合いながら続けていっている。僕もここに居る間はできるだけ力になりたいと思う。
気温が上昇し、網戸洗いには絶好の日和になった。とにかく網戸がたくさんある。ジェット洗浄機で汚れを吹き飛ばして、太陽の日に当てて乾かして土蔵と、客殿の隅に分けてしまった。GRATEFUL DEAD大ボリュームで秋空に流した。夏を一つ片づけた。午後読書。梁石日「魂の流れゆく果て」読了。昨日amazonで検索したら、「李良枝(イ・ヤンジ)全集」が3500円で出ていたので、これは何としても手に入れなければならんと早速購入した。実は梁石日読みながら、全部読めていなかった李良枝全集を図書館からまた借りようかと思っていたので。古本でしか手に入らないし、図書館で借りた時にamazonで検索したら7000円近くしていてちょっと二の足を踏んでいたのだ。欲しい本はやはり手元に置きたい。

2012年10月18日Thursday
今日も寒い。 昨日に引き続き雨。夕べ同志会長から、八幡神社祭典の花用の竹ひごが少ないという電話をもらったので、お勤めの後小雨だったので竹を2本採ってきて、客殿の軒下で午前中割って250本ほど作った。三上寛と朴保を聴いた。竹を片付けてから客殿と庫裏の網戸を取り外した。天候が悪いので晴れたら網戸洗いをする。午後は読書。寒いので毛布にくるまって読む。浅田次郎「地下鉄(メトロ)に乗って」読了。梁石日「魂の流れゆく果て」読み始める。運転免許更新の案内くる。春に免許証を紛失再発行を受けたので、あまり実感がわかない。なるべく早めにいくことにしよう。

2012年10月17日Wednesday くもり
一転寒い。 天気予報通りに午後2時半ごろから雨になった。今朝も寒かったし、夏支度のままの台所の居間にホットカーペットを敷いた。冷えて何とも体が縮こまる。千葉の智山派の僧籍を持つ方から「修験伝法教校」の問い合わせメールが入った。たまたま僕の日記を読んだらしい。少し詳細に内容などをお伝えしたが、当山派修験籍もしくは醍醐派の僧籍を得ないと入れないのではないだろうかと思う。月曜は京都からの荷物が届いてそれを片付けたり、昨日は葬儀の助法だったりしたので、今日は天候も悪かったので読書。それから郵便局へ年賀状の事前予約に入ってくる。ボブ・ディラン聴く。勤行は七壇法の加行中の時に課したものを今後もできるだけ継続していくつもり。忘れないように、理智不二禮讃、本山の朝勤行の次第などを続けていくこと。時間のたっぷりある毎日になる。

2012年10月16日Tuesday 晴れ
葬儀の手伝いに。 甲府の行藏院の葬儀の助法に行く。お呼びいただいてありがたいことである。5月の連休中にうちの寺の葬儀があって以来、他からの助法のお呼びもなかったので、約5か月ぶりの葬儀であった。というくらい寺としてはあまりにも薄っぺらなのである。10月も半ばを過ぎたというのに暑さを感じる。10月は衣替えなのだが、今冬の衣なんか着けたら暑くてかなわん。特にホール葬になってからは一年中快適温度に保たれているので、一年中夏衣で通していいくらいだ。普段は独行で葬儀をしているとのことだったが、喪主が助法の僧を望んだとのことだった。最近の葬儀は葬儀会場の入り口に生前の故人の愛用品や写真、賞状などが飾られていることが多い。今日の故人もゴルフ道具だとか深く嗜好していたコーヒーを淹れるための用具が置かれていた。久しぶりに四智梵語を唱え鉢を打った。ぜひまたご一緒させていただきたいとひそかに願っている。

2012年10月15日Monday 晴れ
修験伝法教校・恵印灌頂終る。 修験伝法教校・恵印灌頂を受けて戻った。よく座った。両膝は今もしびれたような痛みが残っている。今回は初級が6人、中級が5人、上級が3人受講し、修験の得度だけを受けに来た人が他に5人いた。初日の夜日程説明などがあり、携帯電話と財布は没収となった。これでシャバとの縁は切れた。昨日帰るまで世間に何が起きているやら何もわからなかった。木曜・金曜の二日間僕たち上級受講者は、行者堂で恵印七壇法をすべて修した。すなわち、辨財尊天法、深砂大王法、金剛童子法、愛染明王法、不動明王法、龍樹菩薩法、大日如来法の七法。最後の護摩の修法はなかった。実はこの最後の教校では加行の報告として護摩を修法するものと思い込んでいたので、まさかすべての法を修すとは予測していなかったのでいささか戸惑いもあったのだが、これも本山側の指示なのだから仕方がない。上級は僕と行藏院ご住職、それに埼玉県から来られた女性の方であった。この方は、本山で護摩を焚けるものと楽しみにしていたようであったので少々残念そうだった。この二日間には他に、醍醐寺座主直々の柴燈護摩の伝授もあった。金曜の午前2時に起床してまず丁子湯で沐浴し、不動堂前の閼伽水を汲みに行き、夕刻までの一日の恵印灌頂に入った。初級の滅罪灌頂、中級の覚悟灌頂、上級の伝法灌頂と進むのだが、僕はすべての灌頂に入らせてもらった。この灌頂の間待機する部屋で正座してそれぞれの真言を唱えているのである。午前中は3時間半ほど、午後が2時間ほどであったか。自分の灌頂が終わってもそれで解放されるわけではなく、すべての受者の灌頂が終わるまで共にするということである。灌頂の内容は秘密なので語ることはできないのだが、今回は全員無事にそれぞれの灌頂を受けることができ、最後に不動堂前の道場で宗務総長大祇師による柴燈護摩を修して終えた。僕と行藏院ご住職以外は皆さん在家の方であり、青森から来られた神主さん、教員、整体師、サラリーマンなど色々であったし、年齢もバラバラ。受講動機も、修験ていいですよねーみたいなのから、亡くなった御主人の遺志を継いだという方もおられた。上級を無事に終えて最後の伝法灌頂に入るのは、やはり厳しい行を積まなければならない。僕などは寺も加行壇も日常にあるが、在家の方々は師の寺で行をさせてもらうとか、自宅で簡易的な壇を設けて実修していかなければならないのだが、とても清冽で厳かな雰囲気の中で恵印灌頂を受けられたことを素直にうれしく思えた。下級の方々にもぜひ挫けずに上級まで受講して灌頂にまで至ってほしいと思う。昨日の朝は作務を済ませて閉校式となり、満行之証をいただいた。満行之証は大したことはないのだが、それぞれの灌頂壇で戴くものにすべての意味と重みがあるのだが。京都駅ビルの地下でお好み焼きと生ビール飲みながらまずは互いを労う。そしてまた新幹線で帰ってきたというわけ。よく醍醐寺へ通った。

2012年10月9日Tuesday 晴れ
荷物送る。 午前中本山に荷物を送る。身延駅で往復の切符を買う。よく切符も買いに来た。これで来年まではしばらく縁が切れる。身延支所へ母の結核検診を受検しない理由書を届ける。郵便局から伝法教校の受講費を振り込む。金もだいぶ使った。明日から日曜の午前中まで登山して、しばらくはこれで縁が切れそう。帰ってきたら濃くなる秋をのんびりと過ごす。本を読む。夏の作物も片づけて長葱でも植えてみたい。葬儀の予定はこれはないわけだが、法事は何件かある。忙しくない寺ではあるが、きちっとここでのことはしていくつもり。浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」一日で読む。ますますこの人の短編に引き込まれる。

2012年10月8日Monday 晴れ
読書。 本山行きの荷物を詰めたり。当初の予定より一日遅い出発でよくなったが、4泊するので、足袋や下着などの着替えも少し余分に持つ。今回は改良服も持たねばならない。もうここまで来てしまったのだから後は向こうのたてた予定に沿って、乗っかって乗り切っていくしかないのだと思っている。どうしても出発までに読み終えてしまいたかったので朝から気合を入れて読んだ。梁石日「シネマ狂躁曲」読み終わる。中盤までいささか展開がマンネリしていて投げ出そうかとも思ったけれど、後半はやはりよかった。いつもの氏の小説とは違った書き物だったが、それなりに楽しめた。
朝食べるご飯がなかったので、ネットでタイガー炊飯器のマニュアルを検索して焚くことができた。朝レトルトカレー。昼チャーハン。二回で二合を食べてしまったので、さて夜はカップ焼きそばでも肴に酒を飲むか。そうこうするうちに帰ってくるだろう。今日も日中は暑かった。京都も寒くはないと思うが。

2012年10月7日Sunday 晴れ
のんびりと一日。 そうか世間は3連休というやつだったのだ。天気はいいし行楽の車が多いようだ。寺に見知らぬ人たちが何組もやってきた。いわゆる飛込みというやつなのだ。昨日の朝は親子で「ご朱印ください」とやってきたりもした。観光地ではないので寺は静か、というより集落自体が静かだ。風もなければ鳥のさえずりはよく聞こえ、この時期には珍しくまだ彼岸花が群生してその朱を誇らしげにしている。今日はかなり大きな音でJAZZを聴いたり、久しぶりにサンタナなんぞも聞く。本を読む。昼にも発泡酒飲む。ちょっと用事で早川にもいく。早川は町長選挙の一騎打ちが間もなく始まる。合戦前の緊張感があるのかもしれない。明日の夜には二人が帰ってくるので、のんびりと今夜また過ごすのだ。

2012年10月6日Saturday 晴れ
彼岸花。 家人がいないので時間は適当。正午過ぎから本堂に入って護摩法。外に人の気配を感じたが途中では止められず。多分東京のN夫妻だと思い急ぎ手法を終える。やっぱりそう。墓参りから戻ると、二人とも彼岸花がこんなにたくさん咲いていることに興奮して感激してくれた。もう10月も一週間が過ぎるというのにまだ開きはじめるものもある。今年は半月以上開花が遅かった。ひんやりとした秋の空気にもよく似合う。

2012年10月5日Friday 晴れ
本の買い出し。 甲府の行藏院へ行くついでにブックオフへ寄る。というか、本を漁ることの方に一番の目的があった。すべて文庫で安いものを探して買った。浅田次郎4冊、村薫3冊、梁石日と団鬼六を各1冊。伝法教校が終わればそれこそ何もすることのない毎日が始まる。本をたくさんゆっくりと読める。
本山より、「修験伝法教校受講許可書」と、持ち物や日程などのしおりが届く。行藏院には孟宗竹で作った房花入れと、松脂をたくさん含んだ赤松の根をお土産にした。来週の水曜からの最後の本山行きの確認などする。今日も暑かった。女房と娘は、義兄、義姉と今日より旅行に出かけ一人住まいになった。若松屋よりご長男の結婚披露宴の招待状が届いた。なぜ僕に?という感じなのだけどな。

2012年10月4日Thursday 晴れ
けっこうやることがあるもんだ。 新しいテレビ小説が始まって、どうも始まりってのはつまらない。見終えてから裏の杜に入り、獣除けの柵の下の草を刈る。14日の集落の環境整備に出られないので、寺の地所の範囲を2時間ほどかけて刈る。これで草刈りは終了。2台の草刈り機の燃料を空にして倉庫にしまう。来年の春だ。11時の鐘を撞いてから墓地の参道の掃除。台風の後で小枝や落ち葉、山水が流れて汚れている。昼食をはさんで午後も続ける。きれいになった。けっこうやることはあるもんだ。メダカの鉢の掃除もする。一度では疲れるので、何回かに分けて掃除する。夏孵化に使った水槽も一つは洗って空にした。もう少ししたら、最後は水遣りに使った60リットルのタンクに入れて冬越えさせようと考えている。どのくらい春まで生き残れるだろうか。

2012年10月3日Wednesday くもり
一日曇り。 雨が降りそうで降らない曇り日。まあこんな日があってもいい。お勤めを終えて早朝、ゴミステーションにミックス紙を出しに行って戻るとき、散歩している町長に会った。遠くから挨拶すると向こうも手を振った。2期目が始まるのである。
午前中、本堂渡り廊下脇の赤松の根元をつるはしで掘ったり打ち付けたりして松脂を一輪車一杯ほど掘り上げた。切断面から脂のいい香りがする。大事に護摩の時に使うのである。浅田次郎「夕映え天使」読み終え、梁石日「キネマ狂躁曲」読み始める。だいぶ日の暮れが早くなった。

2012年10月2日Tuesday 晴れ
暑い。 今日は暑かった。10月に入ったって、まだまだ暑さは続くのだ。本山の護摩壇に、房花入れとして太い孟宗竹が置かれていたので、僕も本堂にそれを置いたのだが、行藏院のご住職も欲しいなといったので、思いついて寺の隣になる田中さんの山が孟宗竹の林になっていて、ここは今常住していないのだがちょうど今朝草刈りに来ている姿を見かけたので、「孟宗竹をいただけますか」と訊くと快く「いいですよ」と言ってくれた。できるだけ根元の太いものを選んで切り出した。運び帰ってあまり切れの良くないのこぎりで伐ったり、それから昨日拾い集めた台風で折れた欅の枝を燃した。暑い日で、汗だくになって午前中過ごした。結構どっしりとした房花入れとなる。いいものをプレゼントできそうだ。午後は静岡で買った浅田次郎「夕映え天使」読み進める。この人はホントに短編の才能がある。女房の従兄の早川の久田子(くたし)からたっぷりと栗が届けられた。きっと栗ご飯になったりする。

2012年10月1日Monday 晴れ
帰山。 台風17号のあおりを食って帰りが一日遅くなった。登山(とさん)して金曜の夜を過ごしてよく土曜は朝から不動堂で恵印の護摩の実習をする。僕もご一緒した行藏院ご住職も特別なミスはなく指導に当たってくれたA師も「まあまあできてますね」といったようなところのようだった。午後に再び一座修して、翌日の護摩の準備をして夕食。夕食後に神供作法を行者堂にてする。一日の行が終わり部屋に戻り、K帯でテレビを見ると、台風17号が日曜には関西から関東にかけて通過する情報が流れている。明日電車が動かなくなるかもしれないよとの連絡も入る。日曜の午前中もう一座護摩を焚いて片付け掃除をして解放されることになっていたが、早くても午後4時前の新幹線にしか乗れない。開けて昨日の朝。台風の空と風。雨は降ったり止んだりの繰り返し。朝の勤行と朝食の後、A師に連絡を取り、「台風のため家に帰れなくなる恐れもあるので、護摩を焚かずに掃除をして帰りたい」旨伝える。「わかりました」という返事。8時半過ぎから不動堂の掃除に取り掛かる。仏器磨きなど。10時過ぎに終了して事務所にあいさつをして11時18分発のバスに乗る。京都駅八条口に着いたのが11時48分。間に合うかどうかわからないが、「走ってみますか」と話し、二人でバス停から駅構内階段など走る走る。荷物は宅配便を利用したので身軽ではある。11時56分の新幹線が静岡から身延線のふじかわ号に連絡している便で、この後は2時間後になる。朝はどうせ早くても13時56分にしか乗れないだろうと話していたが、台風の状況は結構深刻そうなので欲が出た。間に合わなければゆっくりと昼飯を食えばいいのだ。果たして、ホームに滑り込んでくる新幹線の自由席の車両目指して走ってとりあえずセーフ。間に合ってしまった。しかし大変な混みようで座れない。行藏院ご住職は「新幹線でデッキに立つなんて初めてだよ」という。京都観光のヨーロッパからの外人さんたちが大勢乗り込み、僕らの背丈くらいあるようなキャリーバッグで通路を占領している。飛び乗りだったので、飲み物食うものはなく、僕は本を買いたかったがそれもなし。静岡までずっとこのままなんだろうかといささか不安で二人とも沈黙であったが、30分ほどして到着した名古屋であっさりと座れた。静岡に着き、ふじかわ号に乗るべく急ぎ、飲み物食い物を買ったまではよかったがどうも様子がおかしい。乗りたい電車がホームに居なくて、掲示板にも表示がない。既にふじかわ号は運休となっていた。静岡はまだ雨もちょぼちょぼなのに、二人で「早すぎるよなぁ」などと言いながら、仕方がないので、富士まで各駅停車で行って、そのまま身延線も各停で行くしかないなどとのんきに構え、じゃ、とりあえずあそこで蕎麦でも食いましょうとなる。食い終ってベンチに座っていると、どうも身延線自体が本日の運行を止めるような情報が入り、それではもうこれにて万策尽きたので静岡に一夜の宿をとることにした。切符はそのまま明日使えるとのことで、構内の観光案内所で一番安いビジネスホテルを探してもらい、宿までを雨でびしょ濡れになって走る。後はもう何もすることがないので、外に出て飲み語りの夜を過ごすことになったのである。そして今朝、ふじかわ号の再開を待って帰山。甲斐岩間からタクシーで11時半に帰ってきた。雨量は大したことはなかったようだが、ひどく風が吹き荒れたようで、けやきの枯れ枝が本堂や石段周辺にたくさん落ちていた。
という、いささかの珍道中の顛末。さて10月に入って、10日後に再び本山へ行き、最後の恵院の灌頂に入るのである。10日からなので、前日の9日に行かなければならないだろうと考えていたが、10日の午後5時までに本山に入ればよいとのことで、当日の昼前に出発することにした。

2012年9月28日Friday 晴れ
上洛。
最後の加行実修のため午後上洛する。私の寺の本尊不動明王は京都から甲斐の国のこの辺鄙な貧しい寺に来たのである。今上洛などという言葉はあまり聞かないし、使わないのだろうけれど、本尊がここに座る経過を知る者としては、京都はまさに洛陽であり、京都を拝するような厳かな気持ちになって上洛と語るのである。
午前中猿が来ている。それから夕べイノシシが現れたようで、あちこち掘りまくってある。イノシシが再び現れるとは思いもよらないことである。イノシシが庚申堂の石積を一か所崩してしまい、朝持ち上げたら腰を痛めた。角屋でお茶をごちそうになっていると、「八日市場で熊の目撃情報があったと広報で流れた」と教えられた。聞き漏らしていたのだが、まったく住みにくい場所になった。本堂を閉めてさて上洛である。

2012年9月27日Thursday 晴れ
秋晴れの良い天気。
明日からの本山行きを前に今朝一座護摩を焚く。焚き終えて護摩壇と本堂の掃除。仏器を洗い、掃除機をかけ、釜の中の灰を捨て、たっぷりと1時間半ほどかけて掃除。新しい畳はここ何日か雨が降ったりしたので、うっすらとカビが表に出たので、戸を開け放ち、風通しを良くして濡れたモップで水拭きする。護摩を焚いた後のにおいのする本堂が好きだ。樒をくべると強い刺激する匂いが立つのも好きだ。掃除をし終えて、新しく荘厳し終えた本堂の中も好きだ。何よりもこの場所が僕の場所であるということが好きだ。今日は昨日お開帳した後厨子を閉めずにおいたので、不動明王と直接対峙しながら護摩を焚いた。秋の空気がとてもさわやかだ。
午後2時に女房と波木井へ墓参に行く。武士兄ちゃんが6月に亡くなり、7月の末に七七日忌があり、8月に新盆があり、9月に彼岸を迎えた。帰りに家を訪ねると、来客中であったので、ドアの処で話をして帰ってきた。これで少し遠のくことになりそうだ。梁石日「カオス」読了。やっぱり圧倒的に迫力があって面白い。のめりこんで読み終えるまでそこから出られなくなる。またしてもはまり込んでしまった。京都行きにも梁石日を同行。

2012年9月26日Wednesday 晴れ
続、草を刈る。
なんと草刈りのタイトルの多いことだろう。それから草を刈るという話題ばかりだ。参道の残りの片側を刈った。民俗資料館の前庭もきれいにした。午前中草刈りをしているところへ、飛び込みでお不動様を拝観させてもらえないかと男性が来て、草刈り中で汚れ放題の野良着なので、着替えなければならないから次の機会にしてくれないかと話すと、先方も「わかった」といってくれたのだが、話し始めて帰る気配がないので、こちらが諦めて10分ほど待ってくれるかというと、「お待ちします」というので風呂でシャワーを浴びて着替えてお開帳してあげた。長く京都で仕事をしていたという方だったので、寺院事情にも詳しい方だった。大変に喜んでくれて、図らずも2千円のお布施を頂戴した。感謝。草刈りを全部終えてから、シルバー人材センターへの支払い、京都への荷物をクロネコから送り、京都行きの切符を買いに身延へ行く。

2012年9月25日Tuesday くもり晴れ
草刈る。
朝方雨が降っていた。残暑厳しい日が続いていたがここにきて雨が良く降るようになった。そういえば、9月は梅雨の6月よりも降水量があるといつだったか聞いたことがある。昼食後草刈りをする。参道の片側を刈ってしまった。明日もう片側を刈れば大体終わりとなる。町長選の告示日で、町長は無投票当選。町議会の補欠選挙も二人が無投票当選したようだ。丁寧に、午後5時過ぎに町の広報無線で町内に周知された。
小学校の運動会を土曜日に控え、丘の上の小学校から鼓笛練習の音が流れてくる。懐かしい音で、僕も妹も僕の二人の子供たちもみなこの音の中を過ごしてきた。いつか学校はなくなってしまうのかもしれないが、こういう音や、通学する児童たちが見られなくなるのは、おそらくそういう時が来たら寂しいというより深く悲しいのだと思う。秋の夕空がいい。半月をちょっと膨らんだ白い月が出ている。

2012年9月24日Monday 晴れ
暑さ少し戻って午後風有り。
夕べは夏掛け一枚では寒いので毛布を掛けた。体は正直だ。朝方も冷えてきた。それに5時前は闇に包まれている。春になるまで朝の勤行は暗い。朝のうちに護摩壇を作り午後に護摩を一座修法する。確かに仕込まなければこれは火が点かない。点かなければ先へ進めないのだからこれは確かに問題だ。もう少し研究して見なければならない。
2012年9月23日Sunday
一日雨。
彼岸の日曜だが、朝からずっと雨。玄関から寺を訪ねる人はなし。朝から騒がしかったのは猿。時々ものすごく騒々しく、屋根瓦がガラガラと落ちているのじゃないかというような音がするので、墓地への坂道を上がって裏から庫裏の屋根を見ると、屋根の頂から何本か下ろされた鎖を奴ら手にして遊んだのか、鎖が斜めに動いている。これを引きずる音が瓦が滑り落ちているような音に聞こえたのだ。どうにも対処法がない。ついでに墓地へ回ると、傘をさしての墓参者もあるようで、墓地の空き地に車が停めてある。墓参のあった墓地は花が活けられてあるが、訪う人のない墓地は何もなくて雨の今日は特にさびしい。のんびりと朝から本を読む。浅田次郎「月のしずく」読んでしまう。この作家の短編はどれも読みごたえがある。物語を作る才能に長けているということだろう。別なもの読みたい。今日は涼しいを通り越して寒い。長ズボンをはいた。普段は網戸にして開け放つ戸も今日は全部締め切り。午後3時から本堂に入ってたっぷり一時間読経して早じまい。

2012年9月22日Saturday 晴れ
墓参、来山者有り。
墓参の檀家の方ばかりでなく、お不動様へのお参りの方もある。それから直子さん、公威君親子も訪ねてくれた。お二人ともお元気そう。しばらくお会いしていなかった。二人が来ている間にも訪ねてくれた人への応対などもあり終日寺には人が来ていた。午後1時半からは彼岸の法要をした。二人の檀家さんが見えてくれた。彼岸法要も次回の春の彼岸を以ておしまいにしようかと考えている。法要の案内を出しても来てくれる人が少ない。多い時でも10人はいなかったし、その中からもう何人も欠けた。新しく来てくれる人はいないし、このあたりかなという感じ。一人で法要を改まってする必要もないので、止めてしまえば、日々の勤行の中で彼岸の供養をすればいいと考えている。今回は彼岸の塔婆も何枚か頼まれたのでよかったが、泣き言を書こうとは思わないのだが、塔婆の申込みが少ないと、はがき代・塔婆代が結局赤字になることもある。難しく厳しい寺事情だ。直子さん親子とは暮れに公康君の墓参にいっしょに行くという約束をした。夕暮れも少しずつ早くなる。よい風が吹いている。「いまこそ私は原発に反対します。」読了。今日は草刈りがなくてよかった。

2012年9月21日Friday くもり晴れ
草刈りの続き。
朝雨が少しあったが、刈れそうなので作業する。6時半過ぎから8時まで。竹林周辺もこれで終了。雨に濡れたのでそのまま庫裏の浴室で頭も刈る。刈ることばかり。護摩供次第の訂正したものを改めて製本する。11時少し前に晴れ間がのぞく陽気となり、メダカの水替えをしようとバケツに水を貯めていると天野さん夫婦墓参に見える。ブドウ戴く。メダカをいつも楽しそうに眺めていってくれる。メダカは会話も成り立たせてくれるので飼いはじめてよかった。京都からの帰りの電車で読み始めた浅田次郎「月島慕情」読み終える。午後3時涼しくなり始めた外に出て、客殿裏の庭と本堂脇などの草を刈る。気持ちのいいさわやかな夕刻の時間を過ごす。ノブコちゃんも涼しさに誘われて墓参りに来た。「草刈りをいつもありがとうございます」と言ってくれる。角屋のおばさんひとりで静かに資料館前庭の草を引き抜いている。僕も昨日少しここを引き抜いた。土日は少し墓参の人も増えるかもしれない。

2012年9月20日Thursday 晴れ
一日草を刈る。
ひたすら草を刈り続けている。今朝は6時半過ぎから。昨日と打って変わり残暑の酷暑が戻った。10時前にいったん作業を終えてシルバーの二人にお茶を出す。町田の甲地里さん、甲府の佐田さん墓参に来る。11時の鐘を撞いてから正午まで頑張る。墓地の草刈りは竹林の周りだけ残してほぼ終わった。後は特に今やらずともいい。昨日の夕方コメリに草刈り機の紐の自動繰出しの物を買いに行った時、桜の苗が370円になっているのを発見。隣りの家から軽トラを借りて昼に買いに行ってきた。3本あったので全部買う。10月桜の苗で、年に何度か花をつけるこの種は寿命が短いというが、370円は買って損はない。隣家の兄にも相談し、資料館の生け垣の横に植えた。「花見ができるようにすればいいじゃねぇか」と言われたが、そうねぇ、畑の草も刈るだけ大変なので、できれば花をつける木の広場のように変えてしまいたいと僕も考えてはいる。植樹してまた庫裏の裏などを草刈る。恵印の加行もちょっとお休みだ。

2012年9月19日Wednesday くもり時々雨
彼岸の入り。
夕べから朝方にかけて今回はよく降った。このくらい降らなきゃ。池の水も満水に回復。朝、シルバーから電話あるも30分遅れで仕事開始できる。午前中も降ったりやんだりだったが、たいした不利にはならず。僕も一日墓地の草刈り。朝ムカデに刺されるアクシデントあり。午後もう少しかって痛かったが、紐の刈払い機の紐の自動繰り出し装置が使いすぎで壊れてしまい続行不可能になり諦める。草刈りの終わったところから墓地参道を掃除して終わる。コメリに新しいものを買いにいき、ガソリンも10リットル買う。彼岸の入り。頼まれていた塔婆や無縁さんへの塔婆など建てる。

2012年9月18日Tuesday 晴れ一時雨
過ごしやすい気候になってきた。
お昼過ぎに少し雨降る。午後4時半頃にもザーッと雨降る。例年のようにシルバー人材センターに庭木の剪定をお願いした。仕事続行不能の雨にならずに良かった。午前中は七壇法のことや手紙を出したりし、午後から僕も墓地の草刈りする。3時間してまた明日。真夏のような暑さが去って、午後の早いうちでも外の仕事ができるようになってきた。一か月半ぶりくらいに草刈り機を持ち少しくたびれた。墓地、境内、参道脇の畑を刈れば今年の草刈りは納めと成る。

2012年9月17日Monday 晴れ
敬老の日、法事一件。
雨が大分降って気持ちのいい朝になる。秋を感じるようになってきた。京都疲れで少し遅く起きる。9時半にS家兄弟見えて母親の三回忌法要する。墓参に少し雨降りはじめるもたいしたことなく終了。午後甲府へ行くので加行実修の資料を少しまとめたり忙しくする。1時をちょっと回ったところで出発。往復車中、久保田真琴&夕焼け楽団、太田裕美、はちみつぱい聞く。秋空遠く眺めながら気持ちのいいドライブになった。行藏院本堂で、玄法院ご住職も含め、二人に習ったこと確認事項などを伝える。こちらも伝えながら確認できたので忘れることなくよかった。雑談して5時にサヨナラ。今度ゆっくりと飲もうという話になる。醍醐寺ファンのもんじゃ焼き屋さんがいるのだそうな。

2012年9月16日Sunday 晴れ
実修終える。
今朝の勤行は10人くらいは居たのだと思う。まあ本山だからな、せめてこのくらいは居ないとな。9時にA師と三宝院を出て歩いて報恩院へ。ここでは毎日午後1時から護摩が修法されている。1時間半ほどかけて、細かいところの作法など教えていただく。護摩以外にもついでなので、いくつか訊いてみたい質問をぶつける。腑に落ちなかったものが、臍から尻の穴に抜けていく快さも味わう。「昨日の朝勤行に来たのは二人でした」と話すと、「金曜日、宗門の交流親善の野球があり、そのあと焼肉を食べたりして云々」という、そういうわけだったのだ。討死という。僕にもある。年若い彼らもまた年齢相応の青い時代を生きているということに安心した。
初日の実習三座目までは、「こりゃ、今回は来なくてよかったようだな」と、実修費、交通費などでの5万円くらいになる費用負担を悔いたが、後半の展開でまあ今回のこれはこれでよかったと納得できたのでよかった。いつもより早く終えて、正午前には本山を後にした。京都駅地下で昼食、もう一冊本を買い、読みつつ飲みつつ帰る。浅田次郎「月島慕情」。行藏院ご住職に明日伺うと連絡入れる。明日の法事予定の檀家に電話を入れると「この電話はお客様の事情により....」ということでつながらず。時間を決めてなかったのだが、多分午前中にと言ってあるはず。こういう少し困った檀家もある。

2012年9月15日Saturday 晴れ
加行実修。
夕べは修証殿に泊めていただいた。1階の部屋は初めて。大体2階の大広間に雑魚寝の時が今までだったのでなんか得した気がした。泊まっているのは僕一人で、シャワーを浴び、暑い部屋には十分に冷房を効かせて休んだ。新しい携帯からは心地よいジャズが流れる。5時起床。6時前に弥勒堂へ入る。なんと今朝は二人しかやってこない。つまり三人で朝の勤行をする。いささか拍子抜けした。朝食後9時過ぎから一日目の実習。期待していた指導先達はどうも来ない様子。午前中不動明王法、午後龍樹菩薩法、大日法を修法する。一、二か所手直し指導あるもほぼこれでいい感じ。夕食後にもう一座するということで5時半に行者堂へ入る。「なにがいいですか?」と訊かれたので、「実は加行実修は自坊で積めるので、護摩供次第について少し見てもらいたい」とはなすと、快く若いA師OKしてくれた。それで、加行の壇と掃除片づけをして今日は終えて、明日午前中護摩壇のある場所で指導してくれることになる。今回は一人なので家から本を一冊持ったが、電車の中でほとんど読んでしまい京都駅について先ず本屋でもう一冊買い求めたのだが、夕べと今日の空き時間などでもう読み終えそうだ。浅田次郎「霞町物語」「姫椿」。京都も残暑厳しい。夕食にはたっぷりと出してくれたが、ヒジキと大根の煮物も小鉢というより、どんぶり鉢に近く、取り分けてもらうのかと思ったら、「そのままこれを食べてください」といわれた。これも寺の裏事情というものだろうか。よく汗をかいた。でも涼しい部屋で白衣も乾きが早い。

2012年9月14日Friday 晴れ
上洛。
これをただ一度きりの機会の学習としてとらえるとしたら、「エネルギー・環境戦略」において「原発の稼働を2030年代にゼロとする目標を明記することで最終調整に入った」などと、一度死んだら二度と生き返らない僕らが呑気な発言に終始している場合ではないだろうと考えてしまう。僕たちはこのままでは全く無責任にこの国で死んでゆくことになる。学ばないニッポン。
甲府は昨日連続「真夏日」が53日になり過去の記録を更新した。まあここだって似たようなものだろう。とにかく暑い。それでも今年は台所にだけあるエアコンを入れることはなかった。まだ入れる可能性はあるが、多分このまま我慢できると思う。キッチンを電化化したので、電力需要削減に努力しているとは言い難いが、節電意識は持っているし、豊富な知識もないのだが、原発がなくとも電力供給は足りるという皆さんの言葉や文字を信じているのだ。それから原発反対を訴えてはいても、きっと多くの人たちがそうであったのかもしれないが、「まさか爆発事故なんて起さないだろう」と思っていたし、やっぱり後悔ってのは現実に事が起こらないと本気になれないってことで、これが僕らのどうしようもない業の深さなんだろうと反省したい。だからもうこれきりにしなければいけないのだ。
さあ、本山に上がって、みっちりしぼられてくるか。

2012年9月13日Thursday 晴れ
今日はまた一段と暑かったなぁ。
女房も「あっつい、あっつい」とこぼす。僕も「あついなぁ」とこぼす。こぼすものってのは案外冷たそうな気がするが、口から出る「暑い」は熱くてちっとも冷たくなくてとても触れない。午後母の入所施設に支払いを兼ねて面会に行く。僕は2か月ぶり。大分施設に慣れたようで、「そろそろ帰ろうかと思う」という言葉はない。代わりに「まだここに居てもいいか」という。この微妙な言葉に裏があるのか、言葉通りなのかはわからない神のみぞ知る。支払いも大変なのにと心配をしている。「自分の年金で支払いをしているのだから心配しなくていい」というが、年金ということもほぼわかっていない感じ。母の姪たちが東京から会いに来るというのを僕は断った。病気で入院しているわけではなく健康状態は至極良好である。認知症という病はあるが、寝たきりでもなく元気に施設にいる。母の認知症は毎日同じことの繰り返しが一番安定しているので、早く施設に慣れて家でのことも忘れてくれたらいいと僕は本当にそう思っている。だからあまり余計な刺激を与えたくはない。面会したい人たちは純粋に「会えば私たちのことやいろいろなことも思い出すかもしれない」という気持ちで「会いに行きたい」というが、僕は今やっと施設にも慣れてきたので、会うことは遠慮してほしいと頼んだ。命にかかわるようなときは連絡入れるからと話した。毎日が平坦で安定していることが母には多分一番いいことなので、僕は妹にもそれを話す。彼女もそれでいいという。今日の母は前回の時よりも穏やかでよかったと感じた。穏やかでいいというのは、一方ではこちらとすればなかなかに心が痛むものである。
蜂の巣を採るのに借りた「ハチガード」を支所に返しに行くと、所長も戻っていて久しぶりに会ったので10分ばかり話してきた。観光課にも顔を出す。皆さんお元気そう。今年の夏は暑くて大変だ。身延駅に寄り明日の京都行の切符を買う。身延線で駅の窓口で切符の買える有人駅は調べてみたら、「山梨県内の身延線で駅員が常駐するのは甲府駅を除き、南甲府、東花輪、身延の3つの駅だけ」ということだ。利用者が激減しているとはいえ、何とも情けないような状態ではある。

2012年9月12日Wednesday 晴れ
今日も残暑、残暑。
夕べは二度も三度も停電したりして、雨も大分降ったようにも感じたが、潤いを施すほどの雨にはならなかったようだ。今日もうんざり残暑だった。本山に電話して金曜から泊まる旨連絡する。それから本山で作ったウェブページに入れないことを話して、しばらくして返事の電話があったが、「不具合があるようです」とのことで、こちらも「ああ、そーですか」と応えて、いつごろ不具合が解消されるのかな?と思いながら切った。
昼過ぎに世田谷の佐田さん来山。奥様も一緒でお元気そうだった。目下、骨董品店を開く計画が進行中で、老いても尚元気の源があるってのはうらやましい限り。

2012年9月11日Tuesday 晴れくもり
大震災から18か月。
今日も暑かった。5時前に起きて勤行して、6時過ぎにはご飯になる。梅ちゃん先生が始まる前に再び1時間ほど本堂に入る。夕方から雨になるという予報だがまだ降りはじめる気配はない。午後定期受診で飯富病院へ行く。病院内は冷房が程よく効いていて快適だ。本を読むにも汗だくになる。「いまこそ私は原発に反対します。」という日本ペンクラブが刊行した分厚い本を買って読んでいる。奇しくも今日はあの震災から18か月目の日。身延支所であの時を経験して、もう今は勤めを辞めて半年が経とうとしている。今朝これも久しぶりに支所長から電話があった。本の中で今日読んだ広河隆一氏の文章に感じ入る所があった。「人間には許してはいけないものがあるのだ」という言葉。原発はもう決して許してはならないものである。果てしない未来にまで決して消し去ってしまうことのできない過ちを犯して、新しく伸びる子供たちの命のことにも責任を持つことができなくなって、大気中に放出された放射能が健康にどれだけの影響を与えるのかの検証すらできていないのに、エネルギーは原発をおいて他にないような方針ばかりが先に立つ。チェルノブイリ事故が子供たちに残した健康被害をだれもが知っているのであれば、フクシマの事故後の影響がどのような結果を数年後招いてくるか大体想像がつくような気がする。「人間には許してはいけないものがあるのだ」。

2012年9月10日Monday 晴れ
残暑残暑。
暑い。いつまでこんな日が続くのか、今週はずっと暑いらしい。乾燥した地上にリコリスだけは可憐な花をあちこちに開いてくれている。「神変」誌が届いたので、午後寝転がりながらじっくりとページを繰った。普段はあまり丁寧に読まない。最終ページに、「醍醐は公式サイト 寺院・教会紹介ページ公開のお知らせ」が載り、アクセス方法とパスワードも載っていたので、入ろうとするが入れない。どうもユーザー名が入力できていないことに問題があるようだ。どうも中途半端だ。

2012年9月9日Sunday 晴れ
法事一件。
暑い、ほんとに暑い。午前6時少し前に、大子山入り口の有害獣除けの柵の開扉。午前7時から、有害獣除けの柵の下草の状態の見回りをする。5月に草を刈って除草剤をまいた影響がけっこう残っているように思えた。日当たりの悪い場所なら一度草を刈って除草剤をまけば、効果は年間を通してありそうだが、日当たりのいい場所は秋にやはり草を刈る必要がある。柵についてだが、猿は柵があっても一向に柵の手前で止めることができない。高架の電線を伝って入ってきたり、河川から入り込んでくる。彼らも生きるということに貪欲だから、こちらの策に困ったちゃんしているわけにはいかないのだ。1時間半ほどで見回りを終えて、最後に猿を威嚇する鉄砲の使い方の講習があった。玉は直径3ミリくらいだが、そのもの事態は放置しておいても自然界にかえる質のものということだった。殺傷力などはなくあくまでも威嚇で、これもどういつまで効果のあるものかなってな気がする。
10時半から増穂の佐田家の法事。昼食後銀色の外が恐ろしいくらいで、昼寝をしていたらご朱印をくださいと、若い遍路さん来る。暑い暑いさなかをご苦労様である。少し涼しくなってから墓地に行き、盆の紙幡の野竹や備えられている枯れた花などを片付けた。草が伸びてきている。本山から帰ったら一日草刈りをすれば彼岸に間に合うだろう。頭を刈ってシャワーを浴びて体を冷やす。

2012年9月8日Saturday 晴れ
蒸し暑い。
毎日が日曜のくせして、土日になると、体が動きたくない反応を始めるのはどういうわけなのか。女房と娘が朝いつもより遅いので、僕もそれに順応してしまうのか。朝起きの時間はいつもと変わらずにお勤めをして、今日と明日が獣除けの柵の開閉当番なので、6時少し前に歩いて門を開けに行く。つくづくこんなことを一生続けなきゃいかんのかと思うとうんざりしてくる。住むのにいいところだと思っているが、猿だけが目の上のたんこぶだ。大きすぎるたんこぶで、このたんこぶのために地元へ戻ってこないという人たちもいるのではないだろうか?定年後は田舎の実家に戻って小さな農園でも楽しみながら、悠々自適に暮らそうかなんて考えても、こう猿害がひどくちゃ二の足を踏んでしまう。
今日は午後遅くから雨になるかもしれないという予想のようなのだが、いまだ気配なし。蒸し暑い。午後3時55分。

2012年9月7日Friday 晴れ
残暑、残暑。
メダカ池にしてやろうと、大きな池に少しメダカを放した。できるだけ生き残れるように、大きくなったものを放したい。ビオトープになりうるかどうかは自信がないが、生き物が生息できる環境を寺の中に構築してみたいという気持ちはある。花木も然り。1センチに満たないメダカでも、孵化して間もないメダカを餌として尻尾から飲み込もうとする。こういうのを大きさ別に隔離するだけの細かい用意はできかねる。生き残れたらラッキーと思ってもらう世界なんだろうか。
夕べ1時間ほど降ったか。パラパラパラっと屋根を叩く音の連続が早くなると、おーっ!と期待するが、そうでもなかった。実際今朝本堂の裏のアジサイを見ると、十分な雨の恩恵を受けていないような立ち方だった。夕方池から水を汲んでまた散水活動をした。護摩法次第を製本。3時過ぎから少し流してやってみる。来週の今頃はまた三宝院だ。

2012年9月6日Thursday 晴れくもり
雨が期待できるかな?
午後5時少し前、空がだんだん暗くなってきた。雨が降ってくれるだろうか。風は雨を連れてきてくれるだろうか。やっと護摩供次第が仕上がった。一応の出来上がりで、あとは実修しながら手直ししていくとか、不明な点を本山で聞くとか。
今朝ネズミの大物が捕れたのだ。「ネズミホイホイ チューバイチュー」って強力粘着ネズミホイホイでやっと捕れた。7月頃から客殿の燭台をよじ登ってはロウソクをかじったり、庫裏の風呂場の石鹸をかじったり、はたまた庫裏の便所のドアや柱までかじってくれたりと、悪さのし放題で、憎々しく思っていたんだけど、なかなかこれがこちらの仕掛けにかかってくれなくて、米粒より一回り大きい糞をあちこちにこぼしていってくれたりしていた。昨日、かじった形跡のある石鹸を挟んで両側にホイホイを置いたのだけど、まあかからねえだろうなと思っていたのだが、今朝頭を刈ろうと風呂場に行くと、豈はからんや掛かっているではないか。結構どっしりとしたネズ公だった。まあ一匹だけだけど、多分これが犯人だと確信はしたので、これでまた穏やかな日々になる。さて夕のお勤めに入るか。雨乞いをしてみるつもり。午後はずっとキム・ヒョンシクを久しぶりに聞いた。

2012年9月5日Wednesday 晴れ
結局また水遣りが始まった。
先日降った雨では一時的には効果があったのかもしれないが、しっかりと苗を定着させて活力を十分に与えてくれる肥やしにはならなかったみたい。アジサイの苗も、畑のツツジ苗も、首を垂れ赤く焼けていたりでまた日照りの時の状態に戻ってしまっていた。結局また夕に水遣りをしなければならなくなった。風の冷たさは感じるが、風に水分は含まれていないのだろうか。そのあたりの知識に乏しい僕にはわからない。朝からまた猿が降りてきていて、威嚇用の鉄砲の音が何度も鳴った。猿たちが寺の杜の中に消え、また現れ、屋根を遠慮なく走り回る。うんざりだ。いま、柿の青い小さな実や栗の青いイガの物を取って食している。口に入れられるものは食えるときに食っておくという生きるための手段なのだろう。
残暑がまた復活してきたようで暑くてかなわない。村薫「リヴィエラを撃て」の下巻を読み終えたので、午後から護摩次第の続きを作り始めた。

2012年9月4日Tuesday 晴れ
特に変化もなく初秋の日過ぎる。
今日は少し暑くなる。法事の塔婆など書く。本を読む。本を少し中断しようと考えていたが、京都行きで読み始めてしまい、高村薫をもう少し読んでしまわなければならない。今日はサルは昨日ほどでもなかった。昼に行蔵院ご住職から電話、恵印の護摩法のことについて少し情報いただく。特筆すべきこと何も無し。

2012年9月3日Monday 晴れ
音楽取り込みの続き。
ノートPCで今度はやってみたら、あっさり認識しやがって同期できた。便利な世の中はどこまで行ってしまうのだろう。便利な世の中と逆というか、あまり関係がないが、今朝も猿軍団のお出ましだ。昼食後寝転がって本を読んでいると、客殿から庫裏の屋根をドダドタ、ドスドス、ドスンドスンと、重いのやら軽いのやらが思いっきり走り回っては時々キーキーと甲高い吠え声を上げる。外に出て威嚇するのも暑くてバカバカしい。じっといなくなるまで静観している他ないのだ。サルを鬱陶しく思っている国民はこの国の中にどれくらいいるだろう。まあ数値的にはかなり低いはずだ。
今日は雨はなく暑さも戻った感じだが、風もあり温度は厳しい残暑ではなかった。音楽のケータイへの取り込みがうまくできたので、溜飲が下がったというところ。

2012年9月2日Sunday くもり
少し涼しくなった。
7時から区の防災訓練があった。区会議員は6時半から準備に行ったので、お勤めを済ませて忙しく朝からインスタントラーメンをすすった。たまたま見たら賞味期限が今日の日付になっていた。幸運ともなんとも複雑な気もしたがもうひと袋残っているので近いうちに片付けてしまわなければ。朝にはまだ雨があった。6時を過ぎると雨が上がってきた。区長が「なんとか外でやれると思うので準備します」という。7時に始まり途中から雨が少し強くなりちょうど1時間で幕引き。昼飯には、防災訓練でもらってきた非常食の五目飯を3人で分けて賞味した。
新しい携帯で音楽が取り込めて聴けるとのことで、接続ケーブルも届いたのでPCと繋いでみるのだが、メディアプレイヤーがケータイを認識してくれなくて結局諦める。

2012年9月1日Saturday くもり一時雨
恵みの雨降る。
本当にこれを「恵みの雨」と呼ばずに、他に形容する言葉などない。にわかに空が灰色に変わり始め、本を読んでいた僕の耳にぽつぽつと屋根や土をたたく音が聞こえ始めると、雨音は早く激しくなってきた。夕べの酒で二日酔い状態だったが、本を伏せて外に出て洗濯物を取り込んだ。久しぶりの雨が激しくなる。樋から流れ出す雨、側溝を勢いよく流れる雨、どれも僕の気持ちを昂ぶらせるもので、誰も現れないことが約束されていたなら、裸で外で乱舞したい思いだった。一時間は降っていなかっただろうが、本堂裏の杜のアジサイの苗にも十分に水は沁みてくれていた。慈愛の雨、恵みの雨。9月に入り初日は雨になった。残暑厳しい9月にならなければいいなと思う。

2012年8月31日Saturday 晴れ
飲む。 八月の晦日、内藤君と若大将で飲む。残暑除けの飲み会がいくつか開かれていた。生ビールと少々値のはる日本酒と、麦焼酎を飲む。いくつもの話をして付き合い始めてもう40年にもなるのだということを、酔った頭で考えてみたりした。

2012年8月30日Thursday 晴れ
ケータイ新しくする。 ほとんど使うことのない我がケータイだが、どうも寿命が来たようで新しくした。貴永さんに頼んであらかじめ店に連絡をしておいてもらったし、平日だからそんなに時間かからないだろうと思っていたのだが、docomoって混んでるので、受付をしてから30分近く待ってようやく順番が回ってきた。皆さんケータイにはすごく熱心で関心も興味もあるということなのだろう。僕はなんでもいいので、話は割と早く進んだのだが、実は家内のケータイが一昨日の夜突如ぐったりしてしまい、充電しても復活しないし、今日僕のと一緒にもっていってdokomoで診てもらったが、結局原因不明で再起不能の判定がされて、同機種と交換してもらう手続きを取った。ということで彼女のは、電話番号などのデータも取り出せず。明日新しい携帯を東京から送ってくれるので、代替ケータイを今日明日使わせてもらうことになった。天気予報で夕方雨が降るかもしれないとあったが、5時半でまったくその気配はない。

2012年8月29日Wednesday 晴れ
暑い。 夕方畑と本堂裏の山に植えたアジサイに水をやる。一輪車で運ぶがこれが結構重労働。5時少しまでもまだしっかりと熱がある。水遣りを済ますと体がぐったりとなる。汗をかいてしまうので、水シャワーを浴びてから夕のお勤めに入る。勤行しながら頭を缶ビールが巡ったりもする。夕の暮が大分早くなった。
昼飯を急いで食べて甲府へ行く。甲府のBOOK-OFFに寄って梁石日と浅田次郎の文庫を少し買い、ボブ・ディランも2枚。玄法院へ寄り、T志君に「次第」の折を渡す。来年、恵印に入る予定とのこと。行藏院に所用で寄る。冷たいお茶をいただき、そのお茶をこぼすという粗相をして、ご住職の護摩法の加行次第のテキストを汚してしまった。なんという失態。それでももう一杯おいしくいただく。加行の実習の話などして帰ってくる。護摩の次第だけ早く作らなくちゃ。

2012年8月28日Tuesday 晴れ
護摩を焚く。 8月不動の護摩を焚く。涼しいうちにと思って8時過ぎから焚いたが、穀物を入れた器は熱くて触ることすらできなかった。夏の護摩は熱くても仕方がない。汗も流れる。焚き終えて片づけは夕まで取っておいて、畑に出て青々と勢いよく茂った青草に管理機をかける。ナスもそこそこ採れた。トマトもちょっと採れた。オクラは家で食べるに十分なほど今もまだ採れている。買った方が安いというけれど、自分の畑で採れたものは収穫する楽しみもあり、やはり格別な気がする。猿が頻繁に出るので、ナス・トマト・キュウリの類は奴らに持っていかれることもある。オクラは猿の苦手なのだろう。アオジソもいい。暑い夏は収束しない。今日も午後はただ寝て本を読むしかなかった。パット・メセニーの新しいアルバムが届いた。いつもパットのguitarは僕に心地よく元気をくれる。

2012年8月27日Monday 晴れ
夏休み終る。 原小に通う児童たちが村の道を歩いてゆく。2学期の始まり。猶予してくれること無く休みは終わってしまう。暑い日差しが射すようにある。夏の終わりの体はとっても疲れている。僕は学校に慣れるのに時間がかかったように思う。そして2学期は長い。17日に雨が降って以降また10日雨がない。もう地面はカラカラで土も堅い。畑のツツジの幼木もかなり消耗してきていたし、植えたアジサイの苗たちもぐったりとうなだれていた。夕方また一輪車で60リットルの水を池から汲んで水やりした。
本山から宅配便で送り返した荷物届く。確かに便利。一日少しのんびりとする。ボブ・ディラン聞く。いよいよケータイも寿命のようで替えなければいけないみたい。

2012年8月26日Sunday 晴れ
加行実修終る。 たーいへんだった。二日間みっちりと加行実修させられた。冷や汗ではないが、滝のような汗が吹き出、襦袢も白衣も羽織までびしょ濡れになった。昨日は9時半から行者堂に入り、午前中に愛染明王法、午後から不動明王法、午後4時過ぎの夕食を挟んで龍樹薩?法を一座修法した。1時間半から2時間近くかかり、以下に自坊での加行実修が自身に甘いものかを知ることになった。自坊では衣など付けない。ここからして違うわけで、それでもこれはこれとしていい実修にはなった。昨日の午前の実習が終わった後、部屋に戻ってびしょ濡れの白衣を部屋の外の中庭側の廊下で陽に当てていたら、お山で一番偉いお方の通り抜けの近道だったようで、この干し物の光景にひどく立腹したらしく、午後すぐに部屋を移されてしまった。まあこれも勉強と経験ですな。今朝また愛染明王法を一座修して実習を終え、掃除や仏器磨きなどして午後1時過ぎに本山を出る。京都駅に出て行藏院ご住職の行きつけのお好み焼き屋でまずはビールとお好み焼きで腹ごしらえする。午後7時半過ぎに帰宅。有名はアイスクリームを行藏院さんからいただき女房と娘は大感激。僕がうちに買ってきたのはちりめん山椒だけなのである。次回は僕一人の登山なので、いささかの不安もあるが仕方がない。

2012年8月24日Friday 晴れ
上洛。 暑い山梨を脱出して上洛。京都駅に降り立つと、暑いが山梨のねっとりとした暑さと違い、さらっとしている。うちから清里方面に行った時のような感じ、汗が出ない。八条口の食堂街に回転寿司があり入る。鱧寿司なんかもあり、珍しくて堪能する。6時半醍醐寺着。白書院に通される。前回より快適な部屋で、冷房が寒いくらいに効いていた。二人共出掛けにシャワーを浴びてきていて、汗も吹きでないので、風呂もいいやと8時半には寝ることにする。

2012年8月23日Thursday 晴れ
暑い。 夏の甲子園が終わった。終盤の8回過ぎからをちょっと見ただけだが、大阪桐蔭が勝ち春夏連覇。青森の光星学院は春夏共に準優勝。青森といってもレギュラー選手のほとんどが県外出身者で、特に大阪が多い。大阪同士の決勝戦で、選手は子供の頃からの顔見知りも多かったかもしれない。東海甲府だって県内の選手はいなかったようだ。こんな風に高校野球の選手集めは、私学なら全国各地から有望選手を集めてくるので、雪の多い北海道は優勝できないなんてことがなくなった。選手たちは自分を売り込めるのならどこにでも行くという考えなのだろう。それが将来への足掛かりともなれば。どうせ一年中野球をやっているのだから、住む場所なんて関係ないのかもしれない。大物食いをする学校なんてものはなくなってくる。
シリアで凶弾に倒れたジャーナリスト山本美香さんのニュースは衝撃的なものだった。山梨県人ということだったので、過去の新聞記事などでも少しは知っていたが、これが戦場をつぶさに取材報告する者の死との背中合わせの現実だということをまざまざと見せつけられたようできつく痛かった。彼女の冥福を祈った。今日もものすごく暑い一日。

2012年8月22日Wednesday 晴れ
朝は涼しくなったが。 今朝も梅ちゃん先生を見てすぐに本堂に入る。習礼は涼しいうちに。終えてその後身延駅に京都行の切符を買いに行く。空が高く見え、空の青さが濃くなったように思える。秋の空だ。8月もあと10日で終わるのだ。でも昼近くからは暑い。昼食後に昼寝兼ゴロリとなっているとケータイが鳴る。内藤君からで、「今から行くので不動明王を拝観したい」と。夏休みという。彼がわざわざ拝観を願うということはないので、きっとまた連れがいるのだと思っていると案の定二人でやってきた。前回は中村誠一氏だったが、今日はバスフルートなる楽器を奏でる天田透さん。高岡大祐君ともセッションしているそうだ。庫裏でお茶を飲んで少し話をした。二人も又、熱い車に乗り込んで帰っていった。京都行の荷物を準備したり、3時過ぎから今日は再び本堂に入った。風呂を洗う前に残り湯が水に戻った風呂に少し使っていると、シャワーを短時間浴びるより体温が下がってくれるような気がして、数日前からこんなこともしている。暑い。

2012年8月21日Tuesday 晴れ
暑くてかなわん。 こう毎日暑くては何かをしなくてはならぬと思っても、行動に移そうとする気力を萎えさせてしまう。週末本山に行かねばならぬが、お盆前からこちらの方があまり進んでいない。梅ちゃん先生を見てすぐに本堂に入ったが、この時間ぐらいがまあまあいけそうな感じで、10時過ぎるともう体が暑さでだらっとなってくる。夕方は暑くて気持ちの切り替えができない。それでも少しはやっていかないと恥ずかしいので、木曜まで少し進めることにする。関西方面、京都も暑いようだ。
高校野球東海甲府今日も勝ちベスト4。今年の夏は山梨県関係者の活躍が目立つ。オリンピックもそうだし、サッカーJ2でも甲府が首位をキープしている。勝ちも負けもない生活をして「暑い暑い」と情けない言葉や考えの中で、開封して日の経った牛乳みたいに饐えていくようだ。

2012年8月20日Monday 晴れ
BOOK-OFF行く。 出かけたくなってというか、CDとか本を無性に漁りたくなって昼飯の後出かけた。2時間ほどゆっくりと時間を過ごした。老眼になってきて、棚に入れてあるCDや本の背が眼鏡越しに読み取れなくなり、メガネを下げたり上げたりしながら漁る羽目になってきた。まったく年はとりたくないものである。これが老いということである。知らず知らずのうちに日常正確に不便が生じてきて、そんなこんなで老いを知ることになる。でももう元には戻らないのである。こういう状態でうまく世の中と折衝していくということである。今週の土日がセールで本が20%offになるとのことであるが、あいにく京都なので適わない。高村薫「神の火(上下)」「リヴィエラを撃て(上下)」と、Bob Dylanを3枚、Pat Methenyを2枚、Creationを1枚買ってきた。ブックオフはお世辞にも安いとは言えない。amazonで買った方が値段がもっと安かったりすることが多い。でも時々はこういう漁るという行為を無性にしたくなるのである。もう高校時代から、大学時代も経て、レコード漁りから始まって、こういう場所に居たら一日居ても飽きない。暑い道を帰ってきて涼しくなり始めた部屋で、パット・メセニーのguitarが蝉とセッションしている。今日は朝から、そして午後5時を過ぎた今も猿が飛び回っている。

2012年8月19日Sunday 晴れ 僕は領土というようなものには興味がない。実はあまりこんなことを積極的に考えたこともない。竹島にしても尖閣諸島にしても、「そんなに欲しけりゃくれてやればいい」くらいに思っている。これの所有権のあるなしで、漁業領域が制限されるなどのことはあまり考えたこともなかったし、とにかく、愛国精神に燃え上がる者たちが自国の旗を握りしめてそのてっぺんに旗をおったてる行為が、見るに堪えられない程に不快であるだけだ。だから欲しけりゃくれてやれと思ってしまう。僕には甘い考えだと一蹴されるかもしれないが、まさかこんなことぐらいで武力衝突にまで発展はしないであろうという案外のんびりとした思いが根底にある。国とか国家とか国境とか領有権とかいうものに興味がない。なにしろ、ガキの遊びの延長のような陣取り合戦は、流行が巡り巡っているよなもので、平穏に暮らしていると少し何か刺激がほしくなるようなもので、おそらくどの国の国民も、ほんのわずかな国粋主義とやらに燃える輩の小便のようなものだと思う。店や車が襲撃されて、大使館に抗議が殺到し、製品の不買運動がおこり、一時的にそれぞれがその国不満を漏らし、相互交流が停止し、観光客が減り、経済がまたしぼんでしまう。こういうのって時間が経って激怒感情が静まってくるのを待つしかないのだろう。同じような顔をしていても、感情表現はあまりにも違う。弓の国の人たちは感情の抑揚が少なくて案外と僕が住むにはありがたい。
昼前に甲府の玄法院ご住職と御子息見える。午後暑くてボーっとしながら高校野球見る。夜8時から区会ある。

2012年8月18日Saturday 晴れ
雨降る。 午後から少しの間激しく雨降る。これで大分潤うことだろう。午後拝観者あり。珍しく「聖天像があるということですが拝ませていただけないか」と。実はどうも僕の徒然を検索で当てたらしい。ご自身の願掛けがあって全国の聖天さんを拝ませてもらっているとのことだった。あまり積極的に像を見せることはしたくないのだが、この方にはお見せしてもいいだろうと思えた。その後、外陣に出て激しい雨が降る時間を本堂に座っておられたようだった。午後5時を過ぎて雨も去り、青空がのぞいてきた。中断していた甲子園の高校野球も再開した。

2012年8月17日Friday 晴れ
秋に入っていく雨になるか。 午前中の暑さは相当ひどいものだった。それなのに県下に雷注意報が出た。お昼ご飯は女房と下山の「めん丸」へ行った。昨日の昼カップ麺を食べて、ラーメンが食いたくなった。平日の昼なのに店は結構混んでいた。生ビールと餃子を頼み、二人ともつけ麺にした。
外で摂る食事もたまにはいい。店内の涼しさが体に沁みてくると、炎天下の外に出るのは嫌になってくる。寺に戻り少し休んでいると玄関から声がかかる。大津の佐田さん親子だった。東京にいる息子さんと甲府で待ち合わせてレンタカーで墓参りに来てくれた。猛暑の中を墓に30分くらいも行っていただろうか。二人が戻りお茶を飲んでいただいていると、にわかに外が暗くなり始め遠く雷も聞こえ始めた。いよいよ今日は降ってくるかなと期待は大なのだが、いつも降雨量は期待はずれなので静かに待つことにした。あわただしくまた帰っていく親子を見送るとぽつぽつと落ち始めた。稲光もし、雷も近くなってくる。頼もしい雨がほんとに久しぶりに大地と杜を潤してくれた。干上がっていた客殿の裏の池にも半分近く水が戻った。アジサイの苗たちがしっかりと首を持ち上げた夕方の外が心地よく感じられた。盛夏到来の雷雨ではなく、夏の終わりを告げる雷雨なのだろうか。

2012年8月16日Thursday 晴れ
盆を送る。 午後2時から盂蘭盆法要と護持会の総会をする。ものすごく暑くなる。銀箔に彩られた外から檀家の人たちがうんざりしたような顔をして入ってくる。8人が来てくれて、先祖供養をして護持会の会計報告と役員の改選を行って、少し風の通る客殿でそのまま宴に入る。僕は自身のことと家族の現況を皆に報告し、台所を改装したことも報告する。それから寺の住職としての今後のことなども少し話す。先のことははっきりとはせず、なるようにしかならないのかもしれない。ビールと焼酎を飲み、今年の暑さを全員一致で確認しながら、境内にやってきたサルたちを眺めたりもした。またこれから一年頑張ってやってゆく。

2012年8月15日Wednesday くもり晴れ
棚経終わり。 午前中、伊沼、飯富、後山、梅平とまわって今年の棚経終了。午前中は天候が崩れていて雨などもパラパラとある。梅平のS氏の処は一人暮らし。だが余り感心できる檀家とは言い難い。先日も夜電話があり、年金が15日に振り込まれるので15日に来てほしいと言ってきた。いささか生活態度に問題があるが、滞納している護持会費もまとめて納めるとのことだったので向かった。亡くなったお母さんの3回忌も間近である。法要もしたいという。なんでも7万円の痛い出費があったのだと。食料を買って帰る食品館の駐車場で、若い夫婦連れが連れていた柴犬の子供をうっかり轢いて死なせてしまったということだった。なんでもその柴犬は夫婦が一ヶ月ほど前に買ったもので、金七万円也の領収書を後日見せられ、厳しい経済状況ではあるが自分に非があると認め7万円支払ったということだった。普段お寺や家の墓地に不義理をしているからそうなるのかもしれないと、やんわりとたしなめた。これからはちゃんとしますと今日も言うのだが、このセリフは過去に何度も聞いた。世の中にはこういう人もいるもんである。午後はのんびりとごろんとする。涼しいままで一日終ってほしいと思ったが、午後からはまた暑さが増幅してきて大変に不快度の高い時間である。富士ヶ嶺の遠藤さんのご親戚の家族が来て本尊のお開帳する。

2012年8月14日Tuesday 晴れ
棚経。 7時10分過ぎに他村への棚経に出る。国道300号線を本栖湖へ上る。雨が少し降っていてひんやりとして気持ちいい。今日は汗をかかなくて済むかなと期待したが、午前中でその雨も晴れ空に吸い取られてしまい、逆に蒸し暑い日となる。冷房を入れて車を走らす。富士豊茂の遠藤家と望月家を2軒回る。外の気温20度。それでも特に寒いとか涼しいとかは感じなかった。精進湖線を下り市川大門の遠藤家。そこから甲府へ向かう。陽が射してきて暑くなる。なぜか遠藤が多いが、甲府の遠藤家の主人は夏風邪をひいていた。夏風邪ということが僕の経験の中でしばらくないので、あまりピンとこなかった。柳澤家でいなりずしを食べて午後に突入。甲府近郊で5軒回り、増穂で佐田家。寺に戻り又出かける。三吉屋に行き新盆の経を上げ、最後に公康君の遺影に経を上げる。仕方がないことだとは分かっていても写真の彼になってしまったことはまだ納得がいかない。しばらくお母さんと話して寺に戻り衣を脱ぐ。水シャワーを浴びながら体も洗い、さっぱりしてビール。それから天野家でいただいた日本酒を飲む。夜集落の納涼会。夜はちょうどいい気温で片づけも手伝って11時過ぎに戻る。

2012年8月13日Monday 晴れくもり
雨は降ってこない。 盆の紙幡を墓地へ付けに行く。雨がなくて紙の幡は何とかもちそう。付けている時間は静かで厳かだ。6時前でも墓にご先祖様を迎えにやってくる人もいる。午前中少しの時間を久成に行く。車にガソリンを入れるのはひと月に一度ほどで、外に出かけることはほとんどない。帰ってきて墓地へ盆のお参りに行く。寺の墓地、無縁仏、遠い檀家などの墓地に経や真言を上げて回る。雨が来そうだが暑い。風は強いが暑い。午後1時から地区内の檀家の棚経。いつもは自転車だが、空模様が怪しいので折りたたみの傘を持って歩く。ぱらぱらとなども来たが、結局降雨にはならずに終える。新盆の檀家が2件あり、去年の夏はこの場所に座っていた人がいなくなって僕にとってもさびしい気持ちになる。仕方のないことだとは分かっている。どうせ死んでいくいのちなら生まれてこない方がいいと思えたりする。僕は子供の頃父に「死んでしまうのなら生まれてこなかった方がいい」と話したのだそうだ。死に臨みながら懐かしそうにそのことを父は僕に話してくれた。地区内の檀家を回り、数が減ってきたりしている現状は毎年何かしら切ない気持ちにさせる。雨の棚経は嫌だけど、どこの家もみな「雨が欲しい」という。明日は降るのか。

2012年8月12日Sunday 晴れ
新盆廻り。 甲府の醍醐派の寺3か寺に新盆の供養をさせていただいた。玄法院の長老、教昌寺のご住職、行藏院のお母さま。役不足なのだが、いずれの葬儀も僕が導師を務めさせていただいた。行藏院に他の仲間も集まって3つの寺を順番に廻って盆の供養をさせていただいた。お返しやら、桃や葡萄などのお土産もいただいてきた。昨日牧丘の方はすごい夕立が降ったそうだが、ここの雨は期待したほどの降りにはならなかったものの、朝には雨の名残が残っていた。埃っぽい大地がいくらか潤いを持った。だが今日の暑さで夕の5時にならんとする時間、甲府から帰ってくるとアジサイはもう首をかしげている。ガソリンを補給して国道から町道に入る所ですれ違った車が、「俊一君みたいだったな」と思いながら帰ると、たった今帰ったところだと女房。やっぱりそうだった。せっかく訪ねてくれたのに会えずに残念。でもまあまた会える。甲府への行き帰り、ずっとGrateful Deadを流した。Jerry Garciaも八月の故人だ。1977年5月8日のBarton Hall Cornell UniversityでのLive。盆帰りの精霊がゆっくりと流れ来るようなJerryのguitarを聞いた。帰ってきてから今これを書きながら聞いているのは、China Cats Trips Band
のOSHINO DEAD 2012の演奏だ。まさにこの弓の島のDEAD。さあ夕のお勤めをしてこよう。

2012年8月11日Saturday 晴れくもり
雨が少し落ち始めたが・・・・。 3時半に起きる。男子サッカーの三位決定戦の対韓国戦。前半に一点取られ、後半の始まりを少し見て、「まあこっちも多分駄目だな」と見切って本堂に入る。案の定結果は敗戦。金メダルへの意気込みが強かった分其の切り替えができなかったのか、再放送であのうな垂れ方を見るにつけ、なぜそこまで?という思いだけが湧いてきて、ホント早くオリンピック終ってほしい。
午前中は墓地に建てる紙の盆幡を付けるの野竹を取って各墓に建てる。夕方になって雨が降り始めた。明日も天候は崩れ気味のようだが、紙幡を付ける13日朝には上がっていてほしい。いくらか涼しいがやはり昼間は暑い。3時頃豪一兄ちゃん息子たちを伴い来る。波木井へ新盆のあいさつに行った帰りとのこと。頭を刈る。夕のお勤めをする。水遣りをしなくてよさそうな夕方で嬉しい。たくさん降ってほしいな。

2012年8月10日Friday 晴れ
少し今日はしのぎやすかったかな。 3時半に起きてなでしこサッカーの決勝戦を見る。女房と娘も起きだしてくる。今朝は大分視聴率が上がっただろう。アメリカの先制ゴールはさすがだと思えた。パスを回してじっくり前線に上がっていく攻撃よりも、相手に先制パンチを見舞ってやろうと、ゴール前に直線的なパスを繰り返し繰り出す攻撃の方がこの試合には適しているように思えた。もう後のないこれでおしまいの決勝戦には小細工なんていらねぇという自由の国アメリカが象徴されているようだった。後半が始まって間もなく2点目が取られた。「アーこれでこの試合はダメだな」と僕は直感してしまったので、ちょうど5時前になるので本堂に入った。勤行を終えると試合が終わっていてやはり負けたが、なでしこも1点を取ったということだった。僕は「どうしても金じゃなければ意味がない」みたいな言葉は嫌いなので、彼女たちのコメントには興味がない。早くオリンピック終ってほしいよね。
墓地への参道を朝のうちに掃除する。甲府の佐田さんが墓地の掃除に来ていた。檀家の皆さんそれぞれ盆を迎える前に自分の墓を掃除しに来る。墓を磨きながら草を抜きながら会話をするのだ。アジサイに水遣りをして、外便所を掃除して、庫裏の便所も掃除して、11時の鐘を撞いてやっと一休みになる。新聞を読んでいると柳澤夫婦やってくる。身延へ新盆のあいさつに行ってきた後を寄ったとのこと。二人も墓地へ掃除に行く。週末にかけて天候が下り気味のようで、今日の午後は強い日差しはなかったが蒸し暑い。OSHINO DEADのTシャツ届く。

2012年8月9日Thursday 晴れ
今朝は明け方少し寒く感じたが。 季節が夏の終わりに移り始めていることは実感できた。それでも昼間は暑い。草刈り機を二日使ってその重さが大分答えてしまったようで、昨日一日休めたのに、今朝は5時起きになった。見たいオリンピックもなかったということなのか。お勤めを終えて朝飯をしたくする台所のテレビでは、レスリング女子で二人が金メダルを取ったことを大々的に繰り返し放送していた。女子の活躍ばかりのような気がする。午前午後の二回本堂に入る。風はあるが雨は呼ばない。

2012年8月8日Wednesday 晴れ
暑い。 昨日が立秋だったが、秋が立つような陽気にはならない。それでも赤とんぼが夕には舞っていたりはする。少しずつ少しずつといったところか。護持会の総会の資料作りする。16日が年に一度の総会で、まあ特段難しいこともないのだが、けじめという部分でもあるのだろう。盂蘭盆の掲示用を手作りしてラミネートする。ラミネートは本当に便利だ。これをしておけばほぼ数年はこれで、鋲を刺しても十分に使える。畑への水遣りと、アジサイの今年下ろした苗への水遣りが増えた。皆うな垂れている。空も風も雨を呼びそうな雰囲気だけはあるように感じるが、実際に呼んできてはくれない。今朝は3時半起き。韓国:ブラジルの男子サッカー見る。早くオリンピックなんて終ってくれたらいいのに。

2012年8月7日Tuesday 晴れ
草刈る。 猛暑の中草刈る。昨日からの自分との約束だったので投げ出すわけにはいかなかった。午前中から午後3時までかかって刈り終えた。参道の両側とてもきれいになった。秋の彼岸の頃までこのままでいいだろう。そんで、その頃もう一度刈って今年はおしまいだ。今朝は2時半起き。なでしこジャパンのサッカーの試合を後半の終盤から見た。2:0でフランスに勝っていたが見始めて間もなく1点取られた。何せ試合の終盤はなでしこゴール付近での攻防に終始していたのだから仕方がない。そしてそのあとすぐに自陣で反則してPKになる。「こりゃ、見なけりゃよかったかな」と思いながらも見守ったのだ。見事に外してくれて、2:1で辛くも勝つ。決勝の相手は次の試合に勝ったアメリカになる。2時半から起きているのだから草刈りを終えてさすがに疲れて体は「寝たい、休みたい」モードに入っている。暑くて水ばかり飲んでいる。早めにお勤めをしてビールでも飲むとする。
盆の幡を池の縁に建てた。

2012年8月6日Monday 晴れ
天気をつけるとしたら、やっぱ晴れということになるかな。 5時半過ぎに15分ほど雨が降る。樋からもちょっとだけ水が流れた。後はピタッと止んでしまった。ちょっと期待したがほとんど影響なし。9時に町内小中学校の先生方が寺を拝観に来る。20人ほど。30分ほど話す。話をするのは大の苦手だ。特に寺のことを説明したりするこの団体への話は特に苦手で、できることならお断りしたいとこだが、まあそうもいかない。密教は秘密だから、話せないことが多いですというようなことをしゃべって煙に巻いてしまった。11時の鐘を撞いて正午まで畑の草を刈る。午後その続きを3時半までやって片側を刈ってしまう。明日もう片側を刈れば盆前に参道両側がきれいになる。カンカン照りにはならなかったので比較的作業はしやすかった。今朝も3時半に起きて4時45分までオリンピックを見た。その分早く寝る。

2012年8月4日Saturday 晴れ
甲府へ。 玄法院の昨年夏に亡くなられた長老の一周忌法要に行く。暑い日。電車で行く。甲府到着前に山梨学院大学のグラウンドが見えたりして、オリンピック水泳で二つのメダルを取った鈴木選手のことが頭に浮かんだ。彼女は4年間この暑い盆地でオリンピック出場を夢見て練習に励んできたのだ。オリンピックも暑い夏もやがて終わることがわかっているから、少し早起きをしたりもするし、暑さの夏も愚痴をこぼしながらも耐えていられるのだ。法要には大阪の坂本師も東海さんも来ていて、おまけに導師席には曲禄まで用意してくれていて恐縮至極。昼食は湯村温泉郷の柳屋でいただく。甲府も暑いが旅館の中は入ってしまえば外の暑さを忘れるような快適な温度。ビールをいただいた後冷酒を十分にいただく。食事も会話も楽しんだ。3時前の電車で帰る。鰍沢口まで覚えていて、「次で降りるな」と頭でわかっていたのだが、不覚にもまたもや乗り越してしまって、下部温泉で下車。乗り越し運賃を払おうとすると、車掌さんが「今回はいいです」と優しく応対してくれた。取るのがめんどくさかったのかもしれないな。いかんいかん、最後までしっかりと身を保たねば。

2012年8月3日Friday 晴れ
暑さは続くよどこまでも。 今朝3時半に起きる。オリンピック水泳見る。ちょうど二人が銀メダルを取ったこと報じていた。西の山に沈まんとする月を仰ぐ。この時間ぐらいだ、ちょっと寒いなと感じる。午前中、龍樹菩薩法の次第作りはじめる。少し複雑になってくる。草刈りもする。暑くてもやることはやらなくちゃならん。流れる汗はうれし涙。マサミっちゃんも暑いといいながら煙草をふかす。来週は少し和らぐようだから、畑の草刈りを一気にやってしまおう。午後も次第。
Helge Lien Trioの「Natsukashii」というアルバム届く。ピアノトリオに蝉の声聞きながらホッとする。

2012年8月2日Thursday 晴れ
オリンピック見る。 今朝は3時に起きた。ここのところ晩飯を食うと、風呂に入って寝てしまう。8時前には床についてしまう。必然的に目覚めが早い。今朝は、水泳の平泳ぎや体操があったなぁと起きることにした。台所でテレビをつけると、ちょうど男子体操個人総合で金メダルになった内村選手が映し出されていた。寝転んで外を見ると、西の山陰に落ちていく前のまん丸の大きな月があった。テレビよりこの月を見られたことのほうがとてもラッキーに思えた。早い早い朝の冷気がひんやりと気持ちよく、こんなに冷たい時間があるのだなぁというのもありがたいいただきものだった。4時半から本堂に入る。後はいつもと同じ一日。午前中は幾分涼しいような感じもしたが、午後からは厳しい暑さが戻った。用事があってきた若い銀行マンも、この暑さには相当に参っていて、おまけに近くの国道でひどい交通渋滞があるとかで、冷たい麦茶を飲みながら汗を拭き拭き話してくれた。

2012年8月1日Wednesday 晴れ
八月に入る。 月が替わったとて、猛暑に何らの遠慮もない。自信満々に熱を振りまいていやがる。迂闊だった、まったくもって迂闊の極みだ。苗を買って畑で育てているミツバツツジが枯死寸前になっているのに気が付いた。蘇生できるかどうかは今日の夕方やった水をどう命につなげていってくれるかだ。暑さ=雨がないということをいささか疎かにしてしまっていた。県内でもところどころ夕立や雷雨があるらしいのだが、ここは全くない。ピカリともゴロとも言わない。風は結構あるのだが、やはり日中の暑さは尋常でない。地は枯渇状態で、アジサイの苗も多くがうな垂れている。池の水を60L容量の大きなポリ容器に汲んで一輪車で二度畑に運んで水やりをした。
盆の準備もしなければと、盆の紙幡を出したりと。何せ暑いので体を動かすのが億劫でたまらない。僕の朝はいま、起きてすぐ風呂で水シャワーを浴びてお勤めに行く。水浴びは日に何度にもなった。暑さに負けない健康を維持しよう。

2012年7月31日Tuesday 晴れ
快適に過ごせる時間は朝の勤行の時だけだ。 7時前から墓地に行き、切り出した雑木を燃す。太い蔓が絡んでいたりで、燃すのも厄介な作業だった。涼しいうちにとはじめたが結局11時の鐘を撞いてもうちょっとかかって片が付いた。便意を催したので8時前に家に戻るとちょうど携帯に玄法院ご住職から電話がある。goodtiming、大体かかってきた電話に出ないのが常なので、先方もびっくりしたかもしれない。炎天下で雑木を燃すのだからたまったもんじゃない。二度戻って喉を潤し、頭から水をかぶった。夕のお勤めを済ませてから、墓地に行って燃え残りを始末したりした。やっときれいになる。その後護摩木作り。陽が沈んでからも暑い。快適に過ごせるのは起床して朝のお勤めをする5時前後の時間帯だけだ。実は今朝は、オリンピックを見ようと4時過ぎに起きたのだが、そのまま見続けたらあかんと本堂に入った。水泳で3人続けて銅メダルを取った放送を見ることができた。柔道代表は金を取ることが使命であると感じているらしく、「銅では喜べない」発言をするが、僕はどうもこういう発言は支持できないなぁ。

2012年7月30日Monday 晴れ
護摩木作る。 朝の涼しい時間と、夕方少し陽が薄れてきてから護摩木を作る。それでも汗は流れる。本堂に入っても経を読むだけで汗が吹き出し流れる。暑いさなかで、暑さに負けてしまいそうになるが、できるだけ普段どおりのことをしなければと思う。オリンピックが始まって、夕べの柔道の試合も見たが、審判員の判定がどうも選手に気勢を削いでしまうようで首を傾げたくなる。試合を途中で止めて選手を畳みの上に棒立ちさせておいて、審判員の判定ミスを審判する「ジュリー」と言うのだのだそうだが、彼らの意見を聴取してから再会する場面が何度かあった。微妙な判定にビデオを持ち込むことが必要な場合もあるだろうが、観客にとっても、格闘技である柔道を楽しむ面においては相当な邪魔者である。
メダル確実といわれているものが、なかなか取れないで敗退したりする。オリンピックは4年に一度のやはり特別なものということだ。僕らはビール飲みながら、画面の中の選手たちに一喜一憂するのだから、彼らにとっても、戦う気持ちを折ってしまうような試合進行はできるだけ避ける方向でさらにいいジャッジができるよう検討願いたいものだ。

2012年7月29日Sunday 晴れ
午後4時になろうとしているのに、台所の温度計は34度ある。 ってことは外はもっと暑いのだ。暑いというより熱いが適当な字かも。夜も寝苦しくてかなわない。7時半から毎年恒例の檀家による墓地周辺の環境整備。7時半ももう暑いのに皆よく出てきてくれて頭が下がる。年に一度だから頭を下げる気持ちにならなくてもよいのだが、ここ数日の猛暑続きのことを考えると、「ありがとうございます」という気持ちにならざるを得ない。昨年の草刈りから持ち越した墓地上の雑木もきれいに倒してもらった。この天候が持続すれば、盆前には片づけた雑木などきれいに焼却処理してしまえるかもしれない。2時間ほどで作業終えお帰りいただく。
11時から高槻の佐田家の法事。大阪から昨日出てきて甲府に泊まった組と、千葉から今朝出てきた人たち、夕べは焼津に泊まってきたという組などバラバラにやってきたが定刻の11時から始める。遠く離れているので、数年に一度くらいしか来ていただけないし、僕も高槻一軒だけを訪問する予定はなかなか組めない。丁寧に経を上げてご先祖の眠る寺を味わってもらい、「若大将」の昼食も楽しんでいってもらった。夏の法衣ではあっても、何枚か重ね着しているのでどうしても暑い。衣も汗で濡れるのでしっかりと風に当てて陰干しする必要がある。7月もあとわずか。

2012年7月28日Saturday 晴れ
更に猛暑。 お不動様の日で4時半過ぎに起床。お勤めを済ませ、世間で休みの今日は女房も少し遅いので勝手に炊けたご飯をお茶漬けで腹に流す。暑いので何を食べたいなどの興味がなく、とりあえず腹におさめたいという感じ。暑い時はお茶漬けとかおにぎりがいい。排便を済ませて本堂に再び入り護摩を焚く。これもまたこの時期なので仕方がないが暑い暑い。護摩を終えてその後壇の片づけと本堂の掃除。今日も最高に暑い日。女房に時間のことをせかされながら、10時ちょっと前に掃除も終わる。水シャワーを浴び着替えて武士兄ちゃんの七七日忌の法事へ。山宮の孝子姉が僕らを運んでくれる。ご主人はロシアの山を歩いているとのこと。今朝4時過ぎに目が覚めると、間もなく一斉に蝉が鳴き始めた。しばらく鳴き声を聞きながら。なぜこんなに早く鳴くのだ?とか、なぜみんなで一斉になのだ?とかしばらく頭を巡らせた。公康の魂もこの中で鳴いているのかもしれないと思った。内藤君からの先日のメールもうれしかった。世間との接触が少なくなっていくことに寂しさはないが、友のことを思う気持ちは持ち続けたい。僕にはそういう面がいささか希薄。暑い暑い日で、法事の後の席でもたくさん酒を戴く。帰ってきて庫裏で寝ていると「ご朱印をいただきたい」ときた。この暑い最中をご苦労様ではあったが、頭がまだはっきりとせず、僕の想う上手とは思えなかったのが残念。加藤和彦を聴いている。

2012年7月27日Friday 晴れ
猛暑。 暑い暑い。言葉はこの二文字に尽きてしまう。4時過ぎると蝉がいっせいに鳴きだす。鳴きだすと「起きろ」と急かされているようで4時半過ぎには起きる。だから夜はここのところ毎晩早い。8時過ぎには床に入ってしまう。今日もどうせ暑くなるのはわかっていたので、梅ちゃん先生を見てから野良着に着替えて昨日切った雑木の始末する。枯れ草や、アジサイの切り落とした花がドライフラワーのようにからからになっていて、格好の焚き付けになった。火が付いてしまえば樫も椿も生だろうと燃えてしまう。11時前に大体片付け終わる。汗を今日もたくさんかいて、水分補給も十分に摂った。11時半頃から40分ほど、不動法の次第を確認しながらうとうととする。確かに15分くらいは眠っている。昼食後少し休んで1時半から本堂に入る。4時半まで習礼と明日の護摩を焚く準備する。明日は身延の法事があるので、早めに護摩を焚く。4時半から樫の木を護摩用に寸法揃えて少しきる。残りは明日か明後日か、月曜日になるかも。頭を刈って水シャワーを浴びて一日の終わり。アクアブルー飲みながら、ジョン・コルトレーン聴いている。

2012年7月26日Thursday 晴れ
熱中症に気を付けましょう。 ギンギンの暑さの夏真っ盛りといった日。朝、母の介護保険証が7月末で切り替わるので新しいものを施設に届ける。母には会わず。帰ってきて決めてあったことを始める。墓地に行く坂道上の雑木を切って運び出す。午前中かかって切って坂道に倒しておく。午前中はここまで。水分補給をまめにとらないと気が遠のいていきそうな暑さ。熱中症になってしまっては元も子もない。500のペットボトルも一息くらいで飲んでしまう。今年一番の暑さかもしれないと今思っているが、こんな暑さの日に外で作業したことはこの夏なかったのだ。昼食後、不動法の次第を眺めながら少し横になる。客殿は幾分風が通り涼しい。2時過ぎに重い体を促して起きて続きをするべく野良着に着替えると、そこに、炎天下を60過ぎの母と30代であろう息子がやってきて「本尊を開帳してほしい」と。訊くと埼玉から来たのだという。正直ちょっと「めんどくせぇな」とも思いながら野良着からまた着替えて本堂に行く。数年前から二人で、国宝や重文の本尊のある寺を回っているのだとのこと。二人が帰ってから続きを始める。一人の作業は時々気持ちがくじけそうになる。木を片付けて境内の端に集め、片づけた後の林の中に入って草刈り機で細い竹などを払う。大分きれいになった。ただこれで猿が来なくなるということはないだろう。

2012年7月25日Wednesday 晴れ
暑さ戻る。 早川町の大塩の滝に出かけた。梅ちゃん先生を見てすぐに出かけ、30分ちょっとで着き、滝まで歩いて15分くらい。遊歩道はしっかりと整備してくれてあり今日は安全だった。去年の秋の台風によってだろうか、お不動様の立つ巨岩の左側にも滝壺からの水が大分流れたようで前と少し風景が変わっていた。岩は一層苔むして周りの緑にそのまま岩が溶けるかのような趣である。新しい縄を張り、五色のシメを新たに付けた。香を焚いて法螺貝を吹き、御法楽をする。激しく流れ落ちる滝の音に負けないように読経する。もう20年が経とうとする。建立した佐野さんも、父も、玄法院のご住職もみなあの世に行ってしまった。ひっそりと静かにお不動様はあるが、なんだか段々と風格が備わってきているような気がした。今日は褌を持参したので、誰もいない滝の前で裸になって、(誰もいないのだから素っ裸で入ってもよかったのだが、いささか気が引ける思いがした)褌をしめて不動独鈷印を結んで滝に入った。滝が落下するところも深い壺にはなっていないが、だいぶ強くしぶいていた。般若心経・慈救呪を唱えた。たくさんのマイナスがいい方向に向かうよう、深い緑の森と滝と、お不動様に祈った。
帰りは身延高校前の花屋に寄って、三吉屋の七七日忌に届ける花を注文した。3月まで勤めた支所を眺めながら通り過ぎ帰ってきた。

2012年7月24日Tuesday 晴れくもり
夕立でも来るかなぁ。 少し空が曇ってきた。遠く雷が聞こえているような(僕には気がするのだが)。午後の部の習礼と夕のお勤めに入らなければいけない。特に誰も訪ねてはこないので、半ズボンに上半身裸で過ごしている。午後から飯富病院で定期検診。検診といっても血圧を計って胸の音を聞きましょうと、問診でおしまい。次は9月11日。お代を払って薬局で薬をもらう。病院内は涼しい。暑苦しいのに、Deep Purpleのジョン・ロードが亡くなったと聞いたので、ライブ・イン・ジャパンを音大きくして聴いた。時々ハードロックが聞きたくなるが、アルバムなんてこれぐらいしか持っていない。後は沖縄の「紫」くらい。彼らのハードロックは、根底に基調となるクラシックが感じられて格調が高いような気がする。さて、一日のシメを1時間ほどするかな。

2012年7月22日Sunday くもり
今日もまた涼しい。 ついに夕べは毛布をかけて床に入った。夏掛け一枚では寒いなと感じた。体は正直である。夜中は撥ね退けたりもしていたようだが、明け方には毛布が欲しくなった。日曜日なので少し遅く起きる。といっても5時少し回った時間。お勤めを終えて、外を少し歩き、台所でごろっとしながら喜多郎を聴く。久しぶり。
Oshino Deadの音源がもうアップされていたので落とす。地元開催なので行きたい気持ちはあるが、どうもいまひとつ決断がつかないのがある。年齢のせいか。いまくこちらの予定と合わないってこともある。どれも素敵なライブを伝えてくれる音源ばかりだ。チナ・キャッツは一度どこかで聞いてみたいなぁ。午前中少し雨降るも少しずつ天候が戻ってきたのか、青空は覗かないものの、蒸し暑くなってきた。蝉の声も暑くて煩わしい。

2012年7月21日Saturday くもり
今日も涼しい。 一日曇りで少し雨も舞う。暑さの日々が嘘のように涼しく、まるで避暑地にでも来ているような気持ちになってなんだか少しうれしくなる。早い時間に習礼して、昨日いただいた桃を喜田の姉さんのところに返し物に添えて届ける。道の途中で田の草でもとる準備をしていたのか軽トラの横にいた彼女と会う。向こうもすぐにわかる。「出てくるけぇ?」と言われたが「また来る」と返して別れる。和紙の里の売店へ和紙のプリント用紙を買いにいく。次第用。次に富士川を渡って六郷のコメリに寄り、夏オクラのポット苗を6個買って帰る。帰ってすぐに長靴に履き替えて植える。雨の後の畑で、長靴の底は泥で重くなる。でも収穫の事を思うとうれしくなる。オクラは猿も興味がないようだ。ネバネバがだめなのかもしれない。来週の法事のための塔婆を書く。

2012年7月20日Friday
火照りを冷ます雨になった。 昼近くになって本格的に降り始め、かなり土砂降りの大雨になった。大降りになる前に習礼を済ませてしまう。今日はそれほど汗もかかず、水シャワーも必要なし。雨と風の作る冷たさが、ここ数日猛暑だったので生き返るが如く気持ち良い。
午後2時前に不動寺へ出かける。上求寺のおじ夫妻が今年も甘い桃を届けてくれた。不動寺へそれを戴きに行った。上求寺のおじは3月以来であったが、体調があまりよろしくないようなことも聞いていたので心配していたが、今日会った様子はさほど変わりないような印象を受けた。今年の暑い夏も養生しながら乗り切れるのではないかと思う。不動寺の叔父・叔母も元気そうだ。夕のお勤めに久しぶり法螺を吹く。
ミュージシャンの桑名正博の脳幹出血による意識不明状態が伝えられているが、彼が下田逸郎の歌を歌ったアルバムを聴きながら、奇跡が起こることを願ってお勤めでも祈りを始めた。

2012年7月19日Thursday 晴れ
暑い。 朝頭を刈る。時間を気にせずに過ごせるのはいい。暑いので、日に何度も水シャワーを浴びている。作務衣で習礼しているが、汗で塩が吹いてくる。我が家の畑はダメなので、近所の皆さんが今年も又結構野菜を届けてくれる。「あいつは野菜作りに向かない」と思ったのかもしれない。それから野菜の取れる時期はたくさん取れるので、だれかに分けないと結局捨ててしまうようなことにもなったりするらしい。猿が持って行ってしまうトマトもありがたく分けていただいた。暑さは明日にはいったん収まりそうだ。

2012年7月18日Wednesday 晴れ
特に語ることもなし。 猛暑昨日の如し。生活昨日の如し。朝玉屋さん来てパソコンの調子みてもらい少し話する。11時の鐘を撞いて本堂で習礼。昼過ぎに出た時に猿の姿を見かけたので注意して見ると、銀色に輝く最中に、全身毛むくじゃらの奴らも暑いだろうに、熱い屋根の上を飛び跳ねていた。畑のトマトも青いのを全部持っていかれた。オクラは食べないようなので、来年はオクラの苗のみ植えようかなどと女房と話す。

2012年7月17日Tuesday 晴れ
今日も猛烈な暑さ。 温度計は見なかったが、今日だって昨日に負けず劣らずの暑さ。事務を執っていれば涼しい室内になっていることだと思う。風は強いが暑い。でも寺の中は建物の中にも、外にも、涼しさを得られる場所がいくつかある。午前中早い時間に竹林と墓地周辺の草を少し刈る。月末の日曜に檀家の草刈りがあるが、そこまでちょっと延ばせそうにないくらい草が生い茂っていた。午後2時から習礼する。暑い時間帯で、本堂にいても汗が前も後ろも流れ落ちる。4時過ぎから畑に管理機をかけて、5時過ぎからまた夕のお勤め。どうも僕には畑で作をすることに焚けてはいないような気がする。ていうか、畑意外にけっこうやりたいことがあるので、作物を育てることの勉強まで手が回らないのが今だ。仕方がない。梅雨明けたようだ。

2012年7月15日Sunday 晴れ
暑い。 日曜なので、昨日の東京疲れもあり、1時間ほど遅く起き、朝食をとってからお勤めする。風が強く天候は良いとは言えないが暑い。午後車の6か月点検に行く。ダイソーで100円もの数点漁り買い。メダカの稚魚を小さな鉢二つに移す。初めに孵化したものは2センチくらいとなり、撒き餌も旺盛にドンドン呑食べるようになった。もう卵からの孵しも残り一ヶ月くらいの時期になる。自然の温度の中での管理だから。今現在でも、100匹以上は育ちつつある。果たしてどのくらいが冬越しに耐えうるか。今日は少しのんびりと過ごす。明日は海の日で世間はもう一日公休なのだ。

2012年7月14日Saturday くもり
東京棚経。 4時過ぎに起きる。明けきらないというより、曇り気味の朝。お勤めして朝食。傘を持つかで悩む。テレビも新聞も曖昧。結局出掛けの外がぱらついていたので折畳みを頭陀袋に突っ込んだ。6時過ぎの電車で東京方面への盆の棚経。町田から世田谷、江東区東大島、板橋と廻る。地下鉄で2回乗り間違いしてしまい、痛恨のエラー。最後の牛山家に着いたのが5時過ぎ。二度のエラーで夏の高校野球大会に敗れてうな垂れる球児たちの悲しみを共感している自分を見た。牛山家の棚経を終えて、池袋駅までタクシーを呼んでほしいと頼み、いくつかのタクシーに電話をしていただいたが、土曜の夕方でタクシー需要の忙しい時間帯でどこもみな配車できないと断られ、やむなく「ときわ台駅」まで歩く。なんとか19時新宿発に乗る。やはり年齢を重ねてきて知らず知らずのうちにというやつなのだろうか。午後9時の身延行きに乗ってぐったり疲れちまった己れが窓に映るをしみじみ眺めている。

2012年7月13日Friday くもり
蒸し暑い日、曇り。 九州を襲う大雨を、気象庁は「経験したことのないような大雨」と表現した。ここ数年雨の降り方が尋常ではない。もっと均等に降らせられないものかと思うほど、一度に豪雨が来たりする。だれも予測がつかない自然の災害がこれから日常襲ってくるのではないかと不安になってくる。ここは曇り日で一日蒸し暑い日となった。午前中習礼する。お昼に行藏院住職に電話する。情報交換など。午後、母の施設利用料の支払いに合わせ訪ねる。施設内は快適な涼しさが保たれていて、これは僕らでもここがいいやと思うくらい。母は相変わらず元気だ。会話がかみ合わないところもあるが、肉体的な衰えのようなものは全く心配なさそう。「今月いっぱいでここを出ようと思っている」というので、「出てどうする」と訊くと、「うちに帰ればいい」というので、「それはできない」と応えると、「そうか、じゃここに居ていいのか」とすぐに言い返してくる。自分の言葉をぶった切られると、すぐに方向転換する。このあたりは、認知症なのかな?ともこちらも少しうな垂れ気味になるが、現実のことを黙って受け入れてくれるのはありがたい。彼女は彼女なりに施設での生活を生きているのだろうから、これが上手に続いてくれさえすればいいと思う。

2012年7月12日Thursday
風強く雨降る。 この雨が去ると梅雨明けになるかもしれないとテレビで言ってはいたが、どうなんだろう。風が強かったので、朝のお勤めは本堂へは行かず客殿だけで済ませた。10時少し前に身延駅へ土曜日の東京方面の棚経のため切符を買いに行く。とにかく外へ出ることが少ない。車もほとんど運転しない。10月の灌頂に入るまでは、本も極力読まないことにしたので図書館へも行かない。借りると読まなければならないし、読めば返さなければならないし、いくつかの欲を抑えなければ続かない。雨自体は昼ごろからは小ぶりとなったが風が強い。3時過ぎてから本堂に入って習礼する。
CDプレイヤーのリモコンが壊れてしまったので、探したらヤフーオークションにあったのでとりあえずエントリーしてみた。

2012年7月11日Wednesday 晴れくもり
草刈り。 西から雨が来ているので明日は雨になる。雨の明日になるのがわかっているから今日は参道脇の畑の草刈り。毎年お盆直前に刈るのだが、今年は柔らかに伸びた草ならもう一度刈ってもたやすいことだと思えた。午後から風が強くなり、時折雨も混じったが3時過ぎまでに刈り終え、資料館の前庭、本堂裏も軽く草を刈る。快い疲れではなくずしんと重い疲れが残ったが、明日は雨なので外仕事がない。
パンダの赤ちゃんが死んでしまったと速報が流れた。特に関心はないが、あまりにはしゃぎ過ぎていた結果がこれで、あの大きなパンダから、あんなにちっちゃな赤ん坊が生まれるのだから、しっかりと健康で育つというのにはもう少し万全の態勢を敷かなければならなかったのではないかと感じた。小沢新党「国民の生活が第一」という何とも不思議な頭が誕生した。大津市の中学二年生自殺の件で、学校と教育委員会に滋賀県警の家宅捜索が入った。世の中には毎日いろいろなことが雲が流れるように起こっては消えて、記憶から薄れていく。

2012年7月10日Tuesday 晴れ
今日も暑い。 涼しいうちにと思って7時前から昨日の植栽の刈り込みの枝葉の片づけをする。その後、竹林の折れた竹を少し片づけて燃す。これはもう暑かった。木陰の涼しさをほんとにありがたく思った。今日はやはりこの夏最高気温になったとのこと。夕方カメラマン来て信玄から贈られたと伝わる担当をカメラに収めていく。彼の属す日本建築写真家協会の「写真浪漫」という所に「甲斐の山寺」として少し紹介されているので、お暇な方はどうぞ。
午後、新しい行法の次第仕上がり、夕方一座習礼してみる。結構時間もかかるし大変。果たして護摩供まで行きつけるのだろうか不安になってきた。

2012年7月9日Monday 晴れ
ザリガニ釣り。 原小の1,2年生が9時過ぎから30分ほどザリガニ釣りに来た。毎年この時期やってくる。これをやると、次の土日とかから夏休みにかけて、子供らが親にせがんで連れてきてもらったりして、にわかにブームになる。ことしはどうだろうか。7時前から池の周りと境内のツツジなどの刈り込みをした。11時の鐘を撞いて道具を片付けて刈り込み作業は終了。昼前からものすごく暑くなってきたので、枝葉の片づけは明日にした。涼しいうちに片づけてしまえるだろう。午後は七壇法の新しい次第を作り始め没頭する。

2012年7月6日Friday くもり
これから甲府へ。 年に一度の醍醐派(一部他派も含む)の有志の集まりの飲み会。もう10年以上続けているかもしれない。大体7月の第1金曜日と固定されてきた。僕が一番遠いので、早く出かけて行って一番早く帰るというパターンだ。身延線の電車に乗っての往復は時間にかなり制約されてしまう。そしてここ2,3年は午後7時から開宴となってきたので、こちらは早い分には一向に構わないのだが、遅い始まりにはいささか面白くないところもあるのである。
朝除草剤を参道と駐車場の際、境内に散布する。曇りの日で午後少し雨も落ちたが、今はまだいいようだ。午前午後と習礼する。頭を刈る。

2012年7月5日Thursday くもり
今日は本堂の時間がいつもより長かった。 朝の勤行を終えてから自転車で集落の檀家に護持会の通知を配る。残りは郵送。午前中早い時間に客殿裏庭の掃除をする。昨日の続きで池の周りを掃いたりしてきれいになった。台所の本棚の一番下の戸棚の戸の調整に大工さん来てくれる。彼ももう新しい現場に移ったのだろう。15分ほどで終えて帰る。アジサイとツツジの挿し木したものを数本地に下す。よく育つといいのだけれど。11時の鐘を撞いて本堂で1時間半ほど習礼。午後4時前から5時半過ぎまで習礼と夕のお勤め。朝のお勤めが40分くらいだから4時間ほどは本堂で過ごしたことになる。明日晴れたら、除草剤を撒きたい。明夜は甲府で夏の陣。

2012年7月4日Wednesday 晴れ
疲れた。 夕方5時半過ぎまで丸一日庭師をしたので、今日は習礼は休み。雨が降ったらその分取り返してやるさ。客殿裏の庭のツツジの刈り込みやそれから紅梅4本の剪定に大分時間を取られた。梅の枝切りをここ数年適当にやっていたので、伸び放題になっていたのを今日は意を決して枝切りした。何とか枝の片づけまで済ませて終えた。明日も雨は降らないようだが、外作業にするかどうかは明日考える。夕飯の後、護持会通知を封筒入れ。今日は一日作業でからだも又大分お疲れになった。

2012年7月3日Tuesday
雨になる。 一日おきの雨だ。予報で、午前中くらい天候が持ちそうだったので、梅ちゃん先生を見てから客殿裏の庭の草刈りをした。そのまま畑の茂ったところも刈ったり、竹林の周りも刈ったり。タケノコはもう終わり。11時の鐘を撞くころからポツリポツリで、洗濯物を取り込んだり、溝に落ちた草を上げたりした。刈りっぱなしの庭は晴れたら片づける。次はツツジの刈り込みに入る。午後東電で検査に来る。それからリフォーム業者への支払いを銀行で済ませる。帰ってきて本堂で習礼する。ここ最近法螺貝の鳴りが悪い。焦って吹いても余計に音が出ないばかり。護持会の通知を印刷する。獣除けの柵の門扉を閉めて一日がおしまい。

2012年7月2日Monday 晴れ
柵門扉開閉当番。 2回目の当番が今日と明日。6時前に小子山への道の門を開けに行く。猿は相変わらずやってきている。でも大分農被害は少なっているようだ。朝から暑くなった。民俗資料館を開け放って掃除をした。掃除機をかけゴミ出しもして、最後は長靴を持って行って便所もきれいに仕上げた。メダカの一番早く孵ったものが、やっと1センチを超えてきた。一か月半くらい経ってこんなものである。大きめのものを掬って、百円ショップで買ったプラスチックの金魚鉢に入れてみた。これはこれで和めるなぁと一人で時間を忘れて眺めている。
午後小室山へあじさいを見に行く。昨日で「あじさい祭り」は終わっていたが、まだ十分に花を楽しめて、境内には、デイサービスの車が何台も並んでいて、利用者が見学に来ていた。僕も社協に居た時何度かここに来たことがあった。池に蓮の花も何輪か開いていた。帰って今度は三吉屋に娘も連れて行ってきた。武士兄ちゃんの亡くなった後の諸手続きに大変なようだった。台所のリフォームの請求が来た。庫裏の上がり框もついでに新しくしたので、ほぼ予想通りの金額になっていた。まあこれも仕方がない。

2012年7月1日Sunday
一転雨。 外に猿でも来ているような気がして、眠っていられなくなって3時には起きてしまった。台所で七壇法の次第書を見ながら観念を覚えてみようとしたりしながら1時間ほどつぶして、4時過ぎに本堂に入る。習礼してそのまま朝のお勤めをする。5時過ぎに庫裏に戻って、生ごみの処理をしたり、外を少し歩いたりするとぽつぽつと雨になりだした。雨の日は家にいると、早起きしすぎたこともあるのだが眠くなって仕方がなかった。昼を食べて2時からまた習礼。これから夕のお勤めにもう一度。7月に入った。墓地の清掃とお盆の棚経、護持会費の通知などを出さなければならない。今年の盆は、檀家や個人的な関係に新盆が多い。年を取っていくということは段々こういうことの輪に入っていくということなのだろう。

2012年6月30日Saturday 晴れ
6月晦日。
6月も終わり。サラリーマンを辞めたので、6月の終わりのボーナスは当然ない。今月は収入と呼べるようなものは法事が1件あっただけであった。大峰山に入り、本山へ加行実修に行ったりもしたので、支出のほうが断然多い。これからはこんな暮らしと経済になるのだ。暑い日。午後暑さが少し去ってから習礼した。頭を刈る。夕の気持ちのいい風が吹いている。

2012年6月29日Friday 晴れ
台所仕上がる。
雨にならず今日も暑い日。今年の梅雨は雨が少ないような気がする。雨が降らないのは、外で作業したりするのには好都合かもしれないが、後でどかっと、大きな台風がやってきたりするようなことがあるのかもしれないという不安はある。自然災害に対して、どうしてもびくびくしてしまいがちになる。まあ手も足も出ないというところは仕方ないのだが。梅の枝が無造作に伸び放題になっていたので剪定する。剪定するといっても知識があるわけではなく、枯らしてしまわない程度に枝を短くするということだけなのだが。午後台所のハウスクリーニングが入り、リフォームの全貌が明らかになった。台所の内外全部を清掃していってくれた。ガラスの窓も内外ピカピカだ。僕は夕方1時間半ほど行法の習礼する。女房はキッチンの使い方説明に来てくれた女性に熱心に聞いている。「とにかく使ってください」と話していたが、使わなければ家事ができないのだからな。夜やっと広い場所で3人で食事。今夜はまだ調理をしなかったので、コンビに弁当。

2012年6月28日Thursday くもり
護摩を焚く。
朝早くに行藏院ご住職に電話して次第書の中身を確認。曇り日で夜には雨になるか。11時の鐘を撞いてから護摩を焚く。恵印の加行実修をしているので、幾分護摩も新鮮な感じ。護摩壇の周りは十分に熱くて、飲食(おんじき)、五穀の器は掴むことができない。台所は今日電気屋さん親子が来て、エアコン、室内灯の取り付けなどしてくれる。明日ハウスクリーニングがあるので、テレビなんかはすべて部屋が使える状態になってから繋ぐということ。午後次第作り。

2012年6月27日Wednesday 晴れ
宗務所訪問有り。
今朝は6時半過ぎから畑に管理機をかける。どうにも草の伸びが良すぎて放って置けなくなった。トマト、オクラ、青シソのの周りに生繁って、オクラの苗なんぞはそれに埋もれてしまいそうだった。結局これに午前中時間を割いてしまった。途中職人さんにお茶を出して、また畑に戻って、11時の鐘を撞いて、その足で本堂で勉強のお勤めをして午前中おしまい。午後1時半に県の私学文書課の宗務所訪問があったが担当の方早目に見えて、15分ほどでお帰りになる。県への提出書類の滞っている寺が一つあるので、去年もこの寺に関することだけ。午後の残りは次第作り。

2012年6月26日Tuesday 晴れ
次第作りを再開する。
「まぁちょっとたいへんよー」ってなことなのではあるが、先ずはここから始めなければ始まりにならないので、少し集中して目途が立つあたりまではやらなければならない。畑の草も、ツツジの刈り込みも頭の片側では少し気になりはじめているが、今週いっぱいはこれに集中しようと思う。忘れてしまわないうちに素地を作っておかなければならない。台所の方は今日、水道設備屋さん、内装関係の方などが、一日だったり半日だったりした。30日の土曜には新装なった台所を使えるのとのことである。僕はそれほどでもないが、女子たちはものすごくこれを楽しみにしている。僕は庫裏へ行くのに、外から庫裏に行かなければならなかったりで、そこの面倒が早く解消されるのを待っている。暑い一日になった。

2012年6月25日Monday 晴れ
今日は少しのんびりとさせてもらって。
勤行の後畑に降りると、トマトの苗が首を垂れていたので、上を紐で縛って立たせてあげていると雨が降り始め、「今日は雨かぁ」と思ってしまったのだが、しばらくすると上がって晴れ間も見え風も少し強くなった。大工さんは今日で自分の仕事を終えた。昨日の日曜も来てくれたのだ。最後に僕の部屋のサッシの戸の不具合も調整していってくれた。醍醐寺から夕べ戻った行藏院ご住職に昨日の様子などを電話で聞かせていただいた。最後に話してくれた件はここには書かないが、何をどのように考えているのかわからなくなる(理解に苦しむ)不思議な話だった。もしそれを公に「こう決めたのだ」ということなら、機関誌の「神変」誌上で明らかにするとか、しっかりと公告するとかしないとこれは相当な混乱を招くのではないかと思うようなことだったのだ。本山からいただいてきた手引書に目を通し、新たな次第を作らなければと発心したところだ。明日からということで。

2012年6月24日Sunday 晴れ
武士兄の葬儀。
8時過ぎに当夜に着くと妹夫婦が枕辺で経を上げていた。その後に僕が般若心経を上げる。出棺のセレモニー後に火葬場へ向かう。兄の勤めた役場と、貴史の整骨院の前を巡回して向かった。午後2時から本葬儀。昨夜の通夜には600人ほどが弔問に来たと聞いた。今日も大勢の方が式の前から焼香をしてくれた。日蓮宗なので僕は脇に座らせていただいて1時間と少しの間を式に臨む。終えて初七日。その後に納骨もしてしまうというので波木井山へ。本堂で再び短めの法要。結局納骨終えて寺を後にしたときは6時頃になっていた。丸一日武士兄の葬儀に浸った。一緒に酒を飲める日はもう来ないと思うと悔しくて、初七日でも冷酒をいただいた。親戚とは、葬儀の時に会うもののようだ。

2012年6月23日Saturday 晴れ
加行実修。
夕べは二人で着いて、白書院に部屋をあてがわれてから醍醐駅まで歩いて夕飯を摂った。風呂に入って早々と寝て今朝は6時からの勤行にも参加する。修証殿の食堂で味噌汁と梅干たった一個の朝食。9時から実修指導の始まり、行者堂で二人に二人の指導者がついて正にマンツーマンの指導を受ける。僕は今日中に帰らなければならない事情を話して午後3時半まで指導を受ける。田舎でほぼ自己流に坊主を続けているので、本山の方から指導を受けるのは厳しい。行藏院ご住職と一緒でなかったら、心折れてこの続きにまで気持ちが進まなかったかもしれない。壇前の荘厳から始めるのだからこれはいささか面食らった。まあこれが当然といえばその通りなのだが、こちらの甘い考えを一蹴されたようで冷や汗ものだった。7月の実習には来られないので、指導する方も急ぎ足で基本的なところをこちらに伝えてくれた。先に帰るのをすまないなぁと思いながらも午後6時前の新幹線に乗る。

2012年6月22日Friday
武士兄死す。
朝の勤行から戻ると、携帯に5時10分過ぎの着信があった。お姉さんからですぐにかけなおすと今朝5時1分に亡くなったと伝えられた。まさか!と瞬時信じられなかった。昨日の昼に訪ねた時には落ち着いている風にしか僕には見えなかったのだが。すぐに病院に行くと、既にお姉さんは迎えるために自宅の準備に帰っており、貴史家族と親戚の方が二人いて病室の片づけなどをしていた。昨日は体を横向きにしていた武士兄ちゃんが、手を組んで呼吸を停めて、今朝はまっすぐに上向いて静かに眠っていた。穏やかな顔で、幾分ホッとしたような安堵感が現れているような感じを受けた。上洛は予定通りするが、一泊で帰ることになるかもしれない。JR身延線は現在大雨のために西富士宮・鰍沢間で運転見合わせとなっている。おそらく電車の運転は間もなく再開されると思うが、今回の本山行きは初回なので取り止める訳にはいかない。厳しい状況にあるときこそしっかりと自分であることを見つめていかなければならない。

2012年6月21日Thursday
台風5号は熱帯低気圧になったけど、雨。
明日の京都行の時間帯に強い雨が降らなければいいけど。雨を予測していたので、今朝は6時半前から竹林に行き、収穫用の竹の子と細い竹を間引くために刈り払い機を使った。雨がポツリと落ち始めていたが、さほど影響受けることなく、竹林の中も下草を刈ったりできた。竹の伸びるのは鬱陶しくて苦にもなるけど、この時期は食べることができるというもう一つの楽しみもあるので引き分けだ。その後本堂脇の溜池の周りのアヤメを刈った。これを刈るとその前に植えて増やしているアジサイが引き立つ。8時過ぎまでかかって作業を終える。大工さん、それから今日から来た左官屋さんはもう仕事を始めていた。シャワーを浴びて、行藏院のご住職と情報交換して、午前中の実習少しする。お昼前に病院へT兄ちゃんを訪ねる。容態は相変わらず。安定しているのだと思う。口からの食べ物摂取は、もう一か月半ほどない。医療の進歩はどのくらいまで生かすことができるというのか?午後京都行の準備。

2012年6月20日Wednesday 晴れ
台所リフォーム進む。
台風が早く過ぎて行ってくれたのでよかった。9時ちょっと前に、キッチンのユニットが届き、庫裏の中に運び込まれた。キッチンユニットを設置していくということだったので、何人か来るのかと思っていたら、大工さんひとりでそれを組み立てて全部仕上げていくのだ。いつもこうやっているので慣れているとのことだった。朝早くから夕方までよく働いてくれて、多分自分一人でこつこつと形を仕上げていくということが彼の性に合っているのかもしれないなとも思う。僕は今週は本山へ行く前にやれるだけのことをやっている。電車の中で読む本を下山の本屋へ漁りに行くが、やっまり本が少なくて買いたい本がない。本屋さんも、今はインターネット購入が主流になってきているのを知っているのか、仕入れにも力が入らないのかもしれない。本屋をしながらクリーニングの取り次ぎもやっていて、僕がいる間にもこちらの客が来たりした。行っても買いたい本がないので、もうだんだん足が遠のくなぁ。

2012年6月19日Tuesday
台風接近中。
台風4号接近中。8年ぶりとなる6月の台風らしい。スピードがあるので、今夜がピークのようで明日の午前中には山梨は抜けるのではないかと予想している。朝はまだ降っていなかったがお昼近くから強い雨脚になってきた。3時ごろ身延駅に京都行の切符を買いに行った。一度行くだけで実修の費用と合わせて5万円ほどになる。ちょっと考えてしまう。今回行ってみての様子で次回以降の実習のことも考えてみようと思う。身延駅に行ったら、静岡・甲府間の急行は午後の便が運休の貼り紙がしてあった。この電車がないと京都の行き帰りはちょっと困難になる。次の台風が来ているようだし、そこのところもちょっと気にかかる。

2012年6月18日Monday 晴れくもり
今日も雨はなくいいぞ。
雨がなく台所のリフォームも順調に進む。ただ、リフォームというのは建物がすでに相当年月が経過しているため、建物自体に歪みが生じてきている。最初の工事が手抜きがあったということでもないのだろうけど、床も歪んでいたので、水平にしないとシステムキッチンが収まらないというので、大工さんはきっちりと測りながら仕事を進めてくれている。今日は午後になって、サッシの窓に歪みがあり、このままでもいいのだけれど、仕上がった時に窓の歪みがはっきりとわかってしまうと思うのでどうしようかと相談された。20ミリの誤差があるということで、結局窓枠から修正して直してもらうことにした。
午前中早い時間に本堂で実修。午後次第書を手直し、それから小さな土木作業をする。一輪車で4台ほど父を運ぶ。小ぶりの鉢にかっていたメダカが2匹死んだ。原因はよくわからない。明日少し水を入れ替えてみるか。

2012年6月17日Sunday 晴れ
蒸し暑い一日。
朝の雨は昼近くになって予報通り上がり、蒸し暑く気温が上昇した。午前中次第作り。それから宗務所会議に行く準備をする。午後2時から甲府:玄法院を会所にして山梨宗務所の年に一度の会議。玄法院の長老、教昌寺のご住職が亡くなり、山梨宗務所化も世代替わりに様相になってきた。珍しく大勢の参加があり9人。玄法院の前に華光院に立ち寄る。大峯峰入りの写真を届ける。暑い最中を法事があったようだ。会議はいつものように特別な決め事はない。ただ今年の宗務所への本山賦課金の割り当てが来ているのでこれをどうするかということ。昨年と同額なので、これまた昨年同様に均等に割って各寺院に負担してもらうこととした。宗教活動をしていない寺院もあり、今日も「これからどうすればいいか考えている」などの話も出された。僕は今現在は寺のことを楽しめているし、これが僕の使命だと思っている。確かに宗教法人を持ってはいても、何もしていないところは今後のことを考えるのは仕方のないことかもしれない。これはでも、最後は自分で判断するしかないことなのではないか。行藏院ご住職と金曜日の電車のことなど確認して帰る。帰ってきて1時間ほど外のことする。夜、トンイの最終回を見る。毎回見たわけではないがなんだか寂しくなるような思いが湧く。

2012年6月16日Saturday
予報通り雨。
一週間前は洞川から吉野までの山の中の道を歩いていたのだなと思いだす。帰ってきてからも不思議と足の痛みを感じることなく回復した。朝玄法院のご住職から日曜の宗務所会議の件で電話ある。9箇寺の出席の返事をいただいているので最近では一番多い。大工さん、今日も一人で遅くまで仕事していってくれる。こういう仕事をする人は朝取りかかる仕事が夕にはきっちりと変化しているのがわかるのでいい。次第を一つ作り終えた。

2012年6月15日Friday 晴れ
明日から雨のようなので。
6時半過ぎからツツジと生垣の刈り込みをする。桜の刈れた太い枝ものこぎりで伐る。たくさんの仕事はできないので少しずつやれるところから。午前中に済ませる。10時のお茶に大工さんと話すと、彼は甲府に住んでいるが、市川大門の真言宗の寺の檀家だということだった。その寺の規模にはとても遠く及ばない。彼もその寺と僕の寺を見比べて幾分思うところもあったようだった。明日から梅雨の天気模様になるようで、枯草や刈り込んだ枝や葉を燃すと風が草をきれいに燃やしてくれた。草を刈った畑も焼畑のように燃やした。午後誘われるがままに隣りの兄と飲む。飼い猫が近所のボス猫に夜襲掛けられて負傷した話など聞く。オウム真理教の手配者の最後の一人が捕まる。何も語ることのなかった麻原のことだけはどうにも釈然としない。秘密の世界へ閉じ込めてしまうようだ。東京方面の棚経の通知も出す。

2012年6月14日Thursday 晴れ
夕暮れの風涼しい。
夕方の勤行の後、庫裏で旧い修験の教典など開いていたら蚊に刺された。もう夏に近づいている。行藏院のご住職に電話して少しわからないところを教わったりしながら次第を作っている。一日がこれだけで終わるのではなく、適当にほかのこともやりながらことを進めていく。挿し木のサツキがいい花を咲かせたりしているので、挿し木ももっとして増やしたいなと思ったりしている。暮れていく外を眺めながらこれを書いていて、どのくらいここを楽しむことができるのだろうかとふと思ったりもしてみる。

2012年6月13日Wednesday 晴れ
粗大ごみなどたくさん始末する。
台所のリフォームで出る廃材などの為に、コンテナが家の外に置かれている。この機会にとも言ってくれたので、こちらも捨てるに捨てられなかったものなどをこの際だからとコンテナに放り込んだ。レコードにしてもCDにしても本にしても、大切なものだけれども、聞かなくなったものは聞かないし、本は一度読んだら再び読むものなんて奇跡に等しい。僕がこんなものにいつまで縛られているのかわからないが、今日はすっきりするに十分な日になった。
昨日の雨が朝には上がっていたので、7時前から民俗資料館の生け垣を刈りそろえた。2時間ほどで済む。畑の石ころを昨日から拾い集めて、庫裏の入り口付近に適当にばらまいて敷き詰めている。雨で土が流れてしまうので、土止め効果になればいいと思っている。仕事に来た電気屋さんからは「住職、土木工事もやるだね」などと冷やかされてしまった。それから次第作り。

2012年6月12日Tuesday
梅雨。
朝隣りの兄から畑作の指導あり。トマトは朝脇芽をかくことなど。ナスも昨日収穫できた。その兄も「買った方が安い」というけれど、作業をして自分の作ったものを収穫するということが楽しく、そして厳かな行為なのだと思う。でも僕は少しずつの歩みではある。台所のリフォームが始まっていて、今日は大工さんと電気工事の親子が一日来てくれた。請負元からは20日過ぎくらいには仕上がる予定と伝えられた。女房はIH用の調理器具の選択をし始めている。雨になって少し寒い。アジサイは大分いい色になってきた。

2012年6月11日Monday くもり
通常の何もない生活に戻る。
何もないというのも少しオーバーかもしれないが、特に何をしなければならないということもないということか。こちらも梅雨入りしたということだが、今日は雨はなく、湿り気を帯びた風が強く吹く一日になった。太陽も少しは出た。次第作りも少しする。洞川の一丸旅館からもう礼状が届いた。来年行くとしたらこの宿でいいとは思っている。
11時の鐘を撞いてから病院にT兄を訪ねた。様態のことを聞いてはいたが、前回訪ねた時とさほどの変化はないように思われたが、体の内側の機能が少しずつ衰弱し始めているということなのかもしれない。それが一週間単位で様子を見ていきましょうということなのだろう。

2012年6月10日Sunday 晴れ
法事あり。
高松家の七七日忌が10時半から。足が痛いだろうなと思って前夜寝たのだが、そんなにひどい痛みも残ってはいなかった。6時前には本堂でのお勤めも済ます。無事に帰れた報告と、大峯入峰の無事終えたことを報告した。法事の準備と合わせ、バッグを乾し、引敷きなども陽に当て、白足袋の泥も洗い流す。メダカに給餌する。ちょっと大きくなったような気が。
法事後のお斎き前の法話に大峰行きのこともみなさんに少し話す。帰って少し寝る。心配事もある。2週間後にまた本山に行くことの準備もある。今日はまあでものんびりとする。

2012年6月9日Saturday くもり
吉野へ縦走。
最終日。午前2時前に起きる。雨は上がっている。まだ3人は寝ていて、お茶を飲みながら用意されていた朝食を食べる。おにぎりなどの米ばかりの食事でいささか飽きてきている。副食があまりなくて、ただ米を腹いっぱいに詰め込んで山を歩くという感じ。手甲、脚絆を前夜風呂で洗って、乾ききってはいないが、さっぱりと最後の日の為に衣体を整える。玄関の僕らの白足袋の前に、宿の奥さんからのメッセージが置かれていた。龍泉寺を4時前に立ち最終目的地吉野蔵王堂へ向け出発。今日がとにかく歩く。30年前を思い出すこと度々。杉林の下りは道路ではなく獣道を一気に走り下っていく。これこれ、これが修験者の道なのだ。各所で御法楽。鳳閣寺で柴燈護摩法要。お汁粉の接待を受ける。30年前と同じ接待。金峯神社で御法楽して中食。雨がその前から降り始め、仕方なく合羽を着ている。上から雨、体の中から汗でびしょ濡れ。正午前に吉野蔵王堂着。バスで移動組も合流して無事行満の報告法要。記念写真も撮ってもらって、山梨からの4人も欠けることなく駈けきった。満足感もある。それから何か底からこみあげてくる熱い思いもあった。来てよかった。必ず来年も来る。バスで本山に帰り、最後の駆け出し護摩。止んでいた雨が最後の最後にまた降り始め、結局濡れたままの衣を鞄に重く仕舞い込むことになる。ゆっくりする間もなく、5時に本山を車で出る。飛ばす飛ばす、9時半前に僕は帰ってきた。甲府組は多分10時過ぎには帰れたと思う。缶ビール2本飲んで風呂に入る。お疲れ様。

2012年6月8日Friday 晴れ
大峯入峰。
午前零時前に起きてしまう。余り睡眠はとれなかった。9時半から水行する読経が聞こえていた。僕達本山随喜者は1時半から水行を行なった。褌ひとつで年間通して水温4度という池にしゃがんで、本山職員の頭により、般若心経を唱え、宿に戻って風呂に飛び込んだ。おにぎりを腹に入れて、龍泉寺を3時に出発して大峯へ。ヘッドライトを点けたが月明かりも十分にあった。女性行者は隣りの稲村ケ岳に登る。夜が次第に明けてきて頂上の龍泉寺参篭所から小笹根本道場に移動して7時20分から御法楽と柴灯護摩。再び参篭所へ戻って辻堂柴灯護摩法要。俄かに天気が悪くなってくる。山梨組は昼食後直ちに下山始める。雨が降り始める。雨ガッパは天気が良さそうなので宿に置いてきていた。下山者を追い抜きながら降りる。雨もそんなに強くならずに無事宿着。あたたかい風呂が待っていてくれた。僕はもよおしていた大便が気持ち良く大量に出たことに大満足。昼過ぎに一日のことを終え、明日最後の日程と天気の心配などしながらビールで軽く乾杯。
5時の夕食までいましばらく待たねばならん。夕食で精進落とし。再びビールで乾杯し、雨で少し寒いので熱燗を頼む。少し酒がまわって、明日最後の縦走のために早く体を休めることとする。

2012年6月7日Thursday 晴れ
出立。
朝2時半過ぎに起きてしまう。8時に誰からともなく消灯となって寝たのだけどなかなか眠りに落ちることができなかった。頭の中で経を読んだりしながら、まだらな睡眠を貪った。起きて風呂で水を浴びようとおりていくと、もう若い職員が風呂掃除をしていたので諦めた。顔を洗って茶を飲んでいると、同じく参加者の新潟の栗田僧正が起きてきた。とても著名な方で、本もたくさん著している。しばらくお話させていただいた。4時から朝食。夕べも今朝も2杯食べる。排便をして着替えて5時半から三寳院玄関前で御法楽。6時バス2台に分乗して出発。7時少し前に大阪の報恩院着。御法楽後出立。四天王寺の町中を練行して四天王寺で柴灯護摩。再び歩いて近鉄阿倍野橋駅から貸切電車で下市口まで。いよいよ下市口からバスに乗換て洞川へ。着いて龍泉寺まで練行。我らの行列を地元の皆さん、小中学生が並んで「ようお参り」と声かけて迎えてくれる。この国に唯一残る女人禁制の大峯山を大切に誇りを持って残してきた心意気が熱く伝わってくる。龍泉寺では諸どうで法楽後、今日二度目の柴灯護摩。終えて解散。一丸旅館に地下足袋を脱ぐ。いよいよ明朝峰入り。

2012年6月6日Wednesday 晴れ
本山泊り。
再興第百二回三寳院門跡大峯花供入峰修行参加のため上洛。今回山梨からは4名で参加。行藏院、華光院、安養寺ご住職と。皆さん甲府からで、車で行くことになったので、6時半に僕を拾ってくれる。第2東名が開通したので快適な旅になった。正午過ぎに醍醐寺到着。受付けを済ませて修験衣体に着替えて、午後2時から不動堂前で駈入護摩。3時から入峰心得、5時半夕食で、風呂にも入って今は大広間でのんびり。明日4時朝食で、大峯山麓の洞川に向けて出発。

2012年6月5日Tuesday くもり
次第作り。
明日の朝出かけて帰りは多分土曜の深夜。台風3号が来ているが早く抜けそうなので、明日雨が降っても大峰行きの日は晴れるだろう。恵印七壇法実習のための次第を作り始めている。大量にあるのでこれがなかなかに苦戦。一つ終わったところで次を作っていく方法を取っていくしかないか。今日は陽が出ずずっと曇り。雨こそ降らなかったが涼しいというよりもちと肌寒い一日。久しぶりに午後和美ちゃんから前職の仕事の電話。6月は議会があったりで忙しいのかな。頭をさっぱりと刈って早寝とするか。

2012年6月4日Monday 晴れ
「もう逃げなくてもいい、ほっとしている」。
こんなことを語ったというオウム真理教の事件で指名手配されていた菊池直子容疑者が逮捕された。手配写真と、逮捕時の姿が公開されたがほとんど別人のようで、通報した人はどうして容疑者ではないかという直感がもてたのかいささか不思議な感じがした。NHKスペシャルの「未解決事件 オウム真理教」を録画してあったのを再び見た。こういうことも影響したのかもしれないし、潜伏して生き延びるということの苦難が逃げなくてもいい、ほっとしたに繋がるのかもしれない。菊池容疑者は手配時に逮捕されていたら、17年も逃亡する必要なく、服役こ9にちも終えて自由の身となっていたかもしれないとテレビで識者が語っていた。
9日に七七日忌の法要をする公康君のところへ出席することができないので、今日の午後供養に行ってきた。あっという間に旅立ってしまったので、まだこの事実を現実として受け入れられない気持ちが確実にある。1時間ほど居て、直子さんともゆっくり話しをして帰ってきた。公康に大峰のことも話してやろうと思ってもいたのだが。四十九日を終えて大空に解放される彼の魂も僕は大峰に連れていって、僕の思いの内から放ちたいと思う。天候がいささか気になるが、それはもうあるがままを受け入れるしかないのだ。

2012年6月3日Sunday 晴れ
法事あり。
10時半から佐田家の法事。朝軽く本堂周りの草刈りをして体を動かして、シャワーを浴びて着替え。自宅での法要だった。50回忌、33回忌、13回忌の3人の仏さんの回忌供養をした。墓参後に自宅で御斎をいただく。日本酒をほぼ2人で1本空けた。そろそろ失礼しますというと、「六調子」も飲もうということで、帰ってからそのまま寝てしまった。施主の妹さんも結婚して、生後半年になる女のお子さんを連れてご主人と一緒に来ていた。たくさんの料理と酒と、尽きない話でよい供養になったのではないか。

2012年6月2日Saturday 晴れ
喜田で夜を。
朝8時から昼食時間1時間休んで、午後4時半まで一日草刈りをした。参堂脇の畑の草刈り。はじめるときは明日までにやり終えたらいいなと思っていただけに早く終わった。これでよくわかったことは、新しい草刈り刃であれば仕事もチョー捗るということだ。昨日付け替えたわけではないけど、新しい刃に替えたばかりなので、刈払い機を左右に振る回数も少なくて効率よく刈れるということを久しぶりに実感した。畑の端は最後に紐の刈払いできれいに仕上げた。両側の畑を刈るのだから、毎回刃を替えてもいいくらいなものだ。
夜、ほんとに久しぶりに喜田に行き、楽しい夜を過ごした。先ず、うまい酒を飲んだ。おいしいものを食べた。川口さん夫婦をも交えて会話も存分に楽しんだ。シメはうどん。相変わらずのうまさだ。喜田に迎えに来てくれた女房から、今日が結婚記念日だということを告げられた。言われると思いだすようなものだ。

2012年6月1日Friday くもり
6月に入る。
6日からの大峰山への花供入峰の準備も仕上げなくちゃならない。甲府の行藏院のご住職に、入峰の件と修験伝法教校の件でお聞きしたいことがあったので行ってきた。その前に午前中に本山へ電話を入れて、平成11年に「最勝恵印七壇法」の伝授を受けていることを話して相談すると、それなら上級を受講して構わないとのことだった。もう10年以上も前に伝授を受けていたが、勤めをたびたび休まなければならないので諦めていたが、ここでこのチャンスを逃すのは大変にもったいないので、ぜひ何とかものにしたいと考えた。10月の伝法教校までに間に合わせて寺での加行なども進めなければならない。

2012年5月31日Thursday 晴れ
5月晦日。
今日で5月も終わり。退職して2か月が過ぎる。たった2か月だが、あまりのんびりとしたような気分で日々を送ることはなかったように思える。檀家の葬儀もあり、同じ宗派のご住職の葬儀の導師も勤めたりもした。それから大切な友人を亡くし、先日は遠縁にも当たる恩ある人をも送った。親戚の兄が意識のないままに病院のベッドにいる。母を介護施設に入所させた。不動尊の祭典があった。今日との本山へも行った。畑を少し耕してみた。例年通りに草刈りの季節が始まった。台所をリフォームする計画を立てた。家族と生活を営むに、少しの快適さを得たいと思った。退職前も後も何も変わらずに僕の朝夕の勤行は続いている。

2012年5月30日Wednesday 晴れ
運転免許証を再交付してもらう。
手数料は3600円。まず管轄する警察署へ行き再発行の申請をする。申請書に写真が必要。手数料はここで支払う。最後に警察官から、「もし免許証が出てきたら速やかに警察署へ届けてください、二つ持つことは犯罪になります」と念を押される。厳重に封印された封筒を持って運転免許センターへ行く。ここではもうすぐに手続きに入れる。写真もここでカラー写真で撮ってくれる。10分ほどで免許証を手にすることができた。うっかり捨ててしまわないように気をつけなきゃいけない。帰り道100円ショップでロウソクと線香そのほかを買う。いろいろなものがあって結構楽しく店内を散策した。免許証を亡くしていたので、当然運転すると不携帯ということになる。神様に運転してもらって同乗させてもらったのはもちろんのこと。ちなみに今日は「ゴミゼロ」の5月30日だった。

2012年5月29日Tuesday 晴れ
葬儀に行く。
クリスチャンだった佐野先生の葬儀に行く。去年の秋、従兄弟の家の法事で会った時にはこんなに大病をしていることを知らなかった。高校受験の頃、専門の数学を見てもらった思い出がある。郷里に帰ってきてまだ独身だったので、うちでよく晩御飯を食べていった。僕たち家族は寺でも特段食事前のセレモニーはなかったが、佐野先生は必ず手を組んで、食事前の祈りを捧げていた。教会を持たないクリスチャンだったので、結婚してからも自宅を集会所とするなどして彼らなりの布教を続けてきた。葬儀式次第の書かれた冊子が配布され会場の席に着いた。仏式のように遺影もなく花輪もない。正面に白い花が静かに飾ってあった。向かって右側に司会者がおり、会式の辞、賛美、祈り、故人を語る、福音、賛美、祈り、親族代表挨拶、閉式の辞の順にすすめられた。焼香や献花などもなかったので、席に着いたら抜けるに抜けられなかったというか、それで結局10時半の会式から終わった11時45分まで通して、クリスチャンの葬儀を経験した。讃美歌の後、祈りに呼び出された人が故人との思い出や聖書を語る。彼らはみな兄弟姉妹として呼び合う。「佐野兄」として語る。故人を語るでは、先生の娘さんと次男が話をした。お二人とも医者である。福音は先生の後輩になる仲間が長く話した。賛美で歌を歌い、祈りではまた別な友人が故人と聖書を語った。親族代表は長男が挨拶をして式を終えた。静かな雰囲気のある葬儀だった。冊子の最後には、4月に最後の入院となった病室で語った先生の言葉が載っていた。イエスに救われたクリスチャンとなってからの45年間であったと語られていた。福音の中でお仲間が熱心に聖書のことを説き、まだ出会いのない方は早く出会ってくださいみたいなことを話し、改良服に袈裟を着けた仏教僧の僕は少し戸惑いも感じたが、でも静かで厳かな1時間を過ごさせていただいた感動を持ち帰ることができた。
昨日の本堂の護摩壇を掃除し、本堂の内外陣も掃除をする。堂内は埃だらけ。今日も風が強く、葬儀を終えて帰ってきて、続きの掃除をすべて済ませてからお堂を閉めた。またすぐに埃でザラザラになってしまう。飯富病院へ定期検診。問診のみ。次回7月24日。病室へT兄ちゃんを訪う。F姉ちゃんが東京から来ていた。病状はほぼ安定。少し話して辞す。どうも自動車の免許証を燃えるごみで出してしまったみたいで見つからない。女房の車を運転したときに免許証を車から出して、帰ってきたときに免許証も確かに持ち出した記憶はあるが、どうもレジ袋のようなものに入れて、買い物の中身を出した後袋と一緒に可燃ごみで出してしまったようなのだ。さてこれからどうするかなというところは、あまり書かない方が良いようなので。
出張帰りの内藤君久しぶりに訪ねてくれる。キース・ジャレットのCD1枚貰う。例によって重複買いだったようで。また近々飲もうと話す。

2012年5月28日Monday 晴れ
護摩を焚く。
5月不動の護摩を焚く。もう今週で終わりだ。ちょうど一か月前の28日が公康君の葬儀で、翌日が不動尊祭典だった。公康君の魂を抱いて大峰山に登ろうと思う。ちょうど今日、洞川の西浦本舗から山袴他が届いた。正午前から風が強くなり、本堂の扉を閉め、午後護摩を焚いた。読み始めた「マークスの山」下巻が途中でやめられなくなり、最後まで読み切った。面白い。

2012年5月27日Sunday 晴れ
環境整備作業。
今日は区の環境整備作業が午前中。午後1時から獣除け電気柵周辺の下草刈り作業があった。8時から空き缶拾いや水路の泥あげなどし、その後中沢川河川公園周辺の草刈り作業。刈払い機が25台ほどで一斉にエンジン音とどろかせて草刈りに入る。初夏の日差しを受けて皆楽しそうに草を刈った。秋の草は今日の比ではないくらいにすごいが5月の草はまだ柔らかな青草で刈り終るのも早い。11時前に終了していったん家に帰る。汗を流してついでに頭も刈る。今朝は猿が久しぶりに下りてきていた。「来なくていいなぁ」と思っている頃にきっと奴らやってくる。油断のならない奴ら。昼食後今度は区を縦走しながら草を刈っていく。この作業は今年初だが、たっぷり2時間以上はかかった。午前中で一度に作業を済ますのはちょっと無理なようだ。まあ僕のような気楽な者は明日も休みなので別段構わないが、勤め人は休日が丸一日潰れるのは「やめてほしいなぁ」って思うところかもしれない。午後風強い。「マークスの山」下巻に突入。

2012年5月26日Saturday 晴れ
読書。
一日読書。部屋で読み、庫裏で読み。暑い外と違い庫裏は風も通って居心地がいい。こういう感じは寺に住む者でしかわからないのだと思う。11時の鐘を撞いた後に、コメリに行ってホテイ草を二つ買う。196円也。メダカの甕に浮かべる。3日ほど本堂前の手水鉢を底から掬っては、中に潜む生き物たちをバケツに移して、そこにメダカを放って好きなように生餌を食べさせた。粉末のエサよりも動く生物への敏感な反応が実に面白い。貰うという行為よりも自らが獲物を狙うということに生きるということが成り立っている。

2012年5月25日Friday くもり
曇り日。
天気がよく変わる。悪い日はまだ肌寒く感じる。午前中裏山の道の草刈りに行く。獣除けの柵の中も外も日当たりのよい場所は草がはびこっている。草刈り機の歯を新しいものに取り替えた。よく切れる。この作業の前に本堂裏から歩き始めたときに椎茸のほだ木が目に付いた。椎茸が出ていた。ちょうど一年前に菌を植えたもので、出るのは3年位後だと思っていたが、菌の回りがよかったのか特別な椎茸が4つ採れ、夕飯に食べた。草刈り後に、ナメコの木も併せて、ほだ木を転地返しした。菌の回りをよくするため、梅雨の前と後に返すとよいとかかれていた。ここの所猿が来なくていい。椎茸が採れる時期に猿がくれば僕たちの食べる分はなくなってしまうかもしれない。
午後は弱い雨が降ったり止んだり。「マークスの山」上巻読み進める。夕方のお勤め前に法事の塔婆5本書く。

2012年5月24日Thursday 晴れ
来客あり。
富士市から先祖のことを尋ねて佐田さん夫婦来山。小林家から継承する者のなくなった佐田家の戸主となったようだが、どこの佐田と縁があるのかはわからなかった。過去帳には、昭和35年に親族の50回忌にこの寺を訪れたことが祖父によって記されているが、個人の名前もわからず。「はつがしら」に虫という漢字が戒名に使われているのだが調べたがこんな漢字は出てこないし、見つけることができない。100年前のことなどもう調べようもない。ただ、いくつかのヒントになりそうなことをお二人が調べてきてくれたので、こちらもそれに対しての情報を教えて差し上げた。檀家数などを聞かれ応えると、「どうして維持してますか?」と問われ、サラリーマンを父も僕もしながら護持してきたと話すと、驚いたような表情を見せてはいたが。もうこういう会話には少し飽きてきた。暑い日。草刈り作業などで腰が疲れているので、午後3時過ぎから1時間半ほど境内の草を刈った。次から次に刈りたい場所が出てくる。草の伸びる時期だ。

2012年5月23日Wednesday 晴れ
暑い日になる。
だんだんと暑くなっていいわけだ。5月ももう後半だ。10時過ぎに台所の改修工事の件で、請負業者がそれぞれの仕事の受け持ち業者を連れて見に来る。電気・配管・大工さん。もう大分年月が経過しているので直したい箇所が増えてしまう。庫裏の上がり框も思い切って床板を張り替えてもらうことにした。囲炉裏が残っているのだが、この後これを使うことはもう考えられない。僕自身もこれを使った生活は経験していない。台所とフラットになるよう張り替えてもらうこととした。経費はまあある程度はかかってしまうことになるだろうが、僕も女房も、家を新築するようなことが僕らには必要ないので、これに注ぎ込んでもいいかなと考えている。仮に寺を退くことになっても、どこか別の小さな寺とか、公営住宅に住んでもかまわないという考えも持っている。
午後2時半ごろから本堂の裏を草刈り。アジサイが大きく育ってきた。小さな(密かな)緑化計画の賜物だ。花の時期が待ち遠しい。メダカの孵化続く。

2012年5月22日Tuesday くもり
のんびりと過ごす。
今日は天候が悪く雨も降ったり。墓地の草刈り後の草を燃すにはちょうどいい日だったので午前中精を出す。大峰山に行くので、地下足袋を慣らしておこうと履いて作業する。風も穏やかで、陽射しもなく体を動かすのも気持ちがいい。11時を過ぎてポツポツと雨が落ちてきたが大したことはなく、頭で描いた作業は終了。庫裏に戻ると電話が鳴るのでとる。富士市の方から自分たちの先祖がこの寺に関係があるのではないかと問い合わせがある。FAXで先方の情報を送ってもらい午後はそれを調べる。祖父の残した過去帳の中に尋ねたい人の名前を見つけることができた。一応わかったということだけ夕方連絡する。明後日午前中に寺に来るとのこと。

2012年5月21日Monday 晴れ
旅行二日目。
金環日食のある朝。7時半前に朝食会場へ行く。日食が始まっている。外は少しずつ薄暗くなってくる。ホテルからは明日オープンとなるスカイツリーが大きく見える。9時ホテルを出る。築地で昼食。以下に僕はあまり歩いたことがないのかということを実感する。葛飾柴又も築地も初めての場所であった。月曜だというのに賑わいは田舎に日中外に人を見かけることのない場所に住む僕には「まるで今日は休日か?」と思えてしまう。軒を並べて並ぶ食堂はどこもみな旨そう。僕らの昼食は寿司。寿司食いながら八海山呑む。今日は今日で飲める。午後、大江戸温泉物語という風呂へ行く。こういう場所も初めての体験。館内はどちらかというと若者のほうが多い。外国人客も多い。集合時間の1時間前に再び風呂に入り汗をかく。高速の事故の影響で1時間ほど予定時間を超えたが無事帰還。下山のラーメン屋で反省会。ここまできっちりとやれば申し分なし。消防団の旅行の王道を見させてもらって大満足。土産も何もなしで手ぶらで帰る。

2012年5月20日Sunday 晴れ
旅行。
10年振りぐらいになるだろうか?地元の消防の旅行に参加させてもらった。7時出発。もちろん5時前に起きてお勤めは済ませる。朝食も摂る。宿泊先が浅草なので時間的ゆとりは十分にある。13人参加。行けなくなった部員もいるようだ。乗り込めばさっそく乾杯で朝ビール。天気は上々。まず葛飾柴又へ。寅さん記念館を見学してその後老舗のうなぎ屋で昼食。三社祭の最終日で混雑する浅草のホテルへは午後1時半前に到着しチェックイン。いまの時代は大部屋ではなくすべて個室。6時の夕食時間集合まで自由行動。調べてあった下谷までの地図を見ながら歩く。歌人福島泰樹の寺(法昌寺)が目的。「めいわくかけてありがとう。たこ八郎」と刻まれたたこ地蔵、その隣に「虚無への供物」中井英夫供養塔。先月亡くなった公康君は中井英夫の最後の書生であった。中井氏もあの世で公康の死を悼んでおられるかもしれない。夏の日、中井氏の留守宅を預かる公康に同行して氏の家を訪ねた。風呂に入れてもらったように記憶している。寺の裏の墓地に回ると、思いがけず「立松和平之墓」と出会う。ここに建立されていたとは知らなかった。かねてから訪ねたいと思っていた思いがやっとかなった。その後神田に出て街を散策し、長時間歩きながらホテルに戻った。三社祭は、神輿の担ぎ手も半端ではない人数。体中に彫り物をした若者は、締めこみ一丁で腕組みしてカメラの被写体となることを誇っていた。夕食は浅草の天ぷら屋。その後二次会。そして僕はホテルへ戻る。

2012年5月19日Saturday 晴れ
システム・キッチン。
午前中システム・キッチンの展示場へ行く。台所に手を入れようと計画した。まあこれは女房の希望がほぼ全部なのだが。展示場へ行くと最新式のキッチンがいくつも展示されていて目移りしてしまう。でもあらかじめお願いしたい業者に我が家の台所を見てもらってあったので、2案が作ってあったのでそれをもとにさらに検討した。2時間ほどかけて女房の希望を十分に採用してもらった。僕たち家族が寺にこの先何年居られるか、ずっと居ることになるのかわからないけど、これまで切り盛りしてきてくれた女房への感謝でもある。これが成ると、オール電化ということになり、ガスは不要になる。長く利用した地元のガス屋さんには申し訳ないが。これも時代の流れで仕方がない。帰り母を訪ねる。先月の利用料を支払い上の階に上がるとちょうど昼食の最中だった。大分施設の毎日にも慣れたようで、特に帰りたいという言葉はなかった。起伏のある感情も少しずつ希薄になっていくということなのだろうか?夜、八日市の決算報告会ある。
2012年5月18日Friday 晴れ
一日の仕事を終えて、缶ビールぐびっとやったら地震だ。
夕のお勤めを終えて、テレビをつけたら大相撲中継で地震情報を伝えていた。そしたらすぐにここにも来た。書棚のガラスが震え、蛍光灯の傘の紐が揺れた。震源は茨城との事だ。
墓地の草刈り第一弾終了ってとこだ。午前中残りを刈って、午後は早くから雑木などを切ったり、刈り草を燃したり。今日は午後ずっと作業していたので疲れた。まあそれでも外は気持ちがいい。メダカも今日またかなり孵化した。畑にほったらかしのイチゴが数日前から採れ始めた。畑で熟したものを採ればそれはそれなりに甘かったりするのだ。

2012年5月17日Thursday 晴れ
メダカ孵化進む。
今日もまた何匹か孵化した。写真を撮りたいのだが、如何にせん小さすぎる。これからの季節、気温が上昇してくれば、これからもっともっと採卵できてたくさんのメダカが育つのではないか。眺めていると時間の経つのを忘れる。午前中と夕方に近い1時間ほど墓地の草刈り。明日ももう少し残っている。草を刈りながらいろいろなことを考えるのが楽しい。11時の鐘を撞いてから飯富病院にT兄ちゃんを訪ねた。毎日でも行けるのだが、寺のことなどもしているとついつい行きそびれてしまう。ベッドに横たわる兄は小康状態といえるだろう。付き添う姉さんの話を少し聞いてやったりしながら昼前に帰ってきた。昼食後ごろんとなって本を読むもすぐ眠くなってしまう。それでも梁石日読んでしまう。読ませてくれるなぁと言うぐらい面白い。引き込まれて本を閉じれなくなってしまうのだ。昼休みが1時間あっただけの勤めと違って、午後暑ければ体を休めていられるのは、とてもありがたいことだと思い始めている。

2012年5月16日Wednesday 晴れ
メダカやっと孵化。
4月の末からだから結構日数がかかったが、やっと今日メダカが孵化した。暖かい日や寒いと感じる日が交互にあったりしたので、孵化するまでに時間がかかったのかもしれない。ここ数日水温が低いので、陽の当たる場所に水槽を置いたりして孵化を促していた。水槽といっても特別なものではなく、洗面器やプランターなどだ。10匹余りが孵化した。明日にはもう少し孵ると思う。昨日雨だったので、草刈りの続きを7時半前から始めた。10時過ぎまでして着替えて11時に葬祭ホールに向かう。正午から宝竜寺の葬儀の助法。夏の衣でも葬儀の1時間の間に汗が流れた。正午からの葬儀を僕もしたことがあるが、この時間からだと昼食を用意しなくて済む。少し我慢して1時過ぎには初七日が始められる。経費の削減につながるはずだ。実際昼食を摂ってから1時間ちょっとで初七日の膳についても、豪華なもてなしを前に、ほとんど食べられなかったりすることが多い。僕と叔父は、持ち帰りの料理をいただいて帰り、帰ってから食事をした。帰り、新早川橋の気温計は27度だった。3時半過ぎから草刈りの続きを30分ほどしていると、隣りの兄が誘いに来た。きゃらぶきを午後から煮ていたとのことで、冷えたビール飲みながらその味と食感と季節を味わった。本山から大峰山花供入峰の案内が来たので、行藏院のご住職に通知をメールで送って申し込みをお願いした。

2012年5月15日Tuesday
寒い。
大降りではないが一日しとしとと雨になる。肌寒く感じる。図書館に行く。3人ほどいたがやはり平日の午前中は利用者も少ないようだ。新潮、中央公論の5月号と、他2冊の単行本を借りる。読みかけの梁石日は午後急ぎ読み進め3分の2を終えた。並行して、新潮掲載の綿矢りさ/ひらいても読み始めた。中央公論は、特集記事中、村薫「だからわたくしは仏教に期待する」を読みたかった。雨だったので、今日の午後はのんびりと読書もはかどった。
メールで、役場の広報担当から、「広報みのぶ」の表紙に祭典の火渡りの写真を使いたいがいいだろうかと相談された。ちょうど返事しようかと思っていたところへ直接担当から電話がかかってきたので、了解の返事する。その後、原小の先生から、夏休み中の教職員の研修に大聖寺を拝観して説明を受けたいとの電話があり、こちらも引き受ける。

2012年5月14日Monday 晴れ
草刈る。
墓地の今日は主に竹林周りの草を刈る。とても一日では刈りきれない。まあ焦らずに時間はたっぷりあるのでのんびりとやる。朝8時前から11時半まで刈る。頭を刈って昼食。3時半から5時まで続きをする。これで十分に働いた一日が終わる。明日は雨らしい。午後からは湿り気を帯びた風が強く吹いた。お昼前に宝竜寺から電話あり、16日の葬儀の助法を頼まれる。梁石日/冬の陽炎読み始める。明日雨なら休養日だ。

2012年5月13日Sunday 晴れ
快晴。
11時から佐田正さん宅の屋敷神の祭事。天気も良く汗ばむ天気。午前中は風も凪いでいたので、外の祠の前で20分ほど読経。法螺貝も気持ちよく鳴る。たくさんのお土産をいただいて戻る。3人で梅平のあずみのへ。さすがに日曜の昼なんで店は混んでいた。のど越しのいい冷たいもりそばを大盛りでいただく。満足。娘と女房は冷たいキノコそばで。亡くなったマスターのこだわりだったのだろうか、ここのお手拭はミント入りで手を拭いても顔を拭いても爽快感がある。ミント入りのお手拭には僕はここ以外では使ったことがない。昨日作った部屋の窓辺のカーテンを作り替える。今度はとてもよくできた。この夏を涼しく乗り切れそうだ。

2012年5月12日Saturday 晴れ
なかなかメダカは。
午前中はのんびり。なかなかメダカの卵が孵化しないので外の水温の上がる場所に出してやった。孵化しそうなものがいくつか見られた。ボウフラを見つけて与えると飛びつくように争って食べる。生餌に勝るものはないのかも。極小の蜘蛛なども水面に落とすとぱくつく。メダカの口の中に入れられそうな生き物なら何でもいいのかもしれない。僕らの部屋の外にも今年は緑のカーテンを施してみることにした。一応張ってみたのだが、もう一つ網を買ってきたほうがよさそうだ。

2012年5月11日Friday くもり
登山。
山登りではない。本山である醍醐寺に登山(とさん)することである。天候が悪い。7時半過ぎに宿を出ると少し雨が舞っていたが、傘が要るほどではない。京都駅へ出て地下街で朝食。朝カレーを食う。醍醐寺直通のバスがあるというので8時半にそれに乗る。所要時間ちょうど30分。バスは醍醐寺が終点で、駐車場で展開する仕組みになっていた。ただ本数が少ない。300円。でもこれは確かに便利。地下鉄で行くと15分ほど歩かなければならない。10時からの会議なので、そのまま境内を散策する。京都と山梨は大分離れていて、ちょくちょく来ることはできないが、やっぱり本山である醍醐寺が僕は好きだ。6月また花供入峰の折に来ることになる。10時から全国宗務所長会議。10時から始まり、11時40分から午後1時まで昼食休憩で、終了が午後2時15分。会議そのものは正味3時間ほどのもの。記念撮影をして僕は帰る。乗りたい新幹線の時刻に間に合うようなバスがないので仕方なく歩いて地下鉄から山科に出て京都駅へ。修学旅行を終えた中学生と思われる団体が、通路の中央にいくつも列をなして座り込んで指示待ちをしていた。そういえば、去年は大震災があり、京都あたりも外国人観光客なんかは激減だったようで、叶屋も客が少なかったらしいが、今年は先週のゴールデンウィークまでものすごく忙しかったらしい。町を歩いていても、大きな荷物を背負った外国の若者、中年夫婦などをもたくさん見かけた。去年は暑い日だったけど、今年は最後まで晴れ間がのぞくことはなかったのがちょっと残念。三宝院の店で念珠を買う。帰りの新幹線と身延線。本(山を走る女/津島佑子)読みながらずっとGRATEFUL DEAD聴く。これもまた、あーいいなぁと深く深く感じ入った。

2012年5月10日Thursday 晴れ
上洛。
真言宗醍醐派全国宗務所長会議のため上洛。午後1時過ぎ京都駅着。駅ビルで寿司ランチ、生ビール。やっぱ生はきめ細かくてうまいなぁと改めて思う。今日は何もなく、西陣の叶屋泊なので、ぶらぶらと散策しながら上京区の宿まで歩きとおした。中古CDやを覗き、川崎燎とTRISTAN HONSINGERのアルバムを買う。川崎燎は大学時代にレコードを持っていたけど、最近は聞いたことがない。後で聞くのが楽しみ。二条城のお堀端を歩いていると和美ちゃんから電話がかかってくる。出ると、予算書のことで教えてほしいという。「人件費分を引いてあるのかもしれない」などと適当に答えるとそれがどんぴしゃり。「今京都に来てるんですよ」と付け加えて切る。サンデー毎日人は気楽でいい。叶屋の近くで不覚にも道に迷う。が、不思議なもので、たまたま出た歩道で後ろから「石田さん」と声かけられる。宿の主人が自転車に乗って僕を認めて声かけてくれた。6時から近くのうどんと惣菜の店で昨年同様飲む。それから銭湯にもいく。空いていてゆっくりと風呂に入る。寝る。

2012年5月9日Wednesday くもり
今日は天気が崩れた。
曇りで、雨もぱらついた。畑の苗にはいい雨だったと思う。トマトの苗床に支柱を立てた。京都行きの準備をした。電車の時刻、着替え、音楽、本など。雨は向こうは大丈夫のようだ。
音楽を取り込むために、Internet Archiveを見たら、Acid Mothers Templeの4月、5月のアメリカ、カナダツアーのライブ音源がたくさんアップしてあったので早速DL。オー久しぶり。これで新幹線で楽しみながら本が読める。京都行きも特段見て回りたいところもない。どうせ一泊だし、叶屋に泊まるので、去年と同じように銭湯に行きたいと思うぐらいだ。銭湯、実にいい心地だった。

2012年5月8日Tuesday 晴れ
畑する。
ガソリンも買ってきたし、苗も昨日少し買ってきたので、午前中畑を耕す。何も耕作していないので表面は堅いが、何度か管理機を往復するうちに少しずつ深くやわらかになっていくのが気持ちよかった。野菜作りのことなど何もわからないが、昨日たまたま苗物を選んでいるときに、僕が手にしたキュウリの苗が「地這いキュウリ」だった。隣りにいた夫婦が、土地が広いところは「地這い」がいいんだよねという。いまのキュウリは棚を組んで地上に生らせるのだが、これはカボチャやスイカのように地に這わせておけばいいらしい。何となく楽そうなので「地這いキュウリ」を買った。昼食後にまた少し耕して苗を自己流に植えた。もう5時に近く、そろそろ家に入って夕のお勤めをと思っていたところへ、缶ビール片手に隣りの兄が一息入れようと誘いに来た。缶ビールと焼酎の湯割りを飲みながら1時間ほどのんびりと会話しながら過ごした。彼曰く「サンデー毎日」なのだそうだ。でも畑があるから楽しいという。僕もこれから畑のことが楽しくなれるだろうか。昨日猿が来ていたことを二人とも知っていた。猿除けを施すことは今のところ僕の頭にはない。

2012年5月7日Monday 晴れ
母はエレベーターの前に立っていた。
午前中身延駅へ京都行の切符を買いに行く。帰りにコメリによると大変混んでいた。お客さんは皆中高年者で、そのほとんどが苗物を買っているのだった。季節が良くなって皆さん畑に作物を作ることに心躍っているということだ。残りの網戸を入れてしまう。これで夏の準備よし。午後母に会いに行く。女房とエレベータで3階に上がると、開くと目の前に母の顔があった。予感がなかったわけでもないのだが、まさかエレベーターの前に立っているとは。どうも一日の大半をエレベーターの前に立っているらしい。何度か下の階へも降りてしまっているようで、ブラックリストに早速入ったようで、エレベーターの中には新しく貼り紙がしてあった。「面会者の上がってくるエレベータに乗ってしまう方がいますのでご注意ください」みたいなことが書いてあった。ずっと一日立っているということではないようだ。食事やれレクリェーションの時間などは皆さんと一緒にできているようだが、結局自由時間はほかに集中するもの興味のあるものがなく、外に出て歩きたいという気持ちだけが強く、エレベーターの前でそのチャンスを伺っているということなのだ。僕らが帰るときも、連れて帰ってくれとせがむようなこともなく、これはこれで仕方ないことと受け止めてくれているようだ。まあ一安心。

2012年5月6日Sunday くもり
変な天候だ。
昨日は一日夏の日で、風も穏やかで爽やかだったけれど、今日は、9時過ぎくらいから急に風が強まってきて、強い風や午後からは雷が鳴って強い雨になった。昨日の葬儀がこんなだったら外は大変だった。客殿と庫裏には網戸を入れた。甲府の柳沢夫妻来山。旦那はメダカに興味津々。増えたら分けてやろうかなと思う。僕もメダカを見ていると時間を忘れる。3人で病院のT兄を見舞う。日曜なので2人の息子がお姉さんに代わって病室にいた。中野夫妻は東京からすでに病院に来ていた。昨日の夕に見舞ったときは、あまり本人に呼びかけても反応は感じられなかったが、今日は確かな反応があり、声も「うんうん」とかはっきりとこちらの呼びかけに対してあった。本人は意識がしっかりしていて病気と闘っているのだ。僕は僕の祈りを続けていくしかない。

2012年5月5日Saturday 晴れ
こどもの日を葬儀。
朝から抜けるようないい天気。新緑の5月。鯉のぼりもある。こどもの日なのだからこうでなくちゃならない。僕は一日高松家の葬儀。出棺のために8時半に当屋へ。9時15分から火葬。11時前に寺に戻る。大勢の葬儀社の人たちがそれぞれの役割のために準備している。立夏なのだ今日は。不動寺親子正午過ぎに到着して打ち合わせ。今日はもう夏の衣で。午後1時から葬儀。前夜の通夜への会葬者が多かったようで、連休の昼の会葬者は少なかったのかもしれない。終えて、墓地へ納骨も済ませる。隣りの集会所で初七日。経を上げ法話をしてお斎き。暑くてまずビールいただき、その後冷酒。1時間ほどで終え戻る。葬儀社の片付けも終えていた。女性のスタッフが多いとトイレの仲間で気配りがある。スリッパもきれいに揃えられ、トイレットペーパーも引き出しやすいように三角に折ってくれてあった、さすが。今日は葬儀だけでは済まなかった。
身延のT兄ちゃんを女房と病院に見舞う。3月末に退職のあいさつに家に寄ると、台所でしっかりと会話ができていたのに、ベッドに横たわる人はその人とは別人のようになってしまっていた。お姉さんからこの一ヶ月の経過を聞く。油断のならない状況にある。勤めを辞めた4月もなんだか忙しく終わったのだけど、5月の始まりもまた、何かを予感させるような始まりになっている。

2012年5月4日Friday 晴れ
通夜。
5時少しぐらい前から1時間余り集中豪雨がある。ものすごい雨が降って流れた。今日天気がよくなることもわかっていたし、雨の降りも少し弱くなってきた頃には東の空が明るくなってきていたが、墓地や伽藍の周りの溝などを見て回った。通夜と本葬の準備に葬儀社が来ることになっていたので、早くやんで陽が出て欲しかった。墓地に行ったときにあまりにも草が出ているので、これが道端だけでも刈らなければならんなと、朝食の後30分ほど草刈り機を振るう。汗をかいてそのまま庫裏の風呂場で頭を刈る。諷誦文と戒名のお話などの仕上げが残っていた。やがて葬儀社が来てテント張りなどの外の準備を始める。Fくんはもうかなりこの寺での葬儀に慣れているのでありがたい。自分のこと、葬儀の会場作りのことなど平行しながら午前中で何とか終わる。昼食を終えたとき外に2人の男女の姿が見えた。直子さんと公威君。公康の葬儀から一週間が過ぎて、2人で僕を訪ねてくれた。公威君の所作や声は公康を生き写しだ。女房は話しながら涙ぐんだ。慌しく話し墓参にいくのだと帰っていった。3時から当屋で納棺。夏のような暑さになる。夏衣着用だ。6時から通夜。寺に大勢の人が着てくれるのはうれしい。これが寺の存在するという本来の姿だ。手際よく葬儀社の皆さん後片付けして「また明日」とお帰りになる。夜、洞川の西浦清六商店から、大峰山行き用に頼んだものの件で丁寧な電話いただく。

2012年5月3日Thursday くもり
葬儀になる。
雨なので少しゆっくり起きてのんびり過ごそうかと思っていた。7時ちょうどに電話が鳴る。檀家のTさんからで、「今朝6時半頃に親父が亡くなった。病院から帰ったところでまた連絡を入れるのでよろしく頼む」と。さあ、頭を切り替えて急ぎ飯幡を書いたり、この後の流れを想像してみたりした。Tさんからは「寺(を会場として)で葬儀をしてもらいたい」と伝えられた。お祭りの後片付けが昨日あたりでやっとひと段落した。よかった。客殿の障子は外しておいてもよかったようなもんだと思ったり。そうこうするうちに再び電話があり、「今帰ったので枕経と打ち合わせに来てください」と。傘をさしていく。畳の新しい座敷に少し痩せた風なTさんのお父さん。枕経を上げる。その後組の皆さん、葬祭場の担当者と日程のことなど相談する。寺を使って5月4日通夜と5日の葬儀と決まる。不動寺の親子に助法の僧侶を頼む。午後から戒名・式次第など考え、さっき位牌と塔婆を書き終えた。これから諷誦文の作成。

2012年5月2日Wednesday
雨。
雨の一日となったが、古い障子の張り替えと、住まいと台所を繋ぐ階段の部分を補修したので、そこに新しくカーペットを敷いてもらった。2人の職人が午後6時過ぎまでかかって仕上げてくれた。住まわせてもらっている寺に少し退職した恩を返そうと思っている。名古屋の遠藤夫妻から、公康君の葬儀に立て替えておいた香典ときしめんが届けられた。2人からの手紙も添えられていた。葬儀の翌日が祭典で、後片付けなどして公康のことを考えることのない数日を過ごしていた。冷たく激しく降る雨の外を眺めながら、その死からまだ8日目なのだと、早すぎる鬼籍入りを思った。
2012年5月1日Tuesday くもり
片づけ。
女房と娘は勤め。僕は家にいて片づけなど。お札を届けたりする。前の勤めの所長から筍をいただいたので、その礼に行くも会えず。お父さんに頼んできた。携帯で話す。メーデーなので、前の勤め先にも少し差し入れする。交替で休んでいるのか静かだった。午後便所掃除や送るお札の整理など。少しずつ少しずつ。天候幾分崩れ気味。メダカの採卵する。早いのはもうすぐ孵化しそうだ、楽しみ。

2012年4月30日Monday 晴れ
祭典終わる。
晴天のもとに不動尊祭典を終えることができた。大勢の皆さんに感謝、感謝。柴燈の時も、前日ほどの風もなく良い護摩が焚けたのだと思う。振替休日なので、女房も娘もいつもより遅い起床。僕はお勤めをしてゴミ出しなどする。テキヤが店を出さなかった分、ゴミの散らかりも随分と少ない。頭も体もまだ祭りの翌日でいささか興奮しているのがわかる。片づけもそんなに身が入らない。ゆっくりと少しずつ片づけていけばいいか。永啓ともゆっくりと話をして飲んだ。息子は午後女房に送ってもらって学生の場所に戻っていった。また来年よい祭りをする。

2012年4月28日Saturday 晴れ
弔詞する。
もう朝からぐんぐんと気温上昇する日。メダカの採卵も進む。せっせと卵を採取しては孵化用の水槽に移す。まあこれもちょっとした自己研究みたいなもの。5時に起きて護摩を焚く。静かな時間にお不動様に祈り、公康の安らかなる上昇をも祈る。玉屋さん来てくれて、テレビの受信作業の最後をしてくれる。静岡の放送がたくさん受信できる結果を生み、この件は一件落着。礼を言う。午前中護摩壇と本堂の掃除。11時を回ったところでいったん中断。着替えて12時に葬祭場へ向かう。会場に着くとすぐに声をかけられた。籏持くん。久しぶり。「今日は客僧として出てくれるらしいな」「うん。弔辞も読む」。短い会話だがそれで十分。控え室に入り本日の御導師である本成寺の小倉住職にあいさつをする。もう一人永久寺の押田上人にもあいさつ。役場の先輩。午後1時の葬儀。5分前に僕は式場に着席。始まって、導師の引導作法の後に弔辞。香を薫じ弔詞読む。泣くことをあまり考えないようにしていたのだが、2行くらい読んでから泣けてきてしまった。5分くらいの間、断続的に泣いてしまうが最後まで読みきる。頭の後ろからすすり泣く声も聞かれたような気がした。公康への最後の手紙となった。さびしい。式終わって控え室に戻る。内藤君に声かけられる。「弔辞よかったよ」「そうか、よかった」。再び二人の僧侶に、出させてもらったことに対しての礼を言って着替えて部屋を出る。直子さんに弔詞を手渡す。「高校の頃のことを思い出したわ」。公威君にも会う。誕生のとき、火渡りで抱っこしたと直子さんが話してくれたが僕はよく覚えていなかった。好青年には涙はなかった。薫風の爽やかが彼にはあった。公康はきっと子のたった二人の母子の、いつのときでも生きる指針を与えてくれるに違いない。車に乗ると、そこへ公康君の東京時代の友達がやってきて少しの時間話す。祭りの準備があるので僕は初七日は遠慮した。内藤君は初七日に出てくれたようだ。帰ってきて着替え、缶ビールを1本飲む。夏のような暑さだ。本堂の準備をしていると、隣家の兄から「何か手伝うか?」と声かけられ、「もうあらかたなった、大丈夫だ」と応えると、「ビールでも飲もう」と家の脇の作業小屋の縁側に誘われる。冷たい缶ビール、焼酎、冷酒に野天でモツ煮ていてそれも出される。美味い。ぐんぐんと飲める。「明日、二日酔いでお祭りができなくならん程度にな」ってところで退散。さびしい忘れられない今日にはなったけど、こんな酒がありがたかった。しっかりと明日をする。

2012年4月27日Friday 晴れ
いよいよ大詰めの祭典準備。
朝はまだ霧雨が残っていた。でも天候はまもなく回復することが確信できているので、まったく困らない。今年は天気の心配だけはいらない。午前中、祭典でのお話を考える。それから、夕べは勢いで公康君への弔辞を書いて、直す必要なしなんて眠い頭で思っていたけど、一晩たって朝目覚める布団の中で、いろいろと巡ってきて、少し手直しをして仕上げた。今朝も内藤君からのメールが届いていた。朝の散歩の感想など伝えられた。僕の朝は勤行の朝だ。名古屋の遠藤上人にメールを出した。明日、葬儀の時間特別な用がなければ、そちらで公康のために教をあげてほしいと。OKの返事が来た。雨は止んだが、天候は一気に回復せずに午前中は曇り空だった。これがこちらには幸い。護摩壇にヒノキの青葉を盛った。昼飯を挟んで2時頃までかかって壇を仕上げた。直射日光が強いとヒノキの葉が焼けて赤くなってしまうので、今日の天気はちょうどよかった。護摩壇を作ってしまってだいぶ明日の準備が楽になった。明日は、28日の不動尊縁日なので護摩を焚く。祭典の祈願札のための護摩を一日速く焚いて祈願する。公康の通夜には行かなかった。本葬に出るので明日だけで僕は十分だ。その分遅くまで祭りの準備をすることができた。久しぶりに一日中Grateful Deadを流して過ごした。

2012年4月26日Thursday
まさか君の寝顔に経を読むことになろうなどとは思わなかった。
朝から雨だ。一転寒い。10時前に家を訪う。お母さん、妹さんがいらした。座敷に寝かされている寝顔は8日に会った時のままの顔で、苦しんだ様子もなく穏やかな眠っているような顔だった。観音経を上げた。日蓮宗檀徒であるので、南無妙法蓮華経の曼荼羅か掛けてあった。まさか公康のために枕辺で経を読むとは。無念、実に無念。唱えながら溢れてくる涙。
炬燵に入ってお母さんと話す。気丈にお母さんは振る舞っているが、二人で泣けてくる。「公康とも病室で二人で泣きました」と話してまた涙。ティッシュで鼻かみながら涙。病室でも二人で泣いた後何度も鼻をかんだ。お決まりの文句のように老いた母は、「私が代われたらよかった」とこぼす。仕方ないですよ。諸行は無常なのだからと。直子さんは、彼が吐血して倒れた夜、彼を椅子から抱きかかえようとした隙に腰を痛めたとのことで甲府に居るとのことだった。家を後にして寺に戻り、祭典の準備を進める。お札書き。今日で一応すべてのお札は書き終えた。夜直子さんから電話をもらう。彼女から事の一部始終を聞いた。28日の葬儀に客僧として参列して弔辞を読むことにした。いまそれを書き終えたところだ。書き直しなどしない。心が公康に向いたままに書いたもので、それでいいと思う。公康の死を伝えた内藤君からも朝長いメールをいただいた。旗持君も、名古屋の遠藤夫妻も深い悲しみにある。夜、行藏院ご住職から悔みのメールをもらった。受け入れるより仕方がない。

2012年4月25日Wednesday 晴れ
こんなに早く、あっけなく別れが来るとは思わなかった。
晩飯時に女房と話をしていた。店のシャッターが下りていたんだけど少し早すぎはしないかと。退院した彼にお母さんが早じまいをして会いに行ったのだろうかと想像していた。獣除けの柵を閉めに行ってきて残りのご飯を食べているときに電話があった。出るとヒトミさんからだった。公康君が亡くなったと直子さんから連絡があったと。昨日亡くなったということだった。知らなかった。ホントは、お祭りの前に明日か明後日会いに行こうと思っていたのだけど、退院して自宅療養するというメールが入ったので、お祭りが終わってから訪ねようかと考えていた。4月8日の夜奥さんから電話がかかってきて、彼の病状を知らされた。翌日病院を訪ねた。ベッドにいる痩せた彼を見た。「こんなになっちゃってね」と涙を見せながら僕を見た。9階の病室からの眺めは春爛漫で、病室は僕には暑かった。食事が摂れなくて一週間以上点滴だけで過ごしているのだといった。食べられないから、携帯で食べ物を検索しては想像しているのだといった。病状がかなり深刻であることも本人の口から話された。告げる彼もつらいが告げられるこちらもつらい。二人で手を握り合って泣いた。奥さんを介して僕に会いたいと知らせてきた一つ年下の友人に、僕は心底済まないと思って詫びた。いつでも会える場所にいたのだが、もっと早く会えばよかった。役場ももっと早く辞めてしまえばよかった。まさかこんなに早くあっけなく逝ってしまうとは思ってもいなかった。22日朝僕にくれたメールだ。「昨日午後、自宅に戻りました。夕食は入院中食べたかった鮪の刺身をノンアルコール・ビールで愉しみました。暫くのんびりと栄養を着けていこうと思っています。」僕はこう返信した。「無事の帰宅よかった。こちらは今日祭典の準備。午前中雨降らずに終わりました。午後は雨で冷え込んでいます。この時期に山には桜がまだ見え、少し不思議。寒さに要注意を。 永明
」。彼とのメールのやり取りをこれからどのくらいするだろうかと思っていた。たった2回で終わってしまった。20日の夜僕にくれた初めてのメールの最後にはこう書いてあった。「いつか二人でゆっくりと酒が呑みたいなあ。出来るかなあ。」。痛恨の極み、どん底の悲しみの棺に僕も収まった。

2012年4月24日Tuesday 晴れ
気温グングン上がる。
20度台後半の気温になった。暖かいより暑い。初夏だ。境内の桜は終わり、サツキが開き始めた。ヤマブキも濃い黄色を見せて可憐だ。外に出るのが気持ちいい。お札を書く。午後飯富へ祭典のための酒などの買い出しに行く。苗ものを買っていく人たちが大勢いる。暖かくなって、メダカが産卵を始めた。去年は産卵に気付かなくて、8月の盆ごろに見つけたものが冬を越したのだが、今年はじっくりと観察できるから楽しみだ。静岡のテレビの電波を受信しようと、T屋さん頑張ってくれているが今日もうまくいかず。意地でも受信してみせるといった風になってしまったようで、まだ土曜に来てくれるとのこと。

2012年4月23日Monday
母入所。
3か月の施設入所となった。妹が8時半過ぎにやってきて、9時少し前に母を乗せて3人で出かける。母には出かける前に「今日から新しいところに行く」と話す。戸惑いの表情も見られたが、自分の置かれた状況をしかたなくも受け入れざるを得ないことがわかるのか、特にそのことを拒むでもなく、ほぼ無表情。降っている雨が何となく僕ら二人の子供にとっても幾分厳しい。施設に着き入居の説明を受けその後3階に上がる。4人部屋に入室することになった。本人は外に出たいのか、しきりに外を眺める。ここも3階のフロア内は自由だが、下に降りることはできない。レクリェーションを見学し、その後のお茶の時間にはもう席を与えられて、入所者の方々とヨーグルトを食べた。医師からの聴診、問診などを受け、僕と妹は別れて帰る。山に親を捨てるような気持になっていないわけではなく、ここ数日いつも頭のどこかに今日の日のことがあった。昼前に帰り、仕事から戻った女房にも話す。置いてきてしまえば、幾分気持ちは楽になり、しばらくは母の監視に気持ちを傾けないで済むという解放感はある。数日放っておいた祈願札をまた書き始めた。来週の今日は祭りが終わってホッとする月曜になっているはずだ。

2012年4月22日Sunday くもり
祭典準備。
雨が心配だったが午前中はもった。檀家の皆さん来てくれて要領よく準備をしてくれる。幟の準備。檜の枝取り。テントの用意。最後に松明作り。順調に進み10時前には解散。一週間後が祭典のため、準備するものには限りがある。あとは当日の朝の準備。八日市のほうも雨が降らなかったのでテントが例年通りいくつも張られた。正午を過ぎたころからぽつぽつと降り出す。ひと段落してのんびりと午後を過ごす。雨が降り冷え込んで寒い。ストーブも炬燵もまだ仕舞えない。頭を刈る。

2012年4月21日Saturday 晴れ
風強し。
朝メールをチェックしたら嬉しいメールが一件入っていた。すぐに返事を出した。日曜から月曜の天候が崩れるというのだが、檀家の皆さんに来ていただかないと進まないものもあるので、午前中メダカの水瓶の掃除。40リットルの容器に昨日の午前中から水を貯めておいた。このあたりの水道じゃカルキ臭などほとんどしないのだが、水替えの時は貯めおいた水を使うようにというのを読んでいた。それから水温の急激な変化も小さなメダカには障る。メダカを飼って一年がたつので結構頭の中にメダカの知識だけは貯まってきた。きれいになって泳ぐメダカがくっきりと観察することができる。お祭りに訪れる人たちをも楽しませてくれるだろう。その後、昨日の続きの草刈り。客殿裏の庭の草刈り。少し墓地の道の幅も刈る。青葉が伸びてきた。アジサイの挿し木で育てた苗が大分大きく生き生きと伸びてきた。こういう姿は光だ。午後は大分風が強くなる。明日の準備に降っていないことを願うのみだ。

2012年4月20日Friday くもり
護摩壇作る。
週末の天気がよろしくないらしい。日曜日が祭典の準備なのだが、外の準備ができないかもしれない。祭典は翌週の日曜となるので時間はたっぷりとある。青竹なんかは当日朝の準備となる。天気だけはこちらの都合でコントロールできないので仕方がない。一日曇り日。少し雨もぱらつく。午後から柴燈護摩の壇の準備を始めた。山に入って折れた枝などを引いて下したり、杉の葉もたくさん拾った。青葉だけをかければ出来上がりというところまで作った。少しずつ進行。今日一日、隣りのカメラマン氏本堂の撮影。夕べもいろいろと写真見せてもらったが実にいい。切り取るタイミングなんかは天性の素質というものなのかもしれないと思った。

2012年4月19日Thursday 晴れ
外で仕事する。
朝生ごみのコンポストを移動する。コンポストを抜いた生ゴミに、次に移動するところの土を掘って掛ける。畑にも随分と草が出て伸びてきた。今のところ作物は作っていないので、草を刈るだけの畑である。ちょっとだけ、ブルーベリーと、アジサイとフジザクラの挿し木して育てた苗、買ったミツバツツジの苗などが畑に植えてある。老人クラブの人たちが八幡神社の掃除に来ていて挨拶をする。「朝から稼ぐねぇ」などと。今日は室内での仕事はやめにして畑の草刈りをすることにして、草刈り機2台も今年初運転。小さな方は先日プラグを替えたので始動もうまくいった。これでこの春夏また草刈りだ。午後4時ごろまで外で作業。いい汗をかいた。昼時に連絡していたので妹が来てくれた。筍の煮つけを持ってきてくれた。これは美味。母の施設入所の連帯保証人になってもらうためにハンコを持ってきてもらった。月曜の入所にいっしょに行くことになった。彼女にもいろいろな思いはあるのかもしれないが理解は十分してくれていることと思っている。帰り際、ティク・ナット・ハン師の著書「法華経の省察」を貰う。お祭りでも終わったらゆっくりと。そうそう、図書館で借りていた本も返す。お祭りまで読書はしばし休憩。

2012年4月18日Wednesday 晴れ
今日もお札書きなど。
今日も昨日の続き。もうほとんど書いてしまった。寺と僕らの住まいを繋ぐ階段のところの床が弱くなっていたので大工さんに入ってもらって修繕をしてもらう。以前、リフォームしてもらった時にお願いしたEさん兄弟。稼ぎにもならないような仕事を厭わずに引き受けてくれてありがたい。10時のお茶を飲みながらお寺のことなど話す。
午後1時半にケアホーム花菱に行く。3か月の入所ができることになった。職員の方3人(相談員・作業療法士・栄養士)から説明などを受けた。来週から受け入れ可能ということだったので、寺の祭典日程のことも話したら、23日の午前中の入所ということでまとまった。飛び上るほどのうれしさもなく、少し後ろめたい喜びというのか、でもこの機会はありがたく頂戴することにした。

2012年4月17日Tuesday 晴れくもり
お札書き始める。
護摩の祈願札を書き始めた。それから尺5寸札の手書きも10枚ほど書いて作る。今朝3時ごろだったか、防災無線で火災発生の放送があった。サイレンの音に目が覚めて静かに聞いた。上伊沼の建物が火災ですといった放送だったような。地元なのでここの消防団の出動要請もあった。しばらくすると八日市場の消防車もサイレンを鳴らして出かけて行った。5時前の時間に鎮火の放送があった。特に大きな火事ではなかったようだ。昼だと風が強い時期なので延焼も心配だったがよかった。
午後2か月に一度の定期検診に行く。3月末の人間ドックの結果を見ながら指導いただいた。任意継続の保険証がまだ発行されていないので手元になく、今日は実費での支払いになった。帰ってから共済組合へ電話すると、「今日これから簡易書留で送ります」との返事がある。こちらが言ってはじめて送る気になったのかと疑ってみたくなるような対応に腹が立つが、我慢。
お札も書き始めたらかなりの枚数が書けたので、これなら順調。

2012年4月16日Monday くもり
天候定まらず。
今日一日は曇り日。祭典の準備モードに変えなければと、シメを切ったり細々としたことを。注文していた弓が夕方届いた。試しに射てみたがかなり飛ぶ。Nさんに奉納してもらった弓も捨てがたいが今年はこれを使ってみたいと思う。琵琶師:鶴田錦史を書いた「さわり」読了。武満のCDも今日は一日中聴いていた。琵琶の語りも聞いてみたくなり始めた。谷渡りのようにあれこれ興味が移る。
午後、花菱荘という老健施設から判定会の結果が知らされ、受け入れ可能となるので一度来てほしいとのこと。水曜の午後伺うこととする。夕方飯富ケアホームに母を迎えに行く。4泊はあっという間に過ぎてしまった。これはショート過ぎる。3か月を預かってもらえるのはとても魅力的だけれど、いつからの受け入れが可能になるのか?それからいつだったか聞いた話で、ミドルステイ後に家に戻った時の本人の変化には注意しなければならないとのことだったし、少し不安もあるが先のことを案じても仕方がない。

2012年4月15日Sunday 晴れ
初区会。
仕事を辞めたとたんに区会議員をやれとのことで、今夜初区会。句会ではなく区会。夜はまだ冷え込んで寒い。小さな集落にも抱えていることがたくさんあるようだ。寺は区の行政関係の仕事に携わることを免除されてきた歴史があるが、いつの頃からか組長を引き受け、今回は区会議員を引き受けざるを得なくなった。これも人口が著しく減少していることと高齢化、一世帯の構成員が一人乃至二人ということが要因となっている。2年間の任期。夕べは同志会の定例会にあいさつに行き、例年のように祭典のことなどお願いした。消防団の定例の旅行の案内を渡された。今年は10年ぶりくらいではあるが行ってみようと思う。多分これを最後とするかもしれないが。よい仲間たちである。

2012年4月14日Saturday
介護施設へ。
女房と昭和町の介護老人保健施設「ノイエス」に行ってきた。職員の方から詳細に説明を受け施設内も見学させてもらった。一応この施設へも申し込みをする。ただしここは3か月のミドルステイが条件となる。仮に入所できたとしても3か月後には一度ここを出て、3か月はデイサービスとかショートステイなんかを使う必要がある。この4月からまた介護保険の制度が少し変わったとのこと。まあもうとにかく何とかしたいというのが正直な気持ちだ。どこの施設も要介護の老人で溢れかえっているというのが印象。それにしても介護施設の職員は丁寧に説明し、施設内を歩いてもみなとにかく挨拶をよくする。こういうのは僕にはいささか苦手だ。老人保健施設も各地にたくさんできたので、受け入れる側も上から目線ではいられなくなっているのかもしれない。
雨でのんびりと午後はすごした。武満のCD届く。何年かぶりで「ノヴェンバー・ステップス」聴く。

2012年4月13日Friday 晴れくもり
桜散る散る散る。
午前中、娘の軽乗用車の税金の支払いに行く。知り合いに会う。「役場辞めただねぇ」「ハイ」。その後昨日の続きで護摩木作り。午前中から風強い。昼飯を挟んで午後2時間ほどで護摩木作りを終える。暑くてTシャツ1枚で仕事した。終えてから頭を刈る。バリカンの歯が首の後ろにあたると痛いので「何故かなぁ?」と考えたら、多分きっと、日焼けしたんだ。で、ひりひりする。読書をして、本山へいくつかの用事があって電話する。花供入峰は6月6日から9日まで。意気込んでいる。30何年かぶりの大峰山。毎日が休みなので土日は関係ない。以前は金曜が待ち遠しかった。カルメン・マキ聴く。

2012年4月12日Thursday 晴れ
桜散る散る。
母は今日から5日間のショートステイに行く。これでしばし解放される。5日間ではホントにショートステイだ。でもまあ、ケアマネがこちらの都合にも合わせてできるだけ家族の要望を取り入れて介護計画を立ててくれているのでそれには感謝するしかない。5日間入って、また祭典の近づく月末から5月連休にかけてショートステイを計画してくれている。9時半にケアホームへ連れてゆき、帰ってきてから昼食はさんで終日護摩木作り。午後は風が強くなり桜はもう大量に散る散る。枝垂桜はもう葉桜だ。シロミツバツツジが一気に開いた。
図書館で借りてきた「さわり」(佐宮圭)を昨日から読み始めた。琵琶奏者:鶴田錦史のことを書いたもの。この方の演奏でとくに有名なのは武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」で、僕もレコードではもっているが、プレイヤーがないのでもう久しく聞いてはいなかった。youtubeで検索して聴いたら無性に聴きたくなってamazonで早速買ってしまった。

2012年4月11日Wednesday くもり
散る桜。
朝から天候悪く雨が舞ったり強い風が吹いたりする。夕方になって本格的な雨になってきた。池の表は吹き飛ばされた桜の花びらで覆われた。お祭りの準備で幣束など作る。10時頃小平の伯母から電話がかかってくる。「長い間お勤めご苦労様でした」と労いの電話だった。お祭りには伯母夫婦に長男運転で来てくれるとのことだ。昨日の昼前には妹から長い電話があった。お祭りのお札の申込みも少しずつ来るようになった。内藤君からもCDと一緒に申し込みが、ありがたい感謝。これが僕のこれからの本業ですからね。
午前中母をデイサービスに送り届けるまでは何もできない。今朝はその時間に「闇の子供たち」(梁石日)読んでしまう。ちょっと重い題材だった。でも余裕ができて分厚い本へも挑戦できるようになった。午後WOWOWで「ガンジー」見るも、眠ってしまう。仕方がないのであきらめて便所掃除などする。雨の寒い日。シロミツバツツジがひと花咲いた。

2012年4月10日Tuesday 晴れ
金がかかる。
母をデイサービスに送り、その足で銀行に行く。共済組合の健康保険に継続加入するため一年分の保険料を納める。50万円弱。それから国民年金に加入したので、女房と二人分の保険料35万円強を前納する。金がかかる。退職金が振り込まれていた。あらかじめどこくらい貰えるのか聞いていなかったので、感想としてはこんなに貰えたのかという金額だったが、世間から見たらどうなのか全くもって僕にはわからない。僕は何となくその半分くらいなもんじゃないのかと女房とも話していたので少し意外だった。でもこれはこれでありがたいよ。30年の勤めの結果だ。
銀行で用事を済ませそのまま図書館に行った。3冊の本を借りた。図書館のある総合文化会館が臨時の駐車場となり、身延山の桜見物の人たちをここからバス輸送している。桜の開花が遅れたので、昨日の朝行った時ももう駐車場はいっぱいだった。観光課のT君も観光客に対応していた。明日が雨の予報なので、今日一日また相当数のお客が来るだろうとのことだった。コメリにより少し買い物。役場の先輩のFさんと会う。野菜のカップ苗をいくつか持っていた。この人も畑をやるのだなぁと、過ぎた日のことを思い出しながら思った。

2012年4月9日Monday 晴れ
気温20度超す。
暖かいというより暑い。春の天気は落ち着きがない。桜はもう本気で満開だ。隣のカメラマンも朝から境内に来て花を撮る。カメラマンが以前本堂内を撮影した。360度写真のデータをいただいた。QuickTime形式で見られるんだけど、これをWEB上に公開するのはさてどうしたものかこれから検討だ。
午後所用で甲府へ行く。退職してからいろんな展開が目まぐるしくあって春の天気のように落ち着かない。寒くなったり暑くなったり、僕自身も360度回転しているような気分になる。祈りをまた新たに始める。

2012年4月8日Sunday 晴れ
桜満開。
今日も好天気で桜は満開だ。7時半過ぎに家を出て甲府の華光院の三宝荒神祭典に向かう。日曜の道は空いていて思ったより早く着く。10時からお練りをして柴燈護摩の法要。ここは本格的な法要をする。智山派の若い僧侶はとても修験に熱心。醍醐からは玄法院さんと僕。終わって、玄法院さんは午後から仕事なのだと早々にお帰りになる。昼食をいただいて僕も変える。午後1時半からの区の新旧役員引継ぎの会に10分ほど遅れる。今日は引継ぎと、去年の区長の慰労会のようなものだったので、ビールを一杯いただいて帰る。帰って衣体などの片づけ。メダカに餌をやってその後寝そべりながら、華光院さんに渡された山梨宗教者懇話会の発行誌「じべた」をぱらぱらと読みめくる。ちょっと今の僕にはこれは無理だなぁという率直な感想。せっかくだがお断りすることになるだろう。
女房が呼びに来て、「奈良の人がご本尊を拝観したいのだ」とのことで開帳する。風も強く4時を過ぎていたので、夕のお勤めもかねてご夫妻にも勤行に同席してもらい、そのあと説明をする。お嬢さんが山梨大学医学部にいるので、何度か山梨に来るようで、身延町の観光パンフで不動明王のことを知り、一度訪ねたいと思っていたとのことだった。こういう機会は僕にとってもうれしいものである。「6月に大峰山に行く予定だ」と話すと、「うちは大峰の麓です」と。縁があるのだなぁと思った。夕方母をデイサービスに迎えにいって今日も一日終了。明日の月曜からはちょっとごろっとしていたいものだ。

2012年4月7日Saturday 晴れ
法事あり。
東京の世田谷から佐田さんご一家来て亡き奥さんの13回忌。桜がちょうど見ごろなので、11時過ぎにお着きになったが、境内の風景を喜んでくれた。自然がもたらしてくれる普通のもてなしが一番なのだと思う。客殿で経をあげ墓参。昼時はちょうど冷たい風も凪いで暖かく、何度も鶯の鳴き声が聞こえ、それをまた喜んでくれた。
ゆっくりと食事をとっていただいて2時過ぎにお帰り。80歳を半ばにならんとする年代の皆さんは、言葉には出さずともそれぞれに苦労をしてきている。夕方少し本読む。

2012年4月6日Friday 晴れ
葬儀。
母をデイサービスに預け甲府市斎場へ向かう。10時半過ぎに拾骨してセレモニーホールへ。天候は素晴らしくいいが強風。僧侶方三々五々集まってくる。会場を下見して打ち合わせなど。午後1時葬儀開始。滞りなく済む。初七日は石和温泉のホテルへ移動。ホッとして、「温泉にでも入りたいなぁ」など話す。主に修験をされているお二人には、修験の衣体で式に出てもらったが、これはこれでよかった。今後このような機会にはそうしてもらうことにする。醍醐派をアピールできたのではないか。4時15分に僧侶は退席して解散。これで葬儀無事終了。帰ってきて夕のお勤めをして、衣などをしまい、母を再び迎えにいって一日が終わり。上求寺の叔父からいただいた秋田の酒清水で晩酌。旨い!叔父にお礼の電話をする。
明日法事一件。明後日甲府:華光院の祭典と続く。

2012年4月5日Thursday 晴れくもり
通夜。
教昌寺ご住職の通夜に午後から出かける。午前中は、葬儀の準備の最後の仕上げというのか、初七日の時に振られるであろうお話を考えて、大体それで準備OK。その後、一昨日の大風で飛んでしまった土蔵屋根の樋(パイプ)を繋ぎ直す。梯子をかけて上るが元々僕は臆病で高いところが大嫌い。こういう作業はつらい。これも仕方のない部類のものだ。ついでに樋の落ち葉も書き出してきれいにする。屋根のあちこちに干からびた猿の糞が落ちていて恨めしい。でも高いところは空に近くて今日の空はよかった。11時の鐘を撞いてから本堂に掃除機をかける。ここも大風で吹きこんだ落ち葉や天井から落ちた煤などで汚れた。午前の部終了して、昼食後に頭を刈り、午後2時半に出かける。3時半過ぎに横根町のセレモニーホールに着く。まだどなたもお出でになっていなかったので、係員と僧侶の着く席や配置などをする。5時から夕食、打合せ、6時から通夜の法要。滞りなく終えて7時過ぎに今日は解散。明日また11時半から本葬。帰り道雨が降ってくる。帰ってきて一杯やってこれから風呂。

2012年4月4日Wednesday 晴れ
一日風は収まらなかった。
本堂の扉を開けたのだが、午前の遅い時間になっても風の強さは一向に収まらなかった。仕方がないので11時の鐘を撞いた後に扉を閉めた。できるだけ開けておきたいのだが、風の強い時期は埃も吹き込むのでどうにも仕方がない。結局夜になっても木々を揺らす風が吹いていたのだ。
教昌寺のご住職の葬儀の準備に一日。葬儀次第や諷誦文、塔婆・位牌などを書き、夕方何とか「これでまあいいだろう」となった。明日また午前中に気になることをして、夕方の通夜に間に合うように出発だ。
夕方ショートステイから母が戻った。明日から一週間次のショートに入るまでデイサービスの利用。朝夕の送迎。それから家庭内での監視。「監視」なんて言葉はホントに使うのも嫌だがこれも仕方がない。これから布団に入って本を読んで寝る。

2012年4月3日Tuesday
暴風雨吹き荒れる。
気象も異常なんだ。外はものすごい雨と風が吹き荒れている。境内の木の枝が折れるとか、瓦でも飛んでしまうとか、そんなことも部屋の中で気にかかる。今日一日のこと。
隣町の特養老人ホームを9時に訪ねることになっていた。8時半少し前に電話があり、教昌寺のK君から「夕べ11時過ぎに住職であるおばあちゃんが亡くなり」、僕に葬儀の導師を頼みたいとのことであった。末期の癌が年初めに見つかり入院後自宅療養していたとのこと。そういう状況を全く知らなかった。一つ用事を済ませてから伺うとして電話を切った。9時に老健施設を訪ねると、担当職員がすぐに応対をしてくれた。母の介護を要する状態を話し施設入所の申込書を書いた。現在利用しているデイサービスとショートステイもすでに介護保険分を超えているので、それ相応の利用料がかかっている。ケアマネから、「施設入所と同じくらいかかっている」と言われているのだ。やはり僕らも家で母を介護していくのは相当にきつい。入所が果たして叶うのかはわからないが、とにかくエントリーはしておかないと始まらない。
帰ってきて甲府へ出かける。行蔵院のM師を訪ね、二人で教昌寺へ。舞踊の師匠でもあった個人は、生前のままに凛として穏やかな寝顔だった。ご家族や葬祭場の職員と日程などの打ち合わせをして再び行蔵院に戻り、二人で手分けして所下寺院に伝える。昼時を過ぎていたため、結局お昼御飯もごちそうになる。去年の8月の玄法院の長老の葬儀から所下寺院関係の葬儀が続く。明日一日葬儀の準備に費やし、5日の通夜、6日の葬儀をこなさなければならない。実は、夕べ女房と話していたのだ。老健施設の帰りに近くの温泉にでも浸かってくればと。朝電話を受けるまではぜひそうしようと思っていたのだがお預けだ。

2012年4月2日Monday 晴れ
事務引き継ぎに。
8時45分に支所に行き、後任と一緒に温泉施設に行く。シルバー人材センター派遣のKさんがすでに待っていてくれた。お互いを紹介してKさんからは施設の運営のことなどを少し話してもらった。先週の売り上げ分を回収し支所に戻り、いくつかの事務を引き継いだ。ちょうど12時のチャイムが鳴るころまでかかった。年度初めと身延山の桜の季節が重なり、観光課は不在であったので、桜の見頃の問い合わせの電話が切れることなくかかってきていて、支所職員は窓口応対や電話でとても忙しかった。もう僕がそこを手伝うことはしなかったので。午後は帰ってきてのんびりとした。新しい本を読み始めた。夕方T屋さん来てくれて、カラープリンターを交換していってくれた。介護施設の情報を女房がケアマネから仕入れてきたので、そこに連絡を取り明日朝伺って話を聞いてくることとした。桜は温かい春の日を浴びて大分開き始めた。今週くらいはのんびりするか。

2012年4月1日Sunday 晴れ
李歐。
村薫「李歐」読了。これはぐいぐいと引き込まれた。週末はこれをごろごろしながら読ませてもらった。30日に役場を辞めて、その夜は日付が変わるころまで、遊びに来てくれた友人たちと飲んだ。花束も勤務先の支所の同僚からいただき、本庁の送別会会場でいただき、夜訪ねてくれた友人たちからも貰った。残された人生の中でもう花束をこんなにもらうことなんてないだろう。僕が花をもらうのは、僧侶の仕事の後の帰りに菊や百合の花をもらう機会ぐらいなのだから。昨日の朝には大雨の中を、上司だったNさんがお酒とチャンジャを届けてくれた。一つ一つがすべてありがたかった。ただ、餞別だけはお断りした。過去に退職された方たちからのものは、返せないのでいただくことにして、同僚から差し出されたものはすべてお断りしたり、返してもらうように友人に頼んだ。せっかく自分たちが申し合わせ事項で決めてあるのだから、僕は最後も僕なりのけじめでこのことをしたかった。
貴永さんや東海さんからも退職を祝うメールをいただいた。これからの生活を見晴らしの良い場所で眺めながら生きていこうと思う。

2012年3月29日Thursday 晴れ
サギソウの植え替え。
一昨年甲府の佐田さんからいただいたサギソウの植え替えをした。初めて植え替えた去年はうまく咲かせることができなくて、今年の植え替えも球数はとても少なかった。二鉢あったものを一鉢にして植え替えた。今年は夏までしっかりと育てたい。メダカもね。礼盤をもう少し高くするために、古い長机の板を利用した。せっかく新しい畳を敷いたので、座布団はやめようと思う。風が強く砂埃が吹き込む本堂の畳を拭いた。
Lithuania(リトアニア)のNoBusiness Recordsというところで出しているJazzのアルバムを2枚買ったものが昨日届いた。それを聞きながら外で過ごした。桜はまだ開かない。開きたがっていることはよくわかる。明日かな?
来月の今日はもう不動尊祭典だなぁと思いながら朝のお勤めをし、戻ってパソコンのメールを確認すると、南アルプス市のKさんから、早くもお札の申し込みがあった。まだ案内も差し上げていないのに、ありがたいことだ。通知は明日発送予定。のんびりと心穏やかに退職前の日を過ごした。

2012年3月28日Wednesday 晴れ
せりそば。
今日は暖かな日。朝もまあまあだった。今日は最後の勤めになった。ここのところ1時間遅れ出勤だったので、定時出勤の今日は、「さあ最後だぞ」ってな気分になれた。
夕べは、二人と飲んだ。途中から女房も加えてもらい飲んだ。旧くて懐かしい話をたくさんした。懐かしい話には必ず酒のことが絡み付いている。二人には、晩酌用の徳利と猪口をいただいた。
今日は弁当を持たず昼飯は「あずみの」でせりそばを食べた。先日うちでもせりが食卓に上がったが、最後にそば屋でせりそばを食べたいと思った。しっかりと茹で上がって冷やされたそばと、歯ごたえも楽しめる色鮮やかなせりが絶妙な味わいで喉を落ちた。美味かった。もうすべての自前のものや書類など持ち帰った。午後から強い風吹く。

2012年3月27日Tuesday 晴れ
人間ドック入り。
今朝も冷えきっていた。布団から抜け出すのが億劫になる。それでも起きて毎朝の日課。今朝はご飯がない。飯富病院で日帰り人間ドックに入った。8時過ぎについて案内された3階の控室で着替え、尿採取からレントゲン撮影、心電図、肝がんのエコー診断、その他あって最後に胃カメラによる胃癌検診があって終了。胃カメラを15分近く入れられていて、3か所ほどの組織を採って外部検査に回すとのことだった。支払いを済ませ家に戻り、2時間は物を飲んだり食べたりしてはいけないということだったので、線香とライターを持って西嶋の高台の共同墓地へ向かった。笠井さんのところへ墓参した。しばらくぶりだ。墓誌を眺めて、もう12年くらいになるのだった。3月30日が命日。その数日前の午後、呼び出されて笠井宅へ出向いた。ちょうど市川高校が甲子園に出ていた。「今年は区長をしているからいけなかったけど、次は行く」と話してくれ、30分ほど何か話をしたのだと思うがあまり記憶にはない。その頃、ずどんと重く沈んでいた僕を何度か誘ってくれたり、自身の経験も話してくれたのだ。そんなことがあって30日だった。もしかしたら、今日のような27日とか28日くらいだったのだと墓で思った。次の日になろうとする頃に秋山さんから叫びとも泣き声ともとれるような電話がかかってきた。夜の会議で倒れて大変危険な状態だということだった。そしてあっけなく向こうに逝ってしまった。役場を辞めるのに、この人にだけはどうしてもそれを報告しておかなければならないと思っていた。昼前の山の墓地には誰もおらず、風も凪いでいて静かな春があった。線香を手向け般若心経、観音経を上げた。
帰ってきて昼飯を食べたが、僕にはこらえきれなくなりそうなほど腹の中を内視鏡で走り回られたので、きりきりと痛みのようなものが取れず食欲もわかなかった。本を読みながら午後の時間を部屋で過ごした。これを書いている今もまだだるく重い状態が抜けない。今夜、僕を送別してくれる二人があるのだが。息子は女房と昼過ぎに自分の生活へと戻っていった。

2012年3月26日Monday 晴れ
労い。
今朝も寒くて。起きる前布団の中で「今朝冷えるなぁ」と感じた。霜が降りていて、外の蹲の水は凍っていた。今日から母はショートステイの利用。10時に病院で迎えに来るのを家族が待っていられなくて、妹に連絡とって今朝9時にバトンタッチして送り出しまで居てもらった。こんなこともこれから何度かあるかもしれない。
職場では、後任への事務引継ぎと、温泉施設へ連れて行って、券売機からの料金の回収手順などを引き継いだ。来週の月曜にもう一度同行することにした。
息子が帰省した。一晩だけだが、晩飯のときに女房が「30年間ご苦労様でした」といい、4人で晩飯を久しぶりに一緒にした。息子からは1月の終わりに学会で指導教授に同行して初渡航したポルトガルの話も少し聞いた。新聞に投稿した詩が掲載されたが、あまりにも短く手直しされていたのでげんなりした。新聞社の詩壇への考えがわからん気がする。たくさんの投稿者を拾うということなのか、少し書きたいと考え始めたのだが、ここに投稿しても意味ねぇなあと思った。

2012年3月25日Sunday 晴れ
メダカ。
玄法院の祭典を終えてお昼をごちそうになり、帰りは大里のメダカ屋さんに寄ってきた。この春のオープンを先週したばっかりで、ビニールハウスの中の水槽に泳ぐメダカたちをしばらく眺めてきた。安いメダカを少し仕入れてきて庫裏の水がめに放した。5月か6月ごろになればどんどん産卵しますよとは店主の言葉だが、去年僕のメダカは、8月本過ぎに産卵を確認しただけで、それ以前に産卵があったのか確認できなかった。それでも生まれたメダカたちが育って、冬を10数匹が越した。今年は毎日家にいるので、もう少し観察できるかもしれない。楽しみだ。
老紅梅がやっと花開き、早咲きの桜がちらほらと開き始めた。今朝もだいぶ寒かった。ホントに今年の春は寒い。3月も最終週。僕の役場勤め人生も大つごもりだ。明日と水曜を務めてあとは休み。そして30日に退職辞令をもらう。静かな終わりがやってくる。

2012年3月24日Saturday 晴れ
最後の日直。
何事もなく一日が終る。身延山の桜の開花状況を尋ねる電話が何本もかかってくる。報道もされてるのだから、遅いらしいということは分かっていても、それでも現地の状況はどうなんだろうという、早く桜を眺めたいといううきうきした気持ちが電話かけさせちゃうんだろうね。
最後の日直も死亡届もなく無事終了。机の中とロッカーの中もすべて片付けて、持っていったコンテナで持ち帰る。ちょっとずつ終わりに近づいてゆく。

2012年3月23日Friday
彼岸明け。
夜、勤めの部署の解散会。僕が退職、ほか臨時職員1名が退職、1名が異動となる。雨の寒くさびしい春の日。下部温泉のとある旅館が会場。下部に勤めていたときに一度忘年会で来たところだった。もう7年前になる。そう思い出すと、年の過ぎるのは時間が経過した後から眺めると、つくづく早いもんだなぁと思う。日本酒は鼻づまりの元になりそうなので焼酎にする。たくさんの料理が次から次へ出てくるがとても食べきれない。もったいないなぁと思うが、出す側も食べようと食べまいとそんなものは関係ないといったような感じかな、決めたものを滞りなく出してそれでお終いですという接待。そんなことに僕らの側も、もう十分に慣れてしまっている。
退職することに対して、上司が色々と気遣ってくれているのだけれど、僕は自己都合退職なので、たんたんと辞めていきたいのだという僕の思いを話す。すべての思いが伝わったわけではないかもしれないが、こちらはこちらの思いもある。慣例のままに沿ってされるなんてことに巻き込まれたくはない。男3人だけが飲み、女性4人は飲まず。こんな場面ももう最後かなと思う。来週の今夜は退職の酒だ。

2012年3月22日Thursday 晴れ
墓参。
昼休み波木井山にある三吉屋と若松屋の墓地に参ってきた。車のダッシュボードにマッチがなかったかと捜したが見つからず、近所の雑貨屋で線香を買うとき、ライターもくださいというと「置いてない」といわれた。タバコも売っているので、当然ライターぐらいあるだろうと思っていた。マッチは?と聞くと、これも(売り物)ないと言われ、「使いかけのでいいからマッチかライターないですか」言うと、今に戻ってしばらくしてマッチが5本ほど入っている小箱を渡された。商売っ気は限りなくゼロに近い。購買客もほとんどないに違いない。
波木井山の墓地は山を開いて造ってあるので、道が急勾配である。とてもお年寄りや足が不自由な人には大変。富士川からの春の風が強く、線香の束は火を消してもまた風ですぐに発火した。半分ずつ両家の墓地に香を手向けた。2年間、生まれ育ててもらった場所で勤めさせてもらいました。もうここにしょっちゅう来ることはないでしょうと話してきた。葉桜の山に帰って一介の坊主になるのだなと一年前には思っていたが、今年は大分桜の開花が遅いようなので、桜の開花が始まる寺に、「やっとここだけに戻りました」と頭を垂れることになりそうだ。

2012年3月21日Wednesday 晴れ
ぽかぽか。
やっぱり朝は少し冷えがきつい。充血した眼のまま一日送った。ティッシュの箱を持参し、一日鼻水をそれでぬぐった。「相当重症だね」と、リーダーがスッとする飴を2個くれた。舐めてるときは一時的によいが、まあこれはどうしたら収まってくれるのか神の世界のことのようだと諦めてはいる。昼近くから外は大分いい天気で、今日は風も穏やかそうだった。桜の開花は4月に入ってからじゃないかと予想しているが、こういうポカポカが続くと一気に花も進むのだろうけど、予報じゃ金土がまた雨マークだ。
昨日来た従兄と話をしていてやっぱりそうかと思ったことがあった。以前T師からT師の俗の職場では、退職する前に年次休暇の残りを使って夫婦で海外旅行に行くのが常だということを聞いたのだが、昨日話していてこの従兄夫婦もまさしく、2年前の退職前にこの時期にニュージーランドへ行ってきたということが分かった。こういう豪華な最後を演出するには、職場でも相当頑張って偉くならないといけないのだ。中途退職なんかをするようではこういう芸当は夢のまた夢でエンドロールとなる。帰って、本堂でお勤めをし、母をデイサービスに迎えに行く。4月からの介護保険の利用料や時間帯の変更などの説明を受ける。鼻詰まりが嫌なので今夜は飲まず。

2012年3月20日Tuesday 晴れ
彼岸中日。
午後1時半から彼岸の法要する。檀家のSさん1名のみ来てくれる。女房と3人で小ぢんまりと客殿で経を上げる。終わってお茶飲みながら話す。寺のこと。役場を辞めること。この地域の将来のことなど。80歳を超えた方と僕では多分生きる時間も違うかもしれないが、この場所で生きていくことの難しさをお互いよくわかっているのだと思った。ホント難しいよな。晴れていたけど風が強く吹く一日だった。風邪なのか花粉の影響なのかはっきりしない鼻詰まり、くしゃみが終日続く。目がひどく充血している。風邪の症状とは違うのかもしれない。花粉の影響だとしたら、こんな症状はもう10年来なかったことだ。ひどい!
船便で届いたECMの作品を聞く。Tord Gustavsennのピアノがいい。それからTim Berneのアルバムもいい。Tim BerneはネットでDLした音源がいくつかあるが、アルバムは初めて買った。アルトサックスが刺さります。読書。高村薫「照柿」の下巻、もう少しのめりこめるのかと思って買ったが、さて終盤どうなるのだろう。
昼前にG兄ちゃん墓参によってくれる。炬燵で少し話す。法要の参加者はいつも少ないので仕方がない。僕が止めにするか、誰も来なくてもやるかということだけだ。今日は墓参も大勢あった。

2012年3月19日Monday 晴れ
もう少しになった、月曜。
夜中に鼻水が出てきて一度起きる。不快な一晩を過ごして起きた。風邪の症状は改善されず一日気分優れず。9時に母をデイサービスに届け出勤。デイサービスの職員の皆さんはとても物腰が柔らかい。これも客商売ということだと余計なことを詮索するのは自分と違うところを感じるからだ。朝天気はよかったが、午後にはまた薄曇りとなった。三寒四温ともいえない、“寒”ばかり。花粉の悲惨の影響もあるのか、鼻づまりに目が痒い。出勤し所長と温泉施設へ料金の回収に行く。これも今日を終えて来週1回のみ。今日は一般職員の異動内示もあり僕の後任も決まった。つつがなく引継を終えたら少し早めに休みに入りたいなと思った。
内藤君より2枚のCD届く。餞別とのこと。John Coltrane/Ascension、森山威男・杉本喜代志/Battery's not included。ありがたく大切に聞かせていただくことにする。帰ると、どーんとECM盤CD5枚船便で届いていた。

2012年3月18日Sunday くもり
今朝もなんだか冴えない朝だ。
起きると曇り、本堂へと外に出ると、まだ少し霧で吹いたようなのが舞っている。経を上げ、太鼓を打ち、法螺貝を吹く。終えて、昨日雨で行かなかったので墓参する。頼まれた塔婆や歴代先師の塔婆も立てる。庫裏の裏の紅梅が今盛り。墓参のなさそうな墓に何本か切って挿す。鮮やかな紅が墓地を明るくする。少し香る。これもいい。天気予報じゃ今日は雨にはならないようだ。沖縄じゃ海開きだという。ここは寒い。今朝起きた時から少し喉が痛み鼻水が出る。風邪っぽい。昨日の夕方頭を刈ったのが少し影響したかもしれない。
でもまあ、とにかく西光寺の祭典は大丈夫だ。去年は震災後間もなくだったものな。よい護摩を手伝ってくれる二人とともに修法したい。

2012年3月17日Saturday
一日寒くて冷たい雨。
まったく週末って言ったら天気が悪い。今朝の天気が気になっていたが、目が覚めるまでは考えないでおこうと思っていた。起きると細い雨が降っていた。お勤めを済ませテレビが7時を知らせるのを待ってNさんが今借りている家に電話した。「だいじょうぶ今日やるよ、テント張るから大丈夫、頼むね」ということだった。N家の地鎮祭を頼まれていた。施工業者も今日は外せないということなのだろう。僕もやってしまえてよかった。母を9時ちょっと前にデイサービスに送り届け、その帰りに現場に行くと、大きなテントが設営され、紅白の幕も張られ、青竹に縄も張られ、出席者用の椅子まで設営されていた。施工業者にシメを渡し、祭壇の準備をしていったん帰り着替えて時間前に戻った。滞りなく終わり戻る。使った仏具などを片付け、明日の西光寺の祭典のための準備をする。修験の衣や袈裟を鞄に詰める。柴燈護摩のシメや幣を確認する。雨が心配だが、今はダメなときのことは考えない。午後4時頃に雨が上がってさえいたら護摩はたける。
寒い寒い冷えた一日で、家の中にいても震えているような感じだった。本を読む。チック・コリアを聞く。内藤君からのメールを読む。彼は今日支所日直なのだ。明日晴れるように、テルテル坊主になる。

2012年3月15日Thursday 晴れ
馬刺し。
母のデイサービス利用を少し早く受け入れてもらうこととし、帰りも少し延長して預ってもらうこととした。上司には、朝1時間遅く出勤することの理解を得、今朝から僕が送っていくこととした。母にはこちらの魂胆が分からず、いささかの戸惑いもあるようだが、こちらにはこちらのそうしなければならない事情がある。帰りも僕が仕事帰りか、もしくは一度帰ってお堂を閉めてから迎えに行くことにする。
夕べ、小平の伯母に馬刺しを送ったお礼の電話が来た。伯父が喜んで食べてくれたとのことでこちらも嬉しかった。先日不動寺のお祭りに行ったときに、貴永さんが買ってきてくれた馬刺しを見て、祭りに来ていた伯母が「おとうちゃんが馬刺しが食いたいっていうのよぉ、でもうちの近所じゃ売ってないのよぉ」っていうので、持ってきてくれたのを帰りに持って帰ってもらったらどうかと話し、冷蔵庫にしまっておいたのだが、結局渡すのをうっかりして帰ってしまったのだ。それで、ネットで注文した山梨の馬刺しを送ってやったのだ。調べてみると、どうやら貴永さんが買ってきてくれた店ではなかったようだが、でもきっとそんなに違わない味だったとは思う。伯父とももう酒を飲むこともないのかもしれない。馬刺しなんて僕も普段は食べないし、「今夜は馬刺しで一杯飲みてぇな」なんてことはあまり思わないけど、今回馬刺し貰って美味かったな。

2012年3月14日Wednesday 晴れ
退職辞令交付式への案内。
退職辞令交付式への案内通知が届いた。今年は14人が退職する。大勢だからということだろうか、本庁者隣りの総合会館の大ホールが退任式の会場となるようだ。14人が辞めて新春の採用者は5人。退職者の中にが現業職の方も居るのだが、学校給食調理員は退職者があっても正規雇用を採らない。学校統合の問題もあるし、給食調理員も余剰してくることとかあるので、現業職としての正規雇用はない。必要なら臨時職員としての雇用があるだけだ。世の中や事業所の仕組みなんてことはよくわからないが、こういう風にマイナーチェンジの努力も自治体が生き残る為の仕方のない術だということなのだろう。
今日、管理職の異動内示があり、所長が帰ってきてから見せてもらった。もう僕にはどんな感想もないし、それへのコメントをする立場にもないが、自分の立ち位置を大事に見つめてここで生きていってやろうじゃないかという奴も居るんだろうなとは思った。
夕方初めて女房と母をケアホームに迎えに行く。僕まで一緒だったので、何事かと幾分警戒の様子を見せた。明日からまたデイサービス利用となる。それに合わせ、朝と夕方の利用をそれぞれ少し早く少し遅くまでとしてもらった。介護度は3になった。

2012年3月13日Tuesday 晴れ
年金。
3月も中旬になり、駆け込み申告する人たちや、500円の掛け金の交通災害共済の納付が日々たくさんある。ということで、けっこう終日支所も慌しい。お昼休みの後時間をもらって本庁に退職するときのいろんな手続き書類を庶務担当に見てもらいに行ってきた。それから、4月から僕も女房も国民年金の1号被保険者になるので、そちらの方の事前の手続きを担当に見てもらってきた。4月から国民年金を僕と女房と息子と3人が納めなければならない。これは相当な負担額になるのだが、できれば免除を受けないで何とか納付をしていきたいと思う。僕は26になる年に役場に入り、そこまで年金には未加入だったので、息子や娘には、20歳の取得時から免除ではなく保険料を納めている。年金制度には大分不安があるし、子供たちもこれを将来信用しないことになるかもしれないが、まあ、この子たちの親として自分の過去も振り返りつつなんとか納めてあげたいと続けている。
僕たちが年金を実際に支給してもらえるまでは、なんとしても生きてやるぞとは思っている。
夜彼岸の塔婆を書いた。NHKの火曜の歌番組を聞きながら。「木綿のハンカチーフ」よかった。

2012年3月12日Monday 晴れ
思いつくままに。
昨日の叔父の寺の祭典では、護摩法要の途中で地震発生時刻にあわせて黙祷もした。叔父さんの願文の中にもこの国の置かれている苦悩のことがたくさん書かれていた。地震による被災者や原発事故のことばかりでなく、経済が疲弊して就職できない若者が溢れていることなど。祈りはその行為だけであるだけじゃないかと言われるかもしれないが、それでも僕たち僧侶はそれを続けていく使命がある。
終えてからゆっくりと酒を楽しんで帰ってきた。誰も皆いつまでも若くは居られないわけで、叔父の寺の祭りも25回目を迎え、25年前の叔父が今の僕の年齢と同じだったのだから。
今日外ははあたたかそうだった。寺の紅梅もほころび始めた。庫裏の土間に置いてある瓶の中のメダカたちも、動きが機敏になってきた。支所に通うのももう残り僅かだ。母が戻ってきてデイサービス通いが始まれば、行く前と帰宅後の行動をを少し注意していなければならない。このことの悩みからは解放されそうにない。まあ、こういう症状になるまでに見事に破壊されてしまった母も、可哀相だとはいえなくもない。ただ、母が家に居るときはこんな様な気持ちには正直到底なれはしないのだが。

2012年3月11日Sunday 晴れ
鎮魂の護摩を焚く。
5時半ちょうどに起床。いつもなら、作務衣に折五条の輪袈裟でお勤めをするのだが、今朝は褊衫(へんざん)に如法衣を付けて本堂に入った。昨日の夕に準備を済ませておいたので、護摩の準備はできていた。いつものように朝のお勤めをし、その後護摩壇に上がった。不動寺の祭典があるので、地震の起きた時間に寺にいることができないので、早朝の護摩となった。護摩を焚くか否かは僕の問題で、やはり今日の日には護摩を焚きたいと強く思えていた。二段護摩を焚き終えて、太鼓をしばらく打ち、法螺貝を吹いた。堂を出たのはもう7時半に近かった。数日前から、テレビは震災から一年の特番やイベントの放送が目白押しだ。夕べも夕飯の後に音楽番組を少し見たのだが、AKB48の女の子たちが上からの方針かもしれないが、被災地に入り、同世代の若者たちに元気を与える姿はいいなと素直に思えた。彼女は彼女たちの役割の中で人々に生きる希望を与え続けるということだ。僕は僕の場所で祈りを続けるということなのだろう。「原子力発電は要らない」と根気よく発言し続けることだ。俳優山本太郎の生き方もこれはこれで大きなインパクトを反原発の側の人々に与えてくれていることは確かなのだから。
朝食を済ませたら、護摩壇と堂内の掃除をし、不動寺の祭典に行く。ここでも今日は祈りの祭典となる。

2012年3月10日Saturday くもり
上求寺法要。
生憎の土砂降りの天候。牧丘の上求寺の先祖供養へ行く。不動寺の叔父は右足のかかとを骨折していたが、大丈夫だと半跏座で導師を務めてくれた。上求寺のおじも今日はさぞ満足ではなかったか。初めて上求寺の墓地へも参った。祖父永城が書いた大瀧山上求寺の石塔がなだらかな丘のブドウ畑の中に静かに建っていた。場所を改めて、塩山の古い温泉宿の畳の部屋でゆっくりと食事とお話をいただいた。みなこの指とまれで集まった人たちなのだと思うと、胸に沁みるものがあった。
帰り、甲府のW家を訪う。少しの間お話をさせていただいた。その次に玄法院を訪う。所下寺院の宗費がこれで全部収納できたので本山に送金をしてもらう。ご住職が忙しそうに本堂で働いていた。「前年の今頃は長老がまだ体が動けたので、祭典の準備もだいぶしてもらえたが、今年は何から何まで自分でしなくちゃならない」と話した。そういえば去年の祭典で住職を後退し、8月にお亡くなりになってからもう7か月が過ぎるのだ。今年僕が祭りの願文を読む役になるらしい。夕方ゆっくりと本堂でお勤めをした。

2012年3月9日Friday
晴れもあれば雨もある。
昨日は本堂の畳が新しくなったので晴れではあったが、午後から仕事に生き返ってくると電話越しに女房がしきりに「申し訳ありません」と頭を下げ、電話の相手に謝っていた。その光景を見ながら一瞬何のことだろうかと思ったが、すぐにその原因は分かった。恐れていたことが現実に現れてきたのだ。母の認知症が成すことである。晴れの日であるのに夜の食卓は重かった。どうにも気分的に落ち込むタイプだ。本当なら今朝の勤行は青畳の上で、あいにくの雨ではあったが、晴れ晴れとした気持ちで経をあげられたはずなのに、理趣経を読み通すことができず、途中ででやめてしまい、30分余りを畳の上に膝を抱えて寝転がって悶々と過ごしたのだ。なかなかに厳しい現実だ。一時的にどーんと落され、こちらが死んでしまって現実を逃避しようという気分に落ち込んでくる。今もまだそんな気分から抜け切れない。こんなバカなことを書いても仕方がないが、馬鹿馬鹿しいくらいにバカは治らないのである。

2012年3月8日Thursday 晴れ
畳替え。
本堂に新しい畳が入った。9時少し前に藤田製畳親子で来る。もうすぐ来るのが分かっていながらも僕はモップで畳を敷く床を拭いた。待ちながら、どうしても床を拭きたい気持ちが抑えられなくなってしまった。掃除機をかけてきれいにはなっていたが、おそらく今回だけのことだろうから、丁寧でないにしてもモップで水拭きをしてみたかった。朝日が射していたので、そんなに時間がかからなくて乾き始めたが、それでも、畳を載せたトラックが着いたときにはまだ内陣の床はまだ乾いてはいなかった。「やめようかと思ったけど拭いちゃいました」と正直に話したら、お二人とも乾き始めるのを待ってくれた。待ってくれてる間にご本尊を開帳し拝んでいただいた。後山の遠藤キクさんと親戚になるとのことだった。息子さんがトラックから畳を本堂に上げ、受取るご主人は紺色の足袋に草履で、手際よく畳を敷いていく。あー今朝もこの職人の心地いいこと。礼盤の半畳の畳もぴしゃりと納まった。二人が帰った後、掃除機をかけて、よく絞った雑巾で畳を拭いた。青い畳が納まった本堂は明るくなった。ここで僕はこの後の祈りの生活をするのだ。

2012年3月7日Wednesday くもり
今日は暖かくならなかった。
寒くはなかったが、昨日とは違う。でも夕べはパジャマの下にシャツを着なかった。今朝もそう寒くは感じなかったので、今夜も多分これでいけると思う。帰りの新早川橋の温度計は13度。
庶務担当から、「年度末退職の皆様へ」という通知が届けられた。退職時の手続きや提出書類が色々とある。今の健康保険の継続もしなければならない。退職してしまえば収入が途絶えるので、誰かの扶養にとってもらえればいいのだが、生憎我が家にはそういう家族が存在しない。娘も身分的には来年も臨時職員のままだし、娘の扶養にとって貰うのはなんとなく気が引ける。これは仕方がないことだと諦めて、娘がどこかに正規職員として就職するか、2年後に息子が何とかなって扶養にとってもらえるのを期待するしかない。大分先のような気がする。
2012年3月6日Tuesday くもり晴れ
20度。
なかなか雨が止まなくて朝もだいぶ降っていたので、本堂の扉は閉めたまま出かけたが、昼前には上がりよい天気になり、気温もぐんぐんと上がった。本堂の畳を上げに午後1時半に藤田さん親子来てくれる。手際よく二人でトラックに積み込み、その後、レーザーの計測器を使って寸法取りなどをしてくれる。僕にはよくわからないが二人にだけわかるというのか、畳職人の符牒のようなもので、おそらく寸法の微妙な長短を表していたんだと思うが。職人ていうのは側で見ていても気持ちがいい。手際よくさっさとことを片付けていく。
女房と僕は夕方までかかって二人が帰った後畳のなくなった板の間を掃除した。多分こんなことは後にも先にもこれ一回きりのことだとは思うが、畳を替える決心をしてよかったなと思った。明後日の朝には新しい畳が入るという。国道の気温計が20度を表示していた。こんな日が続けば一気に春だ。掃除を終えた女房がさっそく寺の裏に行って、ザルいっぱいのフキノトウを採ってきた。晩飯が楽しみだ。

2012年3月5日Monday
啓蟄。
寒い寒い雨の一日になった。啓蟄でもこう寒くては虫たちも穴の中に逆戻りだ。寒さと温かさが交互に引き合いながら春は進んでくる。そういえば、フキノトウが少し顔を出し始めていたが、まだ採って食べるところまで進んではいない。去年女房が作っておいたフキ味噌が時々弁当のご飯の上に乗っかっていることがあるが、これはこれで美味いのだが、やはり今年の旬を早く食してみたい。2月の末から余り天候がよくない。大震災から間もなく一年なので、天気もナーバスになっているのかもしれない。
昨日法事の帰りに雛壇を見ていた方が、サトハチローの「うれしいひなまつり」の三番の歌詞に、「すこし白酒召されたか 赤いお顔の右大臣」とあるは誤りで、赤いお顔をしているのは左大臣であると指摘した。なんでも、作者自身も発表した後にこの誤りに気づき、大変に恥じ入ったとのことだ。確かに左大臣の顔はほんのり赤い。面白い話を聞かせてもらった。こういう話は一度聞くと多分忘れることはない。

2012年3月4日Sunday くもり
法事あり。
遠藤家の七七日忌の法事。どんよりと重たい日で、朝から雨が気になったが、法事が終わるまで雨が降らずにいてくれたのはありがたかった。法話のときに、故人を思い出しながら作った詩を読ませていただいた。法事のときに詩を読んだのは今日で2度目だが、まあこういうのもたまにはいい。今日の日の故人やその家族にはずいぶんと思い出があったり世話にもなっている。

庫裏に飾られたお雛様を皆さん喜んでくださった。法事を終えて皆が帰った後、女房と手分けしながら片づけをする。僕は便所の掃除と法要の客殿の片付け。女房は食事の席の片付け。1時間ほどで済んだと思う。外は雨になっていて静かだ。少し寒い一日だったけれど、まあこれもこれで仕方がない。故人を偲ぶには静かでよかったのかも。すべて終えて僕はしばし寝る。ヴァンフォーレ甲府、Jリーグ参戦14年目にして初めての開幕戦勝利。J1復帰はなかなかに厳しいだろうが、それでも幸先のよい開幕スタートとなった。
3月の日も確実に終わってゆく。30年の勤めをしっかりと閉じていくのだ。

2012年3月3日Saturday 晴れ
法事の準備など。
昨日から平日の夕のお勤めもすることにした。帰宅する頃まだ外が明るくなってきたので。来月からは毎朝夕のお勤めにはなるが。明日、遠藤家の七七日忌の法事があるのでその準備をする。寒さも幾分か和らいできた。梅の花を手折ってきて活けてある。メダカも餌を楽しむようになった。
海老原君が来て、午後本堂の中を撮影した。なんでも360度撮影できる機材を手に入れたとかで、試しに本堂を撮ってみるとのことだった。これを書いている夕方はまだ僕もそれを見てはいないのが、見せてもらえる日が楽しみだ。畳屋さんから来週木曜に畳を替えますと連絡がある。今日は天気が良かったが風が吹いたり、急に曇ってみたりと心変わりが激しかった。頭を刈って明日の法事の準備万端。

2012年3月2日Friday
夕べのこと。
夕べ県の私学文書課から問い合わせがあった。醍醐派の宗務所下寺院のL院についてだった。この寺は現在無住である。僕もここを訪ねたことはないのだが、誰も住んでいないので住職が居ない意味も含めて無住なのだ。先住がもうかれこれ10年位前に亡くなって以後、お二人の息子さん方も後継の意思がなく、すでにこの地を離れてしまい、宗教法人としては存在している。ただし県への登録扱いは先住の名義のままということだった。本山の扱いは、前の宗務所長が代務住職の届けをしてあるので、そういう扱いになっている。まあ県の方としては、毎年の提出が義務付けられている「寺院備付書類」も滞ったままで、こういう寺院の取扱いに苦慮していて、悪質な宗教法人狙いもあるので、速やかに解散手続きに入るか、外の寺院と合併してしまうかというような適切な処置を施して欲しいという希望なのだ。県の権限として強制的に法人を解散させてしまうということは絶対にできないのだという。この寺に関してはちょっとした曰くつきで、寺が存続しているので、本山からはこの寺も含めた宗費賦課金が山梨に示される。でもこの寺には電話も通じなければ郵便も配達されずに戻ってきてしまう。こちらもはなはだ迷惑をしているのだ。まあ今はちょっとした事情により、法類の寺の長老が宗費の納入に責任を持ってはくれているのだが。
夕べ県の方と話していて、僅か15しかない醍醐派の寺の一寺院のことが、そんなに問題なのかと突っ込んで話してもみたのだが、向うもこの問いには曖昧な返答で、おそらく、県内の曹洞宗、日蓮宗あたりの寺院では相当数なこういう事例があるのではないかと勝手に想像した。多分あると思う。彼らもこれが仕事だから、定期的に職務怠慢といわれないように連絡して、そんなことをきっと記録に留めて置いて、後任に引き継いだりするのだとは思うのだが。
雨で寒い一日だった。

2012年3月1日Thursday くもり
三月はじまる。
昨日の午後天候がよかったので雪もかなり解けてくれたが、今日は一日どんよりとした日のままに終った。3月1日。一晩寝たら、もう退職月がいつもと変わらぬ朝としてやってきた。特別なこともなく、いつもどおりのお勤めを済ませた。朝食の後便器に腰掛けながら、壁掛の小さな3月のカレンダーを眺めながら、あと何日通えばいいのか数えてみた。31日の内休みが10日ある。差し引いて21日通えばいいということだったが、すでに今日の分は終わった。
先日の日曜の夜に放送した「ETV特集 花を奉る 石牟礼道子の世界」をビデオに録っておいたので見た。石牟礼さんももう84歳になられたとのことで、随分と体も不自由のようではあったが、精神はあの「苦海浄土」を執筆したままに研ぎ澄まされているように思えた。思い出した。去年の2月の後半から、図書館から「苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)」を借りて読み始めていた。780ページの二段組の本だったので、その厚さは想像してもらえるであろうが、3月の年度を閉める本にしようと考えていたのだ。だが、あの日3月11日に遭ってしまったので、その日以降本が読めなくなってしまった。図書館で貸し出し期間を延長してもらったが結局、読みきることができなかった。残りが後150ページくらいになっていたのだが、5月ぐらいまで本を読む気持ちになれなくて、その後結局この「苦海浄土」買ったのだった。
先日もまだ、水俣病の裁判の判決が出たりしている。行商で売りに来た魚を食べていた山間部の人にも水俣病特有の症状が見られたりしていることも知った。底の深い公害問題だったのだ。患者の家族の女たちが遍路の衣装を身にまとい、チッソの株主総会に乗り込んでいって会場で、鈴鉦鳴らしながら「追弔和讃」を詠う場面が映し出された。本のなかにも書いてあったけど、この場面の実際はとても興味深く見た。演壇に並んだチッソの社長以下役員とのやり取りもこれ見ごたえがあった。残りひと月のサラリーマンを歩く。
2012年2月29日Wednesday晴れ
春の雪になった。
今年2度目の雪だった。まさかほんとに降るとは思わずに寝ていたが、起きてカーテンを開けると外は白くなっていた。出勤するころから大粒の雪に変わってきて一層激しくなってきたが、まあそのうち雨に変わるだろうと思っていたのだが午前中遅くまで結局降った。国道に雪の重みで竹が重たく首を垂れて渋滞になっていた。7時45分くらいには着いて、波木井橋の歩道の雪かきなんぞを始めた。雪かきもこれが最後になるかもしれない。2月が29日まであって、この雪はおまけだったかもしれない。午後からはだんだん天気が回復してきたので、3時から休みをもらって墓地の雪かきをしようと帰ってきた。週末に法事があるので、雪が凍ってしまうと厄介なので今日のうちに道を開けておきたいと思ったのだが、それほど大変でなく順調に雪を除けることができた。終わってから竹林の雪折れの竹を10本ほど片づけた。春の雪は重くて竹が折れる。雪が降るとこの竹の片づけが結構面倒な仕事になる。もう10数年やっているので、だいぶ慣れてきたし、雪の日には何をしなければならないのかという自分なりの動き方も身についてきたと思っている。いい汗をかいた。
玄法院のご住職から宗費の納入の件で電話ある。オーそうだったな、もう明日から年度末の3月だものなと、こちらの件ものんびりしててはいけないのだった。

2012年2月28日Tuesday 晴れ
2月不動。
7時半少し前に家を出、上求寺へ向かう。2月不動の今日、上求寺の奥の院のお堂で護摩を始めて修させていただいた。血縁の同じ永の字を僧名にもつ貴永、永啓と僕永明と3人で大瀧不動の祭典を執行した。地元CATVのスタッフ二人が取材に来ていたが、お堂での護摩は多分40分くらいで終わったと思う。今朝は寒く、出がけの玄関脇の水道の洗面器は凍っていた。お堂への山道(参道)を上がったのは10時だったので大分陽射しが出てきて助かった。それでも堂前には、屋根から落ちた雪が横に長く盛り残っていた。貴永さんは4年前の閏年の護摩から以後お祭りができないいろいろな状況があったので、今日のことをとても喜んでくれた。下に降りて、おじさんも無事にお祭りのできたことを喜んでくれた。これからは毎年できるだけ続けようではないか。血縁の者たち皆が一年でも長く生き続けるように、僕たちの命の源である上求寺を大切にしようではないか。私の祖父も父も今日はきっとお堂に来ていたはずだ。僕らの魂の帰る場所が上求寺だと思っている。僕にとってもとても良い2月不動となった。
帰ってきて本堂に敷かれたカーペットを取り除き掃除機をかけた。藤田製畳で4時に来てくれた。畳をまくると、「こりゃ、裏も表も全部手織りですよ」とずいぶん驚いておられた。そのくらいもう古く取り換えられていなかったものだということか。全部で30枚くらいになるが畳替えをお願いした。ついでに礼盤の小さな畳も新しくしてほしいというと、「これは私のほうで替えさせてもらいます」とおっしゃってくれた。礼盤から畳を上げてみると、下の板床に「元禄二己巳年九月四日」の書付がされていた。1689年だから323年も前に作られた礼盤を今も住職が本堂で使っているのだ。どびっくりであった。当山第34世、實宥和尚の名が書かれていた。すごい一日だった。夜は飲まねばなるまい。

2012年2月27日Monday 晴れ
とても海外旅行なんてできません。
昼休みに近くの藤田製畳を訪ねる。母の実家のすぐ近くだ。ここは身延山や関係する寺院の仕事も多く手がけているようで、今回僕が思っている本堂の畳替えくらいじゃ儲けになるのやらとご主人に話しもしたが、明日の午後4時に見に来てくれるということになった。あすは午前中に上求寺のお祭りをするので、4時までには十分帰ってこられる。
昨日T師から久々のメールが届いた。徒然の更新がないので心配してくれていたらしい。が一方では退職間近なので、年休消化で海外旅行にでも行ってるんじゃないかとも想像していたようだ。何故こんなことを考えるのかという答えまで書いてくれてあった。半僧半俗である師の俗の世界で勤務しているところでは、退職間近になるとこんな風に伴侶を伴って海外旅行と洒落込む人たちが多いのだという。まあ人それぞれだからそれはそれでいいんじゃないのかなとは思う。T師と同職にあった僕のいとこも、退職前ではなかったが、後に夫婦でハワイに行ってきたという話も聞いた。僕は特に観光に出かけたいとも思わないが、これから専業坊主となるに、できるだけ心地よい環境でそのことをしたり、遊んだりしていくために、ちょっとだけお金を使いたいと考えていて、実際少しはじめている。保険の解約なんかで小額のお金が入る。本堂の畳替えをしたいのもそんなとこかな。

2012年2月26日Sunday くもり
一日曇り日だったので寺のことなどして過ごす。
早川の赤沢の宿へ福寿草を見に行く予定だったが、朝から曇っていて気温も上がらないので、おそらく花も開かないのではないかと思い中止にした。東京マラソンを見ながら、西光寺の祭り用のシメを切ったり、午後からは富士川へ野竹を取りに行ってきた。幣串用の竹。ちょっと早いかなぁとも思ったけど、来週はまた法事もあるし、3月の土日は祭典も続くので、早めにしておくに越したことはない。土日は本は読めないなぁ。

2012年2月25日Saturday くもり
太鼓を買う。
雨の休みの日だったので当然遅く起きた。勝手に朝食を食べて、「カーネーション」を見てからお勤め。遅いお勤めでは法螺貝も吹ける、太鼓も打てる。もちろんそうした。石田スタイル。午前中遅くに雨が上がる。でもからっと晴れはしなかった。来週日曜日の遠藤家の法事の塔婆を書く。故人を思いながら一篇の詩を書いた。法事に読もうかどうしようか思案のところ。
太鼓のカタログが昨日届いていて、何となく開いてみたらずいぶんと安い。太鼓はもっと高いものと思っていたので。カタログを見ながら、本堂の太鼓の寸法を測ってみた。思い切ってカタログの太鼓を注文することにした。もう一回り大きいやつ。それからいくつか僕の欲しかった寺で使うものをネットで注文する。もうひとつのそれから。もう何年も前から本堂の内陣・外陣の畳が相当くたびれているのでなんとかしたいものだと漠然と考えていた。太鼓はここ3年ほど、法螺貝を吹くのと同じように自己流だがよく打つようになったので、もう少し大きなものを打ちたいと思っていた。太鼓はもう明日届くようなので、女房にお金も用意してもらった。晩飯の後に畳替えのことを話すと、「退職金で替えたら」と好感触だった。そうだな、30年外で勤めを健康でさせてもらって、その恩を畳替えで返すかなと。檀家の乏しい寺はこんなものである。

2012年2月24日Friday 晴れ
気になる。
町が合併してからの勤務場所でいささか苦い思い出となった人の死を知ることとなった。自暴自棄になっていたのかもしれないと今になっては感じるところがある。死は平等だからもう話はすまいと思う。それから、もっと重要な人の病状が大分深刻になっていることも知ってしまうことになった。所得申告の時期なので、一日中、訪れる人がだらだらとあり、対応をしていると一日がなんとなく終ってしまうんだけど、昨日は雨で、午後からは回復して暖かくなったのだが、今日は午後から終業時間にかけて空が段々くすんだ色に変わってきた。僕の気持ちの動揺を見透かすような空を正面に眺めながら一日のまとめをした。
金曜で、来週は2月の最終週。3月にも入る。3月に入ればカレンダーを消していくような日々になるのかもしれないが、今日のようにいくらか気に係ることがあると、自分だけのほほんと消化していってしまっていいのだろうかとも考えてしまう。

2012年2月23日Thursday 晴れ
孤立死。
今日は何の日か?朝テレビを見ていると、「富士山の日(2.23)」というのと、皇太子の52歳の誕生日だと。富士山の日の制定は多分彼の誕生よりは随分と後の事だ。なんとなく最近、天皇の健康状態のことが聞こえてくると、そう遠くない先にヘイセイの終わりが見えるようだ。天皇の即位と共に呼び名が変わるなんて、もうそんな無意味なことやめたらいいのにと思う。こんなことはどうでもよくて、最近伝えられる孤立死はなんともやりきれない。この死も、新しい「都市での死」の現れ方として生まれてきた。貧しいものは勝手に死んでいけという世の中の動きだ。ひとつふたつみっつ家族が孤立死しても、都市のあり方を変えようなんてことにはならない。ひとつふたつみっつ家族が消滅しても、誰の生活にもなんら変化も打撃もない。明日の自分を維持することだけを考えていけばいい。
仮に天皇が死んだとしても、死の捕らえ方としては孤立死となんら変わりはない。諸行は無常だ。生まれて死ぬという過程だけを見たら、どちらが優位ということもない。でも、僕は天皇の死は悲しまないが(事実昭和天皇のときもそうだった)、孤立死に到る経緯を勝手に想像するだけで涙がこぼれる。

2012年2月22日Wednesday 晴れ
旧日本軍による1937年の南京事件は「なかったのではないか」発言。
人間はバカで無知な生き物だから、驕りが昂ぶってくると無責任な発言をしてしまう。自分の座っている位置が高くなればなるほど、上から目線で、仕舞っておけばよいものをついうっかりと口にしてしまい、吐いた言葉を撤回するという謙虚さもなくしてしまう。このバカのいい例が名古屋市長の河村たかしだ。まあ政治家なんてものは、とかく大臣のポストになぞ就くと、昨日までのあたしと違う偉人にでもなったように、ポストにおぼれてしまって方向感覚を失ってしまうほどラリパッパになってしまう。こういう人は一時的に人気を博しても、やがて「あー、こんな程度の人か」と飽きられ見放されてしまうのが落ちだ。こういう落ちは落語の落ちよりずしりと重くて可笑しい。
パソコンが戻ってきて、徒然の更新をしようと送ったのだが繋がってくれない。繋がろうとしてくれているのだが繋がらない。T屋さんに電話をすると、もしかしたら、セキュリティソフトが送信に障っているのかもしれないとのことだった。とりあえず書き始めることとして、改善されたところで送信することにする。

2012年2月21日Tuesday 晴れ
飯富病院。
僕は午後休んで定期受診。受付を済まして長椅子で順番待ちをしていると女房が声をかけてきた。点滴をしながらトイレに行く娘に付き添っていた。彼女は夜遅く吐いて、午前中に診てもらったのだそうだ。風邪でもノロウイルスでもなく、胃腸炎のようらしいが疲れがたまっているのかもしれない。3月の末の退職前に人間ドックを受けることにした。
朝出勤前に牧丘の上求寺の貴永さんから電話があり、28日大滝不動堂で護摩を焚くから出てこないかと。もちろん即OKした。3年ぶりくらいになるだろうか。寒いだろうが楽しみでもある。法螺貝の音を山に響かせてみたい。永の字を持つ者たちで真の平和を祈りたい。それから上求寺のおじさんが元気でありますようにと。
女房に聞いたら、午前中に毎年新年の護摩札を申し込んでくれる千葉の渡辺さんがご夫婦で訪ねてくれたとのこと。夕のお勤めに本堂に行くと、願意を書いた添え護摩木が三方に置かれてあった。こんな不意に訪れる方たちにも4月からはしっかりとお迎えしてあげられるのだなと思う。待ち遠しい。

2012年2月20日Monday 晴れ
ダラダラと土曜日からのことなど。
土曜から女房は兄姉と伊豆方面に旅行で、母はデイサービスに宿泊。娘は昨日の朝早くに友達と御殿場のアウトレットへ出かけた。土曜の午前中、近所の檀家のN家に人形の「芯抜き」に行く。家を建て返すために夏まで奥さんの実家に越すとのことで、家の中は引越し業者や息子さん方が帰って忙しく働いていた。仏壇の前で経を上げ、その後、雛人形やケースに入った人形たちの保管倉庫に行って「魂」を抜く。残念ながら人形はこの際処分するとのことだった。家屋の解体の安全祈願も併せてし、3月の地鎮祭も頼まれる。もうすっかり寺どっぷりと坊主へと変わりつつあるのだ。まあこれ特に営業というわけでもないが、「地鎮祭はどうするんですか?」と軽く振ってみたのである。3月の週末は忙しい。お布施のほかに、掃除をしていたら棚から出てきたという「ナポレオン」をいただいてきた。コニャックなんて飲むのほんと久しぶり。昔はよく、こういうものは贈答品としてほとんど封切られることなく、手から手へ家から家へと渡り歩いていたのだ。夕飯時に封を切ってストレートでやって、その後、ロック、水割りで飲んだ。
昨日は午前中、物干竿がくたびれてきたので竹林に行き、よさそうなのを5本選んで枝を払い、4mほどの長さに揃えて新調した。ちょっとコメリにでも行って買ってきたほうが楽かななんて思ったが、洗濯ばさみも新しい竿に付け替えると、まあこれはこれでいいとおもえたし、せっかく寺の竹林があるのだし、無駄な支出はできるだけ慎みたいとも思えた。その後、久しぶりに客殿からパット・メセニーを大音量で流しながら、境内を見回り、樋の外れなんかを修理し、コメリで買った福寿草の鉢植えがもう花が終わりに近づいてきたので池の端の松の根元に下ろした。ここで来年開いたらとてもいい光景になると思う。午後は、読書とWOWOWの映画。T屋さんからパソコンとテレビが用意できたとの電話があったので、早めに夕のお勤めを済ませた。これまた久しぶりにパソコンする。晩飯のちょっと前に、秀ちゃん七七日忌の打ち合わせに来る。土日もなかなか休めないほどに仕事が立て込んでいるのだと聞いた。ちなみに大工さん。体壊さないほどに忙しいのは有難いことだ。甲府のSさんに、Sさんのご両親が寄贈してくれた客殿表の額の件で電話を入れる。
職場は先週の木曜から確定申告が始まったので、今日も少し忙しかった。朝は冷え込んでいたが、午後は気温も上がって室内は随分と居心地がいい。そうね、もうあと40日。

2012年2月19日Sunday 晴れ
パソコンお帰り。
ノートと部屋で使っているパソコンを一緒に不具合の修理や環境の改善に出していた。日記が更新できなかったので、何人かから「どうなってるんだ?」と訊ねられたりした。これでまた通常ペースに戻れるだろう。仕事を辞めて家にいることになるので、少し環境もよくしたいと考え、モニターも横長の大きなものに替えた。ついでに部屋のテレビも薄型のものに替えた。ずいぶんとテレビもパソコンも安くなったと少々驚きだった。我が家はCATVに加入していないので、地上波はNHKとYBSとUTYしか映らない。静岡第1テレビが受信できていてBSではWOWOWに入っている。屋根にUHFアンテナが立っているので、地デジはこれで受信しているのだが、このアンテナをもい少し大きなものに替えたら、静岡の民放局がもっと他に受信できるだろうという話ももらったので4月に入ったらこれもやってもらおうと思う。
この2週間、特筆することもないのだが、相変わらず本は読んでいた。今は山文彦著「エレクトラ 中上健次の生涯」を読んでいる。この前は関川夏央「子規、最後の八年」、金時鐘・金石範の対談「なぜ書きつづけてきたかなぜ沈黙してきたか―済州島四・三事件の記憶と文学」。どちらもずっしりと重く、どっしりと腹の欲求を満たしてくれる読み物だった。しばらくは本から離れられないかもしれない。

2012年2月4日Saturday 晴れ
穏やかな立春。
今朝も寒かったけど昨日の朝ほどではなく、日中は陽もよく射して穏やかな立春になった。夕べ11時半頃布団から抜けて、庫裏の水道をひとつだけ少し水を出しておいた。それでも昨日の水道の凍結が尾を引いていて、寒気がそのまま庫裏のトイレから風呂の洗面所に居座ってしまったようで、昨日から全然でない蛇口もある。月曜には雨になるようなので少し寒さも緩むかもしれないので期待。
午前中風のない時間に落ち葉などはいて焚き火もする。久しぶりに火を見ながらのんびりとした。溝の落ち葉を掃いたり、墓地も見回る。まあ雪があってもおかしくない時期なのだものな。
昼飯にカレーをお代わりして食べて、テレビを見ながらごろっと横になったら、自分でもいびきをかいているのがわかった。グーンと引っ張られるように眠くなった。そこを我慢して起き上がって少し外のことをやり、明日の行蔵院の法事の準備などを。
今日の立春の空は青くてよかった。春が来るのだなぁという期待を強くさせた。

2012年2月3日Friday 晴れ
節分。
今朝庫裏の裏の水まわりを凍らせてしまった。この冬はじめてであるが油断した。油断したというより確信犯的怠惰による失敗だ。夕べ8時には布団に入って、梁石日「夜に目醒めよ」の最後を読んだ。この本は渇いた喉をごくごくと水が腹の底に落ちていくように2日で500頁を読みきった。久しぶりに梁石日読んで、今朝から新しい彼の本を読み始めた。まあそんなことはいいのだが、夕べの冷えはちょっといつもと違っていることを布団の中でもはっきり肉体が感じていた。だから、裏の水まわりを確認して少し水を出しておこうかとかボイラー焚いておいたほうがいいかなんて思い巡らせてはいたのだが、結局だらしなくそのまま朝を迎えてしまった。それでも4時40分に起きて真っ先に庫裏に行って便所を使ったのだが、立小便用便器はボタンを押しても水が流れてこなかった。大便用のタンクのコックを捻って水を流しても新しい水は上がってこなかった。「やっちまった!」だ。仕方がないのでお勤めをし、朝食のあと外の貯水タンクを開けてみると完全に水面は凍結していた。金槌の柄で氷を割って止水弁を動かしてみた。水は上がってくるが便所・洗面所までの管が凍っているようなので諦めた。
昨日から娘はインフルエンザで仕事を休んでいる。職場に女房から電話があり、母が夜吐いたようで、デイサービスは休ませこれから病院に連れて行くという。ノロウイルスかもしれないと。そういえば夕べ、食事に時間がかかったことと、紙パンツに便が付いていたのは、この症状が現れていたのだろうかと思った。
正午から午後3時まで休みをもらって帰った。節分と立春のお札を本堂・客殿・庫裏の外の柱に貼るために。明日土曜日だが、節分の今日を送ってしまうと悔いが残りそうな気がした。帰ると母は昼食の済んだところで、ノロウイルスではなかったということだった。札を貼って、水道の凍結を何とかしなければと思ったが、時間が経って陽の光が射さなければどうにもならなかった。午後2時過ぎにやっとちょろちょろと出始め、風呂の窓側はお湯用の水も流れ始めたのでボイラーもやっと稼動。湯を出してバケツに汲んで他の蛇口にかけやっと元通りになる。日当たりがとても悪いので、風呂の洗面所は、昼過ぎでもマイナスの室温だった。今日はやっぱり特別に厳しかったのだ。
帰ってきて本堂で豆撒きをして、鰯を丸ごと二匹食べて節分の焼酎の湯割を飲む。

2012年2月2日Thursday 晴れ
「一身獨生没 電影是無常 鴻燕更來去 紅桃落昔芳」。
今年の桜の開花は平年より遅めだと発表された。震災後一年を過ぎたら、皆気持ちは桜の開花に向くのだと思う。桜の花を拠り所としてまた前向きに生きるということをしたいと考えるはずだ。
久しぶりに空海の「一身獨り生没し、電影是れ無常なり。鴻燕、更(こもご)も來り去り、紅桃、昔芳を落す」を読んだ。
「人は我が身ひとつで生まれ来たり、そして我が身ひとつで死んでゆく。まさに稲妻のように無常、一瞬のうちに現れ、一瞬のうちに消えてゆく。雁が来たと思えばもう去ってゆく。その後にツバメがやってきてまた去ってゆく。桃の花が紅色の花を開いたかと思えば、もうその香りは昔のものとなって散っている。」(「空海 言葉の輝き」より)。
身ひとつで生まれ出でそして死んでいくのが私たちで、長寿の方の葬式なんかでは「長生きだったよねぇ」なんて互いに話したりするのだが、49日の法要なんかの時には「長生きも死んでしまえば、あっという間の人生だったように思えるなぁ」なんて思ったりする。空海は「一身獨生没 電影是無常 鴻燕更來去 紅桃落昔芳」で、逃れることのできない死の無常、儚い人の一生を読んでいるが、季節の移り変わりや渡り鳥、桃の開花と落花の例えを用いてとても美しく味わい深く表現している。山に篭り自然を友として修行した空海ならではの表現方法だなあと改めて感じ入ったのだった。
遅い桜でもこれはこれできっと咲く。で、桜の季節だって瞬く間の景色であるかもしれないが、季節季節の風景を拠り所としながら自らの命の一瞬を生き切っていくという連続は、大きな幸福感を与えてくれるのだろうと思う。

2012年2月1日Wednesday くもり
気になる。
2月になった。午前中雪が降るかもしれないという予報があった。出勤の途次に風花がかなり激しく舞った。遠くの山は吹雪いているように灰色に霞んでいた。一日寒く曇りで陽は出ず風が吹き荒れた。雪に見舞われないこのあたりは、呑気にこんなことが書けているのだが、「日本海側さらに降雪量増加」などのニュースの見出しを見ると気持ちが重くなる。
職場には今日から、産休明けの女性職員が職場復帰して配属になった。これで4月当初の人数に戻った。中旬から所得申告や交通共済の保険料の納付が始まると少し忙しくなる。それでもあと2ヶ月の仕事だと思うと、なんとか乗り切ってしまいたいという気持ちのほうが断然強い。
福島県川内村の「帰村宣言」。気持ちは分かるが気になるな。村長も焦っているのか?何とか震災後一年以内を目途になんてことにつまらぬ体面を繕ってるような気がしてならんがなぁ。誰も安全であるという結果など見た奴は存在しないんだからね。でも心情は痛いほどよくわかる。村長は孤独かもしれない。

2012年1月31日Tuesday 晴れ
思い出すこと。
新潮の既刊を借りてきて、西村賢太の芥川賞受賞第一作「寒灯」読む。こんな手のひらでこねくり回して捻り出したような貧弱な作品をこれからずっと書き続けるのであれば、所詮彼の才能も知れたものだとがっかりした。まあ、何度も繰り返し楽しませてもらうような作家ではないのかもしれない。つまり、次作を期待するようなというか、僕は本など定期的に読みたいとも思わないが、1冊読んだら、ぜひ別なのも読みたいというような期待のふくらみからはこの作家は離れているように感じた。小説の世界が余りにも狭すぎる。
日本海側の大雪は凄い。橋も重みに耐え切れず潰れされて落ちた。インタビューされる住民たちも疲れきっていてなす術なしといった風な諦めの表情である。もう30年も前に、一冬信州の寒村ですごしたことがある。廃校舎を利用した宿泊施設で、その土地に慣れていない者たちが運営していたので、その冬が土地の古老も記憶にないほどの大雪で、年の瀬に毎日降る雪に、巡回してきた消防団員から「このままじゃ潰れるぞ」と脅かされてようやく雪下ろしの腰を上げるといった状況だった。年が明けてから、どこかで噂を聞いたのか、信州のローカルテレビから取材の依頼が来て取材班がやってきた。何人かで校舎の雪下ろしをしている場面を撮ることになった。取材の奴らがこういった。「黙ってちゃ絵になりませんから、歌でも歌いながら(作業)やっていただけませんか」と。雪下ろしなんてものは孤独な黙々とした作業で、決して楽しみでやっているものじゃない。できうればこんなこと誰だってやりたくない。そういうものなのに、歌うたえとは何事かと、皆終ってから腹が立って仕方がなかった。そんなことを思い出す。豪雪地帯に住めば住むほどに、雪解けの春が待ち遠しいってものだ。大きな被害の発生しないことを祈るばかりだ。

2012年1月30日Monday 晴れ
天気晴朗なれど。
今朝は何事もなく夜が明けて静かな月曜の朝が始まった。こんな寒い夜中に揺れが起きたらもう何もかも諦めてじっと収まるまで耐えているしかないななんて思いながら眠り、大丈夫そうだななんて思いながら4時45分に起きたのだ。満天の星空。空には地震がなくていいななんて思い、ポルトガルへ昨日でかけた息子はもうぼちぼち着く頃なのかなぁなんても考えた。直行便がないので、どこかの国で乗換えが必要らいい。僕にはその知識が皆無。旅の安全を祈った。
娘の誕生日で23歳になった。彼女は昨日昼まで寝ていた。まだ寝てるのか?と訊くと、「22歳最後の日をゆっくり寝たいんでしょう」と女房は応えた。4年間東京だったので、本人の居る誕生日は久しぶりだ。
久しぶりといえば、何年かぶりで一篇の詩を書いた。度々取り上げている「お疲れ様です」を題材とした。勤めを辞める場所への訣別のひとひらである。もう何も思い残すことはない。元々なかった。残りふた月。
チベット自治区がまた抑圧されている。2011年中に焼身自殺を図ったチベット僧・尼僧は12人も居る。年が明けてからも僧侶を含む4人が焼身自殺している。異常事態だ。

2012年1月29日Sunday 晴れ
法事1件あり。
11時半から佐田家の三回忌の法事。この時間になってくると陽の当るところはだいぶ温かい。結婚された娘さんに男のが生れて今日は初お目見えだった。去年の5月に生れたとのことである。原発事故のことがあったりして、妊娠中の方が「産めない」「産まない」と中絶する事例もあったのだと聞く。複雑な思いがするが、こういう悲しみのこともすべて私たちは受け入れて、新しい命をしっかりと責任持って育てていかなければならない。法要終えて墓参する。墓地は日陰が多く中沢川を吹く風がとても冷たかった。衣を脱いで、どうしようかちょっと迷ったがそのまま風呂に行き頭を刈った。
午後都留から山本さん初参りに来る。もう10年を越す不動尊信者。昨日はだいぶ揺れましたかと聞くと、様子を話してくれた。テレビの報道で「都留市」が震源のような話もあったらしく、色んなところから電話がかかってきたのだとも。遠くからこんな辺鄙なところまでお出かけいただきありがたい。僕らにではなくお不動様にお会いするために出かけてくるのだから、僕らがそんなに遠慮することはないのだが、お寺をきれいにしっかりと護っていかなければならない。
貴永からもメールが届いていた。昨日大滝のお堂まで雪の道を歩いていったらしい。写真は見事に真っ白な風景だった。夕べ用事があって玄法院に電話をすると、やはり昨日は初不動の護摩を焚いたという。それぞれの祈りの場所で、多分僕たちが願うことは共通のことなのかもしれない。1月最後の日曜日。

2012年1月28日Saturday 晴れ
初不動。
初不動の護摩を焚く。今朝山梨を中心とする地震があった。二度ほど強い揺れがあった。休みの日なのでゆっくりと起き、ちょうど「カーネーション」が終わりかけの時刻だった。娘と女房もすぐに起きて台所に来た。不安が薄れ始めると地震がやってくるというようなことの繰り返しだ。ホントに不安で怖い。
本堂の護摩壇を準備して11時過ぎから修法する。県内の醍醐の寺院の大徳方も護摩を焚いたり、山中のお堂祈願に出向いたりしているのだと思いながら、そして今朝の地震が収まりますように、明日からポルトガルへ教授のお供で行くという息子の旅が安全であるように等、神秘の火を見つめながら祈った。本堂のなかは寒いが、冬の護摩は精神までしゃきっとする。とても厳かである。ここで護摩を焚けることの幸せを感じる。
いつものように、暫くしてから護摩壇の片付けと掃除。角屋のおばさんが猫をお供にお参りに来た。檀家の人たちに寄り添いながら春からの生活はある。一月ももう終わりだ。節分、立春が来る。市川三郷町の西光寺から、春の祭典の案内連絡が入った。3月18日(日)。助法していただく、松鶴院、瀧本院にも連絡をする。

2012年1月27日Friday 晴れ
携帯電話のこと。
スマートフォンの急速な普及に整備が追いつかなくて、ドコモの通信障害が多く発生しているというが、僕はそれによって損害を被ったりすることは一切ない。例えば、「○月○日に一時的に通信が遮断されました」なんて事故発生も、ほとんど携帯を使わないので、トラブルに巻き込まれることはない。使わないわけではないが、自分が必要としたときにだけ使うってのが僕の基本なんで、携帯に依存はしていない。携帯に心を奪われてはいない。電話がかかってくることはほとんどないし、またかける用もほとんどない。僕に近しい人たちは、最近は僕のケータイの使い方を大体理解してくれているようで、電話をかけてもあいつは出ないということが分かっているので、メールをくれる。一日に一度は携帯の着信履歴を確認するので、メールなら24時間以内には見ることになる。直接話したいときは、家に居るときは自宅へ電話をくれる。職場にいるときは、机の上に置いてあるので出ることはできるが、自宅にいると、ほとんど充電器に挿しっぱなしにしているので、部屋に居ない限りケータイには出ないってことになってしまう。自分勝手ですまないとも思うが、これが石田スタイル。
今朝もテレビ見ていたら、定額制という制度が廃止になるかもしれないという話だった。僕は、請求書の明細なんてものは見たこともないのだが、インタビューされた若者たちは、定額制でなくこれが実際に使った料金を支払うとしたら、何十万とか、ある人は百万以上の使用料を払うことになるという数字だった。どうも、電話の機能を使うということよりも、インターネットの使用の方に重きが傾いていることのようだ。僕は、電話とメール以外にケータイを使わない。こんな小さなものでインターネットをする気には到底なれないし、やりたくもない。新たな端末商品が出てくるのかもしれないな。
昨日のニュースで見た東京都の猪瀬副知事の記者会見には、僕は全くそのとおりだと思ったな。電気料を値上げしますって一方的な通告には憤りを覚えるな。なんだお前ら、しっかりメシ食えてるじゃねぇか、もっと遠慮ってものがあってもいいんじゃねぇのか?って問いただしたいね。政治には関心ないし、支持政党もないし、投票もしないので、右も左も関係なく、その日の格言みたいに、耳に飛び込んだ心地よい言葉だけを摘まんで食っていきたいね。

2012年1月26日Thursday 晴れ
今朝の勤行は指先が痛い。
午前3時過ぎの枕もとの時計を確認した後、いつもと違う寒さ冷たさを感じて、深い眠りに落ちてしまい、目覚める直前はもう覚えてはいないが夢を見ていた。夢の一瞬の隙間にはっと気づいて時計を見たら5時5分だった。すぐに起きていつもの朝を勤めた。いま朝月がないので、空は星だけだ。星あかりだけでは本堂に渡る足元が暗い。夕べ布団にもぐりこんでから、「今夜寒いなぁ」と感じ、今朝もそのままだったが、本堂の理趣経を読む間も冷たさはいつもの比ではなかった。合わせた指先に冷たさがじりじりと上ってくるが、今朝の勤行の終わりには指先に痛みを感じた。終えてから、庫裏の裏の水周りを確認したが、幸い凍ってはいなくて安心。いつもより少し送れて読書。夕べ、鹿島田真希「六〇〇〇度の愛」を読み終え、「新潮」2011.12に掲載された津島佑子の「ヒグマの静かな海」を夜から今朝読む。去年の震災と原発事故がテーマである「喪失」のなかに織り込まれていた。短編ではあったが、初めての読みもので新鮮ではあった。またこれで、津島氏の作品も読みたくなった。

2012年1月25日Wednesday 晴れ
硫黄島は沖縄県でなく東京都。沖縄にあるのは伊江島。
田中直紀。この人は早晩辞めざるを得なくなるのではないか。悲願の初入閣なった防衛大臣。田中角栄の娘、田中真紀子の婿殿。なんでこんな使えないことがわかっている人を大臣に任命するかね。野田さんの真意が計り兼ねる。こんなに逼迫した状況にあっても、まだ馴れ合いの談合のようなことが行われていて、どこの次はどこにもっていくなんてことが平然とあるということあるということなのだろうな。そして、この低能な大臣を引き摺り下ろすこと、それを指名した首相を失格者として責めること、政権の交代をもくろむ側の作戦はいつも同じだ。
絆を深めようじゃないかと、この島に住む誰もが他者を慮って生きていこうとしている今、こういう人たちの空回りしている行いや、永遠に交わることのなさそうな居住するラインの違いを感じてしまい、任せて寄り添ってこの国にしっかりと生きていきたいなんて思えるだろうか。
僕は真紀子夫人はこんな風に夫に言ってるんじゃないかと考えた。「あーた、やっぱり場慣れしてないのよ、素人だから。大臣に浮かれてちゃダメ。硫黄島は東京都ですよ。この位は大臣たるもの予習しておかなきゃ。それから、知ったかぶりで軽々に発言しないこと!」なんてね。

2012年1月24日Tuesday 晴れ
可笑しな天気だ。
栗田有起「しろとりどり」読む。後、鹿島田真希「六〇〇〇度の愛」読み始める。午後のいっとき、彷徨う風花がぐるぐると舞い荒れた。空からは光が射していた。こういう様を外に居て舌から眺めていると、間違いなくナチュラル・ハイの世界に昇天できる。むかーし昔、雪国の美麻村でしかも夜、道路と農地の区別も付かない真っ白な世界を車走らせていて、空からは止むことのない雪が交差しながら落ちてくる。知らず知らずのうちにハンドルを握る手に力が入らなくなり、道の真ん中に車を停めてしまって、味わったことのない不思議な気分に酔ってしまったことがある。夜の美麻の村道などこんな晩は誰も通らない。そんな昔があった。
ダルビッシュが大麻の葉っぱの絵が入ったTシャツを着てアメリカへ上陸し物議を醸しているという件、そんなもの日本だって誰でも着ているぜ。僕もBob Marleyと麻の絵の入ったTシャツも持っている。こんなことを一々アメリカが問題にするだろうか。「浜崎あゆみ、無言で帰国…フードとマスクで完全防備」の方が、ずっと異常で笑えてしまう。

2012年1月23日Monday 晴れ
ホントに降ってくるんだろうか、雪?
確かにこれは重大な問題で、今になっては取り返しのつかないことなのかもしれないが、「原子力災害対策本部」の議事録が作成されてなかったってこと。でも録音とかしてないんだろうか?録音してありゃ、いまからでも会議の中身をまとめることはできるはずなんだが。
今日の昼はとても暖かかった。家の福寿草も今日は開いたのじゃないかと気になった。朝出かけて夕方帰る身だから、土日の天候如何では、福寿草の花を見ることができなくて過ぎてしまう。で、こんなに昼間暖かかったのに、予報じゃ今夜9時過ぎから深夜3時頃まで雪になるといっているのだ。
午後8時を回ったが夜空には星がある。風呂上りの体からは汗が滴り落ちている。頭は洗ったが、身体は洗わなかった。この時期汗もかかなきゃ身体を洗わなくてもいいんじゃないかと先週辺りから思い始めていたのだ。それを言葉にすると、土曜の夜に女房は、「臭いよ」とひとこと言った。でもそんなに臭うほどのことがあるもんかと僕は勝手に思っている。これから雪が降ってくるんだろうか?
今日は芥川賞を取った田中慎弥の旧作「切れた鎖」を読んだ。うーん、いまいち引きずり込まないのだ。今夜は雪のことだけが気にかかる。何故って、雪の朝になれば娘の通勤のことも気になるしな。その娘は、今夜も仲のいい友だちと出かけているんである。「勝手にしやがれ」か。

2012年1月22日Sunday くもり晴れ
Facebook。
建築カメラマン海老原君からメールが届いた。自身のFacebookに「大聖寺」の写真をアップしてくれた。写真撮影を生業とする人がお寺を撮ってくれるのだからこんなにありがたいことはない。お金を出してでも撮ってもらいたいというお寺はたくさんあるはずだ。しかも彼は、寺の隣りのK屋の縁者で、K屋を山梨アトリエとしている。そして或る日、「こういう場所に墓地を取りたいです」と檀家にまでなってくれたのだ。学校や病院やその他、建物の内外を撮影する彼のフィールドは全国各地である。この年若い友人がアトリエに帰ってきたときに聞く話は、フィールドの狭い僕にはとても新鮮である。彼の話を肴に飲む焼酎は格別である。
午前中お札を書いていると秀ちゃんが来た。お母さんの容態が思わしくないと病院に呼び出されたのは先週の日曜のこと。命が尽きて、葬儀をして、もう一週間が経ってしまった。塗り位牌を作るために訪ねてくれた。葬儀を終えても何やかやと忙しいことが続くのだ。

2012年1月21日Saturday
大寒。初大師。
今朝も朝から雨。雪ではない。一日しょぼしょぼと雨。支所日直の一日。後45分で終了。下水道工事業者が配管工事のために一日掘削温響かせた。本を読みつつ少しイライラもしたが、「大寒」の今日、この寒い中を仕事をしていることを思うとそんな気持ちになってくる自分を蔑みたい思いが湧いた。4時頃に「今日の作業は終りました、ありがとうございました」と帰っていかれた。
今日の日直も死亡届はなし。こういう幸運に恵まれている日直も、退職までにあと3月に一回あるだけとなった。このままの幸運を維持できたらいい。実は今朝のお勤めで、初大師でもあり、「今日の日直死亡届の受理がありませんように」と願った。こんなことを願っていたらいけませんね。もっと他に祈願することがあるでしょうと叱られそうだ。
午前中は、JAZZ聴きながら行蔵院の七七日忌の次第や回向文を作った。午後は炬燵に温まりながら読書。見沢知廉の遺作「愛情省」と、先日芥川賞を取った田中慎弥の過去作品「冷たい水の羊」読む。

2012年1月20日Friday
本堂の棟を征服する。
山間地では雪になったが平地が雨で終ってくれて今日のところはホッとした。それでも一日冷たい雨があり、郵便局に昼過ぎに行ったが、頬を刺すような寒さだった。北海道のどこかじゃマイナス30度なんてとこもあるらしい。マイナス30度ってどんななのか想像もつかない。そうとう寒いとか、肉や魚を保冷してある冷凍倉庫に、お笑い芸人さんたちが入るなんて番組があるが、そんな風なのかなぁと想像してみる。でも寒冷地ってのは外は寒さ厳しいけど、屋内暖房は充実しているらしいから、僕の寺なんかのようにストーブをつけた部屋からついてない部屋に移動するのがイヤになったり、便所に行くのさえ億劫になったりすることはないんだろうな。
そうそう、一昨日の葬儀の初七日の膳で、喪主のお兄さんたちの子どもの頃の話を聞いた。お寺が遊び場で、「しょっちゅう方丈さんに叱られた」と言っていた。彼らのいう方丈さんとは祖父のことだ。いまはお寺を遊び場とする子供なんて居やしないが、お兄さんたちの頃はまた遊びのスケールが大きかった。青竹の太いのにしがみついて弾力を利用して本堂や客殿の屋根に飛び移って、鎖伝いに棟まで上ったそうだ。棟を征服することがガキ大将の条件だったのだろう。いま人間でそんなことをするのは居ないが、同じことを猿たちがやっている。桜の古木の枝や、紅葉の枝伝いに屋根に飛び移って走り回る。祖父も子供たちが危険な目に遭わないように注意しながら、小猿のような少年たちを叱っていたのだろうと思う。寺を人が振り返らなくならないようにしなければな。毎年夏にはザリガニ釣りが一時子供たちのブームになる。こういう遊びの場を大事にしていくということだな。いま、このガキ大将は大工の棟梁になった。在来工法にこだわったその仕事ぶりは、篤い信頼を得ていると聞いた。

2012年1月19日Thursday 晴れくもり
ここはここのやり方で。
去年の暮れの話になるが、或る葬儀の席で僧侶と檀家の方との会話を聞くともなしに聞いていた。会話する二人は、檀那寺と檀家という関係ではなく別である。
(檀家):「私のとこの寺も、墓地に少し樹を植えて墓地らしく環境を整えようかと考えているんですがね」。
(僧侶):「樹なんか植えないほうがいいですよ、私の寺ではいま、墓地の樹が大きくなって根を張って、墓地分譲に支障が出てるんですよ。檀家の人たちが好意でもって過去に植えたんでしょうけど今となっては邪魔で、切り倒して根まで掘りあげるまでやるには莫大な経費がかかるようです。土地があっても分譲できない状態です。檀家が自分で自分たちの首を絞めたようなもんです。樹なんか植えないで、現状のままで墓地を区画分譲したら、まだまだたくさん売れるし檀家も増やせますよ」。
大体こんな風な会話だった。ただ僕は、即座に「樹なんか植えちゃダメですよ」と応えた言葉にはいささか唖然とした。檀家の方はもう70歳を越えているような方であったので、殺風景な墓地に桜でも植えて彼岸の時季には桜を見せてあげたいというようなことを考えていたようだ。至極自然なものの考え方で、僕もどちらかというと樹は植えたいと思う。僕は自分の寺で自分なりの緑化計画をちょっとずつ進めている。お金がないので、苗木をたくさん仕入れて植えるというようなこともできないが、ポケットマネーで値段の下がった苗木を見つけて買ったり、ツツジやアジサイは挿し木をして増やしている。僕があの世に逝ってしまうまでに僕の描く緑化計画は実りとならないかもしれないが、それでも、寺の境内や墓地に花のある風景は心和む。どちらを優先するかは、個々人の考え方かもしれないが、僕は僕のやり方でいこうと思う。まあその思いの裏には、ただで墓地をあげるといってもこの辺鄙な場所の寺に墓地を取りたいという人はいないので、僕の嫉妬ごころもあることは否めないが。昨日の葬儀を喜んでくれた人たちがいて、そんなことを通して、この去年の暮れに聞いた会話がよみがえってきた。今夜から明日にかけて雪になるという予報。たくさん降らなければいいが。

2012年1月18日Wednesday 晴れ
葬儀。
雪の昨日のほうが少しあたたかだったのかもしれない。さすがに朝寒い。7時半過ぎに当家に歩いてゆく。近所の皆さんも外に揃っている。最後のお別れをして火葬場へと出棺。朝一番早い火葬。焼き上がりを待つ間、喪主や組の長老たちと燗酒飲みながら話す。やはり寺でやる葬式がいいという。夕べの通夜も、寒い時期だったがやはりそれなりの雰囲気があったといってくれた。ホール葬ではこういう厳かな雰囲気は感じられないとも言う。嬉しい言葉だった。12時から告別式。不動寺の叔父さん来てくれて助けてくれる。いつまでも一線に居てくれるが叔父ももう80になるのだ。納骨は四十九日忌のときにするというので、終えてすぐに隣の集会所へ移動して初七日の読経と祓いの席。喪主兄弟も滞りなく終ってほっとしたようだ。お兄さんから3月4日に七七日忌をしたいといわれ予定を確認してOKする。3月の土日はほとんど埋まってしまった。
初七日から帰り、着替えて後片付け。葬儀社がほとんど片付けていってくれたが、女房は掃除機をかけ、僕は便所の掃除などする。客殿の机や仏具を元通りにして障子を入れて5時前に終る。炬燵に横になって熱燗飲みながら大相撲中継をボーっと見る。やっぱり疲れが出てくる。普段使わない頭も使ったので、肉体疲労ばかりではない。今年初葬儀終る。

2012年1月17日Tuesday 晴れ
遠藤刀自通夜。
午後3時から納棺をして棺を寺に移動して通夜。4時過ぎから隣りの公会堂で夕飯。ワンカップ一杯いただく。朝の雪は午後には日陰を残してすっかり消えた。暖かな春を誘うような一日だった。6時から通夜。客殿を締め切って弔問者を迎えるわけにはいかないので、戸を開けたまま中ではストーブを焚く。でもそんなに寒くはなかった。衣が比較的暖かかったのかもしれない。戒名のお話をして通夜を終える。棺は再び当家に戻って、明日の朝そこから火葬場に出棺する。寺でする葬儀がもう普通でなくなり始めて、なんだか僧の僕までが準備するのにあたふたしている。なんだか困ったもんだ。葬儀を準備することが面倒になり始めてしまったら自らの首を絞めるようなもんだな。寺で葬儀をすることになっても、もう竹を切って用意したり、四本幡を書いたりすることはないのだから。こう言い切っていのかここもいささか?だが、こういうものを揃える手間を、組の人たちが多分望まないようにはなっているような気はする。僕は思っている。所詮坊主は坊主で、異邦人のようなもの。不思議なことに僕の中にはこの八日市場を生れ故郷だと感じることは今までにもなかった。ここの集落でやるべきことは父親以上に務めてきた。同志会長もした。消防だって分団長までした。ここで生れたのは確かなのだが、やっぱり何かが微妙に違う。僕も「永城さん」の孫だから、旅役者よろしく流れるのが性に合っているのかもしれない。
葬儀屋さんも引けて、僕は一杯飲んでこれから風呂に入って明日のために寝るのだ。

2012年1月16日Monday くもり
葬儀になる。
朝の6時を指したと同時に電話が鳴った。Hちゃんからだった。「今し方お袋を家につれて帰りました」と。「そうですか、残念でしたね」と応える。3時過ぎに亡くなったとのことだった。7時半過ぎに枕経に行く。いつもなら炬燵があって、おばさんがそこに坐っている場所はきれいに片付けられて、布団に横になったおばさんが眠っていた。苦しんだ様子もなく穏やかなお顔であった。組内の人たち三々五々集まってきて、葬儀屋さんも来たので、葬儀の日程だけをとりあえず決める。明日の通夜、明後日の告別式を決め、僕のほかに僧侶1名。不動寺の叔父を頼む。帰ってから着替えて職場に行き、月曜日のやらなければならない仕事を片付けて3日間の年次休暇の届けを出して戻ってきた。今日は昨日よりも天候が悪い。ほとんど陽がささない寒い日。北海道じゃ記録的な大雪で、町の機能が停まってしまった状態にあると聞いた。ここも雪でも降ってきそうだ。寺での通夜も葬儀もきっと寒くなるに違いない。
戒名を考える。実は昨日の夕方から戒名は考えていた。布団の中でもいろいろとおばさんの人となりを思いながら考えていた。昼前にようやく納得した戒名が付けられた。「苳」の一字を使った。「冬生える草の名」とあるが、一般的には「フキノトウ」をいうらしい。フキノトウはこの寒さでは顔を出さないだろう。僕は「冬に生える草」の意で用いた。福寿草の黄なんかを思い浮かべてみたりしている。
塔婆、位牌などの書き物を済ませた。明日諷誦文を考えればそれで準備の大方ができる。

2012年1月15日Sunday くもり
心配していたことなんだが。
お昼ちょっと前に獅子舞が来て、昼食後のにごろんとしていると電話がかかってきた。檀家のHちゃんからだった。声に元気がない。お母さんが入院していることを女房から聞いていたので、どうだろうかと心配していた。「相談したいことがあるから話せないか」と。「じゃ、来る?」と言うと、病院まで来て欲しいとのことですぐに出かけた。Hちゃんと、甲府のお兄さんが病室にいた。廊下に出て二人で話す。お母さんの病状はもう相当に悪いとのことで、今日明日をも知れないという。そのときのことを相談されてアドバイスする。とてもあたたかいおばさんだったので、何とか持ちこたえて欲しいと思うが、もうここらあたりで楽にしてあげてもいいのかななんて気持ちも片側にある。今日は一日陽のでないとても冷えた一日だった。4時過ぎに本堂のお勤めをして、外の水道の水を落としに出ると、今にも雪でも舞ってきそうな空だった。この時期が一番寒い頃で、檀家でも1月から2月にかけて亡くなる人が例年多い。去年も1月2月で3つ葬式をした。Hちゃんも看病で相当に参っているようだった。それから僕と話しながらも極まったように廊下の天井を見上げる。涙を堪えているのがわかる。別れのときは確実に近づいている。僕もそのときの準備をしておかなければならない。

2012年1月14日Saturday 晴れ
飲んじまったなぁ。
門松をどんど焼き用に盛られた畑の中に持っていき、幣のシメを付け替えるべく公会堂へ行き、そのまま飲みに入ってしまった。Kくんが「付き合いますよ」と言ってくれたので、二人で飲みながらよく話もした。Kくんともこんなにゆっくりと飲んで話したのは今までになかった。家のこと子どものこと、彼は12月いっぱいで長年勤めた会社を退職し、今年から独立して今までと同じ仕事を続けていくのだという。彼も「こんなにのんびりと過ごした正月は初めてです」と言う。僕も、「今年は消防の旅行に連れてってもらおうかな」なんて言葉を滑らせてしまった。消防の旅行にも10年以上は行っていない。どんど焼きが始まると、同じ組の先輩が来て、「今年は区会議員やってもらうよ」なんて。まあこれも仕方がないだろうなと言う風に思う。ゆっくりとのんびりと一日を過ごした。

2012年1月13日Friday 晴れ
おかしなことばかりだ。
「橋下・大阪市長、君が代起立条例提案へ 2月市議会に」とある。ばっかみてぇ!?下品がここに極まった。僕が「ばっかみたい」という裏側には、これを好意的に取る輩も半分くらいは居るのだ。市長選で彼に投票した人たちはこういう「ファッショもと知事」の挑戦的な政策の進め方をどんな風に捉えているのかと考えてしまう。こういう人とは絶対に友達になれない。会いたくもない。大阪市に住みたくない。
脱獄囚なかなか見つからないなぁと思っていたら捕まった。これはよかった。住民は不安だものな。空き巣に入って着替えもしているし、お金も盗んでいるかもしれない。ちゃっかり入った家で食事もし、シャバでの解放ビールも飲んでいる。こういう人は力強く逃げおおせてしまうかもしれないなんて勝手に想像もしてたけどよかった。仕事が終わる間近だったので、上司と「お前だったらどう?」なんて話になった。もうビール飲んだら、とことん飲んでしまって空き巣に入った家でそこから先はなかったでしょうなんて話した。何年かぶりのビールはそのくらいの魅力に満ち溢れているに違いない。
内閣の改造があったが、野田総理のあの浮かない顔はこちらまで気が滅入る。小正月に獅子舞のように勢いをつけたつもりなんだろうか。
「遺体に放尿」。「米軍兵士とみられる男たちが旧支配勢力タリバン戦闘員の遺体に放尿する映像が流出した」。こういうことをしてはいけない。してはいけないことを分からない大人を戦場に野放ししている国家を呆れる。連れションしていることが恥ずかしい。誰も「嫌だ」と言わないのか?自分が遺体だったらということを考えてみるのが一番手っ取り早いんだが。

2012年1月12日Thursday 晴れ
眉に口紅。
一日経っても脱走受刑者が見つからない。見つからないので捕まらない。用意周到な脱獄準備がされていたのか。脱獄囚を手引きする組織と、事前に計画が練られていたのかもしれない。
去年の暮れにテレビで「ランナウェイ〜愛する君のために」という、4人の若者が九州の刑務所を脱獄して東京に向うドラマがあったが、まさか現実に刑務所を脱獄、それも真昼間にやってのけるなどということが起こるとは思いもしなかった。脱獄のことを考えて刑務所で生活している囚人なんていないだろうかと思っていた。それだけ、厳しい監視下にあると塀の外側は思っているのだ。今夜もうひと晩見つからなきゃもう仲間に庇護されていると考えるしかないのだろうな。スカッとすることのない時代に、ある意味「アッパレ!」だなんて言葉も漏れるかもしれないな。
今日は女房の誕生日で、彼女もめでたく“Go Go!”である。めでたいばかりではない。今朝認知症の母は、口紅を眉に塗って何食わぬ顔で食卓に着いたのだ。女房が僕を呼びに来て行ってみると、なんというか、寂しさも悲しさも素通りしていくような「道化顔」がそこにあり、「お母さん、その顔」と声かける女房に「なにが変?」と静かに応える。僕は、顔のことを伝えに来た女房の様子から、今朝冷え込みが厳しかったので、顔が赤く腫れているのかというようなことを想像したが、眉に口紅自体は、僕の心の内側も関心が素通りしていくような感覚であったことは否めない。これが現実の生活の一片なのである。

2012年1月11日Wednesday 晴れ
生きることを再び始める。
広島刑務所で受刑者の脱走があったと伝えられ、まだ捕まえたという報道はない。中国人受刑者だという。作業服を脱ぎ捨てて逃走したので下着姿だろうというが、新しい服を調達するために新たな犯罪を犯すことも考えられる。早く身柄を確保して安心を与えて欲しいものだ。警察の不祥事の連鎖がここにも出たとしか言いようがないかもしれないな。
大晦日に警視庁に出頭したオウム真理教の元信者平田容疑者の逃亡を17年間支えた女性は、引越しが必要になったとき以外は、平田容疑者は部屋から一歩も出ることはなかったといい、偽名で通した逃亡生活を振り返り、17年ぶりに本名を名乗れた、偽りの人生を終わりにしたいと語ったという。隠れて生きていくということは、これは経験がないことだけど、相当に厳しいことだと思えるな。生きているのに生きていないようなものだ。生きていないのならいいが、生きているので飯も食えば欲もある。部屋から一歩も出ないで生活することとは一体どういうことなんだろうか。ここから平田容疑者の生きることは再び始まるのではないだろうか。

2012年1月10日Tuesday 晴れ
パンとコーヒー牛乳。
夕べは夕飯後に女房が体の不調を訴え、娘が病院に連絡して連れて行って注射を打ってもらった。飲んでしまっていたので僕が送ることはできなかったが、娘が居てくれてよかったなぁと感じたのだ。段々僕らも歳を取っていき、必ずしも健康体ではいられない。彼女は今日の午前中のアルバイトを休んだので、僕と娘は夕べのうちに、「明日は弁当を持たずに行こう」ということだけ決めておいた。僕の職場では毎日配達される弁当を注文する人もいるが、どうもこういうものに馴染みがないので頼めずに終ってしまう。温泉施設に先週分の料金の回収に行った帰りにローソンでパンとコーヒー牛乳を買って食べた。店に入って食事することとか、なんでもないようなことがもう何年も自分でできないようになってしまっている。可笑しいよね。娘は今日どんな昼ごはんだったのだろう。
昨日見た「男はつらいよ」を思い出しながら、夕べは布団の中で「渥美清が生きていて、『男はつらいよ』がまだ続いていたとしたら、寅さんはこの震災をどんな風に眺めただろうか」なんてことをしばらく思ってみたりした。寅さんがあの光景の只中に置かれたら、きっと腰が抜けて言葉も発せなくなってしまうのではないだろうかと想像した。被災地の避難所で上映された「男はつらいよ」を見ながら、笑って泣いて、きっと元に戻って見せるぞと、スクリーンの寅さんに拳を握って誓った人たちも大勢居たに違いないとも想像した。被災地に崩れて泣き伏す寅さんなんかは想像したくはないものな。うまくまとめることができないけどこれでいいや。

2012年1月9日Monday 晴れ
成人の日。
東京のデパ地下で買ってきてくれた「鰻弁当」をレンジで温めて朝食。朝から豪華だ。これぞ成人の日、なんてなにも脈絡がない。午後からWOWOWで「寅さん」を続けてみている。座りっぱなしではないが、とにかく今も見ている。長渕剛と志穂美悦子が共演しているこの作品で二人が結婚にいたったのではないかと思った。寅さんいいなぁ。ほんとにいいなぁ。寅さんは表だけが見えていて、裏の旅の寅さんが見られないけれど、でもなんとなく旅する寅さんが見えるようだ。寅さんもきっと、お大師様と連れ立って旅をしたことだってあるはずだ。僕も寒い冬を乗り切って「同行二人」だ。
終わりに近づけばこれはこれでよい3連休だったな。

2012年1月8日Sunday 晴れ
CDを100枚ほど処分する。
もう多分聞くことのないCDを思い切って整理して処分した。まったくな避けなくなるような値段での買取ではあったが、ちょっと棚に隙ができた。収まりきらないCDがあちこちに積まれている。辞めたら、本なんかも少し整理しようと考えている。で、今日また3枚買ってしまった。帰ってきてから、門松を片付け、本堂、客殿、庫裏のお供えなんかも片付ける。正月気分にサヨナラだ。車検も交換するものがあったりしてだいぶかかってしまった。まあこれにめげずに頑張る。
越石師から夕べHPへの訪問の数字が78000人目だということで写真を送ってくれた。気がつきゃもう12年がちょうど経過しようとしている。よく飽きずにやってきたわな、褒めてやりたい気分だ。

2012年1月7日Saturday 晴れ
三連休。
休みの日だけど、ちょっと遅く5時半には起きてお勤めをする。李良枝全集の貸し出しを一回更新してもらったので、これをできるだけ読み進めたいと思いながら読む。女房と娘は一泊で東京へ行く。女房は夕べ僕に、「彼女が結婚をするまで、ちょっとしたお出かけを続けていきたい」といった。僕はこれはこれでいい、それでいいと思う。今はまだ、結婚するのかどうかもわからないのだが。二人を送り出してから10時に車検出しにいく。まだ松の内でショールームも混んでいる。預けてその後、ブックオフへ行く。トム・ウェイツ2枚、パット・メセニー2枚、山岸潤史の居たCHICKENSHACKを1枚買う。それから、梁石日、村薫、大江健三郎の文庫本を仕入れる。6千円とちょっと、まあまあではないか。帰ってきて家で昼飯。3時半過ぎに電話がかかってきて、車検の仕上がりが6時半過ぎになるとの事で、そんな時間じゃ持ちに行くのはやーなこったと、明日の朝清算と引き取りに行くことにする。夕方ゆっくりとお勤め。法螺貝・太鼓あり。5時半頃より飲み始めると女房から電話。向こうもこっちものんびりやりましょうや。

2012年1月6日Friday 晴れ
「莫愁前路無知己 天下誰人不識君」。
一日、毎月ある仕事をやって片付ける。これが12月分ということで、この1月分からはこの仕事をしなくてよいということになったので、これでこの仕事はおしまい。1月分からは業者委託するのだという。ひとつずつ終っていく。
別に聞きたくもないのだが、新年早々に人気アナウンサーの隠し子とか、自分で宣言して芸能界を去った島田紳助の復帰を望む発言とかが流されて目に飛び込んでくる。決意して退いていった十分な大人に、何の声掛けの必要があろう。帰ってくるのなら始めから去らねばよかったわけで、いまさらうるさいわいと思うのは誰もそうだろう。例えばジャズミュージシャンも芸能界の人といえるのだろうか。もしそうだとしたら、こういう低レベルな情報の中に括って欲しくはないと思うな。
明日から3連休だ。これがまた楽しみだな。車検があるが、そのついでにブックオフあたりを時間かけてみてこようと思っている。山梨には中古CDショップとかないし、こういう点はいささかさびしい気もするが、まあここの空気を吸って生活していたら、そのくらいのことは一日過ぎたら忘れているってなもんだ。
「親爺日記」巻頭に、
「莫愁前路無知己 天下誰人不識君」という漢詩が載っていたので早速調べてみた。「愁うる莫かれ 前路に知己無きを 天下誰人か 君を識らざらん」と読み、「配はしないでくれ、行く先に友がいないなどとは この世に君を知らない者など誰がいるはずがあろうか」というような意味があるそうだ。大きな世界観をもった詩だと感じた。厳しい時代だけれども、若者たちにこれを贈ってしっかりと手を握り締めて送り出してあげたいような気持ちになってくる。ブログの主人は特別な思いでこの詩を今年の巻頭言としたのだろうなとも想像した。

2012年1月5日Thursday 晴れ
実際に仕事に通う道を歩くのは残り60日だ。
年賀状は大体いつもの年のように来たのだった。僕は年末に「欠礼状」として出したのだが、言い訳のように「少しだけ悩みましたが、やはり年賀状を出す気持ちにはなれませんでした。しかし、皆さんからの賀状を遠慮するものではないと考えています。」と書いたので、正月も年賀状で友人の近況なども知ることができた。泉くんは中国に単身赴任しているとのことだった。泉くんが出したものではなく、奥さんが彼について書いた賀状が届き知ったのだ。ほとんど会うこともなく、年賀状のやり取りだけなのだが大切な友人だと感じている。彼が同じ仕事を続けているのだとしたら、洋ランの研究や開発のために中国へ行っているのだろうと思う。大学時代の極々少ない友人の茅島夫妻からも賀状をいただいた。奥さんの由美さんがいつも書いてくれているが、「石田君らしいなと思いました」と欠礼状と退職に関してのコメントが書かれていた。二人とも年賀状を交わすくらいであるが、「石田君」と呼びかけてくれている箇所に、もう30年以上も前の学生時代のことがふっとよみがえってくる。彼らにとって僕は、石田さんでも石田住職でもなく、変わらず「石田君」であり続けているのだ。新年のテレビで、この正月は例年以上に同窓会や同級会が開催されているのだと聞いた。ここにも大震災による影響があって、友人の安否を気遣ったりする思いが同窓会の開催に繋がっているようだ。なるほどなと思った。
昨日檀家の年始まわりをしたら、何人かからは、「暮れの通知を読んだが役場を辞めるそうだな、でももったいないな、定年まで勤めたらどうだ檀家の少ない寺なんだから」と同じようなことを言われた。厳しくなるかもしれませんが、そういうことすべてを享受しながら、一介の寺の住職として寺にある生活をしていきたいのですというようなことを応えておいた。それでいいとほんとに思っているのだから。

2012年1月4日Wednesday 晴れ
年始回り。
1月4日に檀家へ新年のお札を持って年始回りに出かける。7時20分出発して先ず富士豊茂の遠藤さんの家に。道路は空いていた。お茶をいただいて辞す。精進湖道路を下って市川の遠藤家へ。そこから甲府方面へ。留守になる家にはお札を送るということで回ったのは5軒。留守宅もあった。11時過ぎに八日市場へ帰ってきてそのまま地区の檀家を回る。秀ちゃんが年末にこなかったので訊くと、お母さんが年末に調子が悪かったようで看ていたとのこと。今日訪ねたときにはコタツにいたので少しよくなったようだ。みな高齢になる。親を看るほうの子どもも年を取る。毎年ひとつずつ互いにつかず離れず年をとる。やがてある日その関係に終わりが来る。寒い時期はこういうことの起こることが寺としては心配になる。昼めしを食って1時過ぎから、後山、飯富、下山と回る。後山を下るときには風花が舞っていた。コメリで福寿草を二鉢買った。この黄色い花に早く合いたい気持ちになった。

2012年1月3日Tuesday 晴れ
正月3日朝。
もう正月も3日目の朝である。息子は昨日の昼過ぎにまた学問の場所に戻っていった。大晦日を終えると元旦二日と、酒を飲んだりだらだら過ごすとあっという間に正月が終えてしまうような気がする。こんなに早く過ぎてしまう正月のために、年の瀬を忙しく慌しく過ごしたのかと考えるとなんだかむなしいような気分になってくる。僕は明日は檀家への新年のお札配りがあるので休暇をとっているが、娘は明日にはもう仕事を始めるのだ。元日はたくさん飲んで、昨日は一日完全に体を休めた。でも11時から今年初の法事があった。正月に帰ってきた家族が先祖供養をしたいということだった。午後はコタツに入ってWOWOWで「男はつらいよ」を三本見た。暮れから寅さんをやっているのを何本か見てきた。こういうほのぼのとする映画を見ている分には心穏やかになる。こんな役者が早々と亡くなってしまったことは映画界にとっては大きな損失だったなと思う。山梨は、去年の春から暴力団の分裂抗争が起こっていて、県内の祭りから的屋が締め出されている状況にあって、今年は完全に排除されてしまうようで、的屋のお祭りといわれているようなのは開催を中止するという動きも出ている。おそらく「八日市」への影響も必ずあるのだと思う。的屋の来ない祭りは集客には大きく影響する。こんなことも早く解決して欲しい問題だ。
箱根駅伝の復路が30分ほど前にスタートした。昨日の午後にはここも冷たい風が吹き荒れた。天候が悪いと、もともと少ない初詣ももっと少ない。今日には初客がおみえになる。お札の準備もしなければならない。